本当の“家族”
◆◆◆◆◆
【2011/05/31】
久方振りに演劇部の部活動に参加した。
今度やる予定の劇で使う小道具を作成する為だ。
普段は緩く活動している部員たちも、練習に熱が入ってる。
中でも、部内でも群を抜く演技力の高さを誇る小沢さんの力の入り様は一入だ。
主役を熱望する小沢さんは、それを望むに値するだけの実力も熱意も持っていて、努力の量も質もこの部内ではその右に出る者は居ないだろう。
その直向きな姿勢は、純粋に尊敬に値する。
練習により一層の熱が入り始めたその時、見知らぬ女子生徒が外から部室に飛び込んで来た。
彼女は息を切らせて小沢さんを呼び、そして、小沢さんのお母さんが倒れて入院したのだと伝えてくる。
その知らせに動揺し混乱する小沢さんに、早く病院に行った方が良い、と声を掛けると、ほんの数瞬躊躇いを見せたが、直ぐ様小沢さんは部室を飛び出して行った。
部室内は暫し騒めいていたが、部長に促され、練習を再開する。
……必要な小道具は粗方作り終えた。
なので、部長に断って早めに部活動を切り上げる。
そしてその足で稲羽市立病院へと向かった。
◇◇◇◇◇
小沢さんの姿を探し、病院の中を歩いていると、とある階の病室が並ぶエリアから小沢さんの怒鳴り声が聞こえた。
内容は分からないが、何かあったに違いない。
……急いでその声が聞こえた方向に走ると、小沢さんは、病室前のソファに座る中年女性に詰め寄っていた。
……中年女性はよく見ると顔立ちとかが小沢さんに似ている。
……親子か親戚なのだろう。
「ねぇ……どういう事!?
何で、アイツがいるワケ!?
何で、お母さんが、会ってるワケ!?
お母さんが倒れたんじゃなかったの!?
ウソ吐いたの!? 信じらんない!
説明してよ、説明!!」
大きな声を上げている為、離れた場所に居るというのに内容が確りと聞こえてきてしまう。
……どうやら込み入った事情の様だ。
……立ち聞きするのも悪いかと思い、その場を離れ様かとも思うが、小沢さんのあまりの剣幕に、思わずその場に留まってしまった。
「……結実。
倒れたのはお母さんじゃない、あの人よ。
でも、本当の事を言ったらあなたは来ないと思った。
……だから、ウソを吐いたの。
……あなたに、会って欲しかったから……」
「信じらんないっ!!
私がアイツに、会いたいとでもおもったの!?」
「いいえ。
あなたが辛い思いをしてきたのも分かっているし、それに責任を感じてもいるわ。
……でもね。
あの人の最期の我儘なの。
命を賭けた、最期の我儘なのよ。
もう、長くは持たないって……。
だから、結実に会いたいって……」
「だ、だから何?
あんなヤツ、何時何処で死んだって、もう関係無いじゃん……。
もう、他人じゃん!
あんなヤツ、お父さんなんかじゃないじゃん!!」
感情的になった小沢さんは、興奮のあまり声が震えている。
「お母さんも私も……アイツに捨てられたんだよ!?
それを何? 死ぬ間際に許してって!?
バカ言わないでよ!!」
「……お母さんね、決めたの。
あの人が息を引き取るまで、傍に居ようって。
……独りで逝ってしまうのは、可哀想だから……」
「バカじゃないの!? 可哀想って、何!?
そんなの……」
「結実……ごめんね。
だけど、お母さんは、そうしてあげたいの」
「勝手にすれば!? 私、関係無いし!
もう、知らないっ!!」
ダッとその場を駆け出した小沢さんは、そのままこちらに向かって来る。
その目尻には涙が浮かんでいた。
「……!! い、何時から居たの?
まさか、聞いてたの?」
曲がり角の所で、立っていた此方に気が付いた小沢さんは急いで目を拭って、此方を問い質してくる。
「……ごめん。
小沢さんが怒鳴っている声が聞こえたから気になって……」
「立ち聞きしたって事!?
信じらんないっ!!」
小沢さんは混乱しているのか、刺々しい態度で詰め寄る。
だが、次第に混乱した感情が収まってきたのか、はたまた抱えた激情を誰かにぶつけたかったのか、小沢さんはまだ感情に震える声でポツポツと語ってきた。
「…………お母さん、倒れてなかった。
……病室行ったら、ベッドに寝てたのは、父親……“だった人”で……。
……お母さん、私にウソを吐いたの。
……アイツ、10年ぐらい前にね、私とお母さんを捨てたの。
他所に女作ってさ……ホント最低最悪なヤツ。
……それで、病気になって、今度はその女に捨てられて?
