このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

彼岸と此岸の境界線

◆◆◆◆◆





【2011/07/06】


 放課後、昨日の約束通り小西くんに付き合ってジュネスを一緒に見て回った。
 小西くんは、特に食品売場の酒類コーナーが気になったのか、とても熱心に見ていた様だ。
 一通り店内を回った今は、自分にとってはもう馴染みの場所と化したフードコートで休憩している。
 フードコートは今日もそこそこの人で賑わっているが、こちらに気を向けてくる人間は居ない。

「下の食品売り場……凄いですね。
 酒の種類、あんなにあるし、安売りとかしてるし……。
 あれじゃウチ、勝てないっすよ」

 紙コップに入ったジュースを一口飲んで一息吐いた小西くんは、沁々とそう言った。
 そして、少し俯き気味に複雑な顔になる。

「……けど、最近はウチもちょっと景気が良いんです。
 姉ちゃんの件で、可哀想がって買ってくれてる人がいるから……。
 皮肉なもんすね……」

 まるで自嘲するかの様に、小西くんの口の端が僅かに上がるが、直ぐに物憂げな表情になった。
 ……小西先輩の事を思うと、喜ぶ事は確かに出来ないが。

「買ってくれるのなら、商売に利用してしまえば良い。
 これを機に、顧客にしてしまったり、とか」

 そう言う事情でも、金を落としてくれるだけ商売上は有り難い客だ。
 それもまた一つの商機と割り切るしか無いのかもしれない。
 ……今の小西君には、酷な事なのだろうけども。
 小西くんは黙ったまま僅かに身体を揺らす。

「……そっすね。
 何も買ってかないで言うだけ言ってくる人よりは、買ってくれるだけ良いんですけど」

 そう言って小西くんは、こちらから目を逸らした。
 その目線の先にはテーブルしか無いが、それを見ている訳では無いのだろう。
 僅かに揺れる視線は、何処を捉える訳でも無い。

「けどウチ……もうダメですね。
 家庭崩壊してるんで。
 ウチの親、姉ちゃんの事全く話さなくなったんです。
 元から居なかったみたいに必死に振る舞って……。
 ……で、二人して夜中に泣いている……。
 ……俺、何が出来るんでしょうね……」

 昏い目でそう呟いた小西くんは、それっきり考え込んでいるかの様に黙ってしまった。
 ……難しい悩みにどう答えるべきかと言葉を探していると、見知った顔がフードコートにフラりとやって来たのが目に留まる。
 ……花村だ。
 バイトの合間に休憩にでも来たのか、ジュネスのエプロンを付けたままである。
 花村はこちらに気付き、やや小走りに近付いてきた。

「あれ、鳴上?
 それに、小西先輩の……」

「えっと、弟の尚紀です。
 ……ジュネス、初めて来ました。
 ……別に、ウチの酒屋がどうとかって訳じゃないし、敵対意識がある訳じゃないんですけど……。
 親とか、商店街の人とかが煩かったりして……、面倒で」

