第四章 【月蝕の刃】
◆◆◆◆◆
俺は自分で自分の事が一番嫌いだった。
弱くて、泣き喚いてばかり、怯えてばかり、逃げてばかり。
名前すら与えられる事も無く捨てられてずっと独りぼっちだったから、誰かに「期待」される事なんて無くて。
だから、自分で自分に「期待」する事なんて出来ない。自分に自信なんて無くて、自分自身への「期待」の仕方なんて分からなくて。だから何時まで経っても何も出来ないまま、弱いまま。自分自身を欠片も信じられない。
しかもただ独りぼっちだったんじゃなくて普通よりもずっと耳が良いから、不気味がられてばかりで。
耳の良さに命を救われた事もあったけど、でもずっと疎外感を感じていた。
だって耳が良過ぎて、その人の本心まで分かってしまう、陰で言っているつもりの言葉だって全部聞こえてしまう。だから分かってしまった。自分が、誰からも望まれていない、求められていないんだって。
それでも独りぼっちは嫌だったから、それが上辺だけの言葉だと分かっていても信じたい事を信じては、結局騙されて嫌われて捨てられて。そんな事を続けていたら、孤児なのに借金まみれになって本当にどうしようも無くなって。自分でも馬鹿だなぁ……って思うのに、でも変えられなかった。たった一瞬だけでも、それが利用されているだけなんだとしても、誰かに「必要」とされていられる気分になれたから。本当に、馬鹿だ。
でも、借金まみれになっていた所をじいちゃんに拾われてからは、ちょっとだけ変わろうと思ったんだ。
じいちゃんの稽古は厳しいし、本当に死ぬかと何度も思ったけど。それでもじいちゃんは、初めて俺に何かを「期待」してくれた。良い剣士を育てたかっただけで別にそれが俺である必要は無かったのかもしれないけど、それでも良かった。初めて本当に必要とされたんだから。
初めて誰かと一緒に食べた食事は、絶対に忘れられない位に美味しかった。
初めて誰かと一緒に寝た夜は、全然寒く無かった。
兄弟子として俺よりも先にじいちゃんから教えを受けていた獪岳とは仲良くはなれなかったけど、でも俺とは違って直向きに努力しているその姿は本当に尊敬していたし、何時か肩を並べて戦った時には、兄弟弟子って関係ではあるけど「兄貴」って呼んでみたいと思っているんだ。
じいちゃんは俺がどんなに情けなくても、逃げ出しても泣き喚いても、絶対に俺を見限ったりはしなかった。
厳しかったけど、何度だって連れ戻して、そして修行させた。今まで、一度だってそんな風に「期待」された事なんて無かったのに。一度でも逃げ出した姿を見たら、その時点で「こいつは駄目だ」って判断されていたのに。
それが本当に嬉しくて、だからじいちゃんの期待に応えたくて。一生懸命にやったんだけど、でも俺は全然ダメだった。どんなに修行しても使えるのは六つある型の一つだけだし、それですらちゃんと出来なくて。
ちゃんと修行してるのに、頑張っているのに、それでも俺は本当に駄目だった。
変わりたいと思っても、俺は弱いままで。全然変われなかった。
もしかしたら、自分自身に「期待」した事なんて今まで一度も出来た試しが無いから、自分を信じるってやり方が俺には全然分からないのかもしれない。
でも、どんなに頑張っても、「期待されない」って自分の根っこを変える事は出来なくて。
だから俺は今でも弱いまま、情けないままだった。
じいちゃんが修行を付けてくれたおかげで、強くて格好良くて皆を守ってあげられる様な……そんな昔にお伽噺で見た英傑みたいになる夢を見る事はあったけど、でもそれは夢でしか無くて。
それが夢でしかないって分かっているのが、悔しかった。
でもそんな俺にも、「友だち」ってのが初めて出来た。
泣きたい位に優しい音をずっとその胸の中で立てている炭治郎と、びっくりする位ガサツだし常識は無いしやる事成す事滅茶苦茶だけどでも真っ直ぐな伊之助と。
ちゃんとした出逢いは偶々の様なものだったし、最初の印象は良いものでは無かったかもしれないけど、でも一緒に任務をこなしたり修行したりする、大事な友だちが出来た。
そして、生まれて初めて、本当に一目惚れだって直感出来る出会いもあった。
炭治郎の妹の禰豆子ちゃんの事は、本当に大事にしてあげたいって思うし、守ってあげたいと思うんだ。
何時か、人に戻れた禰豆子ちゃんと沢山お話してみたい。
……それなのに。
皆の事が大事だから、守りたいのに。でも俺は弱くて。そんな自分が本当に嫌だった。
炭治郎たちと出逢ってから暫くして、炭治郎の泣きたくなる程に優しい音とはまた違うけれど、寄り添う様に傍で見守り続けてくれる様な底が分からない程に深くて優しい音がする人にも出会った。
鳴上悠って名乗ったその人は、俺よりも一つ年上なだけなのに、俺よりもずっと凄い人だった。
もし、物語の英雄ってのが本当に居るなら、ああ言う人なんじゃないかって密かに思う。
