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千夜一夜のアルファルド

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 ルキナがギムレーと図書館で初めて遭遇したあの日から、ギムレーは毎日の様に“賭け”の時間外にも何の前触れもなしにルキナの元へと訪れる様になった。
 図書館で本を読んでいる時に現れては、面白かったかと訊ねて。
 食事をしている時に現れては、美味しかったかと訊ねて。
 それらに何の意図があるのかは全くルキナには分からないが、そうやって訊ねてくるギムレーは不思議と何処か“楽しそう”であった。
 当初こそギムレーのそんな行動に戸惑っていたルキナだが、それが数回も続いた頃からは「そんなもの」として割り切ってはいる。
 しかしそれでも慣れると言う事はなく、ギムレーが来る度にその身は僅かながらも強張ってしまうのだが。

 それらの行動を気紛れと称しているギムレーだが、果たして一体何処までが本当なのやら……。

 その理由を考えた所で、ルキナに分かる訳でもなく。
 “楽しそう”にしている限りは少なくとも直ぐ様ルキナにどうこうしてくる事は無いのだろうと、そう思う事にしている。

 しかし、ギムレーがそんな行動を見せる様になってから、夜毎の“賭け”の時の“対話”にも変化が生じていた。
 ギムレーは少しずつだが、自身の過去の事を断片的にでも語ってくれる様になったのだ。
 何故かそれと同時に、ルキナも過去の事を答えさせられているのだが。
 まあ、生殺与奪の全てを握られているルキナとしては、今更ギムレー相手に隠さねばならぬ過去などはない。
 強いて言えば、過去の事を答える時に……幸せだった頃の事を思い出しては胸が痛む程度である。
 しかしその胸の痛みを対価としてギムレーの過去を聞き出せるのならば、それは決して悪いものではない。

 断片的に語られたギムレーの過去は、多くは人間への憎悪や怒りに満ちているものであった。
 しかし、ギムレー当人は決してそうと語った訳ではないのだが、その過去はある意味では『ギムレーが人間の都合に振り回された』ものでもある。
 現に、人々が望んだからこそギムレーは蘇り、世界は滅びへと向かっているのだから。
 確かに千年前の折に復活の為の種を蒔いたのはギムレーなのだろうけれども。
 しかしその種を育て続け、ギムレーを蘇らせたのは紛れもなく人間達である。
 果たしてそうして甦った事がギムレーにとって本当に望んでいた事なのだろうか?と、ルキナはほんの僅かだが感じてしまった。

 ルキナはギムレーではない。
 だから、本当の意味ではギムレーの心情など理解は出来ない。

 しかし、少なくとも……。
 もしも、ルキナがギムレーの様に、『悪であれ』と望まれ続け、人々から忌まれるのと同時に“憎悪”に身を焦がす人々からは世界を滅ぼす事を望まれ続け、そしてそんな人々の破滅的な願いによって引き摺り出されたのなら……。
 もしそうならば、と少しだけ考えてしまう。

 ルキナとギムレーでは経験してきた物事が全く違う以上は、その心の在り方もやはり違う。
 それは竜と人と言う違いよりも大きなものであるのだろう。

 経験が、記憶が、心を作り、人格を作り、価値観を与え、認知を生む。
 愛された事が一度もなく、愛に触れた事も無い者が、“愛”を理解出来ない様に。
 負の感情しか与えられなかった者が、その心を大きく歪ませてしまう様に。
 人でもそうなのだ。
 それが、同じく知性を持つ竜でも同様の事が起こらないと、どうして言えようか。

 確かに、経験とは無関係に生まれつきで決まる性質もあるだろう。
 何れ程愛情深い親の元に産まれていてもそれが“合わない”子と言うのは稀にであれども存在するし、どんな育ち方をしていてもそれこそ人の心など最初から持ち合わせていないかの様な自己愛の怪物の様な心を持ってしまう者もいる。
 王族として過去の事柄を学び、様々な人物の歴史に触れた事のあるルキナとしては、“人間”と言う生き物が“全くの善なる者”であると言う訳でもない事をよく知っていた。
 ギムレーが元々そんな歪な“心”を持つ存在であると、それを否定する事も肯定する事も出来ないけれども。
 しかし、例え歪な“心”を持つ者であったのだとしても、邪悪な者とはならなかった人間だって数多く居た様に。
 生まれながらにそんな“心”を持っていたとしても、その後の経験でやはり変わり得るものなのだ。
 だからもし、ギムレーが生まれてから経験してきた何かが一つでも違っていれば、今の様に人々を滅ぼし世界を滅ぼす事を目的とする様な事も無かったのかもしれない。
 それらは“もしも”でしかないのだけれども……。

