我儘で強欲
◆◆◆◆◆
時間は何時だって有限で、どんなに今を惜しもうとも時の流れは待ってはくれない。大切な人と過ごす時間だって、永遠ではなくて。どんなに大切な相手でも別れは何時か必ず訪れる。
探偵と言う仕事の関係上あちこちを飛び回る事は日常茶飯事で、転校だって何度も経験してきた。
僕にとってはそこにある事件や謎だけが重要事項で、その土地その場所には何の愛着もないしそこに住む人々にも何の感慨もなく。その地を去る事に寂しさ等の感情を抱いた事は無い。
これからもずっとそうなのだろうと思っていたのに、本来なら縁もゆかりも無い土地だった筈のこの八十稲羽の地に自分でも驚く程に愛着の様なものを感じてしまっているのは、此処が僕にとって様々な意味で転機になった場所であるからだろうか。或いは、離れ難い程に大切な……心の温かな場所に居てくれる「仲間」が居るからなのだろうか。……彼に、僕にとってきっとこの先に出会う誰よりも大切なあの人に出逢えたからなのか。
何にせよ、僕は初めて「離れ難い」と思う人たちに出会えた。
……しかし、時間は有限で。
何よりも離れ難い人、僕にとって一番大切で特別な人。……僕の恋人である先輩は、ずっとはこの場所には居られない。
春が来れば、彼はこの地を離れてしまう。
それは、彼がここに来たその時から決まっていた事で、僕だって分かっていたけれど。
年が明けて、少しずつ冬の寒さが和らぎ春の訪れが近付くにつれ、遠くない内に訪れる「別れ」を意識してしまう。
春を待つ木々の蕾に「寂しさ」を感じてしまう程に、僕の思考の少なくは無い部分をその事が占めていた。
彼との出会い自体は不可思議な事件に興味を惹かれて独自に捜査をし始めて直ぐの頃合だったからそれなりに前の事と言っていいだろうけれど。
実際に彼の為人を知り親しくなっていったのはほんの数ヶ月前程度の事で、色々とあって恋人となってからも年の瀬近くまでは本当に色々とあって恋人らしい時間と言うものはそう多くは取れなかった。
過ごした時間が少ないと言いたい訳では無いが、しかし全く以て足りないと思う。
彼の事をもっともっと知りたいし、もっと時間を過ごしたい。だが、時間は無情な程に有限だ。
なら、せめてその残された短い時間の中でもっと甘えてみたり、何なら素直に「行って欲しくない」なんて我儘を言ってみても良いのかもしれないけれど。
そう言った事を素直に吐露するのはどうしても抵抗があったし、困らせてしまったらどうしようと言う気持ちが先に立つ。気恥しさもあるけど。
恋人となってそれなりの時間を過ごしてきて今更と言う話にはなるが、彼はとても変わっていた。
こうも親しくなるとは思ってもみなかった時、事件の謎を追う事だけに執心していた時には、彼を事件について何らかの鍵を握ってる人物だと目して徹底的に調べ上げたりもした。
彼の親戚の情報からこれまで幾度と無く繰り返していた引越し元や通っていた学校での交友関係などなど、直接彼に接しなければ分からない事以外はほぼ全部調べ上げていたと思う。
とは言えそこで何か不審なものがあったという訳ではなくて、優秀な成績や広い交友関係などはあれど一般的な学生の域を出るものでは無かった。
この八十稲羽での生活についても、変わらず広い交友関係を持ち、街の人々の困り事をそれとなく解決したりと随分と世話焼きな面が目立ってはいたがそれだけで。
まあ強いて言えば、それなり以上の交友関係にある女性たちの複数名と相当に親密な関係であるらしかったが……、浮名を流すとまではいかず高校生らしい関係に留まってはいたらしい。
とは言え、僕が彼と親しくなる前に既に彼には親密な関係にあった女性が数名居た訳で。
それなのに、どうして僕を恋人にしたのかは未だにさっぱり分からない。
何せ、彼が親密だった相手の中には天城先輩に里中先輩に久慈川さんと、それはもう錚々たる面子が揃い踏みだったのだ。
三人とも「女性」として、僕なんかでは到底太刀打ち出来ない程の魅力に溢れているのだし、何より彼女たちは皆「本気」で彼に恋をしていた。その程度の事、幾ら鈍いだの何だのと言われる僕にだって、彼女たちの態度を見ていたら分かる。
しかし、僕に好意を告げた後で、先輩は彼女たち一人一人に謝罪と共に関係性の解消を求めたらしい。
