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第五章 【禍津神の如し】

◆◆◆◆◆






 人では決して出せない様な、ビリビリと鼓膜を不愉快に震わせる高音が森の奥から轟いてくる。
 これは、善逸を追って行ったあの翼の生えた鬼の攻撃なのか? 
 それは分からないが、激しい戦いになっているのは間違いないのだろう。
 濃い硫黄の匂いの所為でどうしても鼻が利き辛い。鬼の匂いはまだ辛うじて分かるのだが、それよりは薄く感じてしまう人間の匂いとなると、普段よりもずっと近くに居ないと分からない。

「善逸! 無事か!?」

 もしまだ『本体』を探し出せていないのなら、俺たちがその鬼を惹き付けておくから、と。
 そう思って声を掛けて森の奥へと突き進むと。

「俺は善逸じゃねぇ! アイツと一緒にすんな! 
 アイツは鬼の『本体』ってヤツを探している!」

 そこで翼の鬼と戦っていたのは善逸ではなくて、その兄弟子にあたる獪岳だった。
 宿にその姿が見えないと思って少し心配していたのだけれど、どうやら彼が善逸を助けてくれた様だ。
 悠さんに紹介されて初めて出逢った時から、二人の間には何か複雑な事情を察してしまう匂いが漂っていたから、少し心配していたのだけれど。
 でも多分、良い方向に変わって来たのだろう。
「アイツ」と、獪岳は少し乱暴に善逸の事をそう言うけれど。でもそこに悪い感情の匂いは殆ど無くなっている。
 二人の間の事情がどうなったのかはともかく、獪岳は此処で善逸の代わりにこの翼の鬼を相手にしてくれている様だった。
 翼の鬼相手に、獪岳は危うげ無くその攻撃を回避してはその身を斬り刻んでいる。
 どうやら、これ以上は強い分裂は出来ないらしく。頸や胴を斬られれば別れようとはせずにそれをくっ付けるし、手足を斬られれば翼の鬼を小さした様な鬼にも満たない何かになるだけの様で、そしてそんな弱い分裂体はそう長くは持たない様であっさりと消えて行く。
 恐らく、斬って分裂するのは四体……「喜怒哀楽」の四つが限界なのだろう。
 きっとこの翼の鬼だけではなく、あの三体の鬼もあれ以上は斬っても分裂しなかったのかもしれない。
 何にせよ、ここは獪岳一人で充分抑えきれている様だ。なら、俺たちは善逸に加勢して一刻も早く『本体』の頸を斬らなくては。

「その鬼は任せた! 俺たちは善逸と一緒に『本体』の頸を斬りに行く!」

 少しでも急がなければならない。
 宿の方で撒いてきた三体の鬼だって恐らくはもう復活して此方を追い掛けているだろうし、あの三体が合流してしまえば今度はそれに掛かり切りになってしまう。
 分裂鬼の方はあくまでも分身だからなのか或いは斬らせる事が目的だからか、上弦の鬼とは思えない程にその身体は柔らかいが。
 しかし、上弦の肆そのものである『本体』の鬼の方はそうはいかないだろう。
『本体』の強さが如何程のものであるのかは分からないが、生半な力では斬れない可能性も高い。
 上弦の陸の妹鬼の頸を斬った時の様に、力を合わせて斬らねばならぬ可能性もある。
 悠さんに力を課して貰えるならそれが一番ではあるのだけれど。悠さんは何処に行ったのか分からないし、俺たちよりも確実に鬼の頸を落とせるだろう時透君も鬼に飛ばされたっきりである。
 なら、俺たちでやるしかない。
 玄弥の弾丸で動きを止めて、そこを善逸と二人がかりで頸を狙うのが多分一番だ。

 三人で善逸の姿を探しながら森の中を走っていると。

《big》「ヒィィィィィィィ!!」《/big》

 物凄い大きさの悲鳴の様な何かが響いた。
 善逸の声では無い。では、一体何が? 

