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第五章 【禍津神の如し】

◆◆◆◆◆






 時透君が吹き飛ばされてしまった為、俺と玄弥と禰豆子で分裂した鬼三体を相手しなければならない。
 本当は善逸を追って行った翼の生えた鬼も追いたい所ではあるが、ただでさえ連携して襲ってくる鬼三体を相手にしていては善逸を助けに行く余裕は無い。これ以上善逸の方に行かせない様にするので手一杯であった。
 時透君が戻って来るのを待つか、或いは鉄地河原さんの所へ行った悠さんが事態を把握して救援しに来てくれるのを待つか、そうでもしなければどうにも出来そうに無い。
 そもそも、『本体』で無い以上はこの鬼たちを幾ら相手にした所で意味が無いのだ。
 頸は柔らかく容易く斬り落とせても、倒せないどころか益々分裂してしまうだけで。
 そんな事をすれば状況は悪化の一途を辿るだけである。
 完全に離断しなければ一応分裂させずに済む様ではあるが、俺たちが斬るまでも無く鬼たちが勝手に自分たちを攻撃して分裂してしまう。
 どうにか動きを止めたくても刀である以上はどうしても斬ってしまいそうで、刺突だけで対応しようにもやはり限界があるのだ。ならば玄弥と禰豆子が頼みの綱ではあるけれど。
 玄弥の銃の弾丸は無限では無いし、禰豆子だってこうして戦っている間にもゆっくりと限界は近付いている。
 血鬼術を使ってしまえば、その限界は更に近付く事になるだろう。
 そして寝落ちして完全に無防備になってしまった禰豆子をこの鬼たちから庇い切る事はほぼ不可能である。
 更に、『本体』を見付け出さない限り、この鬼たちに限界は無い。
 言うなれば、水面に映った月をひたすらに斬っている様なものと同じだからだ。
 この鬼たちが『本体』の血鬼術の産物である以上は、ひたすら消耗させ続ければ『本体』の方にも何らかの影響は出るかもしれないが、それを狙う前に間違いなく此方が力尽きる。
 上弦の鬼ともなれば、その体力も無尽蔵と言っても良いだろう。
 少なくとも俺たちだけで夜明けまでに削り切れる様なものでは無い。

 常に近くで見守っていて今の状況も把握しているだろう天王寺さんたち鎹鴉が既に救援を呼びに行ってくれているとは思うが、しかしそもそも今の状況を正しく把握し切れていない。
 上弦の鬼がこうして里を襲撃してきたのは里の位置が把握されてしまったからだろうけれど。なら、その目的は俺たちの様な隊士を始末する事では無く、もっと別にあるだろう。
 鬼殺に必要不可欠な日輪刀を生み出す此処は、ある意味で鬼殺隊の中心であるのだから。
 この襲撃は、俺たちでは無く里の刀鍛冶の人たちが目的だと考えるべきである。
 それなのに、一々こんな所で隊士を相手にするだろうか。
 柱である時透君ならまだしも、俺たちはあくまでも一般隊士である。鬼を連れているのは確かに特異的ではあろうけれど。
 なら、最悪の場合、此処だけでは無く里全体が襲撃されているのではないだろうか。
 或いは、既に襲撃が最終段階に入った為、俺たちの様な隊士も含めて皆殺しにしようとしているのか。
 上弦の陸の強さと力を考えると、この里の人々を皆殺しにする事など、上弦の鬼にとっては如何程の事でも無いだろう。
 此処は里の中心からは外れているが故に、里の中心の方で何かが起きていても把握出来ていない可能性がある。
 最悪、自分たち以外の里に居る人々は既に全滅している可能性も……。

 しかしそこまで考えて、それは有り得ないなと否定する。
 何故なら、悠さんが居るからだ。
 それこそ鬼舞辻無惨自身が襲撃しに来ていたとしても悠さんなら倒せるかどうかはともかく死なないと思うし、何よりそんな事態になっていたら悠さんが直ぐに此処に帰って来ていない訳が無い。
 それに、そんな大規模な襲撃が既に起きていたなら、流石に鎹鴉たちが知らせてくれる。
 なら、里が既に全滅していると言う最悪の状況はまだ訪れていないと思っても良いだろう。