……もう長くないからって、“娘に会いたい”……だもんね……。
恥を知れって感じ……」
そして、小沢さんは大きく溜め息を吐く。
「ハァ……もう、最悪……。
ずっと、忘れてたのに……。
アイツの顔も存在も、全部忘れてたのに……!」
……小沢さんはそう言うが、恐らくはベッドに寝ている人を見て直ぐにお父さんなのだと気が付いたのだろう。
10年前と言えば、まだ小沢さんは小学一年生だ。
そんな時の記憶の中の父親の姿と、10年も経った……しかも病魔に侵されて余命幾許もない父親の姿が直ぐ様一致した段階で、少なくとも小沢さんは……お父さんの顔を忘れていた訳なのでは無いとは思うが……。
いや、そういう複雑な家庭の事情に一々部外者が口を挟むべきではない、か。
「しかも、お母さんが、ずっと看病するってさ。
バカだよ、お人好しにも程があるよ!
自分を捨てた男だよ?
しかも、新しく作った女にすら捨てられた、お下がりだよ?
二人とも、恥知らずだよ……っ!!」
小沢さんに掛けるべき言葉が見付からず、黙るしかなかった。
「……ごめん、落ち着いた。
……何で、鳴上さんがここに居るのよ……。
こんなの、見られて……。
笑えるじゃん……」
気掛かりで追い掛けてきた、とは言えず、そこは黙る。
「私、もう、帰るから……。
……そこまで、一緒に行こ……」
その後、小沢さんとは一言も会話も無く帰路の分かれ道で別れた。
◆◆◆◆◆
夕飯後、何故か叔父さんは菜々子を部屋へと追いやった。
……? 何かをするつもりの様だが……。
何故か追いやった当人の叔父さんに、菜々子を呼んで来て欲しいと頼まれた。
……何かサプライズでもやるつもりなのだろうか。
言われた通りに菜々子を呼んで来ると、戻ってきた時にはテーブルの上にケーキが1ホール丸々置かれていた。
苺のショートケーキだろうか。
よくあるマジパンやらチョコやらでできたお祝いのプレートは乗っていない。
しかし、今日は何かあっただろうか?
菜々子の誕生日は10月4日だし、叔父さんの誕生日ももう過ぎている。
叔母さんの誕生日は今日では無かった筈だし、結婚記念日とかでもないだろう。
勿論、自分の誕生日でもない。
菜々子も、ケーキには歓声を上げたが、何のお祝なのかは心当たりが無いらしく、不思議そうにしている。
「なんのおいわいのケーキなの?」
「あー、それはだな……。
今日は"家族"の大事な日なんだ」
そう言われても、心当たりは無い。
菜々子もそうらしく、二人で首を傾げた。
「だいじな日……?」
「そうだ。
お前と、コイツと、俺が、“家族”になる記念日だ」
「……いままではちがったの?」
そう菜々子に問われた叔父さんは、「そ、それはだな……」と言葉に詰まってしまう。
結局説明出来る言葉が見付からなかったのか、とにかく、と強引に話を持っていく。
「ちゃんと、“家族”になる記念日なんだ」
「ふぅん……。
よくわかんないけど……。
でも……なんかうれしいね!!」
ねっ、とこちらを見上げてくる菜々子に、そうだね、と頷いた。
要は、先日言っていた叔父さんなりの“ケジメ”とやらがこれなのだろう。
「よし、じゃあ食べるか」
「うん!」
ケーキは六等分して、半分を食べ、残りは明日に取っておく事にする。
流石に食後にケーキを1/3ホール食べるのは無謀だ。
ケーキを食べ終わると、叔父さんの提案で散歩に行く事になった。
寝間着に着替えていた菜々子が、服を着替えに自分の部屋に戻ったのを、居間で待っていると、叔父さんが声を掛けてくる。
「あー、……悠希。
今日は、妙な事に付き合わせちまってて、その……悪いな」
「いえ、楽しいですよ。
サプライズパーティーみたいで。
ありがとうございます」
少し驚いたが、それもまた楽しみの一つである。
何より、菜々子が喜んでいるのなら、それ以上の事はない。
「そうか……優しいな、悠希は」
叔父さんはそう言うが、『優しい』、というのは自分ではあまり分からないものだ。
菜々子が笑ってくれたり喜んだりしてくれるのが、自分にとって嬉しい事だからやってるだけで。
叔父さんが辛そうにしてたりするのを、自分が見ているのが嫌だし見ない振りも出来ないから、励ましたり悩みを聞いているだけで。
結局の所、それは徹頭徹尾自分の為でしかない。
要はただの自己満足だ。
それは果たして、『優しい』のだろうか。
