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本当の“家族”

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【2011/06/07】


 昼休み。
 皆でお弁当をつついていると、ふと、天城さんがもうそろそろ梅雨入りだ、と溢す。

 ……梅雨、か。
 もしずっと降り続く事態になったら、連日《マヨナカテレビ》を確認しなくてはならなくなるだろう。
 ……仕方は無い事だが、考えるだけでも少し疲れる。

「てか、今雨を気にするつったら、今度の“林間学校”じゃねぇの?」

 楽しみだ、という雰囲気を隠せない花村がそう言うと、里中さんと天城さんは至極微妙そうな顔をする。
 ……? どうかしたのだろうか。

「えー……。
 何でアレの話でそんなに楽しそうにするワケ?」

「……あっ、そっか。
 二人とも初めてだからなんだ……」

 何故か、天城さんがお気の毒に、とでも言いた気な面持ちでこちらを見てくる……。

「えっ、えっ? 何でそんな反応なんだよ?
 “林間学校”だろ? 楽しみだよな、な、鳴上?」

「うん、まあ……楽しみだけど……」

 要はキャンプみたいなものなのだから、それなりには楽しみにしていたのだけれど……。
 どう考えても、里中さんたちの様子を見るに、そんな良いモノでは無さそうだ。

「あんねえ、林間学校の目的、“若者の心に郷土愛を育てる”だよ?」

「建前としてはそんなモンじゃね? フツーじゃん」

 何処の学校も、林間学校の謳い文句なんてそんなモノだ。
 別に、珍しくも何とも無いのだが……、二人の様子を見るに少なくともそれだけでは無いのだろう……。

「残念ながら、やる事つったら、山でのゴミ拾いだから。
 花村が期待してる様な楽しみ、何も無いよ」

「ゴ、ゴミ拾い?
 何で態々山行ってまで、そんな修行やんだよ」

 何とまあ……。
 何故態々ゴミ拾いに行くのだろう……。

「文句はそれ決めてる先生たちに言いなよ。
 あっ、でも、夜はちょっとだけ楽しいかも。
 飯盒炊飯とか、テントで寝たりとか」

 飯盒炊飯か……。それは楽しみだ。
 恐らくはカレーとかの煮込み料理になるのだろうけれども。

「私たち四人、班一緒だよ」

「一緒……。ま、まさか……夜も!?」

 興奮した様に立ち上がった花村の頭に遠慮なく手刀を落とす。

「そんな訳は無いだろう。冷静に考えろ」

「花村、あんた最低。
 当ったり前だけど、テントは男女別々だから。
 言っとくけど、夜にテント抜け出したら一発停学だかんね」

 何せ、このクラスの担任は常日頃から異性交遊や規律の乱れなどに関してやたら厳しい諸岡先生だ。
 定められたテントを抜け出したりなどしたら、大騒ぎするに違いない。

「ハァ……何か詰まんなそーだな。
 折角面白いイベントが来たと思ったのに……」

「一泊だけだし、翌日にはお昼前に現地解散だから、直ぐ終わっちゃうけどね」

 早く終わる事だけは幸いとも言える。

「そう言えば、去年は河原で遊んで帰ったね」

「河原で……って、もしかして泳げるとこあんの?」

 何故か花村の顔が輝いた。
 遊べそうな場所があって、嬉しいのかもしれない。

「んー、泳げるんじゃない?
 毎年入ってるヤツ、居るみたいだし」

「そっか……なら……」

 花村はどうやら、遊ぶ為の算段を立てている様だが……。
 しかし、6月のこの時期の川は、泳いだりして遊ぶにはまだ水温が低過ぎるのではないだろうか。

「花村、川遊びにはまだ寒いから、あんまりはしゃぐのは良くないぞ。
 少なくとも、泳ぎは却下だ」

 そう釘は刺しておいたが……。
 果たして聞いていたのだろうか……。




◆◆◆◆◆




「おい、鳴上!」

「はい、何ですか?」

