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本当の“家族”

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【2011/05/25】


 放課後になり、図書館で本でも借りようかと廊下を歩いていると、何に急いでいたのかは知らないが、後ろから廊下を走ってきていた男子生徒にぶつかりかけた。
 男子生徒は「悪い」とだけ言って、そのまま階段を駆け降りて行く……。
 …………。
 ふと、足元に何かが落ちているのに気が付いた。
 何かのキャラクターもののキーホルダーの様だ……。
 先程の彼の落し物だろうか? 
 届けてあげようにも、彼の名前やクラスも知らないし……。
 少し困っていると、階段脇で友人たちと談笑していた長瀬が声を掛けてきてくれた。

「どうした、鳴上?」

「いや……。
 ……さっき走ってきた男子生徒なんだが……」

 長瀬の知っている奴か、と訊ねると、どうやら同じクラスの生徒だった様だ。

「あー、高山だな。
 アイツ、放課後になったら何時も急いで帰るんだ」

「そーそー、アイツ、付き合い悪いよなー。
 何か色んな所でバイトしてるんだっけ……?」

 長瀬と談笑していた生徒も話に加わる。

「らしいよな。
 高山が前に沖奈でバイトしてんの見たって言ってた奴がいるし、ジュネスでバイトしてる所なら見た事あるぜ。
 つーかさ、そんなにバイトばっかしてどうするって言うんだろうな?」

 さーな、と長瀬たちは再び談笑を始め、高山の話題はそのまま流れていった。



◇◇◇◇◇



 本を借りて、そろそろ下校しようと下駄箱に向かうと、下駄箱の辺りでもう帰った筈の高山が何かを探している様にウロウロしている所に出会した。
 ……もしかして……。

「……これを探しているのか?」

 先程拾ったキーホルダーを見せると、高山は驚いた様に顔を上げた。

「あ、ああ……。
 鳴上……だったか? 二組の。
 拾っててくれたんだな、ありがとう」

 高山は手早く礼を言いながら、キーホルダーを受け取る。

「大事な物なんだ……これ。
 ……っと、そろそろ行かないとヤバイな……」

 そう言って軽く頭を下げた高山は、時計を確認するなり慌てた様に校舎を飛び出していった……。





◆◆◆◆◆





 帰りが遅くなる叔父さんを抜きにした夕食後、菜々子ちゃんは何やらソワソワとしている。
 何があったのか訊ねてみると、少し躊躇いながら「お父さんに内緒にして」と頼まれた。
 勿論だ、と固く約束すると、菜々子ちゃんは一枚のプリントを差し出した。
 来月行われる授業参観の開催日に関するアンケートだ。
 開催希望日を尋ねているモノで、学校の先生から親に渡す様に言われていたらしい。

「……お父さん、おしごとあるから……。
 きっと、来れないよね……」

 そう呟く菜々子ちゃんは悲しそうだ。
 ……菜々子ちゃんはまだ一年生だ。
 自分だって、この歳の頃は、学校行事に親が来てくれたら嬉しかった。

「……そうかも、知れないね。
 叔父さんにはお仕事があるから、もしかしたら、行けないかもしれない。
 ……お姉ちゃんもね、お父さんもお母さんも……仕事が忙しい人だったから、授業参観とか運動会とか、そういう行事に親が来れなかった事もあったよ。
 でも、……ほんの30分だけとかでも、……無理にでも仕事を空けてでも見に来てくれた時は、凄く、嬉しかった」

 そんな時、相当に無理をさせてしまっているのは子供心に分かっていた。
 両親共に多忙を極める人で、休みを予め申請していても急に潰れてしまう事なんて、しょっちゅうだった。
 何時しか、無理に来て貰わなくても良い、と思う様になり、そういう行事に関しても学校から渡されるプリントを見える場所に貼るだけにしてしまう様になっていたが。
 それでも。
 一コマ分の半分の時間も居なくても、ほんの十数分だけでも。
 急いで来たのが分かる位に息を切らせてやって来てくれていたのは、……本当に嬉しかったのだ。

