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流れ行く日々

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【2011/04/27】


 買い出しに行こうかと商店街を歩いていると、誰かに呼ばれた気がして立ち止まる。
 声を感じた方向に歩いていくと、目の前の壁に突然蒼い扉が現れた。
 怪しさ満点だが、どうやら周囲の人はその扉に気が付いていない。
 そもそも見えてもいない様だ。

 その扉のドアノブにあたる部分の模様に何やら見覚えがある。
 もしや、と思い、ポケットに入れているベルベットルームの鍵を取り出し、鍵穴に差し込むと、ぴったりとはまった。
 意を決して鍵を開けると、気付けばベルベットルームの中にいた。

「ようこそ、ベルベットルームへ……。
 貴方の町とこの部屋を繋げさせて頂きました。
 時間が少々予定よりも掛かった事にはお詫びを申し上げましょう……」

 いや、別にそれは構わないが……。
 さっきまでは確かに商店街に居た筈だ。
 それなのに何故ここに居るのだろう。

「ご心配召されるな。
 貴方の意識の狭間の時間にてこちらにお呼び立てしているだけの事。
 ここは貴方の世界とは異なる時の流れにある空間です故、案ずる事はありません」

 ……ここを出ても、あっちの世界では殆ど時間経過していない、という事だろうか。

「左様でございます」

 それを聞いて少し安心した。
 突然ここに体ごと来てしまっては端から見ていると神隠しになってるし、意識だけにしても、長時間呆けた様に壁に向かって突っ立っているのも不味い。
 時間にしてほんの数瞬ぼんやりしているだけならまだ何とかなる。

「貴方は己が内にある異なる可能性に目覚めた様ですな」

 ジャックフロストの事だろうか。
 イゴールさんはそうだ、と頷いた。

「貴方はもう既にお気付きかと思われるが、その可能性とは正しく貴方が紡いだ絆によりもたらされたもの。
 よりその絆を深めていけばいく程、新たなる可能性を掴み取る事が出来るでしょう。
 それに……貴方の中にはもっと多くの可能性が眠っている」

 まだ他にもペルソナがいる、という事だろう。

「貴方の旅路はまだ始まったばかり。
 そう、急がれる事はない。
 貴方の信じるままに、絆を育まれて行くと良い。
 それこそが、心の器を育むのであります」

 ……焦るな、という事か。
 その時、所在なさげにしているマリーと目があった。

「話、終わった?
 狭いし、暗いし、鼻詰まんないし。
 息詰まるよ、ここ」

「マリー、お客様の前です」

 明け透けなマリーの言葉をマーガレットさんは窘めるが、マリーはそんな事は知った事かとばかりな態度を取る。

「は? 意味わかんない。
 ばかきらいとうへんぼく」

「フゥ……大変申し訳ございません。
 手に余るじゃじゃ馬っぷりでございます」

 マリーに注意する事は諦めたのか、マーガレットさんは少し溜め息を吐きながら、こちらにそう言ってくる。
 確かに……大変そうだ。
 しかし良く良く考えれば、何故マリーはここに居るのだろう。
 以前尋ねた時は、マリー自身その理由が分かっていなかったみたいだったが……。

「ここはお客様の定めと不可分の部屋。
 この部屋で全く無意味な事は起こり得ません。
 ……貴方様は、この部屋での出会いより先に、既にマリーと出会っていらっしゃったご様子」

 そう言われて思い返せば、稲羽に来たその日どこかでマリーと出会っていた気がする。
 ……何故か記憶が非常に曖昧なのが気に掛かるのではあるが。
 マリーの格好は良くも悪くも稲羽では目立つし、稲羽で出会っていたらそう簡単には忘れないだろう。
 記憶力にはそれなりに自信があるし、まだ呆ける程歳を重ねた覚えはない。
 それなのに何故……。

「人ならざる者と出会い触れ合う貴方様の定めが、その出会いを導いたのでしょう」

 人……ならざる者……?
 つまり、マリーは《人》ではない、という事か。
 いやまぁ、この部屋に居る段階でマリーもただ者ではないのだろうとは思っていたが。
 どうやらそもそも《人》ではなかった様だ。
 まあ、だからどうとまでは思わないが。

「この部屋の客人たる貴方様と、宛てなく彷徨う人ならざる者との運命の交錯……。
 果たしてこの出会いが何を導くのか、失礼ながら私共もその行方には、多少の興味がございます」

