このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第三章 【偽りの天上楽土】

◆◆◆◆◆






 無限列車での任務が終わって一月が経った。
 左眼を失明してしまった煉獄さんは目覚めて早々に鍛錬を開始して、既に大分片目の状態に慣れて来たらしい。
 今は煉獄さんの実家で鍛錬中なのだが、恐らく心配させない様にとの心遣いからかそこそこの頻度で煉獄さんの鎹鴉が煉獄さんの様子を教えてくれる。もう少ししたら、柱としての任務にも復帰出来そうとの事であった。
 蝶屋敷にまでお見舞いに来た煉獄さんの弟さんの千寿郎くんには思わず戸惑う程に号泣されながら感謝され、実家に居るらしい煉獄さんのお父さんからも簡素ながらも感謝の意を示す手紙が送られてきて。
 煉獄さんの家族から煉獄さんを喪わせる事が無くて本当に良かったと、心からそう思う。
 煉獄さんの命を繋ぐ為に無理を押し通した代償の様に【正義】に属するペルソナの力を使えなくなってしまったが、一抹の寂しさはありながらも後悔はしていなかった。
 煉獄さんとの間に揺るぐ事の無い確かな絆が満たされたと言う実感もあったし、何より大切な人の命に代えられるものなどありはしない。それに、力を使えなくなっただけでその存在が消えてしまった訳では無いと言うのも分かるのだ。菜々子との絆が消えてしまったと言う訳では無い。だからそれで良い。
 煉獄さんからは改めて礼をしたいから是非とも煉獄家に来てくれと誘われているので、都合が合った時にまた逢いたいものだ。

 更には、炭治郎の紹介で珠世さんと愈史郎さんと言う名の鬼の二人とも会いに行った。
 鬼であるが故に鬼殺隊に追われ、鬼としては鬼舞辻無惨の支配を逃れた「逃れもの」と言う異端の存在であるが故に鬼からも追われ。その為二人は普段は別の場所で身を隠しながら医者として市井に混じる様に生きているらしいのだが、自分に逢う為だけに危険を冒してでも拠点を出て待ち合わせ場所にやって来てくれたらしい。
 鬼だと言う話であり、実際に彼等は鬼ではあったのだが、此方に敵意を向けて来る様な他の鬼たちとは違って嫌な感じは全くしなかった。だから普通に人と同じ様に接していたのだが、それがどうやらかなり意外な反応であったらしく珠世さんには随分と驚かれてしまった。
 珠世さんの事をとても大切にしている愈史郎さんからは随分と警戒されてしまったのだが、自分が決して珠世さんの事を害したりはしない事を誠意を以て示すと段々とその態度も柔らかくなって、別れ際にはちゃんと言葉を交わしてくれる様になった。珠世さんの事が本当に大切なだけで、愈史郎さんも良い人なのだ。
 ペルソナの力を、「ペルソナ」が何であるのかの部分を伏せて「血鬼術みたいな力」と言う体で説明していたからなのか、採血されたり色々と身体の事を調べて貰ったが、ペルソナの力はあくまでも『心の力』なので身体的な部分を調べてもあまり分かった事は無かったらしい。
 自分が持つ力に関して可能な限り説明してみた所、珠世さんたちの関心を一番惹いたのはやはり癒しの力であった。特に、完全に鬼になってしまった相手に対しては何も出来ないが、鬼に成りかけの者……要は鬼舞辻無惨の血肉と言う名の病原体に侵されつつある状態の者に対してはその影響を取り除く力がある事が判明した『アムリタ』には強く興味を惹かれたらしい。
 鬼にされかけている状態の人になんて早々出会う事は無いのでその力を目の前で実演する事は出来なかったが、鬼に成りかける事がある友人は居るので、彼の許可を取る事が出来れば鬼に成りかけの状態の血と鬼の影響を取り除いた後の血を採血させて貰ってそれを珠世さんへ届けても良いのかもしれない。
 別れ際に、愈史郎さんから炭治郎にも渡しているのだと言うお手製の採血用の小刀を何本か譲って貰う。
 十二鬼月に出逢えるのかは最早運であるが、もし出逢う事があれば忘れずにその血を採らなければならない。
 採取した血は、炭治郎の近くに居る茶々丸と言う猫に渡せば、珠世さんの下にまで届けてくれるのだとか。
 普段は愈史郎さんの血鬼術で姿を隠しているらしいが、名を呼ぶと姿を見せてくれるそうだ。
 そう説明されながら顔を見せて貰った茶々丸は、とても愛らしい三毛猫であった。
 珠世さんにとても懐いていて、しかもそう言ったお使いをこなせる程に賢い。非常に可愛い。
 八十稲羽で可愛がっていた猫たちの事を思い出し、暫しの時間茶々丸と戯れさせて貰った。
 今度会った時にもまた撫でて良いか尋ねると、「構わない」とでも言いた気に鳴いてくれたので、十二鬼月の血を渡す時にも存分に撫でさせて貰うつもりだ。