 確かに、叔父さんは忙しい。
 日によっては最初から無理だろうし、休みを取っていたとしても、何か事件が起こったら駆り出されてしまうかもしれない。
 絶対に来れるとか、そんな保証はどう頑張っても出来ない。
 だけど。
 叔父さんが、最初から行きたくない、と思うとは思えないし、それに。
『叔父さんに来て欲しい』という菜々子ちゃんの思いは、言葉や行動に示さなければ伝わらない。
 思っているだけでは、何も伝わらないのだ。

「どうしても叔父さんの都合が付かないかもしれない。
 急にお仕事が入ってしまうかもしれない。
 絶対に来れるよ、なんて、お姉ちゃんは言えない。
 だけどね、菜々子ちゃんの『来て欲しい』って気持ちは、言葉にしないと叔父さんに伝わらないんだ。
 だから、頼んでみない?」

「……いっても、いいのかな……」

「大丈夫だよ。
 ……それに、お姉ちゃんも菜々子ちゃんと一緒に頼んでみるから」

「ほんと? 
 お姉ちゃん、ありがとう! 
 これ、お父さんにわたしてみるね。
 来てって……ちゃんという。
 お姉ちゃんにはなしてよかった!」

 パァァッと明るく笑った後、菜々子ちゃんはポツリと、自分に言い聞かせる様な様子で呟く。

「きっと、……来てくれるよね。
 ……“ほんと”のお父さんだったら……。
 ……ね、お姉ちゃんのむかしのはなしして?」

 菜々子ちゃんに頼まれ、自分の昔の話を語った……。




◇◇◇◇◇




 叔父さんが帰ってきたのは、それから凡そ一時間程後の事だった。
 疲れた顔をして座る叔父さんに、菜々子ちゃんは意を決してプリントを差し出そうとするが、「後にしてくれ」と断られる。

「すみませんが、見て上げてくれませんか」

 そう自分からも頼むと、叔父さんは渋々とプリントを受け取った。
 しかし、内容を見て深い溜め息を吐く。

「授業参観のアンケート、ね……。
 希望日って言われてもな……」

 暗に無理だ、と言われているのは分かったのだろう。
 菜々子ちゃんは拳を握り、俯いて震え、そして絞り出す様な声を上げた。

「…………。
 …………いい。
 もう、いい……。もういいよ!
 かかなくていいよ! 来なくていい!! 
 どうせ、ジケンなんでしょ!? おしごとなんでしょ!? 
 お父さんはいっつもそう!! 
 ゴールデンウィークのときだって、そうじゃないときだって! 
 お父さんは菜々子より、わるい人とか、ほかの人の方が、だいじなんでしょ!?」

 想定外の反応だったのだろう。
 叔父さんは癇癪を起こしてしまった菜々子ちゃんに、どうして良いのか分からず、オロオロと狼狽えて視線を彷徨わせる。
 縋る様な目で此方を見詰めてきたのだが、それには首を振って答える。
 自分が口を挟むべき事では無い。

「“ほんと”じゃないから……。
 お父さんは、“ほんと”のお父さんじゃないから!!」

 溜め込んでいた思いを、泣き出しそうな声で叔父さんに叩き付けて、菜々子ちゃんは家を飛び出して行ってしまった。

「なっ……菜々子! 
 待ちなさい! 
 …………」
 叔父さんがそう声を掛けても、菜々子ちゃんは戻って来ない。
 何が起こったのか理解仕切れていないのか、呆然と立ち尽くす叔父さんの頬を軽く叩く。

「叔父さん、呆然としてる場合ではありません! 
 早く探しに行かないと!」

「あ、あぁ……」

 急いで家を飛び出しても、菜々子ちゃんの姿は見えない。
 ……こんな夜中に菜々子ちゃんの年頃の子供一人は危険過ぎる。
 早急に見付け出さなくては。
 携帯を取り出し電話帳を開き、急いでメールを作成する。

