ギムルキ短編
◇◇◇◇◇
もしも、何時か共には生きられぬ日が来るのだとしても。
もしも、抗い難い運命の大嵐が互いを別つのだとしても。
それでも、僕は最後まで貴女と共に生きていきたいと、そう心から思っていた。
時の輪を歪めてまでここに居る事に酷く罪悪感を抱いていた貴女を。
既に全てが滅び行こうとしていたとは言え、自分達が守り導くべきであった国を、人々を、見捨てて逃げ出したのだと己を責め続けていた貴女を。
救えなかった全てを抱え込み、癒えぬ傷痕をその心に刻み続ける貴女を。
それで尚、世界を救う事を己が使命とし、その為に文字通り全てを擲つ覚悟を……己を迷う事なく救世の“道具”として扱ってしまう……そんな強くて、だけど何処か酷く脆くも見えた貴女を。
僕は、支えたいと思った。
その苦難に満ちた旅路を優しく照らす篝火となりたいと、そう願って。
貴女の使命の果て、宿願を果たすその瞬間を、そしてそこから先もずっと続いていく筈の貴女の未来を、共に生きたいと、共に歩みたいと……、願わくば貴女が新たに歩み始める“希望”に満ちた旅路を支え導く一本の杖でありたいと、そう祈った。
世界は美しい。
貴女が守った世界は、未来は、生命の輝きは、この先も連綿と続き行く命の繋がりは、こんなにも愛しいのだと。
貴女は、貴女が守った世界を生きる権利があるのだと。
そう貴女に──ルキナに伝えていきたかった。
その心に深く深く刻み付けられた傷が消える事は無いのだとしても。
優しい記憶で、幸せな記憶で、そっとその傷を覆う様に包み込んであげたかった。
そして。
剰りにも喪う事に慣れ過ぎていたルキナは、求める事を、与えられる事を、とても恐がっていたから……。
怖がらなくて良いのだと、怯えなくて良いのだと、少しずつでも教えてあげたかった。
だって、記憶も何もかもを喪って空っぽで目覚めた僕にだって、この世界は……僕が出逢った人々は、繋いだ絆は、僕に沢山のモノを与えてくれたのだから。
喜びも悲しみも、誰かを愛しいと思う心も、何もかも。
世界は時に理不尽で、変わらないモノなんて何処にもなくて、形あるモノは何時か喪われる。
それはきっとどんな所に行っても、それこそ世界の果てでだって変わらない事なんだろうけど。
それでも決して、喪うばかりじゃなかった。
泣いてしまいそうな程に温かく愛しい宝物を、沢山与えてもくれるのだ。
俯いて立ち止まっているだけでは掴めなくても、少しでも前を見てその手を伸ばしてみれば、その手が掴めるモノは必ずある。
それを喪うまだ遠い“何時か”に怯えて、俯いて目を閉じ耳を塞いでしまっては、その手には何も残らない。
喪う事は、それが愛しく大切であればある程に辛く哀しくその心に棘を残すけれど。
心に残されたその棘が与える痛みすら、その宝物を何れ程愛しく大切にしていた事への証なのだ。
喪っても、一度手に入れたその宝物は、忘れてしまわない限りは、本当の意味で喪う事はない。
優しく愛しい“記憶”として、心を照らし導き続けてくれるのだから。
だから大丈夫なのだと。
ルキナが守ったこの世界は、ルキナから大切なモノを奪うだけの……残酷で理不尽なだけの世界ではないのだと。
ゆっくりとでも良い、少しずつでも良い。
暖かな陽溜まりで微睡む様な、そんな優しい時間を重ねながら。
ルキナの心が、悴む程の厳しい冬を乗り越えて緩やかに芽吹くその時を共に待ちながら。
その未来には“幸い”が溢れている事を、教えてあげたかったのだ。
大切で愛しい人の“幸い”を、僕は心から願っていた。
その為ならば、この身を捧げる事に躊躇いはない程に。
そう。
僕が願うのは、何時だってルキナの“幸せ”だ。
何を天秤に載せられたとしても、僕は絶対にそれだけは守り抜く。
元より“幸せ”と言うモノの定義は難しい。
それを決める尺度は個々人に委ねられ、絶対の価値観なんてこの世に有りはしないのだから。
けれども少なくとも、破滅しか無い道を切り捨てられぬ情愛を枷として共に歩く様な事は、“幸せ”とは言えないと……僕はそう思っている。
互いに目を塞ぎ自分達以外の全てを切り捨てて破滅の底無し沼に沈み行くそれは、当人たちにとっては幸せの形の一つかもしれなくても。
それでも僕は、ルキナにはそんな道を歩んで欲しくはないのだ。
ルキナを破滅へと引きずり込む枷になってしまう位ならば、僕との記憶なんて無くなってしまっても良い。
僕の事は、忘れてしまったって良いのだ。
傷付き果てて尚も戦い続けてきたルキナの最後の憩いが破滅への道行きだなんて……そんな事……僕は絶対に認めたくはない。
そう、ルキナの“幸せ”の為ならば、僕は自分の細やかな願いなんて、簡単に切り捨ててしまえる。
だからこそ、僕は──。
「待って……!
