第三章 【偽りの天上楽土】
◆◆◆◆◆
揺蕩う様な心地から目を開けると、そこは何処までも蒼い空間だった。
蝶屋敷で眠っていた筈なのに、何時の間にか柔らかな椅子に腰かけていて。
ゆったり寛げるがそう広くは無い空間は、何処と無く洋風に感じる。
集中するとこの空間自体が何処かに移動しているのが分かるので、これは何かの乗り物なのだろうか。
移動の基本は徒歩であり、つい最近生まれて初めて列車に乗った自分には、この空間が一体何なのか分からない。
そしてふと気が付くと、自分に向き合う様にして誰かが向かいの椅子に座っていた。
「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。
また会ったと言うべきなのか、それとも初めましてと言うべきなのかは分からないけれど。
こうやって此処を訪れたのも何かの縁だ、歓迎しよう。
ようこそ、ベルベットルームへ。
さて……自分の名前は分かるか?」
そう言われて、自分が誰だったかを意識する。
普段なら意識なんてしなくても答えられる事なのだろうけれど。
しかしどうしてかその答えはスッとは出て来ない。
何処か酷く曖昧で掴み処の無いものであるかの様だった。
自分、自分は……。
「竈門……炭治郎、です」
そう答えた時、急に意識はハッキリと形を結ぶ。
そして、目の前に居る人が、見覚えがある者である事にも気付いた。
「そうか、此処でそうやって名を答えられると言う事は、本当に強いんだな。炭治郎は。
此処は本来の意味でのベルベットルームでは無くて俺の記憶を基に形作られた場所だし、そもそも俺はベルベットルームの主では無いけれど、まあ寛いでくれると嬉しい」
何時もと殆ど変わらない様に見える彼は、しかし唯一その瞳の色だけが違う。
何処か人間離れした金色の瞳は普段の彼と同じく至って穏やかなもので、しかし何処と無く「違う」気がする。
「あの。悠さん、ですよね?」
「……俺は『鳴上悠』ではあるけれど、炭治郎の知っている鳴上悠その物ではない。
『鳴上悠』の心の影、無意識と意識の狭間に在る側面。それが形を得たもの。心の力その物。
それが今ここに居る俺だ。
『鳴上悠』ではあるからそう呼んで貰っても良いけれど、敢えて別の名にするなら『イザナギ』と呼んで貰うべきかもしれない」
好きに呼んでくれ、と言われて。どうするか迷ったが、彼を『鳴上さん』と呼ぶ事で区別する事にした。
『鳴上さん』と呼ぶと、彼は嬉しそうに微笑んで頷く。
そして、改めて『鳴上さん』に此処が何処であるのかを訊ねた。
「此処は、炭治郎にとっては夢の中だ。俺にとっては、『鳴上悠』の心に広がる『心の海』の一部だな。
客人が来たからこそこうしてベルベットルームの形をとっているが、別にその形に定まっている訳じゃない。
本来なら此処に誰かが来ると言う事は先ず無いけれど……今の『俺』の状態は夢現の境がかなり曖昧になっている状態だし、炭治郎とはあの夢を見せる鬼の影響でかなり深い場所で心の領域が接したから、恐らく此処に辿り着いたんだろう。
鬼が見せた夢から炭治郎が目覚める直前に、一瞬だけここに迷い込んで来た時には少し驚いた」
その時は本当に一瞬だったから覚えてはいないだろうけど、と。そう『鳴上さん』は静かに微笑む。
よく思い返してみれば、ほんの一瞬鮮やかなまでの蒼を垣間見た気がするが……しかしそれ以上の事は思い出せなかった。
「こうして此処に来てくれたからには、炭治郎の未来を占うのがこのベルベットルームの『作法』と言うやつなのかもしれないが、生憎と俺は占卜の類には疎くて……。
だからと言ってはなんだけれど、折角ここまで来てくれたんだ、話をしよう。
此処は夢現の狭間。此処での出来事の大半は、目覚めた時には思い出す事は出来ない事だから、現実では中々言えなかった事や聞けなかった事も存分に言ってくれ」
そう言われても、急には思い付かなくて。しかし、『鳴上さん』は急かす様な事も無く、話しだすまでをゆっくりと待っていてくれる。
色々と考えて、『鳴上さん』が一体どんな戦いをしてきたのかを訊ねる事にした。
「どんな戦い……か。文字通り、心が生み出す怪物との戦い、と言うべきだな。
人の心の苦しみが生み出した怪物とも戦ったし、神話の中に出て来る様な怪物とも戦ったし、それこそ神様みたいな存在とも戦った。
人の無意識の願いに応える為に、世界そのものを滅ぼす結果になる様な事をしようとしていた神様を止めた。
表の俺は忘れているけれど、時を操る死神と戦った事もあった」