「ジュネスの方には花村に、商店街の方も友達に声を掛けて探して貰います!! 
 菜々子ちゃんの足ではそう遠くには行けない筈!! 
 兎に角、菜々子ちゃんが行きそうな場所を探して下さい!! 
 私はこっちから探すので、叔父さんはあっちからお願いします!!」

 叔父さんが頷いたのを確認し、その場を駆け出す。
 花村に巽くん、天城さんに里中さん、一条に長瀬、と、菜々子ちゃんを知ってる人や菜々子ちゃんが行きそうな場所の近くに住む人全員に頼み込んで、菜々子ちゃんを探して貰う。
 商店街の辺りに関しては、自分よりも地元民のみんなの方が詳しいし、ジュネス近隣は花村が探してくれている。
 他に菜々子ちゃんの足で行ける範囲内で、菜々子ちゃんが行きそうな場所は……。
 ……通っていた保育園……? 
 いや、それは遠い。
 お母さんとよく遊んだという公園……? 
 ……それは場所が分からない……。

『……お母さんいたときね、お母さんとお父さんと菜々子の三人でね……、鮫川の所でお花つんでね……』

 その時、脳裏に以前菜々子ちゃんから聞いた話が思い浮かんだ。

「……鮫川か……?」

 そこに居てくれる事を願い、鮫川へと足を運んだ。
 するとそこには、同じ結論に至ったのだろうか、叔父さんもやってくる。

「くそっ、何処だ……、菜々子……!」

 焦って周りを見回す叔父さんの視線が、ある一点で留まった。
 その視線の先を辿ると……、河川敷に降りる階段に菜々子ちゃんが膝を抱えて座り込んでいた。
 ……微かに体が震えているのは、寒いからではなく泣いているのだろう。
 菜々子ちゃんが無事見付かった旨を捜索してくれている皆にメールで一斉送信しつつ、「早く迎えに行け」と視線で叔父さんを促すと、叔父さんは何故か首を横に振った。

「……『本当の父親じゃない』、か……。
 ……すまん。
 お前が……行ってやってくれないか……」

「ですが叔父さん……」

「悠希……。
 ……頼む、迎えに行ってやってくれ。
 ……お前の言う事の方が、素直に聞くだろ……」

「そういう問題では……!」

 素直に聞くとか聞かないとか、そんな問題なんかではない。
 そう反論しようとした言葉は、苦し気に首を横に振った叔父さんに遮られた。

「……いや、そうさ。
 お前は、あいつの“家族”だ……。
 俺なんかより、余っ程歴とした……な。
 俺は……、菜々子が無事なら、それで良い」

「なら、それを直接菜々子ちゃんに伝えてあげれば良い!」

 それだけで、良い。
 菜々子ちゃんが求めているのは、その言葉だ。
 簡単な話だ。
 それを面と面を向かって伝えれば良いだけ。
 出来る筈だ。
 だって、菜々子ちゃんの“家族”は、叔父さんなのだから。

「……頼むよ、悠希……」

 だが。そう言い残して叔父さんは身を翻して去ってしまった。
 呼び止めても振り返らない叔父さんを、どうする事も出来ずに仕方無しに見送る。
 ……今は菜々子ちゃんの方を優先しなくては。


 階段を降りると、菜々子ちゃんは此方を見上げてきた。

「……お姉ちゃん……」

 泣き腫らして赤くなった目を擦る菜々子ちゃんを、そっと抱き締める。

「……帰ろ、菜々子ちゃん……」

「…………」

 微かに首を横に振った菜々子ちゃんに、優しく囁いた。

「菜々子ちゃんを見付けたのは、叔父さんだ。
 ……叔父さんは、ちゃんと菜々子ちゃんを捜していたんだよ」

「……お父さん、さめがわのこと、なにかいってた……?」

 ……それには静かに首を横に振った。
 叔父さんも、菜々子ちゃんとの思い出を思い出したからこそここに捜しにきたのかもしれないし、単に偶々だったのかもしれない。
 ……それは、叔父さんではないから自分には分からない事だ。

