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彼岸と此岸の境界線

◆◆◆◆◆






【2011/07/10】


 夜間に付近を覆っていた霧も晴れた早朝……。
 朝食の支度をしていると、叔父さんが飛び起きて慌ただしく支度をするなり飛び出していってしまった。
 遠くからはパトカーのモノと思わしきサイレンの音も聞こえてくる。
 何か、事件でも起きたのだろう。
 ……昨晩の《マヨナカテレビ》には何も映ってはいなかった……。
 だから、【犯人】とは関わりの無い事件なのだろうけれども……。

 しかし、そんな考えは直後に掛かってきた電話で打ち消された。
 里中さんから掛かってきたその電話は、気が動転した声で“商店街の外れで死体が発見された”のだと伝えてくる。
 久慈川さんは助けた筈なのに、と取り乱す里中さんは、『とにかく、ジュネスで待ってるから直ぐに来て』と、電話を切ってしまった。

 ……死体が発見された、か。
 ……一連の【事件】なのか、或いは何らかの事故又は殺人か。
 ……【犯人】と関係しているのかは分からないが、一先ずジュネスに行かなくてはならない。
 起き出してきた菜々子に外出する事を伝えてから、直ぐ様家を飛び出し、一刻も早く向かおうと、原付を走らせた。





◆◆◆◆◆





 ジュネスの何時ものフードコートに着くと、既に里中さんに天城さん、それに巽くんが集まっていた。
 が、距離的には一番乗りであろう筈の花村の姿は見えない。
 里中さんが説明するに、どうやら花村は現場を確認しに行った様だ。
「多分もうそろそろ帰ってくる」と里中さんが言うのとほぼ同時に、息を切らせた花村が到着したばかりのエレベーターから飛び出してきた。
 もしかしなくても、現場からずっと走ってきたのだろう。

「……やっぱ、殺人だ。
 死体、アパートの、屋上の手摺りに、逆さに、ぶら下がってたって……」

 花村はテーブルに駆け寄るなり、息も切れ切れにそう報告する。

「そんな……」

「しかも、殺されたのは……」

 項垂れて気落ちする天城さんに目をやりながら、花村は乱れた呼吸を整えてから、一気に言う。

「“モロキン”だ」

 途端に、里中さんと巽くんがガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。

「モ、モロキン……!?」

「モロキンって、あのモロキンか!?
 先輩らの担任の……」

 動揺を顕にする二人と同じく、こちらも動揺を隠し切れない。

「諸岡先生が……?」

 確かに諸岡先生だと、実際に見た人間が現場に居たらしい。
 ……まさか、諸岡先生が……。
 ……胸を支配したのは、哀惜と言うには少し違う様な……だが、哀しみを孕んだ何処か虚無的な感情だった。
 ハッキリ言って、その現場を直接的に目にした訳では無い為、実感などは沸き様も無い。
 が、花村がそんな事に虚偽を述べる必要性など存在しない為、それは事実なのだろうとは理解している。
 自分にとっては、ただの担任というだけで、まだ出会ってほんの数ヶ月だし、特に深く交流した覚えも無い。
 好きな教師……では無かったが別に嫌いと言う訳ではなく、諸岡先生への感情は極めてフラットなものだったと思う。
 まあ、周りのクラスメイトたちが悪し様に吐く悪態程には、諸岡先生が悪い教師とは思えなかったのは確かだが。
 しかし、それだけである。
 それでも。
 昨日帰り際に見掛けた諸岡先生の姿が、自分が最後に覚えている先生の姿なのかと思うと……やはり哀しかった。
 ……だが、諸岡先生に【犯人】からのターゲットになる要素などあっただろうか。
 勿論、ここに来て【犯人】が趣向を替えた可能性もあるのだが……。