待って下さい、ルフレさん……!
行かないで……!
きっと、まだ何とか出来る方法は……!
私達が共に生きていける道は、ある筈です……!」
必死に僕へ向かって手を伸ばすルキナへと、僕は振り返る。
左右で僅かに色が違う美しい蒼碧の瞳は、途切れる事無く頬を濡らす涙によって潤んでいて。
振り絞る様に放たれた言葉は、嗚咽交じりに少し枯れている。
哀しみに、絶望に、後悔に歪んだその表情は痛ましくて。
それでも尚、諦めずに足掻こうとするその心は、何処までも気高く美しく……愛しい。
だけれども。
僕のこの胸を締めるルキナへの愛しさの中に、異物が混じる様にドス黒く凶悪な衝動が渦巻いていく。
それは紅茶にミルクを注いでかき混ぜた様に、不可分な程に混ざりあっていって。
今の僕は、ルキナの事を愛しく守りたいと思う気持ちと全く矛盾する事無く、ルキナを壊したいと感じるのだ。
ルキナを壊してしまいたい。
壊れるその瞬間を、たった一度だけしか味わえないそれを、僕が独り占めにして味わいつくしたい。
ああ、愛しい、愛しい人……。
その血の最後の一滴、その肉の一欠片、骨の断片に至るまで、何一つ残す事無く食べてしまいたい。
そして、ルキナと真実一つになりたい。
愛しくて、壊したくて、大切で、何もかもを僕のものにしたくなる。
凶悪過ぎる衝動をどうにか抑え込もうと……ルキナへと向けない様に抗い続けている内に、自分でも、苦しくて死にたくなる位に理解してしまった。
ギムレーとして目覚めてしまった僕は、必ずルキナを壊してしまう。
ルキナは諦めずに僕と共に生きようと、そう望んでくれているけれど。
その手を取ってしまったが最期、僕がルキナを食らい尽くしてしまうのは、最早想像すら必要ない。
……その手を取れたら、何れ程良かっただろう。
その手を繋いで、共に在れたら。
何時か誰しもに平等に訪れる別れの日まで、その隣を歩いていけるなら……。
ああ、でも、もう駄目だ。
伸ばされたその手に躊躇うその一瞬ですら、破壊衝動はルキナを食らおうと暴れ狂うのだ。
邪竜は、人とは共には生きられない。
何れ程人を愛しく思っていても。
いや、だからこそだ。
人を愛すればこそそれを壊してしまうからこそ、共に居てはならないのだ。
「……僕はもう、戻れない。
僕は、ギムレーだ。
人の世に滅びをもたらす者、人に願われし絶望。
そして……君の敵だ。
共になんて、生きられない。
それは、誰よりも分かっているんだろう?」
ルキナが伸ばしたその手を、そっと振り払う。
最早、同じ時を生きる事は叶わないのだと、そう言外に告げて。
だからどうか、この手を振り払ってあげられる内に。
君を手離してあげられる内に。
どうか、僕を諦めて欲しい。
絶望の檻に、虚無の泥濘に、沈み消えるのは僕一人で十分だ。
「さようなら、ルキナ。
次に会う時は、きっと君に殺される時だ……。
……その日を、楽しみにしているよ……」
願わくば、僕の死が、何時か何処かで君の“幸せ”に繋がります様に。
そして、僕の居ない君の未来が、“幸せ”に彩られています様に。
追い縋ろうとするルキナと、そこに残してしまった未練から逃げる様に、僕は背の翼を翻したのだった。
◇◇◇◇◇
もしも、何時か共には生きられぬ日が来るのだとしても。
もしも、抗い難い運命の大嵐が互いを別つのだとしても。
それでも、僕は最後まで貴女と共に生きていきたいと、そう心から思っていた。
時の輪を歪めてまでここに居る事に酷く罪悪感を抱いていた貴女を。
既に全てが滅び行こうとしていたとは言え、自分達が守り導くべきであった国を、人々を、見捨てて逃げ出したのだと己を責め続けていた貴女を。
救えなかった全てを抱え込み、癒えぬ傷痕をその心に刻み続ける貴女を。
それで尚、世界を救う事を己が使命とし、その為に文字通り全てを擲つ覚悟を……己を迷う事なく救世の“道具”として扱ってしまう……そんな強くて、だけど何処か酷く脆くも見えた貴女を。