 ……ルキナはギムレーとは違う。

 ルキナは両親や周囲の人々から目一杯に愛情を受けて育った。
 王族としての責任と言うものは勿論あったけれども、誰かから忌まれた経験など勿論無くて。
 両親を喪い、人々の旗頭としてギムレーと戦わなくてはならなくなっても、人々からは『希望の象徴』としての在り方を望まれてきた。
 ……他者に忌み嫌われ排斥され、『世界を滅ぼす悪』としての在り方を望まれてきた訳ではない。

 ギムレーに、誰か“大切な者”は居なかったのか?と訊ねた事がある。
 それが人であれ竜であれ、或いは何か別の生き物であれ、ギムレーにとって自分以外に何らかの“価値のある存在”は居なかったのか、と。
 その答えは、“否”であった。
 ギムレーがこの世に産まれ落ちて以来、何一つとしてそんな者は居なかった、と。

 ……それは、ある意味でとても孤独な事なのではないだろうか。

 “竜”と言ってもルキナが知る竜は、ンンと、その母親であるノノと、そして神竜の巫女であるチキ位なのだけれども。
 しかし彼女等は皆、誰もが自分の他にも大切な者を抱えていた。
 それはもう今は居ない友であったり恩人であったり、或いは家族であったりと、それは様々だったけれども。
 “竜”であろうとも、誰かを愛する事があるのは、人間と全く変わらない筈である。
 例えそれが、人間などとは比べ物にならない程の強大無比な存在である“邪竜”ギムレーであったのだとしても、きっと。

 ならば、ギムレーにはそんな存在が一切居ないと言う事は、つまり彼が誰かを“愛”そうとは到底思えない様な経験しかしてこなかったと言う事なのだろうか。
 それは、あまりにも…………。

 ルキナはふと胸に生まれた感情に、我が事ながら動揺した。

 それは、憐れみと言う訳でもない、同情と言う訳でもない。
 “憐憫”の情などを懐くにしては、ギムレーは剰りにも強大過ぎて。
 “同情”などは懐けない程に、その所業は“人間”にとっては剰りにも“悪しき”ものであった。
 だが、何処か哀しみにも似たそれは、もどかしくもルキナの胸の内に消える事なく澱の様に静かに沈んでいく。

 ギムレーを『改心』させたいと言う思いは変わらない。
 世界を救うと言う目的を見失った訳でもない。
 だけれども……、それらとはまた違う“何か”が、確かにルキナの心に芽生え始めていた。


(私は……)


 その時、ルキナの目の前に何かが置かれる。
 思考に耽るあまり完全に意識の外にあったが故に、驚いてとっさにそれに意識を向けると、それは小さな花束であった。
 何て事は無い花束なのだろうけれども、しかしそれはこの滅び行く世界ではもう何処にも存在しない筈のもので。
 驚いて顔を上げると、そこには予想した通りに、こちらをその紅い瞳で見ているギムレーの姿があった。
 この世界でこんなものを用意する事が出来るとすれば、それは確かにギムレーだけなのだろうけれども。
 しかし、その動機はルキナには全く分からない。
 何時もの気紛れなのかもしれないが、それにしたって一々こんなものを用意するなんて……。


「君はこう言うものが好きなんだろう?
 それで、どう感じたんだい?」

「えっ?」


 ギムレーの意図が掴めず困惑している中で突然に投げ掛けられたそんな言葉に、益々ルキナは混迷を極める。
 好き?いや、確かに花の類いは嫌いではない。
 かつて世界がまだ平和で、花が普通に存在した頃は、よく花を贈られたものだった。
 確かに、ギムレーにその事を話した事はある。
 しかし、何故?


「…………そうか」


 ルキナが混乱の剰りに何も言えずにいると、ギムレーはそのまま去っていく。
 その後ろ姿は、何処と無く寂しそうにも見えた。





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