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第二章 【夢幻に眠る】

◆◆◆◆◆






 首元に痛みを感じた瞬間に、その衝撃と共に飛び起きて。
 そして同時に聞こえた絶叫に驚いてそちらを見ると、首元を抑えた炭治郎が荒い呼吸と共にその首元を押さえている。その傍で何時の間にか箱の外に出ていた禰豆子ちゃんが叫び声に驚きつつも心配そうに炭治郎を見ていた。

 あれから一体どれだけの時間が過ぎたのだろう。
 炭治郎を起こそうとして、「炭治郎の夢の中」に迷い込んで、そして何故か……恐らくは炭治郎の記憶を見ていた。炭治郎が家族を奪われたその日の、絶望の記憶を。
 まるで自分の記憶の様にも感じられたその過去の光景が目に浮かぶと同時に、その直前に見てしまった「炭治郎の夢」の残酷さが更に際立って、思わず目を瞑って、脳裏に浮かんだその光景を追い出す。
 後で、炭治郎とは話をしなければならない。決して自分が望んだ訳ではないとは言え、「炭治郎の夢」を覗いた上にその記憶まで暴いてしまったのだから。他人が踏み入ってはいけない傷に、触れてしまった実感がある。
 謝ってどうなるものでもないのだろうけれど、せめてものケジメとして。
 だが、それよりも先にこの状況を何とかしなければならなかった。

 恐らくは炭治郎が夢を終わらせる条件を見付けて実行したから自分もこうして目覚める事が出来たのだろうけれど、状況が劇的に改善された訳では無い。
 今目覚めているのは自分と炭治郎と、……そして恐らくは最初から眠っていなかったのだろう禰豆子ちゃんだけで。
 善逸も伊之助も煉獄さんも、眠ったままだ。いや、煉獄さんに関しては何故か立ったままの状態で、見知らぬ女性の首を窒息させるギリギリの所で絞めていた。何故か煉獄さんとその女性は腕の部分を謎の縄で繋がれている。
 いや、煉獄さんだけでなく、善逸にも伊之助にも、謎の縄が括りつけられていて。そして自分の手首にも、まるで雷で焼かれた様に焼き切れてはいるが、煉獄さんたちの手首に繋がれたものと同じだろう縄が巻き付いている。
 よく見れば、炭治郎の手首にも炎で焼き切られた様な縄が繋がっていた。
 そして、煉獄さん達の手首の縄の先は其々に見知らぬ誰かの手首に繋がれて、その繋がれた先の人達も眠りに就いている様だ。だが、他の乗客たちと違って、その顔は何処か険しい。
 他に何か無いだろうか、と辺りを見回していると、切れた縄を手首に繋いだ男達が居た。片方は完全に気を喪っているらしく、息をしてはいるのだが白目をむいている。その手首の先の縄は雷に焼かれた様になっているので、もしかして自分の手首の縄に繋がれていたのがこの人なのだろうか。
 そして、もう一人、手首の先に焼き切れた縄を括られている人は、目覚めてはいる様だけれど、彼は静かにはらはらと涙を零していた。……何があったのだろうか。その顔は、何処かスッキリとしている。少なくとも此方への害意は感じなかった。
 とにかく、今は状況を早く把握して、鬼の襲撃に備えなくてはならない。

「炭治郎、大丈夫か?」

「鳴上さん……これは、一体……」

 首元を押さえ荒い息をしていた炭治郎が少し落ち着いたのを見計らって声を掛け、その傍で心配そうに炭治郎を見上げていた禰豆子ちゃんの様子も改めて観察する。
 二人とも、少なくとも外傷は無さそうだ。……炭治郎の心への傷は、見ただけでは分からないが。

「正直俺にもよく分からない。恐らくは血鬼術によって、皆が突然眠ってしまって。
 起こそうとはしてみたんだが、俺も眠ってしまったらしい。
 それで、気付いたらこんな状況になっていた」