「何か色々と分かってきた様な気がしてたけど……。
 全部、偶然だったのかな……。
 《マヨナカテレビ》の事とかも……」

 天城さんはそう言って意気消沈して項垂れる。
 里中さんも似た様な表情だ。

「くそっ! ここに来て振り出しかよ!」

 花村はそう苛立ちも顕に、机を叩いた。

「やっぱ、ムリなのかな……。
 警察にも捕まえられない【犯人】を私たちでってのは……」

 そう弱音を吐いた里中さんの意見に、花村と天城さんも同調しかける。
 ……が。

「いや……まだだ。
 諦めるにはまだ早い」

 こちらの発言は場に一石を投じた。
 花村が弾かれた様に顔を上げる。

「今迄の事件の時と状況が似ているからといって、確定するにはまだ情報が足りない。
 彼方の世界が犯行に使われたのかすらも、現段階では分からない。
 それなのに、もう諦めるのか?」

 アパートの屋上の手摺に逆さ吊りにされていた、というのは確かに今迄の遺体発見時と《《似た様な》》状況だ。
 だが、アパートの屋上は、どうやって吊り下げたのかすら不明なアンテナやら電柱やらとは違い、まだやろうと思えばやれなくも無い。
 もし彼方の世界を犯行に使用していないのなら、そこから先は警察の領分だ。
 ……そしてその場合、今回の件の犯人が【犯人】と同一人物であるのかは、やや疑問が発生する。
 そもそも、この稲羽で殺人事件が起こったからといってそれが=【犯人】の仕業であるとは限らない。
 全く別の人間が、【犯人】の犯行に見せ掛ける為に、態と遺体をそう吊り下げたという可能性も十分に有り得る。
 勿論これが【犯人】の仕業で、今までの仮定が全て間違っていただけだったという可能性だってあるだろう。
 どちらにせよ、まだ情報が足りない段階で決め付けるのは早計だ。

「あっ……そっか。
 そうだよな……。
 まだ何も分かってねーのに……、勝手に諦めちまうトコだった……。
 ありがとう、鳴上。
 お陰で何か目が醒めた」

 先程までの弱気は何処かへと消え去った力強い目で、花村は頷いた。

「そっスよ、先輩。
 泣きゴト言ってる場合じゃねえ……。
 俺らなりのやり方で、前進むしかねえんだ。
 ここまで身体張って来たんスから、今更こんなトコで引き下がってられねーっスよ!」

 巽くんも力強くそう言い切って頷く。
 それに、花村は「完二のクセに生意気だ」と少し笑いながら悪態を吐いた。
 何時もの調子に戻ってきた所で、クマに会いに彼方の世界に行ってみないか、という話になる。
 暫くは修行に励みたいとの事だったが、久慈川さんの一件からそれなりに時間が過ぎているし、一先ず様子を見るのも良いだろう。
 彼方の世界に異常がなかったかどうかも訊ねなければならないのだから、丁度良い。
 そうと決まれば、と早速家電売り場に向かう事となった。





◆◆◆◆◆





 家電売り場に着くと、何やら店員たちが困った様な顔をして話し合っていた。
 そもそも店員がここに居る事自体が珍しい事だ。
 ……何かあったのだろうか?
 花村が訊ねてみた所、どうやら売り場に奇妙なキグルミが居座っているらしい。
 何かのキャンペーンだとは店員たちは聞いてなかったらしいのだが……。
 どうやら、その奇妙なキグルミは“熊田”と名乗ったらしい。
 …………。
 ……着ぐるみに、“熊田”……か。
 熊田……クマダ……クマだ……。
 …………まさか、な……。

 店員たちは、花村にそう報告するなり、自分達の持ち場へと帰っていってしまう。
 花村も困惑した様な顔をこちらに向けてきた。
 こちらも、思わず曖昧な顔になってしまう。
 そんな何とも言えない空気は、辺りをキョロキョロと見渡していた里中さんが唐突に上げた声に掻き消された。

「うわっ、いっ、居たーっ!!」

 ハッと思わずその場の全員がそちらを見やり、そして全員が絶句して叫ぶ。


「「「「クマーッ!!??」」」」


 そこに居たのは、マッサージチェアを堪能して恍惚の表情を浮かべている、あの見慣れた……だがこちらでその姿を見掛けるとは想像もしていなかった、クマだった。

 以前別れた時の身窄らしい姿とは打って変わって、見慣れたフサフサの毛に覆われた着ぐるみの姿である。
 慌てて駆け寄ると、クマは何の事も無いかの様に「待ってたクマよー」と何時もの様に声を掛けてきた。

