第四章 【月蝕の刃】
◆◆◆◆◆
上弦の弐の鬼と戦ってから、凡そ三週間が過ぎた。
しのぶさんもすっかり元気になって、今まで通りに任務や蝶屋敷で治療に当たっている。
しのぶさんの『復讐』に協力する事を決めた以上やるべき事や確かめなくてはならない事は多いが、しかしその『復讐の時』はまだ少し先の事になりそうだ。
上弦の弐の仕業と思わしき被害が出た際には最優先で情報と依頼を回してくれる様にと、「お館様」にお願いはしたのだが、今の所それらしき報告は一切無いらしい。
まだ回復し切れていないのか、それとも完全に影に隠れて人を襲っているのかは分からないが……。
どうであるにせよ、情報が無いなら動きようが無かった。
だが良い事もあった。しのぶさんの『復讐』に関しては、カナヲも協力してくれる事になったのだ。
カナヲとしてもカナエさんの仇を討ちたいと言う気持ちはあるらしいし、しのぶさんを傷付けて殺しかけたあの鬼の事を赦せないし、何よりもそんなクソみたいな鬼の為にしのぶさんが命を捧げる覚悟だった事が心の底から赦せなかったらしい。
その為、しのぶさんが死ななくていい『復讐』なら、寧ろ喜んで手を貸したいとの事だった。
……しのぶさんは、カナエさんを喪ってからずっと、少しずつ毒を飲み自分自身の身体全てを鬼にとっての猛毒状態にして、態と喰われる事によって鬼を毒で殺すつもりだったらしい。
……結果として、瀕死だったしのぶさんを助ける為に使った『メシアライザー』がその溜め込んだ毒諸共しのぶさんを健康な状態にまで戻してしまったから、今はその様な毒爆弾とでも言うべき捨て身の戦法は取れないらしいが……。
正直、その復讐方法を打ち明けられた時、今目の前でしのぶさんが生きているのは分かっているのに、抱き縋る様にして泣いてしまった。カナヲもショックを隠せない顔でしのぶさんに抱き着いて泣いていたので同じ気持であったのだろう。
しのぶさんの覚悟や努力を踏み躙ったに等しい行為であった事には本当に申し訳無さしか感じ無いが、それと同時にその様な復讐を阻止する事が出来て本当に良かったと、そう心から思ってしまった。
心から生きていて欲しい人が、そんな風に目の前で死んでしまったら本当に耐えられなかっただろう。
自分は、目の前で大切な誰かを喪う事には本当に弱いのだ。
そうやって色々と準備を進めている中で、珠世さんから手紙が届いた。
どうやら、珠世さんに送った上弦の弐の血はとても役に立っているらしい。更には、玄弥の血も、人を鬼にする過程の解析や鬼を人に戻す際の過程の解明に役立っているとの事だ。このまま上弦の血を集めて行けば、鬼を人に戻す為の薬の開発もかなり現実味を帯びて来るらしい。それは良い事だ。炭治郎たちの役に立てるし、もしかしたら今後無理矢理鬼にされて苦しむ誰かを救う事が出来る様になるのかもしれない。
今度、また何処かで直接会って話がしたいと言うその言葉に快諾して、手紙を届けてくれた茶々丸に返信の手紙を託して見送る。
愈史郎さんの血鬼術によるものだとは分かっているが、鳴いた瞬間に姿が消えて見えると言うのも中々に不思議な光景である。よく気配を探すと微かには感じるので、勘の良い人には見付かってしまうのかもしれないが。
今の所、珠世さんの事情を知らぬそう言った人たちには近付かない様にしているらしい。賢い猫だ。
そして、上弦の弐を撃退した事に関しての臨時の柱合会議が開かれる事になり、そこに自分も当事者として向かう必要が出て来た。
カナヲもあの場に居たのだが、実際に上弦の弐と斬り結んだ者の話を詳しく聞きたいだとか。
一応、ちゃんと仔細な報告書は提出済みなのだけれど、直接話を聞きたいらしい。
前回の柱合会議からはまだ本来の開催間隔の半分程度の時間しか過ぎていないが、まあそれだけ上弦の弐を撃退したと言う事は鬼殺隊にとって重要な事であるのだろう。
本来なら上弦の弐を撃退させて直ぐに緊急の招集を掛けるべきだったのかもしれないが、柱というのは基本的に多忙を極めており、広大な警備区域の巡回任務や強力な鬼の討伐任務が常に組まれている為においそれとは動かせなかったと言う事情もあって、そんな時期になった様だ。
上弦の弐との戦いや鬼の手の内、また上弦の弐を取り逃した際に感じた空間を操る血鬼術についても分かるだけの事を報告して欲しいとの事だ。
上弦の弐を討つのは自分たちの目的ではあるけれど、いつ何時他の人達が上弦の弐と会敵するとも分からない。
正直、上弦の弐の血鬼術と『呼吸』を使う隊士たちとの相性は最悪の一言で、ほぼ初見殺しに近いものであるし、タネが割れた所でそれで勝ち切る事も難しい。
出来得る限り、上弦の弐について詳しく報告する事は極めて重要な事だろう。
煉獄さんが上弦の参と戦った時も今回と同様に、かなり詳細な報告をしてその情報を柱などの間で共有しているそうだ。自分も、何時か上弦の参と戦うかもしれないので、後で煉獄さんにその時の事を訊いてみるのも良いかも知れない。
そうして、鬼殺隊の本部へと向かう為に、朝早くから隠の人達の背で揺られる事になったのだった。
◆◆◆◆◆
鬼殺隊の本部である産屋敷家の屋敷の庭は、相変わらず物凄く綺麗に整えられていた。
玉砂利の一つ一つにお金を掛けているのが分かってしまうが、そこに嫌味の様なものが全く無いのは流石と言うべきなのか。千年以上にも渡って鬼殺隊を指揮して鬼舞辻無惨の討伐の為に戦っているらしい産屋敷家は、所謂名家中の名家と言うやつなのだろう。あまり詳しくは知らないし、しのぶさん達に聞いた訳でも無いのだが。
そんな庭で他の人達が来るのを手持ち無沙汰気味に辺りの景色を見ながら待っていると。
「久しいな、鳴上少年! 上弦の弐の鬼を君が撃退したと聞いた時は驚いたぞ。
怪我なども無い様で何よりだ」
一度聞けば忘れる事は無い様な、そんなハキハキとした元気な声が聞こえた。
顔を上げたそこに居たのはやはり煉獄さんで。手紙のやり取りは何度かしているものの、こうして直接顔を合わせるのは一か月半以上振りであった。
視力を喪った左眼を覆う様にシンプルな黒い眼帯を付けている事以外は、特に変わりは無い様であった。
「こうしてお会いするのはお久しぶりです、煉獄さん。
千寿郎くんやお父さんはお元気ですか?」
「ああ、二人とも元気だとも。
父は竈門少年のお陰か、最近は以前と比べて酒を断って再び鍛錬する様になってな。
それもあって千寿郎も明るい顔をする事が増えたし、本当に君や竈門少年には感謝しているんだ。