見た目も格好良いし、話せば凄く面白いし、本当に優しいし。誰からも好かれて、誰からも頼りにされて、そしてその「期待」に見事に応えて。それなのに、それを絶対に驕ったりしない、誰にでも優しい人。
横転しかけていた列車は止めるし、死に掛けていた煉獄さんを助けちゃうし、しかも上弦の弐をコテンパンにやっつけてしまう。本当に実在の人間なのかなって思う位に、物語の英雄そのままだ。
自分がそうなれたら良いのにな、って。そんな理想をそのまま持ってきたみたいな人だと、そう思っている。
自分の信じ方をちゃんと知っている人で、人に優しくする方法を分かっている人で、誰かを助ける事を絶対に迷わない人。本当に、色々出来過ぎちゃってて盛り過ぎじゃない? って心から思うんだけど。
でも、羨ましいだとか嫉ましいだなんて思うんじゃなくて、純粋にそんな風になりたいなって思わせるのは本当に凄いと思う。
悠さんは炭治郎や禰豆子ちゃんに優しいだけじゃなくて、伊之助に変な絡まれ方をしてもそれを咎めたりなんかもせずに面倒くさがらずにちゃんと付き合ってあげているし、伊之助が物知らずな面を見せてもそれを叱ったり或いは馬鹿にしたりなんかせずに一回一回丁寧に教えてあげている。
俺がどんな醜態を晒しても、絶対に見限る様な音は立てない。少し呆れていたり、ちょっと困惑している事はしょっちゅうだけど。でも、本当に優しいんだなってのは、音を聞くまでも無く分かってしまう程だった。
そんな悠さんも、そして炭治郎も。「善逸なら出来るよ」って。本当に優しい音を立てながら何時も心から言ってくれる。
その期待に応えたいのに、でも俺はまだ弱いままだ。何も変われないままだった。
でも、今は退いちゃいけない時なんだってのは分かる。
気を喪っちゃいそうな位に綺麗なのに怖くて泣きそうな位に禍々しい鬼の音を立てている「上弦の陸」と対峙した時、本当に怖くて気を喪いそうだった。
悠さんが抱えて避けてくれなかったら、自分の腕の一本や二本は軽く斬り飛ばされていただろうと思う。
幾ら悠さんが強いんだってのを知っていても、ここで二人で戦うのは本当に怖かった。自分が絶対に足手纏いになるって分かっていたから。
そんな俺の恐怖を見たからなのか、悠さんは「上弦の陸」を此処で一人で食い止めるなんて言い出して。
そして、俺には炭治郎たちと合流して行方不明になっている人たちを探してくれなんて言った。
それが、足手纏いを減らしたかったと言う意図ならまだ分かるけど。でも悠さんから響いてくる音はそうじゃなくて。「善逸なら絶対に出来るから、見付け出してくれるから」って。そんな「信頼」の音だった。
だから、後ろめたさは多少あったけど、その場を離れた。
その背後に、俺の弱さを嘲笑った鬼に、「善逸は弱くなんてない」って、泣いてしまいそうな位の本音の声を聞きながら。
自分が出来る事をする為に、託された「信頼」をちゃんと果たして、そしてちゃんと助太刀しに戻って来る為に。俺は全力で走った。
伊之助たちと待ち合わせていた筈の「荻本屋」に辿り着くと、炭治郎が困った様に右往左往していた。
何があったのかを訊ねると、どうやら伊之助が鬼の巣に繋がる穴を見付けたらしいのだけど、その穴が狭過ぎて関節を自由に外せて身体が物凄く柔らかい伊之助じゃないと先に進めないらしい。
炭治郎は頑張ったけど、「長男でも駄目だった……」とちょっと落ち込んでいる。
でもとにかくその穴が何処かに繋がっているのは確かなので、それを探そうと言う事になった。
炭治郎の鼻は、遊郭の色んな場所から漂ってくる匂いの所為で中々上手く働かないらしい。
俺の耳も、色んな雑音が多過ぎて音を拾い辛いけど、でもそんな事を言っている場合じゃない。
悠さんを早く助けに行く為にも、一刻も早く行方不明になっている人たちを探さないと。
それに幾ら伊之助でも守らなきゃいけない人が大勢居る中で一人で戦うのは無謀である。
伊之助が穴の中を進んでいるのだろう地面から伝わる微かな音を追って、俺達は「荻本屋」を飛び出した。
そして、その音はある場所で止まる。
「此処だ! この下に空洞があるんだ!!」
恐らく中で戦闘になっているのだろう。伊之助が戦っている音が真下から響いてくる。
でも、地面の下なんて、どれ程掘れば辿り着けるのだろう。
今はほんの僅かな時間も惜しいのに。
悠さんはどうなっているのだろう。
耳を澄ませてみても、あんまり分からない。少なくとも鬼が此処に追って来てはいない以上、悠さんはまだ鬼の足止めに成功しているのだろうけれど。
場所は突き止めたのにどうすれば良いのか分からなくて、炭治郎と二人でああでもないこうでもないと知恵を出し合っていると。
「成る程、此処か。お前らでかしたな、褒めてやる」
何時の間にか近付いてくる音すら無く宇髄さんがやって来て、その背に背負っていた一対の日輪刀を抜き放って。
── 音の呼吸 壱ノ型 轟!!
