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彼岸と此岸の境界線

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【2011/07/24】


 りせとの約束を果す為、りせの店番が終わる頃合いを見計らって家を出ようとしたところ、菜々子がりせに会いたいと言い出した。
 ……前に菜々子と交わした、りせに一緒に会いに行くという約束は、りせの事件やその後のゴタゴタもあって結局未だ果たされていないままである。
 どうしたものかと一瞬悩んだが、取り敢えずりせに連絡して、菜々子も連れて行っていいかどうかを尋ねた。

 直ぐ様りせから歓迎する旨のメールが返ってきたので、菜々子にそれを伝えて一緒に行くかと訊ねると、一も二も無く即座に首をブンブンと縦に振る。
 そして、りせちゃんに会うのだから、と、菜々子は取って置きのよそ行きの服を着て、何時も髪を結んでいるリボンを少し大人っぽいものに変えて、精一杯のおめかしをした。
 本当にりせに会えるのが嬉しくて仕方が無いらしい。
 まあ、テレビの中の憧れの人に直接会えるともなれば、その気持ちは分からないでもないのだけれど。

 そんな風にソワソワする菜々子の身支度を手伝い、手土産代わりに作っていた桃とベリーのフルーツ大福をケースに詰めてから家を出た。




◇◇◇◇◇




「先輩、いらっしゃい。
 菜々子ちゃんは初めましてだね」

 丸久豆腐店を訪れると、丁度店番が終わった所だったらしく、割烹着を脱いだばかりのりせが出迎えてくれた。
 初めて直接会うりせに、菜々子は緊張や嬉しさ等が相俟った感情からあわわっと頬を赤らめ。

「は、はじめまして、堂島菜々子です」

 やや上擦った声でペコリと頭を下げて挨拶をした。
 そんな初々しく愛らしいファンの姿に、りせも綻ぶ様な笑みを浮かべる。
 アイドル云々を抜きにして、会っただけでこんなに愛らしい反応をしてくれれば嬉しいのだろう、きっと。
 りせは菜々子が精一杯のおめかしをしている事にも気付いた様で、さらりと菜々子の格好も褒めた。
 褒められた菜々子は、益々頬を赤らめて照れるが、嬉しくて仕方が無いといった表情を浮かべている。

「あっそうだ、はいこれ。
 手土産と言うか、お菓子だけど、良かったらどうぞ」

 忘れる前に手土産代わりのお菓子をりせに渡した。
 店売りのものなんかと違って入れ物はちゃちなものだから、手作りである事は直ぐに分かったのだろう。

「えっ、これ……もしかして先輩の手作り!?」

 驚いた様な顔で、りせは手の中の菓子とこちらとを交互に見ている。

「まあね。店売りのものじゃなくて悪いけど。
 味は悪くは無いとは思うよ」

 そう言うと、りせはブンブンと首を横に振った。

「ううん、先輩の手作りの方が、ずっと嬉しい!
 私、その……こう言うの、憧れてたんだ」

 憧れ? と首を傾げていると、りせは少し自嘲する様に説明する。

「うん、私……あんまり友達が居なくってね。
 まあ、学校に中々顔出せてなかったから、しょうがないんだけど。
 だから、こうやって友達がお菓子を手作りして遊びに来てくれるのとか、凄く……良いなって思ってたの」

 それが叶って嬉しいのだと、りせは花が綻ぶ様な笑みを浮かべた。
 ……喜んで貰えるなら、それが何よりである。
 暫しの沈黙がその場に落ちたが、不意に菜々子が顔を上げた。
 りせの話の内容全てを理解した訳では無いのだろうが、菜々子はりせに何かを伝えようと言葉を探すかの様な仕草をして、「あのね!」とりせに声を掛ける。

「お姉ちゃんが作るおかし、とってもおいしいんだよ!
 りせちゃんもきっと、おいしくってしあわせなきもちになれるよ!」

 そんな唐突な菜々子の言葉にりせは目をパチパチと瞬かせたが、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。

「そうなんだ。
 食べるのが凄く楽しみになったよ。
 ありがとうね、菜々子ちゃん。
 あ、そうだ。
 折角だから、家に上がって皆で一緒に食べようよ」

 ほら上がって上がって、と促され、菜々子と二人で家にお邪魔する。
 冷えた麦茶と共に、皿に盛られたフルーツ大福が出された。
 二人が手を付けたのを見てから自分も手を伸ばす。
 味見はちゃんとしてあるので、個々人の嗜好により好みは多少別れるかもしれないが、問題は無い味の筈である。
 一口食べたりせは驚いた様に目を丸くした。

