本当の“家族”
◆◆◆◆◆
【2011/06/14】
演劇で使う衣装に付ける小物の作成の為に、演劇部の部室へと訪れた。
部長さんたちの要望を聞きながら小物を作る傍らで、部員たちは今日も熱心に演技の練習をしている。
その中には、小沢さんの姿もあった。
何時も練習に人一倍熱意を持って取り組んでいる小沢さんだが、……今日の練習は何処か鬼気迫る何かを感じてしまう程だ。
……あの病院での一件が何か関係しているのだろうか。
昼間降り続いていた雨も何時の間にか上がり、窓の外からは傾きつつある日の光が差し込んでいた。
「さて、ちょっと早いけど、キリ良い所だし、今日は上がろっかー!」
どうせもうそろそろ下校放送が流れるのだし、という部長の言葉に、緊張の糸を切れさせる部員たちだったが、それに小沢さんが待ったをかけた。
「まだチャイムが鳴ってないじゃないですか!
なのにもう帰るなんて、弛んでます!
もっと本気でやって下さい!」
小沢さんのその剣幕にたじたじになる他の部員を庇う様に、副部長が一歩前に出る。
「お、小沢さん、あまり根を詰めると……」
しかし、宥める為にかけたその言葉は、小沢さんには逆効果だった。
小沢さんは副部長へ噛み付く様な言葉をぶつける。
「私は真剣なだけです!
足、引っ張んないで下さい!
そんなんだから副部長は、主役取れないんじゃないですか!?」
「小沢!」
「あ…………。…………」
その空気に割って入るかの様に下校放送が流れ、副部長が取り成す様に解散を宣言して、部員たちは部室から立ち去っていった。
しかし、小沢さんは黙ったまま動かない。
「……鳴上さん。
……私、……間違った事、言ったのかな……」
「別に、真剣にもっと練習したいっていう内容は悪くは無かった。
でも、言い方は悪かった、かな」
伝えたい内容がどんなモノであったとしても、言葉使いやその時の表情とかシチュエーションとかを含めた諸々が悪かったら、相手にはちゃんと伝わらないし、無意味に相手を不快にさせてしまうだけだ。
「ん……、そう、だよね。
……演技……こんなに練習してるのに、実生活じゃ役に立たないや……」
小沢さんはそう言って、疲れた様な苦笑いを浮かべた。
「私、残って練習しとくから……。
……河原でも何処でも……、家じゃない所なら、いいや……」
……小沢さんの顔は暗い。
……あの病院での一件がまだ何か続いているのだろうか。
気には掛かるがしかし、流石に軽々しく口を挟める様な事情ではない。
「……付き合おうか?」
何か悩んでいるのなら、一人で練習していても、余計に気が滅入るだけではないだろうか。
自分に何が出来るとは思わないが、近くに人が居れば気は紛れるだろう。
気が滅入ってる時程、一人で考え込んで落ち込みがちになる。
「ううん……それは良いや。
でも、ありがと」
小沢さんは少し微笑んだ。
「……今家に帰っても、誰も居なくてさ。
……お母さん、アイツの看病で、会社と病院を行き来してるから。
だから、帰ってもしょうがないって言うか……。
……ひとりぽっちで家に居るとさ、色々、考えちゃって……。
……昔の事とか、何でこうなっちゃったんだろ……とか、ね。
もう……忘れたと思ってたのにな……」
疲れた様にそう言った小沢さんは、あっと顔を上げる。
「ごめん……何か、愚痴っちゃってさ……。
……忘れて?」
「それは無理だね」
小沢さんが悩んでいる、というのに、それを理由を忘れるなんて出来ない。
少なくとも、小沢さんがちゃんと元気になるまでは。
「えー……。
もうちょっとこう、優しくしてよ。
……うん、でもありがとね、鳴上さん。
一人だったら、ズーンって落ちちゃってただろうし。
一緒に居てくれて、嬉しいよ」
そう言って、少し元気が出てきた様な表情で小沢さんは微笑んだ。
……元気付ける事が出来た様で、何よりだ。
「私には、演劇あるんだし。
うん、頑張れる。だから、頑張れる!
よっし、私何処か寄って練習するから!
折角主役取れたんだもん、絶対、やってやらなきゃ!
