ギムルキ短編
◇◇◇◇◇
誰も彼も、老いも若きも、全ての人々が新たに訪れる年を祝おうと、賑わっている。
そんな喧騒から独り外れ、ギムレーはその様子を離れた所から冷めた目で見ていた。
幾千幾万と生きる竜たるギムレーにとっては、年の暮れも新年もそのどちらにも何の意味もなく、それを一々祝う事に意義もない。
特に、ギムレーは神とすら讃えられた邪竜だ。
人々から“そうあれかし”と願われ続けた、誰からも忌まれる存在。
そんなモノにとって、人間どもの祝い事など煩わしいものでしかない。
ささくれだつ心を紛れさせる為に、祝い事に浮かれる人間どもに破壊と絶望を撒き散らしたって良いのだが。
しかし、この国この世界には、数多の世界から招かれた猛者が多く、その中には竜殺しに特化した者も多い。
ギムレーが本来の力を取り戻せていればそんな力を持っていようとも人間など羽虫程度にしか過ぎぬが、今のギムレーは力の多くを喪い、人間どもに遅れを取る事は無いにせよ本来の自身からすれば無力にも過ぎる存在であった。
この状態で、態々竜殺しどもと敵対するのは些か分が悪いと言わざるを得ないだろう。
それが尚の事腹立たしく、ギムレーは苛立つ心を隠さぬままその表情を歪める。
明らかに虫の居所が悪い事は雰囲気から伝わるのだろう。
ギムレーに近付こうとする者は誰も居ない。
元より、同じくアスク王国の特務機関に招かれた者であるとは言え、その在り方からして他の人間どもとは全く異なるギムレーは、基本的に誰からも嫌煙されて遠巻きにされていた。
能天気で考えなしなのか、あの召喚師だとか言う小間使いはそんなギムレーの回りをうろちょろしているが、まあそれは特殊な例過ぎるだろうから気にするだけ無駄だ。
ギムレー自身にはその記憶が無いが、本来の世界で敵対関係にあった者も多くいる。
その中には、ギムレーに世界を滅ぼされた者も。
ギムレーの知らぬ自身の欠片を知る者を、彼等が知る自分の事を、ギムレーとて気にならない訳ではない。
だが、ギムレーと彼等は共に語り合える様な関係では無く。
もし同じ特務機関の者と言う括りでなければ、殺しあっていたであろう者も多くいる。
だからこそ、ギムレーは彼等の中に在るであろう“自分”の姿を取り戻せないままだ。
記憶が戻らぬ事、力を喪った事への苛立ち。
それなのに、彼等を見ていると時折騒めく様に揺れ動く自身の心への戸惑い。
それらが自分の存在を揺らしていく。
そして──
「……こんな所に居たんですね」
感情を無理に隠した様な何処か硬い声が、ギムレーへと向けられる。
そちらへと目を向けると、ギムレーと同じ世界から招かれたと言う……ルキナとか言う名の、忌々しいナーガの力の片鱗を持つ女がそこに立っていた。
ギムレーへと一際厳しい目を向ける彼女は、そのクセにギムレーを遠巻きに忌む人々とは違って何故かこうして時折話し掛けたりしてくる。
その意図も目的も、ギムレーにはよくは分からない。
ギムレーがその破壊の力を、味方に向けない様にと警戒して監視しているのかと最初は思っていたのだが、そういう訳でも無さそうだと最近気が付いた。
ギムレーと対する時の彼女の目には、多くの人間が抱くであろう恐怖や憎悪と言った感情の他に……哀しみに似た色が過る事がある。
哀しみなのか、憐れみなのか、何かの未練なのか。
彼女がその心に何を浮かべているのかは、ギムレーにも分かり様が無いのだが。
ただ、ルキナのその蒼の双眸が、その色に翳るのを見てしまうと、どうしてだかこの胸は激しく掻き毟られた様な痛みを覚えてしまう。
それなのに、何故か。
ギムレーはルキナの事を突き放せないのだ。
喪われた記憶の中に、その原因があるのだろうか。
それは、分からないけれど。
誰よりも、何よりも。
この心を、“ギムレー”と言うこの存在を、揺らす存在なのに。
この心を、自分を、曖昧にしてしまう人間なのに。
それでも……ルキナを殺したいとは、殺さないにしても二度と近付こうと思わなくなる様に傷付けたりして遠ざけようとは、どうしても思えなかった。
