彼岸と此岸の境界線
◆◆◆◆◆
【2011/06/27】
放課後、小西くんに誘われて商店街の愛屋にやって来た。
「旨いっすよね、ここ。
家近いし、よく来てたんですけど、最近あんま来てなくて……」
「……少し飽きた、とか?」
何せ同じ商店街の中にある店なのだ。
通い過ぎて少し飽きる、という事はあるだろう。
しかし、小西くんは首を横に振る。
「あっ、いえ。
ガキん頃から来てましたけど、何でか飽きないんすよ」
不思議です、と心底そう思っている様な顔で、手にしている丼を眺め、ふと溜め息を吐いた。
「……ウチの酒屋、今結構忙しいんですけど、……あんま手伝える事とか、無いんすよね……。
……だって、商売で忙しい訳じゃなくて……」
そこで一旦言葉を止めた小西くんは、微かに目を伏せる。
「マスコミが連日押し掛けてくるってのは減りましたけど、他に事件とかが無かったりしたら急に来る事もあるし……。
……近所の人たちも、入れ替わり立ち替わりやって来て……。
……急に泣いたりするんすよ、『まだ若いのに可哀想』って……。
姉ちゃんと話した事なんて無い様な、町内会のおばさんたちまで……」
そして、目に苦悩を滲ませ、苦し気に息を吐いた。
「で、何時も決まった様に俺に言うんすよ。
『お姉ちゃんの分まで、立派に生きなきゃね』って……。
……正直、息苦しいです。
……“立派に生きる”って……、何なんでしょうね」
まるで独り言の様な小西くんの問いに、少し目を閉じて考える。
“立派に生きる”、ね。
それは外野の人間がとやかく言って決める事ではない。
自分が納得して、それに胸を張れるのならば、それは“良い人生”だとは思う。
それでも他人からの評価というものも無視しきれる要因では無い。
例えその人当人にとっては良い人生であっても、それが他人から見て良い人生に“見えるか”と問われればそうとは限らないだろう。
だが、どんなに大勢の人々から“立派な人生”だと評価されても、自分自身が納得出来ないならそれは違うとは思うが……。
……難しい話だ。
何を以て“立派な人生”とするのかは、それこそ人各々だろう。
「……私には、これと断言する事は出来ないな。
……私だって、それを探している途中なのかもしれない」
ただ、小西くんが悩む“立派な人生”とやらは、結局他人からの押し付けの意見に過ぎない。
それ通りに生きなくてはならないなんて事は全く無いだろう。
言いたい人には勝手に言わせておけばいい。
小西くんの心情を無視して自分の意見を一方的に押し付けてきている輩の大半は、ただ単に(大して知りもしない)隣人の不幸を悲しんでいる自分に酔っているだけだろうし。
一々マトモに取り合っていてはキリが無い。
「鳴上先輩にも……、分からないんすね。
……難しいっすよね、“生きる”って。
もう、生きちゃってるのに……」
そう言って、小西くんは少し途方に暮れた様な顔で、困った様に笑う。
「……鳴上先輩相手だと、何だか要らん事まで話しちゃいますね。
すみません」
「いや、気にしなくても良いよ。
小西くんが話したいのなら、好きに話せば良い」
そう返すと、小西くんは少しだけ柔らかな表情で笑う。
そして、ポツリポツリと少しだけ話をしてから、小西くんとその日は別れた。
◆◆◆◆◆
見上げた夏の夜空は澄んだ様に晴れ渡り、星の海が一面に広がっている。
稲羽には街灯が少ないからか、街にいる時よりも見えている星の数は多い。
揺らめきながら月と星の光が水面に映し出されている。
絵に描いた様に、穏やかな夏の夜だ。
「ねえ、まだ?」
その時、横に座ったマリーが少し退屈そうな顔でそう訊ねてきた。
「うん、まだだね」
竿を持つ手は緩めず、そう返す。
浮きには何の変化も無い。
もう少し経てば何か釣れる気がするが……。
あくまでも気がするだけだ。
まだ何も掛かっていないのは事実である。
……マーガレットさんから無事に許可を貰ったので、マリーを誘って夜釣りに出掛けた。
ここ最近は色々と忙しかったので夜釣りは少し久しぶりだ。
前に来たのは、6月の初めの方だったか……。
マリーを夜に連れ出して良いのは、晴天の時だけらしい。
理由は詳しくは教えて貰えなかったが、夜は昼よりも更に存在が揺らぎ易いので、曇りの時でもダメなのだとか。
夏祭りの時とかは、晴れている様に今の内から祈っておこう。
釣りと言うのは、基本的に待つ時間の方が遥かに多い。
入れ食い状態になるのは滅多に無い事である。
始めてから十数分程待っているが、今の所魚が反応している様子は無い。
最初は興味津々といった風に竿を眺めていたマリーだが、待ち続ける事に飽きがきた様だ。
「これ、どこが楽しいの?」
「うーん……まあ、何処が楽しいのかは人によるとは思うけど、私はこうやって待ってる時間が好きかな。
色んな事をのんびり考えられるし。
それに、今晩はこうやってマリーとゆっくり話す事が出来る」
そう言って、横で釣り餌用の虫を入れた虫籠を見ていたマリーに目をやると、マリーは何故か頬を少しだけ赤くしてプイッとそっぽを向いてしまった。
「全然意味分かんないし、このてんねん人たらし!
