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本当の“家族”

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【2011/05/22】


 翌朝、起きてきた菜々子ちゃんは何やら困った様な顔をしていた。
 どうしたのか訊ねてみると、どうやら学校で育てていた野菜の苗を、家で育ててみなさい、と先生から渡され、然し何処に植えれば良いのか分からず困ってしまっていた様だ。
 昨晩は体調不良もあって、言い忘れていたらしい。
 菜々子ちゃんが貰ってきたのはプチソウルトマトだ。
 これ位ならそこそこの大きさのプランターで事足りるだろうが……。
 ふと、家の隣に使っていない空き地があった事を思い出した。
 菜々子ちゃんに確認を取ってみると、どうやらあそこも堂島家の所有地らしい。
 あそこなら、ちょっとした家庭菜園を作るのには丁度良い広さだ。
 しかも確か、それ用の道具類もあの空き地に置かれていた筈。
 外に出て確かめてみると、思っていた通り、家庭菜園を作れそうだし、道具も菜園用の土も揃っている。
 この場にある物だけで事足りそうだ。

 早速作業に取り掛かり、立派な家庭菜園が完成した。

「すごいすごーい!
 もう、“なえ”うえてもだいじょうぶ?」

 完成した家庭菜園に、菜々子ちゃんも大喜びで手を叩いている。
 それに頷いて、早速プチソウルトマトの苗を植えた。

「おやさい、できるかな」

「頑張ってお世話すれば、きっと出来るよ」

「うん、菜々子がんばるね!
 あのね、お姉ちゃん。
 かんばん、作ろうよ!
 やさいができるまでみんなわからないから、ここにやさいできるよって、ちゃんと書いとかなきゃ」

 そうだねと頷き、菜々子ちゃんの要望を訊いて、余っていた木片でそれらしい看板を急遽作成した。
 早速それを立て掛けると、菜々子ちゃんは満足そうに笑う。

「菜々子、ちゃんとお水あげるかかりだね!」

 手伝うよ、と申し出ると、「うん」と嬉しそうに菜々子ちゃんは頷く。

「いっしょにがんばったもん、おせわも、いっしょにしようね!
 やさい、いっぱいとれたらいいね!
 えへへ……たのしみだね!」

 菜々子ちゃんの言葉に、楽しみだ、と頷き返した。




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 家庭菜園を完成させた後、取り寄せておいた本を受け取りに行こうと、商店街にある『四目内堂』を訪れると、天城さんと偶然出会った。
 どうやら天城さんは資格の本を購入したらしい。
 何かの資格を取るつもりなのだろうか。

「うん、これから必要かなって思って……。
 テレビの中の……“もう一人の私”が言ってたでしょ?
『旅館を継ぐなんて、まっぴら……』って。
 あれね、やっぱり……私の本当の気持ちなんだと思う。
 だからね、もう少し、自分に素直になってみる事にしたんだ……」

 そう言って天城さんは息を整える様に深呼吸をしてから宣言した。

「わ、私ね、天城屋旅館、継がない!
 ……高校出たら、この町、出てく!」

 そう言い切った天城さんは、ふっと肩に入っていた力を抜く。

「……言っちゃった。
 ………フフ、言っちゃった!」

 心の中に溜めていた気持ちを言葉に表した天城さんは、清々し気に笑った。

「それでね、ここを出ても一人で生きていける様に、何か資格を取ろうかなって思って。
 インテリアコーディネーターとか、いいかなって……。
 鳴上さんはどう思う?」

 資格か。
 確かに、それは生きていく為の力の一つにはなるだろう。
 インテリアコーディネーター、か。
 ……ちゃんと実益に結び付く資格だ。

「良いと思うよ」

「……うん、何だか、カッコイイよね!」

 自分の意見を肯定して貰ったからか、天城さんは嬉しそうに頷く。

「でも、資格を取るのにもお金が掛かるから、中々難しくって……。
 お小遣い貯めてる分はあるけど、限界はあるし……。
 お母さんたちには勿論、言えないしさ……。
 こっそり出来るアルバイトとか無いかな……」

 確かに。
 試験とかを受けたりするのにも元手は必要だ。
 こっそり出来るバイト……。
 在宅で出来るヤツなら良いのではないだろうか。

「翻訳とかどうだろう?
 今家で空いた時間とかにやってるんだけど、あれなら自分の部屋でこっそり出来るんじゃないかな」

「翻訳……?
 そういうのあるんだ、全然知らなかったな。
 早速応募してみるね!
 ありがとう、鳴上さん。
 私の気持ち、聞いてくれて。
 ……頑張ろうって、思えたよ」

 善は急げとばかりに帰る天城さんを、手を振りながら見送った。




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 夕食後、叔父さんは居間で書類の整理をしていた。
 ……そう言えば、昨日探していた新聞のコピーとやらは見付かったのだろうか?