その理由が、そんな想いを抱いてしまう自分の心が、理解出来ない事が、何よりもギムレーにとっては苦しくもどかしい。
それは苛立ちとなり、ギムレーの心をささくれだたせるが、その原因となるルキナを遠ざけられない。
全く、我が事ながら、心と言うモノは度し難いものだ。
大切なモノが欠けてしまった気がして仕方がないのに、それが何だったのかその手懸かりの端すら掴めないのに。
それでも、欠けたそれが自身にとって掛替えの無かったモノであった事だけは、覚えている。……忘れる事が出来ないでいる。
絶望と破滅だけしかない自身にも何か“大切な”モノがあった事が、そしてそれを喪って尚もその欠片だけは忘れられない事が、自分にとって良い事なのかは分からないけれども。
ただ、これ以上喪う事は、きっと耐えられないだろうとそんな予感はあった。
「……僕に何か用なのかい?」
「いえ、ただ……」
無視する事も出来ず、用件を訊ねると。
ルキナは僅かに目を伏せる。
その眼差しに、深い翳りが映り──
「……えっ?」
ふと、殆ど無意識のままに。
ギムレーは、ルキナのその頭に手を置いて。
そして、僅かにその手を優しく動かしていた。
その行動に驚いたのか、ルキナは呆然とした様な表情でギムレーを見詰めていて。
そして、ギムレー自身も、自分のそんな行動に戸惑いを隠せなかった。
どうして? 何故?
それは分からないが……。
ギムレーのその行動がやっと飲み込めたのか、呆然としていたルキナは、僅かに目を伏せて。
そして、何故か……その瞳に薄く涙を浮かべた。
「…………“あなた”のこんな所は、変わらなかったんですね……」
そう呟いたルキナは、ギムレーの前では初めて見せる、哀しみを湛えながらも柔らかい微笑みを浮かべる。
その微笑みに息苦しさすら感じるのに、何故かギムレーは視線を反らせなくて。
「良い、お年を」
微笑みながらもその頬を伝う様に零れ落ちたその涙を止めてやる術が分からない事が、ギムレーには何故だかどうしようもなく哀しく感じたのであった。
◇◇◇◇◇
誰も彼も、老いも若きも、全ての人々が新たに訪れる年を祝おうと、賑わっている。
そんな喧騒から独り外れ、ギムレーはその様子を離れた所から冷めた目で見ていた。
幾千幾万と生きる竜たるギムレーにとっては、年の暮れも新年もそのどちらにも何の意味もなく、それを一々祝う事に意義もない。
特に、ギムレーは神とすら讃えられた邪竜だ。
人々から“そうあれかし”と願われ続けた、誰からも忌まれる存在。
そんなモノにとって、人間どもの祝い事など煩わしいものでしかない。
ささくれだつ心を紛れさせる為に、祝い事に浮かれる人間どもに破壊と絶望を撒き散らしたって良いのだが。
しかし、この国この世界には、数多の世界から招かれた猛者が多く、その中には竜殺しに特化した者も多い。
ギムレーが本来の力を取り戻せていればそんな力を持っていようとも人間など羽虫程度にしか過ぎぬが、今のギムレーは力の多くを喪い、人間どもに遅れを取る事は無いにせよ本来の自身からすれば無力にも過ぎる存在であった。
この状態で、態々竜殺しどもと敵対するのは些か分が悪いと言わざるを得ないだろう。
それが尚の事腹立たしく、ギムレーは苛立つ心を隠さぬままその表情を歪める。
明らかに虫の居所が悪い事は雰囲気から伝わるのだろう。
ギムレーに近付こうとする者は誰も居ない。
元より、同じくアスク王国の特務機関に招かれた者であるとは言え、その在り方からして他の人間どもとは全く異なるギムレーは、基本的に誰からも嫌煙されて遠巻きにされていた。
能天気で考えなしなのか、あの召喚師だとか言う小間使いはそんなギムレーの回りをうろちょろしているが、まあそれは特殊な例過ぎるだろうから気にするだけ無駄だ。
ギムレー自身にはその記憶が無いが、本来の世界で敵対関係にあった者も多くいる。
その中には、ギムレーに世界を滅ぼされた者も。
ギムレーの知らぬ自身の欠片を知る者を、彼等が知る自分の事を、ギムレーとて気にならない訳ではない。
だが、ギムレーと彼等は共に語り合える様な関係では無く。
