常世の橘はこの手の中に
◆◆◆◆◆◆
今日もルキナが無事に料理を食べてくれた事に、そして料理に違和感を感じなかった事に、“ギムレー”は安堵する様に息を吐いた。
そして無意識の内に、ローブの下に隠された自身の右腕を掴む。
ローブの下、“ギムレー”の右腕の肘から少し先の腕の肉は、抉られた様に無くなっていた。
この程度の損傷ならば何もせずともその内に治るものではあるけれど、それまでは“痛み”をどうしても感じてしまう。
だが、その“痛み”に“ギムレー”は愛しさすら感じていた。
“ギムレー”がこうして傷を負っているのは、何者かの攻撃を受けたと言う訳ではない。
“ギムレー”自らが、その部位の肉を削ぎ、血を流したのだ。
…………ルキナに己の血肉を与える、ただその為だけに。
ルキナに作った料理には、必ず毎食一皿は“ギムレー”の血肉が混ぜられている。
今日のメニューなら、スープに血が、ハンバーグには肉だ。
初めの内は、違和感を持たれない様に、スープなどに血をほんの少し混ぜるだけであったが、最近は血に留まらず肉も混ぜる様になっていて。
少しずつ混ぜ続けた事が効を奏して、ルキナの身体はゆっくりゆっくりと時間を掛けて、ギムレーの血肉を受け付ける様になっていった。
元々、ルキナ達聖王家には、薄いとは言えナーガの血の因子が代々流れている。
竜の力を受け入れる土台は、元々備わっていたのだ。
故に、ルキナを壊さない様に慎重に血肉をゆっくりと与えていけば、ギムレーの眷族としてヒトを外れた存在にさせる事は難しくはなかった。
今のルキナは、“竜”と呼ぶにはまだ遠いが、既にヒトと呼ぶのは難しい存在になっている。
恐らくまだ本人にその自覚は無いが。
このまま“ギムレー”が血肉を与え続けていれば、眷族と言う枠組みすら越えて“ギムレー”と同じく“竜”になれる日もそう遠くはない筈だ。
その日を想い、“ギムレー”は隠しきれぬ喜びに身を震わせて微笑みを浮かべる。
聖王の末裔、最後のファルシオンの担い手、ギムレーにとっては、憎くて疎ましい存在。
だけれども。
誰よりも愛しく、何にも代え難い程に大切で、この命よりも大事な存在。
それが、“ギムレー”にとってのルキナだ。
どうしてギムレーたる自身がこうまでルキナに執着しているのか、どうして破滅と絶望の邪竜である筈の自分がルキナへと狂おしい程の愛情を抱いているのか。
それは、“ギムレー”がギムレーとして覚醒する前、『ルフレ』と言う名のヒトとして生きていた時に、ルキナと深く結ばれたからなのかもしれない。
今の自分が『ルフレ』なのかギムレーなのか、“ギムレー”には最早判別が付かない。
『ルフレ』にとって大切であったから、“ギムレー”もルキナをこうも愛しく想っているのか。
それとも、『ルフレ』の存在とはまた別に、“ギムレー”自身がルキナを愛しく想ったのか。
そこを区別する術はなく意味もない。
“ギムレー”にとって、ルキナは何よりも愛しく決して手離す事など出来ぬ存在であると言う事実だけが、大切な事であった。
狂おしく愛しく大切な存在ではあるけれど、ルキナはヒトで。
そして“ギムレー”は“竜”であった。
そこは変わらない、変えられない。
ヒトと“竜”では、共に生き続ける事は出来ない。
何時か、ルキナは自分を置いて逝ってしまう。
ヒトと“竜”の間にある『寿命差』と言う名の絶対の壁が、時の軛が、“ギムレー”から何時かルキナを奪ってしまう。
後に遺されるのは、永遠に埋まらぬ欠落を独り抱えて生き続ける“ギムレー”だけだ。
それを“ギムレー”が受け入れられる筈なんて無くて。
だからこそ、その壁を壊してしまおうと、“ギムレー”は決めた。
ギムレーとして覚醒してしまった以上、最早“ギムレー”はヒトとしては生きられない。
ならば、ルキナを“竜”にするしかない。
例えその選択が、ルキナを未来永劫に渡って苦しめる事になるのだとしても。
そうして“ギムレー”の血肉を知らぬ内に与えられ続けたルキナは、“ギムレー”の思惑通りヒトを外れ“竜”へと近付いていって。
ルキナが日々自分に近付いている事を確認しては、“ギムレー”は歓喜に打ち震えていた。
だが、そうやってルキナが“竜”に成ってゆく喜びを抱きながらも、不意に胸がざわつくのだ。
それはルキナの為に自分の血肉を混ぜて料理を作っている時や、ルキナがそうやって作った料理を口にした瞬間に訪れる。
強い後悔の様な、深い悲哀の様な、そんな名状し難い感情が“ギムレー”の心を吹き荒れるのだ。
作った料理を破棄したり、ルキナが料理を口にするのを止めようとしたりしたくなる衝動。
それらはルキナに血肉を与えようとし始めた時に、何よりも強く表れていた。
最近はその頻度も大分少なくなったが、それでも時折抗い難い程の強い衝動が芽生えてしまう。
それは、『ルフレ』の罪悪感からなのだろうか?
