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未知への誘い

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「っ!」

 僅かな浮遊感の後に落下して辿り着いたのは、不思議な場所だった。
 咄嗟に受け身を取ったのであまり痛くはない。

 背後でドサドサッと二回何かが落下してきた音がした。
 あの状況から推察するに、恐らくは里中さんと花村だろう。
 振り返って近寄ると、花村は少し着地に失敗したらしく、涙目になっていた。
 二人に特には怪我らしい怪我は無さそうである事を確認してから周りを見渡す。
 一面の霧で殆ど何も見えないが……。

「ここは……」

 何処、なのだろう。
 少なくとも、ジュネスの店の中では無い。
 直前に見ていた光景から地続きの場所であるとするならば、ここはテレビの中、という事になるのだが……。
 ……。
 …………。
 ……いや、そもそもの話からして突拍子も無い事ではあるが、ここはそうとでも考えなくては話が何も進まない。

 まずは脱出する為の方法を探さなくてはならないが……。
 辺りが濃い霧に覆われているとはいえ、出口も入り口も……それらしき物が見当たらない。
 落下したと言う事は、入り口は上方にある筈なのだが見上げてみても特にはそれらしきモノは見当たらなかった。
 霧で見えないだけと言う可能性も有ろうが、落下した時間から逆算すればその高さは1.5メートルも無いだろう。
 今居るのは、まるでテレビスタジオの様な場所だけれども、撮影する為の機材などは何処にも見当たらず、ただただ剥き出しの鉄骨に取り付けられたライトが静かに霧を照らしている。
 一体この場所が何を目的として存在しているのか皆目見当も付かないが……。

 里中さんと花村は異常事態に動揺して平静を失っている。
 気持ちは分かるが、しかし、焦ろうが怒鳴ろうがそれで元の場所に戻れるという訳でも無い。
 そんな事は体力の無駄遣いでしかないだろう。
 別に、今目の前に命の危険が差し迫っているという訳でもないのだから、無闇に焦る必要性はない。

「……出口を探さないと……」

「探すって、どうやってだよ?!」

「この辺りを歩き回るしかない」

 地図とかそんな物は無い。
 スマホはネットに繋がらないし、そもそも圏外だ。
 電波の通りが悪いのか、将又近隣に基地局が無いからなのかは分からないが……。
 何の手掛かりも無いが、とにかくやってみるしかない。
 この場に止まってきた所で、第三者から救助される可能性は、限り無く零に近いのだから。

 取り敢えずは行ける所までは行ってみようという事になり、スタジオらしき場所を後にした。




◇◇◇◇◇




 またスタジオに戻れる様に、所々にサインペンで印を残しながら進んで行くと、マンションの様な建物に辿り着いた。
 霧の中から突然現れたかの様に佇むそれは、生活音が無く、人の住んでいる気配が全く無い上に、所々ハッキリとは言葉にし難い違和感を感じるが……。
 まぁそれでも周囲にそれ以外に目ぼしいものはないのだ。
 明らかに怪しいのだが、半ば仕方無しに足を踏み入れた。

 ……?
 ……一瞬霧の向こうで騒めきの様な微かな音が聴こえた気がする。
 花村と里中さんには何も聴こえなかった様なので、気の所為なのかもしれないが……。

 最大限警戒しつつマンションの中を進んでいくと、小部屋に行き当たった。

 所々にあった扉には、何も書かれていない表札や滅茶苦茶で何の法則性も見出せない部屋番号らしきものが添えられていたが、それらの扉が開く事はなく、鍵穴自体が存在していなかったのでそもそも扉としての用途を成しているのかさえ疑問に思わざるを得なかった。

 そんな中、まるで招き入れ様としているかの様に、行き当たりの部屋の扉は開け放たれていた。

 中に《《何か》》がいる気配は無い。
 万が一住人がいるのなら不法侵入になるな、と思いはするものの、まぁ人が住んでいる生活臭が全く無いので、その点は多分大丈夫だろう。
 部屋の中は心なしか大分霧が晴れている様に思える。

