自称特別捜査隊
◆◆◆◆◆
小さい頃は、旅館の手伝いをする事に疑問を抱かなかった。
手伝いをすれば、忙しい親と一緒にいられる時間は増えるし、周りの大人達から褒めて貰える。
「良い子」でいられる。
楽では決してなかったが、それでも「嫌」だとは思わなかった。
しかし、歳を重ね……見える世界が広がった時。
自分自身と比較しうる同年代の知り合いが増えた時。
……他人から『評価』を受ける機会が増えた時。
疑問を差し挟む余裕がないかの様に、当然の事として受け入れてきた自身を取り巻く多くの物事が、「当然」ではなかったと理解した。
「普通」なら、家業の手伝いに忙殺されて自分自身の自由な時間が殆ど無いなんて事はない。
「普通」なら、何処へ行くにも何をするにも《次期女将》だの《旅館の跡継ぎ》だのというレッテルがついて回ったりもしない。
……何時しか、それらを煩わしく思う自分がいた。
……だけれども、旅館の手伝いを止めるとかいった選択肢は、私には無かった。
私からそれらを取り除けば、一体何が残るというのか。
……《旅館の跡継ぎ》だという価値しか、自分には無いと思っていた。
……旅館に自分を縛られるのは嫌だった。
だけれども、それらを放棄した自分は誰からも必要とされないのではないかと思うと……、捨て去る勇気すら私には持てなかった。
《旅館の跡継ぎ》、は嫌なのに。そこにしか価値を見つけられない自分がいた。
……でも、千枝は違う、そうじゃない。
《旅館の跡継ぎ》だとか関係ない……他の誰でもない『私』を見てくれていた。
何時だって……私が困っている時は助けに来てくれた。
そして『私』に、《旅館の跡継ぎ》以外の《意味》をくれた……。
千枝は……何時だって『私』の味方、だった。
……そう、思っていたのに。
『旅館の跡取りだし、しょうがないのかも知れないけど……無理しちゃ駄目だよ』
「しょうがない」と、《旅館の跡継ぎ》である事は「しょうがない」のだと、千枝は言った。
……結局は、千枝にとっても『私』は《旅館の跡継ぎ》、だったのだ。
何処へ行っても、誰からの目にも、《旅館の跡継ぎ》というレッテルが私に付いて回る。
それはまるで、私自身にはそこ以外に評価する場所が無い、と言われているかの様で……。それが窮屈で仕方無い。
私がそれを自ら選んできた訳ではないのに、そこばかりを評価されるのが、苦痛でしょうがない。
ただそこにあっただけの、選択肢ですらない選択肢。
偶々そこに生まれただけなのに、全て決められてしまっているかのような生き方。
……まるで、窮屈な鳥籠の様だ。
だけれども、そこを飛び出していく勇気すら私には無い。
窮屈であっても、それを捨て去って無価値になるのは……嫌だった。
《旅館の跡継ぎ》ではない自分を、『要らない』と言われるのが、恐かった。
逃げたい。だけど、逃げられない。
逃げる勇気が……自ら《価値》を捨て去る勇気が、私にはない。
だから、《誰か》に連れ出して欲しかった。誰かに守って欲しかった。
ここではない所へ、《旅館の跡継ぎ》という価値を私に求めない場所へ。
……私に別の価値をくれる場所へ。
私に価値をくれる《誰か》……そう、私の王子様に。
だけれども、千枝は……他でもない千枝が、そんなものは必要ないのだと主張する。
私は本当は強いのだと、本当は何処にだって行けるのだと。
◇◇◇◇◇
怪物の姿をしていた『私』は、千枝達によって倒され、後に残ったのは元々の私によく似た姿の『私』だった。
もう何かを喋る力すら尽きたのか、あれだけ捲し立ててきた『私』は何も言わない。
唯々何かを求める様に私を見ている。
どうするべきだろう、と戸惑っていると、駆け寄ってきた千枝にギュウッと抱き締められた。
「雪子……ごめんね。
あたし……自分の事ばっかで……雪子の悩み、全然分かってなかったね……。
あたし、友達なのに……ごめんね……」
ごめん、と繰り返して涙を溢す千枝に私は戸惑う。
千枝が謝る様な事ではないのに……。
「千枝……」
「あたし、ずっと、雪子が羨ましかった……。
雪子は何でも持ってて……あたしは何にも無い……。
そう思って、ずっと不安で……心細くて……!