その判断は、自分には出来ない。
だけど、『優しい』と言われるのは嫌いではなかった。
「どうにもな。
こんな事でもしないと、ケジメは付けれないと思ってな……。
自己満足かもしれないが……、それでもちゃんと伝えたかったんだ。
菜々子に……、俺がちゃんと“家族”として大切に思っているんだって事を……」
「伝わったと思いますよ」
菜々子の様子を見ていたら、直ぐに分かる。
元々、菜々子はずっと叔父さんを見ていたのだから、叔父さんが菜々子と向き合いさえすれば、その思いは伝わるのだ。
「そうか……。
……段々と、千里に似てくるな、菜々子は……。
笑った顔も、案外気が強い所も。
……菜々子の顔を見る度に、千里の事を思い出して辛かった事もある。
……菜々子を迎えに行った所為で、と……。
そう、考えそうになっちまった事もあった。
それでもな……。
菜々子が居てくれただけで、俺は救われてきたんだ。
……もし、俺一人だったなら、悠希を預かるなんてのも考える事も無かっただろうしな……」
そう言って叔父さんは、少し辛そうに溜め息を吐いた。
「……多分、俺は……悠希が言った通りに……、怖かったんだ。
誰かを真っ直ぐに受け止めて……、大切な家族を作って……。
そしてまた、それを喪ってしまうかもしれないって事が。
だから、逃げていた。
臆病になっていた、怯えていた。
それらしい言い訳を作って、自分を誤魔化しながら、菜々子と向き合う事自体から逃げていたんだ。
……逃げるヤツを追うことに逃げていたなんて、……全く、滑稽だよな……」
そう言って叔父さんは、哀しみを含んだ笑みを浮かべる。
その言葉には、首を横に振った。
「滑稽なんかじゃ、無いです。
……だって叔父さんは、辛かったんですよね」
勿論、辛かったから、なんて理由で何もかもが許される訳では無いだろう。
だけど、辛くて悲しくて、どうしようも無い時と言うのはやはり存在する。
逃げたくなる事も、あるだろう。
それが、間違っているのだとしても、だ。
叔父さんの苦しみの深さは分からなくても、叔父さんが苦しんでいた事も悲しんでいた事も、それは理解出来る。
だから、そんな叔父さんの姿を、滑稽だなんて思う事は、少なくとも自分には出来ない。
「ああ……。ああ、そうだな…………」
叔父さんは、声を詰まらせて、微かに震えた。
「逃げるのも、悔やむのも、今夜で全部、仕舞いだ。
俺はもう二度と、大切なものを失くさない。
絶対に……。……絶対にだ」
強い決意を滲ませた声で、そう宣言した叔父さんは、ふと柔らかな笑みを浮かべてこちらを見る。
「これは……、お前が俺に教えてくれた強さだな。
……ありがとう」
それは、どうなのだろう。
自分は、叔父さんに対して何かを教えたり示したりしたつもりは無い。
結局の所、自分のやりたい事をしたい様にやっているだけだし、やるべきだと思った事をやっているだけ。
そこから何かを感じ取ったのは、叔父さん本人だ。
教わるまでもなく、そういう強さは元々叔父さんの中にあったのだとは思う。
“自分がどうするべきなのか”、“自分がどうしたいのか”という答えは、何時だってその人本人が自分で見付けるしかないからだ。
「それとな……。
……お前に、渡したい物があるんだ」
そう言って叔父さんが差し出してきたのは、マグカップだった。
叔父さんや菜々子が使っているモノと同じデザインで、色だけが、叔父さんの青色のものとも、菜々子の桃色のものとも、そして恐らくは叔母さんのものだったのであろう橙色のものとも違い、若草色をしている。
「これはお前専用だ。
後で名前を書いといてやるからな」
色分けされているんだから、一々名前を書かなくったって問題は無いけれど。
それでも。
叔父さんや菜々子の……そして叔母さんのカップの底には各々の名前が書かれてある事を知っている。
だから。
「……ありがとう、ございます」
……嬉しかった。
叔父さんの想いが、そしてそれを形にした様なこの揃いのマグカップが。
マグカップを貰った事自体が嬉しいのではなく、そこに込められている想いが、『お前は“家族”だ』という心が、この上なく、嬉しかったのだ。
柄にもなく、思わず少し声が震えてしまった。
それを仕事柄鍛えた観察眼で見抜いたのか、叔父さんは何故か嬉しそうに笑う。
「おう。……大切にしろよ?