勢い良く地面に叩き付けると、その地面が勢い良く爆発して大きく抉れる。
あんまりにも急に近くで爆音が鳴り響いたので、耳が壊れた様に揺れて気分が悪くなりそうだった。
炭治郎もびっくりして耳を両手で塞いでいる。
あれでは箱の中の禰豆子ちゃんもビックリしているかもしれない。
「結構深いな。後二三回って所か」
そう独り言ちて、宇髄さんは一気に腕を振るう。
一回だけの様に聞こえるがその実三回連続で鳴ったその音が止んだその時には、地面にはすっかり大穴が空いていて、それは遥か下にまで続いていた。
そこに躊躇なく飛び込んだ宇髄さんに続き、俺達も下に飛び降りた。
そこに在ったのは、鬼が操っていたものと同じ帯が所狭しと掛かった奇妙な空間で。そして足元には無数の人骨が転がっている。
帯を通してここに人を攫って来て、そして食べていたのだろう。
伊之助はどうやら帯に囚われていた人々をちゃんと助ける事が出来ていた様で、そしてその中には宇髄さんの嫁さんたちなのだろう人達の姿もあった。ここに囚われていた宇髄さんの嫁さんたちは二人ともビックリする位に美人なので、これが平常なら嫉妬で喚きそうだけど、今はそれどころじゃないので頑張って抑える。
そして空間を埋め尽くしていた無数の帯は瞬く間の内に宇髄さんによって細切れにされた。
だが、流石は鬼の一部と言うべきか、細切れにされてもそれだけでは消えたりしないらしく、蠢く蚯蚓の様にのたうちながら一つに戻ろうとする。
その内の一つが俺の目の前に落ちて来た。気持ち悪い位にギョロ付いた目玉が俺を見て。
そして俺を喰おうとしてかその帯をグネらせながら伸ばしてくる。
その気持ち悪さと恐怖の余りに、俺の意識は飛んだ。
◆◆◆◆◆
善逸が気を喪った様に身体をぐらつかせた直後。
再生しながら解放されていた無防備な人達を襲おうとしていた無数の帯が、一気に斬り刻まれる。
まるで雷が鳴ったかの様な音が斬撃の後に響くそれは、善逸の技である霹靂一閃によるものだ。
善逸と宇髄さんが帯の相手をしてくれているので、俺は気を喪っている人たちをどうにか安全な場所まで退避させる。
そうする内に、斬って斬ってもしつこく再生していた帯たちが何かに気付いた様に一斉に何処かへと逃げ出す様にその場から消え去った。追い掛けようにもあまりにも細い穴を通って逃げて行ったので自分達では追い掛けきれない。伊之助ですら無理だった。
その結果その場には、気を喪った行方不明にされていた人達と、意識は取り戻している宇髄さんのお嫁さんたちと、そして俺達だけが残される。
一体あの帯が何処に行ったのかは分からないが、このまま見失うのは不味いと言う事は分かる。
それに、上では悠さんが一人で「上弦の陸」の足止めをしてくれているらしいのだ。
急いでそこに向かう必要があった。
宇髄さんはお嫁さん達にこの場の人達の救護を任せて、凄い跳躍力で自分が空けた穴から上へと戻る。
俺達もその後に続いて穴を登る。
そして、街の人達に気付かれない様に屋根を伝いながら悠さんと「上弦の陸」の姿を探すと。
「京極屋」と「荻本屋」の中間辺りの屋根の上にその姿を見付ける。
だが、その姿は予想に反して凄まじいものであった。
「上弦の陸」らしき女の鬼の身体は、幾重にも細かく斬り裂かれ、再生する端から斬り飛ばされている。
鬼が何かする前にその身体を片端から斬り飛ばすと言う滅茶苦茶な荒業をやっているのは、他でも無い悠さんだ。
屋根の上には鬼のものだろう夥しい血が流され、そしてそれは乾く様な間も無く新たな血によって汚されてゆく。
鬼のものだとは分かるのだが、余りにも濃い血の臭気に酔いそうになってしまう程だ。
恐ろしい猟奇殺人の現場でもお目に掛かれない様な、そんな状況になっていた。
日輪刀では無い為首を斬っても殺せないからこそ、悠さんはこうして足止めをする事を選んだのだろうけれども。
その足元の屋根の下では、その上で何が起こっているのかなんて知らない人々が何時もの日常を過ごしている事が、一層ちぐはぐさと言うか、その光景の非現実感を増していた。
鬼に纏わり付く様にさっき逃がしてしまった無数の帯が雪崩れ込む様に押し寄せてきたけれど、悠さんは今度はそれも含めて全て斬り落とそうとする。
が、それは突然の癇癪を起した様な鬼の泣き声によって阻まれた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃああん!!