 そしてその直後に轟く雷鳴の様な音。善逸が霹靂一閃を出した時の音だ。
 だが、それでも悲鳴は止まない。
 茂みを掻き分けると、まるで屈んでいる様にその身を低くしている善逸の姿が見えた。
 一瞬怪我をしているのかと焦ったが、血の匂いなどはしていないので恐らくそうでは無い。
 そして、そこには強い鬼の匂い……恐らくは上弦の肆の『本体』のものであろうその匂いが漂っている事にも気付く。

「善逸! 大丈夫か!? 鬼の『本体』は……」

「炭治郎! 足元だ!! 足元に居る!! 
 そいつが『本体』だ!!」

 善逸のその言葉に、咄嗟の反応で地面の方へと目をやる。
 居た。
 余りにも小さく、どうかすれば野鼠か何かかと見過ごしてしまいそうな大きさの鬼が、其処に居た。
 その身は矮躯なんて言葉では到底足りない。
 あの強力な四体の鬼の『本体』が、こんなに小さな鬼だなんて。その身から紛れも無く、人を何百と喰い荒らしてきたのだろう悍ましい臭いが漂っていないと、恐らく信じられなかっただろう。

「ちっさ!!!!!」

 玄弥も驚いた様に目を見開いて鬼を見下ろし、禰豆子はと言うとこの鬼がどれ程の人間を喰ってきたのかを本能的に察したのか、まるで仇を目の前にしているかの様に荒く息をしている。

「物凄く小さいし攻撃してくる力は無いみたいだけど、恐ろしく頸が硬いんだ!! 
 指一つ分の太さしか無いのに、霹靂一閃でも斬れなかった……! 
 そして、物凄くすばしっこい! 
 茂みに紛れやすいから、絶対に見失うな!!」

 善逸がそう警告してくれている端から、小さ過ぎる鬼は脱兎と言う言葉でも足りない素早さでその場から逃げ出す。
 茂みの中に隠れられでもすれば再び見付けだすのは相当に困難だ。

 あの四体の鬼を相手にしながら、こんなにも見付け辛く逃げ足の速い『本体』を探し出してその頸を斬らなければならない……。そしてその頸は尋常では無い程に硬く斬り辛いときた。全く、冗談じゃないと言いたくなる様な鬼だ。
 恐らく、余りにも小さ過ぎて普通では絶対に狙わない様な低い位置を狙わなければならない事も有って、その頸の硬さと相俟って非常に頸を斬る事が難しくなっているのだろう。
 無理な体勢で余りにも硬過ぎる頸を狙ったからなのか、善逸の日輪刀は少しばかり刃が欠けてしまっていた。
 善逸の為だけに打たれた刀では無いと言う事も大きいのかもしれないが、まだ戦える事は戦えはするものの、このままでは不味いだろう。
 俺の鼻や善逸の耳があるから、まだ逃げ隠れする『本体』を追跡出来ているが、もしそうで無ければ柱程に気配を探る事に長けていなければ探す事すらも儘ならないだろうし、それを分裂鬼四体を相手にしながらともなれば柱であったとしても手に余るものだと思う。
 これまで誰もこの鬼を討てなかったカラクリが見えた。余りにも卑怯で小賢しいその戦い方は、卑怯な手など気にせず積極的に使ってくるのが常な鬼としても、中々に異端な様に思える。
 そもそも『本体』自身には戦う力が無いと言うのがかなり奇抜だ。
 しかし、まるで臆病な小動物であるかの如く逃げ出すのなら、そもそももっと離れた安全な場所に居れば良いものなのだ。……それが出来ないと言う事は、分裂鬼と『本体』はある程度は近い距離に居ないとダメなのだろうか。
 まあ本当に距離が無制限なら、この里から遥かに遠く離れた安全な場所から分裂鬼を操っていれば良いだけなので、『本体』がこの里に居る時点で恐らくそう遠くまでは離れられないと言うのは有り得る事ではあるのだろう。
 とは言え森の中と言う状況は、あの鬼にとっては逃げ隠れするには何処までも好都合な環境であるのだが。

「そんなに硬いなら、下手に日輪刀で頸を狙うより、禰豆子に燃やして貰った方が早いかもしれない。
 玄弥、その銃で一回アイツを足止めして……」

 禰豆子の血鬼術だけで、幾ら野鼠程度の大きさだとしても上弦の肆であるあの『本体』を完全に燃やし尽くせるのかは別として。少なくともかなりの深手を負わせられるだろう。
 あの大きさなら掌の中に閉じ込めて燃やしてしまえば良いので、禰豆子としてもそう負担にはならないだろうし。
 そして、逃げ回るその足の速さなら、一瞬でも足止め出来れば良いのだ。
 玄弥のあの弾丸なら、きっとあの分裂鬼を足止めした時の様に……と。
 そう思って二人に指示を出した、丁度その時。