 そう言ってマーガレットさんは僅かに微笑んだ。

「マリーは貴方より先にこの地に居たとは言え、貴方の暮らす世界には疎い……。
 ですから……貴方様さえ宜しければ、どうぞ彼女をこの部屋の外へと連れ出してやって下さい」

 マーガレットさんからそう頼まれ、マリーに向き直って訊ねる。

「外に行きたいのか?」

「べ、別に……キョーミなんてないけど。
 ……でも、キミがどうしてもって言うのなら、行っても良い」

 そう言ってマリーはそわそわしながらこちらを期待する様な目で見てきた。
 ……恐らくこれは、「とっても行きたいです!」とでも取るべきだろう。
 素直ではない、と言うべきか。
 どうであるにせよ、マリーが望むのならこちらとしてもそれを叶えてあげたい。

「折角だし、マリーともっと仲良くなりたい。
 だから、マリーが良ければ、町に出ていこう」




◇◇◇◇◇




 ベルベットルームを出て、取り敢えず手近な所からという事で、マリーと一緒に商店街を歩く。
 閉店した店が目立つ寂れた商店街とは言え、物珍しいのかマリーはキョロキョロと辺りを見回していた。
 まるで小さな子供の様な仕草である。

「何か不思議……。
 懐かしい感じがするんだ……匂い、とか」

「懐かしい?」

「うん、そう……何となく、懐かしいの」

「マリーはあの部屋に来る前は何処に居たんだ?」

 もしかしてこの辺りに住んでたりとか、似たような田舎町に住んでたりしたのかもしれない。
 そう思って投げ掛けた質問の答えは、想定の遥か斜めを行った。

「……覚えてない」

「え……?」

 思わずマリーを凝視してしまう。
 ……マリーの表情は冗談を言っている様なものではない。

「色々、全部。……何も覚えてないの。
 気が付いたらただ歩いてて……行くトコなんてなくて、何と無くあの部屋に着いて…………。
 そしたら、まーがれっとが、『ここに居なさい』って。
 マリーって名前も、あの人がくれただけ。
 ……名前無いんじゃ、不便だから」

 それは……所謂記憶喪失、というやつなのではないだろうか。
 名前すら思い出せないなんて、相当重症だ。

「……本当に、何も思い出せないのか?
 本当に些細な事とかでも」

「……思い出さないの。必要、ないし」

 そう言いながらも、マリーの表情には切実なものを感じる。
 ……しかし、自分には記憶を瞬時に戻す術など無い。
 どうしたものか……と思いながらも、マリーの顔を見た。

「でも……この町は懐かしい感じがするんだ」

「……他に何か無いのか? 持ち物、とか」

「持ち物……。それなら、あるよ」

 そう言ってマリーは肩に掛けた鞄から古びた竹櫛を取り出す。
 年季が入ってそうな雰囲気だが、汚れなどはほぼなく、そういった意味では新品に近そうな感じだ。
 しかし、多分櫛なんだろうけれども、一般的に見るデザインではない。
 何と言うのか……何かの神事にでも使われてそうな祭具の様な感じである。
 材料が竹という事は分かる。
 ……このデザイン……。
 ……何かの写真で見た気がする……。
 《《縦櫛》》……だったか……?
 しかし、一体それを何処で見たのかは思い出せない……。

「これだけは最初から持ってた。
 ……これは、絶対、私のもの。
 でも……こんなの何の役にも立たないよ……」

 その櫛を辿れば何か分かるんじゃないだろうか、とは思ったが、マリーの表情は暗く、これ以上この話題に触れて欲しく無さそうなので、それ以上は踏み込まない事にする。
 何と無く重くなってしまった空気をどうしようかと頭を悩ませていると、もうその話題に興味を失ったマリーはスタスタと一軒の店に歩いていってしまった。
『惣菜大学』という惣菜屋だ。
 揚げ物をしている良い匂いが漂っている。
 ジーっと物欲しそうな目で惣菜を見ているマリーに、欲しいのかと訊ねると、勢いよく首を縦に振った。
 どうやらマリーには持ち合わせが無いらしく、それどころか物を購入する時に金銭が必要という事も知らなかったらしい。
 大した出費でもないし買ってあげようかと財布を取り出した時、通りの向こうから花村と里中さんがやって来た。

