彼岸と此岸の境界線
◆◆◆◆◆
【2011/06/30】
部活終わりに商店街に立ち寄ると、家の手伝いを終えて休憩中の小西くんと出会った。
何かを話したそうな顔をした小西くんを連れて、いつもの愛屋に向かう。
愛屋のカウンターに座り、天津飯を頼んだ小西くんは一つ息を吐いてから、意を決した様に話し始めた。
「……昨日話した、学校辞めて家を継ぐっての、……昨日帰ってから親に話してみたんです。
そしたら、すっげ反対されて……。
『そんな事望んでない、好きに生きろ』って……」
そして、小西くんは微かに俯いて少し顔を歪める。
「それから、『学校が嫌なんじゃないか、逃げてるんじゃないか』って……。
……変に、勘繰られました」
小西くんの様子を見るに、ご両親から言われた事に思う所はあったのだろう。
「全部が全部、そうって訳じゃ無いだろうけど。
……小西くんのお父さん達の言ってる事、少しでも心当りがあった?」
そう訊ねると、小西くんは微かに頷いた。
「……俺、何も言い返せなかったんです」
小西くんは唇をキュッと噛み、俯く。
視線は、テーブルの上で握った拳に向けられていた。
「……逃げようと思ったら、幾らでも逃げられるんですよ。
みんな、“優しい”から。
委員会だけじゃない……。
クラスの仕事も部活も、全部。
……俺の好きにして良いって。
……今度の期末テストだって、課題提出に変えても良いって。
遅刻・早退も、俺だけカウント無し。
すげー、ぬるい……。
……バカらしい。
誰も俺に、命令しないんすよ……。
『今はゆっくりしてなさい』って、ただそれだけ。
んで、全部取り上げるんです。
居ても居なくても同じ……って位に。
……立ち上がらなくても、良いんですよ……」
そして、フイッと顔を上げた小西くんは、ジッとこちらを見詰めて訊ねる。
「……俺ってそんなに、“可哀想”ですか?」
“可哀想”、か。
……それは嫌だから、小西くんは悩んでいるのだ。
「それで、私が『小西くんは可哀想だ』って言ったら、小西くんは納得する?
……小西くんは、それで良い訳?
……それが嫌だって思うのなら、周りのその“ぬるい”状況に甘えてちゃダメなんだと思うよ」
「……分かってます」
小西くんは唇を少し強く噛んで頷いた。
そして、途方に暮れた様な顔で訊ねてくる。
「……俺、どうしたら良いんですかね。
特別扱いするなって、今まで通りで良いんだって、言って回ればいいんすか?
姉ちゃんの事、無かったかの様に振る舞えばいいんすか?」
そして、苦し気に、小西くんは溜め込んでいた思いを吐き出した。
「皆が遠巻きで見てくるのを……。
同情されるのを、友達が疎遠になっていくのを……。
……知らないフリしてれば、良いんですか?
……皆が、飽きるまで?
皆が飽きた時、俺は……。
……俺は、独りになるんじゃないですか?」
……興味関心の対象が移るまで待っていれば、それで事態は解決するのか、と言われればそうではないだろう。
事件を切っ掛けに遠巻きになってしまった友人は、何もしなければそのままだ。
……それも、小西くんには不安なのだろう。
「すんません……。
何か、上手く言えないし……。
今、よく分からない……」
内心がぐちゃぐちゃしていて、気持ちの整理がついていないのだろう、きっと。
気持ちの整理を付ける為には、今の状況に向き合わなくてはならないが、それもまた苦しくて、どうすれば良いのか分からずに途方に暮れている……。
……それが今の小西くんなのだろう。
「はは……すみません。
飯食いながらする話じゃ、ないっすね……。
……最近、何か、味とか、全然分からないんですけどね……」
気が滅入っているからか、小西くんはちょっとした味覚障害も起こしている様だ。
……気持ちが落ち込んでいる時は、美味しいご飯を食べて、ゆっくりと眠るのが一番だ、と信じている自分としては、これは放って置けない。
……今度、何か手を打ってみるか……。
そんな事を考えつつ、その日は小西くんとはそこで別れた。
◆◆◆◆◆
今日も夜間の清掃バイトに向かった。
神内さんは今日は夜間の担当ではないのか、その姿は見えない。
バイトを終えて着替えて帰ろうとしたその時、看護師さんたちが立ち話をしているのが聞こえてきた。
他人の話に聞き耳を立てる趣味は無いので、特に気にする事なくその場を通り過ぎ様としたのだが、ふと耳に飛び込んできた『神内』という名前に思わず足を止める。
「神内先生って、良いわよねー。
処置とか的確なのに凄く速いし。
ウチの救急の先生の中じゃ一番じゃない?」
「そうよねー。
だって、ホラ、神内先生って前は都内の大きな病院にお勤めしてたんじゃなかったっけ?