千寿郎が是非ともまた会ってお礼がしたいと言っているので、今度是非とも家に来てくれ」
上弦の参との戦いの後で煉獄さんが目覚めて直ぐに蝶屋敷にお見舞いに駆け付けた千寿郎くんが、煉獄さんそっくりなその顔で、本当にもうビックリする位に号泣していたのを思い出す。
たった一人の大事な兄上を助けてくれてありがとう、と。自分が出来る事なら何でもお礼をするから、と。
そんな事を涙声で言いながら手を握って何度も何度も感謝するその姿は、忘れる事など出来そうに無い位に強く記憶に残っている。後に煉獄さんが手紙でポツポツと教えてくれたのだが、どうやら煉獄さんのお父さんは、奥さんを亡くした影響や酷く心を折る様な何かが在った結果、酒に溺れ次第に無気力になっていったらしい。
千寿郎くんが物心付いた辺りからは既にそんな状態で。その為、煉獄さんと千寿郎くんは普通の兄弟以上にお互いを大切にして支え合って来たのだと言う。
そんな中で、上弦の参との戦いで煉獄さんが死に掛けたと言う事があれば、それは取り乱す程に泣いても不思議では無い事なのだろう。煉獄さん自身上弦の参と戦っている時は自分の命を擲つ覚悟であったらしいが、一命を取り留めた後ではやはり遺してしまう事になり掛けた家族の事を想ったそうだ。
兄弟でお互いに大切に想い合っている事がよく分かる。
本当に、煉獄さんを助ける事が出来て良かった。
「ええ、是非。俺も千寿郎くんにまた会いたいです」
そうやって暫く煉獄さんと話をしていると、他の人達も次々にやって来る。
炭治郎の記憶の中で顔は見た事があった水柱の冨岡さん、一緒に任務に行った事はまだ無いけれど何度も会った事のある悲鳴嶼さんが大体同じタイミングでやって来て、それから少し後にしのぶさんが来る。
その後にやって来た人たちは全く知らない人ばかりで、誰が誰なのかは分からない。
恐らく桜色の可愛らしい髪色の女性が、恋柱を務める甘露寺さんなのだろうけれど。他は誰が誰なのかさっぱりだ。あ、よく見れば玄弥に顔立ちが似ている人が居る。彼が、玄弥のお兄さんである風柱の不死川実弥さんだろうか。
しかし互いに挨拶する様な暇も無く、九人全員が揃った辺りで「お館様」がその場に現れた。
その場に居る全員が揃って膝を突いて頭を下げる。
悲鳴嶼さんが挨拶の口上を述べた。どうやら、この口上は誰が言うのかはこれと言って決まっていない様だ。
「よく来てくれたね、私の可愛い剣士 たち。
さて今日ここに集まって貰ったのは、知っての通り、上弦の弐の鬼を此処に居る悠が撃退する事に成功したからだ。
悠、その時の事を、出来る限り詳細に教えて欲しい」
良いかな? とそう訊ねて来た「お館様」に、勿論と頷く。
そして、あの時の戦いで覚えている限りの事を、語った。
「俺がその場に辿り着いた時、胡蝶さんは左の肺を酷く傷付けられ気を喪い、栗花落さんがそれを庇っている状況でした。
恐らく、後ほんの数瞬辿り着くのが遅ければ、二人とも上弦の弐の鬼に殺されていたでしょう。
あの鬼は、それ程に危険な相手でした。
鬼の武器は、己の血鬼術で氷から作り出した一対の扇です。扇の強度はかなり高く破壊を狙うのはあまり容易では無いと思われますし、破壊したとしても数秒もせずに再生されます。
この扇を動かしながら、氷の血鬼術を使うのが上弦の弐の鬼の戦い方でした。
また、この鬼の非常に厄介な点として、その周囲や攻撃には常に血鬼術による極めて細かい氷の粒が舞っています。これを吸い込むと、肺が凍り付き壊死してしまう様です。『呼吸』を前提に戦う剣士にとって、極めて危険な鬼だと、そう思います。
その血鬼術は氷に関するものという関連はありますが、極めて多岐に渡りました。
一瞬で蓮華状の氷の結晶を周囲に展開し斬り裂くと同時に凍り付かせる血鬼術。
蓮華状の氷から鋭い氷の蔓を凄まじい速さで操る血鬼術。
吸い込むだけで肺を殺す冷気と氷の粒を扇ぐ様に広範囲に撒き散らす血鬼術。
二つの扇で斬り刻みながら同時にその軌道上に沿う様に鋭く婉曲した氷柱を作り出す血鬼術。
女性の様な氷像を両側に展開し、広範囲を一気に冷気で凍結させる血鬼術。
一瞬で上空に数十程の巨大な氷柱を作り出し、それを落とすと同時に細かく砕かれた氷で呼吸を阻害する血鬼術。
蓮華状の氷を扇で一度に細かく砕き撒き散らして、広範囲を細かく斬り刻みながら凍り付かせる血鬼術。
一瞬の内に氷で出来た巨大な菩薩像の様なものを作り出して、圧倒的な冷気と共にその質量を活かして叩き潰そうとしてくる血鬼術。
そして……直前に阻止したので効果に関しては推測によるものになりますが。恐らく上弦の弐の鬼自身と同等の戦闘能力を持った分身様の氷像を作り出す血鬼術も持つ様です。俺が戦った時には七体程同時に展開させていたので、最低でも七体は一度に操作出来るのでしょう。
そう言った様々な血鬼術に加えて、尋常では無い再生能力と、恐るべき膂力と速さを兼ね備えている鬼でした。
具体的な戦闘の流れとしては、所持していたものは日輪刀ではありませんが十回以上は頸を落とし、手足に関しては数十回程は斬り落としました。ですがそれで隙を作れたのは精々数秒が限界でしたね。
灰も残さない程の火力で一気に燃やそうとしたのですが、どうやらその血鬼術でギリギリの所で防がれてしまい骨だけは焼き残してしまいました。骨だけの状態からほんの数十秒で回復されています。が、その血鬼術に関しては炎が極めて有効であり、鬼が作り出した分身も菩薩像も全部溶かせる様です。火を放てる状況下で戦えるかは分かりませんが、上弦の弐と戦うのであれば可能なら火の気はあった方が良いかと。
最終的に、鬼を氷で閉じ込めて足止めをしてから、一気に消し飛ばそうとしたのですが……。
僅かな隙を突かれて、消し飛ばし損ねた頭部のほんの一部を鬼舞辻無惨に回収されてしまいました」
ゆっくりとではあるが、その長い報告を最後まで話し終えるまで、誰も何も言わなかったし身動きもしなかった。
報告書に記載した事とあまり変わらない事ではあるが、何か参考になったのなら良いのだけれども。
上弦の弐との戦いに関して報告出来る事は以上だ、と。そう締めると。その瞬間、物凄く何かを言いたそうな複数の視線を感じた。
だがそれは更に続きを促した「お館様」の言葉によって遮られる。
「悠は鬼舞辻無惨の手の内を見たんだったね。どう言うものであったか、報告してくれるかい?」
「上弦の弐の鬼を完全に消し去るその寸前に、琵琶か何かの弦楽器の音が響くと同時に、突然鬼の欠片が落ちて行く軌道上に、忽然と障子が現れました。そしてその障子が開いた先に在ったのは、全く違う景色でした。