「カカカッ! 鬼事か? 
 楽しそうだのう、儂も仲間に入れとくれ!!!」

 遠くに吹き飛ばしたと言うのに、もう追い付いてきたらしい「可楽」の一撃が、周囲の木々諸共に俺たちを吹き飛ばそうとする。
 咄嗟の判断で何とか折れて吹き飛ばされて行く木々に巻き込まれるのは避ける事が出来たが、しかしそれで周囲の匂いが全て吹き飛ばされてしまった為、あの『本体』の匂いを見失ってしまう。
 善逸の耳はまだ鬼の『本体』を捉える事が出来ている様ではあるけれど、ここに「可楽」が追い付いてきていると言う事は。

「腹立たしい、腹立たしい……! 
 あの様な小細工を弄して儂らを撒こうなどと」

「全く……哀しくなるな」

 強く地面に錫杖を叩き付ける様な音と共に周囲を電撃が蹂躙し、素早い槍の刺突が地面を抉る。
「積怒」と「哀絶」もこの場に追い付いて来てしまった。

 もうこれ以上強い分裂はしないので、その身体を斬ってしまっても問題は無いのだが、しかし倒す方法も無い相手をただ斬るだけでは足止めし続ける事も難しい。
 そして、既に一度その手を使ってしまっただけに、武器を奪ってそれを利用し返すと言う手は警戒されている為使う事は出来ないだろう。現に「可楽」は此方に接近し過ぎない様にしている。
 少しでも時間を稼ぐ為にも、どうにかして回復を遅らせる方法があれば良いのだけれど。
 恐らくこの場で俺たちに出来る事の中で一番有効なのは、禰豆子の血鬼術であるのだろうけれども。
 しかし、鬼三体をその動きを止められる程の火力で一気に燃やす様な事は難しいし、かと言って一体を集中的に燃やしても残り二体に邪魔をされるだけである。
 そして何より厄介なのが、今も何処かに逃げ隠れしている最中の『本体』をどうにかしない事には、幾ら禰豆子が頑張ってくれたとしてもキリが無いのである。
 更に最悪な事に、その『本体』の頸が硬過ぎる為に、どうにかすると言う事も全く以て難しい事であった。
 膂力に速さを乗せる事で恐ろしい程の切れ味を発揮する善逸の霹靂一閃ですら斬れていないものを、俺の力で斬る事は相当難しいと言わざるを得ない。
 ヒノカミ神楽は確かに凄い力が出るけれど、あんなに小さくて低い位置のものを狙う事には本当に向いていないのだ。振り下ろす勢いを乗せたとしても、やはり難しいだろう。
 それこそ、あの『本体』の頸を斬るには、悠さんの様な膂力が無いと難しいのかもしれない。
 なら禰豆子の血鬼術で、とそうは思うが。そうなると今度はこの三体の鬼に邪魔をされて儘ならない。
 三体の鬼たちを十分に足止めするには、最低でも三人は必要になる。
 鬼として感覚が鋭くはなっていても、禰豆子ではあの『本体』を探し出す事は困難を極めるだろう。
 あの鬼を探し当てられるのは、この場では俺と善逸……いや、善逸だけだ。
 しかし善逸だけではあの鬼の頸を斬れない。

 まるで堂々巡りの様であった。
 三体の襲撃をどうにか回避して凌ぎつつ、この鬼たちをどうにかして倒す方法は無いのかと考えているのに。
 何度考えても、どうしても手が足りないし力が足りない。
『本体』の頸を落とさない限りは終わりが無いのに、その『本体』の頸を斬れる者がこの場には居ないのだ。
 あの小ささを考えると、陽光で一瞬で燃え尽きそうな気はするが、夜明けはまだ遠い。そしてそこまでは俺たちの体力が持たないだろう。
 実際、まだ大きな負傷は避けられてはいるものの、細かい傷は大分増えてきてしまったし、避け続けると言うのも体力を削っていく。玄弥の方は、俺以上に怪我が多い。上弦の肆を相手にして、まだ問題無く動けているだけ十分以上と言えるのかもしれないけれど、しかし……。

