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未知への誘い

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【2011/04/11】


 電車に揺られ揺られて辿り着いたのは、実にのんびりとした田舎町だった。
 駅前だと言うのに、周辺の建造物がほぼ何もない上に他に人影がない。
 ゴミゴミした街からやって来た身としては、ちょっと新鮮だ。
 通り雨でも降ったのか、路面が僅かに濡れて所々に小さな水溜まりを作っているし、陽光降り注ぐこの季節にしてはやや冷たい空気になっている。
 背を伸ばす序に息を吸い込むと、排気ガスの匂いが殆ど無い、如何にもな田舎の空気が肺を充たす。


 今日から約一年の間、この町で暮らしていく。


 全くの新天地。
 何があるのか、誰と出会えるのか。
 まだ見ぬ何かに胸を高鳴らせる。
 たった一年……されども一年。
 それを良いものに出来るかは自分次第だ。
 ならば、全身全霊で日々を楽しむまで! 

 昂ったテンションのままに思わずグッと拳を握ると、その拍子にうっかりとメモ用紙を握り潰してしまった。
 いけないいけない。
 これには、これから居候させて貰う叔父さん家の住所とか連絡先とかもしっかりと書かれてあるのだ。
 個人情報が載ってるモノを粗末に扱うとはなんたる事か。
 皺だらけのメモ用紙を伸ばし、折り畳んでから胸ポケットに仕舞おうとした時。
 不意に強い風が吹いてメモ用紙を浚っていった。

「あっ!」

 慌てて追い掛けて手を伸ばすが、残念ながら届かない。
 メモ用紙は水溜まりの横ギリギリの場所に落ちる。
 地面に落ちたメモ用紙を拾おうと屈むと、誰かの手が先にそれを拾い上げた。

「これ、君の?」

 そう言ってメモ用紙を差し出してくれているその人は、……何とも不思議な女性だった。
 さっきまで駅前にはこんな女性は居なかったと思うのだけれど。
 一体何時やって来たのだろう? 
 年齢……はよくは分からない。
 いや、女性の年齢を探るのは失礼だからだとかそんなのじゃなくて。
 中学生位にも見えるし、同い年位にも見えるし、もっと歳上にも見える。
 何と言うのか……印象が定まらない感じの人だ。
 別に目を離している訳でも無いのに、一瞬で印象がボヤけてしまう。
 まあでも、こうやって態々小さなメモ用紙を拾ってくれたのだから、きっと悪い人ではない。

 警戒する事無く、差し出されていたメモ用紙を受け取る。

 女性に礼を言おうとしたその時、車のエンジンの音が聞こえ、それに気を取られて音が近付いてくる方向に一瞬顔を向け、再び女性に向き直ると。
 何故かつい一瞬前まで目の前にいた筈の女性が何処にも見当たらなかった。
 ……彼女は何処へ行ったのだろう? 


「おーい、こっちだ!」

 不思議な女性の事に気を取られていると、背後から声を掛けられた。
 さっき駅前に来た白いバンの横で中年男性がこちらに手を振っている。
 迎えに来てくれた叔父さんだ。
 母さんから以前見せて貰った写真よりは、少しばかり老けているが間違いない。
 荷物を持って、そちらへと向かう。

「前に会った時よりもずっと大きくなったな。
 ようこそ、稲羽市へ。
 お前を預かる事になってる、堂島遼太郎だ」

「鳴上悠希です。 
 これから一年間お世話になります」

 どちらからという訳でもなく、お互いに手を差し出して握手を交した。

「お久し振り、になるんですよね?」

「最後に会ったのはお前がまだ幼稚園に入る前位だからなぁ。
 覚えてないのも無理はない」

 ああそれと、と叔父さんは自分の背後を振り返った。
 そこには叔父さんの影に隠れる様に、叔父さんのズボンを掴んでいる小学校低学年位の女の子が居た。

「娘の菜々子だ。 
 ほら、挨拶しろ」

 そう叔父さんに促されたものの、菜々子ちゃんは口籠る様に挨拶した後、再び叔父さんの影に隠れてしまった。
 菜々子ちゃんから見たら、自分は随分と背が高い。
 もしかしなくても、恐がらせてしまったのだろうか。

