『ペルソナ4短編集』
◆◆◆◆◆
隣から聞こえる一定のリズムを刻む包丁の音に合わせる様に、この胸の奥の鼓動は何時もよりも早くなっていた。
チラリと横目で見たその横顔に、ふと意識を奪われてしまう。
だけれども、それを言葉にするのはまだ少し恥ずかしくて。だから、彼に気付かれぬよう目を反らす様にして手元の鍋に視線を落とす。
決して狭い訳では無い台所ではあるけれど、体格の良い彼と並べば自然とその距離は衣擦れ合う程の距離で。
普段から仲間内の集まりなどでもずっと彼の隣に居るのに、どうにもこの距離が落ち着かなく感じてしまう。
思えば、こうして二人で料理をするのは初めてで。だからなのだろうか、彼の一挙手一投足にどうしても目を惹かれてしまうのは。
半年以上もこの静かな田舎町を騒がせていた事件の真犯人に辿り着き、そしてこの町を霧に包んでいた存在を討ち倒して、漸く平和な時間がこの町に戻って来た時にはもう年の瀬が目前に迫っていた。
霧に包まれていた時の異常な町中の雰囲気は、あの存在を討った事によってか何処かへと吹き飛ばされて行ったかの様で。道行く人々は皆、年末の過ごし方を気にするなどの普通の日常に戻っていた。
そんな中、残された時間を惜しむ様に、僕と彼は共に過ごす時間を増やしていた。
事件を追うその中で、彼は随分と色々なものを喪いかけた。その心の傷は、僕たちの目に見える訳では無くても確実に其処に在るのだろう。
十一月の時の様な一寸先も見えぬ程の霧の中に放り込まれた様な不安はもう無くても、しかし本来そこに居るべき家人の居ない家の寂しさが消えた訳では無い。
事件が解決してその肩の荷が幾らかは下りたからなのか、事件が解決してからと言うもの、彼は随分と僕に甘えてくるようになった。
あまり他人に甘えたり頼ったりする事は無い彼が、「寂しい」と素直に言葉にして僕の傍に居ようとするのは、彼にとって僕がそう言った彼の柔らかな部分を見せるに足る存在だと思ってくれているからなのだろうか。
何であれ、そうやって彼が僕の傍に居ようとしてくれる事に、僕はどうしても満たされる様な気持ちになってしまう。
特別に大好きで、そして……初めて恋しいと、そう心から想う相手にとっての『特別』で在れていると感じる事が出来るからだ。
彼が僕の事を好きでいてくれている事を疑っている訳では無いのだけれど……僕はどうしてもまだ他人からそう言う意味で好きになって貰える事に自信が無くて。今までそんな事を考えている余裕も無く、早く大人になって必要とされたいと焦ってばかりだったから、僕はきっと沢山のものを取り零しているのだろう。
他人を羨んでいたって何かが変わる訳では無いけれど……例えば久慈川さんや天城先輩や里中先輩ならもっと上手く出来るんだろうなと考えてしまう瞬間は結構多い。女性としての魅力云々で言えば、正直僕にあの三人に対しての勝ち目なんて無いと思う。
それでも、彼は僕を好きだとそう言ってくれたし、その言葉を違えるつもりなど無いとでも言わんばかりに一途であった。あんなに凄い人で、実際老若男女問わず色んな人が彼に様々な好意的な視線を向けていて、その中には恋愛的な意味での熱視線を送っている人だっている事は知っている。
久慈川さんたちはそうとは言葉にしなかったけれど……でも多分、彼に対してただの仲間以上の感情は懐いた事はあったんじゃないかと思ってしまう。
別に彼が不誠実な人間であるだとか相手の心を弄ぶタイプの人間であると言う訳では無くて、彼が余りにも真っ直ぐに誠実に自分に向き合って寄り添ってくれる人であるからこそ、好意的な目で見てしまうと言うべきか。
以前誰かが言っていた、「泣かした女は星の数」なんてそれは、彼自身がそうしようと思っていた訳では無いにせよ事実も多少は含まれていたのかもしれない。