心の力に神々の力を降ろす様にして戦わなければ到底太刀打ち出来ない様な、そんな文字通りに理の外側に在る様な存在と戦い続けて来たのだと、そう『鳴上さん』は言う。
正直、全く想像が付かない戦いだった。
ただ、鬼との戦いともまた違う、命懸けの戦いである事は分かった。
悠さんの力が「心の力」であると言うのならば、自分にもその力を得る事が出来るだろうか、と訊ねてみると。『鳴上さん』はゆっくりとその首を横に振った。
「いや、この世界には人々の無意識が集まり揺蕩う『心の海』自体はあるが、その力を具現化する理は無い。
だから、炭治郎にその資質を示す程の強さがあるのだとしても……それを得る事は出来ないんだ」
『鳴上さん』の様な力があれば、鬼舞辻無惨と戦う為にももっと力になれるのに、と。
少しばかり残念に思ったが、『鳴上さん』は寧ろそれは良い事なのだと言う。
「確かにこの力は強い、それで助かった事も誰かを守れた事も多い。
だが……この力は決して良いだけのものじゃない。寧ろ、とても危険なものだ。
この世界はそうでは無いけれど、俺が本来居るべき世界では心の世界が時に現実の世界に干渉してしまうんだ。
だから人々の無意識の在り方次第では、世界そのものが滅びてしまいかねない様な事態が起こってしまうし、実際それで何度も世界は滅びの瀬戸際に立たされている。
死に触れる人々の無意識が絶対なる原初の『死』を呼び起こしてしまった様に、或いは現実から目を背けようとする心が混迷の霧を生み出して現実と虚構の境を喪わせかけた様に、無秩序に拡大する噂が妄想と現実の境を壊し世界の滅びを決定付けようとしてしまった様に……。
その度に心の力を具現化して戦う者達がその脅威と戦ってきたし、きっとこれから先もそうやって戦う誰かが現れるのだけれど。……ただ、この力は必要が無いなら持たない方が良い類の力だ。
力があれば否応無しに、人々の無意識が与える『試練』に向き合う事になる。
自分一人でその結果を背負えるならまだ良いが……。
自分の選択一つで世界が滅びてしまうのは、決して幸せな事では無い。
そして、素質があったが故に、人々の無意識の化身に翻弄されその人生を強制的に捧げさせられる事もある。
『試練』と称して、苛烈なまでの『現実』と『真実』を押し付けられ強制的に向き合わねばならない事もある。
……だが、この世界ではそうでは無い。
悲劇は何処にでも在るし、幸せが壊れてしまう瞬間は何時だって隣り合わせに存在するし、鬼舞辻無惨の様な人々の悪意以上の醜悪な存在も居るが。
それでも、人々の無意識によって人生を喰い荒らされる事は無い」
ならそちらの方が良いのだ、と。そう『鳴上さん』は言う。
人々の心次第で世界自体が滅びてしまう、と言うのは規模が大き過ぎる話であり、全く想像が付かない。
千年以上もの間人々を踏み躙って来た鬼舞辻無惨が齎した被害ですら、世界を滅ぼすだのと言った様な事にはならないのだ。……そんな前代未聞の規模の事態が何度も発生する上に、しかも人々の心が原因であると言うのであれば、その根本の部分を解決する事は不可能に近いのではないだろうか。
賽の河原で崩れかける石の塔を延々と補修する様なものだ。
そんな終わりの無い戦いに、悠さんは巻き込まれていたのか。
「……そんな顔をしなくても大丈夫だ。
確かに、良い事ばかりでは無かったし、辛い事も苦しい事も沢山あった旅路ではあったが。
それでも、掛け替えの無い大切なものも手に入れる事が出来た戦いだった。
あの戦いを誰もが経験するべきだとは全く思わないけど、でも俺に取っては大切な戦いだったんだ」
そう言ってそっと目を閉じて微笑むその表情に、嘘は無い。
だから、それ以上は何も言えなかった。
その為、今度は別の事を訊ねる。
「あの、『鳴上さん』が本来居るべき世界、ってどう言う意味なんですか?」
そう訊ねられた『鳴上さん』は、どう答えたものか……と言わんばかりの顔をして暫し考えた。
「……そう言えば、表の俺は言っていなかったんだったな。
俺は、本来は炭治郎の生きる世界の住人では無い。
もっと別の、そこに存在する理も違う世界から、夢を通して迷い込んで来た。
今の俺は、ずっと邯鄲の夢を見ている様なものだ」
異なる世界から来た、と言われて。信じられない事である筈なのに、どうしてか納得してしまう。
ここが自分にとっても夢の中であるからなのだろうか。
夢の中と言うものは、不思議な事が起こっても「ああそうなのか」で受け入れてしまう何かがある。
「悠さんが夢を見ていると言う事は、何時かは醒めてしまうって事ですか?