 十二鬼月を倒しその血を手に入れると言う目的は生まれたが、だからと言って急に物事がガラリと変わる訳では無く。任務を受けつつ蝶屋敷で隊士たちの治療に当たる日々は全く変わっていない。
 最近は前よりも力を使った時の消耗が抑えられてきていて、更にその力も自分が知る本来のものへと近付いてきているので、更に多くの人を癒す事が出来る様になった上に治せる範囲も広がって来た。前は浅い傷痕は残してしまっていた様な外傷でも、完全に跡形も無く癒せる様になったのである。
 そうなったのはやはり、様々な人々と交流し、そして絆を深めていったからだろうか。
 そうやって自分に出来る事が増えて行けば、もっと多くの人を助ける事が出来る。
 絆を深めた人たちの力になれるのは、本当に幸せな事だ。自分が何でもかんでも出来る訳では無いのは分かっているが、大切な人達の笑顔と言うものは何にも代え難い幸せなのである。
 それに、特別な程に大切な人達の笑顔は当然として、鬼殺隊の隊士である皆の力になれるのも嬉しい事だ。
 負った傷の痛みに苦しむ人の苦痛に満ちた顔が、それから解放された事への安らぎに変わる時は何時も胸が温かくなるし、手を握った彼等が「ありがとう」と、そう言ってくれるだけで何処までも頑張ろうと思える。
 蝶屋敷や任務の際の交流が切欠で、文通で近況を知らせてくれる人も居る。彼等の鎹鴉とも仲良くなったので、どの鎹鴉が誰の鎹鴉なのかを一目で見分けられる様になったのが最近の密かな自慢だ。
 誰かの為に何かが出来る事、守りたいと思った人たちの力になれる事、大切な人達を笑顔に出来る事。
 自分にとっては、それが何よりも幸せな事なのだ。だからこそ、出来る事が増えるのは幸せな事だった。
 それにもしこのまま力が戻っていけば、もしかすれば「お館様」のあの身体も少しは癒してあげられるかもしれない。それが出来ると言う保証は無いが、それでも一度見たあの姿を忘れる事は出来ず、ずっとあの人に自分が何を出来るのかを考えていたのだが、やはりその呪いの如き病魔に蝕まれた身体を少しでも癒す事が出来るのならそうするべきだと思うのだ。今はまだ少し、力が足りないのが歯痒くもある。

 今朝までに運ばれて来た隊士たちの治療が粗方終わった所で、薬品などの整理でも手伝おうかと廊下を歩いていると、向こうから少しバツが悪そうな顔をしたガタイの良い男が歩いてくるのに気付いた。
 その表情に覚えがあって、思わず仕方が無いなぁ……と苦笑してしまう。

「どうした、玄弥。また鬼を喰ってしまったのか?」

 彼の気配に僅かに混じる鬼の気配を感じ取ってそう声を掛けると。
 玄弥──不死川玄弥は、ビクリと肩を跳ねさせて、益々バツが悪そうな顔で頷く。
 大方、師匠である悲鳴嶼さんに言われて不承不承蝶屋敷に来たのだろう。

 玄弥は、極めて稀な体質であり、どうやら鬼の肉体を喰うと一時的に鬼の能力を得る事が出来るらしい。
 その力に気付いたのは偶然だったそうなのだが、『呼吸』の才が無く鬼の頸を斬れない事に悩んでいた彼は、その力を利用して鬼を狩る様になったのだとか。
 しかし、鬼の血肉をその身体に取り入れる事は危険を伴う。
 まるで人の身を超えた力を得た代償であるかの様に、その体質は徐々に鬼に近付いていく。
 陽光に当たっていれば多少はマシになるとは言え、それでもその影響を完全に取り除く事は出来なくて。
 何時鬼の側へと傾いてしまうとも知れない、かなり危うい状態であった。
 その為、少しでも状況を改善する為に、彼を引き取って弟子にした岩柱の悲鳴嶼さんから蝶屋敷で治療と検査を受ける様にと厳命されて渋々やって来た所に出逢ったのが、玄弥との交流の始まりであった。
 しのぶさんが色々と検査をしたり治療をしても今一つ彼の中に残ってしまっている鬼の影響を除ききる事は出来ず困っていた所に、もしかしてと自分の力を使ってみた所綺麗さっぱりとその影響を取り除く事が出来た。
 その縁があって玄弥は、鬼を喰ってしまった時には必ず蝶屋敷に赴いてその影響を取り除くように、と悲鳴嶼さんとしのぶさんの両名から厳命されたのであった。
『アムリタ』で鬼の影響を取り除けるとは言え、それでも何度も何度も鬼を喰ってしまうのは確実に身体に負担を掛けているし、なんなら健康寿命にもかなり影響してしまうかもしれないので、鬼を喰うのは出来る限り控える様にと毎度毎度説得はしているのだが。
 どうしても果たしたい目的の為に鬼を多く狩って昇進したい玄弥は、中々鬼喰いを止めてくれない。
 それでも、当初の内はストレスから気が立っていて粗野になっていたその言動も、会話を重ねその言葉に耳を傾けている内にすっかり収まって。今は、彼本来の柔らかな優しさを持つ心を見せてくれる様になった。
 玄弥を見ていると、何処と無く完二を思い出す。だからなのか、どうしても親身になってしまうのだ。

