このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

魂の慟哭

◆◆◆◆




 何処に行っても、ルキナの姿を見た人々の行動は、怯えて悲鳴を上げながら逃げ出すか、或いは武器を手にルキナを追い立てるか……そのどちらかでしかなかった。
 何れ程ルキナが、決して人々の害になる様な行為はしていないのだとしても。
 異形であると……凶暴そうな見た目の竜であるからと言うただそれだけで、人々はルキナを恐れ殺そうと追い立てる。
 そんな事がもう幾度も続いていて。
 ルキナはもう、人里には極力近寄らない様にしていた。
 どうせ、誰にも自分がルキナであると分からないのだし、何れ程ルキナが友好的な態度であっても人々はルキナを恐れ疎みそして害獣の様に扱う。
 無論、それが仕方の無い事であると、ルキナ自身誰よりも分かっているのだ。
 ルキナとて、人里近くにこの様な大きな竜が現れたとなれば、その竜が何れ程無害そうに見える竜であっても、もしもの事を考えて駆除する様に命じていたであろうから。
 それを、いざ自分がその立場になった時に、理不尽であると怒るのは幾ら何でも虫が良すぎる話である。
 だからこそルキナは、人と関わる事を諦めた。
 住処など無く、宛てなく彷徨っては水場の近くで力尽きたように眠る……その繰り返しであった。
 しかし、ルキナには人と関われなくなった事、人に忌避される様になった事以上に深刻な問題が発生していた。
 ……食料が、殆ど無いのだ。

 ギムレーによって常に空は厚い雲に覆われ、陽の光は十分には地上に届かず。
 それによって多くの植物が枯れ果て、新たに芽吹く事すら儘ならない。
 その結果として食料が大幅に減った事と、餓えた人々によって狩られた事で野の獣たちもその多くが姿を消していた。
 一日に腹の足しにもならぬ痩せ衰えた野鼠を数匹捕まえられれば良い方で、何日も水以外は何も口に出来ない日も多い。
 時折、運が極めて良ければ猪や鹿や熊と言った大物を狩る事が出来るので、それで何とか空腹を誤魔化していた。
 しかしルキナが慢性的に酷い飢餓状態にある事には変わらず、大物を狩れる事など滅多としてない。
 ルキナがヒトであった時も、食糧事情は酷い物であったし、思う存分食べる事が出来た事なんて、例え王族であるルキナですら世界が絶望に沈む前の……まだ父も母も健在だった幼い頃の事でしか無い。
 だからこそ、空腹と言うモノにはもう慣れていると思っていたのだけれど、『空腹』と『飢餓』は全くの別物であるのだと、ルキナは身に沁みて理解した。
 そもそも、ルキナは人々にとって『最後の希望』であり、食糧を初めとした諸々にはかなり融通されていたのだ。
 融通されていたとしても食料が足る事は一度も無かったのではあるが、それは今のこの世界では有り得ない贅沢である。
 しかし、竜の身となったルキナは自力で獲物を狩らねばならないのだ。
 ルキナがギムレーによって竜に変えられて、既にもう三月……一々日にちを数える事はしていないのでもしかしたらもっと時間が経っているのかもしれないけれど、まあ何にせよそれなりの時間が経った今、ルキナはこの竜の身を生来竜であったかの様に動かす事が出来ていた。
 飛竜にも負けない速さで空を翔ける事が出来るし、まるでマムクートたちの様にブレスを吐く事も出来る。
 だけれども、幾らルキナがこの身体に慣れた処で、獲物となる獣の数自体が圧倒的に不足している中では、何かを狩ろうにもどうする事も出来ないのであった。
 だからこそ、ルキナは常に飢え続け、時折獲物にあり付けた時には、その骨まで齧り尽くす勢いで食べてしまうのだ。
 まさに獣のよう……としか言えぬ食事風景ではあろうけれども、とにかく少しでも腹を満たす事の方が重要で。
 そもそも手が使えぬ時点でヒトらしい食べ方など出来ない。

 飢餓が酷く続いた時、時折ルキナの意識は飛んでしまう。
 まるでただの凶暴な竜である様に、目に付くもの全てに襲い掛かってしまいそうになっているのだ。
 尤も、そんな酷い飢餓状態に在る時は、目に付く場所には何の生き物も居ない事が多いのだけれども。

 そう言えば、初めて獲物を狩ってそれを貪った時も、ルキナは酷い飢餓に襲われていた。
 あれは……何度となく人里近くに近付いては、人に追われてその場から逃げると言う事を繰り返していた時の事。
 竜に変じてから何も口にしていなかったと言う事で、ルキナはもう限界を迎えていた。
 何か獣を狩ると言う発想すら頭からすっかり抜けていて。
 何より、野の獣の血肉をそのまま貪り食うなど、『ヒト』の行いでは無いと、役に立たぬ常識が咎めていたのが大きい。
 あのままでは極度の飢餓で意識を喪って死んでいた可能性も高かったと、後になって思う程度には酷い有様であった。
 そんな中、人に追われて辿り着いた山奥で、ルキナはもう一歩も動けなくなっていて。
 飢餓の中で朦朧とした意識の中、ぼんやりとした意識の片隅で、野兎が近くで跳ねたのを目にした。
 その瞬間の記憶は、ルキナには無い。
 気が付けば、ルキナの口の中には鉄臭い血肉の匂いが噎せ返る程に充満していて。
 そしてその足元には、周囲に撒き散らされた血の付いた兎の毛と、肉と骨を噛み砕かれ無惨な姿に変わり果てた野兎の成れの果てが転がっていた。
 自分が兎を捕らえ、そのまま貪り食ったのだと理解したのは、我に返ったその一瞬後の事で。
 余りにも獣染みたその行いに恐ろしくなり、とうとうこの心まで獣に成り果てたのかと震え上がったけれども。
 結局その後も飢餓には耐えられず、もう獲物を狩ってそれを貪る事には、何の忌避感も懐けなくなってしまっていた。
 時折それを思い返して、今の自分は随分と変わり果ててしまったものだと自己嫌悪に陥りそうになるけれど。
 かと言って飢餓の中で死ぬ勇気は無い。
 ……もし極限の飢餓の中で自我を喪ったら、今のルキナは人里を襲って人を喰らってしまうかもしれないと、その最悪を恐れてしまっているからだ。

 だからこそ、少ない獲物を狩りながら、どうにか致命的な極限の飢餓状態に陥る事だけは避けようとしていたのであるけれども……。
 しかし、ルキナではどうにも出来ぬ獲物不足と言う現状は、確実にルキナを追い詰めていて。
 最早破綻は目前へと迫っているのであった。




◆◆◆◆
5/8ページ
スキ