……俺たちは、家族だ。
だから、お前のカップも、菜々子のカップも。
何時だって俺が満タンにしてやる。
……忘れるなよ」
忘れない、と頷いた。
忘れる事なんて、出来ない。
叔父さんがそう思ってくれている、というただその事実だけで、それだけでももうどうしようも無い位には、嬉しくて幸せだ。
それから少しして、準備が出来たらしい菜々子が居間に戻ってきて、三人で夜の散歩に出掛けた。
叔父さんが連れてきたのは…………鮫川だ。
夜の河原はとても静かで、月が水面に月影を落としている。
どうやら、菜々子が来たがっていたから、ここに連れてきた様だ。
また今度来る時は、天気の良いお昼間にでも弁当を持って一緒に行こう、と叔父さんが言うと、菜々子は喜んで頷いた。
川縁から魚を観察したいから、とよく釣り人達が竿を構えている辺りから、楽しそうに菜々子は川を観察している。
それを少し離れた所から見守って、叔父さんは幸せそうに微笑んだ。
まるで、昨日菜々子から貰ったあの写真の中の様な、優しい笑顔で。
「菜々子のあんな顔……。
久し振りに見た気がするな……」
そして、何かを宣言する様な面持ちで、顔を上げる。
「……俺は、これからも千里を轢いた犯人を追う。
……けどな、それはもう何かから逃げる為じゃない。
俺が……刑事だからだ」
そう、決意を表明した叔父さんは、一つ頷いてこちらを見つめた。
「そんな当たり前の事ですら、俺はいつの間にか、忘れちまってたんだ。
……大切な事はみんな、悠希、……お前が思い出させてくれたんだ。
本当に、感謝している」
……自分が何かをしたつもりは特には無いけれど、それでも。
叔父さんが大切な何かを思い出す手伝いが出来たというのなら、それはとても嬉しく誇らしい事だ。
「この町はなぁ、俺の町だ。
菜々子やお前の居る、俺の居場所だ。
……だから俺はこれからも、ここを守って生きていく。
デカとして……父親として、な」
そう言って叔父さんは清々しそうに笑った。
……きっともう、叔父さんは大丈夫だ。
そう、思えた。
ちゃんと前を見て、『菜々子と生きていく“今”』を重ねていけるのなら、きっともう大丈夫だ。
その時、土手の方から何かドタバタという音が聞こえた。
どうやら、何者かが警察から逃げているらしい。
偶々追い掛けている警官に顔見知りが居たのか、叔父さんが何があったのか訊ねてみた所、どうやら稲羽付近に出没するカツアゲグループを摘発しようとしている所らしい。
カツアゲとはまた……、しょっぱい事をやっているもんだ。
そんな事する暇があるなら、ちゃんとバイトでもすればいいのに……。
「お父さん、行くの?」
叔父さんを見上げる菜々子に、叔父さんは大きく頷いた。
「……おう。
悪いヤツらを捕まえるのが、俺の……いや、お父さんの、仕事だからな」
そしてこちらを見て、菜々子を頼む、と言う。
「任せて下さい。
……叔父さんもお気を付けて」
そう返すと、叔父さんは満面の笑みを浮かべた。
「ああ、行ってくる。
心配すんな、俺を誰だと思ってる。
泣く子も黙る、稲羽署の堂島だぞ?
