虚構の勇者
◆◆◆◆◆
【2011/07/26】
一学期最後の授業が終わり、明日からは夏休みだ。
折角の午前放課なのだが、今日は生憎と終日雨天であるらしい。
帰り仕度を終えて廊下に出ると、ひどく思い悩む様な顔をした小沢さんとすれ違う。
呼び止める間もなく小沢さんは階段を駆け降りていったのだった。
◇◇◇◇
流石に干渉が過ぎるのではないかと思いつつも、病院を訪れる。
小沢さんがあんな顔をして悩む事があるとすれば、それは恐らくはこの病院に関わる事だろう。
病室が並ぶ廊下を歩いていると、ベンチに座って俯き気味に何事かを迷っているかの様な顔をしていた。
近寄ると、あっ……と声を上げて小沢さんは顔を上げる。
「鳴上、さん……。
…………。
……今ね、おと……あの人の病室、行ってきたとこ……、なんだ……」
小沢さんは、“おとうさん”と言おうとして、何処か悩まし気に眉を寄せてから、“あの人”と言い直した。
……そう言えば、小沢さんのお母さんはどうなったのだろう。
過労で倒れたのだと言うのは聞いているが……。
「お母さんの具合は、大丈夫?」
「あ、うん……。
大した事は無かったみたいで、もう退院してるよ……」
少し表情を緩めて小沢さんはお母さんの事を話すが、直ぐにまた悩まし気に眉を寄せる。
「……ついで、だから……。
お母さんの薬、貰うついでに……、ちょっと立ち寄っただけ……」
独り言の様にボソボソと小沢さんは、誰にかは分からないがまるで言い訳の様な言葉を述べる。
そして、「なのに」と、小沢さんは複雑な感情を無理矢理押し込めた様に表情を僅かに歪めた。
「そしたら、嬉しそうに笑ってさ……。
……今にも死にそうな顔してるクセに、無理矢理身体を起こして……。
『テレビ見るか?』『マンガを読みたければ買っておいで』『アイスも一緒に買ったらどうだ?ほら、お金ならこれを……』
…………。
……バカみたい……。
はしゃいで咳き込んで……。
……お医者さんにも迷惑かけて……。
……ほんと、バカ、みたい……」
バカみたい、と何度も何度も小沢さんは呟く。
けれどそこには、以前の様な強い憎しみや憤りは感じられなかった。
ただただ感情を持て余しているかの様に、途方に暮れた子供の様な顔をしていた。
「あんなヤツ、父親なんかじゃない……、絶対に違う……って、思ってたのに……」
その後の言葉は続かない。
廊下に暫しの沈黙が落ちた。
時計の秒針が何周か回る程の時間の後。
「もう、やだ……」
小沢さんの口から溢れたのは、そんな言葉だった。
そしてそれが切っ掛けであったかの様に、感情の奔流の様な声を上げる。
「私ばっかり……私ばっかり、私ばっかり!!」
廊下に響いたその大声を看護師さんに咎められて初めて、小沢さんは我に返った。
そして、少し決まりが悪そうな顔をしてこちらに謝ってくる。
「……ごめん、カッとなっちゃって……。
……鳴上さんに当たっても、どうしようも無いのにね……。
……でも、どうして私ばっかり、……こんな目に遭うんだろ……」
……何故なのかなんて、分からないが。
それでも確かにこれだけは言えるだろう。
「小沢さんの所為じゃ、ないよ。
……私にも、どうしてかなんて分からないけど、それだけは確かだと思う」
“何故”なんて、所詮は当事者ですらない自分には分かり様も無い話だ。
巡り合わせや運とでも呼ぶしかないモノが悪かったのかもしれないし、将又何か別の所に原因があったのかもしれない。
ただ少なくとも。
その責任が小沢さんだけにある、という事は無いのだろう。