上下も左右滅茶苦茶になった歪んだ空間に無数に立ち並ぶ部屋の数々、とでも言うべき異質な空間です。
そしてその奥に、不快の極みとしか言えない程の醜悪極まりない気配が蠢いていたのを感じました。恐らくあの気配は鬼舞辻無惨のものです。
その琵琶の音と共に空間の繋がりを操る血鬼術が鬼舞辻無惨自身の力によるものなのか、それとも配下の鬼によるものなのかは分かりませんでしたが……。
恐らく、鬼舞辻無惨にとっての『根城』とでも言うべき場所が、あの歪な空間です。
そして、あの瞬間に上弦の弐の鬼を回収出来たと言う事は、鬼舞辻無惨は何時でも好きな時好きな場所に上弦の鬼を送り込めてしまうのだと思います。
その為、今後上弦の鬼と戦っている際には、更なる上弦の鬼の乱入を警戒する必要があるかと」
報告する内に、それが本当に由々しき状況である事を改めて認識してしまう。
上弦の鬼の乱入も大問題だが、それと同じ位に、鬼舞辻無惨の巣食う異空間に乗り込む手段も或いはそこから鬼舞辻無惨を引き摺り出す方法が今の所分からないのが最大の問題だ。
穴熊戦法を取られると、手も足も出せなくなってしまう。
もしそうなった場合、何か鬼舞辻無惨にとっても無視出来ない様なもので釣って誘き出すしかないのだろうか。
上弦の鬼を回収しようとしたその際に、全力で『明けの明星』などの広域破壊と大量破壊向けの力をその障子の向こうの空間に叩き込む……と言う方法も考え付くが。しかし恐ろしい程広大であるのだろうその異空間を、幾ら『明けの明星』でも一回で破壊し尽くせるのかは少し難しいのかもしれない。
『幾万の真言』であれば不可能では無いと思うが、「伊邪那岐大神」は確かに自分の中に居るし何だったら常に力を発揮していてくれているのは分かるのだが、何故か顕現させる事はおろか、その能力を十全に発揮する事は出来ないらしく『幾万の真言』を使う事は現状不可能である様だった。
鬼舞辻無惨の根城の事を話し終えると、騒めきの様な声が柱の人達から零れる。
……確か、鬼舞辻無惨の痕跡は驚く程に少なく、直接鬼舞辻無惨を認識して今も生きているのは珠世さんの外には炭治郎だけなのであったか。その詳細が一切不明であった鬼舞辻無惨の根城を、一瞬垣間見ただけとは言え見る事が出来たのは本当に貴重な情報になったのだろう。
「ありがとう、そしてよくやってくれたね、悠。
君が成した事は、ここ百年変わる事の無かった状況に大きな石を投じてくれた。
この『波紋』はやがては鬼舞辻無惨そのものにも迫る事になるだろう。
君は、『兆し』の一つであるのかもしれないね」
そう言って、「お館様」は微笑んだ。
……以前に会った時よりも、更にその身体は弱っている様に感じる。
それでもその苦しみを噯にも出さないその姿は、鬼舞辻無惨を倒すと言う強い執念に溢れていた。
本来はこの世界に存在しない筈の自分が一体どんな『兆し』になるのかと思うが、しかし在り得べからざる者であってもここに確かに存在している以上、やれる限りの事をやるだけだ。
大事に思うものが、何時の間にか沢山増えてしまっているのだから。
そんな皆の為に、出来る事をしたい。ただそれだけである。
「俺が『兆し』であるのかは分かりませんが、鬼舞辻無惨を倒す為にも、出来る限りの事をするまでです」
報告するべき事は全て報告したと思うので、柱では無い自分はそろそろ此処を去った方が良いのだろうか。
しかし、付近に隠の人達の姿は見えない。
どうしたら良いのだろう。
「……上弦の弐を撃退した事は確かな様だが、一体どうやってそんな派手な事をやってのけたんだ?」
正直こう言った畏まった場での振舞い方と言うものが分からなくて、どうすれば失礼にならずにこの場を去れるのだろうかと考えていると。その考えを遮るかの様に上弦の弐の鬼の話をしている時に物凄く何か言いたそうだった、かなり大柄な男性がそう訊ねてくる。
発言しても良いのだろうか? と「お館様」の方を見ると、彼は微笑みながらそっと頷く。
「えっと、俺には血鬼術みたいな……と言うよりは、『神降ろし』の真似事と言った方が良いのかもしれない力があって、それを使って、です」
まだ心理学などの概念が定着していないこの時代ではペルソナ能力を正しく説明するのは物凄く難しくて。
しかしこのまま「血鬼術みたいな力」で押し通す事もそろそろ限界かと思い、新たな表現として『神降ろし』と言うものを思い付いた。まあ、正しくはそれそのものでは無いが、実際人が想う『神』の力をペルソナが持っている事は事実であるし、「神」その物すら時に凌駕し得るものでもある。
この世界に於いては確実に理の外側にあるのだろうその力を、より正しく表現出来る方法は思い付かなかった。
……この世界に『神様』が本当に居るのかどうかは正直分からない。
「『神』? 本当にそんなものがこの世に存在するのか?
それが本当に存在するとして、どうしてお前にその力が使えるんだ?」
「俺がやっているのはあくまでも『神降ろしモドキ』なので、本当にこの世に神様が居るのかどうかは正直分からないです……。何故出来るのかと言われても、出来るのでとしか言い様が無くて……」
ペルソナの力をどうして使えるのかと言われれば、イザナミの後押しがあったと言うのも大きいが、単に素養の問題としか言えなかった。
正直自分自身でも、普通に平凡に生きていた筈なのにワイルドの素質などが存在した事に未だに驚いている。
「実際に今ここでその力を使ってみせる事は出来るのか? お前の発言には信用するに足るものが無い。
『神』なんてそんな都合の良いものは存在しないし、それが力を貸す事など有り得ないだろう」
首元に白蛇を巻き付かせているやや小柄な男性がそう言う。
何処と無くネチネチとしたものを感じるが、まあ彼の発言も御尤もだ。
突然「神」がどうこう言い出したら、自分だってその人の正気をちょっと疑うだろうから。
とは言え、今ここで何か力を使えと言われても、かなり困る。
こんな場所で何かを壊したりするのは物凄く気が引けるし、流石に駄目だろう。
誰かをわざと攻撃するなんて、最初から考えたくも無い。
柱の人達の視線が自分に集中するのを感じる。
強いて言えばしのぶさんと煉獄さんは既にどんな力なのか知っているからか、あまり好奇心を剥き出しにした感じでは無いが。一体どうするのかに関しては興味がある様だ。
誰か怪我をしている人がこの場に居れば、それを目の前で治す事でその証明にならないだろうか?