「ちょっ、何でお前がここに居るんだよ?!」

「えっ、クマさん……出ちゃって大丈夫なの?」

「つかテメェ、出れるんかよっ!?」

 唖然とした表情でクマを問い詰める花村と天城さんと巽くんに、クマは何て事も無い表情で答える。

「そりゃ出口があるんだから出れるクマよ。
 今までは、“出る”って発想が無かっただけクマ。
 でも、皆と居る内にこっちの事に興味が沸いてきて……。
 試してみたら、あっさりこっちに来れたクマ」

 そして、マッサージチェアが丁度良い所に来たのか、「あーそこそこ」と寛いだ声をクマは上げる。
 “出口”があるから、か……。
 まあそう言われればそうなのかもしれない。
 ……特に今の所はクマに異常などは起きてはいなさそうだが……。

「でも、こっちに来てみてもよく考えてみれば行くトコ無いし、戻るのは勿体無かったからココで待ってたクマよ。
 あ、さっき名前を訊かれたから“クマだ”って答えといたクマ!」

 そう楽し気に報告してくるクマに、思わず皆で苦笑いを浮かべてしまった。

「あー……それで“熊田”、ね」

 呆れた様に笑う里中さんに、花村が一つ咳払いをして場の雰囲気を整える。

「あのね、クマさん。
 一つ訊きたいんだけど、クマさんは何時からここに?
 向こう側に居る間に、誰か来なかった?」

 天城さんにそう訊ねられ、クマは少し記憶を辿るかの様に僅かに左斜め上に目をやった。

「んー……コッチの霧が晴れる迄は向こうに居たクマよ。
 でも、その間は誰も来なかったクマ」

 ……誰も来なかった、か。
 つまり今回の諸岡先生の件では、彼方の世界が犯行に使われてはいない、という事か……?
 …………。

「それ、ホントか?
 本当に誰も来なかったのか?
 まさかとは思うが、鼻が詰まってたなんてオチじゃねーだろうな」

 訝しむ様にそう念を押して訊ねてくる花村に、クマは噛み付き気味に返す。

「むー、ヨースケのクセにやけにしつこいクマね。
 無かったっちゅーとるでしょっ!!
 相変わらずクマはロンリーボーイだったクマ!
 だからコッチに来たクマよ!
 まー、ヨースケが信じないって言うなら仕方ないですけどー。
 前からクマ探索能力、落ち目ですしー」

 終には拗ねてしまったかの様に、クマはそっぽを向いてしまう。
 そんなクマに、軽く首を横に振ってみせた。

「いや、私はクマを信じるよ」

 あの世界の住人であるクマが違うと言い張っているのに、あの世界が犯行に使われたと考え続けるのはナンセンスだ。
 確かにクマの力は最近弱くなり始めてはいたが、それでも誰かがあの世界に居るのか居ないのか位はハッキリとでは無くとも把握していた。
 そんなクマが胸を張って違うと答えているのだ。
 それを信じなくてどうしろと言うのだろう。

「おぉ……、センセイは優しさに満ちてるクマね~。
 ヨースケとは大違いクマ」

 途端にコロッと機嫌を直したクマがそう喜びも顕にした笑顔で答えると、花村は後頭部をガシガシと掻きながらクマに謝った。

「あー、疑って悪かったな、クマ。
 ま、確かに……昨晩のテレビには何にも映って無かったしな……。
 《マヨナカテレビ》の時間の直ぐ後にコッチで霧が出たんだし、あの世界が犯行に使われたんだったら、あの時間帯に何も映らなかったってのも不自然か……」

 花村の言葉に、天城さんと里中さんが同意する様に頷く。
 そんな中、クマは空気を読まずに、「何処かに行きたい」と言い出し始めた。

「何処かって、……何処に?」

 どうやら彼方に帰る気は無さそうなクマにそう訊ねてみると、何やらゴソゴソとしてクマが何かを渡してくる。

「んーりせちゃんのトコ!
 これ渡さなきゃだし!」

 渡されたのは、恐らくは久慈川さん用のモノであろう眼鏡だった。
 成る程、確かにこれは久慈川さんに渡しに行く必要がある。
 前に丸久さんに訊ねた感じでは、そろそろもう復帰出来る頃合いだろう。
 今日辺りにでも訪ねに行きたいものだ。

