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彼岸と此岸の境界線

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【2011/07/08】


 放課後、天城さんに誘われて辰姫神社へとお参りに行った。
 取り敢えずお賽銭を入れようと財布を取り出すと、ふと頭上から視線を感じて僅かに目線を上げると、屋根の上からあの狐が伏せた状態でこちらを見ている。
 何かを期待するかの様に、ふさふさの尻尾が右に左にゆっくりと揺れていた。
 大方、お賽銭を入れて貰うのを楽しみにしているのだろう。
 それに少し苦笑しながら、僅かに奮発してお賽銭を賽銭箱に投入する。
 浅く頭を下げてから二礼し、二度柏手を打つ。
 そしてもう一度一礼して、再び浅く頭を下げる。
 ふと再び視線を上にやると、狐は嬉しそうに尻尾を振りながら、神社の奥へと去って行った。

 参拝が終わった所で、境内の木陰に移動して、近くの自販機で買った飲み物で喉を潤わせながら雑談に興じる事にする。
 何かを話したそうにソワソワしている天城さんに、何があったのかと水を向けてみると。

「あっ、あのね、葛西さんがあの後鳴上さんの事を色んな人に話しちゃって……。
 そしたら、そんなに仲の良い友達が出来たんだったら、一度連れておいでって、皆言ってて……。
 あ、迷惑……かな?」

 と、少しモジモジとしながら天城さんは話してくれた。
 迷惑か? と言う部分に首を横に振る。

「いや、一度は旅館に行ってみたかったんだ。
 中々機会に恵まれなくて、今の所は行けてないけど。
 天城さんが良いのなら、喜んで」

 そう答えると、そっか、と嬉しそうに安堵しつつ天城さんは笑った。
 そして再び他愛も無い雑談をしていると……。

「おや、雪ちゃん!」

 神社の前を通り掛かった初老の男性が、天城さんの姿を目に止めて境内へとやって来た。
 天城さんの知り合い、なのだろう。

「あ、助役さん」

 天城さんはそう声を上げて、綺麗な動作で軽く一礼する。
 どうやらこの初老の男性は、町内会の助役さんであるらしい。
 助役さんは、少し心配そうな顔をして、天城さんに訊ねる。

「旅館の方がバタバタしとったが、大丈夫かい?」

「バタバタ……?
 ……あっ! テレビの旅番組の取材、今日だった!」

 助役さんの言葉に首を傾げたが、心当たりがあった様で、あっと慌てた様に天城さんは顔を上げた。

「おや、テレビの取材だったのか。
 そりゃあ良いね!
 稲羽を盛り立てる様、頑張っとくれよ」

 そうホッとした様に言って、手を振りながら助役さんはその場を去って行った。
 助役さんを見送って、天城さんは少し申し訳なさそうな顔をする。

「あの、ごめんね。
 私も行かなきゃいけないんだった」

「取材、か」

 テレビと聞いて、以前出会ったあの不愉快な撮影スタッフ達が直ぐ様頭に浮かんだのだが、……取材を許可したと言う事は別の番組での取材なのだろう。

「あ、うん。旅番組なんだって。
 真面目な作りみたいだし、私やお母さんは映さないみたいだから、OKしたんだ。
 でも、掃除とかの手伝いはしなきゃいけないから、今日はもう帰るね。
 それじゃ、また……」

 そう言って天城さんが帰ろうとしたその時。
 先週この神社で出会った、仲居さんの一人である葛西さんが、息を切らせて境内に駆け込んできた。

「あ、居た、雪ちゃん!!」

 ……何やらただならぬ様子だ……。
 天城さんも驚いた様に、何があったのか訊ねた。

「葛西さん? ど、どうしたの?」

 一度息を整えてから、葛西さんは一気に用件を話す。

「今テレビの取材が来てるんだけど、雪ちゃん、帰ってきちゃダメよ!
 旅番組だなんて、嘘だったのよ!!
 前に来てたあのワイドショーの人たちだったの!」

 想定外の事態に、天城さんは目を見開いた。
 あの不愉快な撮影スタッフ達が……。
 しかし、それは所謂詐称に該当しかねない行為なのでは無いだろうか。
 その辺りを問い詰めて、番組のスポンサーやあの撮影スタッフ達よりも上の立場の人間に抗議すれば、追い返せそうな気はする。