もし夢から醒めたら悠さんは……」
「炭治郎たちの世界からは消えるな。……死ぬ訳では無いが、炭治郎たちにとっては同じ様な事かもしれない。
だけど、今日明日にも夢から醒める、なんて事は無いから安心してくれ。
少なくとも炭治郎と交わした約束を果たすまでは……鬼舞辻無惨を倒すまでは夢を見続けるだろうから」
そう言って、『鳴上さん』は優しく微笑む。だが、その微笑みに、違うのだと首を横に振った。
悠さんが何時かは居なくなってしまうのだと言う事を知って。そうやって帰った先はきっと悠さんにとって大切な人たちが待つ場所なのだろうと言う事も分かった上で。それでもどうしてか「寂しい」と感じてしまった。
行かないで欲しいと、そう引き留められる訳では無いのに。
その時、意識はゆったりとまた別の何処かへと向かおうとし始めた。
『鳴上さん』とはまだ話さなくてはならない気がするのに、しかし眠りに落ちる寸前の様な億劫さには抗えない。
「此処は夢だ。だから起きた時にはここで話した事は忘れてしまっているだろう。
だからまあ……出来ればあまり気にしないでくれ。
また会う事があれば、もっと別の話をしよう」
「何時か、また」と、そんな『鳴上さん』の声を最後に。
意識は完全に途絶えた。
◆◆◆◆◆
揺蕩う様な心地を、以前何処かで感じていた気がすると思い出しながら目を開けると。
そこは何処までも蒼い世界であった。
「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間……。
俺の心の海へようこそ、炭治郎。また会ったな、歓迎しよう」
そうやって声を掛けて来たのは、『鳴上さん』だ。
こうして彼を目の前にすると、思い出せなかった記憶が蘇って来る。
この場所で『鳴上さん』と話す夢を見てから、もう一月以上が経っていた。
目覚めている間はどうやらこの蒼い場所での記憶を思い出せない様で、こうして再びこの場所を訪れて初めて『鳴上さん』と話した事を思い出す。
「お久しぶりです、『鳴上さん』」
『鳴上さん』は前と同じく悠さんと同様の優しい目で歓迎してくれているが、どうしてかそこに僅かな「不安」にも似た感情が揺れている。どうしたのかと訊ねてみると。
「いや……俺なりに、此処で何か炭治郎たちの役に立てる事は無いのかと考えていてな。
実は、ほんのついさっき俺は上弦の弐の鬼と戦ったのだけど……」
予想外の『鳴上さん』の言葉に、思わず驚きの声でその言葉の続きを遮ってしまう。
だって、上弦の弐だなんて。
上弦の鬼と言われて思い出すのが、無限列車を止めた後に現れた上弦の参の鬼の事だ。
煉獄さんがその身命を賭しても夜明けを前に撤退させる事が精一杯であった、恐るべき相手。
それよりも更に強い鬼と、悠さんが戦ったのだと言う。
驚かずには居られなかった。
今は蝶屋敷から離れた場所で指令を受けているので、悠さんがどうなっているのかを直ぐ様確かめる事は出来ない。
だからこそ、心配でならなかった。
「悠さんは無事なんですか!?」
「ああ、大丈夫だ。ちょっと限界まで頑張った所為で気を喪ったが五体満足でぴんぴんしているし、一緒に任務に当たった者達にも大きな負傷者は居ない。
ただ……後一歩と言う所で、上弦の弐の鬼をほんの僅かな欠片であったが鬼舞辻無惨の介入の所為で取り逃がしてしまってな。それが、どうしても引っ掛かるんだ。
今回は取り逃しただけで済んだと言えるが……。最悪の場合、上弦の鬼との戦いの際中に、鬼舞辻無惨は別の上弦の鬼を乱入させて来る可能性がある。
上弦の弐の鬼と戦って分かったが、もし今の炭治郎が上弦の弐……ではなくても上弦程の鬼とまともに戦ったら。恐らく勝ち目は全く無い。それどころか、ほんの数秒命を繋ぐ事も難しいかもしれない。
その場に柱が居た場合でも……上弦の鬼を二体三体と送り込まれれば、どうにも出来ないだろう。
……確か、炭治郎は鬼舞辻無惨に狙われているんだったよな?」
厳しい事を淡々と言う『鳴上さん』の言葉が示唆する「可能性」の恐ろしさに呑まれつつも頷くと。
『鳴上さん』は、深い溜息を吐いて、「そうか……」と呟く。
「なら益々のこと、炭治郎はもっと強くなる必要があるな……。
勝つ為だけでなく、生き残る為にも。
……。これをするのは、あまり気は進まなかったが。
炭治郎、強くなりたいか? 強くなる為に、物凄く苦しい目に遭う覚悟はあるか?」
一体何をするつもりなのかは分からないが。
あまりにも真剣な眼差しでそう訊ねてくる『鳴上さん』に、気圧されそうになりながらもゆっくりと頷く。
強くなりたい。強くならねばならないのだ。
禰豆子を守る為にも、そして鬼舞辻無惨を倒す為にも。
どんな事をしてでも、強くならねばならない。
「……何をするのかも聞かずに頷くのは、正直止めた方が良いと思うぞ。
だが、その覚悟は確かに受け取った。
じゃあ、この手を取ってくれ」
そう言って『鳴上さん』が差し出したその手を、躊躇わずに掴む。
『鳴上さん』からは、騙そうだとか苦しめようだなんて匂いは欠片も感じなかった事もそれを後押しする。
そして、『鳴上さん』の手を取った瞬間。
辺りの光景が一変した。
そこは何処か途轍も無く広い場所で、見上げた空は何処までも遠く深い蒼に染まっている。
そして何時の間にか、自分の手には日輪刀が握られていた。
一体此処は何処で、これから何をしようとしているのかと、そう思っていると。
手を握っていた『鳴上さん』がその手を静かに離すと同時に、説明してくれる。
「此処もさっきの場所と同様に、『鳴上悠の心の海』の一部だ。
鳴上悠の記憶から再現された場所で……此処なら幾らでも遠慮なく暴れ回れる。
……此処が炭治郎にとっては夢の中だと、そう言ったよな?