 だが、悠さんたちが此方に救援に来れない状況にある可能性は大いにある。
 今夜、この里を襲撃してきた鬼が、俺たちが相手にしている上弦の肆以外にも居る場合。そしてその鬼が里の人たちを襲っている場合。
 悠さんなら、恐らくそちらに対処する方を優先するだろうから。
 しかし、今の詳しい状況を把握出来ていない事には変わらない。
 こうも戦闘が激しいと、鎹鴉たちが見守っていてくれたとしても情報を伝えに来てくれる事も難しいだろう。
 何にせよ、今の俺たちに出来るのは此処でこの鬼たちの足止めをする事である。

 今相手にしている三体の鬼には、その眼に刻まれている『上弦』・『肆』の他に、其々舌に文字が刻まれているのが確認出来た。
 錫杖を持ち電撃を操る鬼が『怒』、団扇を持ち風を操る鬼が『楽』、十文字槍を持って槍術で戦う鬼が『哀』。
 思えば其々の鬼の言動も、その舌に刻まれた文字に準じたものである。
「怒」・「哀」・「楽」とくれば、あの翼を持つ鬼に刻まれていたのは「喜」だったのだろうか? 
 確認は出来なかったが、そうである可能性は高いのだろう。
 喜怒哀楽に準えて分裂しているのであれば、その分裂の限界はこの四体で打ち止めだろうか。
 実際まだ分裂する先があるなら恐らくこの鬼たちは互いを引き千切ってでも分裂するだろうけれど、その気配は無い。
 とは言え、それを確かめる為に試しに胴や頸を斬ってみると言うのもこの状況だと少し憚られる。

 どうにかこの状況を突破出来ないものかと、鬼たちをよく観察する。
 その動きの癖、間合いの取り方、僅かな隙。
 それらを一つ残らず見付けてはつぶさに観察する。
 この三体(正確には四体だが)の最も厄介な所は、連携能力だ。
 元は同じ身体であるからなのか、最も厄介な電撃の攻撃は其々の身体には効かない様で。
「積怒」と呼ばれた鬼が操るそれをものともせずに襲い掛かって来る。
 しかし「可楽」と呼ばれたその鬼は、その風を操る際には他の鬼たちを巻き込まない位置でその団扇で風を起こしてくるので、恐らくあの風は多少なりとも他の鬼たちにも有効であるのだろう。
『哀』の鬼の十文字槍は特殊な効果などは無さそうではあるが純粋に鋭く速いので厄介である。
 鬼たちの電撃や風は、それぞれの道具を介してのみ発生している。
 電撃なら、その錫杖を打ち付ける事で。風なら、その団扇を振る事で。
 少なくとも悠さんの様にその身一つで電撃や風を操っている訳では無いらしい。
 なら、その道具を奪う事が出来れば。それを無力化させる事は出来るのだろうか。
 更に言えば、奪ったそれを此方も使う事が出来るのなら、形勢を逆転させる好機にもなる。
 電撃は他の鬼には効かないので、狙うなら可楽の団扇だ。

「玄弥! 禰豆子!」

 鬼たちの武器をその腕ごと狙おう、と軽く身振りで指示を出す。
 玄弥も同じ事を考えていたのか直ぐ様頷き、そして禰豆子も何と無くは理解したのか頷いてくれる。
 激しく迸る電撃を掻い潜って。鋭い刺突で攻撃して来た『哀』の鬼のその槍を、禰豆子が抑え込む様に握る。
『哀』の鬼の身体を、「積怒」の電撃と「可楽」の風との盾にするかの様な位置で抑え込んだ為に、ほんの僅かではあるが危険な攻撃を避ける事が出来ている。
 とは言え、普通に殴り合うだけでも脅威であるので、その隙は本当に僅かなものであるが。
 しかし、その隙を少しでも維持する為に、玄弥はその銃で圧をかける。
 少しでも動けば、その身体に弾をぶち込んでやると言うその気迫に、身動きを拘束されるのはあまり歓迎出来ないからか、鬼たちも多少はその追撃の手を緩める。