 見知らぬ人たちが縄で繋がれているのを怪訝そうに見た炭治郎は、ふと何かに気付いた様に自分の手首に残った縄の匂いを嗅いで、そして懐から取り出した切符の匂いを嗅いだ。
 どうやら、切符と縄から微かにだが鬼の臭いがしたらしい。炭治郎の嗅覚でもよく気を付けていないと気付け無い程の微かなその鬼の臭いがするそれらを基に血鬼術を発動させて皆を眠らせたのではないか、と炭治郎は言う。自分も臭いを嗅いでみるが、残念ながら全く分からない。それ程微かな気配で強力な血鬼術を発動させるとは、この列車に潜む鬼は相当に手強い存在であるのかもしれない。
 そして、縄で繋がれたこの人たちは一体誰なのだろう。恐らくは鬼の仕業なのだろうけれど、これに一体何の意味があるのか……。分からないが、このままにしておくのは不味いだろう。特に、煉獄さんが締め上げている相手は下手をすると窒息しかねない。鬼に操られているにしろ鬼に自発的に協力しているにしろ、人を殺してしまうのは煉獄さんの本意では無い筈だ。
 縄を断ち切ろうとして、寸前で思い止まった。何と無く、胸騒ぎがする。ただ単純に縄を斬るのは危険なのかも知れない。炭治郎も同じ意見らしく、これが鬼の血鬼術の一部であるなら、単に縄を斬ると何かの罠が発動するのかもしれない。その為、鬼と血鬼術によるものだけを燃やせる禰豆子ちゃんの血鬼術に任せる事にした。
 血鬼術を使用すると消耗させてしまうらしいのだが、此処は安全を取る為なので禰豆子ちゃんには頑張って貰う。
 全ての縄を燃やし切って、後は『アムリタ』で一気に煉獄さん達の目を覚まさせるだけ、となったその時。
 突然、錐の様な物を手に、襲い掛かる存在があった。

 咄嗟に身を反らして避けて、その手を捻り上げる様にしてその動きを止めると。それは先程煉獄さんと縄で繋がれていた女性であった。
 凄まじい形相で睨みつけてくるが、その気配は間違いなく人であるし、ついでに言うなら全く見知らぬ相手である。鬼に操られているのだろうか、と困惑していると。善逸や伊之助と縄で繋がれていた男女も何時の間にやら目覚めていて武器を手ににじり寄ろうとしてくる。
 一般人だろう身のこなしの相手に下手に手を出す事は出来ず、自分だけでは無く炭治郎も困惑していた。

「何でこんな事を? どんな事情があるのかは知らないが、そんな物を人に向けてはいけない。
 鬼に脅されているのなら──」

 その鬼は今から退治するから安心してくれ、と。そう言おうとした言葉に、手を捻り上げている女性は噛み付く様に吼える。

「離しなさいよ! 何で邪魔をするのよ!! 
 あんた達の所為で、このままじゃ夢を見せて貰えないじゃない!!」

 ……どうやら、この人たちは自分の意思で鬼に協力していたらしい。さっきまで縄で繋がれていたあの行動にどんな意味があったのかは知らないが、ろくなものでは無いだろう。
 この人たちにどんな事情があったのかは正直知った事では無い。弱った心に甘い夢を注ぎ込まれ、正常な判断能力を喪った可哀想な人達であるのかもしれないが。ただ何にせよ、自分達の意思で炭治郎たちを害しようとしたのは確かだ。鬼に「幸せな夢」を見せて貰う為に、他人を捧げる事を選んだ人たちだ。
 別に、この人たちを許せないだとか裁きたいだとかは思わないけれども。
 ただ、無為な憐れみを向けて、刺されてやる訳にはいかない。

「何してんのよ! あんたも起きてるならこっちに加勢しなさいよ!」

 手を捻られて抵抗出来ない女性が、自分達が起きた時にはもう起きていて涙を静かに零していた青年へと叫ぶ。
 だが、彼には此方を害しようなどと言う意志は無いらしく、女性に唆されようとも席に座ったままだ。
 恐らくは炭治郎と繋がれていたのだろうその人は、そっとその首を横に振る。

「何よ!? 今更怖気付いたって訳!? 結核だか何だかは知らないけど、それならあの人に言って夢を見させて貰えない様にするけど、それで良いって事!?」

 女性の脅しに、男性は構わないとばかりに首を振る。その身体は随分と痩せていて、苦しそうだ。
 結核、と聞いた瞬間。炭治郎はとても悲しそうな顔をする。そして、彼等の傷付いた心に付け込んで弄ぼうとしている鬼に対しての怒りがその瞳には宿っていた。
 結核……。それは長らく不治の病として猛威を奮う病気だ。平成の時代になっても、根絶には至っていない。
 結核に対して初めて有効な抗菌薬であるストレプトマイシンが線虫から発見されるのが、1944年。それまでは不治の死病にも等しい病であり、当然ながら大正時代の医療では治す術は無い。静養と栄養療法以外の治療法は存在せず、そしてそれで治す事は出来ないのだ。
 死が近付き、呼吸すら儘ならぬ苦しさから逃れる為に鬼の見せる夢に縋ろうとしたのか……。
 ……だが彼は、どの様な心変わりをしたのかは知らないが、夢に縋ろうとする事を止めていた。