 放課後、廊下で突然諸岡先生に呼び止められた。
 何の用件だろうか。

「お前は委員会に入っておらんかっただろう」

「確かに……入ってはいませんが」

 それがどうしたのだろう。
 委員に入ってない生徒など、他にも居る筈だが。

「ふむ、なら病欠者の代わりに保健委員として仕事をしてこい!
 話しは既にワシが通しておいたから、さっさと保健室に行け!
 分かったな!」


 言われた通りに保健室に向かうと、……どうやら人手が足りない様で何やら揉めていた。
 怪我か病気かと訊ねられたので、違うと首を横に振る。
 諸岡先生は話を通しておいた等と言っていたが、どうやら他の委員の人たちにまでは伝わっていなかったらしい。
 なので、病欠した保健委員の代理でやって来たのだと説明すると、途端に喜ばれる。
 どうやら今から校内の見回りに行かなくてはならないらしいのだが、このままだとその間保健室で留守番してくれる人も足りなかった様だ。
 臨時の代理、という事で半ば必然的に留守番を任される事となった。
 ……留守番役と言っても専門知識は無い為、万が一の際に救急車を呼んで対応したり、業者からの電話に応対する程度の役割らしい。
 班分けをして校内に散って行く保健委員たちを見送って、留守番をする。
 途中で製薬会社の営業の人が納品の確認に来たが、特に問題なく応対しておいた。
 程無くして戻ってきた本来の保健委員たちにその事を伝えておく。
 保健委員たちはその場で見回りの報告会を行おうとしたが、どうやら一人まだ来ていないらしい。
 来ていないのは、一年生の小西くん。
 ……小西先輩の、弟さんらしい。
 “あんな事があって、可哀想なのだから”と、小西くんの仕事は極力割り振られていない様だ。

「すんません、遅れて」

 ガラリと扉を開けて保健室に一人の男子生徒が入ってきた。
 色の薄い癖っ毛を後ろに流している。
 ……彼が、小西くんだろう。
 髪の色が、小西先輩にとてもよく似ている。

「いっ、いーよいーよ!
 委員会、来なくていいんだって、ホント。
 おうちの手伝いとか、大変でしょ?
 代わりいるし、大丈夫だから」

 保健委員の女子生徒は焦った様にそう言う。

「……けど、俺だけ……」

 小西くんはどうやら自分だけ仕事が無いのを気にしている様だ。

「じゃっ…じゃーさー、鳴上さんとここの整理と棚卸ししてくれる?
 あたしたち今から見回りの報告会するけど、小西君はテキトーにやって帰っても大丈夫だから、ね!?」

「そ、それじゃ、お疲れ様ー!」

 そう言って、小西くんが返事をする前に保健委員たちは足早に保健室を出ていった。
 何処か別の場所で報告会を行うのだろう。
 …………。
 保健室には、小西くんと自分だけしか居ない……。

「……1年の……小西です。
 3年の、小西早紀……知ってますよね。
 あの人の弟です」

 黙りこくっていた小西くんが口を開いた。
 知っている、と頷く。

「あんた……花村の友達ですよね?
 俺、嫌いです。
 花村も……あんたも。
 ……もう、帰っても良いですか?」

 突然面と面を向かって『嫌いだ』と言われたのには少し驚いたが、まあ自分がどんな人からも好かれる様な人間では無い事位は分かっているので、それ以上は特には思わなかった。
 ただ、そうか、と思っただけである。

「……帰りたいのなら、帰っても良い。
 本来の委員の人から、テキトーで良いと言われているんだし。
 小西くんの好きにすれば良い。
 別に、それを咎めるつもりは無いから」

「……それじゃ」

 そう言って小西くんは保健室を出ていってしまった。
 頼まれた棚卸しと整理を一通り終わらせたが、他の保健委員たちはまだ帰ってこない……。
 先に帰らせて貰う旨をメモに残し、保健室を後にすると、下駄箱近くの窓際で黄昏る小西くんに出会った。
 ……先に帰ったのではなかったのか…。
 ……どうしたのだろう?