……でも、私も……キミと話すの……嫌じゃないし……」
「……そっか」
マリーのその様子を微笑ましく思いながら視線を浮きの方へとやる。
……どうやら魚が反応しているのか、浮きに動きが見られた。
グイッと浮きが沈んだのを見計らってアワセを行い、魚の口に針を引っ掛ける。
その途端に、凄まじい力で竿がグイグイと引っ張られた。
これはトンでもない大物だ……!
最低でもオオミズウオ……いや、若しかしたら噂に聞く川の主と言うヤツなのかもしれない。
「オオモノってやつ?」
「多分ね、もしかしたら川の主なのかも」
油断すると竿ごと持っていかれてしまいそうな魚の力と勝負しながらジワリジワリと糸を巻きながら、先程までの退屈そうな色を吹き飛ばしたワクワクとした目で見ているマリーに頷いた。
川の主に出会うのはこれが初めてだ。
是非ともこの場で釣り上げてみたい……!
「……大丈夫なの、コレ?」
最早折れる直前とでも表現したくなる程にしなる竿を見て、不安そうにマリーが訊ねてくる。
「大丈夫、だと思いたいけど……」
釣れるのが先か、糸が切れるか竿がイカれるのが先か……、それは正直な所分からない。
そう答えると、マリーは意を決した様に、何故かこちらの腰に手を回してグイッと引っ張ってきた。
……まるで幼い頃に見た『大きな蕪』の挿し絵の一場面の様である。
きっと、マリーなりに手伝おうとしてくれているのだ。
これは気合いを入れなくてはならない。
掛かった時よりは魚もかなりこちらまで引き寄せてきている。
某栄養ドリンクのCMではないが、正に「ファイト、一発!」とでも叫ぶべき場面だ。
「よーしっ、気合い一発……。
ペル……ソナーッ!!!」
「呼んでどうするのッ?!」
テンションの勢いのままにそう声を上げると、間髪入れずにマリーが突っ込みをくれた。
ナイス突っ込みだ。
そして、気合いを入れたからか、見事に川の主様を釣り上げる事が出来た。
一般的に、大きな声を上げると力が出しやすくなる。
恐らくは先程上げた声でその効果が出たのだろう。
釣り上げた川の主様は……超巨大に肥大化したアロワナの様であった。
1メートルどころか、菜々子よりも大きい。
釣り上げてなおも元気に暴れている。
多分在来種であろうから川に返してあげるつもりではあるが、その前に記念撮影と洒落込みたい所である。
携帯を取り出して、川の主様だけを写した写真を一枚撮る。
そして、釣り上げた証拠としての記念撮影を行おうと、タイマーモードを起動させてマリーと二人で川の主様を掲げた写真を撮った。
「何で私も写したの? その大きな魚釣ったのキミじゃん」
「それはそうだけど、マリーが手伝ってくれたから釣れたんだ。
だから、釣り上げた記念撮影なんだしマリーも居なきゃダメだね」
そう答えながら川の主様を川へと返す。
主様はあっという間に遠ざかり、夜の暗い水の中へと消えていった。
マリーは「そっか……」と呟いて、何やら納得してくれた様である。
今度写真を現像したらマリーにもあげよう、と思いながら、その夜はマリーをベルベットルームまで送り届けてから家へと帰った。
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【2011/06/27】
放課後、小西くんに誘われて商店街の愛屋にやって来た。
「旨いっすよね、ここ。
家近いし、よく来てたんですけど、最近あんま来てなくて……」
「……少し飽きた、とか?」
何せ同じ商店街の中にある店なのだ。
通い過ぎて少し飽きる、という事はあるだろう。
しかし、小西くんは首を横に振る。
「あっ、いえ。
ガキん頃から来てましたけど、何でか飽きないんすよ」
不思議です、と心底そう思っている様な顔で、手にしている丼を眺め、ふと溜め息を吐いた。
「……ウチの酒屋、今結構忙しいんですけど、……あんま手伝える事とか、無いんすよね……。
……だって、商売で忙しい訳じゃなくて……」
そこで一旦言葉を止めた小西くんは、微かに目を伏せる。
「マスコミが連日押し掛けてくるってのは減りましたけど、他に事件とかが無かったりしたら急に来る事もあるし……。