怖いよ! この『化け物』がアタシを虐めるの!!
アタシ頑張ってるのに!! 『化け物』に嬲られてる!!
何度も何度もアタシをバラバラにして!!!! 顔も身体も何回も斬り刻んだの!!
殺して! この『化け物』を殺してぇぇっ!!!!」
うわーん、とでも表現すべき様なその力一杯に泣く幼子の様な大きな泣き声に、寸前まで容赦無く鬼を斬り刻んでいた悠さんを含めて、その場の全員がギョッとした様に鬼を見る。
妖艶に感じるその姿とはちぐはぐな程に随分と印象が幼く感じるその声に、もしかしてこの鬼は本当は小さな女の子だったんじゃないかと思ってしまう。だからってこの鬼が赦されて良い存在では無い事は、多くの人を喰らってきた鬼特有の臭いが染みついている事が示しているのだけど。
その場の全員の動きが止まった事で、無数の帯がその身体の中に吸収されてゆく。
黒髪が妖艶な白い髪に変わり、そしてその雰囲気と匂いの禍々しさは格段に上がる。
それなのに、斬り落とされた首を抱えながら声を上げて「お兄ちゃん、お兄ちゃん、怖いよぅ……」と小さな女の子の様に泣き喚きしゃくりあげるその鬼の姿に、どうしてか剣先が鈍ってしまう。
怖い怖いと泣くその姿は、まるで人間の様だった。
特に、何かが心の柔らかな部分に触れてしまったのか、悠さんはおろおろとした様に視線を彷徨わせた。
倒さねばならぬ鬼なのに、ここまで明らかに幼い子供の反応をされると、まるで自分達の方が悪い事をしてしまっている様な気にすらなってしまう。何故なのか。
いや、それより、この鬼がさっきから言っている「お兄ちゃん」とは一体何なのか、と。
そう考えようとしたその時。
鬼の背中から、何か異様な気配の存在が浮き出る様に姿を現した。
その瞬間、場の空気は一気に変わる。
呆れた様に鬼を見ていた宇髄さんは真剣そのものの面持ちで日輪刀を構え、自分達も総毛立つ程の悍ましさと恐ろしさを感じて日輪刀を構える。
最も鬼の近くに居た悠さんは、一気に警戒した様に姿を現したその存在に刀を向けた。
まるで寝起きの様な声を上げた新たな鬼は、一瞬の内に悠さんの前から鬼を抱えて距離を取る。
あまりの速さに、一瞬反応が遅れた。……もしあの新たに現れた鬼が俺達を狙っていたら、それに気付く事すら出来ぬまま一瞬で狩られていた可能性すらある。
明らかに、新たに現れた鬼の方が強い。この鬼が、「お兄ちゃん」なのだろうか。
「泣いたってしょうがねぇからなああ。日輪刀で斬られた訳じゃぁねぇんだあ。これ位自分でくっつけろよなぁ。
全く、おめぇは本当に頭が足りねぇなぁ。
大体あの『化け物』は、上弦の弐を殺し尽くす寸前までいったやつなんだよなぁ。
分裂させたままじゃあ、勝ち目なんてこれっぽっちもねぇのはちょっと考えれば分かるだろうになぁあ。
ほんと、頭が足りねぇなあ」
口ではそう言いながらも、その口調には紛れも無く「愛情」としか呼べない何かが在った。
禍々しい程の気配を放つ鬼なのに、恐らく何百と人の命を貪ってきた者達なのに。
それでもどうしてか、この鬼たちは「兄妹」なのだと、そう誰もに納得させるものがあるのだ。
その頭を撫でてやる手付き一つとっても、それは俺が禰豆子に向けるものとほぼ変わらない。
まるで、歪んだ鏡の向こう側を見ているかの様であった。
「お兄ちゃん」と恐怖にまだ泣いている妹鬼の頬を優しく拭って、兄鬼はその頭を撫でてやる。
双方が鬼でさえなければ、美しい兄妹愛に満ちた光景だとすら言えるだろう。
だが、相手は人を喰らう事を何とも思っていない鬼であるのだ。
それが分かるからこそ、何一つとして油断は出来ない。
「もう泣き止みなぁ。折角の可愛い顔が、泣いてちゃ台無しだからなぁあ。
それに、お前を虐める怖いものは全部俺がやっつけてやるからなぁ。
許せねぇなぁ、俺たちから取り立てるヤツは、誰であろうと許せねぇ。
俺の可愛い妹が足りねぇ頭で一生懸命にやってるのを虐める様なやつらは皆殺しだぁ」
紛れも無い殺意と共に、兄鬼は嗤う様にその口を歪めるのであった。
◆◆◆◆◆
俺は自分で自分の事が一番嫌いだった。
弱くて、泣き喚いてばかり、怯えてばかり、逃げてばかり。
名前すら与えられる事も無く捨てられてずっと独りぼっちだったから、誰かに「期待」される事なんて無くて。
だから、自分で自分に「期待」する事なんて出来ない。自分に自信なんて無くて、自分自身への「期待」の仕方なんて分からなくて。だから何時まで経っても何も出来ないまま、弱いまま。自分自身を欠片も信じられない。
しかもただ独りぼっちだったんじゃなくて普通よりもずっと耳が良いから、不気味がられてばかりで。
