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ギムルキ短編

◇◇◇◇




 私がまだ幼く、戦乱に揺らぐ世界の中であっても穏やかで幸せな日々を過ごせていた頃の事だ。
 私が何か出来るようになる度に「よく出来ました」とフワリと優しく頭を撫でながら微笑んでくれる人が居た。
 もう“あの人”の事は、名前も顔も声も思い出せない。
 だが、優しい“あの人”の事を、私はとても大好きだった事はまだ覚えている。

 父を亡くし、母を亡くし、数多の臣下達を喪い民を喪った。
 きっと、もう誰だったのか思い出せない“あの人”は、私が亡くしてしまった沢山の大切な人達の中の誰かだったのだろう。
 だからこそ、この世界に絶望をもたらした全ての根源である邪竜ギムレーを討ち世界を救う事こそが、名すらもう分からない“あの人”への手向けとなると……私は思っていた。

 なのに、どうして……。
 どうして──


 千年の時を経て神竜の力を再びその刀身に甦らせたファルシオンにその身を貫かれた邪竜ギムレーが、その人型の現身たる存在が……。

 どうして、微笑んでいるのだろう。
 どうして、優しく私の頭を撫でているのだろう。


「よく、できました……」


 微笑みながらも苦し気な吐息と共に零れたその言葉は、慈しむ様な優しさに満ちていて。
 頭を撫でる温かなその掌は、遠い遠い記憶の彼方の“あの人”のそれを呼び起こした。

 堰を切った様に溢れ出す『懐かしさ』と『苦しさ』と『哀しみ』に訳も分からず混乱した私は。


「あな、たは……」


 震える声で絞り出す様に、朧気ながらも僅かにその端が脳裏に掠めた“その名”を呼ぼうとするが。

 それに気付いたギムレーは、その現身は。
 ゆるりとその頭を横に振って、震える右手の人差し指でルキナの唇を塞いだ。


「ぼく、は。
 じゃ……竜、ギム……レー、です。
 せか……いを、ほ……ろぼす、忌む、べき……存ざい、の……。
 それ、い……外の、なにも……のでも、ない。
 きみは、正……しい、ことをした。
 き、みが……せか……いを、すく……った」


 サラサラと、ギムレーの姿がまるで解ける様に消えて行く。
 自身が消え行くその様を目の当たりにしても、ギムレーのその眼は凪いだ様に穏やかであった。


「ありが、とう……ルキナ……」


 そう言って、殆ど消えているその手でもう一度優しくルキナの頭を撫でると。
 何かを想う様に空を見上げ、そして。
 傾きかけた陽の光に溶ける様に、その身体が完全に解ける様に消えた。


「あなたは──」


 遠い遠いあの日に、私の頭を撫でてくれた“あの人”だったのでは?と。
 消え行くギムレーに終ぞ訊ねる事が出来なかったその言葉を、私は呑み込むしか無かった。
 ギムレーが消えた直後に訪れた、世界を祝ぐかの様に美しく……だが何処か喪失感を呼び起こす様な鮮やかな夕焼け空を、私はきっと一生涯に渡って忘れる事は無いだろう。



 喪われたモノは多く、その傷痕は途方もなく大きい。
 それでも、世界は救われた。
 死に絶えた大地は少しずつ蘇り、世界は緩やかながらも復興に向かっていく。
 この心に刻まれた幾多もの傷痕も、時の流れの中で何時しか少しずつ薄れて行くのだろう。

 喪ったモノは二度と還らない、それでも生きている限りは新たに得るモノがある。
 今は触れれば鋭い痛みと哀しみをもたらす心に深く刻まれた傷痕ですら、時の流れの中で何時かは古傷の様に時折痛むモノへと変わってゆく。

『生きる』とは、そう言う事だ。

 だからきっと、遠い遠い何時かのあの日々の中で喪ってしまった『あの人』のカタチをしたこの胸の『虚ろ』も、時の流れの中で薄れてしまうのだろう。
 それが何故だか無性に哀しくて。

 ルキナは、その『虚ろ』がそこにある事を忘れる日が、せめて遠い遠い何時かである事を願い、そっと目を閉じたのだった。





◇◇◇◇◇
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