「りせちゃんのバックアップ能力があるので、クマはバックアップから卒業してこれからはセンセイ達と一緒に最前線でバリバリ活躍するクマになるクマよ!
 今迄のクマと同じと甘く見て貰っちゃ困るクマ!
 これからは!
 戦って良し、守って良し、笑顔も良しの三拍子揃った“クマスペック2”、参上クマ!
 今ここに新たなるクマ伝説の幕開けクマよ!!」

 そう決意も新たに気炎を上げて宣言するクマに、何故か“伝説”の部分に感銘を受けた天城さんが拍手を送る。
 そんなクマの人目を憚らないハイテンションっぷりと目立つ容姿に、親子連れ等が何かの見世物かとばかりに集まってきた。
 店内の他の客の視線もどんどんと集まってくる。

「ゲッ、ちょっとクマ、お前人目を惹きすぎなんだよ!
 あーもう、兎に角一旦場所移さねーと!」

 花村は頭を抱えつつそう言って、マッサージチェアに未練を残すクマを引き摺って、何時ものフードコートへと移動した。





◆◆◆◆◆





 暑い日射しが照り付けるフードコートでも着ぐるみ姿のクマは注目を集めていたが、まああのまま家電売り場に留まるよりはずっとマシだろう。
 取り敢えず、と皆で状況を整理し直す。

 念の為にもう一度クマに訊ねてみたが、やはり久慈川さんの救出後からこちらで発生した霧が晴れる迄の間に、自発的か否かは問わずに彼方の世界にやって来た人間は居なかったのは確かなようだ。

「っつー事は、モロキンの件はこっちの世界で行われた犯行って事になるんだろーけど……」

 ウーンと唸る花村に同調するかの様に、リボンシトロンで喉を潤しつつ里中さんも首を捻る。

「なーんでモロキンだけはテレビに入れなかったんだろ……。
 モロキンだけは“特別”って事?
 でも、何で……」

「分かんない、けど……。
 やっぱり、“怨み”、とかなのかな……」

 天城さんも悩みつつ、己の考えを口にした。
 “怨み”、か……。
 こちらの世界での犯行、という事は、被害者を直接的に殺傷する必要性がある。
 これは中々難しい話だ。
 勿論、何かの弾みだとか、カッとなってだとか……ある種意識せずに人を殺してしまうと言う事はある。
 それでも、人間が別の人間を殺傷する、と言うのは大抵はかなりの心理的抵抗がある筈だ。
 それを乗り越えるのには、それこそ怨みだとかの強い感情が必要になる。
 中にはサイコパス等と呼ばれる様な人間や、精神的に異常な状態にある人間も居るには居るが……。
 どうであるにせよ、今重要なのは、今回の諸岡先生の一件での《《犯人》》と、今迄の件の【犯人】は、同じと言い切れない部分があると言う事だ。

「でも、何だって急にこっちの世界で殺す事にしたんだ?
 足が付かない様に、あっちの世界を使ってたんじゃねーのか……?
 しかも、今迄は“殺す”っつー目的でも無かったぽかったのに……」

 頭を抱えて悩む花村を横目に見つつ、天城さんが迷いながらもポツポツと意見を述べ始める。

「分かんないけど……。
 でも、もしかして……“実験”、だったんじゃないかな……」

 “実験”と言う言葉に、クマを除いた全員が顔を上げて天城さんを注視した。

「“実験”……スか?」

 今一つよく分かっていない巽くんが首を傾げる。

「うん……。
【犯人】が、もし事故で山野アナをあっちに放り込んじゃったんだとして……、そして【犯人】があっちの世界に放り込んで放置してたら死んじゃうって事を知らなかったら……。
 山野アナの遺体が見付かって初めてその可能性に思い至ったんじゃないかな。
 それで、それを確かめる為に、小西先輩を入れて、私達も入れた。
 何時か、本気で殺したい人間を殺す時の為の手段に使えるか、確かめる為に」