無限列車で戦った夢の鬼が見せていた夢と同じだ。此処は何処までも現実に近い『夢』だと思ってくれ。
その身体能力も、そして感覚も。全て現実の炭治郎そのままの状態だ。
現実の炭治郎が出来ない事は絶対に出来ないが、逆に言えば現実の炭治郎に出来得る事は全て実現させられる。
そして、此処は『夢』の中だから、幾ら死んだとしても本当に死ぬ事は無い。更に、あの鬼の夢とは違って死んだからと言って目覚める訳では無い。現実の炭治郎が目を覚ますまでは、延々と戦い続けられる場所だ」
まさに修羅の場所だな、と。『鳴上さん』はそう言って、少しばかり悲しそうな顔をする。
自分に出来るのがこれしかないのが、悔しいと。そんな匂いを感じた。
「傷を負えば現実と同様に痛み、死ぬ時の苦しみも同様だ。だが、死ぬ事は出来ない。
完全に死んだら一旦仕切り直しにはなるが、しかしその痛みと恐怖の記憶は無くならないだろう。
……今から俺は、炭治郎に一種の『稽古』を付けようと思う。……『試練』と言った方が良いかもしれないが。
この『試練』を乗り越えたからと言って、現実の炭治郎の身体が鍛えられる訳では無いし、恐らく記憶に関しても殆ど覚えてはいられないだろう。
だが、炭治郎の魂がそれを覚えている。魂に刻み込むまで、叩き込むからな。
それを明確には思い出せないのだとしても、確かに在った事は『無かった事』にはならない。
いざと言う瞬間に、己の身体の動かし方を識っていると言う事は、必ず炭治郎が生き延びる為の力になる」
自分の身体の限界を無視して延々と修行が出来る環境。それはある意味では、理想的と言っても良い場所である。時間でさえ、『夢』の中であるが故に不確かで。たった一晩の夢でしか無いのだとしても、それが何日にも相当する様な時間に感じる事すら有り得る。
『鳴上さん』がやろうとしてくれている事の価値を理解して、思わず身が震えた。
恐らく、『鳴上さん』が少し悲しそうにしている様に、何度も何度も『夢』で死ぬ事になるのだろうけれど。
しかし、現実の世界で死んでしまう事に比べれば、ずっとマシだ。
「恐らく、この先炭治郎は何度も死ぬだろう。
それも、単に斬り刻まれるとかよりも苦しい死に方をする事も多いと思う。
それでも、何度も死んで、覚えるんだ。『化け物』との戦い方を、その身に刻んでくれ。
本来なら俺が戦った上弦の弐の鬼を記憶から再現して戦うのが一番良いのだろうが、今の炭治郎では一瞬持つかどうかになるからな……。流石に、それは無駄死にの記憶を増やすだけになる。
だからここに慣れる為にも、最初の内は簡単なものと戦ってくれ。
取り敢えず、コイツを直ぐに倒せる位にはならないと、上弦の鬼と戦うなんて不可能だと思って欲しい」
そう言って、『鳴上さん』が指を鳴らした直後に目の前に現れたのは。
見上げる程に大きな、真っ赤な甲虫であった。
小山を相手にしているかの様な大きさに、一瞬自分が蟻の様な大きさにまで縮んでしまったのかと錯覚する。
そして、目の前の甲虫が、今まで戦ってきた鬼たちにも劣らない程の強敵である事も悟った。
これが、簡単……?