じゃあね、鳴上さん!!」
ガッツ溢れる小沢さんを見送り、夕飯の買い出しへと出掛けた。
◆◆◆◆◆
今晩は鮭の照り焼きにでもしようかとジュネスの食品コーナーを回っていると、……溜め息を吐きながら刺身用の切り身を手にしている、あのご近所の倉橋さんに出会した。
目があったので、軽く会釈をする。
「あら、堂島さんの所の悠希ちゃんよね?
夕飯のお買い物かしら?
お料理も悠希ちゃんがやっているのよね、確か。
ふふ、スゴいわね」
「あっ、えっと、どうも。
倉橋さんも、お買い物の最中ですか?」
「ええ。今日の夕飯と、主人の明日のお弁当の材料を買いにね。
明日のお弁当は……お刺身にしようかしら……」
…………えっ?
……いや、流石にそれは不味いっていうか、流石に冗談だと思いたいのだけれども、しかし倉橋さんの表情は冗談を言っている様な感じではない。
刺身をお弁当に突っ込むとか、どんな暴挙だ。
この季節にそんな事をすれば、傷むというか、腐る。
飯マズとか、そんな次元の話ではない。
本気でそんな事を言っているのであれば、何としてでも止めなくては。
「えっ、あの……。
差し出がましいかもしれませんが、お弁当にお刺身は止めた方が……。
そもそも鮮度が保ちませんし、それに、この季節だと最悪食中毒の原因になります」
「あら、そうなの?
ウチの主人はお刺身が好きみたいだから、喜ぶと思ったのだけれど。
それなら止めた方が良いわね」
そう言って倉橋さんは切り身をショーケースへと戻した。
うん、食中毒を未然に防げた様で何よりだ……。
「ふぅ……悠希ちゃんは色々と詳しいのね、料理の事」
「うーんと、そうなんですかね……?」
正直、刺身は弁当に入れないなど、料理に詳しいとかそういう以前の知識だと思うのだが……。
「私の料理、全然お義母さんは食べてくれないのよ。
昨日も、豚バラ肉とキャベツのオイスターソース炒め……自信があったのだけれど一口も食べて貰えなかったわ。
オイスターソース、頑張って牡蠣を搾ったのに……。
何がダメだったのかしら?」
ダメとか、そんなレベルでは無い。
オイスターソースは、牡蠣を搾って作るものではない。
大体、市販のモノを何故買わなかったんだ……。
「えーっと、ですね……。
オイスターソースって、牡蠣をそのまま搾って作ってる訳じゃないんですよ」
オイスターソースは、牡蠣を塩茹でした時の煮汁を加熱濃縮したものを元にしている。
そこに小麦粉とか砂糖とか入れたりして味を調整しているのだ。
生の牡蠣から作る場合や、干し牡蠣から作る場合など、色々とある。
家で一から作る事も可能だが、数時間単位で煮汁を煮詰めなくてはならないので、普通に市販のモノを買った方が早いと思うのだが……。
「えっ、そうだったの?
新鮮な内にと思って、買った時のまま搾ったのだけど……」
下茹ですらしなかったのか……。
それはオイスターソースでも何でもなく、ただの生臭い汁だ。
……作っている途中で、何かおかしいとは気が付かなかったのだろうか?
何とも言えない心境で黙っていると、何かを考える様に黙り込んでいた倉橋さんが唐突に顔を上げた。
「あのね、悠希ちゃん……。
もしよければなんだけど、偶にで良いから私に料理を教えてくれないかしら?」
「えっ……と? 私が、ですか?」
唐突な申し出に驚いて目を瞬かせていると、倉橋さんは悩まし気な表情を浮かべて頷く。
「ええ、本当は料理教室とかに通った方が良いのかも知れないけど、……稲羽にはそういう場所が無いのよね……。
本当に偶にで良いの」
倉橋さんの言葉に、少し考えてから頷いた。
この稲羽ではご近所付き合いという物が重要なのだ。
まあ料理を時折教える程度、大した手間でも無いのだから、それ位でご近所付き合いを円滑に出来ると言うのなら安いものだろう。
「……分かりました、私でよければ」
そう答えると、倉橋さんは嬉しそうに笑う。
「本当に良いのね! ありがとう、悠希ちゃん!」
そう言って倉橋さんは焼き魚用のシシャモを買い物カゴに放り込んでその場を立ち去っていった。
◆◆◆◆◆
【2011/06/14】
演劇で使う衣装に付ける小物の作成の為に、演劇部の部室へと訪れた。
部長さんたちの要望を聞きながら小物を作る傍らで、部員たちは今日も熱心に演技の練習をしている。
その中には、小沢さんの姿もあった。
何時も練習に人一倍熱意を持って取り組んでいる小沢さんだが、……今日の練習は何処か鬼気迫る何かを感じてしまう程だ。
……あの病院での一件が何か関係しているのだろうか。
昼間降り続いていた雨も何時の間にか上がり、窓の外からは傾きつつある日の光が差し込んでいた。
「さて、ちょっと早いけど、キリ良い所だし、今日は上がろっかー!」
どうせもうそろそろ下校放送が流れるのだし、という部長の言葉に、緊張の糸を切れさせる部員たちだったが、それに小沢さんが待ったをかけた。
「まだチャイムが鳴ってないじゃないですか!