「そんなの……」

 天城さん自身、自らが至った考えに若干顔を青褪めさせつつそう説明し、それを聞いた里中さんは絶句した。

「……今まで《マヨナカテレビ》に映った人がターゲットにされたのは……」

 花村は苦虫を噛み潰した様な顔をする。

「……それこそ、実験対象は『誰でも良かった』から……なのかも知れないな……。
 単純に、《マヨナカテレビ》で意識に留まったから、丁度良いかと、思ったのかもしれない」

 だから、ターゲットが生還しても、何のアクションも取らなかった……。
【犯人】にとっては、ターゲットが生還した所で、単にモルモットが生きていた程度の感慨しか無いから。
 態々モルモットを殺す必要性を感じて無かったから、放置した……のかもしれない。
 その可能性は、完全には否定出来ないだろう。
 花村もその考えに至ったのか、ギリッと歯を砕かんばかりに噛み締める。

「でも……私以降は皆、ターゲットが助かってるから……。
 それで、確実に殺す為に、諸岡先生はこっちで直接手を下したのかも……」

 ……【犯人】の《《真のターゲット》》は諸岡先生で、それ以外はただの実験過程でのモルモット、か。
 ……もしそうなら、【犯人】の思考回路は確実に狂ってる。
 考えるだけでも、ゾッとする話だ……。

 そんな中、ガンッと音を立てて花村がテーブルに拳を叩き付けて立ち上がった。
 固く握り締め過ぎたその掌には、確実に爪が食い込んでいるだろう。
 そして、己の内に渦巻く憤りを抑え様ともせずに、花村は吼えた。

「何なんだよ……。
 何なんだよ、それは……!
 先輩は、ただのモルモットとして殺されたってのかよ!
 そんなの……。そんなのって……!」

 その先はもう言葉にならなかったのだろう。
 剰りの激情に、目の端に僅かに涙を浮かべた花村は、荒く息をして、力無く椅子に座り直した。
 …………。
 今迄の犯行がただの実験であったと言う説は、どう考えてもあやふやな今迄の犯行での【犯人】の目的に対してかなりの説得力がある。
 十分に可能性として考慮すべき事柄だ。

 しかし、やはりそう考えたとしても【犯人】の行動原理は理解し切れない範疇にある。
 何故態々、人間を拐ってまでモルモットとして使ったのだろう。
 それこそ、犬猫等から始めてみても良かったんじゃないだろうか……。
 この稲羽では猫が見付からないだけでも十分にニュースになるのだから、犬猫の変死体だって十二分にニュースとして賑わうだろう。
 死ぬかどうかという成果を確かめたいだけならそれこそ動物でも良いだろうに……。
 それをせずに、態々人間を拐うというリスクを侵す必要性は何処にあるのか……。

 ……“変死体”……?

 何かが僅かに引っ掛かった。
 もう一度よく考えてみる。

 そもそも山野アナと小西先輩の遺体の発見状況がああなったのは、【犯人】の意図した所では無い。
 彼方の世界を犯行に使用した事による副産物的な結果でしか無いからだ。
 が、今回の件はこちらの世界で行われた。
 ならば、諸岡先生の遺体が吊るされていたのは、犯人の行為によるものであり、それを意図したからである。
 そこが、《《そここそ》》が問題だ。