「あなた達にどんな事情があるのかは俺には分からない。別に、知りたくも無い。
 でも、他人を害してまで見る夢は、本当に「幸せな夢」なのか? 
 それに、あなた達が縋ろうとしている鬼が素直に「幸せな夢」を見せてくれると、本気で思っているのか?」

「「幸せな夢」が見たくて何が悪い!? 何も知らないくせに! 
 それに、あの人は一度試しに「幸せな夢」を見せてくれたわ! 
 あの夢をまた見る為なら、何だってする! それの何が悪いの!?」

 喚く女性の顔は必死だった。どんな事情があるにせよ、一度舐めてしまった猛毒の甘露を忘れる事が出来ないのだろう。
 その先に地獄しか存在しない事を、気付いていたとしても目を逸らし、鬼に従うしかない。
 ……自分の見たい物だけを見て、自分の都合に良い事だけを考えて。彼女たちは皆、虚ろの森の中に囚われているのかもしれない。……そこで一生蹲って生きるのか、或いは何処かに歩き出すのかは知らないが。
 ただ、多少なりとも同情心にも似た憐憫はあったので、忠告だけはする。

「……あなた達が自分の為に傷付けようとしている相手もまた、それぞれの事情を抱えて生きている者だ。
 誰もが完全無欠の幸せの中に生きている訳じゃない。あなたの苦しみはあなただけのものだが、あなた以外の誰もがあなた以上に恵まれて満ち足りているだなんて思わない事だ。
 苦しくても、哀しくても。それでも、皆生きている。生きているんだ。
 それを傷付けようとする事を、俺は看過出来ない。
 それに……一度見せてくれたからと言って、その鬼を信用するのは止めた方が良い。
 夢を見せてくれたとして用済みになったあなた達は生きながらにして喰われるだろうし、……あなた達にこの様な事をさせる鬼が素直に誰かを「幸せ」にするとは思えない。縋る相手を致命的に間違えている」

 そして、これ以上話し合っていた所で無駄だろうと判断し、ペルソナの力を使って此方を襲おうとする彼等を眠らせる。眠りに誘う歌を耳にした瞬間にその場に崩れ落ちる様に眠った彼等が、その眠りの中でどんな夢を見ているのかは知らない。彼等が望んだ「幸せな夢」なのか、それとも悪夢なのか。それは彼等の心が決める事だ。

 突然、自分達に襲い掛かって来ていた鬼に与する一般人たちが眠ってしまった事に炭治郎は驚いていたが、特には何も言ってこなかった。そう言えば、炭治郎の前でペルソナの力を使ったのはこれが初めてであったかもしれない。まあ、良いだろう。今はそれを気にするよりも先にしなければならない事がある。
 煉獄さん達を眠らせている血鬼術を『アムリタ』で解除しようとして、その時ある事が頭を過って手を止めた。
 そして、此方を襲おうとしなかった、結核に蝕まれていると言う名も知らぬ青年を手招きする。

「……手を、握らせて貰っても良いですか?」

 困惑しつつも手を差し出してきた彼のその手をそっと包む様に握って、『アムリタ』を使う。
 淡い輝きが彼を包み込み……そして、困惑しながら瞬きしていた彼は、少ししてから驚いた様に胸の辺りを押さえた。

「……完治させる事は出来なかったかもしれませんが、少しは楽になれたと思います。
 ……病は苦しく、心を酷く蝕むものだけれど。
 どうか願わくば、俺達を襲おうとしなかったその優しさを、この先も喪わないで下さい」

『アムリタ』や癒しの効果を持つ力の多くは、どうやら直接相手に触れて発動させると元々の効果に近いものを発揮出来るらしい。他の力も、直接相手に触れた方がより強い効果を顕す事が多い事も、何度かの実戦を経て掴めてきた。
 単純な外傷や血鬼術の様な特殊な「病」の様なものでは無い結核に対し、『アムリタ』の癒しの力がどの程度効くのかは未知数であったが。少なくともその呼吸を一時的であるにせよ楽にしてやる事は出来た様だ。

「……ありがとう。何と、お礼を言えば良いのか……」

 また静かに涙を零した青年に、気にするなと首を横に振る。自分に出来る事をしただけであるし、炭治郎が自分と同じ力を持っていれば必ずそうしただろうと思ったからだ。それに、炭治郎に繋がれて何かをさせられていたこの青年が、どんな経緯があったにせよ炭治郎を傷付けなかった事だけで十分だった。