「あ、鳴上さん!」

「お、鳴上じゃん!
 って……横の娘誰よ? チョー可愛いじゃん!!」

「あー……私の友達、ってとこ」

 説明に困り、別段嘘では無い言葉で誤魔化す。
 花村と里中さんは、それには特に疑問を感じなかった様だ。

「この辺りの人じゃねーよな?
 鳴上の前の所の友達?
 あ、俺は花村陽介!」

「本当に可愛いね。
 あ、あたし里中千枝。よろしく!
 君、名前は?」

 そう言って里中さんは人好きのする笑みを浮かべた。

「えっと、マリー……、かな。よろしく……」

 マリーも戸惑いながらも挨拶する。

「それで、どうしたんだ? 二人して」

「いや、それがさ。
 ほら、前の時に俺達、里中を心配させちまっただろ?
 そん時の詫びにビフテキ串奢れって煩くてさ……。
 捕まっちまった訳」

「ああ……成る程ね」

 それは災難な事だ……。
 花村のおサイフ事情は知らないが、取り敢えず手は合わせておいた。

「あ、そうだ鳴上さんも奢ってよね!
 花村と鳴上さんで一本ずつ!!」

「……私も?」

 いやまぁ、奢る事自体は別に良いのだが……。
 ビフテキ串はそれなりにボリュームがあると思うのだが、二本も要るのか……?
 結局、マリーと里中さんにビフテキ串を奢る事になった。
 店の前のテーブルに腰かけてビフテキ串に囓り付く。
 固めの肉だが、味付けは悪くはない。
 少々野暮ったくはあるが。
 腹を空かせた学校帰りの学生には買い食いするには丁度良いボリュームだ。

「結構クセになる味だよな。ここのビフテキ串」

「いやー、やっぱりここのビフテキ串はたまらんねー!
 マリーちゃん的にもどうよ?」

「すっごい変。硬いし噛めないし途中で冷めた。
 すごく美味しかった」

 思いっきり扱き下ろすな、と思っていたら思いの外マリーには好評価だったらしい。

「毎日これ食べてるんでしょ?
 良いな……ズルい」

「いや、毎日って訳じゃねーけど。
 ……もしかしてマリーちゃん家って買い食いとか許して貰えない感じ?」

 花村の言葉に、マリーは首を傾げた。

「どうだろ……。でも、こういうの初めて」

「うわ、マジで!
 でも確かにキビシイ家って、そんなんだよねー。
 うう……あたしなら耐えられない。
 ビフテキのない生活なんて……!」

「……肉限定?」

 マリーの場合、買い食い以前の問題な気もするが……。

 とりとめのない話をして、その後花村達とは別れた。



◇◇◇◇◇



 まだまだ外を探索したいらしいマリーにせがまれ、それならばと高台に足を運ぶ。
 この町を一望出来る高台は、結構な絶景スポットだとは思う。
 空を覆っていた厚い雲の切れ目から、沈みつつある陽光が射し込み、稲羽の町並みを照らしていた。

「緑の葉っぱ、飛んでゆく……
 お空と雲とこんにちは……
 迷子の私も飛んでゆく……
 夜空の月にさようなら……」

 マリーがぼそぼそと呟いているのは……ポエムなのだろうか。
 詩的なモノへの造詣は深く無いから何とも言えないが、自分には中々に独創的な物に聞こえる。

「ちっ、違うから!
 い、今の、ポエムとかじゃないから!
 たた、偶々心に浮かんだだけ! それだけだから!!
 か、勝手に聞かないでよ!
 ばかきらいさいあくさいてー!」

 ……心に浮かんだだけと言われても、それこそまさしくポエムというやつなのではないだろうか。
 それに勝手に聞くなと言われても……真横で呟かれたら聞く気は無くとも耳に入ってきてしまうのだが。
 マリーは頬を赤らめたまま、話題を変えるかの様に高台から街を見下ろす。

「ここ……こんなに広かったんだ……。
 何でだろ……やっぱ懐かしい。
 いいね、こういうの」

 何かを懐かしむ様に目を細めて稲羽を見下ろすマリーのその表情には、愛し子を見詰める母親のような愛情が浮かんでいた。
 そしてこちらを見上げてきたマリーは、キラキラと目を好奇心の光で輝かせている。

「まだ見れるトコある?
 もっと色んなトコ知りたい。
 キミといると、色んな事が気になるの。
 何でかな? ……意外と楽しいよ」

 その後マリーにせがまれるまま町中を案内して、日が暮れる前にはベルベットルームにまで送り届けた。





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