時の輪環、砂塵の城
◆◆◆◆◆
地表を舐める様に劫火が全てを呑み込んでゆく。
そこにあった生命を、営みを、歴史を、その一切を焼き尽くして。
屍達の怨嗟すら一握にも満たぬ灰へと変えながら、天をも焼き尽くさんとばかりに火柱を上げて世界の全てを焦がしゆくその炎を、『僕』はぼんやりと眺めていた。
ここがどんな土地だったのか、全てが灰塵に帰した今となっては何も分からない。
足元の様々なモノの燃え滓が混ざった土塊を掻き取ってみても、そこにはただただ数多の生命が炎に蹂躙された痕跡しか見付からなかった。
肉が焼け爛れ骨までをも焼き尽くされた臭気に混じって、血や鉄などの臭い、そして材木や何かよく分からないモノが燃えた臭いも漂っていて、それらが混じって言葉には表現し難い独特の臭気となっている。
ここで、何か大きな戦いでも起きていたのだろうか……?
ぼんやりとした頭で考えてみても、何も分からない。
見渡す限り広がる焦土には、動く者は『僕』を除いて他には無く。
残り滓を丁寧に咀嚼するかの様な焔がチラチラと視界の端に揺れるだけだ。
“何か”。
とても大切な“何か”を、探していた気がする。
とても大切な“誰か”を喪ってしまった気がする。
その“何か”を、“誰か”を、喪ってしまったからこそ。
『僕』のこの胸には、何にも埋め難い虚ろが広がっているのだ。
『僕』は、“何を”喪ってしまったのだろう。
“誰”を喪ってしまったのだろう……。
生けとし生けるモノ全てを喰らわんとする業火の熱をその肌で感じながら、不確かな程にぼやけている“記憶”の海を探ろうと、『僕』はそっと目を閉じた。
その途端に瞼の裏を過ったのは、深く澄み切った……夜明けの蒼。
この手に触れたのは、温かな掌の幻。
耳に聞こえたのは、“誰か”が僕を呼ぶ声……。
微かに見えたその姿を離さないように捕まえて、『僕』は再び目を開けた。
そう、そうだ。
『僕』が喪ったのは──
「ルキナ……」
ポツリと溢れ落ちたその名前を、漸く見付けたその名前を。
もう二度と無くさない様に、見失わない様に、離さない様に。
『僕』は何度も何度も呟く。
そう、そうだ。
ルキナ……、ルキナだ。
僕の大切な人、大切な宝物。
愛しい愛しい、お姫様。
決して無くしてはいけなかった存在。
どうして、思い出せなかったのだろう。
どうして、喪ってしまったのだろう。
一度その名を思い出せば、その姿も、その眼差しも、その温もりも、その声も、こんなにも色鮮やかに思い描けるのに。
どうして、『僕』は……。
いや、今はそんな事を考えている暇はない。
ルキナの姿が、何処にも見えないのだ。
この世界の果てまで続いている様な焦土の何処かに、ルキナは居るのだろうか?
分からない、だけど。
ルキナを、見付けなくてはならない。
そして、ルキナを助けなくては、ルキナを守らなくてはならないのだ。
それが、『僕』の望みであり、『僕』がここに居る意味なのだから。
愛しい人、愛しい子。
僕の大切な宝物。
守ってあげなくては。
もう『僕』だけがあの子を守ってあげられるのだから。
気を抜けば再びあやふやになりそうな思考を頭を振って切り換えた『僕』は、ルキナの姿を探して焦土を彷徨い始めた。
日が沈み、夜が明け、再び地平へと日が沈む。
幾度夜が明けたのだろう、幾度日が沈んだのだろう。
それは一々数えていないし、『僕』にとってはどうでも良い事だった。
燃える様な赤か光一つ無い漆黒か、そのどちらかしかない空の下。
何処までも何処までも続く焦土を、生命あるモノ全てが滅んだ大地を、踏み締めて。
ルキナの姿を探しながら『僕』は彷徨い続けた。
時折燃え残った亡骸が見付かるけれど、その何れもがルキナとは似ても似つかぬ者達で。
だから、ルキナは死んでなんていないだろうと、『僕』は思った。
しかし、一体ルキナは何処へ行ってしまったのだろう。
そして、一体どうしてこの世界はこうなってしまっているのだろう。
果ての無い焦土を歩きながら、滅び去った世界を彷徨いながら、『僕』はぼんやりと考え続けた。
業火の海の中に立っていたあの時よりも前の事に関しては、『僕』の記憶は酷く曖昧であった。
確かなのは、『僕』が『ルフレ』であると言う事、ルキナの事、彼女を愛していると言う事、彼女を守らなければならないと言う事だけで。
でも、そんな曖昧な記憶の中でも、世界がこんな姿になる前があったと思うのだ。
大事なモノがあった気がする。
大切な人が居た気がする。
守りたいモノがあった気がする。
だけれども、『僕』はそれを思い出せない。
どうしてそれらを喪ってしまったのか、そしてどうして世界が滅びてしまっているのか。
『僕』には、何一つとして分からない。
いや、一つだけ。
触れればゾワリと背筋が粟立つ様な……そんな嫌悪感とも恐怖とも憎悪ともつかぬ感情が沸き立つ『名』が、『僕』の曖昧な記憶の中にも異質な存在感を放ちながら沈んでいた。
邪竜、『ギムレー』。
それが、この世界を滅ぼしたのだろうか?