 尤も……それによりハッキリと見えている室内の様子は、“異様”と表現するに相応しい有り様だったが。

 壁一面に誰なのかは分からないが同一人物のポスターらしきものが貼られ、そのポスターはどれもこれも特に顔の辺りを重点的かつ執拗に切り裂かれていて、更には止めと言わんばかりに様々な色彩の塗料を撒き散らされていた。
 相当の怨みつらみが無くては、ここまでは出来ないだろう。
 ポスター以外の部屋の内装自体は、殺風景にすら感じる程のものだから余計にそのポスターの異様さが目立つ。
 塗料を被っていない僅かながらも読み取れた部分には《演歌道》や《みすず》という文字が書かれていた。
 そしてポスター以外にこの部屋の異様さを一層際立たせているものは、天井から垂れ下がった荒縄とその先に括り付けられた輪っか状にされた朱を基調としたスカーフ、そしてその真下の椅子。
 それはまるで首吊りをする為のものの様で……しかし実際に首を吊った形跡は無いので未遂に終わったのかもしれないのだけれど。

 花村も里中さんも、この部屋の異様な光景に竦んだ様に立っている。
 表現し辛い異質さに呑まれた様に茫然としている二人を尻目に、部屋を一通り捜索した。

 正直見ていて気分が良くなる様なモノでも無いが、しかしこの部屋にはそれ以外は何も無さそうだ。
 如何にも訳あり感が漂っているのに、残念な事である。
 長居しても仕方ないので、来た道を引き返そうとしたその時。

 霧の向こうから『何か』がやって来る音がした。
 逃げようにも、部屋の出入り口は一つしかない。
 完全に袋小路だ。
 咄嗟に花村と共に里中さんを背後に庇い、『何か』の出方を探る。


 そして、霧の向こうから現れたのは……。
 ……何と表現するべきなのだろう?
 熊を思いっきり可愛らしくデフォルメしたかの様な着ぐるみ、なのだろうか?
 首と胴が分離出来るタイプの様で、首もとの大きなジッパーがやけに目立つ。

 いやしかし。
 その耳はピコピコと動いているし、一昔前の少女漫画かと言いたくなる程のクリクリとした大きな目はパチパチと瞬きを繰り返している。
 これがただの着ぐるみだとは到底思えない。
 人間、かどうかすら分からない。

「えっと……どちら様?」

 取り敢えず、こちらに敵意を持つ存在かどうか位は確認しなくてはならない。
 混乱しつつもそう思い、目の前の不思議な存在に問い掛けてみると。

「キミたちこそ誰クマ!
 クマはクマクマ! 
 ずっとここに住んでいるクマ!
 そんな事よりも、キミたち早くあっちの世界に帰るクマー!」

 『クマ』と名乗った着ぐるみに、そう捲し立てられた。
 少なくとも言語的コミュニケーションが可能な相手ではある様だ。

「帰れと言われても……」

 そもそも、その為の出口を探しているんだが……。

 いや、待て。
 この奇妙な着ぐるみ、『ずっとここに住んでいる』と言わなかったか?
 もしかして、出口か何かを知っているんじゃ……。

 そう思い、着ぐるみを問い詰め様とした時。
 周囲の空気がガラリと変わったのを肌で感じた。

「あわわわわっ!!
 キミたち、早くここから逃げるクマよー!
 まだ霧は晴れない筈なのにやたらとシャドウが殺気立っているクマ!
 このままじゃキミたちシャドウに襲われちゃうクマよ!
 ほら! これをキミにあげるから、早くここから逃げるクマ!!」

「《シャドウ》?」

 そう早口で捲し立てられ、よく分からない内に着ぐるみから何かを押し付けられた。
 押し付けられたその何かは、一見するとただの眼鏡にしか見えない。
 だが、よく調べてみようとレンズを覗くと。

「霧が……見えなくなった……?」

 いや、正確にはまだ微かに残ってはいるのだが、あれ程視界を塞いでいた霧は気にもならない程の薄さになっていた。
 しかしレンズから目を外すと、やはり霧は重苦しくそこに存在している。
 ……このレンズを越しならば、視界を確保出来る、という事か。