「……お父さん、わすれちゃったのかな……お母さんのこと……。
 お母さんの話、ぜんぜんしてくれないし……」

 叔父さんは、叔母さんの事を忘れてなどいない。
 ……忘れる事など出来ないからこそ、今も苦しんでいる。
 叔母さんの事を話題に出せないのは、それが今も尚生々しく叔父さんを苛み続けているからだ。

「菜々子、……お母さんにあいたい……」

 ポツリと呟かれた菜々子ちゃんの思いに、抱き締める力をそっと強め、ポスポスとその頭を撫でる。
 お母さん会いたい。
 それは、そうだろう。
 菜々子ちゃんの年頃の子供にとっては、お父さんやお母さんと言った身近な家族が世界の全てだ。
 お母さんが居ない、と言うのは、謂わば世界の半分以上が突然無くなってしまったにも等しい。
 その喪失感は、計り知れない。
 会いたい、お母さん会いたい……。
 そう思うのは当然だし、今迄心に押し込めていたその思いが溢れ出してしまうのも仕方が無い。
 ……会わせてあげられるなら、何としてでも会わせてあげたい。
 しかし、もう叔母さんは、この世界の何処にも居ないのだ。

「きっとお父さん、お母さんのことわすれちゃったんだ……。
 しゃしんもなくなってた。
 ……きっとすてちゃったんだ……。
 ……お父さん、菜々子もすてちゃうのかな……」

 写真……。
 そう言えば、叔母さんの写真は仏間に飾られた遺影以外には見掛けた事が無い。
 きっと、叔父さんが何処かに仕舞ってしまったのだろう。
 ……叔母さんとの思い出を、思い出してしまうのがきっと辛いから。
 ……それでも、罷り間違っても叔父さんは写真を捨てたりなんかしていない。
 それは、断言出来る。
 もう、その写真たちしか、叔母さんとの思い出の写真は残っていないし、それ以上新たに増える事は決して無いのだから。
 それと同じく、叔父さんが菜々子ちゃんを忘れたり、それこそ捨ててしまうなんて有り得ない。
 叔母さんを思い起こさせてしまうから、菜々子ちゃんと向き合う事を避けてしまっている叔父さんだが、それでも、菜々子ちゃんへ向ける思いは無くなったりなんてしない。

「……そんな事、無い。そんな事無いよ。
 ……叔父さんは忘れたりなんかしないし、捨てたりもしてない。
 ……だからね、菜々子ちゃん。
 一緒に帰ろう」

 不安がらせない様に可能な限り優しく微笑んで、手を差し出す。

「うん……」

 差し出したその手を、ギュッと掴んで菜々子ちゃんは立ち上がった。
 此処まで走ってきた疲れたと、泣き続けた疲れで足元が覚束無い菜々子ちゃんを、背負って家へと向かう。

「……お姉ちゃん。
 ……菜々子“ちゃん”、じゃなくって……、『菜々子』って、よんで……。
 ……だって、お姉ちゃんは菜々子の“かぞく”なんだもん……」

 その道中で、ポツリとそう呟かれ、良いよ、と頷く。
 “ちゃん”付けを何処か他人行儀に感じたのだろう。

「そうだね。うん、分かったよ、菜々子」

 そう答えると、菜々子がコクりと頷いたのが背中越しに分かった。


 家に帰り、菜々子を寝かせて部屋へと戻ると、携帯に随分とメールが届いている事に気が付く。
 開いてみると、菜々子の捜索に手を貸してくれた皆からのメールだった。
 菜々子が見付かった旨を一斉送信した後、携帯を見ている余裕が無くて、返信に気が付かなかったのだ。
 皆、夜遅くの唐突な依頼であったにも関わらず、「良かった」や「安心した」と返信してくれている。
 その事が、どうしようも無い位に、只々嬉しい。
 各々に、こんな時間にも関わらず快く捜索に手を貸してくれた事に感謝と礼を述べたメールを送り、その日は眠りに就いた。





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