『僕』から、ルキナを奪ったのだろうか?
その存在の所為で、『僕』は…………。
『ギムレー』、そう、きっとそれが、『僕』からルキナを奪っていったのだ。
『ギムレー』に囚われたルキナを救う。
『ギムレー』の手から、ルキナを守る。
愛する人を、愛しい存在を、取り戻す。
それこそが、『僕』が生きる意味なのだ。
しかし『ギムレー』の力は強大で、しかも世界を滅ぼし尽くしたソレが今何処に居るのか、『僕』には知り様がない。
この世界にまだ居るのか、或いは何処かへと去ったのか。
それすらも分からないのだ。
『ギムレー』に囚われたルキナが何処に居るのかすら……。
だが。
ならば。
“やり直して”しまえば、良いのだ。
時を巻き戻し、『ギムレー』が『僕』からルキナを奪っていったこの“未来”を、『僕』がルキナを喪うこの“結末”を、“変えて”しまえば良い。
過去に戻り、ルキナを“取り戻す”のだ。
そうすればきっと『僕』は、喪った全てを“取り戻す”事が出来る筈なのだから。
過去は“変えられる”、未来は“変えられる”、結末は“変えられる”。
全ての禍罪は祓われ、その罪業を“無かった事”に出来る筈なのだから。
そして、新しく“やり直した”その先で、きっと『僕』はルキナと共に居られる筈なのだから。
「大丈夫だよ、ルキナ。
必ず『僕』が助けるから。
だから──」
さあ、“やり直そう”。
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地表を舐める様に劫火が全てを呑み込んでゆく。
そこにあった生命を、営みを、歴史を、その一切を焼き尽くして。
屍達の怨嗟すら一握にも満たぬ灰へと変えながら、天をも焼き尽くさんとばかりに火柱を上げて世界の全てを焦がしゆくその炎を、『僕』はぼんやりと眺めていた。
ここがどんな土地だったのか、全てが灰塵に帰した今となっては何も分からない。
足元の様々なモノの燃え滓が混ざった土塊を掻き取ってみても、そこにはただただ数多の生命が炎に蹂躙された痕跡しか見付からなかった。
肉が焼け爛れ骨までをも焼き尽くされた臭気に混じって、血や鉄などの臭い、そして材木や何かよく分からないモノが燃えた臭いも漂っていて、それらが混じって言葉には表現し難い独特の臭気となっている。
ここで、何か大きな戦いでも起きていたのだろうか……?
ぼんやりとした頭で考えてみても、何も分からない。
見渡す限り広がる焦土には、動く者は『僕』を除いて他には無く。
残り滓を丁寧に咀嚼するかの様な焔がチラチラと視界の端に揺れるだけだ。
“何か”。
とても大切な“何か”を、探していた気がする。
とても大切な“誰か”を喪ってしまった気がする。
その“何か”を、“誰か”を、喪ってしまったからこそ。
『僕』のこの胸には、何にも埋め難い虚ろが広がっているのだ。
『僕』は、“何を”喪ってしまったのだろう。
“誰”を喪ってしまったのだろう……。
生けとし生けるモノ全てを喰らわんとする業火の熱をその肌で感じながら、不確かな程にぼやけている“記憶”の海を探ろうと、『僕』はそっと目を閉じた。
その途端に瞼の裏を過ったのは、深く澄み切った……夜明けの蒼。
この手に触れたのは、温かな掌の幻。
耳に聞こえたのは、“誰か”が僕を呼ぶ声……。
微かに見えたその姿を離さないように捕まえて、『僕』は再び目を開けた。
そう、そうだ。
『僕』が喪ったのは──
「ルキナ……」
ポツリと溢れ落ちたその名前を、漸く見付けたその名前を。
もう二度と無くさない様に、見失わない様に、離さない様に。
『僕』は何度も何度も呟く。
そう、そうだ。
ルキナ……、ルキナだ。
僕の大切な人、大切な宝物。
愛しい愛しい、お姫様。
決して無くしてはいけなかった存在。
どうして、思い出せなかったのだろう。
どうして、喪ってしまったのだろう。
一度その名を思い出せば、その姿も、その眼差しも、その温もりも、その声も、こんなにも色鮮やかに思い描けるのに。
どうして、『僕』は……。
いや、今はそんな事を考えている暇はない。
ルキナの姿が、何処にも見えないのだ。
この世界の果てまで続いている様な焦土の何処かに、ルキナは居るのだろうか?