時にこの頬を濡らす滴は、『ルフレ』の心の懺悔なのだろうか?
分からない。
“ギムレー”には、最早理解しようが無い事だ。
それに、ルキナも“ギムレー”も、もう後戻りなんて出来る筈がない。
ルキナは既にヒトではなくなり、そして戻る術など無いのだから。
ルキナには、“ギムレー”の側へと来るしか、最早道がない。
それなのに今更悔いてどうなると言うのだろう。
ルキナが“竜”に成れば、“ギムレー”はずっとルキナと共に居られる。
この手が触れても、その柔肌をこの爪が引き裂いてしまう事も無くなる。
口付けを交わしても、この牙がその唇を噛み切ってしまう事も無くなる。
きっと『前の』様に、ルキナと触れ合える様になるのだ。
ルキナが望むのなら、忌々しいヒトどもも、少しは残してやっても良い。
ルキナが望むのなら、何処へだって連れていこう。
だから、どうか。
永劫に等しい時の中を、ずっと傍で。
共に──
そう祈る様に願いながら。
“ギムレー”は、ルキナが“竜”と成る日を待ち望むのであった……。
◆◆◆◆◆◆
今日もルキナが無事に料理を食べてくれた事に、そして料理に違和感を感じなかった事に、“ギムレー”は安堵する様に息を吐いた。
そして無意識の内に、ローブの下に隠された自身の右腕を掴む。
ローブの下、“ギムレー”の右腕の肘から少し先の腕の肉は、抉られた様に無くなっていた。
この程度の損傷ならば何もせずともその内に治るものではあるけれど、それまでは“痛み”をどうしても感じてしまう。
だが、その“痛み”に“ギムレー”は愛しさすら感じていた。
“ギムレー”がこうして傷を負っているのは、何者かの攻撃を受けたと言う訳ではない。
“ギムレー”自らが、その部位の肉を削ぎ、血を流したのだ。
…………ルキナに己の血肉を与える、ただその為だけに。
ルキナに作った料理には、必ず毎食一皿は“ギムレー”の血肉が混ぜられている。
今日のメニューなら、スープに血が、ハンバーグには肉だ。
初めの内は、違和感を持たれない様に、スープなどに血をほんの少し混ぜるだけであったが、最近は血に留まらず肉も混ぜる様になっていて。
少しずつ混ぜ続けた事が効を奏して、ルキナの身体はゆっくりゆっくりと時間を掛けて、ギムレーの血肉を受け付ける様になっていった。
元々、ルキナ達聖王家には、薄いとは言えナーガの血の因子が代々流れている。
竜の力を受け入れる土台は、元々備わっていたのだ。
故に、ルキナを壊さない様に慎重に血肉をゆっくりと与えていけば、ギムレーの眷族としてヒトを外れた存在にさせる事は難しくはなかった。
今のルキナは、“竜”と呼ぶにはまだ遠いが、既にヒトと呼ぶのは難しい存在になっている。
恐らくまだ本人にその自覚は無いが。
このまま“ギムレー”が血肉を与え続けていれば、眷族と言う枠組みすら越えて“ギムレー”と同じく“竜”になれる日もそう遠くはない筈だ。
その日を想い、“ギムレー”は隠しきれぬ喜びに身を震わせて微笑みを浮かべる。
聖王の末裔、最後のファルシオンの担い手、ギムレーにとっては、憎くて疎ましい存在。
だけれども。
誰よりも愛しく、何にも代え難い程に大切で、この命よりも大事な存在。
それが、“ギムレー”にとってのルキナだ。
どうしてギムレーたる自身がこうまでルキナに執着しているのか、どうして破滅と絶望の邪竜である筈の自分がルキナへと狂おしい程の愛情を抱いているのか。