と、そう思って周りを見渡すと。微笑んでいる「お館様」と視線が合った気がした。
「あの、すみません。『お館様』が良ければ、になるのですが。
『お館様』に力を使ってみても、良いですか……?
勿論、何か害になる様なものじゃなくて、蝶屋敷で隊士の人達を治している時に使うものと同じ力を」
最初に此処で「お館様」と会った時に比べれば随分と力は戻ってきているけれど、それでも本調子とは言い難くて。恐らく、「お館様」のその身体の全てを治しきるには至らないだろうけれど。
今なら、多少はマシな状態に出来るのではと思うのだ。
「お館様」はその申し出に少し考える様な顔をして、「いいよ、悠の好きにやりなさい」と許可を出してくれる。
得体の知れない力を「お館様」に向けると言う事で、以前からの面識の無い柱の人達の何人かは殺意に近い感情を向けてきたが、それは他ならぬ「お館様」が諫めてくれた。
「みんな、心配しなくても大丈夫だよ。
悠は、その力で既に上弦の参と戦った杏寿郎の命を救い、そして上弦の弐と戦ったしのぶの命も救っている。
彼がみんなの危惧する様な事はしないと、私が保証しよう」
縁側に上がる失礼を一言詫びて、そして「お館様」の前に座る。
その横に控える小さな女の子たちに、「大丈夫だよ」と安心して貰える様に微笑んでから、一言断ってから「お館様」の手を取った。
その身を長く病魔に侵されているからかその手の力はかなり弱々しくて、だがその奥に秘めた強い執念がその身を動かしているのだと肌で感じさせる。
一度大きく息をして、そして限界まで集中した。
深く、深く。心の海の底からその力のありったけを注ぎ込む様に。
どうかその身を蝕む痛みが少しでも癒される様に、と。
「──メシアライザー……!」
自分のありったけを注ぎ込もうと気を張り過ぎていた為なのか、煉獄さんやしのぶさんを助けた時以上の大きな力が引き摺り出される。
そしてそれと同時に、今日はまだ何の力も使っていなかった筈なのに、意識は朦朧となり真っ白に塗り潰されてゆく。
そして、上弦の弐と戦った時以来の事だが、完全に意識が何処かへ途切れてしまった。
◆◆◆◆◆
「おい、もう柱合会議は終わったぞ」
身体を軽く揺すられて、目が覚めた。
身を起こして周囲を見渡すと、柱の人達が全員覗き込んでいて、一体何事かと驚いてしまう。
どうやら上質な和室の一室に寝かされている様であるが……。
しかし、何故?
確か、……力を証明する為に、「お館様」に『メシアライザー』を使って……。しかしその後の記憶は無い。
成る程、一切の加減なく力を使った為、どうやら気を喪っていた様だ。
暫く寝ていたからなのか、今はすっかり元気になっている。
しかし、「お館様」は一体どうなったのだろう……。
「あの、『お館様』のお身体はどの様に……?」
多分、全部を癒す事は出来ていない。手を握った時に、「無理」だとはっきりと分かってしまった。
でも少しはマシになっていると思いたいのだけれども……。
「お館様は、随分と楽になったと仰っていらっしゃいましたよ。
近頃は殆ど歩く事が出来なくなっていたそうですが、今はちゃんと自分の足で歩ける、と」
そう言ってしのぶさんは「頑張りましたね」と、頭を撫でてくる。ちょっと気恥ずかしい。
どの程度良くなったのかはあまり実感は湧かないが、少なくとも多少はマシに出来た様だ。
それが分かれば十分だった。
「それは良かったです。少しでも『お館様』に恩をお返し出来たなら……」
どんな医者にも匙を投げられてしまっていた「お館様」を、完治こそ出来ずとも確かに癒してみせた事によって、どうやら面識が無かった柱の人達も信じてくれる気になったらしい。
とは言えそうなると逆に、その力で一体何が出来るのかと言う質問のオンパレードになってしまってそれはそれで大変な事になった。
特に、「派手」が口癖であるらしい音柱の宇髄天元さんと、あまり周囲の事に関心がある様には見えなかったが鬼殺に関しては物凄く興味があるらしい霞柱の時任無一郎くん、そしてやっぱり玄弥ととても顔が似ている風柱の不死川実弥さんはかなり興味があるらしくて、色々と質問攻めに遭う事になった。
白蛇を連れている蛇柱の伊黒尾芭内さんはと言うと観察に徹する事にしたらしくじっとこっちを見ているだけだし、恋柱の甘露寺蜜璃さんは何だか可愛らしい感じにくるくると表情を変えている。
炭治郎の恩人であり兄弟子に当たるという水柱の冨岡義勇さんは、「無」の様な目で何処かを見ていた。
悲鳴嶼さんは「お館様」の体調が僅かにでも良くなった事が嬉しいのか、「南無阿弥陀仏……」と唱えながらも嬉しそうな涙を流して。煉獄さんは何時もの様子で、しのぶさんは少し心配そうな顔をしていた。
一度手合わせをしてみたいだなんて声も上がったので、それには断固として首を横に振った。
力試しみたいなものなのだとは分かっているが、人にこんな力を向けてはいけない。
ペルソナの力を使って全力で戦って良いのは、マーガレットさんみたいな人相手の時だけだと思う。
この力は、人を傷付ける為のものでは無い。少なくとも自分にとってはそうだ。
そもそも、よっぽどの事が無いと、「戦い」に意識が切り替わらなくてペルソナの力をまともに使えないと思う。
今の自分に出来る事を大体説明し終わって、柱の人達の質問攻めを答えられる限りどうにか捌き切った頃には、そろそろ日が沈みそうになっていた。
鬼殺の時間が迫っている事で、その場は一旦解散となる。
また何処かで柱の人に呼び出されるのかもしれないけれど……まあその時はその時だ。
自分も蝶屋敷に帰るなり、何処かに任務に向かうなりしようと、その場を離れようとしたその時。
突然後ろから肩を掴まれた
敵意は無いその行動に反応が一瞬遅れてしまい、それに驚いて見上げると。
肩を掴んでいたのは音柱の宇髄さんだった。
「よお、ちょっと付き合って貰いたい任務があるんだが、大丈夫か?」
何やら真剣な表情のそれを断る理由など特には無くて。勿論だ、と頷いた。
◆◆◆◆◆
上弦の弐の鬼と戦ってから、凡そ三週間が過ぎた。
しのぶさんもすっかり元気になって、今まで通りに任務や蝶屋敷で治療に当たっている。
しのぶさんの『復讐』に協力する事を決めた以上やるべき事や確かめなくてはならない事は多いが、しかしその『復讐の時』はまだ少し先の事になりそうだ。
