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ギムルキ短編

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「あぁ……ルキナ、今日も君は美しいね」


 うっとりとした声で、彼はルキナの髪を掬い上げてそこに口付けた。
 ルキナはそれに抵抗しようとするも、身を縛る鎖が身動きを許さない。
 身を捩った所で、硬質な音を立てるばかりで。
 この場から逃れる事も出来ないのだ。


「……無駄だよ。
 その鎖は僕の力で作ってあるモノだ。
 君がナーガの力を継ぐ者であったとしても破る事は出来ない」


 彼の手が優しくルキナの頬を撫でる。
 その手付きはあまりにも優しく慈愛に満ちていて。
 錯覚しそうになるが。


「……愛しているなどと口では言うのに、私をこうやって縛るのですね」


 そう彼を睨み付けながら敵意を籠めて唸ると。
 とんでもないとでも言いたそうに彼は両手を広げる。


「まさか。
 愛しているさ、ルキナ。
 愛しているからこそ、僕はこうやって君をここに留め置くんだよ。
 僕はもう、世界なんてどうでも良いんだ。
 君がこうしてここに居てくれるのなら、それだけで良い……」

「……世界を滅ぼそうとしているあなたが、それを言うんですか?」


 ルキナは知っている。
 彼がもたらした絶望を、悲劇を。
 人々の営みを踏み躙り、死と絶望を撒き散らすその姿を。
 命が紙屑の様に吹き散らされていくその恐ろしさを。
 ルキナは、よく知っている。

 だが彼は、そんなルキナの敵意など意にも介していないかの様に、軽く肩を竦めるだけであった。


「おや、いけないのかい?
 確かに僕は世界を滅亡に追いやった。
 だけども──」


 彼の紅い瞳がルキナを射抜く。

 その目に僅かに怯んでしまったルキナを愛し気に見詰めて、彼はその頬に手を当てる。


「僕が居ようと居まいと、人は醜く愚かしい戦を幾度も繰返し、憎悪の連鎖を育てていただろう?
 そう遠くない未来の何処かで、それこそ国と国どころか世界全体で、お互いを滅ぼし尽くす戦を起こしていたよ」


 滅びに向かうのが幾分か早かっただけの事だよ、と。
 彼は邪気の欠片も無い様な笑顔でルキナに語った。


「僕は君達の感性からすれば、確かに邪悪なのかもしれない。
 壊す事や殺す事に何の躊躇いも感じないし、そもそも、僕からすればニンゲンなんて皆等しくどうでも良い、虫けらみたいなものだからね」


 でも、と。
 彼はそう呟きながら動けないルキナを抱き締める。


「僕は君の事がどうやら好きになってしまったらしい。
 ……最初は、目障りで忌々しいナーガの力を継ぐ子供だから、精々絶望の淵に叩き落としてから殺そうかと思っていたんだけどね……」


 憎い相手なのに、世界を滅ぼそうとしている敵なのに。
 ルキナを抱き締める彼の身体は温かく、ゆっくりと髪を撫でてくるその手は何処までも優しかった。
 少しでも気を抜けば。
 彼がギムレーだと言う事も。
 そしてルキナの自由を奪ってここに縛り付けている事も。
 何もかもを忘れてしまいそうになる。


「君を見て、君に関わる内に、堪らなく愛しくなったんだ。
 本来なら憎たらしく感じる筈なのにね?
 矮小なる人の身で僕に挑もうとしてくるその姿ですら、この心が震える程に愛しいんだよ」


 ギムレーは、善良な旅人を装ってルキナに接触してきた。
 愚かだったルキナは、彼を信頼し、共に闘い……。
 そして、囚われたのだ。


「君は、ニンゲンどもから勝手に背負わされた身勝手な『願い』を叶えようと足掻き続けていた。
『助けて』、『救って』、『ギムレーを倒して』……。
 ただ願うだけならば、ただ期待するだけならば、とても簡単だね。
 君一人に、全てを任せてしまえばそれでお仕舞い。
 後は自分が押し付けた願いが、勝手に叶うのを待つだけなのだから」


 ルキナを優しく抱き締めながら、ギムレーはゾッとする程に冷たい声で吐き捨てる。


「全く、身勝手だよねニンゲンって奴等は。
 君が何れ程のモノを犠牲にして、何れ程足掻き続けているのか見向きもしないで。
 誰も彼も、『苦しい』『辛い』『死にたくない』と。
 誰も期待した先の筈の君を見ていない」


 まあ、それもそうなのかな、とギムレーは呟く。


「だって、彼等からしたら、願いを託す先が君であるかどうかなんてどうでも良いんだからね。
 彼等にとって大切なのは、君が受け継いだ『ファルシオン』だ。
 君に『願い』を託すニンゲンにとったら、君と言う存在は『“ファルシオン”の担い手』以外の価値は無い。
 酷い話だね?
 君は君の人格も想いも願いも、何もかもを顧みられないままに、身勝手に押し付けられた『願い』に縛られて戦わされ続けているんだから」