……そんな風に様々な人から好意を向けられているのだ。正直、その中からどうして僕を……と思ってしまう事は今でもある。とは言え、じゃあ彼と別れて良い訳など無く、僕なんかよりももっともっと彼に相応しい様な人が現れたとしても、僕は彼を自分に引き留めようとしてしまうだろうけれど。
そう言う訳で、どうしても彼の恋人であるという事に「自信」が持てない僕は、彼が僕にだけその心を明かす様に甘えてくれる事が嬉しいのだ。……ちょっと何だか後ろ向きな喜び方かもしれないが……。
本来の家主である堂島さんや菜々子ちゃんの居ない堂島家は、彼にとってはどうしても寂しく感じてしまう場所である様で。その為、僕は彼に誘われて堂島家で夕食を食べる事がここの所続いている。
彼が作った夕食を二人で食べてそして彼に家まで送って貰うというのが、事件が解決してからの僕たちのルーチンであった。僕としては別に泊まっていっても良いのだけれど、そう言うと彼は「嬉しいけど俺が我慢出来なくて節度あるお付き合いではいられなくなるかもしれないから……」と言って、ほんのり顔を赤くして断わって来るので今の所はまだ泊まっていない。
二人ともそう積極的に話しまくる質では無いので、賑やかな食卓では無いのだけれど。それでも、誰かが其処に居る事にどうしようもなく安心感と幸せと温かさを感じるのだと、彼は言う。そうやって一緒に夕食を食べると、夜も安心して眠れるらしい。
どうやら、菜々子ちゃんと堂島さんが入院して以降、毎晩の様に悪夢に魘されて殆ど眠れていなかった様だ。本音を言えばその時にも頼って欲しかったのだけれど、彼はもう一杯一杯で誰かに頼るだとかの考えが全く浮かばなかったのだと言う。人の事にはとても敏感でお節介な程にお人好しなのに、いざ自分の事になると彼は存外不器用な人であった。
そんな訳で、今日も堂島家にお邪魔して彼と夕食を食べるつもりであるのだけど。
何時も何時も彼に作らせてばかりなので、今日は僕も手伝いたいと彼に頼んだのだ。
正直、料理に手慣れていてその作業工程も淀みなく的確で素早い彼に比べれば、レシピ通りに作る事が精一杯な僕では全く戦力にならないしどちらかと言うと足手纏いになりそうなものだけれど。
僕がそう言うと彼はとても喜んでくれて、そして今夜は二人で一緒に作ろうと言う事になったのであった。
しかし予想はしていたが、僕が手伝える事など殆ど無くて。
少し食材を切った後は、鍋の中身を焦げない様に搔き回したりだとかしかしていない。
けれど、彼はそれがとても嬉しいのか何だか幸せそうな顔をして料理をしている。
そして僕はと言うと、そんな彼の表情に目を奪われていた。
「手伝うと言ったのに、あんまり手伝えてなくてすみません」
そろそろ仕上げだと言う段階でやる事が無くなってしまった僕がそう言うと、彼はちょっと心外そうな顔をする。
「そんな事無い。直斗のお陰でとても助かったよ。
それに……こうやって誰かと一緒に料理するの、実は憧れてた。
だから、直斗と一緒にこうして台所に立てて、俺は嬉しい」
両親と過ごした時間はあまり無いのだと、そう前に彼から聞いた事がある。
だから一般的な「親子の時間」と言うものの経験に乏しい、と。
……何でも出来て何でも持っている様に見えても、彼の心の中にもやはり何処かに「寂しさ」は潜んでいるのだろう。……僕の存在が、少しでもその「寂しさ」を埋める手助けになれていれば良いと。そう思ってしまうのは少し自惚れや傲慢が過ぎるだろうか。
「……僕も、先輩と一緒に料理が出来て楽しいですよ」
そう答えると、彼は嬉しそうに微笑む。大人びた表情が多い彼だが、こうやって笑った時のそれは僕とそう歳の変わらないもので。そして僕はそんな彼の笑顔がとても好きだ。
「それじゃあ、食べようか」、と。彼と一緒に食卓に並べた料理は、何時ものそれよりも温かく、そして優しい味がした。