「腹立たしい、腹立たしいぞ! その様な小細工を弄する様、実に腹立たしい! 
 哀絶!! 人も喰っておらぬ鬼の娘程度、さっさと串刺しにして捨ててしまえ!」

「そう喚くな。哀しくなるだろう」

 積怒の叱責に『哀』の鬼……「哀絶」はそう答え、槍を握るその手に力を籠めた。
 力比べになったそれを、禰豆子は何とか抑え込もうとするが、元々の膂力に凄まじい差があるのか、ジリジリと禰豆子の身体は押されていく。
 禰豆子は鬼として全力を出している事を示しているかの様に、その額には角が生え、そしてその四肢にはまるで紋様の様に蔦の様な痣に似たものが浮かび上がっている。
 それでも、抑えきれない。禰豆子一人では。だけれども。

「禰豆子はやらせない!」

 哀絶が構える槍を、その構えた手の少し上の辺りで俺が断ち切る。
 急に抵抗が消えて僅かに踏鞴を踏んだそこに、短くなった槍を握り締めた禰豆子が、一気に畳を踏み込んで哀絶の身体に体当たりする様にその槍先を腹の辺りに貫通させる勢いで押し込んで。
 そのまま一番分厚い壁に縫い付ける様にして刺し通す。
 それに抵抗する様に断ち切られた槍を再生させながら禰豆子を床へと刺し止めようとしたその腕を、武器を握らせたまますかさず断ち切って。
 哀絶を援護しようとして禰豆子に向かって錫杖を叩き付けようとした積怒の身体が、玄弥が放った弾丸によって僅かに動きを止めた所を。断ち切った哀絶の腕ごとその槍を投げつける様に投擲して、その頭部に槍を貫通させる。相当深く貫通しているので、幾ら再生能力が高い鬼でも中々抜く事は出来ないだろうし、その分時間を稼げる筈だ。
 そして、二体の鬼の身体を盾にされたが故に風で薙ぎ払う事が出来ずにいた可楽へと玄弥と共に斬り掛かって。
 繰り出された蹴りを玄弥が回避した所で、ほんの僅かな隙にその団扇を握っている右手を前腕の中程から斬り落として、その腕をすかさず握り締めて、それごと団扇を可楽目掛けて振るった。
 途端に吹き荒れた烈風が、自身が暴れ回って破壊して開けた壁の穴から可楽を吹き飛ばしていく。
 どうやら、鬼自身が振るった訳では無くても風を巻き起こす事は可能な様だ。
 しかし、鬼から離れたからなのか或いはあの鬼が新たに団扇を作り出そうとしているからなのか、手に持った腕の中の団扇はボロボロと端から次第に崩れ落ちつつあり、後一、二回しか使えないだろう。
 ならどうするのかは決まっている。

「禰豆子! 玄弥!! 避けろ!!」

 今度は未だ己の頭部に刺さった槍を抜こうと四苦八苦している積怒に向けて、団扇を打ち上げる様な形で下から上に斜め上の動きで全力で振るう。
 団扇を振るう向きや勢いでその風を操れる様だ。
 縦に振れば、吹き飛ばす力の強いやや直線的な突風に、横に振れば全てを薙ぎ払っていく烈風に、恐らく上から打ち下ろせば空から叩き付けられる風の拳の様に。
 そして、下から打ち上げる様に振るったそれは、目論見通りに、積怒の身体を浮き上がらせて吹き飛ばす突風になった。
 踏ん張ろうにも足元から攫って行く突風には幾ら鬼でも耐えられなかった様で、積怒は可楽とは別の方向へと吹き飛んで行く。
 だが、それと引き換えに団扇は完全に崩れて消えた。
 鬼二体を一時的に排除し、そして哀絶を壁に縫い留めたとは言え、本当に一時凌ぎにしかならない。
 風で斬り刻まれて跡形も無く消し飛んだ訳でも何でもないので、鬼の身体能力を考えるとそう時を置かずしてここに戻ってきてしまう。
 だからこそ今のこの僅かな時間の中で、次にどうするのかを考えなくてはならない。
 斬った腕が新たな分裂体にはならないのを見るに、強力な能力と個性を持った分裂体は「喜怒哀楽」の四体が限界なのか、或いは分裂するにしても四肢の様な末端では無く頸と胴の様な体幹部を斬り落とされねばならないのか。
 何にせよ、腕を斬る程度なら問題無い事が分かったのは幸いである。

