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我儘で強欲

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 僕にはさっぱり見えないが、ベルベットルームの扉とやらがあるのだと言う場所に彼が佇んだかと思うと、数瞬後には不思議そうな顔をしながら首を傾げていた。
 彼にしか見えず訪れる事も無いらしいその場所には、どうやら何者かが居るらしく。
 スキー旅行の時に救出したマリーさんや、その時に僅かに顔を合わせた群青色の服を身に纏った秘書の様な美女(マーガレットさんと言うらしい)の他にもう一人いるのだとか。
 その人たちは彼が無数に抱えているペルソナをより良く扱える様に手助けをしてくれているらしい。時折助言めいたものもくれるのだとも言っていた。
 そしてどうやら、その人たちは今回のこの事態に対しても何かしらの助言をくれた様なのだが……。

「えっと……マーガレットが言うには、『満足すれば元に戻れる』らしい。
 ただ、直斗が満足しないなら元に戻るには時間が掛かる? とか」

 この世界の何かが悪影響を与えていたり、年末に倒す事になったアメノサギリの様な超常的存在が何か仕出かしてる訳では無いらしいけども……と。
 何が何だかよく分からないと言いた気な彼の言葉に、一つ脳裏に蘇るものがあった。

━━ほんと、素直じゃないよね『僕』って
━━まあ、仕方ないから手伝ってあげるよ
━━我は汝、汝は我だもんね

 夢から覚める直前に聴こえたあの声、あれは僕の……正確には僕の『影』の声ではなかっただろうか?
 どうしてそれを忘れていたのかと、自分の記憶力に悪態を吐きそうにはなったが、目覚めた直後の異常事態にすっかりすっ飛んでしまっていたのは少し仕方ない事なのかもしれない。
 あの時、あの夢の中で僕は一体何を願った? 何を望んだ?
 そもそもどんな夢だったのかと、もう朧気になってしまった記憶を掘り返す様に思い返す。
 そう、あれは確かとても懐かしい……幼い頃の夢で。
 確か、確か僕は……。

──こんな風に甘えられたら、良いのかなぁ……。

 なんて、そんな事を──

「う、うわぁぁぁっ!?」

 途端に恥ずかしくなって思わず大声を上げてしまう。
 それにビックリしたのか、彼は慌てて何があったのかとオロオロとしているけれども今はちょっとそれ所じゃない。
 いや、だって! 恥ずかし過ぎる!
 もっと素直に甘えたいから子供になってみました、なんて!!
 そもそもそんな事が出来てしまうのかと言う疑問は尽きないけれど、テレビの世界だとかシャドウだとかペルソナだとか「神様」だとか、この世には今までの自分の常識が通用しない何かは色々と存在するのだから有り得ない訳じゃないのだろう。
 今はそんな事よりも、元に戻る為の方法が問題であった。
 そう、僕は彼に甘えなくてはならないのだ。
 僕が……僕の『影』も含めた僕自身が、最大限満足するまで。
 それは、どうしても自分から甘える事が苦手な僕にとっては、断崖絶壁から飛び降りろと言われているにも等しい。

「えーっと、……取り敢えず此処で出来る事は無さそうだし、帰るか?」

 冷や汗が出そうな程に焦っている僕を見ながらそう提案してきた彼の言葉に、頷くしか無かった。





◇◇◇◇◇





 再び家に帰って来て、しかしならばどうしようと言う話である。
 元に戻る方法は分かった。
 満足するまで素直に甘えたら良いのだ。
 しかしそれは、僕にとっては全く以て簡単な事では無い。

 心配そうに見詰めてくる彼を直視するのが辛い。
 しかし、このままで良い訳はなくて。
 迷惑をかけたくないなら尚の事、早く素直に甘えた方が良いのは分ってる。
 甘えたからって彼は嫌がったりはせず寧ろ喜ぶだろう事も分かっている。
 それでも出来ないのは気恥しさが故なのか、それとも女としての自分に自信が無さ過ぎるが故なのか。
 彼に好きで居て貰える自分でありたいと思うけれど、考えれば考える程難しい。
 ベッドに腰掛けながら悶々と考えていると。

「……直斗」

 彼がそっと抱き締めてきた。
 何時も抱き締める時のそれよりも、更に優しい力加減のそれは、幼い身体に負担をかけない様にしているのだろう。

「何をどうしたら直斗が満足出来るのかとかは俺には分からないけれど、何にだって付き合うよ。
 また一緒に『怪盗X』の様な謎を追い掛けたっていいし、直斗が望んでいる事は全部叶えてあげる。
 だから、遠慮なんてしないで、恥ずかしがらずに何でも言って」

 直斗の為だったら何でもするから、と。
 彼のその言葉が本気である事は、よく知っている。
 彼は本当に一途だった。少なくとも、僕に対しては。
 嘘も吐かないし誤魔化しもしない、本当に真っ直ぐで深い愛情だけを向けてくれる。
 好きだ、と。何度だって何度だってありとあらゆる方法で伝えてくれる。
 意味だとか理由だとか、そんなものは全部無視して。只管に、僕が僕だからこそ愛しているのだと。怖い程に純粋な想いを向けてくれる。
 だからこそ、そんな彼の想いに釣り合えるだけのものを返せているのか、彼がそこまで愛するに足る存在なのか不安になってしまうのだろう。
 でも、彼のそれには釣り合わないのかもしれなくても、僕だって彼の事が誰よりも大切で、愛しいと思っている。