「今回の任務の鬼は強くて、銃だけじゃどうしようもなくて……それで……」

 空いていた診察室に通して事情を聴くと、玄弥は身を小さくする様に縮こまってそう言う。
 毎度毎度聞いているその文言に、僅かに溜息を零してしまった。

「俺は、玄弥がちゃんと五体満足で帰って来たのならそれが一番だとは思うけど。
 でも、そんな無茶を何時までも続けられるとは思わない方が良い。
 今は俺の力で戻してやれるけど、俺の力は完全に鬼になってしまった相手には無力なんだ。
 ……俺は、鬼になってしまった玄弥を倒さなければいけなくなるのは、絶対に嫌だ。
 それは、悲鳴嶼さんもしのぶさんも同じ思いだと思う」

 玄弥がここまで鬼を狩る事に拘っているのは、玄弥が柱になりたいと願っているからだ。
 柱になって、現風柱である不死川実弥に逢う。それが、『呼吸』が使えないままに鬼殺隊の隊士を続けている玄弥の行動原理の全てであった。
 何度か「治療」を続けている内に少しずつその心の棘が抜けて来た玄弥が、そっと打ち明けてくれたその切実な願いを、自分は否定する事が出来ない。
 危険だ、無茶だ、このままじゃ死ぬぞ。……玄弥のその行動を止める言葉は、きっと幾らでもあったのだけれど。大切な兄にただ一言謝りたいと言うその純粋なまでの想いを、どうにかして叶えてやりたいと思ってしまう。
 風柱に逢う事自体は、きっと柱にならなくても叶う事の筈なのだけれど。何故か、風柱は弟の存在を頑なに否定して決して逢おうとはしてくれないらしい。その為、柱合会議で必ず顔を合わせなくてはならない柱になれば、兄に逢えるのではないか、と。そう玄弥は思っているのだ。
 ……どうして風柱が玄弥の存在を否定しているのかは分からない。未だ逢った事が無い相手の一人であるし、その言葉や態度の真意が何であるのかを推し量る事は出来なかった。
 ただ、そこにある「真実」が何であれ。今のままの状態では、お互いに何処にも行けないままだろう。
 玄弥は自分の命を削る勢いで無茶を繰り返し続けてしまうだろうし、それは周りがどう言っても止められる様なものでは無い。
 だからこそ、どうにか風柱の真意を確かめつつ、玄弥が無茶を重ねた結果命を落としたりしない様にしなければならない。まあ、風柱の真意を確かめると言うその第一段階が中々難しいのではあるが……。

 早速玄弥に巣食った鬼の影響を消そうとして、そう言えばと、ふと珠世さんの事を思い出す。

「ああ、そうだ玄弥。もしよければで良いんだけれど、鬼の影響を受けた状態と受けていない状態の玄弥の血を少し調べさせて貰っても良いか?」

「え? まあ、悠には世話になってるし、良いけどよ。俺の血なんか一体何に使うんだ?」

「俺の力を使った事で玄弥の中でどう言う変化が起きているのか分れば、もしかしたら鬼にされてしまった人を戻す方法が見付かるかもしれないんだ。
 それ自体に直接繋がる事は無くても、その方法を見付ける切欠になれるかもしれない。
 だから、頼みたいんだ」