「今から激しい戦いになるかもしれません。何処が安全とは言えませんが、どうか気を付けて。
 乗客の皆さんは、俺達が出来得る限り守りますから」

 頷いた彼にそれ以上の言葉は掛けず、空いていた席に眠り込んでいる女性たちを運び座らせる。
 襲ってきた相手ではあるが、彼女等も『鬼殺隊』が守るべき人達だ。

 眠りに落ちていた煉獄さん達は、『アムリタ』によって無事に目覚めた。……善逸だけはまだ眠っている様な感じだが、少なくとも血鬼術の影響からは抜け出せている様なので大丈夫だろう。

「血鬼術によって転寝していたとは、よもやよもやだ。柱として不甲斐無し! 穴があったら入りたい!! 
 ところで、血鬼術を解除してくれたのは鳴上少年か?」

 目覚めて早速元気な声を上げたのは煉獄さんだ。
 まあ、余りにも巧妙な血鬼術だったので、気付け無いのも正直無理は無い話だったと思うのだが、柱と言う立場としてはそれではいけないのかもしれない。厳しい世界だ。

「はい、そうです。
 他に禰豆子ちゃんの血鬼術によって、妖しい血鬼術の掛かっていた縄を焼き切ったりしました。
 どうやらこの列車の何処かに潜む鬼は、人を「幸せな夢」を見せると言う甘言で釣って操っている様です。
 先程、煉獄さん達に何かをしようとしていた人達は無力化させましたが、もしかしたらまだ鬼に与する一般人が何処かの車両に潜んでいる可能性はあると思います」

「成る程、胡蝶から聞いてはいたが、鳴上少年には血鬼術を解除し人を癒す力がある様だな。頼もしい限りだ。
 それに、竈門少年。君の妹もよくやってくれた。礼を言おう。
 さて、問題は鬼が何処に潜んでいるか、だな」

 搦め手を得手とする様な血鬼術を持つ鬼相手に無策で突撃するのは無謀の極みである。
 状況的にあまり猶予は無いかもしれないが、一先ず必要なのは作戦を決める事だ。
 現状分かっているのは、相手の鬼はこの列車の何処かに潜んでいると言う事、眠りに関する血鬼術を持つ事、そしてその総数は不明だがこの列車の何処かには鬼に与する一般人が居るだろう、と言う事だ。
 夢と眠りに関する血鬼術に関しては、切符を切らせて発動させるものだけではないだろう。
 嗅覚・聴覚・視覚・触覚などの感覚を媒体に相手を強制的に眠らせて来る事も考えられるし、或いは一定範囲内に入った場合や、何かしら仕掛けていた罠に掛かった場合に強制的に眠らせてくる事も考えられる。
 シャドウとの戦いではありとあらゆる手段で攻撃される事が常だったので、そう言った想定は必要だろう。
 シャドウとの戦いでは基本的に何でもありだったし、血鬼術も割と何でもありだ。想定外の事態は当たり前に起きる事ではあるが、想定しておく事は重要である。まあ少なくとも、鬼はシャドウとは違って物理無効だったり反射・吸収したりする事は無いので、日輪刀で頸を取れば勝てる、と言う攻略法が存在するのはとても有難い事ではあるが。
 相手の鬼の厄介な所は、「理性」がある為「人間を使う」と言う発想が普通にあるし、利用する人間をその場で食い散らかす事を我慢出来る、と言う事だろう。『鬼殺隊』はあくまでも鬼を狩る組織であって、一般人は全て守るべき対象だ。その守るべき一般人の中に便衣兵の如き存在が混じっている可能性があるのは、かなりの問題だ。
 もし鬼を狩るその瞬間に突然横入されたりすれば、それに気を取られ命を落とす事にもなりかねない。
 普通の人なら躊躇して出来ない様な内容でも「幸せな夢」と言う蜜で理性を麻痺させて操ってしまえるのも厄介だ。いっそ、乗客全員を自分の力で確実に眠らせて無力化させた方が安全なのでは無いだろうか。
 眠らせるだけなら、後遺症の類は一切発生しないのだし。
 とは言え、流石に敵意を向けられている訳でも無いのに、一般人に対して力を使う様な事は出来ない。
 やって良い事と駄目な事は当然存在するのだから。