「あの人たち、雪ちゃん目当てみたいなの!
 いい? 雪ちゃんはここに居てね。
 あの人達を追い返すまで、絶対に旅館に帰ってきちゃダメだから!」

「え……、う、うん、でも……」

 葛西さんの必死そうな声に、天城さんは頷きながらも戸惑った様な声を上げるが……。
 そこに、招かれざる闖入者が現れた。

「やーっと見~つけた」

 そう下卑た声を上げてやって来たのは、以前見掛けた、あの不愉快な撮影スタッフ三人組だった。
 迷わず、葛西さんと二人で天城さんを背後に庇う。
 そして、スタッフ達からは見えない位置で携帯を操作した。

「おっと、なーに、君たち?
 君たちに用は無いよ。
 僕たちが用があるのは、君たちの後ろ。
 ねぇ、こんな所に隠れてなくって良いじゃない。
 呪われた旅館の次期高校生女将……さん」

 トンでもない言葉に、天城さんは目を見開いて訊ね返す。

「の、呪われた……旅館?」

 撮影スタッフは、「だってそうじゃない?」とニヤニヤと見ているだけで不快にさせる笑みを浮かべた。

「例の事件、勿論知ってるよぉ。
 死んだ山野真由美が泊まってたって。
 あれから、町の観光客も減って、おたくらも大変なんでしょ?
 だから、僕たちがいい企画考えてきたワケ!!
【あの呪われた旅館は今!
 女子高生女将のはずかし奮闘記! 】。
 ……どう?
 これ、お客さん、来ちゃうでしょ?」

 撮影スタッフ達はそう言って、生理的に不快になる目で背後にいる天城さんを見る。
 勿論、そんな下劣で不愉快な番組、大金を積まれて頼まれたって首を縦に振る筈は無い。

「い、意味が分かんないです……」

 首を横に振って拒否する天城さんの言葉を、こちらに躙り寄る形で無視しながら、撮影スタッフ達は色欲を顕にした言葉で捩じ伏せ様とする。

「雪子ちゃんには大役をお願いしたいなぁ。
 入浴シーンとか、撮らせてよ!
 現役女子高生女将の熱いサービス!
 うーん、これ数字取れると思うなぁ!」

「それ、サイコーっすよ!」

 スタッフ達は内輪だけで下卑た笑みを浮かべた。
 下種以外の何者でも無い。
 マスゴミと言う言葉すらも、こんな奴等には過ぎた言葉だ。
 葛西さんは、汚物を見る様な目を撮影スタッフに向けた。

「あんたたち、いい加減に……」

「とにかく、お引き取り下さい。
 取材はお断りします」

 葛西さんの言葉を遮った天城さんは、確りとした声で再び撮影の拒否をする。
 だが、その言葉に苛立ったかの様に撮影スタッフは声を上げた。

「お断りぃっ?!
 ったく、これだからガキは……。
 テレビの力ってのが、分からないのかな?
 ま、こんな田舎の高校生じゃ無理もないけど。
 僕らが盛り立ててやろうって言ってやってんの。
 天城屋旅館、お客減ったままでいいの?
 次期女将さんだってなら、賢明な判断が出来ると思うけどなぁ」

 そもそも賢明な判断能力があるのなら、そんな番組は断固拒否するだろう。
 天城さんは至って当然の判断を下したまでだ。
 既に拒否されているのにも関わらず、何時までもしがみつこうとするその様は、見苦しいとしか表現が出来ない。