「鳴上悠の記憶から再現した『化け物』だ。
本来なら、体力を消耗させ切らなければ倒せないが……今は首を落とせば死ぬ様にはしている。
では頑張ってくれ。健闘を祈る」
『鳴上さん』がそう言った直後。
角を振り被って叩き付けて来たその攻撃を避ける事が出来ずに、即死した。
◆◆◆◆◆
揺蕩う様な心地から目を開けると、そこは何処までも蒼い空間だった。
蝶屋敷で眠っていた筈なのに、何時の間にか柔らかな椅子に腰かけていて。
ゆったり寛げるがそう広くは無い空間は、何処と無く洋風に感じる。
集中するとこの空間自体が何処かに移動しているのが分かるので、これは何かの乗り物なのだろうか。
移動の基本は徒歩であり、つい最近生まれて初めて列車に乗った自分には、この空間が一体何なのか分からない。
そしてふと気が付くと、自分に向き合う様にして誰かが向かいの椅子に座っていた。
「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。
また会ったと言うべきなのか、それとも初めましてと言うべきなのかは分からないけれど。
こうやって此処を訪れたのも何かの縁だ、歓迎しよう。
ようこそ、ベルベットルームへ。
さて……自分の名前は分かるか?」
そう言われて、自分が誰だったかを意識する。
普段なら意識なんてしなくても答えられる事なのだろうけれど。
しかしどうしてかその答えはスッとは出て来ない。
何処か酷く曖昧で掴み処の無いものであるかの様だった。
自分、自分は……。
「竈門……炭治郎、です」
そう答えた時、急に意識はハッキリと形を結ぶ。
そして、目の前に居る人が、見覚えがある者である事にも気付いた。
「そうか、此処でそうやって名を答えられると言う事は、本当に強いんだな。炭治郎は。
此処は本来の意味でのベルベットルームでは無くて俺の記憶を基に形作られた場所だし、そもそも俺はベルベットルームの主では無いけれど、まあ寛いでくれると嬉しい」
何時もと殆ど変わらない様に見える彼は、しかし唯一その瞳の色だけが違う。
何処か人間離れした金色の瞳は普段の彼と同じく至って穏やかなもので、しかし何処と無く「違う」気がする。
「あの。悠さん、ですよね?」
「……俺は『鳴上悠』ではあるけれど、炭治郎の知っている鳴上悠その物ではない。
『鳴上悠』の心の影、無意識と意識の狭間に在る側面。それが形を得たもの。心の力その物。
それが今ここに居る俺だ。
『鳴上悠』ではあるからそう呼んで貰っても良いけれど、敢えて別の名にするなら『イザナギ』と呼んで貰うべきかもしれない」
好きに呼んでくれ、と言われて。どうするか迷ったが、彼を『鳴上さん』と呼ぶ事で区別する事にした。
『鳴上さん』と呼ぶと、彼は嬉しそうに微笑んで頷く。
そして、改めて『鳴上さん』に此処が何処であるのかを訊ねた。
「此処は、炭治郎にとっては夢の中だ。俺にとっては、『鳴上悠』の心に広がる『心の海』の一部だな。
客人が来たからこそこうしてベルベットルームの形をとっているが、別にその形に定まっている訳じゃない。
本来なら此処に誰かが来ると言う事は先ず無いけれど……今の『俺』の状態は夢現の境がかなり曖昧になっている状態だし、炭治郎とはあの夢を見せる鬼の影響でかなり深い場所で心の領域が接したから、恐らく此処に辿り着いたんだろう。
鬼が見せた夢から炭治郎が目覚める直前に、一瞬だけここに迷い込んで来た時には少し驚いた」
その時は本当に一瞬だったから覚えてはいないだろうけど、と。そう『鳴上さん』は静かに微笑む。
よく思い返してみれば、ほんの一瞬鮮やかなまでの蒼を垣間見た気がするが……しかしそれ以上の事は思い出せなかった。
「こうして此処に来てくれたからには、炭治郎の未来を占うのがこのベルベットルームの『作法』と言うやつなのかもしれないが、生憎と俺は占卜の類には疎くて……。
だからと言ってはなんだけれど、折角ここまで来てくれたんだ、話をしよう。
此処は夢現の狭間。此処での出来事の大半は、目覚めた時には思い出す事は出来ない事だから、現実では中々言えなかった事や聞けなかった事も存分に言ってくれ」
そう言われても、急には思い付かなくて。しかし、『鳴上さん』は急かす様な事も無く、話しだすまでをゆっくりと待っていてくれる。
色々と考えて、『鳴上さん』が一体どんな戦いをしてきたのかを訊ねる事にした。
「どんな戦い……か。文字通り、心が生み出す怪物との戦い、と言うべきだな。
人の心の苦しみが生み出した怪物とも戦ったし、神話の中に出て来る様な怪物とも戦ったし、それこそ神様みたいな存在とも戦った。
人の無意識の願いに応える為に、世界そのものを滅ぼす結果になる様な事をしようとしていた神様を止めた。