 その時、僅かに考え事に気を取られていたからなのか。「哀絶」と「積怒」の連携攻撃を避けたその先で、そこを狙っていた「可楽」の疾風の一撃をまともに喰らってしまう。
 凄まじい風圧に、肺の中の空気が強制的に押し出され、まるで窒息したかの様に苦しくなる。
 巨木に身体が叩き付けられ、そしてその巨木が風圧に耐え兼ねた様にミシミシと軋んだかと思うとへし折れて俺の身体諸共に後方へと吹き飛ばされる。
 付近の木々を巻き込む様にして折られたそれらに押し潰されかけた所を、俺の危機を察知してか凄まじい反応速度で風に吹き飛ばされた俺をどうにか追って来ていた禰豆子に庇われる。
 禰豆子に突き飛ばされる様にして、どうにか辛くも木々に押し潰され串刺しにされる事は回避出来たものの。
 しかし、その代償の様に禰豆子の身体は、風に吹き上げられて積み重なる様に落ちて来た木々にその下半身を押し潰された様に下敷きになってしまった。

「禰豆子!」「禰豆子ちゃん!!」

 その場に居た俺と、そして禰豆子の悲惨な状態に真っ先に気付き悲鳴の様に焦った声を上げて瞬時に駆け寄って来た善逸とで、禰豆子をその場から救出しようとするけれど。
 しかし、中で複雑に絡み合っているのか、それとも足か何処かを枝か何かで貫かれてしまったのか、単純に引っ張るだけでは禰豆子を助け出す事が出来ない。
 そしてその背後からは、追撃しようと鬼が迫って来ている。
 身動きの出来ない禰豆子を守る為にも、禰豆子の事だけに集中し続ける訳にはいかない。
 だから、せめて積み重なった木々を斬って、禰豆子が自力でその場から脱出する為の力になろうとしたのに。

「駄目だ、禰豆子! そんな事をしたら指が斬れる!」

「禰豆子ちゃん!? どうしたの!?」

 その上に積み重なった木々を斬ろうとした俺の日輪刀を、どうしてか禰豆子は必死に掴んだ。
 余りにも強く掴んでいる為、その刃に斬り裂かれた手の平や指からはボタボタとその血が滴っている。
 鬼だから、その傷は直ぐに治るのだろう。でも、大事な妹がそうやって傷付く姿を見るのは耐え難い。
 どうしてそんな事をしているのか、意味のある言葉を発する事は出来なくなっている禰豆子のその意図を完全に察する事は難しい。
 だが、そこに感じる匂いは、見捨てられる事への不安とかそんなモノじゃ無い事は分かる。
 やらなきゃいけない、とか、助けなきゃ、とか。それはそんな感情の匂いだ。
 どうして、と。そう困惑していたその時だった。
 刀身全体に広がった禰豆子の血が、その血鬼術によって一気に燃え上がった。
 鬼やその血鬼術だけを燃やす血鬼術の炎を纏った日輪刀は、その熱に炙られたかの様に、漆黒から赤く色が変わっていく。その変化は。

「『赫刀』!? どうして……」

 悠さんの力を借りて、握力が上がっている訳では無いのに。何故、と。そう驚きを隠せない。
 しかし、その変化は間違いなく『赫刀』のそれであった。
 しかも、悠さんの力を借りて変化させたその時よりも、ずっと濃い赤に染まっている。
『赫刀』に至る為の条件は一つだけでは無いのか? 
 でも、どうして禰豆子がそれを知っていたのだろう。ある種の直感なのか? それは、分からない、けれども。
 あの鬼たちを倒す為の力を禰豆子が貸してくれようとしている事は、分かる。
 だから、俺はその想いに応えなくてはならない。

 追撃の為に背後に迫って来ていた三体の鬼たちを迎え撃つ様に、燃え上がる赫き刃を構えた。

 ── ヒノカミ神楽 日暈の龍 頭舞い

 限界まで集中して放たれたその技は、ほぼ同時に三体の鬼の頸や身体を斬り裂く。
 それは宛ら、炎の龍が舞い踊る様に、駆け抜けてその牙を以て斬り裂いていくかの様な動きであった。
 手足を落とし、頸を落とし。
 それでも、『本体』では無いが故に三体の鬼が倒れる事は無いが。