 鬼にされてしまった人を、と。そう言うと、玄弥は複雑な表情を浮かべる。
 ……玄弥が兄を追う切欠になったのも、母親が鬼にされてしまい下の弟妹を惨殺されてしまうと言う惨劇が在ったからだと、そう以前玄弥が零した事があった。
 もし、母親が鬼にされた時に、鬼を人に戻す術があれば、と。そうふと考えてしまったのだろうか。
 何処か切なそうにその眼差しを揺らしながら、玄弥は「分かった」と頷いてくれた。
 その事に厚く礼を言って、採血してから玄弥に『アムリタ』を使う。
 その途端、玄弥の中に在った鬼の気配は綺麗さっぱり消え去った。

「じゃあ、後は何時もの様にしのぶさんの診察を受けておいてくれ」

 多分その際にはお説教されるだろうけれど、と付け加えると、玄弥は軽く呻く。
 そんな玄弥の反応を微笑ましく見ていると、ふと玄弥が訊ねてきた。

「なあ、確か悠って呼吸が使えないんだよな」

「そうみたいだ。身体が『呼吸』に適していないらしい。
 使えるだろうかと思って、しのぶさんにちょっと教わって頑張ってみても全く駄目だな。
 正直、肺が潰れるかと思った……」

 正確には、『呼吸』に適していないのではなくて、『呼吸』に適した身体に成れない、と言うべきなのだろう。
 此処が『夢の中』であるからなのか、どうやら自分の身体は此処で目覚めた時から一切変化していない。
 髪も全く伸びないし、どれだけ鍛えてみても変わらない。『呼吸』をしてみた所で、それに適した身体になっていく事が出来ないのだから、自分には『呼吸』を使えないのは間違いが無い。
 まあ、戦う時にはペルソナの力の影響を受けるので、『呼吸』が使えなくても全く問題無いのだけれども。
 逆に言うと、戦っていない時の自分の身体能力は、全集中・常中を修めた人たちとは比べ物にならない。
 しのぶさんに腕相撲勝負を仕掛けたら確実に負ける。

「そうなのか。悠は何でもやれてしまいそうな感じなのにな」

「まさか、俺に出来ない事なんて沢山あるよ」

 流石に、何でも出来ると思われるのは心外である。
 無論、出来る様に努力する事はあるが、その努力が在ったからと言って何でも身に付く訳では無い。
 それでも、出来る事はあるのだし、自分に出来る事で大切な人の力になれればそれで良いのだ。

 そう言うと、玄弥は何かを考え込み、そして少し躊躇いながらも一つのお願いをしてきた。

「なあ、悠。今度俺と一緒に任務に行ってくれないか? 
 もしかしたら、悠の戦い方を見て何か掴めるかもしれねぇ」

「俺と任務を? 分かった、今度鴉にそう伝えておくよ。そうすれば、融通して貰えると思う」

 流石に今から、と言うのは難しいだろうが。希望を伝えておけばその内玄弥との任務を組んで貰えるだろう。
 それから、玄弥とは何時もの様に蝶屋敷の近くある甘味屋で一緒におはぎを食べる。
 鬼の影響が強い時には、玄弥は食事が出来なくなる。鬼が人の食べるものを食べられなくなるのと同じ様に、身体が受け付けないのだと言う。だからこそ、こうして鬼の影響を取り除いた後には、必ず一緒に食事をする事にしている。玄弥に、自分が人である事を大事にして欲しいからだ。
 食事をすると言う事は、生きる事に直結する。
 鬼にとってはその獲物が人間であるのだろうけれど、玄弥は人間だ。人としての食事をして欲しいのだ。
 それを忘れないで欲しいと、何時も思っている。
 別れ際の玄弥の表情は、何時もよりも何処か前向きなものになっていた。

 茶々丸に玄弥の血を持たせて見送って少しすると、鎹鴉が指令を伝えにやって来た。

『時折信者が消えると言う噂の宗教団体がある。鬼が潜伏している可能性がある為、調査に向かえ』、と。






◆◆◆◆◆






 新たな任務が決まったのだが、それはどうやら何時もの任務とは少し毛色が違うものであった。
 曰く、その宗教団体は江戸時代に成立したものであるらしく、その名を『万世極楽教』と言う。
 その成立から現時点で百数十年程経っているらしいが、現代で言う所の『新興宗教』の一種である。
 極楽と付くからには仏教系の新興宗教なのかと思わなくも無いが、そう言う訳では無く、『神の子』である教祖を介して極楽浄土への到達を目指すと言う趣旨のものなのだそうだ。
 とは言え、この『万世極楽教』は積極的に対外的に布教活動をしている訳でも信者を獲得しようとしている訳でも無いらしいので、その仔細は不明な点が多いらしい。『神の子』である教祖と言うのも、そう言う事を漏れ聞いたと言う人伝の情報でしかない。
 現代カルト宗教にありがちな、高額のお布施や寄進の強要などの信者から搾り取る様な仕組みは特には無いらしく、家庭に行き場の無い女子供などが多く流れ着く、ある種の駆け込み寺の様な面もあるらしい。
 信者となった者達は、その総本山である広大な土地を持つ寺院とその中に在る村での共同生活を営んでいる、らしい。……これもあくまでも伝聞だ。
 基本的に寺院の中で慎ましく暮らす彼等が、俗世に出て来る事は滅多に無いと言う。
 ……つまりは、中で誰が消えていたとしても、外の人間は誰も気付く事が無いと言う事である。