……近所の人たちも、入れ替わり立ち替わりやって来て……。
……急に泣いたりするんすよ、『まだ若いのに可哀想』って……。
姉ちゃんと話した事なんて無い様な、町内会のおばさんたちまで……」
そして、目に苦悩を滲ませ、苦し気に息を吐いた。
「で、何時も決まった様に俺に言うんすよ。
『お姉ちゃんの分まで、立派に生きなきゃね』って……。
……正直、息苦しいです。
……“立派に生きる”って……、何なんでしょうね」
まるで独り言の様な小西くんの問いに、少し目を閉じて考える。
“立派に生きる”、ね。
それは外野の人間がとやかく言って決める事ではない。
自分が納得して、それに胸を張れるのならば、それは“良い人生”だとは思う。
それでも他人からの評価というものも無視しきれる要因では無い。
例えその人当人にとっては良い人生であっても、それが他人から見て良い人生に“見えるか”と問われればそうとは限らないだろう。
だが、どんなに大勢の人々から“立派な人生”だと評価されても、自分自身が納得出来ないならそれは違うとは思うが……。
……難しい話だ。
何を以て“立派な人生”とするのかは、それこそ人各々だろう。
「……私には、これと断言する事は出来ないな。
……私だって、それを探している途中なのかもしれない」
ただ、小西くんが悩む“立派な人生”とやらは、結局他人からの押し付けの意見に過ぎない。
それ通りに生きなくてはならないなんて事は全く無いだろう。
言いたい人には勝手に言わせておけばいい。
小西くんの心情を無視して自分の意見を一方的に押し付けてきている輩の大半は、ただ単に(大して知りもしない)隣人の不幸を悲しんでいる自分に酔っているだけだろうし。
一々マトモに取り合っていてはキリが無い。
「鳴上先輩にも……、分からないんすね。
……難しいっすよね、“生きる”って。
もう、生きちゃってるのに……」
そう言って、小西くんは少し途方に暮れた様な顔で、困った様に笑う。
「……鳴上先輩相手だと、何だか要らん事まで話しちゃいますね。
すみません」
「いや、気にしなくても良いよ。
小西くんが話したいのなら、好きに話せば良い」
そう返すと、小西くんは少しだけ柔らかな表情で笑う。
そして、ポツリポツリと少しだけ話をしてから、小西くんとその日は別れた。
◆◆◆◆◆
見上げた夏の夜空は澄んだ様に晴れ渡り、星の海が一面に広がっている。
稲羽には街灯が少ないからか、街にいる時よりも見えている星の数は多い。
揺らめきながら月と星の光が水面に映し出されている。
絵に描いた様に、穏やかな夏の夜だ。
「ねえ、まだ?」
その時、横に座ったマリーが少し退屈そうな顔でそう訊ねてきた。
「うん、まだだね」
竿を持つ手は緩めず、そう返す。
浮きには何の変化も無い。
もう少し経てば何か釣れる気がするが……。
あくまでも気がするだけだ。
まだ何も掛かっていないのは事実である。
……マーガレットさんから無事に許可を貰ったので、マリーを誘って夜釣りに出掛けた。
ここ最近は色々と忙しかったので夜釣りは少し久しぶりだ。
前に来たのは、6月の初めの方だったか……。
マリーを夜に連れ出して良いのは、晴天の時だけらしい。
理由は詳しくは教えて貰えなかったが、夜は昼よりも更に存在が揺らぎ易いので、曇りの時でもダメなのだとか。
夏祭りの時とかは、晴れている様に今の内から祈っておこう。
釣りと言うのは、基本的に待つ時間の方が遥かに多い。
入れ食い状態になるのは滅多に無い事である。
始めてから十数分程待っているが、今の所魚が反応している様子は無い。
最初は興味津々といった風に竿を眺めていたマリーだが、待ち続ける事に飽きがきた様だ。
「これ、どこが楽しいの?」
「うーん……まあ、何処が楽しいのかは人によるとは思うけど、私はこうやって待ってる時間が好きかな。
色んな事をのんびり考えられるし。
それに、今晩はこうやってマリーとゆっくり話す事が出来る」
そう言って、横で釣り餌用の虫を入れた虫籠を見ていたマリーに目をやると、マリーは何故か頬を少しだけ赤くしてプイッとそっぽを向いてしまった。
「全然意味分かんないし、このてんねん人たらし!