「あれ、何か用事でも残ってた?」

「あ……いえ。
 ……他の皆がまだ働いてるのに、自分だけ先に帰るのは……何となく嫌だったんです……」

 だけど、と小西くんは少し力無く呟いた。

「そうだ……あれから他の委員に呼ばれて、俺、保健委員を"おみそ"扱いになりました。
 "おみそ"って…知ってます?
 居ても居なくても、良いってやつ……」

 言いながら、小西くんは疲れた様に笑う。

「俺、出ても出なくても……居ても居なくても、良くなったんです。
 家が大変だから、"特例"だって。
 ……“可哀想だから”って、言えばいいのに。
 皆、俺に“やらなくてもいい”“帰ってもいい”って、そればっかなんです。
 “可哀想だから”って、遠巻きにしている……。
 ……居心地が悪いってワケじゃ無いんですけどね。
 でも、アイツらそう口では言いながら、好奇心丸出しの顔なんですよ」

 少し嫌悪の混じった顔で、小西くんは言う。

「"どうやって殺されたの?"。
 "どうして殺されたの?"。
 "犯人が憎い?"……。
 聞く勇気も無いくせに、目だけは輝かせて俺を見てるんですよ……。
 一挙手一投足をね。
 ……うんざりします」

 そして、溜め息を吐きながら、訊ねてきた。

「……あんたも、何か聞きたいから話し掛けてきてるんですか?」

「……否定はしないね」

 聞きたい事が無い訳でもない。
 自分は小西先輩の事を殆ど知らないから。
 ……知らないまま、彼女は殺されてしまった。
 心無い噂話などは時折耳に入るけれど、それは小西先輩の実像を捉えているとはあまり言い難いものだ。
 だから、彼女をよく知る人に、小西先輩がどういう人だったのかを訊ねてみたい、とは前から思っていた。

「……ははっ、面白いっすね、あんた。
 あんま知りもしないのに、いきなり『嫌い』とか言って、すみませんでした。
 直接言ってくれたからには何か話したい所だけど、残念ながら俺の口から言える事は無いっすよ。
 テレビで発表されている事が、俺の知ってる全部。
 ……あー……、“犯人が憎い?”には、“いいえ”……ですね……」

 “いいえ”、か。
 別に、小西くんが【犯人】をどう思っていようとも、それは小西くんの自由だから、それはどうでも良いのだけれども。

「あっ、スカートの裾が汚れてますよ。
 ……さっきの、……棚卸しの所為ですね。
 すみません、本当は俺の仕事でもあったのに……。
 ……これ、良かったら……」

 こちらのスカートの裾の汚れを指摘した小西くんは、自分のポケットを漁って、何かを取り出して渡してきた。
 …………渡されたのは、綺麗に折り畳まれた、男子生徒が持つには少々女性的とも言える、小さな花柄模様の付いた可愛らしいハンカチだ。

「あっ、…………。
 いえ、やっぱ何でも無いです」

 渡してからそれが何であるかに気が付いたのだろう。
 一瞬その顔に痛みが走った様に見えた。
 これはもしかして……。

「それじゃあ、もうそろそろ俺は帰ります」

 ハンカチを返す前に、小西くんは去ってしまった。
 ……。折角貸してくれたのだし、ここはありがたく使わせて貰おう。
 そして、ちゃんと洗って返さなくては……。




◆◆◆◆◆





 中島くんに理科を中心に教え、勉強の合間で途中休憩を取っていると、中島くんのお母さんがチーズケーキを差し入れてくれた。
 美味しいチーズケーキだ。
 どうやらネットで今話題になっているお店のモノらしい。
 ケーキの話題から、中島くんの自慢へと移り、そして中島くんの将来の話へと移る。

「それで先生、秀なんですけど……東大に入れますかしら?」

「東大、ですか?」

 思わず首を傾げた。
 いやまあ、中島くん位の歳の頃から、東大を目標にして頑張る人は確かに居るが……。
 ……気が早くはないだろうか?