僕は、支えたいと思った。
その苦難に満ちた旅路を優しく照らす篝火となりたいと、そう願って。
貴女の使命の果て、宿願を果たすその瞬間を、そしてそこから先もずっと続いていく筈の貴女の未来を、共に生きたいと、共に歩みたいと……、願わくば貴女が新たに歩み始める“希望”に満ちた旅路を支え導く一本の杖でありたいと、そう祈った。
世界は美しい。
貴女が守った世界は、未来は、生命の輝きは、この先も連綿と続き行く命の繋がりは、こんなにも愛しいのだと。
貴女は、貴女が守った世界を生きる権利があるのだと。
そう貴女に──ルキナに伝えていきたかった。
その心に深く深く刻み付けられた傷が消える事は無いのだとしても。
優しい記憶で、幸せな記憶で、そっとその傷を覆う様に包み込んであげたかった。
そして。
剰りにも喪う事に慣れ過ぎていたルキナは、求める事を、与えられる事を、とても恐がっていたから……。
怖がらなくて良いのだと、怯えなくて良いのだと、少しずつでも教えてあげたかった。
だって、記憶も何もかもを喪って空っぽで目覚めた僕にだって、この世界は……僕が出逢った人々は、繋いだ絆は、僕に沢山のモノを与えてくれたのだから。
喜びも悲しみも、誰かを愛しいと思う心も、何もかも。
世界は時に理不尽で、変わらないモノなんて何処にもなくて、形あるモノは何時か喪われる。
それはきっとどんな所に行っても、それこそ世界の果てでだって変わらない事なんだろうけど。
それでも決して、喪うばかりじゃなかった。
泣いてしまいそうな程に温かく愛しい宝物を、沢山与えてもくれるのだ。
俯いて立ち止まっているだけでは掴めなくても、少しでも前を見てその手を伸ばしてみれば、その手が掴めるモノは必ずある。
それを喪うまだ遠い“何時か”に怯えて、俯いて目を閉じ耳を塞いでしまっては、その手には何も残らない。
喪う事は、それが愛しく大切であればある程に辛く哀しくその心に棘を残すけれど。
心に残されたその棘が与える痛みすら、その宝物を何れ程愛しく大切にしていた事への証なのだ。
喪っても、一度手に入れたその宝物は、忘れてしまわない限りは、本当の意味で喪う事はない。
優しく愛しい“記憶”として、心を照らし導き続けてくれるのだから。
だから大丈夫なのだと。
ルキナが守ったこの世界は、ルキナから大切なモノを奪うだけの……残酷で理不尽なだけの世界ではないのだと。
ゆっくりとでも良い、少しずつでも良い。
暖かな陽溜まりで微睡む様な、そんな優しい時間を重ねながら。
ルキナの心が、悴む程の厳しい冬を乗り越えて緩やかに芽吹くその時を共に待ちながら。
その未来には“幸い”が溢れている事を、教えてあげたかったのだ。
大切で愛しい人の“幸い”を、僕は心から願っていた。
その為ならば、この身を捧げる事に躊躇いはない程に。
そう。
僕が願うのは、何時だってルキナの“幸せ”だ。
何を天秤に載せられたとしても、僕は絶対にそれだけは守り抜く。
元より“幸せ”と言うモノの定義は難しい。
それを決める尺度は個々人に委ねられ、絶対の価値観なんてこの世に有りはしないのだから。
けれども少なくとも、破滅しか無い道を切り捨てられぬ情愛を枷として共に歩く様な事は、“幸せ”とは言えないと……僕はそう思っている。
互いに目を塞ぎ自分達以外の全てを切り捨てて破滅の底無し沼に沈み行くそれは、当人たちにとっては幸せの形の一つかもしれなくても。
それでも僕は、ルキナにはそんな道を歩んで欲しくはないのだ。
ルキナを破滅へと引きずり込む枷になってしまう位ならば、僕との記憶なんて無くなってしまっても良い。
僕の事は、忘れてしまったって良いのだ。
傷付き果てて尚も戦い続けてきたルキナの最後の憩いが破滅への道行きだなんて……そんな事……僕は絶対に認めたくはない。
そう、ルキナの“幸せ”の為ならば、僕は自分の細やかな願いなんて、簡単に切り捨ててしまえる。
だからこそ、僕は──。
「待って……!