 そっと地面に膝をついて目線を出来るだけ菜々子ちゃんに合わせる。

「私は菜々子ちゃんのお父さんのお姉さんの子供で……菜々子ちゃんの従姉妹だよ。
 これからよろしくね、菜々子ちゃん」

 そっと手を差し出すと、菜々子ちゃんはおずおずとだがちゃんと握り返してくれた。

「さて、立ち話もなんだしな。 
 そろそろ行こうか」

 叔父さんに声を掛けられ、車に乗り込む。
 菜々子ちゃんは助手席を譲ろうとしてくれたが、お父さんの横を奪うのは良くないのでそれは丁重に辞退した。




◇◇◇◇◇




 夕飯の買い出しの前に、ガソリンスタンドで給油する事になった。
 驚いた事に、八十稲羽と呼ばれるこの辺り一帯にはこの『MOEL石油』しかガソリンスタンドが無いのだそうだ。
 こういう所からも、稲羽って田舎なんだなと感じる。
 別に、悪い事では無いが。

 車がガソリンスタンドに入るのと入れ違いに、一台のトラックが出ていった。
 すれ違い様に目に映ったその車体の横には、『いなば急便』の文字と、白い兎のマークが入っている。
 恐らくはこの辺りのローカルな宅配業者だろう。
『いなば』と白い兎……因幡の素兎をモチーフにしているのだろうか。

 叔父さんは一服すると言って喫煙所へと行き、菜々子ちゃんはお手洗いへと行き、この場には自分と給油作業中のアルバイトであろう店員だけが残っている。


「キミ、都会から来たんだってね? 
 都会から来ると、驚いたでしょ? 
 何にも無いってね」

 一通りの作業を終えた店員が、何故か唐突に話し掛けてきた。
 稲羽の外から来た人、が珍しいのだろうか。

「確かに、都会と比べれば無いモノは沢山あるんでしょうけど。
 自然とかならあるんじゃないですか?」

「ま、確かに自然はあるよ。
 でも、すぐ退屈するかもね。
 高校の頃なんて、友達の所に行くか、バイトするか位しか無いし」

 店員はにこやかに話しているのだが、その様子に何故か奇妙な違和感を覚える。
 まるで、何か噛み合ってない様な、何かがズレているかの様な、不確かな何かを見ているかの様な……。

 言葉にし辛い違和感を呑み込み、逆に店員に訊ね返した。

「……バイトの勧誘ですか?」

「あっ、鋭いね、キミ。
 バイト募集中なんだ。是非考えといてよ」

 店員が差し出した手に釣られて、手を差し出して握手を交わす。
 ……妙に冷たい手だ。
 まるで……。

 しかしその思考は店員が手を離した事により中断された。

「おっと、仕事しなきゃね」

 そう言って店員が去っていった瞬間。
 耳鳴りの様な何かを感じ、思わず顔を顰める。
 それはほんの一瞬で終わったが、お手洗いから帰ってきていた菜々子ちゃんは心配そうに見上げてきた。