 罠の可能性は十分に有り得たが、今は視界を確保出来る方が良い。
 迷わず渡されたその眼鏡を掛けた。
 霧があるのと無いのとでは見えてくる物が大違いだ。

 さて、先程から騒いでいる《シャドウ》とは一体何なのだろう?
 それを着ぐるみに訊ね様とした時だった。
 まるで背筋に限界まで冷却された水をぶっかけられたかの様な悪寒が走る。

「ギャーッ! 来るクマよ!」

 そう叫んでクマは何処かへと走り去ってしまった。
 その逃げ足の速さはあっという間に視界から消えてしまう程のものである。

「えっ、あっ、ちょっ……待ちなさいよ!」

 里中さんがそう叫ぶが、今はそれどころではない。

「二人とも、一刻も早くここを離れよう」

 そう言ってまだ事態を把握出来ていない二人の腕を掴んで来た道を引き返す。
 勿論全速力でだ。

「ちょっ、待てよ鳴上!」

「今は説明する手間も惜しい!
 一先ずあのスタジオの様な場所に!!」

 戸惑う花村に懇切丁寧に説明している暇は無い。
 霧が掛かっていない視界には、今の状況が嫌になる位にハッキリと映ってしまっているのだから。

 まるで床から染み出てくる様に黒い“何か”が何処からともなく現れた。
 まるでゲルの様なやや不定形な《《それ》》には、異様に目立つ仮面が引っ付いている。
 そしてその仮面を中心として体が持ち上がり、見る見る内にその形状を変えていった。
 変態後のそれは例えるならマリオシリーズのパックンフラワーの花の部分だけが中空に浮かんでいる感じだ。
 もしくは懐かしのレトロゲー、パックマンか。
 どういった原理で浮いているのかは甚だ疑問ではあるが、今はそれどころではない。
 パックマン(仮)はどう見たって友好的な存在には見えない。
 見た目で物事を測るのは良くないのだが、見た目云々の前に殺気だっているのだから仕方無い。

 パックマン(仮)の姿は、この霧の中でも二人にも僅かながらも見えている様だ。

「な、何だよコイツ!」

「わわ、分かんないけど、とにかく逃げなきゃ!!」




◇◇◇◇◇




 しかしパックマン(仮)の数はどんどんと増えてきて、建物を出た辺りで四方を囲まれてしまった。
 逃げる途中で拾った錆びた鉄パイプで応戦するが、鉄パイプは呆気なく折れ曲がったというのにパックマン(仮)は全く堪えた様子がない。

「っっ!!」

「里中!」「里中さん!!」

 その時、パックマン(仮)が不意を突いて里中さんの背後に回り込んだ。
 パックマン(仮)の、気味が悪い程巨大な舌に顔面を舐められた里中さんは恐怖が限界に達したのか、気を失って力無くその場に倒れる。

「くそっ!!」

 花村が慌てて里中さんを抱き抱えるが、里中さんが目を醒ます気配は全く無い。
 パックマンは容赦なく、そんな動けない二人に襲い掛かろうとする。

「畜生っ! 何で、こんな所でっっ!!」

「っ! 諦めるなっ!!」

 目を閉じて襲い掛かるであろう痛みに備えようとした花村に檄を飛ばしながら、襲い掛かるパックマン(仮)に全力で体当たりをして押し飛ばした。
 ダメージにはなっていないだろうが、それでも一応押したりして動かす事は出来るのだ。