表の俺は忘れているけれど、時を操る死神と戦った事もあった」
心の力に神々の力を降ろす様にして戦わなければ到底太刀打ち出来ない様な、そんな文字通りに理の外側に在る様な存在と戦い続けて来たのだと、そう『鳴上さん』は言う。
正直、全く想像が付かない戦いだった。
ただ、鬼との戦いともまた違う、命懸けの戦いである事は分かった。
悠さんの力が「心の力」であると言うのならば、自分にもその力を得る事が出来るだろうか、と訊ねてみると。『鳴上さん』はゆっくりとその首を横に振った。
「いや、この世界には人々の無意識が集まり揺蕩う『心の海』自体はあるが、その力を具現化する理は無い。
だから、炭治郎にその資質を示す程の強さがあるのだとしても……それを得る事は出来ないんだ」
『鳴上さん』の様な力があれば、鬼舞辻無惨と戦う為にももっと力になれるのに、と。
少しばかり残念に思ったが、『鳴上さん』は寧ろそれは良い事なのだと言う。
「確かにこの力は強い、それで助かった事も誰かを守れた事も多い。
だが……この力は決して良いだけのものじゃない。寧ろ、とても危険なものだ。
この世界はそうでは無いけれど、俺が本来居るべき世界では心の世界が時に現実の世界に干渉してしまうんだ。
だから人々の無意識の在り方次第では、世界そのものが滅びてしまいかねない様な事態が起こってしまうし、実際それで何度も世界は滅びの瀬戸際に立たされている。
死に触れる人々の無意識が絶対なる原初の『死』を呼び起こしてしまった様に、或いは現実から目を背けようとする心が混迷の霧を生み出して現実と虚構の境を喪わせかけた様に、無秩序に拡大する噂が妄想と現実の境を壊し世界の滅びを決定付けようとしてしまった様に……。
その度に心の力を具現化して戦う者達がその脅威と戦ってきたし、きっとこれから先もそうやって戦う誰かが現れるのだけれど。……ただ、この力は必要が無いなら持たない方が良い類の力だ。
力があれば否応無しに、人々の無意識が与える『試練』に向き合う事になる。
自分一人でその結果を背負えるならまだ良いが……。
自分の選択一つで世界が滅びてしまうのは、決して幸せな事では無い。
そして、素質があったが故に、人々の無意識の化身に翻弄されその人生を強制的に捧げさせられる事もある。
『試練』と称して、苛烈なまでの『現実』と『真実』を押し付けられ強制的に向き合わねばならない事もある。
……だが、この世界ではそうでは無い。
悲劇は何処にでも在るし、幸せが壊れてしまう瞬間は何時だって隣り合わせに存在するし、鬼舞辻無惨の様な人々の悪意以上の醜悪な存在も居るが。
それでも、人々の無意識によって人生を喰い荒らされる事は無い」
ならそちらの方が良いのだ、と。そう『鳴上さん』は言う。
人々の心次第で世界自体が滅びてしまう、と言うのは規模が大き過ぎる話であり、全く想像が付かない。
千年以上もの間人々を踏み躙って来た鬼舞辻無惨が齎した被害ですら、世界を滅ぼすだのと言った様な事にはならないのだ。……そんな前代未聞の規模の事態が何度も発生する上に、しかも人々の心が原因であると言うのであれば、その根本の部分を解決する事は不可能に近いのではないだろうか。
賽の河原で崩れかける石の塔を延々と補修する様なものだ。
そんな終わりの無い戦いに、悠さんは巻き込まれていたのか。
「……そんな顔をしなくても大丈夫だ。
確かに、良い事ばかりでは無かったし、辛い事も苦しい事も沢山あった旅路ではあったが。
それでも、掛け替えの無い大切なものも手に入れる事が出来た戦いだった。
あの戦いを誰もが経験するべきだとは全く思わないけど、でも俺に取っては大切な戦いだったんだ」
そう言ってそっと目を閉じて微笑むその表情に、嘘は無い。
だから、それ以上は何も言えなかった。
その為、今度は別の事を訊ねる。
「あの、『鳴上さん』が本来居るべき世界、ってどう言う意味なんですか?」
そう訊ねられた『鳴上さん』は、どう答えたものか……と言わんばかりの顔をして暫し考えた。
「……そう言えば、表の俺は言っていなかったんだったな。
俺は、本来は炭治郎の生きる世界の住人では無い。
もっと別の、そこに存在する理も違う世界から、夢を通して迷い込んで来た。
今の俺は、ずっと邯鄲の夢を見ている様なものだ」
異なる世界から来た、と言われて。信じられない事である筈なのに、どうしてか納得してしまう。
ここが自分にとっても夢の中であるからなのだろうか。
夢の中と言うものは、不思議な事が起こっても「ああそうなのか」で受け入れてしまう何かがある。
「悠さんが夢を見ていると言う事は、何時かは醒めてしまうって事ですか?