「美味しい……」

 そう呟く様に言うと、残りをあっと言う間に食べ終える。
 そして、幸せそうにその目元を綻ばせた。
 菜々子もニコニコと笑顔を浮かべながら食べている。

「先輩、本当にお菓子作り上手なんだ。
 先輩の気持ちが沢山籠った優しい美味しさで……。
 なんか凄く幸せな気分になれちゃった」

 新しい大福に手を伸ばしつつ、「ねー」と、菜々子と顔を合わせてりせはそんな事を言う。
 そう喜んで貰えて、こちらも嬉しい。
 ケーキか何かにしようかとも迷っていたのだが、どうやらりせは実は洋菓子よりも大福などの和菓子の方が好きであるらしく、その点を踏まえてもフルーツ大福という選択は良かったのだろう。

 その後三人で他愛もないガールズトークをしながら時間を過ごし、日が傾き始める頃には菜々子とりせはすっかり仲良しになっていた。
 少し名残惜しそうにお互いに手を振って別れる菜々子とりせを微笑ましく見詰めつつ、その日は家へと帰ったのであった。





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【2011/07/25】


 朝方から降り続いていた雨は昼休み前には上がり、今日一日の残りは曇りが続くらしいが、明日は夜中まで降り続くらしいと天気予報は述べていた。
 ……恐らくは《マヨナカテレビ》が映る条件は整うのだろう。
 “模倣犯”の件で【犯人】がどう動くのかは分からないが、一先ずは今まで通りに《マヨナカテレビ》をチェックするしか無い。
 何か新に分かれば良いのだが……。


 昼休みに皆で昼食を取っていると、【犯人】の事で少し憂鬱になっていた気分を吹き飛ばす程に喜ばしき事が起きた。
 先日の期末試験の結果が早速貼り出されたのだが、巽くんが脱赤点・補習回避を達成していたのだ。
 赤点スレスレだろうと脱赤点は脱赤点。
 巽くんの努力が見事に実を結んだのである。
 実に喜ばしい事だ。
 実際、貼り出された試験結果を見た巽くんは感極まったかの様に瞳を僅かに潤ませて、同じく赤点と補習を回避出来たりせと共にお互いの健闘を讃えあっていた。
 二人とも口々に、勉強会を開き続けてきた事に対する感謝をこちらに述べてきたのは少し面映ゆくはあったが。
 花村は中間よりも成績を向上させていた事にガッツポーズを決め、中間とあまり変化が無かった天城さんと里中さんは、花村に越されて少々落ち込んでいた里中さんを天城さんが赤点は一つも無いんだからと慰めている。
 一条は相変わらず上から数えた方が遥かに早い所にその名を連ね、長瀬はと言うと芳しくは無かったものの部活動に支障を来す程のモノでも無い様である。
 概ね期末試験の結果は悪くは無いのであった。

 さて結果も発表されて試験から完全に解放された喜びからか、花村が早速夏休みの計画を練り始めている。
 原付もある事だし、一緒に海にでも遊びに行こうかという話になると、巽くん以外の三人がそれに食い付いてきた。
 三人とも免許は持っていないが、各々年齢的には原付免許修得の資格はあるし、原付を使用出来る環境であったのが背を押したのか、(巽くん以外が)原付免許を取って皆で海に行く事になった。
 年齢的にまだ免許を取れない巽くんは少し寂しそうだが、まああの体力があれば自転車でも十分原付と並んで走行出来るだろう。
 ……と、なると問題は年齢以前の問題で免許など取れないだろうクマなのだが、花村が「いっその事車輪でも付けて牽引すれば良い」と口にした所、天城さんのツボにハマってしまったらしく笑い袋を弾けさせてしまう。
 まぁ牽引云々は冗談として、昼休みが終わるギリギリまでそんな感じに楽しく先の計画を立てていたのであった。





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 放課後。
 話したい事があるのだと、小西くんに連れてこられたのは、鮫川の河川敷だった。
 川辺に着いても何も言わないまま小西くんは手近な所に落ちていた小石を拾い、それを川面に投擲する。
 石は二度三度と水面を切ったが、直ぐに沈んでいってしまった。