耳の良さに命を救われた事もあったけど、でもずっと疎外感を感じていた。
だって耳が良過ぎて、その人の本心まで分かってしまう、陰で言っているつもりの言葉だって全部聞こえてしまう。だから分かってしまった。自分が、誰からも望まれていない、求められていないんだって。
それでも独りぼっちは嫌だったから、それが上辺だけの言葉だと分かっていても信じたい事を信じては、結局騙されて嫌われて捨てられて。そんな事を続けていたら、孤児なのに借金まみれになって本当にどうしようも無くなって。自分でも馬鹿だなぁ……って思うのに、でも変えられなかった。たった一瞬だけでも、それが利用されているだけなんだとしても、誰かに「必要」とされていられる気分になれたから。本当に、馬鹿だ。
でも、借金まみれになっていた所をじいちゃんに拾われてからは、ちょっとだけ変わろうと思ったんだ。
じいちゃんの稽古は厳しいし、本当に死ぬかと何度も思ったけど。それでもじいちゃんは、初めて俺に何かを「期待」してくれた。良い剣士を育てたかっただけで別にそれが俺である必要は無かったのかもしれないけど、それでも良かった。初めて本当に必要とされたんだから。
初めて誰かと一緒に食べた食事は、絶対に忘れられない位に美味しかった。
初めて誰かと一緒に寝た夜は、全然寒く無かった。
兄弟子として俺よりも先にじいちゃんから教えを受けていた獪岳とは仲良くはなれなかったけど、でも俺とは違って直向きに努力しているその姿は本当に尊敬していたし、何時か肩を並べて戦った時には、兄弟弟子って関係ではあるけど「兄貴」って呼んでみたいと思っているんだ。
じいちゃんは俺がどんなに情けなくても、逃げ出しても泣き喚いても、絶対に俺を見限ったりはしなかった。
厳しかったけど、何度だって連れ戻して、そして修行させた。今まで、一度だってそんな風に「期待」された事なんて無かったのに。一度でも逃げ出した姿を見たら、その時点で「こいつは駄目だ」って判断されていたのに。
それが本当に嬉しくて、だからじいちゃんの期待に応えたくて。一生懸命にやったんだけど、でも俺は全然ダメだった。どんなに修行しても使えるのは六つある型の一つだけだし、それですらちゃんと出来なくて。
ちゃんと修行してるのに、頑張っているのに、それでも俺は本当に駄目だった。
変わりたいと思っても、俺は弱いままで。全然変われなかった。
もしかしたら、自分自身に「期待」した事なんて今まで一度も出来た試しが無いから、自分を信じるってやり方が俺には全然分からないのかもしれない。
でも、どんなに頑張っても、「期待されない」って自分の根っこを変える事は出来なくて。
だから俺は今でも弱いまま、情けないままだった。
じいちゃんが修行を付けてくれたおかげで、強くて格好良くて皆を守ってあげられる様な……そんな昔にお伽噺で見た英傑みたいになる夢を見る事はあったけど、でもそれは夢でしか無くて。
それが夢でしかないって分かっているのが、悔しかった。
でもそんな俺にも、「友だち」ってのが初めて出来た。
泣きたい位に優しい音をずっとその胸の中で立てている炭治郎と、びっくりする位ガサツだし常識は無いしやる事成す事滅茶苦茶だけどでも真っ直ぐな伊之助と。
ちゃんとした出逢いは偶々の様なものだったし、最初の印象は良いものでは無かったかもしれないけど、でも一緒に任務をこなしたり修行したりする、大事な友だちが出来た。
そして、生まれて初めて、本当に一目惚れだって直感出来る出会いもあった。
炭治郎の妹の禰豆子ちゃんの事は、本当に大事にしてあげたいって思うし、守ってあげたいと思うんだ。
何時か、人に戻れた禰豆子ちゃんと沢山お話してみたい。
……それなのに。
皆の事が大事だから、守りたいのに。でも俺は弱くて。そんな自分が本当に嫌だった。
炭治郎たちと出逢ってから暫くして、炭治郎の泣きたくなる程に優しい音とはまた違うけれど、寄り添う様に傍で見守り続けてくれる様な底が分からない程に深くて優しい音がする人にも出会った。
鳴上悠って名乗ったその人は、俺よりも一つ年上なだけなのに、俺よりもずっと凄い人だった。
もし、物語の英雄ってのが本当に居るなら、ああ言う人なんじゃないかって密かに思う。
見た目も格好良いし、話せば凄く面白いし、本当に優しいし。誰からも好かれて、誰からも頼りにされて、そしてその「期待」に見事に応えて。それなのに、それを絶対に驕ったりしない、誰にでも優しい人。