「せんぱい……。
 さみしいんです。せんぱいがいなくなってしまう事が。どうしようもなく」

 彼のシャツの胸の辺りをギュッと掴みながら、今まで押し込めていた気持ちを吐露する。

「……俺は此処に居るよ。何処にも行ったりしない」

「でも、春になったら行ってしまう。
 それがとてもさみしいんです。
 どこにも行かないでほしい、ずっとそばにいてほしい。
 ……ぼくって、とてもわがままですね」

 かつて対峙した時の『影』の様に、感情のままに泣き喚く程に訴えるべきだったのかもしれないが。僕にはそれが精一杯だった。
 抱き締めてくれる彼の胸をそっと押してみる。
 元々体格差がある為、僕の力では彼を押し倒すなんて無理だったけど。子供になった今では最早壁を押している様なもので僅かに揺るがせる事すら出来やしない。

「もっともっと、ぼくにふれてほしい。
 ぼくのことをいっしゅんたりとも忘れられないくらいに、その心の中をぼくでうめつくすくらいに、ぼくのことを覚えていてほしい。
 せんぱいのことをもっともっと教えてほしい。
 はなれていたって直ぐそばに感じられるくらいに、せんぱいでぼくをみたしてほしい……」

 呆れる位に我儘で、束縛紛いのそれを望む程に強欲だ。
 それでも、それが僕の偽らざる本音である。

 僕の言葉を聞いて、彼は驚いた様に目を見張ったかと思うと、優しさをその目に滲ませる。
 そして、より強く抱き締めてきたかと思うとそのままベッドに寝転んだ。

「直斗に満たされるなんて、それこそ俺の本望だよ。
 ……確かに、春になったら俺は此処を離れる。
 でもそれはお別れなんかじゃない。
 確かに、一緒に居られる時間は少なくなるし、『また明日』って言えなくなる。
 でも、それは永遠じゃない。
 何度だって此処に帰ってくるし、大学生になったらもっと自由に動ける。
 何だったら、一緒の大学に行ってルームシェアとかだって出来る」

 そう言いながら、彼は優しく僕の唇に触れるだけのキスを落とす。

「言っておくけど、俺は本当に欲しいものは絶対に諦めないし、一度手にしたそれを手放してあげられる程優しくもない。
 俺は本気で直斗の事が好きだし、未来の事を考えた時には何時だって直斗の事を真っ先に考えてる。
 俺があげられるものは何でもあげる、叶えられる事は何でも叶える、だからずっと傍に居て欲しい」

 それじゃ駄目か? と。そんな事を訊いてくる彼に、駄目なんかじゃないと首を横に振った。
 僕だって、同じ気持ちだ。
 僕が出来る全てで、彼に出来るだけの事をしたい。
 そして、愛して欲しい、好きでいて欲しい。

 彼に抱き締められている内に、とろとろと眠りの波が押し寄せて来た。
 まだ寝るには早いのだけれど今日は色々あったのだし、何より子供の身体なのが大きいのかもしれない。
 うとうととし始めた僕の背を優しく摩る彼の手にすっかり安心しきって、重い瞼はゆっくりと閉じていく。

「せんぱい……ずっと、いっしょに……」

「ああ、約束するよ。ずっと一緒に居る。
 絶対に、直斗を離したりなんかしない」

 その言葉に安心して、僕は眠りに落ちていくのであった。





◇◇◇◇◇





 子供の姿のまま寝入ってしまった僕であったが、それから数時間ほどして目が覚めた時にはすっかり元通りの姿に戻っていた。
 確認したが、一ミリたりとも身長は減っていなかった。残念ながら伸びても居なかったが。
 元に戻れた事を喜んだのも束の間、彼から「俺がどれだけ直斗の事を愛しているのか証明する」なんて言われて押し倒される羽目になった。
 どうやら、子供の姿の僕相手には相当自重していたらしい。お陰で何時も以上に激しい事になった。

 後に菜々子ちゃんには(こっそりとは言え)服を借りたお礼を兼ねて彼も含めて三人一緒に服を買いに行ったのだが随分と喜んで貰えて。
 菜々子ちゃんを溺愛している彼の意見を取り入れながらあれやこれやと服を見てみるのは存外楽しいものであった。
 自分自身を着飾る事にはそこまで拘る事は無いが、誰かと一緒にこうして服を選ぶ事は楽しいものなのだと改めて知った思いである。

 もう後数週間もすれば、彼が此処を発つ日が訪れる。
 そこに寂しさが無いとは言えないけれど、その別れへの寂しさ以上に、「未来」への期待が大きくなっていた。
 その「未来」で、僕はきっと彼と一緒に居る。
 それを確信出来る事は、とても素敵な事だった。

 心の何処かで、僕に似た声が「良かったね」と笑った気がした。





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