千夜一夜のアルファルド
◇◇◇◇◇
ルキナがギムレーに対して知っている事は少ない。
終わりの見えぬ戦いの日々に明け暮れている時は、それでも良かったし寧ろそんな事について一々考えている余裕もなかった。
神竜ナーガより与えられたファルシオンの真の力を以てすれば彼の存在を討てるのだと……、その事実だけで十分であったからだ。
知りたい事があるとすれば、ギムレーの弱点などと言った、ギムレーを討つ為の情報であって。
ギムレーは何処から来たのか、何故世界を滅ぼそうとしているのか……等と言った、ギムレー自身の内面に触れる様な事を知りたいと思った事は一度も無かったし、そんな事は考えた所で無駄な事だとも割り切っていた。
例え世界を滅ぼそうとする事にギムレーが何らかの確固たる理由や事情を抱えているのだとしても、だからと言ってルキナ達人間が唯々諾々と滅ぼされてやって良い理由にはならないのだから。
ギムレーは人間達に何らかの要求をした訳でもなく、ただただ人々や世界を絶望の淵に引きずり込み滅ぼそうとしているのだ。
そんな相手の事情を斟酌するなど無駄な行為であり、交渉して落とし所を探す事など実質的に不可能な事である。
だからこそ、ギムレーにも“心”があるだなんて事を考えてみようと、その内面を知ろうとなんて考えた事は、一度たりとも無かった。
だが、こうしてギムレーに捕らえられ、“賭け”の相手となってからは……。
考える時間だけは幾らでもあった事もあって、ルキナはかつての自分なら考える事すら馬鹿馬鹿しいと切って捨てていたであろう事を考える様になっていった。
彼は何処から来たのか、何者なのか、何を望んでいるのか……。
イーリスの国教であるナーガ教からすれば、ギムレーは滅びの化身であり災厄その物だ。
だが、ペレジアの国教であったギムレー教にとっては彼の存在は“神”である。
万物を産み出したる存在と言う訳ではなくとも。
その力を破壊にばかり使うのだとしても。
人智を超越した力を持ち、討たれても再び甦り、人では幾ら束になろうとも神竜ナーガの力添え無くしては到底及ばぬ彼の竜はまさしく“神”と呼んでも良いのだろう。
しかし、そもそも何故、ギムレーは“神”と成ったのか。
基本的に人間は滅ぼす対象程度にしか見ていない彼の竜が、自らを“神”と信仰する様に人々に要求するとは考えにくい。
恐らくは、人々の方からギムレーを“神”へと祀りあげたのだろう。
荒ぶるギムレーを祀る事で鎮めると言う……そう言う信仰から始まった宗教であったのかもしれないし、或いは圧倒的なその破壊の力に魅せられたのかもしれないし、もしかしたら単純に依る辺がそこにしか無かったのかもしれない。
それは、今となっては確かめる事は出来ない事なのかもしれないが。
ギムレー教を忌み嫌いペレジアを敵国と定め続けていたイーリスで生まれ育ったルキナには、その信仰の出発点が何だったのかなど知る機会などある筈も無かった。
宗教同士の諍いが国同士の不和を作ったのか、国同士の不和があるからこそ両者の宗教が互いを不倶戴天の敵と目しあっていたのか、それに関してはルキナにも分からないが……。
何にせよ、ギムレーが聖王に討たれてから甦るまでの千年の間に、ペレジアとイーリスが血生臭い戦争を幾度となく繰り返してきたのは事実である。
両国の溝は深く、文化的・宗教的には二つの国は断絶していると言っても過言では無かったのかもしれない。
だからこそルキナにペレジアの内情や文化的背景を教えてくれる人などおらず、ギムレー教は邪竜なぞを奉っている狂人の宗教だと言う程度の認識でしかなかった。
いや、今でも正直に言うと、何れ程説明されようともそこにどんな事情があろうとも、現に甦ったギムレーによって世界の全てが蹂躙され今にも滅びようとしている中では、ギムレー教の存在を好意的に肯定する事はルキナには不可能だろう。
ギムレーを奉る事にどんな意味があり教徒達がどんな意味を見出だしていたのであろうが、甦ったギムレーはイーリスもペレジアも見境無しに蹂躙し滅ぼしていっているのだから、どんなに好意的に見てもギムレー教は世界全てを巻き込んで無理心中をしようとしていた様にしか思えない。
そもそも、ギムレーを甦らせてどうしようとしていたと言うのだ。
イーリスに対する復讐の為だとしても、その代償が自分達をも含めた生きとし生ける者達全ての滅びとはあまりにも大き過ぎるのではないだろうか。
いや、そんな馬鹿げた……自分達にすら何の利益にもならない様な代償を払ってでも、その復讐を成し遂げたかったのだろうか?
千年の間にイーリスとペレジアが積み重ねてきた怨嗟と憎悪は、それ程までにペレジアの人々の心を蝕み続けてきたのだろうか。
或いは、甦ったギムレーが彼を奉り信仰し続けてきた自分達を救ってくれるとでも思っていたのだろうか?