「はは……。
 姉ちゃんは水切り上手かったんすけどね、俺は下手くそで……。
 いっつも勝負しては、俺ボロ負けしてました」

 川底に沈んでいった小石を眺めつつ、小西くんはポツリとそう語る。
 そして小石を掴んでいた掌に数秒目を落とし、再び目線を上げて小西くんは川面を見詰めた。

「家から近いし、小さい頃はしょっちゅうここで姉ちゃんと遊んでたんです。
 昔……ここで姉ちゃんと遊んでた時……。
 姉ちゃん、身軽だから、向こう岸まで石伝いにヒョイヒョイって渡ってっちゃって……。
 俺、恐くてこっちから見てて……。
 そしたら姉ちゃん、手ェ振って、そのまま向こう岸の林の方へ消えちゃって……。
 俺、不安になって、スッゲー泣いて姉ちゃん呼んで……。
 そしたら、こっそり橋渡ってきてて後ろから、『わっ!!』って驚かされて、俺、チビって……。
 ……ははっ。
 何か最近、この事ばっか思い出すんです」


 そう少しだけ明るい口調で話ながらも、哀しみを湛えた目で小西くんは川の対岸を見詰める。
 ……いや、小西くんが本当に見ているのは、目の前の対岸ではなく目には見えぬ彼岸だろうか。

「……きっと、今と同じだから。
 ……線が引かれたんすよね。
 居なくなった姉ちゃんと、残った自分と。
 姉ちゃんは向こう岸で、俺はこっち……。
 ……でも、あの時とは違う……。
 ……俺が幾ら泣いても、どんだけ呼んだって。
 …………もう姉ちゃんは戻って来ない……」

 目を閉じて小西くんは頭を振る。

「ずっと考えない様にしてた……。
 けど、やっと……向き合える気がします。
 鳴上さんの、おかげです」

 その言葉には思わず首を横に振った。
 自分はただ小西くんの傍に居て……そして少し話をしただけだ。
 自分は大した事をしてない。
 向き合う事を決めてそれを実行したのは、小西くん自身である。

「私は何もしていないさ。
 全て、小西くんが自分で決めて行動していった結果だ」

 すると小西くんは静かに首を横に振って、そして僅かに表情を和らげる。

「いえ……こうやって、連れ出してくれました。
 俺に話し掛けて、話聞いてくれて……。
 俺……俺なんかに、意味が無いと思ってた。
 でも、俺の為にこうやって時間をくれる人がいるって事が……。
 凄く、嬉しかった……。
 だから、こんな事も出来ました」

 そう言って小西くんが手渡してくれたのは、ジュネスでのレシートだった。
 シュークリームを、四つ買ったという内容レシート。
 小西くんと過ごした時間があるからこそ、その意味が、このレシートの重みが、自分にも理解出来る。
 これは……小西くんが一歩踏み出した、その証だ。

「俺にとっては、ただのレシートじゃないです。
 ただの買い物じゃ、ないんです。
 だからこそ、……それを鳴上さんに渡したかった。
 ずっと傍に居てくれた、あなたに」

 そう言って、小西くんはこちらを真っ直ぐ見詰めてきた。
 その思いを受け止め、一つ頷く。
 自分が踏み出したその証を、預けてくれた。
 そんな確かな信頼の形を、決して無くさぬ様に大切にしまう。
 それを見届けた小西くんは、屈託無く晴れやかに笑って告げる。

「俺ね、家、ちゃんと手伝おうと思うんです。
 勿論学校はちゃんと行くから、放課後と休日だけだけど……。
 ……姉ちゃんが死んだって事、俺ら家族、全然受け止められてないんです。
 だから、何て言うのか……。
 “絆”を深めないとなって……。
 それが、俺に出来る最初の一歩かなって。
 ……鳴上さん、いつか……いえ今度、ウチの酒屋に遊びに来て下さいね。
 ジュネスなんか目じゃないって位、繁盛する予定なんで」

 また新たに自ら踏み出して行こうとする小西くんの意志に、そしてその笑顔に。
 ……きっと、もう小西くんは大丈夫だと、そう感じた。

「ああ。必ず、遊びに行くよ。
 その時は、よろしく頼む」

 その日は、きっと遠くは無い筈だ。






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