その事で色々とすったもんだがあったらしいが、一線は超えていなかった事もあって最終的にはどうにかなったそうなのだが……。しかし、先輩たちが彼への好意をきっぱり捨て切れたのかと言うとそうではないだろう。
どうして明らかに僕よりも魅力的な彼女たちを振ってまで僕を選んだのか……本当によく分からない。
別に彼の気持ちを疑うつもりは無いが、分からないものは分からなかった。……そんな想いを言葉にすると、彼は何時も困った様な悲しそうな顔をするので、もうそれを口にする事は無いけれど。
自覚はあるけれど、僕は今でも自分に自信が無いのだろう。
探偵としての僕ではなく、女の子として……彼の恋人としての自分に関しては、全く以て自信が無い。
だから、何か迷惑を掛けてしまってはいけないと思って、どうしても素直には甘えられない。
彼は「もっと甘えて欲しい」とよく口にするけれど、どうしていいのか分からなくて。
結局、自分からは言葉に出来ず、彼が甘やかしてくれるのに任せてしまっていた。
でも、それも後少しで終わってしまう。
春になり、離れ離れになれば……もう気軽に会えなくなるし、彼に甘える事なんてそうそうに出来なくなってしまう。
だからせめて、と……そう思うのに。
それでも踏ん切りは付かなくて。
悶々とした気持ちを抱えたまま布団を被っているといつの間にか夢の中へと意識は落ちていた。
◇◇◇◇◇
懐かしい夢を見た。
とても幼い頃……まだ両親と過ごしていた頃の、もう記憶も朧気な頃の夢を。
代々探偵業を営むという特殊な家庭環境だったから、両親は何時も忙しそうで一緒に過ごせた時間はそう多くはなかったけれど。
でも、貴重な時間の中で両親は心から僕を愛してくれていたし、僕は今では考えられない程素直に両親に甘えていたと思う。
他愛の無い我儘を一体幾つ言ったのかなんてもう覚えてもいない。
──こんな風に甘えられたら、良いのかなぁ……。
ぼんやりと、もう小さな子供ではなくなってしまった「僕」が夢の中でそう考えていると。
クスクスと揶揄う様な笑い声が何処からか聴こえた様な気がした。
━━ほんと、素直じゃないよね『僕』って
━━まあ、仕方ないから手伝ってあげるよ
━━我は汝、汝は我だもんね
その声の真意を問い質す間もなく、夢はボヤけて意識は穏やかな白に塗り潰されていった。
枕元の聞き慣れた電子音で意識は浮上した。
もう春は間近であるとは言え八十稲羽はまだまだ寒さが強く残る地域だ。
暖房は十分につけているとは言え、寒さにはとても弱い自覚がある事もあって、朝の布団から出るのはまだとても億劫である。
その為、布団の中から何時もの様に手を伸ばして目覚ましを止めようとしたのだが。
不思議と、何時も手の届く場所に置いてある筈の目覚ましに手が届かず、手は空振って布団の上に落ちてしまう。
寝返りを打った際などに落としてしまったのだろうか?
しかし、目覚ましの音自体は何時ものように枕元で聞こえている。
寝起きでまだ少しぼんやりとしながらも、目覚ましを止めようと起き上がる。
その途端、ズルりと布が滑り落ちそうになり慌ててそれを抑えると共に、強烈な違和感に襲われる。
まだしょぼしょぼとしている目を擦りながら見渡した部屋は何時もと変わらぬ自室である筈なのだが、全体的に何故か大きく感じるのだ。
そして、ズリ落ちかけた布が何なのかと視線を下ろすと、それは間違いなく寝巻きで。
ピッタリとしたサイズであった筈のそれは、明らかに大きくて。袖が余るどころか、今の状態は布に埋もれているに近しいものであった。
「は……?」
状況が理解出来なくて、思わずそんな声が零れてしまう。
猛烈に嫌な予感がするが、しかし確かめなくては何も分からない。
今の自分には大きくなり過ぎていたベッドから飛び降りる様にして降りて(その際に寝巻きのズボンは脱げてしまった)、とてとてと部屋の中を歩いて随分と高い位置に移動しているクローゼットの取っ手を引いて中にある姿見に自身を映す。
全身用の姿見にちょこんと映っているのは。
呆然とした様子の、本当に幼い……恐らくは小学生にも満たないだろう年頃の。実家にあるアルバムの写真などで見覚えがあり過ぎる子供の姿であった。