「何だこの斬撃は!!
 灼ける様に痛い!! 再生出来ぬ!!」

「落ち着け見苦しい。遅いが再生自体は出来ている!」

 鬼たちは喚く様に痛みに叫んでいる。
 どうやら、『赫刀』の状態で斬られると再生能力が上手く働かずそれを無効化までは出来なくても妨害する事は出来る様だ。
 悠さんが上弦の壱と戦った時も、『赫刀』で傷付けた部分は全然治らなかったと言っていたので、『赫刀』にはその様な効果もあるのだろう。
 これなら、時間を稼ぐ事が出来る筈だ。
 禰豆子の血鬼術の炎で『赫刀』になった以上、その力の基となっている日輪刀に塗られた禰豆子の血が完全に燃え尽きてしまえばその効力も切れてしまうだろうが。
 それでも、今この場に俺一人でもこの三体を留める事が出来るなら、充分だ。

「禰豆子ちゃん……」

 善逸の日輪刀も、燃え上がる様にしてその色が赫く変わっている。
 そして、どうにかして禰豆子を助け出そうとしていた善逸のその手を、禰豆子は押し返す様にそっと押し出す。
 そこにある感情の音を、きっと善逸は聞き取っているのだろう。
 それでも、善逸は心配そうに泣きそうな顔をしていた。……だから。

「善逸、禰豆子の気持ちを汲んでやってくれ。
 あの鬼の『本体』を……頼む。
 あの鬼たちは俺が此処で何としても抑える、禰豆子も俺が助けるから。
 だから、行ってくれ」

 そう背を押すと、善逸は泣きそうな顔をしながら一直線に駆け出す。
 そしてそれと入れ替わりの様に、玄弥がその場に駆け付けてくれた。
 かなりの距離を吹っ飛ばされてしまったので、鬼として尋常ならざる身体能力を持つ禰豆子や、霹靂一閃に特化する程に足が滅茶苦茶速い善逸とは違い、どうしても追い付くまでに時間が掛かってしまった様だ。
 頸や手足を斬られた鬼たちが中々再生出来なくなっているその状態を見て、玄弥は驚いた様に目を丸くしているが。禰豆子の状態を一目見るや否や、それを助け出そうと力を貸してくれる。
 しかし、やはり中々人の力では難しい様だ。
『赫刀』で斬られ中々再生出来ないでいる三体の鬼たちも、ゆっくりとではあるが確実に再生している為あまり時間の猶予は無い。
 念の為もう一度細かく刻んでおくかと、そうまだ燃え盛る日輪刀を構えようとしたその時だった。

「悪い禰豆子。ちょっとその力を借りるぞ」

 一言そう断った玄弥は禰豆子の手を取って、善逸の刀を燃やした際のまだ塞がり切っていない傷口から滴っていた禰豆子のその血を、口にした。

「えっ……ええぇっ!?」

 今が戦いの真っただ中であると言う事も忘れて、驚愕から思わず大きな叫び声を上げてしまった。
 何してる、正気か!? とか。玄弥は良い奴だけど禰豆子との仲を認めて欲しいなら先ずは俺を通してからにして欲しいとか。嫁入り前の女の子にそんな事をしてはいけない! だとか。
 まあ本当に色んな感情が一瞬で駆け抜けていって、大混乱に陥った。

 しかし。その驚愕は更に別の驚愕にとって代わる。
 確かに人間の匂いしかしていなかった筈の玄弥のその匂いに、僅かだが鬼の匂いが混じったのだ。
 鬼と言うか、正確には禰豆子の様なちょっと変わった鬼の匂いだけれども。
 そして、牙が伸びて、その眼も鬼の様なものになっている。
 これは一体どういう事なのだ? とそう困惑していると。
 玄弥は凄まじい膂力で、禰豆子の上に積み重なった木々をポイポイ投げるかの様に退け始める。
 日輪刀ではどうやっても助け出せそうになかったのに、あっと言う間に禰豆子の下半身を押し潰していた木々は全部退かされて。潰されていた足を再生させて立ち上がった禰豆子は、不思議そうにその玄弥を見上げた。
 一体何をしたのかと、そう玄弥に訊ねようとしたその時だった。