 鬼の位置の索敵に関しては、感覚の鋭い伊之助と炭治郎が担う事になった。
 炭治郎が言うには、風で臭いが流れてしまっていて確かな事は言えないが、前方車両の方から鬼の臭いを感じるらしい。伊之助も、前方からビリビリ感じると言っているので、鬼が前方の方に居るのは間違い無いのだろう。
 ただ……どうやら前方だけでなく、後方の方も嫌な感じはするらしい。いや、ハッキリ言うと、この列車全体が嫌な感じを放っているそうだ。
 一体どう言う事なのかは分からないが、このまま前方に戦力を集中させて後方の隙を突かれるのは危険だろう。
 それに、他の車両の乗客の状態も気になる所だ。眠っているのか、それとも起きているのか。
 眠っていて無防備なのも良くは無いが、目覚めている場合、鬼との戦闘が始まった際に乗客がパニックになる可能性もある。パニックになった群衆程、恐ろしい上に制御出来ないものはない。
 その為、前方に向かう者と後方に向かう者、この車両に残って警戒する者の三手に別れる事とする。
 炭治郎と伊之助は屋根の上を伝って前方へ、自分は車両を通って乗客の状態や鬼に操られている人が居ないかを確認しつつ前方へ、善逸と禰豆子ちゃんはこの車両を中心に眠っている乗客たちの安全の確保、そして煉獄さんは後方五両の状態を確認し次第前方へと向かうとの事だった。
 室内戦……と言うか、この狭い車両内でしかも眠る乗客が半ば人質となった状態で戦わねばならない。中々に厳しい戦いになるだろう。周囲を巻き込んでしまいやすい自分にとっては特に厄介だ。

 血鬼術による眠りから自力で覚醒する方法は「夢の中で自殺する事」であると炭治郎は言った。
 炭治郎は、自ら頸を斬る事で覚醒したらしい。それで、起きた直後に首元を押さえて絶叫していたのか……。
 夢を夢であると瞬時に把握する事は決して簡単な事では無いが、炭治郎も伊之助も煉獄さんも、相手がそう言う血鬼術を使うと分かっているのであれば夢と現実を識別して覚醒する事は可能だ、と言った。
 ……それにしても、勝手に「幸せな夢」とやらを見せておいて、その覚醒手段が自殺とは、全く以て不愉快極まりない手段を使う鬼だ。悪質にも程がある。
 例えそこが夢だと理解していたとしても、自殺するのは勇気がいる事だ。しかも、そこはその夢を見ている者にとっては「幸せな夢」で。その夢を終わらせる為に態々自殺を選べる人がどれ程居るのだろう。
 炭治郎は夢の中で現実の禰豆子ちゃんが血を流している事に気付いたから、自殺してでも目覚める事を選べたと言う。
 ……本当に、炭治郎は強い人だ。そして、その強さを支えているのは禰豆子ちゃんと、……そして喪ってしまった大切な家族たちなのだろう。

 そして、鬼との戦いに関して懸念すべき事はまだある。鬼が夢の内容を操作出来るなら、「幸せな夢」ではなく、「最悪の夢」や「現実と殆ど変わらない夢」を見せて来る事も有り得るだろう。悪夢なら悪夢と切り捨てる余地はあるが、最も厄介な事になる可能性があるのは「現実と殆ど変わらない夢」である。単純に気付くのが遅れるだろうし、何度もその様な夢を見せられ続ければ、夢と現実の境が分からなくなってしまう可能性もあるだろう。
 何をしてくるかに関しては予想が付いても、その発動条件は未だ不明であり油断は出来ない。
 だが、戦う他に無いのだ。
 走行中の列車と言う檻の中に大量の人間を囲い込んだ鬼が何を仕出かすか知れたものでは無い。
 戦わなくては、人々を守る事は出来ないのだから。

 炭治郎と伊之助は窓から身軽に車体の上に飛び乗って前方へと駆け出す。
 自分も、注意しつつ前方の客車へと向かった。
 どの車両の乗客も、皆眠りに就いている。鬼の気配は感じるが、何処にも鬼の姿は無い。警戒しつつも車両の状態を確認していると。先頭車両の床で、自分達の切符を切った車掌さんが涙を零しながら眠っている所を発見する。
 ……恐らくは、この人も鬼に唆されて協力した人なのだろう。……今は、その報酬の「幸せな夢」を見ているのだろうか。……それは分からないが、こんな場所で眠っていては危ないだろう。眠っている為に無抵抗な彼も、空いていた席に座らせる。
 自分に炭治郎たち程の類稀なる知覚は無いが、確かに車両の前方に近付く程に嫌な感じは強くなっていく。
 しかし、その嫌な感じは前方から感じるもの程で無くとも床からも天井からも……車両全体から感じる。
 まるで、この列車の全てが既に鬼の掌の上にあるかの様であった。
 座席に座ったまま眠り続ける人々は誰も、自分が化け物の口の中に半ば咥えられている事など知らず、眠りこけている。このまま、恐ろしい事が自分の直ぐ傍で起きていた事など知らせる事無く鬼を討てればそれが最善だが……。