もし夢から醒めたら悠さんは……」
「炭治郎たちの世界からは消えるな。……死ぬ訳では無いが、炭治郎たちにとっては同じ様な事かもしれない。
だけど、今日明日にも夢から醒める、なんて事は無いから安心してくれ。
少なくとも炭治郎と交わした約束を果たすまでは……鬼舞辻無惨を倒すまでは夢を見続けるだろうから」
そう言って、『鳴上さん』は優しく微笑む。だが、その微笑みに、違うのだと首を横に振った。
悠さんが何時かは居なくなってしまうのだと言う事を知って。そうやって帰った先はきっと悠さんにとって大切な人たちが待つ場所なのだろうと言う事も分かった上で。それでもどうしてか「寂しい」と感じてしまった。
行かないで欲しいと、そう引き留められる訳では無いのに。
その時、意識はゆったりとまた別の何処かへと向かおうとし始めた。
『鳴上さん』とはまだ話さなくてはならない気がするのに、しかし眠りに落ちる寸前の様な億劫さには抗えない。
「此処は夢だ。だから起きた時にはここで話した事は忘れてしまっているだろう。
だからまあ……出来ればあまり気にしないでくれ。
また会う事があれば、もっと別の話をしよう」
「何時か、また」と、そんな『鳴上さん』の声を最後に。
意識は完全に途絶えた。
◆◆◆◆◆
揺蕩う様な心地を、以前何処かで感じていた気がすると思い出しながら目を開けると。
そこは何処までも蒼い世界であった。
「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間……。
俺の心の海へようこそ、炭治郎。また会ったな、歓迎しよう」
そうやって声を掛けて来たのは、『鳴上さん』だ。
こうして彼を目の前にすると、思い出せなかった記憶が蘇って来る。
この場所で『鳴上さん』と話す夢を見てから、もう一月以上が経っていた。
目覚めている間はどうやらこの蒼い場所での記憶を思い出せない様で、こうして再びこの場所を訪れて初めて『鳴上さん』と話した事を思い出す。
「お久しぶりです、『鳴上さん』」
『鳴上さん』は前と同じく悠さんと同様の優しい目で歓迎してくれているが、どうしてかそこに僅かな「不安」にも似た感情が揺れている。どうしたのかと訊ねてみると。
「いや……俺なりに、此処で何か炭治郎たちの役に立てる事は無いのかと考えていてな。
実は、ほんのついさっき俺は上弦の弐の鬼と戦ったのだけど……」
予想外の『鳴上さん』の言葉に、思わず驚きの声でその言葉の続きを遮ってしまう。
だって、上弦の弐だなんて。
上弦の鬼と言われて思い出すのが、無限列車を止めた後に現れた上弦の参の鬼の事だ。
煉獄さんがその身命を賭しても夜明けを前に撤退させる事が精一杯であった、恐るべき相手。
それよりも更に強い鬼と、悠さんが戦ったのだと言う。
驚かずには居られなかった。
今は蝶屋敷から離れた場所で指令を受けているので、悠さんがどうなっているのかを直ぐ様確かめる事は出来ない。
だからこそ、心配でならなかった。
「悠さんは無事なんですか!?」
「ああ、大丈夫だ。ちょっと限界まで頑張った所為で気を喪ったが五体満足でぴんぴんしているし、一緒に任務に当たった者達にも大きな負傷者は居ない。
ただ……後一歩と言う所で、上弦の弐の鬼をほんの僅かな欠片であったが鬼舞辻無惨の介入の所為で取り逃がしてしまってな。それが、どうしても引っ掛かるんだ。
今回は取り逃しただけで済んだと言えるが……。最悪の場合、上弦の鬼との戦いの際中に、鬼舞辻無惨は別の上弦の鬼を乱入させて来る可能性がある。
上弦の弐の鬼と戦って分かったが、もし今の炭治郎が上弦の弐……ではなくても上弦程の鬼とまともに戦ったら。恐らく勝ち目は全く無い。それどころか、ほんの数秒命を繋ぐ事も難しいかもしれない。
その場に柱が居た場合でも……上弦の鬼を二体三体と送り込まれれば、どうにも出来ないだろう。
……確か、炭治郎は鬼舞辻無惨に狙われているんだったよな?」
厳しい事を淡々と言う『鳴上さん』の言葉が示唆する「可能性」の恐ろしさに呑まれつつも頷くと。
『鳴上さん』は、深い溜息を吐いて、「そうか……」と呟く。
「なら益々のこと、炭治郎はもっと強くなる必要があるな……。
勝つ為だけでなく、生き残る為にも。
……。これをするのは、あまり気は進まなかったが。
炭治郎、強くなりたいか? 強くなる為に、物凄く苦しい目に遭う覚悟はあるか?」
一体何をするつもりなのかは分からないが。
あまりにも真剣な眼差しでそう訊ねてくる『鳴上さん』に、気圧されそうになりながらもゆっくりと頷く。
強くなりたい。強くならねばならないのだ。
禰豆子を守る為にも、そして鬼舞辻無惨を倒す為にも。
どんな事をしてでも、強くならねばならない。
「……何をするのかも聞かずに頷くのは、正直止めた方が良いと思うぞ。
だが、その覚悟は確かに受け取った。
じゃあ、この手を取ってくれ」
そう言って『鳴上さん』が差し出したその手を、躊躇わずに掴む。
『鳴上さん』からは、騙そうだとか苦しめようだなんて匂いは欠片も感じなかった事もそれを後押しする。
そして、『鳴上さん』の手を取った瞬間。
辺りの光景が一変した。
そこは何処か途轍も無く広い場所で、見上げた空は何処までも遠く深い蒼に染まっている。
そして何時の間にか、自分の手には日輪刀が握られていた。
一体此処は何処で、これから何をしようとしているのかと、そう思っていると。
手を握っていた『鳴上さん』がその手を静かに離すと同時に、説明してくれる。
「此処もさっきの場所と同様に、『鳴上悠の心の海』の一部だ。
鳴上悠の記憶から再現された場所で……此処なら幾らでも遠慮なく暴れ回れる。
……此処が炭治郎にとっては夢の中だと、そう言ったよな?