だから雪子に、頼られていたかったの……。
ホントは、あたしの方が雪子に頼ってたのに。
あたし、一人じゃ全然ダメ……。
花村たちにも、いっぱい迷惑かけちゃったし……。
雪子居ないと……あたし、全然分かんないよ……」
そう涙と共に想いを溢す千枝を、私は抱き締め返した。
「私も、千枝の事、見えてなかった……。
自分が逃げる事ばっかりで……」
……だから、間違えてしまったのだろう、お互いに。
相手の事を大切にしている筈なのに、その実自分の事ばかり見ていては、相手の事をちゃんと分かってあげる事なんて出来ないのだ。
そう、……そう気が付けたからこそ、今なら自分自身とも向き合える。
だから、私は静かに佇んでいた『私』に向き直った。
「逃げたい…誰かに救って欲しい……。
そうね……確かに、私の気持ち。
……ごめんね、今まで……苦しかったよね……。
あなたは、私だね……」
その言葉に『私』は救われた様に微笑んで頷き、光となって消えてゆく。
その瞬間、急激な疲労が襲い掛かってきて、私は立ち眩んだ。
「雪子!」
すかさず私の身体を支えてくれた千枝に、私は微笑む。
「大丈夫……少し、疲れただけだから……」
しかし私の言葉に、横に居た鳴上さんは静かに首を横に振った。
「無理はしない方が良い。
向こうの時間にして凡そ三日は此処に居たから……。
天城さんが思っている以上に身体に負担が掛かっている可能性はある」
千枝と花村くんもそれに頷く。
「だな。今はともかくさっさと帰ろうぜ。
天城を休ませてやんねーとな」
そして、私たちはその場を後にした。
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小さい頃は、旅館の手伝いをする事に疑問を抱かなかった。
手伝いをすれば、忙しい親と一緒にいられる時間は増えるし、周りの大人達から褒めて貰える。
「良い子」でいられる。
楽では決してなかったが、それでも「嫌」だとは思わなかった。
しかし、歳を重ね……見える世界が広がった時。
自分自身と比較しうる同年代の知り合いが増えた時。
……他人から『評価』を受ける機会が増えた時。
疑問を差し挟む余裕がないかの様に、当然の事として受け入れてきた自身を取り巻く多くの物事が、「当然」ではなかったと理解した。
「普通」なら、家業の手伝いに忙殺されて自分自身の自由な時間が殆ど無いなんて事はない。
「普通」なら、何処へ行くにも何をするにも《次期女将》だの《旅館の跡継ぎ》だのというレッテルがついて回ったりもしない。
……何時しか、それらを煩わしく思う自分がいた。
……だけれども、旅館の手伝いを止めるとかいった選択肢は、私には無かった。
私からそれらを取り除けば、一体何が残るというのか。
……《旅館の跡継ぎ》だという価値しか、自分には無いと思っていた。
……旅館に自分を縛られるのは嫌だった。
だけれども、それらを放棄した自分は誰からも必要とされないのではないかと思うと……、捨て去る勇気すら私には持てなかった。
《旅館の跡継ぎ》、は嫌なのに。そこにしか価値を見つけられない自分がいた。
……でも、千枝は違う、そうじゃない。
《旅館の跡継ぎ》だとか関係ない……他の誰でもない『私』を見てくれていた。
何時だって……私が困っている時は助けに来てくれた。
そして『私』に、《旅館の跡継ぎ》以外の《意味》をくれた……。
千枝は……何時だって『私』の味方、だった。
……そう、思っていたのに。
『旅館の跡取りだし、しょうがないのかも知れないけど……無理しちゃ駄目だよ』
「しょうがない」と、《旅館の跡継ぎ》である事は「しょうがない」のだと、千枝は言った。
……結局は、千枝にとっても『私』は《旅館の跡継ぎ》、だったのだ。