上弦の弐の仕業と思わしき被害が出た際には最優先で情報と依頼を回してくれる様にと、「お館様」にお願いはしたのだが、今の所それらしき報告は一切無いらしい。
まだ回復し切れていないのか、それとも完全に影に隠れて人を襲っているのかは分からないが……。
どうであるにせよ、情報が無いなら動きようが無かった。
だが良い事もあった。しのぶさんの『復讐』に関しては、カナヲも協力してくれる事になったのだ。
カナヲとしてもカナエさんの仇を討ちたいと言う気持ちはあるらしいし、しのぶさんを傷付けて殺しかけたあの鬼の事を赦せないし、何よりもそんなクソみたいな鬼の為にしのぶさんが命を捧げる覚悟だった事が心の底から赦せなかったらしい。
その為、しのぶさんが死ななくていい『復讐』なら、寧ろ喜んで手を貸したいとの事だった。
……しのぶさんは、カナエさんを喪ってからずっと、少しずつ毒を飲み自分自身の身体全てを鬼にとっての猛毒状態にして、態と喰われる事によって鬼を毒で殺すつもりだったらしい。
……結果として、瀕死だったしのぶさんを助ける為に使った『メシアライザー』がその溜め込んだ毒諸共しのぶさんを健康な状態にまで戻してしまったから、今はその様な毒爆弾とでも言うべき捨て身の戦法は取れないらしいが……。
正直、その復讐方法を打ち明けられた時、今目の前でしのぶさんが生きているのは分かっているのに、抱き縋る様にして泣いてしまった。カナヲもショックを隠せない顔でしのぶさんに抱き着いて泣いていたので同じ気持であったのだろう。
しのぶさんの覚悟や努力を踏み躙ったに等しい行為であった事には本当に申し訳無さしか感じ無いが、それと同時にその様な復讐を阻止する事が出来て本当に良かったと、そう心から思ってしまった。
心から生きていて欲しい人が、そんな風に目の前で死んでしまったら本当に耐えられなかっただろう。
自分は、目の前で大切な誰かを喪う事には本当に弱いのだ。
そうやって色々と準備を進めている中で、珠世さんから手紙が届いた。
どうやら、珠世さんに送った上弦の弐の血はとても役に立っているらしい。更には、玄弥の血も、人を鬼にする過程の解析や鬼を人に戻す際の過程の解明に役立っているとの事だ。このまま上弦の血を集めて行けば、鬼を人に戻す為の薬の開発もかなり現実味を帯びて来るらしい。それは良い事だ。炭治郎たちの役に立てるし、もしかしたら今後無理矢理鬼にされて苦しむ誰かを救う事が出来る様になるのかもしれない。
今度、また何処かで直接会って話がしたいと言うその言葉に快諾して、手紙を届けてくれた茶々丸に返信の手紙を託して見送る。
愈史郎さんの血鬼術によるものだとは分かっているが、鳴いた瞬間に姿が消えて見えると言うのも中々に不思議な光景である。よく気配を探すと微かには感じるので、勘の良い人には見付かってしまうのかもしれないが。
今の所、珠世さんの事情を知らぬそう言った人たちには近付かない様にしているらしい。賢い猫だ。
そして、上弦の弐を撃退した事に関しての臨時の柱合会議が開かれる事になり、そこに自分も当事者として向かう必要が出て来た。
カナヲもあの場に居たのだが、実際に上弦の弐と斬り結んだ者の話を詳しく聞きたいだとか。
一応、ちゃんと仔細な報告書は提出済みなのだけれど、直接話を聞きたいらしい。
前回の柱合会議からはまだ本来の開催間隔の半分程度の時間しか過ぎていないが、まあそれだけ上弦の弐を撃退したと言う事は鬼殺隊にとって重要な事であるのだろう。
本来なら上弦の弐を撃退させて直ぐに緊急の招集を掛けるべきだったのかもしれないが、柱というのは基本的に多忙を極めており、広大な警備区域の巡回任務や強力な鬼の討伐任務が常に組まれている為においそれとは動かせなかったと言う事情もあって、そんな時期になった様だ。
上弦の弐との戦いや鬼の手の内、また上弦の弐を取り逃した際に感じた空間を操る血鬼術についても分かるだけの事を報告して欲しいとの事だ。
上弦の弐を討つのは自分たちの目的ではあるけれど、いつ何時他の人達が上弦の弐と会敵するとも分からない。
正直、上弦の弐の血鬼術と『呼吸』を使う隊士たちとの相性は最悪の一言で、ほぼ初見殺しに近いものであるし、タネが割れた所でそれで勝ち切る事も難しい。
出来得る限り、上弦の弐について詳しく報告する事は極めて重要な事だろう。
煉獄さんが上弦の参と戦った時も今回と同様に、かなり詳細な報告をしてその情報を柱などの間で共有しているそうだ。自分も、何時か上弦の参と戦うかもしれないので、後で煉獄さんにその時の事を訊いてみるのも良いかも知れない。
そうして、鬼殺隊の本部へと向かう為に、朝早くから隠の人達の背で揺られる事になったのだった。
◆◆◆◆◆
鬼殺隊の本部である産屋敷家の屋敷の庭は、相変わらず物凄く綺麗に整えられていた。
玉砂利の一つ一つにお金を掛けているのが分かってしまうが、そこに嫌味の様なものが全く無いのは流石と言うべきなのか。千年以上にも渡って鬼殺隊を指揮して鬼舞辻無惨の討伐の為に戦っているらしい産屋敷家は、所謂名家中の名家と言うやつなのだろう。あまり詳しくは知らないし、しのぶさん達に聞いた訳でも無いのだが。
そんな庭で他の人達が来るのを手持ち無沙汰気味に辺りの景色を見ながら待っていると。
「久しいな、鳴上少年! 上弦の弐の鬼を君が撃退したと聞いた時は驚いたぞ。
怪我なども無い様で何よりだ」
一度聞けば忘れる事は無い様な、そんなハキハキとした元気な声が聞こえた。
顔を上げたそこに居たのはやはり煉獄さんで。手紙のやり取りは何度かしているものの、こうして直接顔を合わせるのは一か月半以上振りであった。
視力を喪った左眼を覆う様にシンプルな黒い眼帯を付けている事以外は、特に変わりは無い様であった。
「こうしてお会いするのはお久しぶりです、煉獄さん。
千寿郎くんやお父さんはお元気ですか?」
「ああ、二人とも元気だとも。
父は竈門少年のお陰か、最近は以前と比べて酒を断って再び鍛錬する様になってな。
それもあって千寿郎も明るい顔をする事が増えたし、本当に君や竈門少年には感謝しているんだ。
千寿郎が是非ともまた会ってお礼がしたいと言っているので、今度是非とも家に来てくれ」
上弦の参との戦いの後で煉獄さんが目覚めて直ぐに蝶屋敷にお見舞いに駆け付けた千寿郎くんが、煉獄さんそっくりなその顔で、本当にもうビックリする位に号泣していたのを思い出す。