無限列車で戦った夢の鬼が見せていた夢と同じだ。此処は何処までも現実に近い『夢』だと思ってくれ。
その身体能力も、そして感覚も。全て現実の炭治郎そのままの状態だ。
現実の炭治郎が出来ない事は絶対に出来ないが、逆に言えば現実の炭治郎に出来得る事は全て実現させられる。
そして、此処は『夢』の中だから、幾ら死んだとしても本当に死ぬ事は無い。更に、あの鬼の夢とは違って死んだからと言って目覚める訳では無い。現実の炭治郎が目を覚ますまでは、延々と戦い続けられる場所だ」
まさに修羅の場所だな、と。『鳴上さん』はそう言って、少しばかり悲しそうな顔をする。
自分に出来るのがこれしかないのが、悔しいと。そんな匂いを感じた。
「傷を負えば現実と同様に痛み、死ぬ時の苦しみも同様だ。だが、死ぬ事は出来ない。
完全に死んだら一旦仕切り直しにはなるが、しかしその痛みと恐怖の記憶は無くならないだろう。
……今から俺は、炭治郎に一種の『稽古』を付けようと思う。……『試練』と言った方が良いかもしれないが。
この『試練』を乗り越えたからと言って、現実の炭治郎の身体が鍛えられる訳では無いし、恐らく記憶に関しても殆ど覚えてはいられないだろう。
だが、炭治郎の魂がそれを覚えている。魂に刻み込むまで、叩き込むからな。
それを明確には思い出せないのだとしても、確かに在った事は『無かった事』にはならない。
いざと言う瞬間に、己の身体の動かし方を識っていると言う事は、必ず炭治郎が生き延びる為の力になる」
自分の身体の限界を無視して延々と修行が出来る環境。それはある意味では、理想的と言っても良い場所である。時間でさえ、『夢』の中であるが故に不確かで。たった一晩の夢でしか無いのだとしても、それが何日にも相当する様な時間に感じる事すら有り得る。
『鳴上さん』がやろうとしてくれている事の価値を理解して、思わず身が震えた。
恐らく、『鳴上さん』が少し悲しそうにしている様に、何度も何度も『夢』で死ぬ事になるのだろうけれど。
しかし、現実の世界で死んでしまう事に比べれば、ずっとマシだ。
「恐らく、この先炭治郎は何度も死ぬだろう。
それも、単に斬り刻まれるとかよりも苦しい死に方をする事も多いと思う。
それでも、何度も死んで、覚えるんだ。『化け物』との戦い方を、その身に刻んでくれ。
本来なら俺が戦った上弦の弐の鬼を記憶から再現して戦うのが一番良いのだろうが、今の炭治郎では一瞬持つかどうかになるからな……。流石に、それは無駄死にの記憶を増やすだけになる。
だからここに慣れる為にも、最初の内は簡単なものと戦ってくれ。
取り敢えず、コイツを直ぐに倒せる位にはならないと、上弦の鬼と戦うなんて不可能だと思って欲しい」
そう言って、『鳴上さん』が指を鳴らした直後に目の前に現れたのは。
見上げる程に大きな、真っ赤な甲虫であった。
小山を相手にしているかの様な大きさに、一瞬自分が蟻の様な大きさにまで縮んでしまったのかと錯覚する。
そして、目の前の甲虫が、今まで戦ってきた鬼たちにも劣らない程の強敵である事も悟った。
これが、簡単……?
「鳴上悠の記憶から再現した『化け物』だ。
本来なら、体力を消耗させ切らなければ倒せないが……今は首を落とせば死ぬ様にはしている。
では頑張ってくれ。健闘を祈る」
『鳴上さん』がそう言った直後。
角を振り被って叩き付けて来たその攻撃を避ける事が出来ずに、即死した。
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