そこでも有望視される程腕が良かったんでしょ、確か」
……どうやらあの神内さんの話の様で間違いない様だ。
本人不在の状況でこう言う話を盗み聞きしてしまう事に気不味さを感じながらも、その場を動けない。
「でも、じゃあどうしてここに来たのかしら?」
「さぁねえ。所謂島流しとかなんじゃないの?」
「何かやらかしたって事?」
「さあ……。
そういう話しは、神内先生の周りでトンと聞かないし……。
どうなのかしら?」
看護師たちはその辺りで立ち話を止め、職務へと戻っていった。
……気にしていても仕方がない。
今日はもう帰る事にしよう。
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【2011/06/30】
部活終わりに商店街に立ち寄ると、家の手伝いを終えて休憩中の小西くんと出会った。
何かを話したそうな顔をした小西くんを連れて、いつもの愛屋に向かう。
愛屋のカウンターに座り、天津飯を頼んだ小西くんは一つ息を吐いてから、意を決した様に話し始めた。
「……昨日話した、学校辞めて家を継ぐっての、……昨日帰ってから親に話してみたんです。
そしたら、すっげ反対されて……。
『そんな事望んでない、好きに生きろ』って……」
そして、小西くんは微かに俯いて少し顔を歪める。
「それから、『学校が嫌なんじゃないか、逃げてるんじゃないか』って……。
……変に、勘繰られました」
小西くんの様子を見るに、ご両親から言われた事に思う所はあったのだろう。
「全部が全部、そうって訳じゃ無いだろうけど。
……小西くんのお父さん達の言ってる事、少しでも心当りがあった?」
そう訊ねると、小西くんは微かに頷いた。
「……俺、何も言い返せなかったんです」
小西くんは唇をキュッと噛み、俯く。
視線は、テーブルの上で握った拳に向けられていた。
「……逃げようと思ったら、幾らでも逃げられるんですよ。
みんな、“優しい”から。
委員会だけじゃない……。
クラスの仕事も部活も、全部。
……俺の好きにして良いって。
……今度の期末テストだって、課題提出に変えても良いって。
遅刻・早退も、俺だけカウント無し。
すげー、ぬるい……。
……バカらしい。
誰も俺に、命令しないんすよ……。
『今はゆっくりしてなさい』って、ただそれだけ。
んで、全部取り上げるんです。
居ても居なくても同じ……って位に。
……立ち上がらなくても、良いんですよ……」
そして、フイッと顔を上げた小西くんは、ジッとこちらを見詰めて訊ねる。
「……俺ってそんなに、“可哀想”ですか?」
“可哀想”、か。
……それは嫌だから、小西くんは悩んでいるのだ。
「それで、私が『小西くんは可哀想だ』って言ったら、小西くんは納得する?
……小西くんは、それで良い訳?
……それが嫌だって思うのなら、周りのその“ぬるい”状況に甘えてちゃダメなんだと思うよ」
「……分かってます」
小西くんは唇を少し強く噛んで頷いた。
そして、途方に暮れた様な顔で訊ねてくる。
「……俺、どうしたら良いんですかね。
特別扱いするなって、今まで通りで良いんだって、言って回ればいいんすか?
姉ちゃんの事、無かったかの様に振る舞えばいいんすか?」
そして、苦し気に、小西くんは溜め込んでいた思いを吐き出した。
「皆が遠巻きで見てくるのを……。
同情されるのを、友達が疎遠になっていくのを……。
……知らないフリしてれば、良いんですか?
……皆が、飽きるまで?
皆が飽きた時、俺は……。
……俺は、独りになるんじゃないですか?」
……興味関心の対象が移るまで待っていれば、それで事態は解決するのか、と言われればそうではないだろう。
事件を切っ掛けに遠巻きになってしまった友人は、何もしなければそのままだ。
……それも、小西くんには不安なのだろう。
「すんません……。
何か、上手く言えないし……。
今、よく分からない……」
内心がぐちゃぐちゃしていて、気持ちの整理がついていないのだろう、きっと。
気持ちの整理を付ける為には、今の状況に向き合わなくてはならないが、それもまた苦しくて、どうすれば良いのか分からずに途方に暮れている……。
……それが今の小西くんなのだろう。
「はは……すみません。
飯食いながらする話じゃ、ないっすね……。
……最近、何か、味とか、全然分からないんですけどね……」
気が滅入っているからか、小西くんはちょっとした味覚障害も起こしている様だ。
……気持ちが落ち込んでいる時は、美味しいご飯を食べて、ゆっくりと眠るのが一番だ、と信じている自分としては、これは放って置けない。
……今度、何か手を打ってみるか……。
そんな事を考えつつ、その日は小西くんとはそこで別れた。
◆◆◆◆◆
今日も夜間の清掃バイトに向かった。
神内さんは今日は夜間の担当ではないのか、その姿は見えない。
バイトを終えて着替えて帰ろうとしたその時、看護師さんたちが立ち話をしているのが聞こえてきた。
他人の話に聞き耳を立てる趣味は無いので、特に気にする事なくその場を通り過ぎ様としたのだが、ふと耳に飛び込んできた『神内』という名前に思わず足を止める。
「神内先生って、良いわよねー。
処置とか的確なのに凄く速いし。
ウチの救急の先生の中じゃ一番じゃない?」
「そうよねー。
だって、ホラ、神内先生って前は都内の大きな病院にお勤めしてたんじゃなかったっけ?
そこでも有望視される程腕が良かったんでしょ、確か」
……どうやらあの神内さんの話の様で間違いない様だ。
本人不在の状況でこう言う話を盗み聞きしてしまう事に気不味さを感じながらも、その場を動けない。
「でも、じゃあどうしてここに来たのかしら?」
「さぁねえ。所謂島流しとかなんじゃないの?」
「何かやらかしたって事?」
「さあ……。
そういう話しは、神内先生の周りでトンと聞かないし……。
どうなのかしら?」
看護師たちはその辺りで立ち話を止め、職務へと戻っていった。
……気にしていても仕方がない。
今日はもう帰る事にしよう。
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