 それにしても、分裂体の鬼たちの身体が柔らかくて助かった。
 もしこれが上弦の鬼本来の硬さの肉体だったなら、幾ら呼吸を使って本気で斬り掛かっているとは言え、あっさりと腕を落としたりする事は出来なかっただろうから。
 頸を斬られる前提でそこが柔らかいからこそ、こうして今の俺たちでもその身体をあっさりと斬る事が出来るのだ。
 ある意味、上弦の肆にとっては思いもよらぬ弱点なのでは無いだろうか。
 頸を斬る事に固執していれば何時まで経っても終わりが見えないが、逆にその仕組みを看破して頸以外を狙われてしまえば途端に脆くなる。
 まあ、連携能力が非常に厄介なので、一対多で襲われればやはりどうしようも無いだろうけれども。

「とにかく、あいつ等が戻って来る前に、善逸の所へ行こう。
 善逸を追って行った四体目の鬼の事も気掛かりだ」

 空を自在に飛べる相手は厄介だ。
 人は空を飛べる様には出来ていないから、どうしたって対処法が限定される。
 霹靂一閃を何度も連続して使用して空中の敵をも斬る手段を持つ善逸ですら、やはり空中戦は得手である訳では無い。決して鬼の肉体が堅牢では無いのだとしても、そもそも一太刀入れる事も難しいし、何より斬っても無駄な相手に対して出来る事は少ないのだ。
 誰よりも素早く回避が上手い善逸ならあの鬼を相手にしていても死にはしないと思うが、逆にそれに手一杯になって『本体』を見失う事はあるだろう。
 なら今は善逸の援護を優先しなくては。

 三人で頷き合って、そして壁に空いた穴から身を躍らせて地面に降りる。
 鬼が豪快に風を巻き起こしていたからか付近に漂っていた強い硫黄の匂いも幾分か薄れ、善逸の匂いを追い掛ける程度なら出来そうだ。

「こっちだ」

 二人を先導する様に、俺は匂いの先を目指して走り出した。






◆◆◆◆◆






 突然上弦の肆なんかに奇襲されて、正直怖くて仕方無かった。
 上弦の陸と戦ってしかもその数日後に上弦の壱に遭遇してからそう時間が経ってないのに、何でこんなに次から次に上弦の鬼に遭遇するの? もしかして今年は厄年? どっかにお祓いに行った方が良い? って真剣に考えたくらい。
 でも、あの鬼は色々とおかしかった。
 老人の様な見た目ややたら怯えた様な悲鳴も変ではあるけれど、鬼なんて千差万別なんだからそう言う者も居るのは有り得なくは無いのだとしても。
 でも、上弦の鬼……しかも上弦の肆なんて存在の頸が、咄嗟に放った霹靂一閃で斬れてしまうなんて有り得ない事なのだ。
 そんなに直ぐに上弦の頸が斬れるなら誰も苦労なんてしない。
 上弦の肆より強い鬼であるとは言え、あの煉獄さんですら上弦の参の頸を刃こそ突き立てる事は出来ても結局落とす事は出来なかったのだ。
 それを考えると、これは余りにもおかしい事であった。
 霹靂一閃は単純な膂力の上に速度も乗せて斬るから、かなり硬い頸でも刃を通す事は出来るけど。
 じゃあ、あの煉獄さんですら落とし切れなかったものを今の自分が落とせるのかと言うと、それは無理だ。
 悠さんが力を貸してくれたら出来るかもしれないけど。自力では不可能だと言う事位は分かる。
 そしてその違和感は、相手の鬼が分裂して異なる姿の鬼になって増えた事で確信めいたものになる。
 しかも、頸を斬った後と前で音が変わったのだ。それは明らかにおかしい事だった。
 例え特殊な方法で頸を斬らなければ殺せない鬼なのだとしても、その鬼である以上は音は変わらない筈なのだ。
 でも、分裂した後の鬼の音は……何と言うのか、単純な感情の音になっていた。
 ずっとあらゆる物事への意味の無い怒りに満たされた音、何が楽しいのかも分からないのに楽しいって感情だけがずっとグルグルしている音。
 そんな変な音が、鬼の悍ましい音と一緒に聞こえるのだ。気持ち悪いなんてものじゃなかった。