《xbig》《b》「ギャアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!」《/xbig》《/b》


 夜の闇の中を劈く様な、とんでもない声量の絶叫が、森中に響き渡る。
 その声は、間違いなく『本体』のものであった。
 善逸がやったのか、と。そう思ったその時だった。

 目の前で斬れた頸をくっ付けようとしていた鬼たちの姿が、「積怒」に混ざり合う様にして消え、一瞬の内に新たな鬼が現れていた。
 それはまるで子供の様な姿をした鬼で。その背にはまるで絵に描かれる雷神様の様な、五つの太鼓が繋がったそれを背負っていて、両手にはまるで角を繋ぎ合わせて作ったかの様な捩れた異質な撥の様なものを持っている。
 新たに分裂した訳では無い。寧ろ、分裂していたそれらが再び一つに戻ったとも言えるものだと思うのに。
 しかし、それは一番最初に遭遇したあの老人の様な鬼のそれとは全く異なっていた。
 接近に気付け無い程にその気配の誤魔化し方が上手かったあの老人の姿のそれとは違い。
 目の前の鬼からは、息をする事すら、その場に立ち続ける事すら難しい程の、心臓が痛くなる様な威圧感を感じるのだ。
 一体これは何なのか、と。何時でも咄嗟に動けるように警戒しつつもそんな風に戸惑っていた一瞬の内に、新たに現れた鬼の姿は掻き消える様な勢いで俺たちに踵を返して一直線に何処かへ向かう。
 それは、その方向は……! 

「不味い! あの鬼、善逸を狙っている!!」

 善逸は『本体』の頸を斬れなかったのか、それともまた別の不測の事態が起こったのかは分からないけれど。
 しかし、このままでは善逸が危ない。
 新たに現れた鬼は、四体の鬼のどれよりも確実に強い匂いだったのだ。
 善逸一人では、無茶な相手である。
 俺たち全員で力を合わせても、対峙出来るのかどうかも怪しい程だ。
 俺たち三人は、鬼の後を追う様にして、善逸の下へと急いだ。






◆◆◆◆◆






 上弦の肆の本体は余りにも小さかった。小さ過ぎた。
 その頸は、俺の人差し指一本程度の太さもあるかどうかと言った所でしかない。
 そして、野鼠程度の大きさしかない為、地面スレスレの高さを狙わないとその頸に刃を届ける事も出来ない。
 普段なら絶対に狙う事の無い高さだ。
 この様な大きさの鬼の頸を狙う為の型など、どんな呼吸にも存在していないと断言して良い程に、余りにも小さい鬼であった。
 しかし、この鬼が紛れも無く上弦の肆の本体である事は、その身から響く悍ましい程の「鬼」の歪んだ音が教えてくれる。一体どれ程の人の命を喰い荒らせばこの様な音になるのだろう。
 ほんの僅かな合間対峙した上弦の壱の方が遥かに恐ろしい音ではあったけれど。
 この鬼の音は、それとはまた別に、どうしようも無く気持ち悪くて仕方が無い音も立てていた。
 それは、鬼として重ねて来た罪業による音では無く、この鬼の歪みに歪んだその性根が立てている音なのだろうか……。
 何はともあれ、見付けた以上はこの鬼の頸を斬らなければならない。

 だが、振り下ろす様にして振るった己の刃は、その小さな頸の薄皮一枚傷付ける事すら出来なかった。
 尋常では無い程に硬いのだ。こんな小ささであるのに。
 必死に振り抜こうとしても、まるで歯が立たない。
 だが、反撃の絶好の機会であると言うのに、鬼は全く此方に攻撃してくる事は無かった。
 ただただ怯えた様に喚き散らしながらその身を縮こまらせて逃げ惑うばかりで。
 もしかしなくても、己の分身の方に戦う力を傾け過ぎたのか何なのかは知らないが、この鬼の『本体』自体には攻撃する手段が全くと言って良い程に無いのかもしれない。
「儂は悪くない」と、そう譫言の様に呟き続け、そしてその身から聞こえる音は、まるで己を悪漢に襲われている無辜の人であるかの様に思っている……「思い込んでいる」事を伝えて来る。
 その音の意味を理解した瞬間、この胸に湧き起こったのは猛烈な怒りだった。