 客車の端まで来たので、この先に在るのは炭水車と運転室だ。こうして列車が動き続けていると言う事は、運転士の人は目覚めて仕事をしている状態なのだろうか。
 鬼は血鬼術で人々を眠らせているだけなので、騒ぎらしい騒ぎは起きておらず、客車から離れている運転室では車内カメラなど存在しないこの時代では背後で何が起きているのかを把握する事は難しく、淡々と仕事に励んでいる可能性はある。或いは、運転士も鬼に唆されてその協力をしている可能性も考えるべきであろう。
 それとも、そこに運転士は居らず、鬼が何らかの方法で動かし続けているのだろうか。
 何にせよ、状況を把握する必要があった。

 客車から炭水車に飛び移ろうとしたその時だった。


《b》「言う筈が無いだろう、そんな事を、俺の家族が!! 《/b》
《b》 俺の家族を侮辱するなアァァアァァッ!!!」《/b》


 嚇怒とでも表現するべき程の、その声と共にその怒りが直接心に響いてくる様な、そんな怒りに満ちた炭治郎の咆哮がやや後方の客車の上から響いてきた。
 鬼と遭遇し、戦っているらしい。
 咄嗟に車体の上に飛び乗った瞬間。
 炭治郎の刀が、まるで空を縦横無尽に駆ける竜がそれを食い千切ったかの様に鬼の首を落とす。
 鬼の首は客車の屋根を転がり、その身体は力無く倒れ。
 だが、鬼の気配は全く消えない。それどころか、より一層強く、列車全体を覆い尽くしていく。
 何かを感じたのか炭治郎は怪訝そうな顔になり、伊之助は四方八方から感じる嫌な感覚に気が立っている様に周囲を警戒している。
 そして、落とした筈の鬼の首が動いた。

「《《あの方が》》「柱」に加えて「耳飾りの君」を殺せって言った気持ち、凄くよく分かったよ」

 気持ちの悪い音を立てながら、首が列車の車体と融合していく。いや、最初から「同じ」だったのか? 
 余りの気持ち悪さに、自分よりも更にその近くに居る伊之助は「気持ち悪い!!」と叫んでいる。気持ちは分かる。鬼に美的センスがどうこうと言う概念は無いのかもしれないけれど、それにしても限度はあると思う。
 とにかく気持ちの悪い肉の柱の様な姿になりながら、鬼は炭治郎を煽る様に語り続ける。
 自分達が眠っている間に、鬼は既にこの列車自体と融合していた。つまり、列車内で眠っている乗客たちは皆、既に鬼の腹の中に居るに等しい状態だ。安全な場所など何処にも無い。
 今自分達が立っているこの屋根だって、鬼の肉体の一部でしか無いのだ。何時でも襲い掛かって来れる。
 そして鬼の肉体を削ろうとして車体を損ない過ぎてしまうと、今度は乗客たちが走行する列車の車外に放り出されてしまいかねない。こんなスピードで走っている列車から放り出されたらどうなるのかなど、子供にだって想像が付く。とにかく不味い状況であった。数百人の人質を抱え、鬼が何時でもそれを喰い荒らせると言う状況だ。
 朝日に当てれば鬼を倒せるだろうが、夜明けはまだ遠い。最悪の事態に備えて、せめて列車を止める様にするべきか? いや、鬼が融合してしまったこの列車が、蒸気機関を止めた所で止まるのだろうか。
 メギドラオンなどで列車自体を消し飛ばせば鬼を倒す事は出来るだろうが、自分には鬼だけをピンポイントに狙う事は出来ない。乗客も、そして炭治郎たちも、皆を攻撃に巻き込んでしまう。だから出来ない。