 《《そもそも》》【《《犯人》》】《《には死体を変死体にする必要性など存在しない》》。

 例えば、今回の諸岡先生の遺体が、極普通の状況(まあ道端に倒れてたりとか)だったら、山野アナや小西先輩の件と同一犯の仕業とは考えないだろう。
 万が一逮捕された場合に、一人殺しているのと三人殺しているのとではその罪の重さは全然違う。
 つまり、【犯人】には今までの犯行と今回の犯行を態々結び付ける必要性など無いのだ。
 愉快犯的な、世間を騒がせたり注目させたいという目的なのならば話は別であるが。
 しかし、今回の諸岡先生の件が“怨恨”に依るモノであるならば、愉快犯とは言えないだろう。
 そして、今まで狡猾な面を見せていた【犯人】が、今更そんな事をする様には考えられない。
 ならば、何故か。
 それは、今回の件の犯人が、自分の犯行を、【犯人】の仕業だと擦り付ける為なのではないのか?
 或いは、所謂“模倣犯”の様なモノなのかもしれないが。
 そして、今回の件の犯人が【犯人】で無いからこそ、彼方の世界を犯行に使用しなかった。
 何故ならば、そもそもその存在を知らなかったから。
 その可能性も、十分に考慮すべきなのではないだろうか。

 纏めた考えを皆に話すと、皆は納得した様なそうで無い様な……若干煮え切らない表情を浮かべた。

「その場合だと、【犯人】の他に、今回の件の犯人が別に存在するって事だよな……」

「模倣犯……か。有り得るの……かな……?」

 花村と里中さんはウーンと唸る。
 ……まあ、殺人犯が【犯人】と模倣犯の二人居ると考えるよりは、【犯人】一人と考えた方が精神の衛生上は良いのかも知れないが。

「まあ、全てはまだ推論の域を出ない。
 まだ情報が足りないから、どうであるにせよ結論付けるには早過ぎる。
 ……それに、だ。
 今回の件には彼方の世界が関わっていないのだけは確かなのだから、それは警察の領分なんじゃないだろうか」

 クマと約束したからと言うのは勿論あるのだが、元々は彼方の世界を使った犯行は現在の警察の手に負えるモノでは無いからこそ独自に【犯人】を追っていたのだ。
 今回の件が【犯人】に依るモノであるにせよ、模倣犯に依るモノであるにせよ。
 こちらの世界での犯行なのだから、それを解決するのは警察の仕事である。
 警察が解決すべき……或いは可能な事柄にまで首を突っ込んで行く程、自分達は自惚れてもいない。

「あーそっか……。
 それもそう、だよな……」

 何処か残念そうに花村は頷く。
 ……まあ、その気持ちは分からないでも無い。

「今回の件が【犯人】の仕業で、それで警察に逮捕されるのなら一連の事件はそれで解決し、以降の犯行は起きない。
 まあ、自分達の手で【犯人】に辿り着けないのは多少納得はいかないが、それでもそれは歓迎すべき事柄だ。
 そして、今回の件がただの模倣犯である場合……、【犯人】は他に存在するし、彼方の世界を使った犯行が今後も続くかもしれない。
 それならば、私達がそれを追えば良い。
 そうだろ?」

 そう訊ねると、今度は皆が納得した様に頷いた。

「そして、現段階で私達に出来る事は、“情報を集める事”。
 だから、今は久慈川さんに会いに行こう」

 眼鏡を渡す用件もある事だし、丁度良い。

「うん、そうだね。
 りせちゃんの話から、新しく何か分かるかもしんないし。
 んじゃ早速、商店街に行っちゃう?」

 里中さんがそう提案し、皆が立ち上がろうとしたその時。

「はぁ~それにしてもココ暑いクマねー。
 もうクマ限界……。
 ……うん、取ろ」

 今迄議論に参加していなかったクマがそう言うなりゴソゴソと頭に手をかけ始めた。

「オイオイ、取るって……、まさか、頭をか!?
 ちょっ、止めろよ!?
 子供が見てんだろ!
 中身もねーのに動いてる着ぐるみなんて、確実にチビッ子達のトラウマになんだろ!
 気ぃ遣えよ、こら!」

 慌ててクマの頭を押さえ込んだ花村は、辺りを見渡して僅かに呻き、そう言い聞かせる様にクマの耳元で話す。
 炎天下とは言え、休日かつ晴天のフードコートはそれなりの人で賑わい、子供たちも沢山居る。
 さっきまでの議論に夢中になっていた為に気付かなかったが、愛嬌のあるクマはそんなチビッ子達の注目の的であったのだ。
 押さえ込まれて不満気な顔をしたクマに、天城さんが少し冷や汗を浮かべながら、「毛が元通りになって良かったね」、とクマの気を逸らせ様とする。
 確かに、あのペラペラでボロボロの状態からこうも見事に復活出来たのは、驚嘆に値する事である。