……それは小沢さんにとって、何の慰めにもならない事なのかも知れないが。
そう答えると、小沢さんは「そっか……」とだけ呟く。
そしてまた沈黙に沈みそうになったが、不意に小沢さんは立ち上がった。
「……ごめん、もう行かなきゃ。
……今日は、ありがとう……」
自分は小沢さんに何も出来ていないが。
小沢さんはそう言って、まるで病院から逃げようとしているかの様な足取りで、その場を去って行ったのだった。
◇◇◇◇◇
午前0時まで後数分……。
窓の外では雨がシトシトと降り続いている。
……《マヨナカテレビ》が映る条件は整ったが……。
果たして何かが映るのだろうか。
そんな事を考えながら暗い画面を眺めていると、時計の針が重なった直後、不意にノイズの様な音と共にテレビの画面に砂嵐が映し出される。
しかしその砂嵐は直ぐ様収まり、画面には確かな像が結ばれ、何処か古いテレビゲームの様な作り物めいた安物感がある城壁を背にし、“何者か”の上半身が映し出された。
先ず初めに思った事は、“誰だ?”という疑念だ。
そして次に、“何故”という困惑。
鮮明に映像が映し出されていると言う事は、この“何者か”は既に彼方の世界に居るという事になる。
この“何者か”は、少なくともテレビの報道で顔が出てきた存在ではない。
そして、前回の《マヨナカテレビ》から……正確にはこちらで最後に霧が出てからは、今夜の《マヨナカテレビ》以外に《マヨナカテレビ》が映った事は無い筈だ。
今までのパターンから言うと、先ず初めに不鮮明な映像が映され、その後で(詳しい因果関係は不明だが)その映像の人物があの世界に放り込まれて、その結果鮮明にシャドウが映し出される映像が流れていた。
しかし、今回は既に彼方に居る。
……これが意味するところとは、一体……。
思考に沈みそうになりながらも、《マヨナカテレビ》から情報を得ようと、“何者か”を観察する。
恐らくは同年代の男。
陰鬱な雰囲気を全身から滲ませていて、俯きがちなその目は暗く澱んでいる様にも見える。
格好は部屋着の様なラフな私服だろうか。
左頬の泣き黒子が特徴的である。
……何故だろう。
こんな男など自分の知り合いにはいないが、何時か何処かで見掛けた事がある様な感じが僅かにする。
自分の記憶を引っくり返して、この男の姿を探していると。
俯きがちであった顔をゆっくりと上げ、男はボソボソと消え入りそうで聞き取り辛い……しかし不快感と共に耳の奥に残りそうな声で話し始める。
『みんな、僕の事見てるつもりなんだろ?
みんな、僕の事知ってるつもりなんだろ?
……それなら、捕まえてごらんよ』
そして男はうっすらと口の端を僅かに吊り上げて薄気味悪い笑みを浮かべ、耳障りな雑音と共に映像は途絶えた。
……何だ、今のは。
ああやって鮮明に映っていたという事は、あの“男”は何者かのシャドウなのだろう。
シャドウとは抑圧されてきた自分自身。
その主張は、誇張され捻れ曲がってはいるが、本人の本音の一部ではある。
だがその主張が、“捕まえてみろ”……?
……一体、どういう事なのか……。
先程の映像について考えていると、携帯が着信を知らせる。
……花村からだ。
電話に出てみると、花村は酷く狼狽していた。
見覚えなど何も無い“何者か”が既にあちらに居たのだから、然もありなんである。
一先ず花村を落ち着かせようとすると、電話口の向こうでクマが騒いでいるのが聞こえた。
『……っと、あー。
分かった分かった、うるせーな!
悪ィ、クマに代わるわ』
花村が言った数瞬後。
『もしもーし、センセー!
あなたのクマクマー!