なのにもう帰るなんて、弛んでます!
もっと本気でやって下さい!」
小沢さんのその剣幕にたじたじになる他の部員を庇う様に、副部長が一歩前に出る。
「お、小沢さん、あまり根を詰めると……」
しかし、宥める為にかけたその言葉は、小沢さんには逆効果だった。
小沢さんは副部長へ噛み付く様な言葉をぶつける。
「私は真剣なだけです!
足、引っ張んないで下さい!
そんなんだから副部長は、主役取れないんじゃないですか!?」
「小沢!」
「あ…………。…………」
その空気に割って入るかの様に下校放送が流れ、副部長が取り成す様に解散を宣言して、部員たちは部室から立ち去っていった。
しかし、小沢さんは黙ったまま動かない。
「……鳴上さん。
……私、……間違った事、言ったのかな……」
「別に、真剣にもっと練習したいっていう内容は悪くは無かった。
でも、言い方は悪かった、かな」
伝えたい内容がどんなモノであったとしても、言葉使いやその時の表情とかシチュエーションとかを含めた諸々が悪かったら、相手にはちゃんと伝わらないし、無意味に相手を不快にさせてしまうだけだ。
「ん……、そう、だよね。
……演技……こんなに練習してるのに、実生活じゃ役に立たないや……」
小沢さんはそう言って、疲れた様な苦笑いを浮かべた。
「私、残って練習しとくから……。
……河原でも何処でも……、家じゃない所なら、いいや……」
……小沢さんの顔は暗い。
……あの病院での一件がまだ何か続いているのだろうか。
気には掛かるがしかし、流石に軽々しく口を挟める様な事情ではない。
「……付き合おうか?」
何か悩んでいるのなら、一人で練習していても、余計に気が滅入るだけではないだろうか。
自分に何が出来るとは思わないが、近くに人が居れば気は紛れるだろう。
気が滅入ってる時程、一人で考え込んで落ち込みがちになる。
「ううん……それは良いや。
でも、ありがと」
小沢さんは少し微笑んだ。
「……今家に帰っても、誰も居なくてさ。
……お母さん、アイツの看病で、会社と病院を行き来してるから。
だから、帰ってもしょうがないって言うか……。
……ひとりぽっちで家に居るとさ、色々、考えちゃって……。
……昔の事とか、何でこうなっちゃったんだろ……とか、ね。
もう……忘れたと思ってたのにな……」
疲れた様にそう言った小沢さんは、あっと顔を上げる。
「ごめん……何か、愚痴っちゃってさ……。
……忘れて?」
「それは無理だね」
小沢さんが悩んでいる、というのに、それを理由を忘れるなんて出来ない。
少なくとも、小沢さんがちゃんと元気になるまでは。
「えー……。
もうちょっとこう、優しくしてよ。
……うん、でもありがとね、鳴上さん。
一人だったら、ズーンって落ちちゃってただろうし。
一緒に居てくれて、嬉しいよ」
そう言って、少し元気が出てきた様な表情で小沢さんは微笑んだ。
……元気付ける事が出来た様で、何よりだ。
「私には、演劇あるんだし。
うん、頑張れる。だから、頑張れる!
よっし、私何処か寄って練習するから!
折角主役取れたんだもん、絶対、やってやらなきゃ!