「……関係無いです」

 天城さんがそう答えると、撮影スタッフは少し首を傾げたが、直ぐ様気持ち悪い笑みを浮かべる。

「ふぅん?
 まあ、こんな田舎の貧乏臭い旅館の女将なんかより、もっと良い仕事紹介出来るよぉ?
 “元女子高生の元女将”って、色々使えそうだしさぁ……。
 ウヒヒ、そそるねぇ。
 話だけでも聞いてみない?」

 最低にも程があるその発言に、最早我慢の限界だとばかりに葛西さんは声を上げた。

「ちょっと、雪ちゃんに何て事……!」

「いいの、葛西さん。
 言うだけ言って、満足すれば帰るでしょ」

 葛西さんを静かに制した天城さんの言葉に、撮影スタッフは馬鹿にした様な顔をして、暴言をぶつけてくる。

「はっ、何だよソレ。
 大体さ、アンタん所の旅館。
 老舗つったって、古いだけだよねぇ。
 今時流行らないしさ、さっさと潰した方が良いんじゃない?
 板前の料理も見たけどさぁ、チマチマしてて地味だしさ。
 客入れたいなら、同じ事してても無駄だっての。
 そう言うのが分かってねーからダメなんでしょ、おたくんとこ。
 仲居だって金握らせなきゃ、ロクなサービスしないんでしょ?
 ……っと、あ、良い事思い付いた。
 仲居を全員“嬢”にしてさぁ、1日みっちりサービスして貰うってのはどう?
 フトン敷いて、そのまま入ってきちゃう、みたいな!」

 そう言って下卑た笑みを浮かべた男達が、天城さんの全身を舐める様に見た。
 頭の中身が腐ってるとしか思えない。
 何をどう育てれば、こんな品性を欠いた人間が出来上がるのだろうか。

「……とにかくさ、テレビで紹介しようって言ってやってるんだからさ。
 ちょっとは、頭使って考えてみなよ。
 ……ねぇ?」

 葛西さんは我慢ならないと言いたげに俯いて怒りに震えている。
 剰りの怒りに、最早声すら出ないのだろう。

「……ざっけんじゃないわよ」

 そんな中で。
 ボソッと背後から、怒りに溢れた声が聞こえる。
 思わず振り返ると、怒髪天を突いたと表現したくなる程に、怒りをその目に湛えて天城さんが撮影スタッフを睨み付けていた。

「侮辱するのもいい加減にして!
 私達の事、何も知らないアンタ達何かに……!
 誰がそんな旅館なんかに……!
 貴方方の局の取材は、今後一切……、断固拒否します!」

 最早何をしてもその決定は覆さないだろう。
 そう、天城さんは確固たる意思を顕にした。
 だが、それで引き下がる様な判断力はこの撮影スタッフ達には存在しなかったらしい。

「……生意気なガキだなぁ!
 そっちがそうなら、アンタの暴言、報道しちゃうけどぉ?
 サービス業としてはあるまじき……」

 最早十分だろう。
 これ以上、耳が腐りそうな聞くに耐えない発言を垂れ流しさせる必要性はあるまい。

「……暴言は、どちらの方ですか」

 そう判断して、撮影スタッフ達の言葉を遮った。

「あっ……?」

「……これ、何か分かります?」

 横槍を入れられて睨み付けてくる撮影スタッフ達に、そう言いながら、後ろ手に隠し持っていた携帯を取り出した。
 撮影スタッフは、何の事か分からないと言う顔をしている。
 その愚かしさを若干憐れみながら、携帯を操作して、先程からずっと録音録画していたモノを流した。
 画像の方は若干荒いが、音声はバッチリと録れている。
 この下種どもがやって来た時、咄嗟にだが念の為に携帯で撮影していたのだ。
 マスゴミが“情報”で脅しをかけてくると言うのなら、逆にこちらも情報でやり返すまで。
 撮影スタッフ達は、見る見る顔を青褪めさせる。
 それに淡々と追い討ちをかけた。

「知ってますか? 今時は、テレビに頼らなくても、ネットの動画とかでこう言うの……簡単に流せるんですよ?
 この動画を見た方々は、どう思われるのでしょうか?
 年端もいかない女子高生相手に、公序良俗を乱す様な発言をする貴方たちを見た方々は……?
 然るべき場所に流せば……大炎上は避けられないのでは無いですかね?」