「昨日の探し物、見付かりましたか?」

「ん? ……ああ、見付かったよ。
 すまんな、心配させちまったか?」

 そして叔父さんは暫し逡巡する様な表情を見せ、そして何かを決したかの様に口を開いた。

「あれは、……千里の、記事なんだ。
 ……轢き逃げされて、死んだ時の、な……」

 痛みを滲ませる目でそう言い、叔父さんは手にしていた書類を机に置いて、視線を真っ直ぐこちらに向ける。

「……昨日、話したよな。
 まだ犯人が挙がってない、事件の事……。
 ……もう、分かっただろ?
 ……これ以上は、この家の中でする様な話じゃない。
 ……この話はこれで止めよう」

 ……成る程、叔父さんが執着している事件も、その理由も、一応の理解は出来た。
 だが、まだだ。
 不調を訴える実の娘より優先しなくてはならない程の理由としては、まだ納得出来ない。

「なら、場所を変えましょう。
 何なら、外でも良い。
 だから、話を続けて下さい」

 そう言うと、叔父さんは苦笑して溜め息を吐く。

「……ははっ、ホント……誰に似たんだか……。
 全く……、敵わんな、悠希には……。
 良いだろう、……ここで話すさ」

 そう言って叔父さんは訥々と語り始めた。

「アイツは……。
 千里は、……菜々子を保育園に迎えに行く途中で、轢き逃げに遭ったんだ。
 ……寒い日で、……雪も深く積もっていて、目撃者も無く、発見は遅れに遅れた……。
 ……あの日、俺に知らせが入るまで、菜々子はずっと一人で待ってたんだ……。
 何時まで経っても来ない迎えを……、たった一人で、な……。
 ……殺された、なんて……菜々子には言えなかった。
 犯人を捕まえるのが仕事の父親が……、足取りの一つも掴めてない、なんて事も、な……」

 ……叔母さんが亡くなったのはもう一年以上も前の事だ。
 事件発生直後ですらそうなのなら、……今から新たな手懸かりが見付かるのは、非常に難しいのだろう……。
 死亡者が出る轢き逃げの検挙率は、県によって多少は上下するが、それでも九割以上には上っている。
 それなのに、家族が犠牲になった事故であるにも関わらず、未だに犯人に繋がる手懸かり一つ掴めていない現状が歯痒いのだろう。

「……だがな、俺は必ず犯人を挙げる。
 ……その為にはプライベートなんて無い。
 ……菜々子だって、分かってくれるさ」

 叔父さんの言葉に、思わずグッと拳を握った。

 ……分かってくれる……?
 何を言ってるんだ、叔父さんは。
 だって、何も話していないのだろう?
 それで、何を分かれと言うのだ。

 叔父さんは辛いのだろう。
 それはそうだ。
 大切な人を理不尽に喪って、しかもその犯人はきっと今も何処かでのうのうとしている。
 なのに、自分は刑事なのに、その足取りすらロクに掴めていない。
 歯痒いだろう、辛いだろう、苦しいだろう。
 その気持ちに完全に同調する事こそ出来ないが、それでも共感しようとする事なら出来る。
 犯人を挙げる為に、事件を追い続ける。
 別にそれは構わない。
 叔父さんなりのモーニングワークなのかもしれない。

 だが。
 それと菜々子ちゃんを思いを蔑ろにするのとは話が全く別である。
 菜々子ちゃんは確かに聞き分けがよく、年齢に不相応な程、他人の事情というものを配慮出来る子供だ。
 だが、叔父さんが仕事を優先する事を悲しんだり寂しく思っていない訳では全く無いのだ。
 菜々子ちゃんにとっての肉親は、もう叔父さんだけなのに。
 そんな叔父さんが仕事の方を優先する様を見て、どうして傷付かない等と思えるのだ?
 分かってくれる? 冗談は止してくれ。
 叔母さんを喪った苦しみを、菜々子ちゃんもまた同じく抱えているのだと、どうして考えてあげられないのだ。
 叔父さんが目を背けているから、菜々子ちゃんは一人で『お母さんがもう居ない』という寂しさや哀しみと向き合わなくてはならないというのに……!
 もしかして、自分は叔父さんにとって不要な存在なのではないか、と菜々子ちゃんは苦しんで泣いていると言うのに……!

 犯人を挙げる迄にどれ位の時間が掛かる?
 一年? 二年? いやもっと掛かってしまうかもしれないし、それこそずっと見付からないかもしれないものだ。
 そんな、何時までという期限すら無い個人的な執念に、何も知らない菜々子ちゃんを巻き込んではいけない。
 どんなに頑張って犯人を挙げたとしても、叔母さんはもう帰ってはこないのだ。
 それなのに、どうして今目の前にいる菜々子ちゃんを蔑ろにしてまで、過去だけを追い続けているのだ……!

 そんなものは、ただの言い訳だ。ただの甘えだ。
 向き合うべき事から逃げている事への、言い訳以外の何物でもない。

「そんなの……、ただの言い訳です……!
 菜々子ちゃんが今望んでいるのは、そんな事じゃない……!!
 そんな事を、叔父さんが菜々子ちゃんと向き合わない理由になんて、しないで下さい!!」

 感情のままにそう言い切ると、叔父さんは衝撃を受けたかの様に目を見開き、そして唇を噛み締めた。

「……すまん、悠希。
 ……今は一人にしてくれ」

 辛そうに言葉を絞り出す叔父さんに、……それ以上は何も言えなかった。……言える訳など、無かった。
 ……叔母さんを喪って辛いのも、苦しいのも。
 それは叔父さんと菜々子ちゃんだ。
 自分は、二人の間にある喪失の経験に関しては完全な部外者に過ぎない。

 ……その苦しみを共有する事も出来ない自分が、偉そうにまるで説教でもするかの様に説いて良いものでも無いのだ……。
 感情に流され過ぎた。
 ……反省の必要があるだろう。

「……私も、言葉が過ぎました。すみません」

 叔父さんに頭を下げ、部屋に戻ろうと席を立つと、後ろから叔父さんの呟き声の様な小さな声が聞こえた。

「…………悠希。
 ……ありがとな」

 ……返事はせずに、そのままその日は眠りに就いた。






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