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時間は何時だって有限で、どんなに今を惜しもうとも時の流れは待ってはくれない。大切な人と過ごす時間だって、永遠ではなくて。どんなに大切な相手でも別れは何時か必ず訪れる。
探偵と言う仕事の関係上あちこちを飛び回る事は日常茶飯事で、転校だって何度も経験してきた。
僕にとってはそこにある事件や謎だけが重要事項で、その土地その場所には何の愛着もないしそこに住む人々にも何の感慨もなく。その地を去る事に寂しさ等の感情を抱いた事は無い。
これからもずっとそうなのだろうと思っていたのに、本来なら縁もゆかりも無い土地だった筈のこの八十稲羽の地に自分でも驚く程に愛着の様なものを感じてしまっているのは、此処が僕にとって様々な意味で転機になった場所であるからだろうか。或いは、離れ難い程に大切な……心の温かな場所に居てくれる「仲間」が居るからなのだろうか。……彼に、僕にとってきっとこの先に出会う誰よりも大切なあの人に出逢えたからなのか。
何にせよ、僕は初めて「離れ難い」と思う人たちに出会えた。
……しかし、時間は有限で。
何よりも離れ難い人、僕にとって一番大切で特別な人。……僕の恋人である先輩は、ずっとはこの場所には居られない。
春が来れば、彼はこの地を離れてしまう。
それは、彼がここに来たその時から決まっていた事で、僕だって分かっていたけれど。
年が明けて、少しずつ冬の寒さが和らぎ春の訪れが近付くにつれ、遠くない内に訪れる「別れ」を意識してしまう。
春を待つ木々の蕾に「寂しさ」を感じてしまう程に、僕の思考の少なくは無い部分をその事が占めていた。
彼との出会い自体は不可思議な事件に興味を惹かれて独自に捜査をし始めて直ぐの頃合だったからそれなりに前の事と言っていいだろうけれど。
実際に彼の為人を知り親しくなっていったのはほんの数ヶ月前程度の事で、色々とあって恋人となってからも年の瀬近くまでは本当に色々とあって恋人らしい時間と言うものはそう多くは取れなかった。
過ごした時間が少ないと言いたい訳では無いが、しかし全く以て足りないと思う。
彼の事をもっともっと知りたいし、もっと時間を過ごしたい。だが、時間は無情な程に有限だ。
なら、せめてその残された短い時間の中でもっと甘えてみたり、何なら素直に「行って欲しくない」なんて我儘を言ってみても良いのかもしれないけれど。
そう言った事を素直に吐露するのはどうしても抵抗があったし、困らせてしまったらどうしようと言う気持ちが先に立つ。気恥しさもあるけど。
恋人となってそれなりの時間を過ごしてきて今更と言う話にはなるが、彼はとても変わっていた。
こうも親しくなるとは思ってもみなかった時、事件の謎を追う事だけに執心していた時には、彼を事件について何らかの鍵を握ってる人物だと目して徹底的に調べ上げたりもした。
彼の親戚の情報からこれまで幾度と無く繰り返していた引越し元や通っていた学校での交友関係などなど、直接彼に接しなければ分からない事以外はほぼ全部調べ上げていたと思う。
とは言えそこで何か不審なものがあったという訳ではなくて、優秀な成績や広い交友関係などはあれど一般的な学生の域を出るものでは無かった。
この八十稲羽での生活についても、変わらず広い交友関係を持ち、街の人々の困り事をそれとなく解決したりと随分と世話焼きな面が目立ってはいたがそれだけで。
まあ強いて言えば、それなり以上の交友関係にある女性たちの複数名と相当に親密な関係であるらしかったが……、浮名を流すとまではいかず高校生らしい関係に留まってはいたらしい。
とは言え、僕が彼と親しくなる前に既に彼には親密な関係にあった女性が数名居た訳で。
それなのに、どうして僕を恋人にしたのかは未だにさっぱり分からない。
何せ、彼が親密だった相手の中には天城先輩に里中先輩に久慈川さんと、それはもう錚々たる面子が揃い踏みだったのだ。
三人とも「女性」として、僕なんかでは到底太刀打ち出来ない程の魅力に溢れているのだし、何より彼女たちは皆「本気」で彼に恋をしていた。その程度の事、幾ら鈍いだの何だのと言われる僕にだって、彼女たちの態度を見ていたら分かる。
しかし、僕に好意を告げた後で、先輩は彼女たち一人一人に謝罪と共に関係性の解消を求めたらしい。