 諦めてたまるか。
 こんな所で死にたくない。

 家では菜々子ちゃんが待ってるし、叔父さんだって、待ってる。
 今は遠く海の向こうに居るが、父さんや母さんだって、次の春には帰ってくる。

 彼らを思うと、こんな所で死ねない。
 彼らを思うのなら、こんな所で死にたくなんてない。

 諦めてたまるか。
 諦める事なんて、出来る訳ない。

 どんな事があっても、生きる事を諦めてたまるか。


 だから、死なせない。
 花村も、里中さんも。
 死なせない。死なせてたまるか。


「花村っ! 里中さん抱えて走れっ!!!」

「鳴上っ!!」

 道を塞いでいたパックマン(仮)に体当たりをして退かせながら、花村に叫んだ。

「良いから、さっさと!!」

 再度飛び掛かってきたパックマン(仮)の突進を身を屈めて回避してから、更にもう一度体当たりをする。
 戸惑いながらも花村は頷き、里中さんを引き摺る様にその場から逃げた。
 その背後を襲おうとするパックマン(仮)に、手近な所にいたパックマン(仮)の舌を掴んで、ハンマー投げの要領でブチ当てる。
 掴んだ際の舌のヌルリとした感触に内心悲鳴を上げたが、目論見通りに花村の背後に迫っていたパックマン(仮)は弾き飛ばされた。
 しかし、実際に感触はあるのに、何のダメージにもならないのは不可解な話である。
 いや、今はそんな事よりも。
 そう思い直して、花村達の後を追う。


「クッソ、アイツら何処まで追ってくる気なんだ!」

「分からないけどっ、とにかくっ、走るしかないっ!!」

 逃げなきゃ死ぬのだろう、とは誰に説明されるでもなく最早本能的な部分で理解していた。
 あのパックマン(仮)どもがお化けとか幽霊だとか怪物だとか、一体何なのかは分からないが、一つ言える事があるとすれば、あれは普通の人が、何の武器や対抗手段も持たずに太刀打ち出来る様な存在ではない。
 あの着ぐるみを捕まえれば、何か対抗手段が見付かるかもしれないが、今はあれを探している暇など無い。

「チッ! あんな見た目のクセに移動が速過ぎんだろ!!」

 花村は後ろをチラリと振り返って舌打ちをしつつ叫んだ。
 空中を滑る様に追ってくるパックマン(仮)どもの移動速度は速い。
 こっちだって別に鈍足ではないし、ある種火事場の何とやら的な速さで全力疾走しているのに、グングンと距離を詰めてくる。
 しかしパックマン(仮)達は小回りは利き辛い様で、曲がり角に行き当たる度に距離を離す事が出来る。
 だが……。

「あっ!」

 死角から飛び掛かってきたパックマン(仮)に驚き、それを避けたは良いが、花村が足を縺れさせて転んでしまった。
 助け起こそうと駆け寄ると、その隙にまたパックマン(仮)に周囲を囲まれる。
 どうにか抜け出そうにも、警戒されているのか今度は中々体当たりを出来そうな隙がない。

 これは……万事休す、かもしれない。

 倒れた花村達を背後にして、この怪物どもの群れに相対する。
 大きく口を空けて襲い掛かろうとしてくるパックマン(仮)達を、せめてもの意地と矜持で、死の恐怖に震えそうになる体を押さえ付け、絶対に目を反らしてやるものかと睨み付けた。
 その時。



 ━━我は汝……汝は我……


 ……声が。
 何時か何処かで聴いた事がある声が、聴こえた様な気がした。
 そして同時に。
 頭痛にも似た微かな目眩がする。

 そして、その目眩を感じたのとほぼ同時に。
 今にも襲い掛かろうとしていた怪物達は、まるで何かに怯える様に震えながら静止した。


 ━━汝、扉を開くものよ……


 額を押さえようとした手には、いつの間にか、見た事も無いカードが一枚、握られている。
 ひっくり返して見ても、そのカードには何の絵柄も無い。

 “今は、まだ”。


 ━━己が双眸を見開きて……


 手の内のカードは、自己の存在を主張する様に、青い光を放っている様に見えた。
 それに呼応する様に、自らの内から沸き出る、力強く荒々しい《《何か》》を感じる。

 自然と口元に笑みが浮かぶ。
 自らを鼓舞し相手を威嚇する様な笑みに、怪物達が動揺しているのを感じた。


 ━━汝、今こそ発せよ……!


 どうすれば良いのかは、分かった。

 そう、扉を開けるだけだ。
 その先にあるものは、ずっと昔から己と共にあり、紛れもなく“己”であるものなのだから。
 恐れる必要は無い。
 躊躇う必要も、無い。

 だから━━


「…ぺ」


 光が一際強くなる。


「ル…」


 ビリビリと震え上がる心を律しながら、それでもより強く震える様に。


「…ソ…」


 手を一度大きく広げる。
 そう、掴み取る為に。


「ナ……ッ!!」


 猛々しい光を放つカードを握って砕くと同時に、それは雄々しく吼える様に現れた。






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