 ネットには、所謂“正義感に溢れた”方々もいらっしゃる。
 顔もバッチリ映っているし、何より何処の局の人間なのかも把握している。
 大型掲示板等に流せば、直ぐ様彼等の個人情報が特定され、あっという間に丸裸にされるだろう。
 そうなれば大炎上は必至だ。
 今日日、テレビ以上のスピードでネット上での情報は広がっていくのだ。
 一度着いてしまえば、その火を消す事は不可能に近い事である。
 撮影スタッフ達は旗色が悪い事を漸く理解して、憎々しげにこちらを睨みつつも退散していった。
 彼等の姿形が何処にも見えなくなった事を確認し、息を吐きつつ携帯を戻す。
 万が一の為に、録画は保存しておいた。
 撮影スタッフが去り、葛西さんと天城さんは顔を見合わせていたが、……ふふっ、と葛西さんが吹き出したのを切っ掛けに二人で笑い合っている。

「有り難うね、アイツら追い返してくれて。
 そうだ、旅館に連絡しないとね。
 それじゃあね!」

 手を振って葛西さんもその場を立ち去っていく。
 それを見送った天城さんは再びこちらを見て、改めて礼を言ってきた。

「鳴上さん、何か色々と有り難う。
 ……アイツらに言い返した時、何か、凄くスッキリした。
 ……皆の事悪く言われて、カッとなっちゃって……」

 そう言って、天城さんは少しの間目を瞑る。
 そして、ふと溜め息を一つ吐いた。

「……潰れちゃえば良いのにって、そう思った事もあるけど。
 ……それでもやっぱり、あそこは私の家……。
 皆が居てくれて、私が居られる場所……。
 潰すなんて、やっぱり出来ないよ……」

 大切なモノを想う表情で天城さんは旅館の事を話し、そして心からの思いを呟く。
 ……天城さんにとって旅館が大切な場所であるのには最初から気付いていた。
 が、ここから出ていきたいというのも、天城さんにとっては確かな望みであったのだ。
 だが今回の件で、もう一度その思いを見直してみる事にしたのだろう。
 天城さんは物思いに沈む様な顔をして、神社から立ち去って行った。





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 夜、病院清掃のバイトに赴き、清掃をこなしていると、疲れ切ったと言うよりは、最早憔悴していると表現した方が良い様な顔をした神内さんが、何時ものソファに座っていた。
 どうしたのかと戸惑いながらも声を掛けると、何処か遠くを見ているかの様に視点が合ってなかった神内さんの目に、漸く光が戻る。

「……あ、ああ……。
 ……鳴上さんか……」

 ゆるゆるとこちらを見上げた神内さんは、そうとだけ口にした。
 そのまま立ち去る事などは出来ず、神内さんの横に腰掛ける。

「あの、えっと……。
 ……何か、あったんですか?」

 専門的な何かで起きた事ならば、自分にはどうしようも無いし、患者のプライバシー等に関わる事ならば、神内さんも話す事は出来ないだろう。
 だが、思わずそう声を掛けずにはいられなかったのだ。
 神内さんは、何かを言おうとしてぎこちなく表情筋を動かそうとしたが、しかし何も言わず溜め息を溢す。
 そして、逡巡するかの様に視線を彷徨わせ、浅く何度か息を吐いてから、まるで溺れているかの様に辛そうに表情を歪ませた。

「まあ、ね……。
 今日の急患で、交通事故の被害者が運ばれてきたんだ。
 四人……家族だったんだけど………。
 ………………。
 処置は、もう終わったから……。
 ……僕に出来る事は、もう無いんだ……」

 こちらが何かを言う前に、神内さんはソファから立ち上がる。
 そして、こちらに背を向けたまま、「……ごめんね、もう行かなくちゃいけないんだ」とだけ残し、そのまま逃げる様に、神内さんはその場を去っていった。





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