「だいじょうぶ? 車よい? 
 ぐあい、わるいの?」

「大丈夫だよ。平気平気」

 実際、奇妙な感覚は既に綺麗サッパリ消え去っていた。
 何だったのかは分からないが……。
 ……気の所為、かもしれない。

 それでも尚心配そうに見上げてくる菜々子ちゃんの頭を、安心して貰える様にそっと優しく撫でる。
 それでやっと安心してくれたのか、菜々子ちゃんは笑顔になってくれた。

 叔父さんが喫煙所から帰ってくる頃には給油も終わり、あの奇妙な店員に見送られながらガソリンスタンドを後にした。




◇◇◇◇◇




 次に向かったのはスーパー……と言うかジュネスだ。
 大型ショッピングモールのジュネスがこんな所まで進出しているとは驚きだ。
 いや、よく考えてみれば、ジュネスは郊外にある事の方が多いのでそう不思議な事では無いのかもしれない。
 稲羽は電車などの公共機関での出入りこそ不便だが、隣接する沖奈市はそれなりの規模の地方都市だし、自家用車とかそういった交通手段さえあれば、目を瞑れない程のド田舎という訳でもないのだ。
 ちょっと遠方からでも十分に足を運べる。
 まあ、どうであるにせよ買い物には便利な場所である。
 ネット通販が当たり前になっている今時でも、こういう店舗が比較的近隣にあるのは有り難い事だ。

 菜々子ちゃんはワクワクした様子で店内を眺めている。

「楽しい?」

 そう訊ねると、菜々子ちゃんは大輪の笑顔を咲かせ、コクッと頷いた。

「うん! 菜々子、ジュネス大好き!」

 そう言えば自分も菜々子ちゃんの歳位の時は、スーパーの売り物を眺めているだけでも楽しかった覚えがある。
 店内をウロウロ動き回り過ぎて迷子になりかけたのも、今となっては良い思い出だ。

 そんな風に昔を懐かしんでいると……。
 菜々子ちゃんと叔父さんは迷わず惣菜コーナーに行き、山積みになった出来合い弁当を手に取る。
 ……料理はしないのだろうか。

 気になったので叔父さんに訊ねてみると、どうやら叔母さんが不慮の事故で亡くなった後は、堂島家の家事の一切を菜々子ちゃんが担っているのだそうだ。
 まだ小学校に入学したばかりの菜々子ちゃんの歳を考えると、十分どころか歳不相応な位に家事をこなしてくれているみたいだが、流石に包丁や火を扱わせるのは……という事で、料理は全くと言って良い程やっていないらしい。
 叔父さんはと言うと、不器用なのか何なのかは知らないが、「料理は出来ない」との事だ。
 そんな訳で、堂島家の食卓には出来合いの惣菜ばかりが並ぶのだと言う。

 ……これは由々しき事態だ。
 個人的なポリシーやその他諸々の面から見ても、看過されてはならない事柄である。
 出来合いの惣菜を否定はしないが、毎度それでは堪ったものではない。
 不味いメシの次位に個人的に許せないのが、滅茶苦茶な食生活である。
 栄養学的観点からも、惣菜漬け生活は喜ばしいモノでは無い。
 況してや、育ち盛りの菜々子ちゃんが居るのである。
 差し出がましい事かもしれなくとも、ここはやるしかない。

「叔父さん。良ければ私が食事を作ります」

 今日久方振りに顔を合わせた姪に急にそんな事を言われて叔父さんは戸惑った様だが、畳み掛ける様に説き伏せて、堂島家の台所に立つ権利を獲得した。
 出来合いの惣菜や弁当よりは健康的な食事になるし、菜々子ちゃんや叔父さんにとっても悪くはない話だろう。

 買い物籠に入れられていた惣菜を商品棚に戻し、食材を適当に買い込んで、その日の買い出しは終了した。




◇◇◇◇◇




 実家を出てから数時間かけてやっと辿り着いた堂島家は、建ってからそれなりの年月が経ってそうな一軒家だった。
 通して貰った自室に荷物を置いてから、早速堂島家の台所をチェックする。
 冷蔵庫の中には見事な程に食材らしい食材は入ってなかったが、亡くなった叔母さんは料理を嗜む人だったのだろう、調理器具は結構良い物が揃っていた。
 これ位揃っているなら、かなり特殊な調理を求める料理でなければ大抵のものは作れるだろう。
 塩と砂糖などの調味料も、そろそろ買い足す必要がありそうではあるが、今日明日使う位なら問題は無さそうな量である。