 この鬼は、自分は悪くないだのと思い続けて、そしてあの分身たちに全てを任せて無数の人々を襲って殺してきたのだ。卑怯なんてものでは無い。
 俺だって自分は臆病だとは思うけれど、こんな卑怯者には何があったって成り下がる事は無いと自信を持って言える程に。余りにもこの鬼は酷い音を立てている。
 鬼と言う存在の殆どはその性根が捻じ曲がった様な音を立てているのが常であるけれど、それでもそんな鬼たちの中でもこの鬼のそれは一等悍ましい音である様に俺はそう感じる。
 あの上弦の壱の方が、音としては圧倒的に恐ろしかったが、この鬼のそれの様な気色悪いそれとは全く違うものであった。
 自己中心を極めきったらこんな音になるのだろうか? 
 何れにせよ、この鬼は此処で倒さねばならない相手である事は間違いが無い。

 茂みの中に隠れる様にして逃げ惑うその姿を見失わない様に追い掛けて、今度は霹靂一閃でその頸を狙う。
 だが、全力で放った筈のそれも。ほんの僅かに刃先がその頸に喰い込んだだけで止まってしまう。
 振り抜く為の力が足りないのか、どんなに力を加えても其処から先には進まない。
 寧ろ、ほんの僅かではあるが刃先が欠けてしまった程である。

「善逸! 大丈夫か!? 鬼の『本体』は……」

 その時、あの分身の鬼たちをどうにかして撒いてきたのか、炭治郎たちが駆け付けて来た。
 だが、そこに霞柱の時透君の姿は無い。彼が足止めを買って出てくれたのだろうか? 
 それは分からないけれど、とにかく今はあの『本体』の頸を斬る事が重要だった。
 その為、手短に『本体』の特徴やその頸の硬さについて伝える。
 想定外な程に矮小な『本体』の姿に炭治郎も玄弥も驚きを隠せなかった様だが、何とかしてその頸を斬ろうとしていたその時だった。

 背後から分身の鬼たちが襲い掛かって来たのだ。
 激しい戦いの中で、どうにか『本体』の音を聞き逃さない様に捉え続けてはいたけれど。
 しかしあの小さな『本体』をこの乱戦の中を掻い潜る様にして探し出す事は難しい。
『本体』がこの場から逃げ出した事も把握しているのだが、それを追い掛けようとしても三体の鬼がそれを妨害する。
 そんな中で、一瞬の隙を突かれて炭治郎が風の攻撃を喰らってしまう。
 凄まじい勢いで吹き飛ばされて行く炭治郎を、禰豆子ちゃんが追い掛けていくけれど。
 それを慌てて追いかけると、炭治郎を庇ったのか、禰豆子ちゃんは風によってへし折られた木々の下敷きになっていた。
 守ってあげたい女の子が悲惨な状態になっている姿に、思わず悲鳴の様な声が喉から零れ落ちる。
 炭治郎と共に必死にその身体を木々の下から助け出そうとするのだけれど、何かが引っ掛かっているのか引っ張ったりちょっと木々を持ち上げる程度では抜け出せない様であった。
 そしてそんな中、禰豆子ちゃんは炭治郎の日輪刀の刃を握り締め始めたのだ。
 炭治郎はそれを慌てて止めようとするけれど、しかし禰豆子ちゃんがそれに構う事は無い。
 その音は、炭治郎の力になりたいのだと、そう言っているかの様であった。
 零れ落ちるその血が炭治郎の日輪刀を濡らしていくと、それが一気に燃え上がって炭治郎の漆黒の日輪刀を赫く染めていく。それは、悠さんが見せてくれたあの『赫刀』と言う現象と同じものである様に見えた。
 それを見た禰豆子ちゃんから、「良かった」とそう言う様な音が聞こえる。お兄ちゃんの力になれて、よかった、と。
 幾らどんな傷でも癒えてしまう鬼であっても、痛みが全く無い訳じゃない、何も感じていない訳じゃない。だから、そうやって下敷きになっている状態はとても痛い筈なのに。
 何処か安堵した様な音の中に、苦痛に苦しむ音は無い。