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隣から聞こえる一定のリズムを刻む包丁の音に合わせる様に、この胸の奥の鼓動は何時もよりも早くなっていた。
チラリと横目で見たその横顔に、ふと意識を奪われてしまう。
だけれども、それを言葉にするのはまだ少し恥ずかしくて。だから、彼に気付かれぬよう目を反らす様にして手元の鍋に視線を落とす。
決して狭い訳では無い台所ではあるけれど、体格の良い彼と並べば自然とその距離は衣擦れ合う程の距離で。
普段から仲間内の集まりなどでもずっと彼の隣に居るのに、どうにもこの距離が落ち着かなく感じてしまう。
思えば、こうして二人で料理をするのは初めてで。だからなのだろうか、彼の一挙手一投足にどうしても目を惹かれてしまうのは。
半年以上もこの静かな田舎町を騒がせていた事件の真犯人に辿り着き、そしてこの町を霧に包んでいた存在を討ち倒して、漸く平和な時間がこの町に戻って来た時にはもう年の瀬が目前に迫っていた。
霧に包まれていた時の異常な町中の雰囲気は、あの存在を討った事によってか何処かへと吹き飛ばされて行ったかの様で。道行く人々は皆、年末の過ごし方を気にするなどの普通の日常に戻っていた。
そんな中、残された時間を惜しむ様に、僕と彼は共に過ごす時間を増やしていた。
事件を追うその中で、彼は随分と色々なものを喪いかけた。その心の傷は、僕たちの目に見える訳では無くても確実に其処に在るのだろう。
十一月の時の様な一寸先も見えぬ程の霧の中に放り込まれた様な不安はもう無くても、しかし本来そこに居るべき家人の居ない家の寂しさが消えた訳では無い。
事件が解決してその肩の荷が幾らかは下りたからなのか、事件が解決してからと言うもの、彼は随分と僕に甘えてくるようになった。
あまり他人に甘えたり頼ったりする事は無い彼が、「寂しい」と素直に言葉にして僕の傍に居ようとするのは、彼にとって僕がそう言った彼の柔らかな部分を見せるに足る存在だと思ってくれているからなのだろうか。
何であれ、そうやって彼が僕の傍に居ようとしてくれる事に、僕はどうしても満たされる様な気持ちになってしまう。
特別に大好きで、そして……初めて恋しいと、そう心から想う相手にとっての『特別』で在れていると感じる事が出来るからだ。
彼が僕の事を好きでいてくれている事を疑っている訳では無いのだけれど……僕はどうしてもまだ他人からそう言う意味で好きになって貰える事に自信が無くて。今までそんな事を考えている余裕も無く、早く大人になって必要とされたいと焦ってばかりだったから、僕はきっと沢山のものを取り零しているのだろう。
他人を羨んでいたって何かが変わる訳では無いけれど……例えば久慈川さんや天城先輩や里中先輩ならもっと上手く出来るんだろうなと考えてしまう瞬間は結構多い。女性としての魅力云々で言えば、正直僕にあの三人に対しての勝ち目なんて無いと思う。
それでも、彼は僕を好きだとそう言ってくれたし、その言葉を違えるつもりなど無いとでも言わんばかりに一途であった。あんなに凄い人で、実際老若男女問わず色んな人が彼に様々な好意的な視線を向けていて、その中には恋愛的な意味での熱視線を送っている人だっている事は知っている。
久慈川さんたちはそうとは言葉にしなかったけれど……でも多分、彼に対してただの仲間以上の感情は懐いた事はあったんじゃないかと思ってしまう。
別に彼が不誠実な人間であるだとか相手の心を弄ぶタイプの人間であると言う訳では無くて、彼が余りにも真っ直ぐに誠実に自分に向き合って寄り添ってくれる人であるからこそ、好意的な目で見てしまうと言うべきか。
以前誰かが言っていた、「泣かした女は星の数」なんてそれは、彼自身がそうしようと思っていた訳では無いにせよ事実も多少は含まれていたのかもしれない。
