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千夜一夜のアルファルド

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 ルキナが初めてギムレーの心を知る為に言葉を交わしてから、また幾つもの夜が過ぎた。
 あれから、夜毎の“賭け”はギムレーとの“対話”が主になっていて。
 不思議とギムレーの方もそれに乗り気であった事もあって、かつての自分では考えられない程の言葉を既にギムレーと交わしている。
 だからと言ってギムレーを理解しきれた訳ではないのだけれども。
 それでも、少しずつでもその心に歩み寄れているのではないだろうか。

 そんな事を思いながら、ルキナはまた何時もの様に図書館で時間を過ごしていた。

 今は“物語”を語って聞かせている訳では無いのでここに入り浸る必要もないのかもしれないが、ギムレーの心を理解したその時には『改心』の為にも語る為の“物語”は必要であろう。
 だからこそ、ルキナはこうして様々な物語に目を通している。
 ルキナが一生を掛けても読みきれないであろう程の蔵書の山は、まだまだ手付かずの領域の方が遥かに多い程だ。
 本を読むのは嫌いではないルキナにとっては、ギムレーに語る為の“物語”を探す為とは言え、こうやって過ごす時間は決して悪くはないものであった。

 “物語”は、自由だ。
 例え、ルキナ自身はギムレーに囚われこの城に閉じ込められているのだとしても。
 本を読み“物語”に没頭している時は、ルキナは何にだってなれるし何処へだって行ける。
 ルキナ自身だって訪れた事も無い国にだって行けるし、見た事も無いものを文章を通して目にする事が出来る。
 聖王の末裔でもファルシオンの継承者でも“最後の希望”でも無い、“誰か”になれる。

 それは空想に耽ているのと本質的には変わりはないのだろうけれども。
 囚われの身となって以来、ギムレー以外に関わる者が誰一人として居らず、そして夜毎の“賭け”以外には世界の為に出来る事は何も無いルキナにとっては、そんな空想に細やかな“楽しみ”を見出だすしか、ギムレーの虜囚としての孤独な戦いを乗り切る術は無いのだ。
 それは、“物語”の世界に思考を傾ける事で少しでも恐怖から意識を逸らそうとする、ルキナの無意識の防衛本能であるのかもしれない。

 言葉を交わす事で少しずつでもギムレーの心へと歩み寄っているのだとしても、それはルキナから見たらの話であって、ギムレー自身がルキナをどう見ているのかは分からない。
 直ぐ様殺される程に不興を買っている様には感じないが、しかしふと気紛れを起こしてルキナを殺そうとする事は無いのだと断言出来る程ではないし、そうしないと言える程にギムレーを理解出来ている訳でもない。
 故に、ルキナの命が何時まで持つのかはルキナ自身では判断しようが無く、生殺与奪の全てはギムレーに握られていて。
 それなのに、世界の滅びを止められるのかどうかはそんなルキナがギムレーを『改心』出来るかにかかっているのだと言っても最早過言ではないのだ。
 ルキナが失敗すれば、最早後は無い。

 聖王の血に連なる者の中でルキナの他にファルシオンを扱える者は居らず、そもそもそのファルシオンが今何処にあるのかはそれをルキナから奪ったギムレー以外は誰も知らない。
 既に文明も文化も維持出来ない程にまで徹底的に人間は追い詰められていて。
 ギムレーが甦る前と比べれば、もうほんの一握りしか人間は生き残ってはいないのだ。
 そんな生き残っている僅かな人間達も、日々命を落としていって。
 後数年もしない内に、人間を含めた全ての生き物は息絶えるであろう。
 これが人々に残された、正真正銘“最後のチャンス”なのである。
 それを誰よりも理解しているからこそ、ルキナに課せられたモノは何よりも重たい。

 しかし、その重みを抱え続け、ギムレーに生殺与奪の全てを握られ続け、それらの現実を意識し続けてはルキナの精神は早々に限界を迎えてしまう。
 だからこそルキナにとって、図書館で“物語”に触れてそこに思いを馳せる時間は、それらの恐怖から一時的にでも逃避させ、摩耗した心を癒す大切な時間になっていた。



 また一つの“物語”を読み終えたルキナは、その余韻を味わう様にゆっくりと本を閉じて、書架に戻そうと席を立とうとする。
 が、その時。
 ルキナと向かい合う様にして、誰かが座っているのに漸く気付く。
 慌ててルキナが顔を上げたそこには、ギムレーがその紅い瞳でルキナを見詰めていた。

 まだ“賭け”の刻限には早いと言うのに、何故。

 思いもよらぬ事態に、ルキナは椅子を蹴飛ばす様にして身構える。
 ギムレー相手に何も持たぬルキナが抵抗出来る訳はないけれども、それでも。
 しかし、そうやって警戒を露に身構えるルキナに対して、ギムレーは何の反応も返さない。
 その紅い瞳には、何時もの嘲笑う様なそれとは違う感情が浮かんでいた。


「そう構えずとも、何もしないさ。
 それとも君は、僕はここに居てはいけないとでも言うつもりかい?」

「そ、それは……」


 確かに、この城はギムレーのものであり、主であるギムレーが何時何処に居ようともそれは咎める様な事でも何でもない。
 が、そもそもギムレーは日中の殆どをこの城の外で過ごしていたのだ。
 外に出て、人々へと破滅をもたらす為に。
 それが、何故一体急に……。
 まさか──、とルキナが顔色を変えると。


「……ああ、成る程それを心配しているのか。
 なら、安心すると良いよ。
 人間どもはまだ多少は生き残っているみたいだからね。
 僕としては忌々しい事に、まだ世界は滅びきってはいないんだ。
 ……尤も、今のこの現状を滅びていないとは到底言えないだろうけれども」


 どうやら、最悪の予想は外れた様だ。
 しかしだからと言って、この世界の現状が決して好転している訳ではないのだろうが……。
 城に閉じ込められているルキナは、外の世界が今どうなっているのかを知る術など無い。
 しかしルキナが知っている状態から確実により滅びへと近付いているのだろう。
 ……最早、ルキナがギムレーを『改心』させる事に成功した所で、人間の絶滅を避けられないかもしれない程に。


「なら、何故……」

「ちょっとした気紛れ……と言った所かな。
 最早人間がどうこうした所で、この状況は引っくり返せない。
 数多の異界に居るナーガの同位体どもも最早この世界は見棄てたみたいだからね……、奴等の余計な干渉によって何かのイレギュラーが起こる可能性すら無い。
 滅びが確定されたのは僕としては望む所ではあるのだけれども、何の希望も気力も無い人間どもを戯れに殺したって詰まらない。
 それなら、こうしてここで時間を潰した方がマシさ」


 詰まらない、とそう語ったギムレーの表情は、本当に退屈しきっているかの様な……そんな何処か虚無感を漂わせるものであった。
 そこにある虚ろな“何か”に思わずルキナも飲み込まれそうになっていると、真っ直ぐにルキナを見詰めているギムレーの眼差しに引き戻された。
 その事に気が付いているのかいないのか、ギムレーはルキナが抱えている本を指差した。


「面白かったのかい?」


 何故そんな事を?と戸惑いつつも、ルキナにとっては中々に面白い本であったので、小さく頷いて返す。
 すると、ギムレーは「ふぅん」と呟いた。
 その意図が全く掴めずルキナは困惑するが、ギムレーはそれ以上はルキナに訊ねる事もなく、その他に何をするでもなく、そのまま図書館を後にする。

 その後には、本を手に困惑するルキナだけが残されたのだった。





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