 そんな禰豆子ちゃんの覚悟を受け取って、炭治郎はその燃え盛る日輪刀で迫って来ていた鬼たちを全て一刀の下に斬り伏せた。
 まるで舞い踊る炎の龍の様な動きで一太刀で身体を斬り刻まれた鬼たちはその痛みから悲鳴を上げる。
 痛い痛いと、今までそんな痛みを何百と言う人々に平然と与えて来ていたくせに。いざ自分の番になると、ギャアギャアと喚き散らしていた。
 その様は、どうにも醜く感じてしまう。

 そして、禰豆子ちゃんは炭治郎にそうしたのと同様に俺の日輪刀も握り締めて、その刀身を赫く燃え上がらせた。
 守ってあげたいと心から思っている女の子がそうやって傷付いているのを見るのは嫌だった。今この状況で助けてあげられない無力がとても辛い。
 引っ張り出そうと掴んでいたその手はそっと解かれて、「行って」と言わんばかりにそっと押し出される。
 そう、分かっている。今自分が何をしなければならないのか。それは、十分に分かっている。
 どうして俺の日輪刀もこうして赫に染めたのかも、その意図も。耳に届くその音が、禰豆子ちゃんの心を教えてくれる。
 それでも、どうしても振り切れなくて。そんな俺の背を押す様に、炭治郎に諭されて。
 二人に背尾をされて漸く、俺はその場から駆け出す事が出来た。

 ごめん、禰豆子ちゃん。必ずあの『本体』の頸を斬るから。
 皆の為にも斬らなきゃ。少しでも早く、早く──

 そう心の中で謝りながら、俺はその音を頼りに全速力で駆けて、そしてヒィヒィと悲鳴を上げながら逃げ出そうとしていたその小さな身体を見付け出して、一気に霹靂一閃で踏み込んでその小さな頸を飛ばそうとする。
 先程はほんの刃先を喰い込ませる事もやっとだったその一撃は、燃え盛り赫に染まった日輪刀の力のお陰か、更に喰い込んだ。
 そのまま全身全霊の力で振り抜こうとした、その時。


《xbig》《b》「ギャアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!」《/xbig》《/b》


 その小さな体躯の何処から出ているのかと本気で驚く程の、凄まじい絶叫が、俺の耳を破壊する様な勢いで辺りに劈く様に響き渡る。
 長く何時までも続くそれに、ただでさえ集中していたのだから視界がグラグラと揺れる様にすら感じる。
 それでも、この頸を斬らなければと言う一心で強く振り抜こうとしても。
 しかし、その半ばまでも辿り着く前にそれ以上は刃が進まない。
 頸が硬過ぎるのだ。
 この頸は、俺一人ではどうやっても斬れない。

 そして、同時に自分が判断を誤った事も悟る。
 何時の間にか、背後から爆発する様に、恐ろしく悍ましい威圧感の塊の様な音が迫って来ていた。
 だが、刃がその頸に喰い込んだこの状況では、回避行動に移る事も儘ならない。

 更に背後から炭治郎たちの焦った様な音が追って来ているのも感じるが。
 だが、間に合わない。駄目だ。攻撃を避けられない。

 ドンッ! と太鼓を叩く様な音と同時に、周囲一帯に危険な音が満ちて、その直後に地面が消えた。
 まるで宙に投げ上げられるかの様に放り出された俺の身体に向かって、一瞬の内に地面から生えていた樹で出来た竜の首の様なそれらが、引き千切らんとばかりにその大きな咢を開けて迫り来る。
 回避しようにも無防備に宙に投げ出された状態では足場も無い上に、どうしようも出来ない。成す術も無く地面に落ちるだけだ。

 一瞬後に迫り来るのだろう痛みを覚悟して、思わずギュッと強く目を瞑ると。
 樹の龍の咢に向かって落下するだけだった筈の俺の身体は、横から凄い勢いで攫われる。
 柔らかい何かに触れている事に気付いて目を開けると。
 桜色の髪が、その視界一杯に広がっていた。


「大丈夫!? 急いだんだけど遅れちゃってごめんね! 
 これ、間に合ったかな!? もしかしてギリギリ!?」


 俺の身体をその背で抱える様にして危機一髪の所で助け出してくれたのは。
 そして、こんな危機的な状況でも明るく周囲を元気付ける様に響くその声は。


「かっ、甘露寺さん!?」


 今夜この里には居ない筈の。
 恋柱である甘露寺蜜璃であった。






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