もし同じ特務機関の者と言う括りでなければ、殺しあっていたであろう者も多くいる。
だからこそ、ギムレーは彼等の中に在るであろう“自分”の姿を取り戻せないままだ。
記憶が戻らぬ事、力を喪った事への苛立ち。
それなのに、彼等を見ていると時折騒めく様に揺れ動く自身の心への戸惑い。
それらが自分の存在を揺らしていく。
そして──
「……こんな所に居たんですね」
感情を無理に隠した様な何処か硬い声が、ギムレーへと向けられる。
そちらへと目を向けると、ギムレーと同じ世界から招かれたと言う……ルキナとか言う名の、忌々しいナーガの力の片鱗を持つ女がそこに立っていた。
ギムレーへと一際厳しい目を向ける彼女は、そのクセにギムレーを遠巻きに忌む人々とは違って何故かこうして時折話し掛けたりしてくる。
その意図も目的も、ギムレーにはよくは分からない。
ギムレーがその破壊の力を、味方に向けない様にと警戒して監視しているのかと最初は思っていたのだが、そういう訳でも無さそうだと最近気が付いた。
ギムレーと対する時の彼女の目には、多くの人間が抱くであろう恐怖や憎悪と言った感情の他に……哀しみに似た色が過る事がある。
哀しみなのか、憐れみなのか、何かの未練なのか。
彼女がその心に何を浮かべているのかは、ギムレーにも分かり様が無いのだが。
ただ、ルキナのその蒼の双眸が、その色に翳るのを見てしまうと、どうしてだかこの胸は激しく掻き毟られた様な痛みを覚えてしまう。
それなのに、何故か。
ギムレーはルキナの事を突き放せないのだ。
喪われた記憶の中に、その原因があるのだろうか。
それは、分からないけれど。
誰よりも、何よりも。
この心を、“ギムレー”と言うこの存在を、揺らす存在なのに。
この心を、自分を、曖昧にしてしまう人間なのに。
それでも……ルキナを殺したいとは、殺さないにしても二度と近付こうと思わなくなる様に傷付けたりして遠ざけようとは、どうしても思えなかった。
その理由が、そんな想いを抱いてしまう自分の心が、理解出来ない事が、何よりもギムレーにとっては苦しくもどかしい。
それは苛立ちとなり、ギムレーの心をささくれだたせるが、その原因となるルキナを遠ざけられない。
全く、我が事ながら、心と言うモノは度し難いものだ。
大切なモノが欠けてしまった気がして仕方がないのに、それが何だったのかその手懸かりの端すら掴めないのに。
それでも、欠けたそれが自身にとって掛替えの無かったモノであった事だけは、覚えている。……忘れる事が出来ないでいる。
絶望と破滅だけしかない自身にも何か“大切な”モノがあった事が、そしてそれを喪って尚もその欠片だけは忘れられない事が、自分にとって良い事なのかは分からないけれども。
ただ、これ以上喪う事は、きっと耐えられないだろうとそんな予感はあった。
「……僕に何か用なのかい?」
「いえ、ただ……」
無視する事も出来ず、用件を訊ねると。
ルキナは僅かに目を伏せる。
その眼差しに、深い翳りが映り──
「……えっ?」
ふと、殆ど無意識のままに。
ギムレーは、ルキナのその頭に手を置いて。
そして、僅かにその手を優しく動かしていた。
その行動に驚いたのか、ルキナは呆然とした様な表情でギムレーを見詰めていて。
そして、ギムレー自身も、自分のそんな行動に戸惑いを隠せなかった。
どうして? 何故?
それは分からないが……。
ギムレーのその行動がやっと飲み込めたのか、呆然としていたルキナは、僅かに目を伏せて。
そして、何故か……その瞳に薄く涙を浮かべた。
「…………“あなた”のこんな所は、変わらなかったんですね……」
そう呟いたルキナは、ギムレーの前では初めて見せる、哀しみを湛えながらも柔らかい微笑みを浮かべる。
その微笑みに息苦しさすら感じるのに、何故かギムレーは視線を反らせなくて。
「良い、お年を」
微笑みながらもその頬を伝う様に零れ落ちたその涙を止めてやる術が分からない事が、ギムレーには何故だかどうしようもなく哀しく感じたのであった。
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