待って下さい、ルフレさん……!
行かないで……!
きっと、まだ何とか出来る方法は……!
私達が共に生きていける道は、ある筈です……!」
必死に僕へ向かって手を伸ばすルキナへと、僕は振り返る。
左右で僅かに色が違う美しい蒼碧の瞳は、途切れる事無く頬を濡らす涙によって潤んでいて。
振り絞る様に放たれた言葉は、嗚咽交じりに少し枯れている。
哀しみに、絶望に、後悔に歪んだその表情は痛ましくて。
それでも尚、諦めずに足掻こうとするその心は、何処までも気高く美しく……愛しい。
だけれども。
僕のこの胸を締めるルキナへの愛しさの中に、異物が混じる様にドス黒く凶悪な衝動が渦巻いていく。
それは紅茶にミルクを注いでかき混ぜた様に、不可分な程に混ざりあっていって。
今の僕は、ルキナの事を愛しく守りたいと思う気持ちと全く矛盾する事無く、ルキナを壊したいと感じるのだ。
ルキナを壊してしまいたい。
壊れるその瞬間を、たった一度だけしか味わえないそれを、僕が独り占めにして味わいつくしたい。
ああ、愛しい、愛しい人……。
その血の最後の一滴、その肉の一欠片、骨の断片に至るまで、何一つ残す事無く食べてしまいたい。
そして、ルキナと真実一つになりたい。
愛しくて、壊したくて、大切で、何もかもを僕のものにしたくなる。
凶悪過ぎる衝動をどうにか抑え込もうと……ルキナへと向けない様に抗い続けている内に、自分でも、苦しくて死にたくなる位に理解してしまった。
ギムレーとして目覚めてしまった僕は、必ずルキナを壊してしまう。
ルキナは諦めずに僕と共に生きようと、そう望んでくれているけれど。
その手を取ってしまったが最期、僕がルキナを食らい尽くしてしまうのは、最早想像すら必要ない。
……その手を取れたら、何れ程良かっただろう。
その手を繋いで、共に在れたら。
何時か誰しもに平等に訪れる別れの日まで、その隣を歩いていけるなら……。
ああ、でも、もう駄目だ。
伸ばされたその手に躊躇うその一瞬ですら、破壊衝動はルキナを食らおうと暴れ狂うのだ。
邪竜は、人とは共には生きられない。
何れ程人を愛しく思っていても。
いや、だからこそだ。
人を愛すればこそそれを壊してしまうからこそ、共に居てはならないのだ。
「……僕はもう、戻れない。
僕は、ギムレーだ。
人の世に滅びをもたらす者、人に願われし絶望。
そして……君の敵だ。
共になんて、生きられない。
それは、誰よりも分かっているんだろう?」
ルキナが伸ばしたその手を、そっと振り払う。
最早、同じ時を生きる事は叶わないのだと、そう言外に告げて。
だからどうか、この手を振り払ってあげられる内に。
君を手離してあげられる内に。
どうか、僕を諦めて欲しい。
絶望の檻に、虚無の泥濘に、沈み消えるのは僕一人で十分だ。
「さようなら、ルキナ。
次に会う時は、きっと君に殺される時だ……。
……その日を、楽しみにしているよ……」
願わくば、僕の死が、何時か何処かで君の“幸せ”に繋がります様に。
そして、僕の居ない君の未来が、“幸せ”に彩られています様に。
追い縋ろうとするルキナと、そこに残してしまった未練から逃げる様に、僕は背の翼を翻したのだった。
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