 今戦っている鬼たちが『本体』ではない可能性を炭治郎が指摘すると、鬼たちがより一層激しく攻撃しだした。それまでは何処か余裕に溢れ此方を舐めている様な感じだったのに。
 これでは正に語るに落ちると言うやつなんじゃないかと思う。あまり頭が良い訳では無い鬼なのだろうか。
 炭治郎の鼻は里中に広がっている温泉の強い硫黄の匂いによってあまり本調子では無いからか、『本体』の捜索は俺に託された。
 上弦の肆の本体なんて、絶対ヤバイやつじゃん! ってちょっと泣きそうだったけど、でもそうしないとこのままじゃ埒が明かない事も分かるので、玄弥が作ってくれた隙にその場を離脱した。
 皆が、ここで鬼たちを食い止めてくれる事を信じて。そして少しでも早く皆の為に『本体』を探し出す為に。

 鬼の『本体』らしき音を探す為に全力で耳を澄ませて付近を走り回っていると、里の中心の方が何やら騒がしい事に気付いた。
 もしかして鬼の『本体』が里の中心部分を襲っているのだろうかと一瞬焦ったけれど、でも強い鬼の音は全然聞こえて来ないし、悲鳴とかはあんまり聞こえて来なくて。聞こえてくるのは寧ろ、困惑の声と……何だろう……思い思いに『神様』に感謝している声が聞こえて来た。
 正直状況はよく分からないけど、多分緊急性は無いのだろうと考えて、上弦の肆の『本体』を探す事に再度神経を尖らすと。それらしき音を一瞬耳が拾った。

 でも、何だか変だ。だって、上弦の肆なのに。明らかに人を沢山沢山喰ってきた鬼の音がしているのに。
 その鬼が立てている音は、「恐怖」だとか「怯え」だとか。とにかく、上弦の鬼から聞こえてくる様なものとは到底思えない音であったのだ。

 どうしても記憶に無い上弦の陸との戦いの事を後から炭治郎に話して貰った事があって。その話の中では、悠さんにこてんぱんに叩きのめされていた上弦の陸の妹鬼の方は、悠さんに対して物凄く怯えていたらしいのだけれども。
 じゃあその時みたいに悠さんが上弦の肆の『本体』を叩きのめしているのかと言うと、その鬼の音が聞こえて来た方向からは悠さんの音がしないから多分違うと思う。
 よく分からない、どう言う事? と困惑しつつも、その鬼の音を辿って行こうとしたその時。
 物凄く巨大な鳥が飛んでいるかの様な羽ばたく音が聞こえて、それが真っ直ぐに自分に向かって突っ込んで来るのが分かった。
 咄嗟に横に大きく飛んで避けると、自分が居た辺りの地面が一瞬で深く切り裂かれるのが見えてしまって内心泣きそうになる。

「カカカっ、久方振りに分かれたかと思えば、中々骨のある者を狩れるとはのう。
 今のを避けおるとは中々やるのう。これは実に喜ばしいぞ」

『喜』の文字が刻まれた舌を見せ付ける様に出しながら、あの鬼たちから更に分かれたのだろう新たな鬼が俺を狙っていた。
 背から翼が生え、その手足は鋭い爪を備えた猛禽のそれの様で。
 もう見るからに強そうな鬼で嫌になってしまう。
 こんな状況じゃ無ければ泣いて逃げ出したくなる位だ。

「いいいぃぃやぁぁぁっ!! もう何!? 何なのもう!! 
 バッサバッサ見せびらかす様に飛んじゃってさ! 相変わらず音は気持ち悪いし!! 
 炭治郎たちはこれ以上分裂させない様にしてる筈なのに、何で分かれて来ているのさ、もおおぉぉぉ!!」

 取り敢えず感情のままに叫ぶけど、でも此処で逃げる訳にはいかない。
 とは言え、この鬼も『本体』では無いだろう。なら相手をし続けてもキリが無い。

「カカカっ、随分と騒がしい小僧じゃ。
 さぞ悲鳴も盛大に上げるのだろうなあ。
 歓喜の血飛沫と共に、その悲鳴をよく聞かせてほしいのう」

 そう言って、鬼はガバリと音がしそうな程にその口を大きく開けた。
 とにかく嫌な予感がして、その真正面から距離を取る様にして横に逃げるけれど。

 ギュイイイイィィィィィッ!!!! と、まるで無理矢理大気を無茶苦茶に掻き鳴らしているかの様な音は、ただでさえ耳が良い上に『本体』を探す為に集中していた俺にとってはもう最悪の一言で。
 思わず耳を押さえてしまった。脳がグワングワン揺れている気すらする。
 キツイ一撃だが、多分正面から直撃しなかっただけマシなのだろう。
 こんなの真正面から喰らっていれば、一撃で昏倒していたかもしれない。