初めて噂の《マヨナカテレビ》、見たクマよー』
テンションの高めなクマの声が聞こえてきた。
クマ曰く、やはりこの《マヨナカテレビ》は中にいる人物の抑圧した感情にあの世界が共鳴して起きている現象であるらしく、“何者か”が恣意的に放映しているものではない、らしい。
まあそれはともかく、先程の見知らぬ男は既に彼方の世界に居るのは確かな様だ。
……まだ事の仔細は分からないが、幸い明日からは夏休みだ。
先ずは、明日皆で話し合う事にしよう。
そう全員に伝え、明日に備えて眠りに就いた。
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【2011/07/26】
一学期最後の授業が終わり、明日からは夏休みだ。
折角の午前放課なのだが、今日は生憎と終日雨天であるらしい。
帰り仕度を終えて廊下に出ると、ひどく思い悩む様な顔をした小沢さんとすれ違う。
呼び止める間もなく小沢さんは階段を駆け降りていったのだった。
◇◇◇◇
流石に干渉が過ぎるのではないかと思いつつも、病院を訪れる。
小沢さんがあんな顔をして悩む事があるとすれば、それは恐らくはこの病院に関わる事だろう。
病室が並ぶ廊下を歩いていると、ベンチに座って俯き気味に何事かを迷っているかの様な顔をしていた。
近寄ると、あっ……と声を上げて小沢さんは顔を上げる。
「鳴上、さん……。
…………。
……今ね、おと……あの人の病室、行ってきたとこ……、なんだ……」
小沢さんは、“おとうさん”と言おうとして、何処か悩まし気に眉を寄せてから、“あの人”と言い直した。
……そう言えば、小沢さんのお母さんはどうなったのだろう。
過労で倒れたのだと言うのは聞いているが……。
「お母さんの具合は、大丈夫?」
「あ、うん……。
大した事は無かったみたいで、もう退院してるよ……」
少し表情を緩めて小沢さんはお母さんの事を話すが、直ぐにまた悩まし気に眉を寄せる。
「……ついで、だから……。
お母さんの薬、貰うついでに……、ちょっと立ち寄っただけ……」
独り言の様にボソボソと小沢さんは、誰にかは分からないがまるで言い訳の様な言葉を述べる。
そして、「なのに」と、小沢さんは複雑な感情を無理矢理押し込めた様に表情を僅かに歪めた。
「そしたら、嬉しそうに笑ってさ……。
……今にも死にそうな顔してるクセに、無理矢理身体を起こして……。
『テレビ見るか?』『マンガを読みたければ買っておいで』『アイスも一緒に買ったらどうだ?ほら、お金ならこれを……』
…………。
……バカみたい……。
はしゃいで咳き込んで……。
……お医者さんにも迷惑かけて……。
……ほんと、バカ、みたい……」
バカみたい、と何度も何度も小沢さんは呟く。
けれどそこには、以前の様な強い憎しみや憤りは感じられなかった。
ただただ感情を持て余しているかの様に、途方に暮れた子供の様な顔をしていた。
「あんなヤツ、父親なんかじゃない……、絶対に違う……って、思ってたのに……」
その後の言葉は続かない。
廊下に暫しの沈黙が落ちた。
時計の秒針が何周か回る程の時間の後。
「もう、やだ……」
小沢さんの口から溢れたのは、そんな言葉だった。
そしてそれが切っ掛けであったかの様に、感情の奔流の様な声を上げる。
「私ばっかり……私ばっかり、私ばっかり!!」
廊下に響いたその大声を看護師さんに咎められて初めて、小沢さんは我に返った。
そして、少し決まりが悪そうな顔をしてこちらに謝ってくる。
「……ごめん、カッとなっちゃって……。
……鳴上さんに当たっても、どうしようも無いのにね……。
……でも、どうして私ばっかり、……こんな目に遭うんだろ……」
……何故なのかなんて、分からないが。
それでも確かにこれだけは言えるだろう。
「小沢さんの所為じゃ、ないよ。
……私にも、どうしてかなんて分からないけど、それだけは確かだと思う」
“何故”なんて、所詮は当事者ですらない自分には分かり様も無い話だ。
巡り合わせや運とでも呼ぶしかないモノが悪かったのかもしれないし、将又何か別の所に原因があったのかもしれない。
ただ少なくとも。
その責任が小沢さんだけにある、という事は無いのだろう。