 足元の客車では既に、鬼が乗客たちを喰おうと「つまみ食い」を始めつつある様だった。
 気持ちの悪い肉塊が壁から床から天井から座席から、と。車体のありとあらゆる場所から生え出して、そしてこの様な状況でも目覚める事無く眠ったままの人々を拘束し喰い荒らそうとしている様だった。
 炭治郎も伊之助も、一旦客車内に降りて、人々を襲う肉塊を斬り捨てて乗客たちを守ろうとしている様だが、如何せん鬼は無尽と言っても良い程に肉塊を幾らでも増やす。キリが無い。
 そして、自分も客室に入って肉塊を斬り捨てていくが、とにかくやり辛い。
 自分は十握剣を使ってはいるが剣術に特化している訳でも無いので、薙ぎ払ったり断ち切ったりは得意だが、ここまで肉塊と乗客たちとが入り混じった状況で、炭治郎や伊之助の様に精密なコントロールで肉塊だけを狙うと言うのはかなり難しい。どうやら、こういった乱戦にはとことん向いていない様だ。
 とは言え、得意では無いからと言ってやらない訳にはいかない。自分が一瞬でも躊躇えばこの車両の人達は殺されてしまう。他の車両は、炭治郎たちや煉獄さんが守ってくれていると信じる事しか出来ない。
 今全体の状況がどうなっているのかと言う事すらろくに把握出来ない。心から、りせの情報支援が欲しかった。
 だがそれが無い物強請りなのも分かっている。
 天井から無数に伸びて来る肉塊が鬱陶しくて、車体の屋根ごと斬り飛ばしたくなるがそんな事をすれば乗客が危険だ。それも出来ない。
 自分が使える力の中でこの状況でも使えそうなものを探すが、乗客たちを守りつつ、列車全体に広がった鬼に対して適切に効果を発揮出来そうなものは中々思い付かない。

 どうする、どうすれば良い? どうすれば、誰も死なせずに鬼を倒す事が出来る? 

 考えて、考えて。考え抜こうとしていたその時。
 列車全体が激しく振動したかと思うと、何時の間にか目の前に煉獄さんの姿があった。






◆◆◆◆◆






 最後尾の車両から先頭車両まで、一気に駆け抜けながら鬼の身体となった車体を崩壊させない程度に斬り刻んでやって来たと言う煉獄さんの指示は、大変明快なものであった。
 全八両の内、後方の五両は煉獄さんが、前方の三両は禰豆子ちゃんと善逸が、そして炭治郎と伊之助が鬼の急所を探りそこを攻撃する。自分は、怪我人が出ない様に気を付けつつ、炭治郎たちの援護をする様に、と。
 そう言うなり、煉獄さんは再び後方の車両へと戻っていく。床板を踏み出すその強さの余り、客車はまるで地震に遭ったかの様に派手に揺れた。そんな中でも、熟睡している乗客たちが目覚める気配は無い。

 急所……頸がこの列車の何処かにあるとするならば、それは前方の機関部だろう。
 機能的にも、蒸気機関の心臓部とも言える場所は其処だ。
 改めて運転室に向かって移動すると、後方から炭治郎と伊之助も運転室へと向かって駆け寄って来る所だった。
 伊之助が探知した所によると、やはり鬼の急所はそこであるらしい。
 伊之助が運転室の屋根を斬り刻み乗り込む。そこは既に鬼の支配下にあり、斬られた端から肉が盛り上がって再生していくので完全に塞がる前に炭治郎と共に乗り込む。
 そこには運転士が一人残っていて、突然乱入して来た伊之助に困惑している様だった。
 だが、伊之助に対して困惑はしていても、それ以外の……気持ちの悪い肉塊には取り乱していない。恐らく、この運転士も鬼に「幸せな夢」を餌に操られている者なのだろう。
 自分の急所に近付かれた事を察したのか、運転室の一体の床などが変形し、不気味な肉で出来た無数の手になって襲い掛かって来る。鬼の急所を狙って果敢に切り込んだ伊之助は大波の如く押し寄せてきた手を捌き切れず掴まり首を押し潰されそうになるが、そこは炭治郎の流れる様な一撃で救出する。

「炭治郎! 急所は分かるか!?」

 とにかく鬼の急所を探さねばならないが、この辺りの何処かにありそうなのは気配で分かるのに自分ではそれ以上の事は分からなかった。
 炭治郎は頷いて、この真下……運転室の床だと答えた。炭治郎は伊之助にも伝わる様に言ったのだが、伊之助は「親分に命令するな!」と怒鳴る。しかし炭治郎はそれに反論する様子も無く頷いた。
 この真下であると言う事が分かれば話は早い。
 十握剣では急所を切断したからと言って殺せはしないが、それを覆う鉄板を斬り裂くなど造作も無い。
 加減しつつ叩き付ける様に振り下ろすと鉄板は薄いアルミホイルの様に千切れ飛び、その下の機関部と融合した頸の骨の様な構造を半ば斬り裂く。
 その瞬間、凄まじい速さで四方八方から肉の手が伸びて、骨を守ろうとするかの様にそれを覆う。
 骨を断つ為に振り下ろした炭治郎と伊之助の刀は、固く急所を守ったその肉の塊に阻まれて、頸には届かない。
 そして、更に守りを固めようとしたのか、運転室全体を呑み込む形で肉塊がその形を一気に変える。