「ほう、音は苦手か。それは実に喜ばしい! 
 その耳、使い物にならなくしてやろう」

 再び口を開いたそれを、もう一度回避する。
 今度は霹靂一閃の踏み込みを使って、出来るだけ遠くへ。
 それでも、先程よりはマシとは言え、その攻撃の影響はかなりのものになった。
 こんなのを何度も喰らっていたら間違いなく耳がイカれてしまう。
 そんなのは駄目だ。せめて耳が駄目になるのだとしても、『本体』を見付けてからでないと。
 口から発しているのだから、あの口を斬り裂けば多少はマシなのだろうか。
 でもそれで更に分裂させてしまったら余計に手に負えなくなってしまう。

「鬼狩どもが這い蹲って逃げ惑う姿は何時見ても喜ばしいものじゃ。
 そうやって動けなくなった所を丁寧に、この金剛石をも砕く爪で引き裂き歓喜の血飛沫に塗れる時が最も喜ばしい!」

 悪趣味な事を言いながら、鬼は悠々と空を飛んで口を開ける。
 このままでは、『本体』を探すどころでは無い。
『本体』らしき音は聞こえているのに、こうも何度も妨害されていては段々捉え辛くなってしまう。
 かと言って黙らせようにも空を飛んでいるこの鬼に対抗する術は中々存在しない。
 強いて言えば、地上に接近して攻撃して来た所をすかさず迎え撃つ位だろうけれど。
 しかし、この爆音で俺を甚振る喜びに目覚めている鬼が、一々接近して来る事は無いだろう。
 段々後が無くなっていく状況に焦りが募る。

 再びあの不快極まりない爆音で攻撃されるのか、と。少しでも被害を抑える為に全力で距離を取ろうとしたその時。


「何やってんだこのカス!」


 ── 雷の呼吸 肆ノ型 遠雷!! 

 罵声の様な言葉と共に、口を開こうとしていた鬼の頸が落ちた。
 その一瞬で遠方から斬り込むその鮮やかな一撃は。

「獪岳!? っ! 駄目だ、その鬼は本体じゃない!! 
 頸を斬っても意味が無い、分裂する!!」

 一体どうして此処に、と言う疑問と。
 鬼の音に全神経を集中させていた為とは言えその接近に自分が気付いていなかった事への驚きと。
 そして、どうして自分を助ける様な真似を、と言う……。何かを期待してしまう様な、心のうねりと。
 様々な思考がぶつかり合って混乱しかけたが、直ぐ様にこの鬼の特殊性を、あの場に居た訳では無い獪岳が理解出来ていない事に気付き、警告する。

 だが既に遅く、斬り落とされたその頸と胴から新たな鬼が……現れなかった。
 落とされた首を拾い上げた鬼の胴体は、それを再びくっつけ直す。
 先程までは確実に分裂していた状況なのに。
 そうか、そうなのか……。

「確かに首を落としても倒せないみたいだが、分裂なんかする気配も無えよ。
 とうとう頭ん中までカスになったのか?」

 何言ってんだお前、と言う獪岳の視線には構わずに。
 その事実を理解して、突破口が現れていた事に気付く。

「分裂するのも限界があるんだな? 三体か? それとも四体か? 
 その先は、斬られても死なないとしても、それ以上意味がある分裂にはならないんだな?」

 確かに、頸を落としても殺せないのは間違いなく脅威ではあるけれど。
 攻撃自体が相手を強くするのと、攻撃しても殺し切れないのとでは全く違う、雲泥の差だ。

「この鬼は本体じゃない。首を斬っても死なない。
 でも、この近くの何処かにはこの鬼の『本体』が居るんだ。
 何処かに隠れてる。ガタガタ怯えながらな。
 だから、それは俺が必ず探し出すから。
 アンタはこの鬼の相手をしててくれ」