その事で色々とすったもんだがあったらしいが、一線は超えていなかった事もあって最終的にはどうにかなったそうなのだが……。しかし、先輩たちが彼への好意をきっぱり捨て切れたのかと言うとそうではないだろう。
どうして明らかに僕よりも魅力的な彼女たちを振ってまで僕を選んだのか……本当によく分からない。
別に彼の気持ちを疑うつもりは無いが、分からないものは分からなかった。……そんな想いを言葉にすると、彼は何時も困った様な悲しそうな顔をするので、もうそれを口にする事は無いけれど。
自覚はあるけれど、僕は今でも自分に自信が無いのだろう。
探偵としての僕ではなく、女の子として……彼の恋人としての自分に関しては、全く以て自信が無い。
だから、何か迷惑を掛けてしまってはいけないと思って、どうしても素直には甘えられない。
彼は「もっと甘えて欲しい」とよく口にするけれど、どうしていいのか分からなくて。
結局、自分からは言葉に出来ず、彼が甘やかしてくれるのに任せてしまっていた。
でも、それも後少しで終わってしまう。
春になり、離れ離れになれば……もう気軽に会えなくなるし、彼に甘える事なんてそうそうに出来なくなってしまう。
だからせめて、と……そう思うのに。
それでも踏ん切りは付かなくて。
悶々とした気持ちを抱えたまま布団を被っているといつの間にか夢の中へと意識は落ちていた。
◇◇◇◇◇
懐かしい夢を見た。
とても幼い頃……まだ両親と過ごしていた頃の、もう記憶も朧気な頃の夢を。
代々探偵業を営むという特殊な家庭環境だったから、両親は何時も忙しそうで一緒に過ごせた時間はそう多くはなかったけれど。
でも、貴重な時間の中で両親は心から僕を愛してくれていたし、僕は今では考えられない程素直に両親に甘えていたと思う。
他愛の無い我儘を一体幾つ言ったのかなんてもう覚えてもいない。
──こんな風に甘えられたら、良いのかなぁ……。
ぼんやりと、もう小さな子供ではなくなってしまった「僕」が夢の中でそう考えていると。
クスクスと揶揄う様な笑い声が何処からか聴こえた様な気がした。
━━ほんと、素直じゃないよね『僕』って
━━まあ、仕方ないから手伝ってあげるよ
━━我は汝、汝は我だもんね
その声の真意を問い質す間もなく、夢はボヤけて意識は穏やかな白に塗り潰されていった。
枕元の聞き慣れた電子音で意識は浮上した。
もう春は間近であるとは言え八十稲羽はまだまだ寒さが強く残る地域だ。
暖房は十分につけているとは言え、寒さにはとても弱い自覚がある事もあって、朝の布団から出るのはまだとても億劫である。
その為、布団の中から何時もの様に手を伸ばして目覚ましを止めようとしたのだが。
不思議と、何時も手の届く場所に置いてある筈の目覚ましに手が届かず、手は空振って布団の上に落ちてしまう。
寝返りを打った際などに落としてしまったのだろうか?
しかし、目覚ましの音自体は何時ものように枕元で聞こえている。
寝起きでまだ少しぼんやりとしながらも、目覚ましを止めようと起き上がる。
その途端、ズルりと布が滑り落ちそうになり慌ててそれを抑えると共に、強烈な違和感に襲われる。
まだしょぼしょぼとしている目を擦りながら見渡した部屋は何時もと変わらぬ自室である筈なのだが、全体的に何故か大きく感じるのだ。
そして、ズリ落ちかけた布が何なのかと視線を下ろすと、それは間違いなく寝巻きで。
ピッタリとしたサイズであった筈のそれは、明らかに大きくて。袖が余るどころか、今の状態は布に埋もれているに近しいものであった。
「は……?」
状況が理解出来なくて、思わずそんな声が零れてしまう。
猛烈に嫌な予感がするが、しかし確かめなくては何も分からない。
今の自分には大きくなり過ぎていたベッドから飛び降りる様にして降りて(その際に寝巻きのズボンは脱げてしまった)、とてとてと部屋の中を歩いて随分と高い位置に移動しているクローゼットの取っ手を引いて中にある姿見に自身を映す。
全身用の姿見にちょこんと映っているのは。
呆然とした様子の、本当に幼い……恐らくは小学生にも満たないだろう年頃の。実家にあるアルバムの写真などで見覚えがあり過ぎる子供の姿であった。
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