横転しかけていた列車は止めるし、死に掛けていた煉獄さんを助けちゃうし、しかも上弦の弐をコテンパンにやっつけてしまう。本当に実在の人間なのかなって思う位に、物語の英雄そのままだ。
自分がそうなれたら良いのにな、って。そんな理想をそのまま持ってきたみたいな人だと、そう思っている。
自分の信じ方をちゃんと知っている人で、人に優しくする方法を分かっている人で、誰かを助ける事を絶対に迷わない人。本当に、色々出来過ぎちゃってて盛り過ぎじゃない? って心から思うんだけど。
でも、羨ましいだとか嫉ましいだなんて思うんじゃなくて、純粋にそんな風になりたいなって思わせるのは本当に凄いと思う。
悠さんは炭治郎や禰豆子ちゃんに優しいだけじゃなくて、伊之助に変な絡まれ方をしてもそれを咎めたりなんかもせずに面倒くさがらずにちゃんと付き合ってあげているし、伊之助が物知らずな面を見せてもそれを叱ったり或いは馬鹿にしたりなんかせずに一回一回丁寧に教えてあげている。
俺がどんな醜態を晒しても、絶対に見限る様な音は立てない。少し呆れていたり、ちょっと困惑している事はしょっちゅうだけど。でも、本当に優しいんだなってのは、音を聞くまでも無く分かってしまう程だった。
そんな悠さんも、そして炭治郎も。「善逸なら出来るよ」って。本当に優しい音を立てながら何時も心から言ってくれる。
その期待に応えたいのに、でも俺はまだ弱いままだ。何も変われないままだった。
でも、今は退いちゃいけない時なんだってのは分かる。
気を喪っちゃいそうな位に綺麗なのに怖くて泣きそうな位に禍々しい鬼の音を立てている「上弦の陸」と対峙した時、本当に怖くて気を喪いそうだった。
悠さんが抱えて避けてくれなかったら、自分の腕の一本や二本は軽く斬り飛ばされていただろうと思う。
幾ら悠さんが強いんだってのを知っていても、ここで二人で戦うのは本当に怖かった。自分が絶対に足手纏いになるって分かっていたから。
そんな俺の恐怖を見たからなのか、悠さんは「上弦の陸」を此処で一人で食い止めるなんて言い出して。
そして、俺には炭治郎たちと合流して行方不明になっている人たちを探してくれなんて言った。
それが、足手纏いを減らしたかったと言う意図ならまだ分かるけど。でも悠さんから響いてくる音はそうじゃなくて。「善逸なら絶対に出来るから、見付け出してくれるから」って。そんな「信頼」の音だった。
だから、後ろめたさは多少あったけど、その場を離れた。
その背後に、俺の弱さを嘲笑った鬼に、「善逸は弱くなんてない」って、泣いてしまいそうな位の本音の声を聞きながら。
自分が出来る事をする為に、託された「信頼」をちゃんと果たして、そしてちゃんと助太刀しに戻って来る為に。俺は全力で走った。
伊之助たちと待ち合わせていた筈の「荻本屋」に辿り着くと、炭治郎が困った様に右往左往していた。
何があったのかを訊ねると、どうやら伊之助が鬼の巣に繋がる穴を見付けたらしいのだけど、その穴が狭過ぎて関節を自由に外せて身体が物凄く柔らかい伊之助じゃないと先に進めないらしい。
炭治郎は頑張ったけど、「長男でも駄目だった……」とちょっと落ち込んでいる。
でもとにかくその穴が何処かに繋がっているのは確かなので、それを探そうと言う事になった。
炭治郎の鼻は、遊郭の色んな場所から漂ってくる匂いの所為で中々上手く働かないらしい。
俺の耳も、色んな雑音が多過ぎて音を拾い辛いけど、でもそんな事を言っている場合じゃない。
悠さんを早く助けに行く為にも、一刻も早く行方不明になっている人たちを探さないと。
それに幾ら伊之助でも守らなきゃいけない人が大勢居る中で一人で戦うのは無謀である。
伊之助が穴の中を進んでいるのだろう地面から伝わる微かな音を追って、俺達は「荻本屋」を飛び出した。
そして、その音はある場所で止まる。
「此処だ! この下に空洞があるんだ!!」
恐らく中で戦闘になっているのだろう。伊之助が戦っている音が真下から響いてくる。
でも、地面の下なんて、どれ程掘れば辿り着けるのだろう。
今はほんの僅かな時間も惜しいのに。
悠さんはどうなっているのだろう。
耳を澄ませてみても、あんまり分からない。少なくとも鬼が此処に追って来てはいない以上、悠さんはまだ鬼の足止めに成功しているのだろうけれど。
場所は突き止めたのにどうすれば良いのか分からなくて、炭治郎と二人でああでもないこうでもないと知恵を出し合っていると。
「成る程、此処か。お前らでかしたな、褒めてやる」
何時の間にか近付いてくる音すら無く宇髄さんがやって来て、その背に背負っていた一対の日輪刀を抜き放って。
── 音の呼吸 壱ノ型 轟!!