「ハア? それが人に物を頼む態度か? 
 さっきも俺に助けられたクセに、何を偉そうに一丁前に口聞いてんだ。
 大体、この辺りの何処かに上弦の鬼の本体が居るって言うなら、俺が探し出して斬っても問題無いだろ。
 上弦の鬼の頸を直接斬る機会なんざ、誰が譲ってやるか。
 お前に斬れる頸なら、俺にだって斬れんだよ」

 そう口元を歪めて獪岳は言うが。その胸から感じる音は、何時ものそれよりは少し柔らかい。
 家も何もかも吹き飛ばす大嵐が、木々を押し倒す嵐に変わった位の差ではあるけれど。
 ……態度自体が大きく変わった訳では無いけれど、獪岳も全く変わっていない訳では無いのだ。
 だからきっと。

「確かに、獪岳ならその鬼の頸を斬れるかもしれないよ。
 でも、隠れている鬼を探し出せるのか? 
 言っておくけど、俺がこの耳に全力で集中して見付けるのがやっとって位に巧妙に隠れてる相手だぞ」

 じいちゃんの所で一緒に暮らしていた時間もそれなり以上にあるから、獪岳は俺の耳の良さが何れ程のものなのかはよく知っている。
 そして、その耳を以てしても全力で集中しなければ探し出せないと言う事が、どう言う事なのかも。

「あーーーーっ! クッソ! 
 仕方ねえ、カスを助けるつもりは欠片もねぇけど、こう言う形でも、上弦の鬼の討伐の補助って条件には当てはまるんだろ! 
 鬱陶しい監視を解く為にも、やってやる!」

 お前の為でも何でも無いからな! と、そう吐き捨てて。
 獪岳はその刀を構えて、翼の生えた鬼に対峙する。

 口では鬱陶しいだとかそんな事を言うけれど、悠さんたちと過ごしていた時間を獪岳が嫌ってはいない事は知っている。
 相変わらず俺の事は好きじゃ無いけど、多分悠さんには恩と言うのか……多少なりとも感謝の気持ちを懐いている事も、俺は知っている。
 だから、今耳に届く、ほんの少しばかりの照れ隠しの様な音は、紛れも無く獪岳が変わって来た証なのだ。

「そこのカスとの格の違いってやつを見せてやるよ。
 頸を落としても死なないんだとしても、四肢を落としてその鬱陶しい翼を斬り続ければ多少は堪えるんだろ? 
 だから、さっさと『本体』ってやつを見付けてその頸を斬って来い、カス」

 上弦の陸の妹鬼を相手に延々とその身体を斬り刻んでいたと、悠さんが上弦の陸との戦いを振り返って淡々と語った時にはドン引きした顔をしていたクセに。
 それはもう、悪人面とでも言いたくなる凶悪な笑みを浮かべて獪岳は鬼を挑発する様にそう宣う。
 でも、その心の奥では上弦の鬼を相手にするが故の不安に少しばかり揺れている事も俺には分かる。
 その啖呵も、己を鼓舞する為のものなのだろう。

「獪岳、此処は任せた」

 その言葉に獪岳が頷いたのかどうかは確認せずに、俺は『本体』の微かな音を頼りにそれを探して森の中を駆ける。
 段々近付いて行ってるのは音が教えてくれるのに、中々その姿は見えてこない。
 余程巧妙に隠れているのか? 
 しかし、音をよくよく辿ると、その音はどうにも低い位置から聞こえている。
 この茂みの何処かにかがんで身を潜めているのだろうか? 
 上弦の肆ともあろう鬼が、自分以上に臆病なのは何だか物凄く変な気分だ。
 でも、怯えて隠れながら、分身たちに敵を始末させると言うそのやり方は、卑怯と言うか物凄く不愉快である。

「何処だ……何処にいる……」

 集中しながら、最も音が聞こえてくる様に感じる茂みを掻き分けて。
 そして、余りにも予想外のその姿に、思わず絶句した。


「……はっ?」


 ちっさ!!!! と、そんな声すら喉から出る事を忘れてしまう程に。
 本当に信じられない程に。
 自分の掌でも軽く捻り潰せてしまえそうな程に。

 上弦の肆の、その『本体』は。
 矮小と言う言葉ですら表現し切れない程に、余りにも小さく。
 茂みの葉で己の身を隠す様にして、そこに潜んでいたのであった。






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