分からない、だけど。
ルキナを、見付けなくてはならない。
そして、ルキナを助けなくては、ルキナを守らなくてはならないのだ。
それが、『僕』の望みであり、『僕』がここに居る意味なのだから。
愛しい人、愛しい子。
僕の大切な宝物。
守ってあげなくては。
もう『僕』だけがあの子を守ってあげられるのだから。
気を抜けば再びあやふやになりそうな思考を頭を振って切り換えた『僕』は、ルキナの姿を探して焦土を彷徨い始めた。
日が沈み、夜が明け、再び地平へと日が沈む。
幾度夜が明けたのだろう、幾度日が沈んだのだろう。
それは一々数えていないし、『僕』にとってはどうでも良い事だった。
燃える様な赤か光一つ無い漆黒か、そのどちらかしかない空の下。
何処までも何処までも続く焦土を、生命あるモノ全てが滅んだ大地を、踏み締めて。
ルキナの姿を探しながら『僕』は彷徨い続けた。
時折燃え残った亡骸が見付かるけれど、その何れもがルキナとは似ても似つかぬ者達で。
だから、ルキナは死んでなんていないだろうと、『僕』は思った。
しかし、一体ルキナは何処へ行ってしまったのだろう。
そして、一体どうしてこの世界はこうなってしまっているのだろう。
果ての無い焦土を歩きながら、滅び去った世界を彷徨いながら、『僕』はぼんやりと考え続けた。
業火の海の中に立っていたあの時よりも前の事に関しては、『僕』の記憶は酷く曖昧であった。
確かなのは、『僕』が『ルフレ』であると言う事、ルキナの事、彼女を愛していると言う事、彼女を守らなければならないと言う事だけで。
でも、そんな曖昧な記憶の中でも、世界がこんな姿になる前があったと思うのだ。
大事なモノがあった気がする。
大切な人が居た気がする。
守りたいモノがあった気がする。
だけれども、『僕』はそれを思い出せない。
どうしてそれらを喪ってしまったのか、そしてどうして世界が滅びてしまっているのか。
『僕』には、何一つとして分からない。
いや、一つだけ。
触れればゾワリと背筋が粟立つ様な……そんな嫌悪感とも恐怖とも憎悪ともつかぬ感情が沸き立つ『名』が、『僕』の曖昧な記憶の中にも異質な存在感を放ちながら沈んでいた。
邪竜、『ギムレー』。
それが、この世界を滅ぼしたのだろうか?
『僕』から、ルキナを奪ったのだろうか?
その存在の所為で、『僕』は…………。
『ギムレー』、そう、きっとそれが、『僕』からルキナを奪っていったのだ。
『ギムレー』に囚われたルキナを救う。
『ギムレー』の手から、ルキナを守る。
愛する人を、愛しい存在を、取り戻す。
それこそが、『僕』が生きる意味なのだ。
しかし『ギムレー』の力は強大で、しかも世界を滅ぼし尽くしたソレが今何処に居るのか、『僕』には知り様がない。
この世界にまだ居るのか、或いは何処かへと去ったのか。
それすらも分からないのだ。
『ギムレー』に囚われたルキナが何処に居るのかすら……。
だが。
ならば。
“やり直して”しまえば、良いのだ。
時を巻き戻し、『ギムレー』が『僕』からルキナを奪っていったこの“未来”を、『僕』がルキナを喪うこの“結末”を、“変えて”しまえば良い。
過去に戻り、ルキナを“取り戻す”のだ。
そうすればきっと『僕』は、喪った全てを“取り戻す”事が出来る筈なのだから。
過去は“変えられる”、未来は“変えられる”、結末は“変えられる”。
全ての禍罪は祓われ、その罪業を“無かった事”に出来る筈なのだから。
そして、新しく“やり直した”その先で、きっと『僕』はルキナと共に居られる筈なのだから。
「大丈夫だよ、ルキナ。
必ず『僕』が助けるから。
だから──」
さあ、“やり直そう”。
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