たった一人の大事な兄上を助けてくれてありがとう、と。自分が出来る事なら何でもお礼をするから、と。
そんな事を涙声で言いながら手を握って何度も何度も感謝するその姿は、忘れる事など出来そうに無い位に強く記憶に残っている。後に煉獄さんが手紙でポツポツと教えてくれたのだが、どうやら煉獄さんのお父さんは、奥さんを亡くした影響や酷く心を折る様な何かが在った結果、酒に溺れ次第に無気力になっていったらしい。
千寿郎くんが物心付いた辺りからは既にそんな状態で。その為、煉獄さんと千寿郎くんは普通の兄弟以上にお互いを大切にして支え合って来たのだと言う。
そんな中で、上弦の参との戦いで煉獄さんが死に掛けたと言う事があれば、それは取り乱す程に泣いても不思議では無い事なのだろう。煉獄さん自身上弦の参と戦っている時は自分の命を擲つ覚悟であったらしいが、一命を取り留めた後ではやはり遺してしまう事になり掛けた家族の事を想ったそうだ。
兄弟でお互いに大切に想い合っている事がよく分かる。
本当に、煉獄さんを助ける事が出来て良かった。
「ええ、是非。俺も千寿郎くんにまた会いたいです」
そうやって暫く煉獄さんと話をしていると、他の人達も次々にやって来る。
炭治郎の記憶の中で顔は見た事があった水柱の冨岡さん、一緒に任務に行った事はまだ無いけれど何度も会った事のある悲鳴嶼さんが大体同じタイミングでやって来て、それから少し後にしのぶさんが来る。
その後にやって来た人たちは全く知らない人ばかりで、誰が誰なのかは分からない。
恐らく桜色の可愛らしい髪色の女性が、恋柱を務める甘露寺さんなのだろうけれど。他は誰が誰なのかさっぱりだ。あ、よく見れば玄弥に顔立ちが似ている人が居る。彼が、玄弥のお兄さんである風柱の不死川実弥さんだろうか。
しかし互いに挨拶する様な暇も無く、九人全員が揃った辺りで「お館様」がその場に現れた。
その場に居る全員が揃って膝を突いて頭を下げる。
悲鳴嶼さんが挨拶の口上を述べた。どうやら、この口上は誰が言うのかはこれと言って決まっていない様だ。
「よく来てくれたね、私の可愛い
さて今日ここに集まって貰ったのは、知っての通り、上弦の弐の鬼を此処に居る悠が撃退する事に成功したからだ。
悠、その時の事を、出来る限り詳細に教えて欲しい」
良いかな? とそう訊ねて来た「お館様」に、勿論と頷く。
そして、あの時の戦いで覚えている限りの事を、語った。
「俺がその場に辿り着いた時、胡蝶さんは左の肺を酷く傷付けられ気を喪い、栗花落さんがそれを庇っている状況でした。
恐らく、後ほんの数瞬辿り着くのが遅ければ、二人とも上弦の弐の鬼に殺されていたでしょう。
あの鬼は、それ程に危険な相手でした。
鬼の武器は、己の血鬼術で氷から作り出した一対の扇です。扇の強度はかなり高く破壊を狙うのはあまり容易では無いと思われますし、破壊したとしても数秒もせずに再生されます。
この扇を動かしながら、氷の血鬼術を使うのが上弦の弐の鬼の戦い方でした。
また、この鬼の非常に厄介な点として、その周囲や攻撃には常に血鬼術による極めて細かい氷の粒が舞っています。これを吸い込むと、肺が凍り付き壊死してしまう様です。『呼吸』を前提に戦う剣士にとって、極めて危険な鬼だと、そう思います。
その血鬼術は氷に関するものという関連はありますが、極めて多岐に渡りました。
一瞬で蓮華状の氷の結晶を周囲に展開し斬り裂くと同時に凍り付かせる血鬼術。
蓮華状の氷から鋭い氷の蔓を凄まじい速さで操る血鬼術。
吸い込むだけで肺を殺す冷気と氷の粒を扇ぐ様に広範囲に撒き散らす血鬼術。
二つの扇で斬り刻みながら同時にその軌道上に沿う様に鋭く婉曲した氷柱を作り出す血鬼術。
女性の様な氷像を両側に展開し、広範囲を一気に冷気で凍結させる血鬼術。
一瞬で上空に数十程の巨大な氷柱を作り出し、それを落とすと同時に細かく砕かれた氷で呼吸を阻害する血鬼術。
蓮華状の氷を扇で一度に細かく砕き撒き散らして、広範囲を細かく斬り刻みながら凍り付かせる血鬼術。
一瞬の内に氷で出来た巨大な菩薩像の様なものを作り出して、圧倒的な冷気と共にその質量を活かして叩き潰そうとしてくる血鬼術。
そして……直前に阻止したので効果に関しては推測によるものになりますが。恐らく上弦の弐の鬼自身と同等の戦闘能力を持った分身様の氷像を作り出す血鬼術も持つ様です。俺が戦った時には七体程同時に展開させていたので、最低でも七体は一度に操作出来るのでしょう。
そう言った様々な血鬼術に加えて、尋常では無い再生能力と、恐るべき膂力と速さを兼ね備えている鬼でした。
具体的な戦闘の流れとしては、所持していたものは日輪刀ではありませんが十回以上は頸を落とし、手足に関しては数十回程は斬り落としました。ですがそれで隙を作れたのは精々数秒が限界でしたね。
灰も残さない程の火力で一気に燃やそうとしたのですが、どうやらその血鬼術でギリギリの所で防がれてしまい骨だけは焼き残してしまいました。骨だけの状態からほんの数十秒で回復されています。が、その血鬼術に関しては炎が極めて有効であり、鬼が作り出した分身も菩薩像も全部溶かせる様です。火を放てる状況下で戦えるかは分かりませんが、上弦の弐と戦うのであれば可能なら火の気はあった方が良いかと。
最終的に、鬼を氷で閉じ込めて足止めをしてから、一気に消し飛ばそうとしたのですが……。
僅かな隙を突かれて、消し飛ばし損ねた頭部のほんの一部を鬼舞辻無惨に回収されてしまいました」
ゆっくりとではあるが、その長い報告を最後まで話し終えるまで、誰も何も言わなかったし身動きもしなかった。
報告書に記載した事とあまり変わらない事ではあるが、何か参考になったのなら良いのだけれども。
上弦の弐との戦いに関して報告出来る事は以上だ、と。そう締めると。その瞬間、物凄く何かを言いたそうな複数の視線を感じた。
だがそれは更に続きを促した「お館様」の言葉によって遮られる。
「悠は鬼舞辻無惨の手の内を見たんだったね。どう言うものであったか、報告してくれるかい?」
「上弦の弐の鬼を完全に消し去るその寸前に、琵琶か何かの弦楽器の音が響くと同時に、突然鬼の欠片が落ちて行く軌道上に、忽然と障子が現れました。そしてその障子が開いた先に在ったのは、全く違う景色でした。
上下も左右滅茶苦茶になった歪んだ空間に無数に立ち並ぶ部屋の数々、とでも言うべき異質な空間です。