……でも、私も……キミと話すの……嫌じゃないし……」
「……そっか」
マリーのその様子を微笑ましく思いながら視線を浮きの方へとやる。
……どうやら魚が反応しているのか、浮きに動きが見られた。
グイッと浮きが沈んだのを見計らってアワセを行い、魚の口に針を引っ掛ける。
その途端に、凄まじい力で竿がグイグイと引っ張られた。
これはトンでもない大物だ……!
最低でもオオミズウオ……いや、若しかしたら噂に聞く川の主と言うヤツなのかもしれない。
「オオモノってやつ?」
「多分ね、もしかしたら川の主なのかも」
油断すると竿ごと持っていかれてしまいそうな魚の力と勝負しながらジワリジワリと糸を巻きながら、先程までの退屈そうな色を吹き飛ばしたワクワクとした目で見ているマリーに頷いた。
川の主に出会うのはこれが初めてだ。
是非ともこの場で釣り上げてみたい……!
「……大丈夫なの、コレ?」
最早折れる直前とでも表現したくなる程にしなる竿を見て、不安そうにマリーが訊ねてくる。
「大丈夫、だと思いたいけど……」
釣れるのが先か、糸が切れるか竿がイカれるのが先か……、それは正直な所分からない。
そう答えると、マリーは意を決した様に、何故かこちらの腰に手を回してグイッと引っ張ってきた。
……まるで幼い頃に見た『大きな蕪』の挿し絵の一場面の様である。
きっと、マリーなりに手伝おうとしてくれているのだ。
これは気合いを入れなくてはならない。
掛かった時よりは魚もかなりこちらまで引き寄せてきている。
某栄養ドリンクのCMではないが、正に「ファイト、一発!」とでも叫ぶべき場面だ。
「よーしっ、気合い一発……。
ペル……ソナーッ!!!」
「呼んでどうするのッ?!」
テンションの勢いのままにそう声を上げると、間髪入れずにマリーが突っ込みをくれた。
ナイス突っ込みだ。
そして、気合いを入れたからか、見事に川の主様を釣り上げる事が出来た。
一般的に、大きな声を上げると力が出しやすくなる。
恐らくは先程上げた声でその効果が出たのだろう。
釣り上げた川の主様は……超巨大に肥大化したアロワナの様であった。
1メートルどころか、菜々子よりも大きい。
釣り上げてなおも元気に暴れている。
多分在来種であろうから川に返してあげるつもりではあるが、その前に記念撮影と洒落込みたい所である。
携帯を取り出して、川の主様だけを写した写真を一枚撮る。
そして、釣り上げた証拠としての記念撮影を行おうと、タイマーモードを起動させてマリーと二人で川の主様を掲げた写真を撮った。
「何で私も写したの? その大きな魚釣ったのキミじゃん」
「それはそうだけど、マリーが手伝ってくれたから釣れたんだ。
だから、釣り上げた記念撮影なんだしマリーも居なきゃダメだね」
そう答えながら川の主様を川へと返す。
主様はあっという間に遠ざかり、夜の暗い水の中へと消えていった。
マリーは「そっか……」と呟いて、何やら納得してくれた様である。
今度写真を現像したらマリーにもあげよう、と思いながら、その夜はマリーをベルベットルームまで送り届けてから家へと帰った。
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