だから、お前たちは安心して先に帰って寝てろ」
そう言って叔父さんは、カツアゲグループを締め上げに、駆け出していった。
その怒鳴り声が土手の向こうから聞こえてくる。
「お父さん、がんばれー!!」
聞こえてきた叔父さんの怒鳴り声に、菜々子は声援を贈って、そして嬉しそうにこちらを見上げて笑う。
「ね、お姉ちゃん。
……お父さん、カッコいいね!」
そうだね、と頷いた。
本当に、叔父さんはカッコいい人だ。
逃げていた事を認める事も、そして逃げる事を止める事も、向き合う事も。
どれもこれも、それらが出来ない人もいる中で、それをやってのけた叔父さんは、やはりとてもカッコいい。
勇気ある人だと、そう思う。
その姿勢は、本当に心から尊敬出来る。
「さっ、菜々子。お家に帰ろうか。
お風呂を沸かさなきゃだし、それに、叔父さんも帰ってくる頃には走り疲れてお腹ペコペコかもしれないから、夜食作ってあげないとね」
「やしょく、菜々子もつくるのてつだう!」
夜食に何を作るのか菜々子と話し合いながら帰った帰り道は、月明かりしかない夜道でも、不思議と暗いとは思わなかった。
◆◆◆◆◆
【2011/05/31】
久方振りに演劇部の部活動に参加した。
今度やる予定の劇で使う小道具を作成する為だ。
普段は緩く活動している部員たちも、練習に熱が入ってる。
中でも、部内でも群を抜く演技力の高さを誇る小沢さんの力の入り様は一入だ。
主役を熱望する小沢さんは、それを望むに値するだけの実力も熱意も持っていて、努力の量も質もこの部内ではその右に出る者は居ないだろう。
その直向きな姿勢は、純粋に尊敬に値する。
練習により一層の熱が入り始めたその時、見知らぬ女子生徒が外から部室に飛び込んで来た。
彼女は息を切らせて小沢さんを呼び、そして、小沢さんのお母さんが倒れて入院したのだと伝えてくる。
その知らせに動揺し混乱する小沢さんに、早く病院に行った方が良い、と声を掛けると、ほんの数瞬躊躇いを見せたが、直ぐ様小沢さんは部室を飛び出して行った。
部室内は暫し騒めいていたが、部長に促され、練習を再開する。
……必要な小道具は粗方作り終えた。
なので、部長に断って早めに部活動を切り上げる。
そしてその足で稲羽市立病院へと向かった。
◇◇◇◇◇
小沢さんの姿を探し、病院の中を歩いていると、とある階の病室が並ぶエリアから小沢さんの怒鳴り声が聞こえた。
内容は分からないが、何かあったに違いない。
……急いでその声が聞こえた方向に走ると、小沢さんは、病室前のソファに座る中年女性に詰め寄っていた。
……中年女性はよく見ると顔立ちとかが小沢さんに似ている。
……親子か親戚なのだろう。
「ねぇ……どういう事!?
何で、アイツがいるワケ!?
何で、お母さんが、会ってるワケ!?
お母さんが倒れたんじゃなかったの!?
ウソ吐いたの!? 信じらんない!
説明してよ、説明!!」
大きな声を上げている為、離れた場所に居るというのに内容が確りと聞こえてきてしまう。
……どうやら込み入った事情の様だ。
……立ち聞きするのも悪いかと思い、その場を離れ様かとも思うが、小沢さんのあまりの剣幕に、思わずその場に留まってしまった。
「……結実。
倒れたのはお母さんじゃない、あの人よ。
でも、本当の事を言ったらあなたは来ないと思った。
……だから、ウソを吐いたの。
……あなたに、会って欲しかったから……」
「信じらんないっ!!
私がアイツに、会いたいとでもおもったの!?」
「いいえ。
あなたが辛い思いをしてきたのも分かっているし、それに責任を感じてもいるわ。
……でもね。
あの人の最期の我儘なの。
命を賭けた、最期の我儘なのよ。
もう、長くは持たないって……。
だから、結実に会いたいって……」
「だ、だから何?
あんなヤツ、何時何処で死んだって、もう関係無いじゃん……。
もう、他人じゃん!
あんなヤツ、お父さんなんかじゃないじゃん!!」
感情的になった小沢さんは、興奮のあまり声が震えている。
「お母さんも私も……アイツに捨てられたんだよ!?
それを何? 死ぬ間際に許してって!?
バカ言わないでよ!!」
「……お母さんね、決めたの。
あの人が息を引き取るまで、傍に居ようって。
……独りで逝ってしまうのは、可哀想だから……」
「バカじゃないの!? 可哀想って、何!?
そんなの……」
「結実……ごめんね。
だけど、お母さんは、そうしてあげたいの」
「勝手にすれば!? 私、関係無いし!
もう、知らないっ!!」
ダッとその場を駆け出した小沢さんは、そのままこちらに向かって来る。
その目尻には涙が浮かんでいた。
「……!! い、何時から居たの?
まさか、聞いてたの?」
曲がり角の所で、立っていた此方に気が付いた小沢さんは急いで目を拭って、此方を問い質してくる。
「……ごめん。
小沢さんが怒鳴っている声が聞こえたから気になって……」
「立ち聞きしたって事!?
信じらんないっ!!」
小沢さんは混乱しているのか、刺々しい態度で詰め寄る。
だが、次第に混乱した感情が収まってきたのか、はたまた抱えた激情を誰かにぶつけたかったのか、小沢さんはまだ感情に震える声でポツポツと語ってきた。
「…………お母さん、倒れてなかった。
……病室行ったら、ベッドに寝てたのは、父親……“だった人”で……。
……お母さん、私にウソを吐いたの。
……アイツ、10年ぐらい前にね、私とお母さんを捨てたの。
他所に女作ってさ……ホント最低最悪なヤツ。
……それで、病気になって、今度はその女に捨てられて?