そしてその奥に、不快の極みとしか言えない程の醜悪極まりない気配が蠢いていたのを感じました。恐らくあの気配は鬼舞辻無惨のものです。
その琵琶の音と共に空間の繋がりを操る血鬼術が鬼舞辻無惨自身の力によるものなのか、それとも配下の鬼によるものなのかは分かりませんでしたが……。
恐らく、鬼舞辻無惨にとっての『根城』とでも言うべき場所が、あの歪な空間です。
そして、あの瞬間に上弦の弐の鬼を回収出来たと言う事は、鬼舞辻無惨は何時でも好きな時好きな場所に上弦の鬼を送り込めてしまうのだと思います。
その為、今後上弦の鬼と戦っている際には、更なる上弦の鬼の乱入を警戒する必要があるかと」
報告する内に、それが本当に由々しき状況である事を改めて認識してしまう。
上弦の鬼の乱入も大問題だが、それと同じ位に、鬼舞辻無惨の巣食う異空間に乗り込む手段も或いはそこから鬼舞辻無惨を引き摺り出す方法が今の所分からないのが最大の問題だ。
穴熊戦法を取られると、手も足も出せなくなってしまう。
もしそうなった場合、何か鬼舞辻無惨にとっても無視出来ない様なもので釣って誘き出すしかないのだろうか。
上弦の鬼を回収しようとしたその際に、全力で『明けの明星』などの広域破壊と大量破壊向けの力をその障子の向こうの空間に叩き込む……と言う方法も考え付くが。しかし恐ろしい程広大であるのだろうその異空間を、幾ら『明けの明星』でも一回で破壊し尽くせるのかは少し難しいのかもしれない。
『幾万の真言』であれば不可能では無いと思うが、「伊邪那岐大神」は確かに自分の中に居るし何だったら常に力を発揮していてくれているのは分かるのだが、何故か顕現させる事はおろか、その能力を十全に発揮する事は出来ないらしく『幾万の真言』を使う事は現状不可能である様だった。
鬼舞辻無惨の根城の事を話し終えると、騒めきの様な声が柱の人達から零れる。
……確か、鬼舞辻無惨の痕跡は驚く程に少なく、直接鬼舞辻無惨を認識して今も生きているのは珠世さんの外には炭治郎だけなのであったか。その詳細が一切不明であった鬼舞辻無惨の根城を、一瞬垣間見ただけとは言え見る事が出来たのは本当に貴重な情報になったのだろう。
「ありがとう、そしてよくやってくれたね、悠。
君が成した事は、ここ百年変わる事の無かった状況に大きな石を投じてくれた。
この『波紋』はやがては鬼舞辻無惨そのものにも迫る事になるだろう。
君は、『兆し』の一つであるのかもしれないね」
そう言って、「お館様」は微笑んだ。
……以前に会った時よりも、更にその身体は弱っている様に感じる。
それでもその苦しみを噯にも出さないその姿は、鬼舞辻無惨を倒すと言う強い執念に溢れていた。
本来はこの世界に存在しない筈の自分が一体どんな『兆し』になるのかと思うが、しかし在り得べからざる者であってもここに確かに存在している以上、やれる限りの事をやるだけだ。
大事に思うものが、何時の間にか沢山増えてしまっているのだから。
そんな皆の為に、出来る事をしたい。ただそれだけである。
「俺が『兆し』であるのかは分かりませんが、鬼舞辻無惨を倒す為にも、出来る限りの事をするまでです」
報告するべき事は全て報告したと思うので、柱では無い自分はそろそろ此処を去った方が良いのだろうか。
しかし、付近に隠の人達の姿は見えない。
どうしたら良いのだろう。
「……上弦の弐を撃退した事は確かな様だが、一体どうやってそんな派手な事をやってのけたんだ?」
正直こう言った畏まった場での振舞い方と言うものが分からなくて、どうすれば失礼にならずにこの場を去れるのだろうかと考えていると。その考えを遮るかの様に上弦の弐の鬼の話をしている時に物凄く何か言いたそうだった、かなり大柄な男性がそう訊ねてくる。
発言しても良いのだろうか? と「お館様」の方を見ると、彼は微笑みながらそっと頷く。
「えっと、俺には血鬼術みたいな……と言うよりは、『神降ろし』の真似事と言った方が良いのかもしれない力があって、それを使って、です」
まだ心理学などの概念が定着していないこの時代ではペルソナ能力を正しく説明するのは物凄く難しくて。
しかしこのまま「血鬼術みたいな力」で押し通す事もそろそろ限界かと思い、新たな表現として『神降ろし』と言うものを思い付いた。まあ、正しくはそれそのものでは無いが、実際人が想う『神』の力をペルソナが持っている事は事実であるし、「神」その物すら時に凌駕し得るものでもある。
この世界に於いては確実に理の外側にあるのだろうその力を、より正しく表現出来る方法は思い付かなかった。
……この世界に『神様』が本当に居るのかどうかは正直分からない。
「『神』? 本当にそんなものがこの世に存在するのか?
それが本当に存在するとして、どうしてお前にその力が使えるんだ?」
「俺がやっているのはあくまでも『神降ろしモドキ』なので、本当にこの世に神様が居るのかどうかは正直分からないです……。何故出来るのかと言われても、出来るのでとしか言い様が無くて……」
ペルソナの力をどうして使えるのかと言われれば、イザナミの後押しがあったと言うのも大きいが、単に素養の問題としか言えなかった。
正直自分自身でも、普通に平凡に生きていた筈なのにワイルドの素質などが存在した事に未だに驚いている。
「実際に今ここでその力を使ってみせる事は出来るのか? お前の発言には信用するに足るものが無い。
『神』なんてそんな都合の良いものは存在しないし、それが力を貸す事など有り得ないだろう」
首元に白蛇を巻き付かせているやや小柄な男性がそう言う。
何処と無くネチネチとしたものを感じるが、まあ彼の発言も御尤もだ。
突然「神」がどうこう言い出したら、自分だってその人の正気をちょっと疑うだろうから。
とは言え、今ここで何か力を使えと言われても、かなり困る。
こんな場所で何かを壊したりするのは物凄く気が引けるし、流石に駄目だろう。
誰かをわざと攻撃するなんて、最初から考えたくも無い。
柱の人達の視線が自分に集中するのを感じる。
強いて言えばしのぶさんと煉獄さんは既にどんな力なのか知っているからか、あまり好奇心を剥き出しにした感じでは無いが。一体どうするのかに関しては興味がある様だ。
誰か怪我をしている人がこの場に居れば、それを目の前で治す事でその証明にならないだろうか?