勢い良く地面に叩き付けると、その地面が勢い良く爆発して大きく抉れる。
あんまりにも急に近くで爆音が鳴り響いたので、耳が壊れた様に揺れて気分が悪くなりそうだった。
炭治郎もびっくりして耳を両手で塞いでいる。
あれでは箱の中の禰豆子ちゃんもビックリしているかもしれない。
「結構深いな。後二三回って所か」
そう独り言ちて、宇髄さんは一気に腕を振るう。
一回だけの様に聞こえるがその実三回連続で鳴ったその音が止んだその時には、地面にはすっかり大穴が空いていて、それは遥か下にまで続いていた。
そこに躊躇なく飛び込んだ宇髄さんに続き、俺達も下に飛び降りた。
そこに在ったのは、鬼が操っていたものと同じ帯が所狭しと掛かった奇妙な空間で。そして足元には無数の人骨が転がっている。
帯を通してここに人を攫って来て、そして食べていたのだろう。
伊之助はどうやら帯に囚われていた人々をちゃんと助ける事が出来ていた様で、そしてその中には宇髄さんの嫁さんたちなのだろう人達の姿もあった。ここに囚われていた宇髄さんの嫁さんたちは二人ともビックリする位に美人なので、これが平常なら嫉妬で喚きそうだけど、今はそれどころじゃないので頑張って抑える。
そして空間を埋め尽くしていた無数の帯は瞬く間の内に宇髄さんによって細切れにされた。
だが、流石は鬼の一部と言うべきか、細切れにされてもそれだけでは消えたりしないらしく、蠢く蚯蚓の様にのたうちながら一つに戻ろうとする。
その内の一つが俺の目の前に落ちて来た。気持ち悪い位にギョロ付いた目玉が俺を見て。
そして俺を喰おうとしてかその帯をグネらせながら伸ばしてくる。
その気持ち悪さと恐怖の余りに、俺の意識は飛んだ。
◆◆◆◆◆
善逸が気を喪った様に身体をぐらつかせた直後。
再生しながら解放されていた無防備な人達を襲おうとしていた無数の帯が、一気に斬り刻まれる。
まるで雷が鳴ったかの様な音が斬撃の後に響くそれは、善逸の技である霹靂一閃によるものだ。
善逸と宇髄さんが帯の相手をしてくれているので、俺は気を喪っている人たちをどうにか安全な場所まで退避させる。
そうする内に、斬って斬ってもしつこく再生していた帯たちが何かに気付いた様に一斉に何処かへと逃げ出す様にその場から消え去った。追い掛けようにもあまりにも細い穴を通って逃げて行ったので自分達では追い掛けきれない。伊之助ですら無理だった。
その結果その場には、気を喪った行方不明にされていた人達と、意識は取り戻している宇髄さんのお嫁さんたちと、そして俺達だけが残される。
一体あの帯が何処に行ったのかは分からないが、このまま見失うのは不味いと言う事は分かる。
それに、上では悠さんが一人で「上弦の陸」の足止めをしてくれているらしいのだ。
急いでそこに向かう必要があった。
宇髄さんはお嫁さん達にこの場の人達の救護を任せて、凄い跳躍力で自分が空けた穴から上へと戻る。
俺達もその後に続いて穴を登る。
そして、街の人達に気付かれない様に屋根を伝いながら悠さんと「上弦の陸」の姿を探すと。
「京極屋」と「荻本屋」の中間辺りの屋根の上にその姿を見付ける。
だが、その姿は予想に反して凄まじいものであった。
「上弦の陸」らしき女の鬼の身体は、幾重にも細かく斬り裂かれ、再生する端から斬り飛ばされている。
鬼が何かする前にその身体を片端から斬り飛ばすと言う滅茶苦茶な荒業をやっているのは、他でも無い悠さんだ。
屋根の上には鬼のものだろう夥しい血が流され、そしてそれは乾く様な間も無く新たな血によって汚されてゆく。
鬼のものだとは分かるのだが、余りにも濃い血の臭気に酔いそうになってしまう程だ。
恐ろしい猟奇殺人の現場でもお目に掛かれない様な、そんな状況になっていた。
日輪刀では無い為首を斬っても殺せないからこそ、悠さんはこうして足止めをする事を選んだのだろうけれども。
その足元の屋根の下では、その上で何が起こっているのかなんて知らない人々が何時もの日常を過ごしている事が、一層ちぐはぐさと言うか、その光景の非現実感を増していた。
鬼に纏わり付く様にさっき逃がしてしまった無数の帯が雪崩れ込む様に押し寄せてきたけれど、悠さんは今度はそれも含めて全て斬り落とそうとする。
が、それは突然の癇癪を起した様な鬼の泣き声によって阻まれた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃああん!!