人々が制御出来る様な存在だとでも錯覚していたのだろうか?
あんな破壊と絶望の化身の様な存在に対して……?
考えた所で、ギムレーに隷属する事を誓い生かされている極一部の信徒以外はギムレー教自体はほぼ壊滅してしまった今となっては、最早そんな事情は調べ様がない事だ。
どんな目的を、どんな事情を抱えていたにせよ、ギムレー教の手によってギムレーが甦った事だけが、確かな事実である。
事実と“真実”は決して同じではないけれども。
全知の神ならぬルキナには結局自分が見た主観的な事実しか認知しようが無いのだから、最早自分の手には届かぬ“真実”を探して妄想を繰り返しても無益でしかない。
それは分かっている。けれども……。
千年の眠りから甦った時、ギムレーは何を思ったのだろう。
千年前と変わらぬ破壊への欲望なのか、人々への悪意なのか、それとも…………。
いや、そもそも何故ギムレーは世界を滅ぼそうとするのだろうか。
各地の神話や伝承を紐解けば、竜や神と言った強大な存在が人々に禍を成した事は数多くあった。
しかし、結局はそう言った行為の裏には何かしらの目的があったのだ。
少なくともギムレーの様に、全てを根刮ぎ破壊して滅ぼそうなどとする様な者は彼を除いては存在しない。
ギムレーのやっている事は、最終的には自分以外の世界中の全てを文字通り灰塵に帰す行為である。
だが、そんな事をして一体何になると言うのだ。
それで何が得られるのだ。
それではまるで、“破壊する事”こそがギムレーの目的であり動機であり全てであるかの様ではないか。
もしそうだとするのならば、ギムレーはまさしく狂った竜であり狂った“神”であるのだろう。
自分以外の何もかもが消え去った世界など、望む意味などあるのだろうか。
何れ程考えようとも、分からない。
そう、それは結局の所ルキナが自分一人で考えて結論を出せる様なものでもないのだから。
相手を理解する為には、先ずはその相手の内面に触れようとしてみる事が必要である。
言葉であれ何であれ、全ては相手に関わろうとする事から始まるものなのだ。
何れ程言葉を交わそうとも、何れ程の時を過ごそうとも、ギムレーを理解出来ない事は当然有り得る。
だが、理解出来ない事と、理解しようともしない事は全く別の問題であるのだ。
だからこそ、ルキナは言葉を一つ一つ慎重に紡いで、ギムレーへと言の葉を投げ掛けていく。
貴方は何者なのか、何を望み、何を目指しているのか……。
ギムレーと言う“存在”そのものを、理解する為に。
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ルキナがギムレーに対して知っている事は少ない。
終わりの見えぬ戦いの日々に明け暮れている時は、それでも良かったし寧ろそんな事について一々考えている余裕もなかった。
神竜ナーガより与えられたファルシオンの真の力を以てすれば彼の存在を討てるのだと……、その事実だけで十分であったからだ。
知りたい事があるとすれば、ギムレーの弱点などと言った、ギムレーを討つ為の情報であって。
ギムレーは何処から来たのか、何故世界を滅ぼそうとしているのか……等と言った、ギムレー自身の内面に触れる様な事を知りたいと思った事は一度も無かったし、そんな事は考えた所で無駄な事だとも割り切っていた。
例え世界を滅ぼそうとする事にギムレーが何らかの確固たる理由や事情を抱えているのだとしても、だからと言ってルキナ達人間が唯々諾々と滅ぼされてやって良い理由にはならないのだから。
ギムレーは人間達に何らかの要求をした訳でもなく、ただただ人々や世界を絶望の淵に引きずり込み滅ぼそうとしているのだ。
そんな相手の事情を斟酌するなど無駄な行為であり、交渉して落とし所を探す事など実質的に不可能な事である。
だからこそ、ギムレーにも“心”があるだなんて事を考えてみようと、その内面を知ろうとなんて考えた事は、一度たりとも無かった。
だが、こうしてギムレーに捕らえられ、“賭け”の相手となってからは……。
考える時間だけは幾らでもあった事もあって、ルキナはかつての自分なら考える事すら馬鹿馬鹿しいと切って捨てていたであろう事を考える様になっていった。
彼は何処から来たのか、何者なのか、何を望んでいるのか……。
イーリスの国教であるナーガ教からすれば、ギムレーは滅びの化身であり災厄その物だ。
だが、ペレジアの国教であったギムレー教にとっては彼の存在は“神”である。
万物を産み出したる存在と言う訳ではなくとも。
その力を破壊にばかり使うのだとしても。
人智を超越した力を持ち、討たれても再び甦り、人では幾ら束になろうとも神竜ナーガの力添え無くしては到底及ばぬ彼の竜はまさしく“神”と呼んでも良いのだろう。
しかし、そもそも何故、ギムレーは“神”と成ったのか。
基本的に人間は滅ぼす対象程度にしか見ていない彼の竜が、自らを“神”と信仰する様に人々に要求するとは考えにくい。
恐らくは、人々の方からギムレーを“神”へと祀りあげたのだろう。