……もう長くないからって、“娘に会いたい”……だもんね……。
恥を知れって感じ……」
そして、小沢さんは大きく溜め息を吐く。
「ハァ……もう、最悪……。
ずっと、忘れてたのに……。
アイツの顔も存在も、全部忘れてたのに……!」
……小沢さんはそう言うが、恐らくはベッドに寝ている人を見て直ぐにお父さんなのだと気が付いたのだろう。
10年前と言えば、まだ小沢さんは小学一年生だ。
そんな時の記憶の中の父親の姿と、10年も経った……しかも病魔に侵されて余命幾許もない父親の姿が直ぐ様一致した段階で、少なくとも小沢さんは……お父さんの顔を忘れていた訳なのでは無いとは思うが……。
いや、そういう複雑な家庭の事情に一々部外者が口を挟むべきではない、か。
「しかも、お母さんが、ずっと看病するってさ。
バカだよ、お人好しにも程があるよ!
自分を捨てた男だよ?
しかも、新しく作った女にすら捨てられた、お下がりだよ?
二人とも、恥知らずだよ……っ!!」
小沢さんに掛けるべき言葉が見付からず、黙るしかなかった。
「……ごめん、落ち着いた。
……何で、鳴上さんがここに居るのよ……。
こんなの、見られて……。
笑えるじゃん……」
気掛かりで追い掛けてきた、とは言えず、そこは黙る。
「私、もう、帰るから……。
……そこまで、一緒に行こ……」
その後、小沢さんとは一言も会話も無く帰路の分かれ道で別れた。
◆◆◆◆◆
夕飯後、何故か叔父さんは菜々子を部屋へと追いやった。
……? 何かをするつもりの様だが……。
何故か追いやった当人の叔父さんに、菜々子を呼んで来て欲しいと頼まれた。
……何かサプライズでもやるつもりなのだろうか。
言われた通りに菜々子を呼んで来ると、戻ってきた時にはテーブルの上にケーキが1ホール丸々置かれていた。
苺のショートケーキだろうか。
よくあるマジパンやらチョコやらでできたお祝いのプレートは乗っていない。
しかし、今日は何かあっただろうか?
菜々子の誕生日は10月4日だし、叔父さんの誕生日ももう過ぎている。
叔母さんの誕生日は今日では無かった筈だし、結婚記念日とかでもないだろう。
勿論、自分の誕生日でもない。
菜々子も、ケーキには歓声を上げたが、何のお祝なのかは心当たりが無いらしく、不思議そうにしている。
「なんのおいわいのケーキなの?」
「あー、それはだな……。
今日は"家族"の大事な日なんだ」
そう言われても、心当たりは無い。
菜々子もそうらしく、二人で首を傾げた。
「だいじな日……?」
「そうだ。
お前と、コイツと、俺が、“家族”になる記念日だ」
「……いままではちがったの?」
そう菜々子に問われた叔父さんは、「そ、それはだな……」と言葉に詰まってしまう。
結局説明出来る言葉が見付からなかったのか、とにかく、と強引に話を持っていく。
「ちゃんと、“家族”になる記念日なんだ」
「ふぅん……。
よくわかんないけど……。
でも……なんかうれしいね!!」
ねっ、とこちらを見上げてくる菜々子に、そうだね、と頷いた。
要は、先日言っていた叔父さんなりの“ケジメ”とやらがこれなのだろう。
「よし、じゃあ食べるか」
「うん!」
ケーキは六等分して、半分を食べ、残りは明日に取っておく事にする。
流石に食後にケーキを1/3ホール食べるのは無謀だ。
ケーキを食べ終わると、叔父さんの提案で散歩に行く事になった。
寝間着に着替えていた菜々子が、服を着替えに自分の部屋に戻ったのを、居間で待っていると、叔父さんが声を掛けてくる。
「あー、……悠希。
今日は、妙な事に付き合わせちまってて、その……悪いな」
「いえ、楽しいですよ。
サプライズパーティーみたいで。
ありがとうございます」
少し驚いたが、それもまた楽しみの一つである。
何より、菜々子が喜んでいるのなら、それ以上の事はない。
「そうか……優しいな、悠希は」
叔父さんはそう言うが、『優しい』、というのは自分ではあまり分からないものだ。
菜々子が笑ってくれたり喜んだりしてくれるのが、自分にとって嬉しい事だからやってるだけで。
叔父さんが辛そうにしてたりするのを、自分が見ているのが嫌だし見ない振りも出来ないから、励ましたり悩みを聞いているだけで。
結局の所、それは徹頭徹尾自分の為でしかない。
要はただの自己満足だ。
それは果たして、『優しい』のだろうか。