怖いよ! この『化け物』がアタシを虐めるの!!
アタシ頑張ってるのに!! 『化け物』に嬲られてる!!
何度も何度もアタシをバラバラにして!!!! 顔も身体も何回も斬り刻んだの!!
殺して! この『化け物』を殺してぇぇっ!!!!」
うわーん、とでも表現すべき様なその力一杯に泣く幼子の様な大きな泣き声に、寸前まで容赦無く鬼を斬り刻んでいた悠さんを含めて、その場の全員がギョッとした様に鬼を見る。
妖艶に感じるその姿とはちぐはぐな程に随分と印象が幼く感じるその声に、もしかしてこの鬼は本当は小さな女の子だったんじゃないかと思ってしまう。だからってこの鬼が赦されて良い存在では無い事は、多くの人を喰らってきた鬼特有の臭いが染みついている事が示しているのだけど。
その場の全員の動きが止まった事で、無数の帯がその身体の中に吸収されてゆく。
黒髪が妖艶な白い髪に変わり、そしてその雰囲気と匂いの禍々しさは格段に上がる。
それなのに、斬り落とされた首を抱えながら声を上げて「お兄ちゃん、お兄ちゃん、怖いよぅ……」と小さな女の子の様に泣き喚きしゃくりあげるその鬼の姿に、どうしてか剣先が鈍ってしまう。
怖い怖いと泣くその姿は、まるで人間の様だった。
特に、何かが心の柔らかな部分に触れてしまったのか、悠さんはおろおろとした様に視線を彷徨わせた。
倒さねばならぬ鬼なのに、ここまで明らかに幼い子供の反応をされると、まるで自分達の方が悪い事をしてしまっている様な気にすらなってしまう。何故なのか。
いや、それより、この鬼がさっきから言っている「お兄ちゃん」とは一体何なのか、と。
そう考えようとしたその時。
鬼の背中から、何か異様な気配の存在が浮き出る様に姿を現した。
その瞬間、場の空気は一気に変わる。
呆れた様に鬼を見ていた宇髄さんは真剣そのものの面持ちで日輪刀を構え、自分達も総毛立つ程の悍ましさと恐ろしさを感じて日輪刀を構える。
最も鬼の近くに居た悠さんは、一気に警戒した様に姿を現したその存在に刀を向けた。
まるで寝起きの様な声を上げた新たな鬼は、一瞬の内に悠さんの前から鬼を抱えて距離を取る。
あまりの速さに、一瞬反応が遅れた。……もしあの新たに現れた鬼が俺達を狙っていたら、それに気付く事すら出来ぬまま一瞬で狩られていた可能性すらある。
明らかに、新たに現れた鬼の方が強い。この鬼が、「お兄ちゃん」なのだろうか。
「泣いたってしょうがねぇからなああ。日輪刀で斬られた訳じゃぁねぇんだあ。これ位自分でくっつけろよなぁ。
全く、おめぇは本当に頭が足りねぇなぁ。
大体あの『化け物』は、上弦の弐を殺し尽くす寸前までいったやつなんだよなぁ。
分裂させたままじゃあ、勝ち目なんてこれっぽっちもねぇのはちょっと考えれば分かるだろうになぁあ。
ほんと、頭が足りねぇなあ」
口ではそう言いながらも、その口調には紛れも無く「愛情」としか呼べない何かが在った。
禍々しい程の気配を放つ鬼なのに、恐らく何百と人の命を貪ってきた者達なのに。
それでもどうしてか、この鬼たちは「兄妹」なのだと、そう誰もに納得させるものがあるのだ。
その頭を撫でてやる手付き一つとっても、それは俺が禰豆子に向けるものとほぼ変わらない。
まるで、歪んだ鏡の向こう側を見ているかの様であった。
「お兄ちゃん」と恐怖にまだ泣いている妹鬼の頬を優しく拭って、兄鬼はその頭を撫でてやる。
双方が鬼でさえなければ、美しい兄妹愛に満ちた光景だとすら言えるだろう。
だが、相手は人を喰らう事を何とも思っていない鬼であるのだ。
それが分かるからこそ、何一つとして油断は出来ない。
「もう泣き止みなぁ。折角の可愛い顔が、泣いてちゃ台無しだからなぁあ。
それに、お前を虐める怖いものは全部俺がやっつけてやるからなぁ。
許せねぇなぁ、俺たちから取り立てるヤツは、誰であろうと許せねぇ。
俺の可愛い妹が足りねぇ頭で一生懸命にやってるのを虐める様なやつらは皆殺しだぁ」
紛れも無い殺意と共に、兄鬼は嗤う様にその口を歪めるのであった。
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