じゃあね、鳴上さん!!」
ガッツ溢れる小沢さんを見送り、夕飯の買い出しへと出掛けた。
◆◆◆◆◆
今晩は鮭の照り焼きにでもしようかとジュネスの食品コーナーを回っていると、……溜め息を吐きながら刺身用の切り身を手にしている、あのご近所の倉橋さんに出会した。
目があったので、軽く会釈をする。
「あら、堂島さんの所の悠希ちゃんよね?
夕飯のお買い物かしら?
お料理も悠希ちゃんがやっているのよね、確か。
ふふ、スゴいわね」
「あっ、えっと、どうも。
倉橋さんも、お買い物の最中ですか?」
「ええ。今日の夕飯と、主人の明日のお弁当の材料を買いにね。
明日のお弁当は……お刺身にしようかしら……」
…………えっ?
……いや、流石にそれは不味いっていうか、流石に冗談だと思いたいのだけれども、しかし倉橋さんの表情は冗談を言っている様な感じではない。
刺身をお弁当に突っ込むとか、どんな暴挙だ。
この季節にそんな事をすれば、傷むというか、腐る。
飯マズとか、そんな次元の話ではない。
本気でそんな事を言っているのであれば、何としてでも止めなくては。
「えっ、あの……。
差し出がましいかもしれませんが、お弁当にお刺身は止めた方が……。
そもそも鮮度が保ちませんし、それに、この季節だと最悪食中毒の原因になります」
「あら、そうなの?
ウチの主人はお刺身が好きみたいだから、喜ぶと思ったのだけれど。
それなら止めた方が良いわね」
そう言って倉橋さんは切り身をショーケースへと戻した。
うん、食中毒を未然に防げた様で何よりだ……。
「ふぅ……悠希ちゃんは色々と詳しいのね、料理の事」
「うーんと、そうなんですかね……?」
正直、刺身は弁当に入れないなど、料理に詳しいとかそういう以前の知識だと思うのだが……。
「私の料理、全然お義母さんは食べてくれないのよ。
昨日も、豚バラ肉とキャベツのオイスターソース炒め……自信があったのだけれど一口も食べて貰えなかったわ。
オイスターソース、頑張って牡蠣を搾ったのに……。
何がダメだったのかしら?」
ダメとか、そんなレベルでは無い。
オイスターソースは、牡蠣を搾って作るものではない。
大体、市販のモノを何故買わなかったんだ……。
「えーっと、ですね……。
オイスターソースって、牡蠣をそのまま搾って作ってる訳じゃないんですよ」
オイスターソースは、牡蠣を塩茹でした時の煮汁を加熱濃縮したものを元にしている。
そこに小麦粉とか砂糖とか入れたりして味を調整しているのだ。
生の牡蠣から作る場合や、干し牡蠣から作る場合など、色々とある。
家で一から作る事も可能だが、数時間単位で煮汁を煮詰めなくてはならないので、普通に市販のモノを買った方が早いと思うのだが……。
「えっ、そうだったの?
新鮮な内にと思って、買った時のまま搾ったのだけど……」
下茹ですらしなかったのか……。
それはオイスターソースでも何でもなく、ただの生臭い汁だ。
……作っている途中で、何かおかしいとは気が付かなかったのだろうか?
何とも言えない心境で黙っていると、何かを考える様に黙り込んでいた倉橋さんが唐突に顔を上げた。
「あのね、悠希ちゃん……。
もしよければなんだけど、偶にで良いから私に料理を教えてくれないかしら?」
「えっ……と? 私が、ですか?」
唐突な申し出に驚いて目を瞬かせていると、倉橋さんは悩まし気な表情を浮かべて頷く。
「ええ、本当は料理教室とかに通った方が良いのかも知れないけど、……稲羽にはそういう場所が無いのよね……。
本当に偶にで良いの」
倉橋さんの言葉に、少し考えてから頷いた。
この稲羽ではご近所付き合いという物が重要なのだ。
まあ料理を時折教える程度、大した手間でも無いのだから、それ位でご近所付き合いを円滑に出来ると言うのなら安いものだろう。
「……分かりました、私でよければ」
そう答えると、倉橋さんは嬉しそうに笑う。
「本当に良いのね! ありがとう、悠希ちゃん!」
そう言って倉橋さんは焼き魚用のシシャモを買い物カゴに放り込んでその場を立ち去っていった。
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