 あぁ、可哀想に。
 そんな事を宣いながらギムレーは、幼子をあやす様に抱き締めたままルキナの背を擦る。


「君に勝手に『願い』を押し付けたニンゲンどもの中で。
 何れ程のニンゲンが、僕を倒す為に戦っていたんだい?
 何れ程のニンゲンが、人々を守ろうと屍兵と戦っていたんだい?
 君が見てきた中には、何もかもを諦めて何もしないクセに『期待』だけは押し付けてくる奴等や、こんな状況でもニンゲン同士で殺しあっていた奴等は居なかったかい?」


 否とは、言えなかった。
 彼の言う人々に、ルキナは大いに心当たりがあったからだ。
 彼等には戦う力が無いのだから仕方がないのだと、生きていく為に相争う者が居るのは仕方がないのだと。
 ギムレーを倒しさえすれば、全ては上手くいき、世界は良くなるのだと。
 そう自分に言い聞かせていたのだけれど。


「君が傷付き戦わなくてはならなかったのは、確かに僕の所為だ。
 だけど、君に戦う事を強いていたのは。
 それは他ならぬ君が守ろうとしていた者達だ。
 誰も彼もが、君に『戦え』と。
『ギムレーを倒して世界に平和をもたらしてくれ』と。
 君の意志が何処にあるのかなんて気にも掛けずに、君を戦場に追いやった」


 彼の紅い瞳に強い苛立ちが浮かぶ。
 そして、ルキナを安心させる様に、また抱き締め直す。


「僕を封じた所で、人々はまた新たな戦を始めるだけさ。
 そして、また君は戦場へと追いやられるだろう。
 今度は人と人との戦に、ね。
 例え傷付き果てようとも、君はニンゲンどもから顧みられる事は無い」


 だけど、と。
 彼は優しくルキナを見詰めた。


「僕は君を絶対に傷付けない。
 君を傷付ける全てから、君を守るよ。
 ここに居れば、君はもう身勝手な『期待』や『希望』を背負わされて戦う必要なんか無いんだ」


 真っ直ぐなその眼差しに、偽りがある様にはルキナは思えない。
 彼は、ギムレーであるのに。

 だが、騙されてはいけない。
 流されてはいけない。

 愛していると、守ると、ルキナに繰り返しそう囁くこの邪竜は。
 ルキナの自由を奪い、ここに閉じ込めているのだ。
 彼の愛とやらが真実であるのだとしても、それは籠の中の鳥を愛でているだけに過ぎないのだ。


「あなたの言う愛なんて、所詮は籠の鳥を愛でているだけなんでしょう?
 こうやって私から自由を奪っているのがその証拠です。
 そんなものは、愛ではないです!」


 そう言ってやっても。
 彼は一向に堪えた様子も無く微笑む。
 まるで、子供の癇癪を見守っているかの様な眼差しだった。


「こうでもしないと、君はあの身勝手なニンゲン達の元に戻ろうとすんだろう?
 君は剰りにも長い間『希望』とやらの枷に縛られ続けていたからね。
『希望』の虜囚になっていても、それでもその生き方を止められないんだろう?
 まあ勿論、君がどうやったってここからは逃げられないけれど。
 でも、『希望』に縛られる為に君がここから逃げ出そうとする姿を見せ付けられてしまっては……。
 僕はきっと、君を縛ろうとするもの全てを壊してしまうよ。
 君に『希望』を押し付けるニンゲンを全て滅ぼせば、君はもうそれに縛られる事も無いのだから」


 今度は強く、少し息苦しさすら感じる程の力で彼は抱き締めてくる。


「でもそれはきっと、君の望む所では無いんだろう?
 僕はニンゲンの気持ちなんて分からないけれど、他でも無い君の心だからね。
 それ位は分かっているつもりさ。
 だから、これはお互いの為なんだよ」


 それとも、と。
 凍て付く様な冷酷さを孕んだ眼差しが、ルキナを見据えた。


「君が守ろうとしたモノを。
 ……そうだね……例えば、共に戦っていた仲間達を。
 殺してその死体を君に見せれば、君は諦めてくれるのかい?
 それとも、ここに独り閉じ込められるのが嫌であると言うのなら。
 彼等を殺して屍兵にして連れてくれば良いのかな?」

「それだけは……っ!!」


 その光景を想像してしまい、ルキナは悲鳴を上げて彼を翻意させようとする。
 そんなルキナを見詰め、大丈夫だよ、と彼は優しく頭を撫でた。


「君が逃げないと約束するのなら、その鎖だって外そう。
 君が望むのなら。
 ……僕から離れると言う願い以外なら、全て叶えてあげるよ。
 僕は君を大切にするし、傷一つ付けたりはしない。
 勿論、無闇に哀しませたりなんかもしたくは無い。
 ニンゲンが絶望する顔を見るのは愉しいけれど、君には絶望するよりは笑っていて欲しいんだ。
 僕は、君を幸せにしたい。
 ただそれだけなんだ」


 そう言ってルキナの唇に、彼は触れるだけの優しい口付けを残した。

 ルキナの自由をこうして奪っている事以外は、彼はとても優しくて。
 決して無体などは働こうとはしないし、嘘も吐かない。


 逃げられないこの絶望の中で。
 その終わりが来る事を望みながらも。

 何処か心の奥底には、この時間がずっと続けば良いと思う自分が居る事に。
 ルキナはまだ、気付かない振りをしている。





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