 溜め息混じりの小西くんの言葉に、花村は僅かに苦い顔を浮かべながらも頷く。

「俺も似た様なモンだよ」

「……そっすか。
 …………。
 ……なんか、すごいっすよね、広くて……。
 見ているだけで、満足出来る様な……。
 何か、一つの国みたいだ」

 ポツリと呟かれた小西くんのその感想に、花村は目を僅かに見開き、そして酷く懐かしむ様な……微かに痛みを交えた様な目で小西くんを見た。

「……それ、お前の姉ちゃんも、言ってたよ」

 小西くんは、その言葉に何も答えずに黙って俯く。

「やっば顔、似てるよな。
 顎と、鼻と、目の辺り」

 そう花村が言うなり、小西くんは僅かに顔を上げて花村を見るが、直ぐ様顔を逸らして何かを噛み締めているかの様な声音で答えた。

「……止めて下さい。
 ……もう、姉ちゃんは居ないんで」

 そんな小西くんに、花村はポツリと声をかける。

「……寂しい、よな」

 寂しい、と。
 哀しい、と……花村がそう感じている事が直ぐに分かる表情だった。
 花村の言葉に、小西くんはグッと言葉に詰まった後、噛み付く様に声を荒げる。

「止めて下さい!
 あんたに何が分かるんだよっ!?」

 そんな小西くんを悲哀を隠し切れない目で見た花村は、一つ息を整えて、小西くんに自分の思いを伝えた。

「……自慢の弟だって、そう言ってたよ。
 ……俺は、お前の姉ちゃんの事……。
 好きだったよ」

「……“過去形”、なんすね」

 直ぐ様そこに気が付いた小西くんは、顔を上げて花村を睨む様に見詰める。
 小西くんの言葉を否定する事はせずに、花村は小西くんを静かに見返した。

「俺は……、自分に出来る事を今やってる。
 俺の為に、……そして、お前の姉ちゃんの為に……、出来る事を。
 ……何時までも泣いてたら、姉ちゃん、困っちまうぜ?」

 その言葉に、グッと詰まった小西くんは、痛みを必死に堪える様な顔になり、そして絞り出したかの様な声で、花村に反論した。

「…………。
 ……泣いてなんか、ないです」

 そんな小西くんの様子を少し悲しそうな目で見ていた花村は、一度目を閉じて僅かに頭を振り、そして小西くんを元気付け様としているかの様に少し明るい声で話題を変える。

「よし、腹減ってないか?
 ビフテキ奢るぜ?
 鳴上は、要るなら自腹でお願いします」

「そうか、分かった」

 花村なりの励まし方だろう。
 小西くんは花村の申し出にかなり戸惑っていたが、やがて小さくコクッと頷いた。
 その事に、花村は嬉しそうに少しだけ口の端を緩める。
 こちらが自分の分の代金を渡すと、花村は直ぐ様屋台の方へと駆け足で向かって行った。

「……お節介ですよね、花村さん。
 や、そもそも、鳴上さんもか……」

 そんな花村の後ろ姿を見て、小西くんはポツリと独り言の様に呟く。

「ま、関わってしまった以上、放っておけないからね」

「……そんなに“可哀想”なんすか、俺?
 ……いや、違いますね。
 きっと、二人とも……そんなんで優しくしてくれてる訳じゃなくて……。
 ……すみません」

 こちらの言葉に僅かに自嘲する様に目を逸らした小西くんだが、こちらが何かを言う前に、頭を振って直ぐ様素直に頭を下げた。
 気にしてない、と首を横に振ると、小西くんは様々な感情を綯い交ぜにした目で、ペコッとこちらに頭を下げてくる。

「姉ちゃんの働いていた場所、見れて良かったです。
 きっと、一人じゃ来れなかった……。
 ……来ようとも思わなかった……。
 でも、……来れたから、少しだけ、何か進めた様な気がします。
 ありがとうございました」

 そうこうする内に、花村が人数分のビーフステーキを運んでテーブルに帰って来た。
 フードコートのモノだからなのか、正直な所中々固い肉だ。
 花村から味の感想を訊かれて、「固いし……正直マズイです」と小西君は正直に答える。

「ははっ、そうか。
 そりゃ、マトモって事だ。安心したよ」

 花村は何処か嬉しそうにそう答え、その後少しの間小西くんと他愛無い話をし、そして陽が傾き始めた辺りでその場で別れた。





◆◆◆◆◆





 小西くんと別れた後、そのままジュネスで夕飯の買い出しをしていると……。
 ……生鮮食品のコーナーで、あの倉橋さんと出会った。
 料理を教えると以前約束したものの、久慈川さんの件などもあって今の所それは実現していない。
 倉橋さんは豚の細切れ肉のパックを片手に、何やら深い溜め息を吐いている。

「今晩は、倉橋さん」

「あら、悠希ちゃん。
 ふふ、こちらこそ今晩は。
 今日も夕飯の買い物をしているのね」

 先に軽く会釈をしながらそう声をかけると、倉橋さんはこちらの買い物籠を見ながらそう返してきた。
 それに頷くと、倉橋さんはフゥと溜め息を吐き、こちらに相談事を持ち掛けてきた。

「前に悠希ちゃんに頼んでいたお料理の事なんだけど……悠希ちゃんの都合が良ければ今週末辺りにでも教えて貰えないかしら?」

 そう言われて、今週の予定を脳裏に思い浮かべる。

「今週なら……9日は大丈夫です。
 ……もしかして、何かあったんですか?」

 そう訊ねると、少し気落ちした顔で倉橋さんは頷いた。

「お料理を出したら、義母に『要らない』って言われちゃったの……。
 キャベツとほぐしササミの麦ご飯で、結構自信があったんだけど。
 ……何がダメだったのかしら……。
 味が足りないかもって思って、ちゃんとお砂糖も入れたのに……」

 ……は? 砂糖……?
 砂糖と言ったのか、この人は。
 ……何故それに砂糖を入れようと思ったのだろう……。

「あー……。
 多分、お砂糖を入れたのがマズかったんじゃないでしょうか……」

 そう言うと、倉橋さんはキョトンとした様に首を傾げる。

「そうなのかしら?
 私、炊き込みご飯とかにお砂糖って必要なんだとずっと思ってたんだけど」

 うーん……。
 これは中々の難敵だ。
 一先ず、炊飯器を使えば作れる簡単な炊き込みご飯の作り方からでも始めた方が良いのかもしれない。

「ふふ、じゃあ9日の事、お願いね」

 そう言って、倉橋さんは手にしていた細切れ肉のパックを買い物籠に入れて、その場を立ち去っていった。





◆◆◆◆◆
11/26ページ
スキ