……それは小沢さんにとって、何の慰めにもならない事なのかも知れないが。
そう答えると、小沢さんは「そっか……」とだけ呟く。
そしてまた沈黙に沈みそうになったが、不意に小沢さんは立ち上がった。
「……ごめん、もう行かなきゃ。
……今日は、ありがとう……」
自分は小沢さんに何も出来ていないが。
小沢さんはそう言って、まるで病院から逃げようとしているかの様な足取りで、その場を去って行ったのだった。
◇◇◇◇◇
午前0時まで後数分……。
窓の外では雨がシトシトと降り続いている。
……《マヨナカテレビ》が映る条件は整ったが……。
果たして何かが映るのだろうか。
そんな事を考えながら暗い画面を眺めていると、時計の針が重なった直後、不意にノイズの様な音と共にテレビの画面に砂嵐が映し出される。
しかしその砂嵐は直ぐ様収まり、画面には確かな像が結ばれ、何処か古いテレビゲームの様な作り物めいた安物感がある城壁を背にし、“何者か”の上半身が映し出された。
先ず初めに思った事は、“誰だ?”という疑念だ。
そして次に、“何故”という困惑。
鮮明に映像が映し出されていると言う事は、この“何者か”は既に彼方の世界に居るという事になる。
この“何者か”は、少なくともテレビの報道で顔が出てきた存在ではない。
そして、前回の《マヨナカテレビ》から……正確にはこちらで最後に霧が出てからは、今夜の《マヨナカテレビ》以外に《マヨナカテレビ》が映った事は無い筈だ。
今までのパターンから言うと、先ず初めに不鮮明な映像が映され、その後で(詳しい因果関係は不明だが)その映像の人物があの世界に放り込まれて、その結果鮮明にシャドウが映し出される映像が流れていた。
しかし、今回は既に彼方に居る。
……これが意味するところとは、一体……。
思考に沈みそうになりながらも、《マヨナカテレビ》から情報を得ようと、“何者か”を観察する。
恐らくは同年代の男。
陰鬱な雰囲気を全身から滲ませていて、俯きがちなその目は暗く澱んでいる様にも見える。
格好は部屋着の様なラフな私服だろうか。
左頬の泣き黒子が特徴的である。
……何故だろう。
こんな男など自分の知り合いにはいないが、何時か何処かで見掛けた事がある様な感じが僅かにする。
自分の記憶を引っくり返して、この男の姿を探していると。
俯きがちであった顔をゆっくりと上げ、男はボソボソと消え入りそうで聞き取り辛い……しかし不快感と共に耳の奥に残りそうな声で話し始める。
『みんな、僕の事見てるつもりなんだろ?
みんな、僕の事知ってるつもりなんだろ?
……それなら、捕まえてごらんよ』
そして男はうっすらと口の端を僅かに吊り上げて薄気味悪い笑みを浮かべ、耳障りな雑音と共に映像は途絶えた。
……何だ、今のは。
ああやって鮮明に映っていたという事は、あの“男”は何者かのシャドウなのだろう。
シャドウとは抑圧されてきた自分自身。
その主張は、誇張され捻れ曲がってはいるが、本人の本音の一部ではある。
だがその主張が、“捕まえてみろ”……?
……一体、どういう事なのか……。
先程の映像について考えていると、携帯が着信を知らせる。
……花村からだ。
電話に出てみると、花村は酷く狼狽していた。
見覚えなど何も無い“何者か”が既にあちらに居たのだから、然もありなんである。
一先ず花村を落ち着かせようとすると、電話口の向こうでクマが騒いでいるのが聞こえた。
『……っと、あー。
分かった分かった、うるせーな!
悪ィ、クマに代わるわ』
花村が言った数瞬後。
『もしもーし、センセー!
あなたのクマクマー!
初めて噂の《マヨナカテレビ》、見たクマよー』
テンションの高めなクマの声が聞こえてきた。
クマ曰く、やはりこの《マヨナカテレビ》は中にいる人物の抑圧した感情にあの世界が共鳴して起きている現象であるらしく、“何者か”が恣意的に放映しているものではない、らしい。
まあそれはともかく、先程の見知らぬ男は既に彼方の世界に居るのは確かな様だ。
……まだ事の仔細は分からないが、幸い明日からは夏休みだ。
先ずは、明日皆で話し合う事にしよう。
そう全員に伝え、明日に備えて眠りに就いた。
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