と、そう思って周りを見渡すと。微笑んでいる「お館様」と視線が合った気がした。
「あの、すみません。『お館様』が良ければ、になるのですが。
『お館様』に力を使ってみても、良いですか……?
勿論、何か害になる様なものじゃなくて、蝶屋敷で隊士の人達を治している時に使うものと同じ力を」
最初に此処で「お館様」と会った時に比べれば随分と力は戻ってきているけれど、それでも本調子とは言い難くて。恐らく、「お館様」のその身体の全てを治しきるには至らないだろうけれど。
今なら、多少はマシな状態に出来るのではと思うのだ。
「お館様」はその申し出に少し考える様な顔をして、「いいよ、悠の好きにやりなさい」と許可を出してくれる。
得体の知れない力を「お館様」に向けると言う事で、以前からの面識の無い柱の人達の何人かは殺意に近い感情を向けてきたが、それは他ならぬ「お館様」が諫めてくれた。
「みんな、心配しなくても大丈夫だよ。
悠は、その力で既に上弦の参と戦った杏寿郎の命を救い、そして上弦の弐と戦ったしのぶの命も救っている。
彼がみんなの危惧する様な事はしないと、私が保証しよう」
縁側に上がる失礼を一言詫びて、そして「お館様」の前に座る。
その横に控える小さな女の子たちに、「大丈夫だよ」と安心して貰える様に微笑んでから、一言断ってから「お館様」の手を取った。
その身を長く病魔に侵されているからかその手の力はかなり弱々しくて、だがその奥に秘めた強い執念がその身を動かしているのだと肌で感じさせる。
一度大きく息をして、そして限界まで集中した。
深く、深く。心の海の底からその力のありったけを注ぎ込む様に。
どうかその身を蝕む痛みが少しでも癒される様に、と。
「──メシアライザー……!」
自分のありったけを注ぎ込もうと気を張り過ぎていた為なのか、煉獄さんやしのぶさんを助けた時以上の大きな力が引き摺り出される。
そしてそれと同時に、今日はまだ何の力も使っていなかった筈なのに、意識は朦朧となり真っ白に塗り潰されてゆく。
そして、上弦の弐と戦った時以来の事だが、完全に意識が何処かへ途切れてしまった。
◆◆◆◆◆
「おい、もう柱合会議は終わったぞ」
身体を軽く揺すられて、目が覚めた。
身を起こして周囲を見渡すと、柱の人達が全員覗き込んでいて、一体何事かと驚いてしまう。
どうやら上質な和室の一室に寝かされている様であるが……。
しかし、何故?
確か、……力を証明する為に、「お館様」に『メシアライザー』を使って……。しかしその後の記憶は無い。
成る程、一切の加減なく力を使った為、どうやら気を喪っていた様だ。
暫く寝ていたからなのか、今はすっかり元気になっている。
しかし、「お館様」は一体どうなったのだろう……。
「あの、『お館様』のお身体はどの様に……?」
多分、全部を癒す事は出来ていない。手を握った時に、「無理」だとはっきりと分かってしまった。
でも少しはマシになっていると思いたいのだけれども……。
「お館様は、随分と楽になったと仰っていらっしゃいましたよ。
近頃は殆ど歩く事が出来なくなっていたそうですが、今はちゃんと自分の足で歩ける、と」
そう言ってしのぶさんは「頑張りましたね」と、頭を撫でてくる。ちょっと気恥ずかしい。
どの程度良くなったのかはあまり実感は湧かないが、少なくとも多少はマシに出来た様だ。
それが分かれば十分だった。
「それは良かったです。少しでも『お館様』に恩をお返し出来たなら……」
どんな医者にも匙を投げられてしまっていた「お館様」を、完治こそ出来ずとも確かに癒してみせた事によって、どうやら面識が無かった柱の人達も信じてくれる気になったらしい。
とは言えそうなると逆に、その力で一体何が出来るのかと言う質問のオンパレードになってしまってそれはそれで大変な事になった。
特に、「派手」が口癖であるらしい音柱の宇髄天元さんと、あまり周囲の事に関心がある様には見えなかったが鬼殺に関しては物凄く興味があるらしい霞柱の時任無一郎くん、そしてやっぱり玄弥ととても顔が似ている風柱の不死川実弥さんはかなり興味があるらしくて、色々と質問攻めに遭う事になった。
白蛇を連れている蛇柱の伊黒尾芭内さんはと言うと観察に徹する事にしたらしくじっとこっちを見ているだけだし、恋柱の甘露寺蜜璃さんは何だか可愛らしい感じにくるくると表情を変えている。
炭治郎の恩人であり兄弟子に当たるという水柱の冨岡義勇さんは、「無」の様な目で何処かを見ていた。
悲鳴嶼さんは「お館様」の体調が僅かにでも良くなった事が嬉しいのか、「南無阿弥陀仏……」と唱えながらも嬉しそうな涙を流して。煉獄さんは何時もの様子で、しのぶさんは少し心配そうな顔をしていた。
一度手合わせをしてみたいだなんて声も上がったので、それには断固として首を横に振った。
力試しみたいなものなのだとは分かっているが、人にこんな力を向けてはいけない。
ペルソナの力を使って全力で戦って良いのは、マーガレットさんみたいな人相手の時だけだと思う。
この力は、人を傷付ける為のものでは無い。少なくとも自分にとってはそうだ。
そもそも、よっぽどの事が無いと、「戦い」に意識が切り替わらなくてペルソナの力をまともに使えないと思う。
今の自分に出来る事を大体説明し終わって、柱の人達の質問攻めを答えられる限りどうにか捌き切った頃には、そろそろ日が沈みそうになっていた。
鬼殺の時間が迫っている事で、その場は一旦解散となる。
また何処かで柱の人に呼び出されるのかもしれないけれど……まあその時はその時だ。
自分も蝶屋敷に帰るなり、何処かに任務に向かうなりしようと、その場を離れようとしたその時。
突然後ろから肩を掴まれた
敵意は無いその行動に反応が一瞬遅れてしまい、それに驚いて見上げると。
肩を掴んでいたのは音柱の宇髄さんだった。
「よお、ちょっと付き合って貰いたい任務があるんだが、大丈夫か?」
何やら真剣な表情のそれを断る理由など特には無くて。勿論だ、と頷いた。
◆◆◆◆◆