「元通りじゃないクマよ。
 クマはスーパーなクマに進化したクマ!
 センセイと千枝ちゃんと雪ちゃんを逆ナンせねばと励んだ結果、中身あるクマになったクマ!」

 クマはチッチッチッと指を振って、そうドヤ顔を披露した。

「あーはいはい、偉いねー、クマくん」

「もう、逆ナンネタ何時まで引っ張るのよ」

 里中さんはジョークとでも思ったのか苦笑いでクマの発言を流し、天城さんは何時までも弄られる逆ナンネタに落ち込んだ。

「あーもう限界!
 これ以上はクマの中身が溶けちゃうクマ!」

 エイヤ、と自分の頭部にのし掛かっている花村を押し退けて、クマは素早く自分の頭を外してしまった。


「「「「「…………!!??」」」」」


 その場の全員が、唖然としてクマを見る。
 クマの着ぐるみの中から出てきたのは、金髪碧眼の極めて見目の良い、超が付く程の美少年だった。

「……フゥ、良い風!」

 まあそりゃ、暑苦しい着ぐるみの中よりは例え炎天下の屋外であっても涼しいだろうな……、と非現実的な状況に逃避しかけた思考の片隅で思った。
 美少年は、処理落ちして固まってしまった花村の分のリボンシトロンに手を伸ばし、一気に呷る。

「ぷは~っ!うーん、生き返るってカンジ?」

 キラキラと輝かんばかりの笑顔を美少年は浮かべた。

「あー…………えーっと……。
 クマ、なんだよな……???」


 フリーズしたままの花村たちを置いといて、思わず目の前の美少年にそう訊ねる。

 声は確かにクマのモノであるのだが、何をどう頑張っても目の前の美少年とクマが=では結び付かない。
 目の前で着ぐるみから出てきたというのにも関わらず、目の錯覚だったんじゃ無いかと、思わず目を擦ってから凝視するが、目の前に居るのは確かに美少年で、更に言えばクマの着ぐるみを纏っている。
 客観的に言えば、この美少年がクマの着ぐるみを着ていたのは間違い無いが、ではクマは何処に行ったと言うのか……。
 目の前に居るのがクマ……?
 いやいや、そんな冗談は、流石に信じられないと言うか……。
 前にクマの着ぐるみの中を見てしまった時は、紛れも無く“中の人など居ない”状態だったのに。

「ん、そうクマよ。
 あ、ところでセンセイ。
 何か着るモノとか持ってない?
 クマ……生まれたままの姿だから……」

 コクンと頷いた美少年……いや、クマはキラキラと光を放つ様な笑顔でそんな事を宣ってきた。
 ……ん?
 今、生まれたままの姿って言わなかったか……?
 確かに、着ぐるみから覗く肩の辺りには、衣類と思わしき物が何も存在しない。
 つまり、全裸……?

「ちょっ、ここで全裸とか洒落になんねーぞ!」

 やっと再起動した花村がそう慌てて立ち上がった。
 仲間が猥褻物陳列罪で引っ張られて行くのは流石に見たくない。

「えっと、ええっと、と、ともかく着るモノだよね!!??」

 里中さんも慌てて立ち上がる。

「ジュネスで適当に見繕うしか無いな……」

 この中では一番家が近いだろう花村に自宅から何か衣類を調達して貰うのも一つの手かもしれないが、今は一刻を争う。
 仕方無い、特捜隊用のお財布から用立てよう……。

「取り敢えず、私はクマの服を見繕っておくから、花村たちは先に商店街に行って待っててくれ。
 四六商店辺りで時間を潰して貰っていても構わない」

「あっ、鳴上さん、私も手伝うよ!」

 里中さんがそう手を上げ、天城さんも手伝いを申し出てくれた。
 一から服を見繕うのは手間なので正直助かる。
 一先ず、一旦はここで花村たちとは解散して、クマを下の服売り場へと引き摺って行く事になった。





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