……そんな風に様々な人から好意を向けられているのだ。正直、その中からどうして僕を……と思ってしまう事は今でもある。とは言え、じゃあ彼と別れて良い訳など無く、僕なんかよりももっともっと彼に相応しい様な人が現れたとしても、僕は彼を自分に引き留めようとしてしまうだろうけれど。
そう言う訳で、どうしても彼の恋人であるという事に「自信」が持てない僕は、彼が僕にだけその心を明かす様に甘えてくれる事が嬉しいのだ。……ちょっと何だか後ろ向きな喜び方かもしれないが……。
本来の家主である堂島さんや菜々子ちゃんの居ない堂島家は、彼にとってはどうしても寂しく感じてしまう場所である様で。その為、僕は彼に誘われて堂島家で夕食を食べる事がここの所続いている。
彼が作った夕食を二人で食べてそして彼に家まで送って貰うというのが、事件が解決してからの僕たちのルーチンであった。僕としては別に泊まっていっても良いのだけれど、そう言うと彼は「嬉しいけど俺が我慢出来なくて節度あるお付き合いではいられなくなるかもしれないから……」と言って、ほんのり顔を赤くして断わって来るので今の所はまだ泊まっていない。
二人ともそう積極的に話しまくる質では無いので、賑やかな食卓では無いのだけれど。それでも、誰かが其処に居る事にどうしようもなく安心感と幸せと温かさを感じるのだと、彼は言う。そうやって一緒に夕食を食べると、夜も安心して眠れるらしい。
どうやら、菜々子ちゃんと堂島さんが入院して以降、毎晩の様に悪夢に魘されて殆ど眠れていなかった様だ。本音を言えばその時にも頼って欲しかったのだけれど、彼はもう一杯一杯で誰かに頼るだとかの考えが全く浮かばなかったのだと言う。人の事にはとても敏感でお節介な程にお人好しなのに、いざ自分の事になると彼は存外不器用な人であった。
そんな訳で、今日も堂島家にお邪魔して彼と夕食を食べるつもりであるのだけど。
何時も何時も彼に作らせてばかりなので、今日は僕も手伝いたいと彼に頼んだのだ。
正直、料理に手慣れていてその作業工程も淀みなく的確で素早い彼に比べれば、レシピ通りに作る事が精一杯な僕では全く戦力にならないしどちらかと言うと足手纏いになりそうなものだけれど。
僕がそう言うと彼はとても喜んでくれて、そして今夜は二人で一緒に作ろうと言う事になったのであった。
しかし予想はしていたが、僕が手伝える事など殆ど無くて。
少し食材を切った後は、鍋の中身を焦げない様に搔き回したりだとかしかしていない。
けれど、彼はそれがとても嬉しいのか何だか幸せそうな顔をして料理をしている。
そして僕はと言うと、そんな彼の表情に目を奪われていた。
「手伝うと言ったのに、あんまり手伝えてなくてすみません」
そろそろ仕上げだと言う段階でやる事が無くなってしまった僕がそう言うと、彼はちょっと心外そうな顔をする。
「そんな事無い。直斗のお陰でとても助かったよ。
それに……こうやって誰かと一緒に料理するの、実は憧れてた。
だから、直斗と一緒にこうして台所に立てて、俺は嬉しい」
両親と過ごした時間はあまり無いのだと、そう前に彼から聞いた事がある。
だから一般的な「親子の時間」と言うものの経験に乏しい、と。
……何でも出来て何でも持っている様に見えても、彼の心の中にもやはり何処かに「寂しさ」は潜んでいるのだろう。……僕の存在が、少しでもその「寂しさ」を埋める手助けになれていれば良いと。そう思ってしまうのは少し自惚れや傲慢が過ぎるだろうか。
「……僕も、先輩と一緒に料理が出来て楽しいですよ」
そう答えると、彼は嬉しそうに微笑む。大人びた表情が多い彼だが、こうやって笑った時のそれは僕とそう歳の変わらないもので。そして僕はそんな彼の笑顔がとても好きだ。
「それじゃあ、食べようか」、と。彼と一緒に食卓に並べた料理は、何時ものそれよりも温かく、そして優しい味がした。
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