その判断は、自分には出来ない。
だけど、『優しい』と言われるのは嫌いではなかった。
「どうにもな。
こんな事でもしないと、ケジメは付けれないと思ってな……。
自己満足かもしれないが……、それでもちゃんと伝えたかったんだ。
菜々子に……、俺がちゃんと“家族”として大切に思っているんだって事を……」
「伝わったと思いますよ」
菜々子の様子を見ていたら、直ぐに分かる。
元々、菜々子はずっと叔父さんを見ていたのだから、叔父さんが菜々子と向き合いさえすれば、その思いは伝わるのだ。
「そうか……。
……段々と、千里に似てくるな、菜々子は……。
笑った顔も、案外気が強い所も。
……菜々子の顔を見る度に、千里の事を思い出して辛かった事もある。
……菜々子を迎えに行った所為で、と……。
そう、考えそうになっちまった事もあった。
それでもな……。
菜々子が居てくれただけで、俺は救われてきたんだ。
……もし、俺一人だったなら、悠希を預かるなんてのも考える事も無かっただろうしな……」
そう言って叔父さんは、少し辛そうに溜め息を吐いた。
「……多分、俺は……悠希が言った通りに……、怖かったんだ。
誰かを真っ直ぐに受け止めて……、大切な家族を作って……。
そしてまた、それを喪ってしまうかもしれないって事が。
だから、逃げていた。
臆病になっていた、怯えていた。
それらしい言い訳を作って、自分を誤魔化しながら、菜々子と向き合う事自体から逃げていたんだ。
……逃げるヤツを追うことに逃げていたなんて、……全く、滑稽だよな……」
そう言って叔父さんは、哀しみを含んだ笑みを浮かべる。
その言葉には、首を横に振った。
「滑稽なんかじゃ、無いです。
……だって叔父さんは、辛かったんですよね」
勿論、辛かったから、なんて理由で何もかもが許される訳では無いだろう。
だけど、辛くて悲しくて、どうしようも無い時と言うのはやはり存在する。
逃げたくなる事も、あるだろう。
それが、間違っているのだとしても、だ。
叔父さんの苦しみの深さは分からなくても、叔父さんが苦しんでいた事も悲しんでいた事も、それは理解出来る。
だから、そんな叔父さんの姿を、滑稽だなんて思う事は、少なくとも自分には出来ない。
「ああ……。ああ、そうだな…………」
叔父さんは、声を詰まらせて、微かに震えた。
「逃げるのも、悔やむのも、今夜で全部、仕舞いだ。
俺はもう二度と、大切なものを失くさない。
絶対に……。……絶対にだ」
強い決意を滲ませた声で、そう宣言した叔父さんは、ふと柔らかな笑みを浮かべてこちらを見る。
「これは……、お前が俺に教えてくれた強さだな。
……ありがとう」
それは、どうなのだろう。
自分は、叔父さんに対して何かを教えたり示したりしたつもりは無い。
結局の所、自分のやりたい事をしたい様にやっているだけだし、やるべきだと思った事をやっているだけ。
そこから何かを感じ取ったのは、叔父さん本人だ。
教わるまでもなく、そういう強さは元々叔父さんの中にあったのだとは思う。
“自分がどうするべきなのか”、“自分がどうしたいのか”という答えは、何時だってその人本人が自分で見付けるしかないからだ。
「それとな……。
……お前に、渡したい物があるんだ」
そう言って叔父さんが差し出してきたのは、マグカップだった。
叔父さんや菜々子が使っているモノと同じデザインで、色だけが、叔父さんの青色のものとも、菜々子の桃色のものとも、そして恐らくは叔母さんのものだったのであろう橙色のものとも違い、若草色をしている。
「これはお前専用だ。
後で名前を書いといてやるからな」
色分けされているんだから、一々名前を書かなくったって問題は無いけれど。
それでも。
叔父さんや菜々子の……そして叔母さんのカップの底には各々の名前が書かれてある事を知っている。
だから。
「……ありがとう、ございます」
……嬉しかった。
叔父さんの想いが、そしてそれを形にした様なこの揃いのマグカップが。
マグカップを貰った事自体が嬉しいのではなく、そこに込められている想いが、『お前は“家族”だ』という心が、この上なく、嬉しかったのだ。
柄にもなく、思わず少し声が震えてしまった。
それを仕事柄鍛えた観察眼で見抜いたのか、叔父さんは何故か嬉しそうに笑う。
「おう。……大切にしろよ?