荒ぶるギムレーを祀る事で鎮めると言う……そう言う信仰から始まった宗教であったのかもしれないし、或いは圧倒的なその破壊の力に魅せられたのかもしれないし、もしかしたら単純に依る辺がそこにしか無かったのかもしれない。
それは、今となっては確かめる事は出来ない事なのかもしれないが。
ギムレー教を忌み嫌いペレジアを敵国と定め続けていたイーリスで生まれ育ったルキナには、その信仰の出発点が何だったのかなど知る機会などある筈も無かった。
宗教同士の諍いが国同士の不和を作ったのか、国同士の不和があるからこそ両者の宗教が互いを不倶戴天の敵と目しあっていたのか、それに関してはルキナにも分からないが……。
何にせよ、ギムレーが聖王に討たれてから甦るまでの千年の間に、ペレジアとイーリスが血生臭い戦争を幾度となく繰り返してきたのは事実である。
両国の溝は深く、文化的・宗教的には二つの国は断絶していると言っても過言では無かったのかもしれない。
だからこそルキナにペレジアの内情や文化的背景を教えてくれる人などおらず、ギムレー教は邪竜なぞを奉っている狂人の宗教だと言う程度の認識でしかなかった。
いや、今でも正直に言うと、何れ程説明されようともそこにどんな事情があろうとも、現に甦ったギムレーによって世界の全てが蹂躙され今にも滅びようとしている中では、ギムレー教の存在を好意的に肯定する事はルキナには不可能だろう。
ギムレーを奉る事にどんな意味があり教徒達がどんな意味を見出だしていたのであろうが、甦ったギムレーはイーリスもペレジアも見境無しに蹂躙し滅ぼしていっているのだから、どんなに好意的に見てもギムレー教は世界全てを巻き込んで無理心中をしようとしていた様にしか思えない。
そもそも、ギムレーを甦らせてどうしようとしていたと言うのだ。
イーリスに対する復讐の為だとしても、その代償が自分達をも含めた生きとし生ける者達全ての滅びとはあまりにも大き過ぎるのではないだろうか。
いや、そんな馬鹿げた……自分達にすら何の利益にもならない様な代償を払ってでも、その復讐を成し遂げたかったのだろうか?
千年の間にイーリスとペレジアが積み重ねてきた怨嗟と憎悪は、それ程までにペレジアの人々の心を蝕み続けてきたのだろうか。
或いは、甦ったギムレーが彼を奉り信仰し続けてきた自分達を救ってくれるとでも思っていたのだろうか?
人々が制御出来る様な存在だとでも錯覚していたのだろうか?
あんな破壊と絶望の化身の様な存在に対して……?
考えた所で、ギムレーに隷属する事を誓い生かされている極一部の信徒以外はギムレー教自体はほぼ壊滅してしまった今となっては、最早そんな事情は調べ様がない事だ。
どんな目的を、どんな事情を抱えていたにせよ、ギムレー教の手によってギムレーが甦った事だけが、確かな事実である。
事実と“真実”は決して同じではないけれども。
全知の神ならぬルキナには結局自分が見た主観的な事実しか認知しようが無いのだから、最早自分の手には届かぬ“真実”を探して妄想を繰り返しても無益でしかない。
それは分かっている。けれども……。
千年の眠りから甦った時、ギムレーは何を思ったのだろう。
千年前と変わらぬ破壊への欲望なのか、人々への悪意なのか、それとも…………。
いや、そもそも何故ギムレーは世界を滅ぼそうとするのだろうか。
各地の神話や伝承を紐解けば、竜や神と言った強大な存在が人々に禍を成した事は数多くあった。
しかし、結局はそう言った行為の裏には何かしらの目的があったのだ。
少なくともギムレーの様に、全てを根刮ぎ破壊して滅ぼそうなどとする様な者は彼を除いては存在しない。
ギムレーのやっている事は、最終的には自分以外の世界中の全てを文字通り灰塵に帰す行為である。
だが、そんな事をして一体何になると言うのだ。
それで何が得られるのだ。
それではまるで、“破壊する事”こそがギムレーの目的であり動機であり全てであるかの様ではないか。
もしそうだとするのならば、ギムレーはまさしく狂った竜であり狂った“神”であるのだろう。
自分以外の何もかもが消え去った世界など、望む意味などあるのだろうか。
何れ程考えようとも、分からない。
そう、それは結局の所ルキナが自分一人で考えて結論を出せる様なものでもないのだから。
相手を理解する為には、先ずはその相手の内面に触れようとしてみる事が必要である。
言葉であれ何であれ、全ては相手に関わろうとする事から始まるものなのだ。
何れ程言葉を交わそうとも、何れ程の時を過ごそうとも、ギムレーを理解出来ない事は当然有り得る。
だが、理解出来ない事と、理解しようともしない事は全く別の問題であるのだ。
だからこそ、ルキナは言葉を一つ一つ慎重に紡いで、ギムレーへと言の葉を投げ掛けていく。
貴方は何者なのか、何を望み、何を目指しているのか……。
ギムレーと言う“存在”そのものを、理解する為に。
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