何処へ行っても、誰からの目にも、《旅館の跡継ぎ》というレッテルが私に付いて回る。
それはまるで、私自身にはそこ以外に評価する場所が無い、と言われているかの様で……。それが窮屈で仕方無い。
私がそれを自ら選んできた訳ではないのに、そこばかりを評価されるのが、苦痛でしょうがない。
ただそこにあっただけの、選択肢ですらない選択肢。
偶々そこに生まれただけなのに、全て決められてしまっているかのような生き方。
……まるで、窮屈な鳥籠の様だ。
だけれども、そこを飛び出していく勇気すら私には無い。
窮屈であっても、それを捨て去って無価値になるのは……嫌だった。
《旅館の跡継ぎ》ではない自分を、『要らない』と言われるのが、恐かった。
逃げたい。だけど、逃げられない。
逃げる勇気が……自ら《価値》を捨て去る勇気が、私にはない。
だから、《誰か》に連れ出して欲しかった。誰かに守って欲しかった。
ここではない所へ、《旅館の跡継ぎ》という価値を私に求めない場所へ。
……私に別の価値をくれる場所へ。
私に価値をくれる《誰か》……そう、私の王子様に。
だけれども、千枝は……他でもない千枝が、そんなものは必要ないのだと主張する。
私は本当は強いのだと、本当は何処にだって行けるのだと。
◇◇◇◇◇
怪物の姿をしていた『私』は、千枝達によって倒され、後に残ったのは元々の私によく似た姿の『私』だった。
もう何かを喋る力すら尽きたのか、あれだけ捲し立ててきた『私』は何も言わない。
唯々何かを求める様に私を見ている。
どうするべきだろう、と戸惑っていると、駆け寄ってきた千枝にギュウッと抱き締められた。
「雪子……ごめんね。
あたし……自分の事ばっかで……雪子の悩み、全然分かってなかったね……。
あたし、友達なのに……ごめんね……」
ごめん、と繰り返して涙を溢す千枝に私は戸惑う。
千枝が謝る様な事ではないのに……。
「千枝……」
「あたし、ずっと、雪子が羨ましかった……。
雪子は何でも持ってて……あたしは何にも無い……。
そう思って、ずっと不安で……心細くて……!
だから雪子に、頼られていたかったの……。
ホントは、あたしの方が雪子に頼ってたのに。
あたし、一人じゃ全然ダメ……。
花村たちにも、いっぱい迷惑かけちゃったし……。
雪子居ないと……あたし、全然分かんないよ……」
そう涙と共に想いを溢す千枝を、私は抱き締め返した。
「私も、千枝の事、見えてなかった……。
自分が逃げる事ばっかりで……」
……だから、間違えてしまったのだろう、お互いに。
相手の事を大切にしている筈なのに、その実自分の事ばかり見ていては、相手の事をちゃんと分かってあげる事なんて出来ないのだ。
そう、……そう気が付けたからこそ、今なら自分自身とも向き合える。
だから、私は静かに佇んでいた『私』に向き直った。
「逃げたい…誰かに救って欲しい……。
そうね……確かに、私の気持ち。
……ごめんね、今まで……苦しかったよね……。
あなたは、私だね……」
その言葉に『私』は救われた様に微笑んで頷き、光となって消えてゆく。
その瞬間、急激な疲労が襲い掛かってきて、私は立ち眩んだ。
「雪子!」
すかさず私の身体を支えてくれた千枝に、私は微笑む。
「大丈夫……少し、疲れただけだから……」
しかし私の言葉に、横に居た鳴上さんは静かに首を横に振った。
「無理はしない方が良い。
向こうの時間にして凡そ三日は此処に居たから……。
天城さんが思っている以上に身体に負担が掛かっている可能性はある」
千枝と花村くんもそれに頷く。
「だな。今はともかくさっさと帰ろうぜ。
天城を休ませてやんねーとな」
そして、私たちはその場を後にした。
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