……俺たちは、家族だ。
だから、お前のカップも、菜々子のカップも。
何時だって俺が満タンにしてやる。
……忘れるなよ」
忘れない、と頷いた。
忘れる事なんて、出来ない。
叔父さんがそう思ってくれている、というただその事実だけで、それだけでももうどうしようも無い位には、嬉しくて幸せだ。
それから少しして、準備が出来たらしい菜々子が居間に戻ってきて、三人で夜の散歩に出掛けた。
叔父さんが連れてきたのは…………鮫川だ。
夜の河原はとても静かで、月が水面に月影を落としている。
どうやら、菜々子が来たがっていたから、ここに連れてきた様だ。
また今度来る時は、天気の良いお昼間にでも弁当を持って一緒に行こう、と叔父さんが言うと、菜々子は喜んで頷いた。
川縁から魚を観察したいから、とよく釣り人達が竿を構えている辺りから、楽しそうに菜々子は川を観察している。
それを少し離れた所から見守って、叔父さんは幸せそうに微笑んだ。
まるで、昨日菜々子から貰ったあの写真の中の様な、優しい笑顔で。
「菜々子のあんな顔……。
久し振りに見た気がするな……」
そして、何かを宣言する様な面持ちで、顔を上げる。
「……俺は、これからも千里を轢いた犯人を追う。
……けどな、それはもう何かから逃げる為じゃない。
俺が……刑事だからだ」
そう、決意を表明した叔父さんは、一つ頷いてこちらを見つめた。
「そんな当たり前の事ですら、俺はいつの間にか、忘れちまってたんだ。
……大切な事はみんな、悠希、……お前が思い出させてくれたんだ。
本当に、感謝している」
……自分が何かをしたつもりは特には無いけれど、それでも。
叔父さんが大切な何かを思い出す手伝いが出来たというのなら、それはとても嬉しく誇らしい事だ。
「この町はなぁ、俺の町だ。
菜々子やお前の居る、俺の居場所だ。
……だから俺はこれからも、ここを守って生きていく。
デカとして……父親として、な」
そう言って叔父さんは清々しそうに笑った。
……きっともう、叔父さんは大丈夫だ。
そう、思えた。
ちゃんと前を見て、『菜々子と生きていく“今”』を重ねていけるのなら、きっともう大丈夫だ。
その時、土手の方から何かドタバタという音が聞こえた。
どうやら、何者かが警察から逃げているらしい。
偶々追い掛けている警官に顔見知りが居たのか、叔父さんが何があったのか訊ねてみた所、どうやら稲羽付近に出没するカツアゲグループを摘発しようとしている所らしい。
カツアゲとはまた……、しょっぱい事をやっているもんだ。
そんな事する暇があるなら、ちゃんとバイトでもすればいいのに……。
「お父さん、行くの?」
叔父さんを見上げる菜々子に、叔父さんは大きく頷いた。
「……おう。
悪いヤツらを捕まえるのが、俺の……いや、お父さんの、仕事だからな」
そしてこちらを見て、菜々子を頼む、と言う。
「任せて下さい。
……叔父さんもお気を付けて」
そう返すと、叔父さんは満面の笑みを浮かべた。
「ああ、行ってくる。
心配すんな、俺を誰だと思ってる。
泣く子も黙る、稲羽署の堂島だぞ?
だから、お前たちは安心して先に帰って寝てろ」
そう言って叔父さんは、カツアゲグループを締め上げに、駆け出していった。
その怒鳴り声が土手の向こうから聞こえてくる。
「お父さん、がんばれー!!」
聞こえてきた叔父さんの怒鳴り声に、菜々子は声援を贈って、そして嬉しそうにこちらを見上げて笑う。
「ね、お姉ちゃん。
……お父さん、カッコいいね!」
そうだね、と頷いた。
本当に、叔父さんはカッコいい人だ。
逃げていた事を認める事も、そして逃げる事を止める事も、向き合う事も。
どれもこれも、それらが出来ない人もいる中で、それをやってのけた叔父さんは、やはりとてもカッコいい。
勇気ある人だと、そう思う。
その姿勢は、本当に心から尊敬出来る。
「さっ、菜々子。お家に帰ろうか。
お風呂を沸かさなきゃだし、それに、叔父さんも帰ってくる頃には走り疲れてお腹ペコペコかもしれないから、夜食作ってあげないとね」
「やしょく、菜々子もつくるのてつだう!」
夜食に何を作るのか菜々子と話し合いながら帰った帰り道は、月明かりしかない夜道でも、不思議と暗いとは思わなかった。
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