 悲しい事だが、「消えても気付かれない人間」と言うのはどの時代でも一定数以上は存在する。
 裏社会に関係する者達であったり、夜の店に関連する人々であったり、或いは帰るべき場所や寄る辺も無く何かに縋るしか無かった人々など。「何時消えてもおかしくない、それ故に探される事も無い者」は少なくない。
 この大正の時代よりも様々な部分が発展した平成の世でも、「見えない人々」は沢山居たのだろう。
 そして、上弦程の強い鬼になるとその知性も高くなる為、人の世に紛れて生きている鬼が居るのではないかとは前から柱たちの間で議題に上がっていたらしい。
 そして、自分達に都合の良い「餌場」を作って何処かで人間を喰い荒らしているのではないかと言われている。
 その為、音柱である宇随天元さんは暫く前から目を付けていた遊郭に潜入調査員を送り込んで鬼が潜んでいないかを探っているそうだ。……遊郭と言えば、確かに「消えても探されない人間」がさぞ多い事だろう。
 そこに鬼が巣食っている可能性は高い。
 そして今回『万世極楽教』に白羽の矢が立ったのも同じ理由である。

 自分達に指令が下る前に『万世極楽教』に先行して潜入して調査していた隊士が数名居たのだが、彼等彼女等は最近消息を絶ってしまった。潜入に気付かれて始末されたか、或いは喰われたか……。調査の過程で彼等の生存が確認されれば最優先で保護せよと命じられているが、その生存に関しては難しいものがある。
 しかし、彼等が残した情報は決して無駄ではない。
 曰く、『万世極楽教』の信者の内、特に若い女が行方知れずになる事がある。
 曰く、行方知れずになった彼女等の多くは、嫁ぎ先で虐待された者達であったり或いは劣悪な家庭環境から逃げ出してきた孤児であったりしたそうだ。……だからこそ彼等の行方が知れなくなったからと言って探してくれる人など居らず、今の今まで事態の発覚が遅れてしまったのだろう。
 潜入捜査で行方不明になってしまった隊士が、町の聞き込みでその尻尾を偶然掴まなければこのまま見逃してしまっていたかもしれない程である。
 この大正の時代でも、その規模の大小こそ異なれど新興宗教は多く在り、有り体に言えば「胡散臭い」宗教など数多くある。その中から『万世極楽教』を嗅ぎ当てたその隊士の功績は大きい。……願わくば、どうか命だけでも無事であって欲しいのだが……。

 今回の調査で共に行動する事になるのは、しのぶさんと、その継子でありほぼ常にその行動をしのぶさんと共にしているカナヲの二人だ。よく知った相手である事もあり、その采配には安心感がある。
 しのぶさんは嫁ぎ先の義実家の暴力に耐えかねて家を出たうら若き婦女、カナヲは親の暴力から逃げて来た家なき子、自分は死んだ両親が残した借金で首が回らなくなって夜逃げして来た男、と言う「設定」で『万世極楽教』に入信したと言う体で潜入する事になった。
 あくまでも、『設定』である。

 しのぶさんには何時も蝶屋敷でお世話になっているが、こうして共に任務に向かう事は実は初めてであった。
 ……しのぶさんが、その笑顔の裏に何か激しい感情を秘めている事には出逢って少ししてから気付いていたが。
 しかし、しのぶさん自身すら焦がす程の激しい感情が一体何へ向けられているのかはまだ分からない。
 何時か、分かるのだろうか。
 そして何時か、しのぶさんが抱えているその何かを解決する力になれるだろうか。
 この『夢』の中で日々を過ごす内に、自分にとって蝶屋敷は、あの八十稲羽の堂島家の様に己の帰るべき場所になっていた。だからこそ、しのぶさんの力に、カナヲの力に、なりたいのだ。

 そんな自分の想いを絶対に見失わない様に再確認しながら。
 しのぶさん達と共に上弦の鬼が潜んでいるのかもしれない「極楽」を謳う檻の中へと向かうのであった。






◆◆◆◆◆
1/9ページ
スキ