 急な変化に巻き込まれない様に、全員でその場を一旦離脱した。運転士も、炭治郎が抱えて無事に退避させている。鬼に協力している人間が何時妨害してくるとも知れないので、少し乱暴ではあるが彼には気を喪って貰う事にし、戦闘に巻き込まない様にと炭水車の陰に隠した。
 鬼は徹底的に急所を防御する事に決めた様で、運転室は最早その面影など微塵も無い、気持ちの悪い肉によって作られた肉の塔の様な有様になっている。
 この肉の塔を削ぎ落して、急所を守る肉を斬り裂いて、その上で頸の骨を断たねばならない。
 だが、問題は無い。肉の塔を削ぎ落す事なら造作も無いし、周囲に乗客などが居ない今は存分に力を揮う事が出来る。炭治郎たちの合図と共に走り出そうとしたその時だった。
 肉の塔から、急に目玉や口の様なものが生えたのだ。
 そして、その目と視線が合った瞬間。炭治郎の身体が脱力した様に揺れ、しかし直後には気を取り戻した様に踏み締めて、そしてまた目と視線が合って脱力する、と言う一連の謎の行動を繰り返す。
 目玉は自分の方もずっと見てきたが、それ以上の事は起こらない。
 だがもしかして、目玉の視線を通じて炭治郎は眠りの血鬼術にかけられているのではないだろうか。
 そして、その度に炭治郎は自害を繰り返して覚醒しようとしている。
 伊之助はと言うと目玉の視線は被り物のお陰か無効化出来ている様だが、異形の口から囁かれる「眠れ」と言う言葉に一瞬意識を喪っている様だ。
 中々意識を保てなくなっている二人を狙って迫って来る大量の肉の手を、それらを全て斬り伏せる事でどうにか切り抜けるが、この眠りの血鬼術をどうにかしない事には二人が危険である。
 その為、炭治郎と伊之助の肩に手を触れて、ペルソナの力……『自浄メメント』を使う。
 そう長く持つ訳では無いが、状態異常の類をこれで予防出来る筈だ。血鬼術による眠りにも有効だろう。

「二人とも、あいつの血鬼術を少しの間だが無力化した。これで強制的に眠らされる事は無い筈だ。
 今の内に、一気に攻めよう!」

「ありがとうございます、鳴上さん!」

「子分として良い働きをするじゃねぇか。褒めてやるぜ、カミナリ!」

 三人で頷き合って、一気に駆け出す。
 自分の血鬼術が炭治郎たちに一切効かなくなった事を悟った鬼は、列車中から一気に肉を搔き集め、運転室ごと肉の海の中に取り込もうとする。だが、周囲を分厚い肉の壁に囲まれた所で問題は無い。
 軽く飛び上がる様にして、視界に全ての目標を収めた。

「──空間殺法!」

 ペルソナの力を借りた一撃が、視界全てを縦横無尽に斬り裂く様に走る。
 分厚い肉の壁も、見苦しかった肉の塔も、その全てが鬼の絶叫と共にバラバラに引き裂かれ消えた。

「伊之助! 炭治郎! 今だ、決めろ!」

 少し強力な力を使った反動で意識していないと身体がふらつき始めそうだ。
 だが、直ぐに気を喪ったりする程では無い。まだ戦える。

──獣の呼吸 肆ノ牙 切細裂き!! 

 硬い肉に覆われたそれを、伊之助の獣の咢で咬み裂く様な斬撃が斬り刻み、その下にある頸の骨を露出させる。
 そして露出した骨に向かって、空かさず炭治郎が攻撃を加える。

──ヒノカミ神楽 碧羅の天! 

 炉の中で轟々と燃え盛る炎の様な音と共に、まるで炎で象られた真円を描くかの様な斬撃が、運転室の床ごと頸の骨を完全に断ち切った。
 完全に後方から離断された機関部が衝撃に揺れながら前方へと進もうとしたその時。

 鬼の断末魔と共に、激しい揺れが列車全体を襲った。






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