「ええ、この辺りの大学だと秀ちゃんに見合う様ないい大学は無いですし……。
 この子には、苦労をさせたくないんです。
 良い大学に入れれば、“安泰”でしょう?」

 良い大学、か。
 ……大学とは、あくまでも通過点の一つに過ぎない。
 大学に入って終わりでも無いし、更に言えば企業に就職した所でも、それで終わりにはならない。
 自分が学びたい事を学べる場所に行けば良い。
 まあ、東大とか辺りになると、色々と最先端の研究をしているから、そういう点では興味があるが……。
 ……だがそれも、単に自分の考えでは、というだけなのだけれども。

「人には各々向き不向きがあるけれど、丁度秀ちゃんは勉強に向いているから……。
 是非とも、良い大学に入って、良い企業にお勤めして、良い人と……」

 それまでお母さんの話を黙って聴いていた中島くんの顔が曇り、俯く。
 そして、顔を上げて、お母さんの話を遮った。

「……大丈夫だよ、お母さん。
 僕、何時だってトップだったろ。
 今迄も、これからも」

「そうよねえ。
 ほ~んと、手の掛からない良い子で……」

 中島くんの言葉に頷いたお母さんは、中島くん自慢をまた始める。
 それは暫くの間続いて、お母さんが部屋を出た後に、中島くんは思い悩んでいる様な顔で溜め息を吐いた。

「…………いい大学に入れば、“安泰”なんですか?」

 ポツ、と呟かれた中島くんのその言葉に、微かに首を横に振る。

「……どう、だろうね。
 まだ大学に入ってないから、ハッキリとは言えないけれども……。
 “安泰”と、いい大学に入るってのは、別に=じゃないと思うよ」

「……そうなんですかね。
 お母さんは、良い大学・良い企業ってしょっちゅう言うんですけど……。
 ……でも別に、僕は“安泰”が欲しいって思ってるんじゃないです。
 どんな事かも、よく分からないし……。
 ……まあ、どっちにしても、勉強はしないと。
 ……頭良くないと、“意味”無いみたいだし……」

 “意味”無い、と口にした瞬間に中島くんは悩まし気に顔を微かに歪め、そして下を向いた。
 そして、再び上を向いて、今度はしっかりとこちらを見る。

「レーゾン・デートル。……知ってます?」

 存在価値、か。

「“raison d'etre”。フランス語だね。
 日本語にすれば、“存在理由”とか“存在価値”とかまぁ“生き甲斐”とかの意味。
 英語だと直訳で“reason to be”、意訳して“reason for existance”って所かな。
 あるモノがそこに存在する意味・理由・価値……って意味だね。
 実存主義哲学でよく使われる、哲学用語でもある。
 ……村上春樹の短編集でも、読んだの?」

 多分そうではないのだろうけれど、中島くんの暗い表情を和らげようと、態と少しおどけた様に逆に訊ねた。

「あっ、いえ……そうじゃないんですけど。
 ……先生、よくご存知ですね。
 って言っても、三つも歳上なんだし当然か」

 中島くんは何かに納得した様に頷く。

「……下らない事、言いましたね。
 …………。
 ウチ、お母さんしかいないし、学校の奴らは子供過ぎて話になんなくて……。
 …………何でも、無いです。
 ……もう時間ですね。
 ……あと一問、残っているんですけど……」

 言葉を途中で飲み込んだ様な顔をし、それを誤魔化す様に中島くんは時計を見て声を上げた。

「よし、ならそれを終わらせないとね」

 大問一問位ならそう時間は取らないし、どうせならスッキリと終わらせたい。

「張り切っても、バイト代は変わりませんよ?
 ……まあ、お願いします」

 中島くんは口ではそんな事を言いながらも、嬉しそうに頷いた。





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