 何を作っても構わないのではあるが、まだ菜々子ちゃんと叔父さんの味の好みが分からないので、比較的嫌いな人は少ない鮭をメインにする事にした。
 少々手間は掛かるがポワレ風に焼き上げた鮭は、匂いだけでもお腹が減ってきそうな良い香りをしている。
 そのままでも美味しいが、折角なので醤油をベースにしたソースを作っておく。
 味噌汁はアゴ出汁・昆布出汁に鰹出汁を合わせたものに白味噌を溶いて、具はシンプルに大根とワカメに。
 それにサラダを付けて、完成だ。

 無難なメニューで揃えてみた夕食は、思っていたよりも好評で、叔父さんも菜々子ちゃんも喜んで食べてくれている。
 二人の口に合った様で何よりだ。
 今度からはもう少し凝った料理にしても良いだろう。

 食べ終わる頃合いに、叔父さんの携帯が鳴った。
 それに苦い表情を浮かべた叔父さんがその電話に出ると、途端に顔付きが険しくなる。
 何か込み入った内容なのか、叔父さんは席を立って電話での会話が聞こえない位置に移動した。
 雰囲気が妙に物々しい。

「酒飲まなくてアタリかよ……」

 電話を切った叔父さんはそう溢し、壁に掛けてた上着を羽織った。

「仕事でちょっと出てくる。 
 帰りは……ちょっと分からん。
 菜々子、後は頼むぞ」

「うん……」

 そう言い残して叔父さんは家を出ていく。
 外は雨が降り始め、その雨脚は次第に激しさを増していっていた。
 ……恐らくは一晩中降り続くのであろう。

 叔父さんの車のエンジン音が遠ざかってから、気落ちした様に座り直してテレビを見ている菜々子ちゃんに声を掛ける。

「叔父さんの仕事って確か……刑事、だっけ?」

「うん……ジケンのソウサとか……。
 いつも、こうだよ」

 ……あの叔父さんの様子から察するに、あまり良くない事件が起きたのだろうか? 
 それにしてもこんな夜分から仕事とは、刑事というのも大変である。

 食器を片付けながら流れてくるニュースに耳を傾けていると、誰かの不倫騒動が取り沙汰されていた。
 正直、こういうワイドショー的なネタにはトンと興味が湧かない。
 菜々子ちゃんも詰まらないと思ったのか、直ぐにチャンネルを変えてしまった。
 変えた先では妙に耳に馴染むジュネスのCMが流れている。
 サビの部分でCMに合わせて菜々子ちゃんが口ずさむのが可愛らしい。
 余程、ジュネスが好きなのだろう。

 片付けを終えてお風呂が沸くまでの間、のんびりと菜々子ちゃんと話をする。
 話をすると言っても、菜々子ちゃんの語る内容に相槌を打ったり時折質問したりするだけの聞き役に徹していたが。
 お風呂が沸く頃には、菜々子ちゃんとの距離は大分縮まった。
 まあ元々、会ったばかりの親戚に戸惑っていただけで、別に嫌われたり怖がられたりしていたのではなかったみたいだけど。

 お風呂から上がってからも、菜々子ちゃんとは沢山話をした。
 叔母さんが亡くなってからというものの、叔父さんは仕事で忙しいしで、家で誰かと沢山話すというのは久々だったのだろう。
 話たい事が後から後から沸いてきている菜々子ちゃんの話を、微笑ましく思いながら聞き続けた。
 その内に話し疲れてきたのか、菜々子ちゃんはウトウトと船を漕ぎ始める。
 夢現状態の菜々子ちゃんを、菜々子ちゃんの部屋まで連れていき布団に寝かせると、あっという間に安らかな寝息が聞こえてきた。

「……お母……さ……ん……」

 寝言なのだろうけれど、そう呟いた菜々子ちゃんの頬には涙の雫が光っている。
 それを手で優しく拭ってから、安心させる様にそっと菜々子ちゃんの頭を撫でた。

「お休み、菜々子ちゃん。……良い夢を」






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