それは、“ギムレー”がギムレーとして覚醒する前、『ルフレ』と言う名のヒトとして生きていた時に、ルキナと深く結ばれたからなのかもしれない。
今の自分が『ルフレ』なのかギムレーなのか、“ギムレー”には最早判別が付かない。
『ルフレ』にとって大切であったから、“ギムレー”もルキナをこうも愛しく想っているのか。
それとも、『ルフレ』の存在とはまた別に、“ギムレー”自身がルキナを愛しく想ったのか。
そこを区別する術はなく意味もない。
“ギムレー”にとって、ルキナは何よりも愛しく決して手離す事など出来ぬ存在であると言う事実だけが、大切な事であった。
狂おしく愛しく大切な存在ではあるけれど、ルキナはヒトで。
そして“ギムレー”は“竜”であった。
そこは変わらない、変えられない。
ヒトと“竜”では、共に生き続ける事は出来ない。
何時か、ルキナは自分を置いて逝ってしまう。
ヒトと“竜”の間にある『寿命差』と言う名の絶対の壁が、時の軛が、“ギムレー”から何時かルキナを奪ってしまう。
後に遺されるのは、永遠に埋まらぬ欠落を独り抱えて生き続ける“ギムレー”だけだ。
それを“ギムレー”が受け入れられる筈なんて無くて。
だからこそ、その壁を壊してしまおうと、“ギムレー”は決めた。
ギムレーとして覚醒してしまった以上、最早“ギムレー”はヒトとしては生きられない。
ならば、ルキナを“竜”にするしかない。
例えその選択が、ルキナを未来永劫に渡って苦しめる事になるのだとしても。
そうして“ギムレー”の血肉を知らぬ内に与えられ続けたルキナは、“ギムレー”の思惑通りヒトを外れ“竜”へと近付いていって。
ルキナが日々自分に近付いている事を確認しては、“ギムレー”は歓喜に打ち震えていた。
だが、そうやってルキナが“竜”に成ってゆく喜びを抱きながらも、不意に胸がざわつくのだ。
それはルキナの為に自分の血肉を混ぜて料理を作っている時や、ルキナがそうやって作った料理を口にした瞬間に訪れる。
強い後悔の様な、深い悲哀の様な、そんな名状し難い感情が“ギムレー”の心を吹き荒れるのだ。
作った料理を破棄したり、ルキナが料理を口にするのを止めようとしたりしたくなる衝動。
それらはルキナに血肉を与えようとし始めた時に、何よりも強く表れていた。
最近はその頻度も大分少なくなったが、それでも時折抗い難い程の強い衝動が芽生えてしまう。
それは、『ルフレ』の罪悪感からなのだろうか?
時にこの頬を濡らす滴は、『ルフレ』の心の懺悔なのだろうか?
分からない。
“ギムレー”には、最早理解しようが無い事だ。
それに、ルキナも“ギムレー”も、もう後戻りなんて出来る筈がない。
ルキナは既にヒトではなくなり、そして戻る術など無いのだから。
ルキナには、“ギムレー”の側へと来るしか、最早道がない。
それなのに今更悔いてどうなると言うのだろう。
ルキナが“竜”に成れば、“ギムレー”はずっとルキナと共に居られる。
この手が触れても、その柔肌をこの爪が引き裂いてしまう事も無くなる。
口付けを交わしても、この牙がその唇を噛み切ってしまう事も無くなる。
きっと『前の』様に、ルキナと触れ合える様になるのだ。
ルキナが望むのなら、忌々しいヒトどもも、少しは残してやっても良い。
ルキナが望むのなら、何処へだって連れていこう。
だから、どうか。
永劫に等しい時の中を、ずっと傍で。
共に──
そう祈る様に願いながら。
“ギムレー”は、ルキナが“竜”と成る日を待ち望むのであった……。
◆◆◆◆◆◆
2/2ページ