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遠く時の環の接する処で

◇◇◇◇◇




 戦勝を祝う宴は、宴と言う枠を越えて最早祭りと言っても良い程のものになっていた。イーリス兵もフェリア兵も南部諸国の兵もレジスタンスの兵も集まった義勇兵も。
 皆己れの所属などお構い無しに、生き残った喜びと戦いの日々からの解放の喜びと、そして散っていた戦友達への弔いを胸に、飲めや歌えやの大騒ぎを起こしている。

 彼等の混沌とした騒ぎには混ざりきれないルキナは、喧騒から離れた所からそんな兵達の様子を見ていた。
 この場には、ルキナの居場所は無い。
 が、かと言ってここ以外に行く場所もない。

 クロムは各国の長達との折衝で忙しいし、そちらの宴に招かれているだろうからこの場に居る筈もなく。
 先の戦闘で大怪我を負ったルフレはと言うと、イーリスきっての癒し手達の惜しみ無い杖の行使によって傷は跡形もなく消え去り、今は傷病兵用に用意された個室で眠っている筈だ。

 戦争が無事にイーリス側の勝利に終わった事は、純粋に喜ばしい事である。しかし、ここまで『知っている』通りに歴史が動いてきた以上、ルキナが『知る』様に、クロムがその命を落とす事になる戦いが………………ルフレがクロムを裏切る瞬間は、刻一刻と近付いてきている筈である。
 この世界の未来を、『絶望の未来』にする訳にはいかない。
 その為には、ルフレの裏切りを阻止する必要がある。
 だけれども……そもそも何故ルフレがクロムを裏切ったのか、裏切る事になるのか、その理由に皆目見当が付かなかった。

 ここに来ては、ルキナもルフレがクロムを心から信頼し大切にしている事を認めざるを得なかった。
 あれが全て演技だと言うのならば、親から子への愛ですら欺瞞に満ち溢れているものでしかないと疑わなくてはならない程に、この世から信じられるものなど無くなってしまうだろう。

 何にせよ、その点に於いてルフレを疑う事をルキナは諦めた。
 しかしだからと言ってそれで問題が解決する訳でもなく。
 寧ろ、ルフレの裏切りの理由の謎が深まるばかりとなった。
 ルフレは記憶を喪っているそうなので、その消え去った記憶にその手懸かりがあるのだろうか……? 
 だがクロム達が手を尽くしても、ルフレの身元は……記憶を喪う前のその足取りは、何一つとして掴めなかった。
 まるで、クロムが出逢う直前に忽然と現れたかの様である。
 無論そんな筈はないので、単純に記憶を喪う前の『ルフレ』がまるで『そこに居ない者』であるかの如く……まさに透明な人間であるかの様に生きていたのだろう。
 誰の記憶にも留まらず、人目を忍ぶ様にして。
 何故そんな生き方をしていたのか、何故その必要があったのか。
 それはルキナには分からないし、今のルフレに問うた所で分からないだろう。
 喪われたルフレの記憶。そこに全ての謎の答えが隠されているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
 当のルフレ本人は、喪われた記憶の事を多少は気に掛けつつも戻らないものであろうと割り切っている様ではあるけれども。
 ……ルキナとしては、もしその喪われた記憶が戻った事が裏切りへと繋がったのであれば、それはもうそのまま永遠に喪われていて欲しいと思ってしまう。
 喪われた記憶が戻った時に、ルフレがルキナ達が知るルフレではなくなってしまうのならば。
 ルフレが、……クロムや仲間達に囲まれて幸せそうに笑っている彼が、消えてしまうのならば。
 それが『ルフレ』自身にとっては残酷な事になるのだとしても、ルキナはそれを望まない。

 ルキナはルフレについて多くの事は知らなかった。
 あの『未来』に居た筈の彼の事は既に記憶の彼方であり、ルフレが記憶を喪っていたと言う事ですらルキナは知りもしなかった。

 だけれども、こうして共に時を過ごし、共に戦い、その傍で見続けてきた今は違う。
 まだまだ知らない事は多いであろうけれど、それでも確実にルキナはルフレを知っていっていた。
 それが良い事なのかそうでないのかは、まだルキナには判別し切れない。
 ルフレの事を知らなかった時と違い、今のルキナには迷いが生じてしまっているからだ。
 ……こうして、『ルフレを殺さなくても良い理由』を、探してしまう程に。

 迷えば迷う程、決断が遅れれば遅れる程、世界は『絶望の未来』へと向かってしまう。
 戦争が終わり、軍師としての役目を果たしたルフレを『殺してはならない理由』は無くなった。
 万全を期す為ならば裏切りの芽は完全に摘むべきであるのだし、その為にルフレを殺す覚悟はもう決めていた筈だった。
『ルフレ』が『父の仇』である以上、躊躇う理由など無い……筈だったのに。
 それでも──



「こんな所で考え事か? ルキナ」


 優しく大好きな懐かしい声が聞こえる。
 少し驚いて振り向くと、そこにはやはりクロムが立っていて。
 今は各国の長達との宴に招かれている筈のクロムがここに居る事に戸惑ってしまう。


「ん? ああ、あっちの宴の方はさっき抜けてきた所なんだ。
 どうにもああ言う場は好かん。
 これからのヴァルム大陸の利権争いに巻き込まれるのはごめん被りたいしな。
 ヴァルハルトとの死闘の疲れを癒す為……とか言っておけばあちらもそう強くは引き止められなかったみたいだ」


 そう言って肩を竦めたクロムは少し遠い目をして、兵達の宴を見やった。
 宴の席で中々の量の酒を飲まされたのか、横に立てば分かる程の酒精の匂いが漂ってくる。
 クロムは酒にはそこそこに強いのでまだ完全に酔っている訳ではないだろうが、所謂ほろ酔い状態ではあるのだろう。
 だからこそ、恐らく普段は語る事などないであろう想いを、ルキナへと溢す。


「……一つの戦争が終わり、今度こ『平和』をと願っていても、こうして直ぐにまた別の戦が起こってしまう……。
 過去の過ちと消えない憎しみから始まってしまった先の戦争も、そしてヴァルハルトの覇道が引き起こしたこの戦争も……。
 武器と武器を手に殺し合うのではなく、先ずは対話と理解による『平和』をと望んでいても、その対話ですら儘ならない。
 姉さんが描いていた理想は、まだ剰りにも遠い。
 ……それでも、俺はその理想を諦められないんだ。
 ……だが、ヴァルハルトがその覇道の下に多くの血を流した様に、俺もまた理想の下に多くの血を流すのかもしれない……」


 それを望んでいたのではなくとも『国』や『世界』と言った大きなモノが動く時に血が流れてしまう事は剰りにも多い。
 良かれと願い成した事が本当に『正しい道』であるのかは、それを選択するその時にその行く末の全てが分かるものでもない。
 過去に『正義』や『理想』といった大義の名の下に繰り返されてきた人の業。
 それを自分だけは犯さぬなどと自惚れられる程の傲慢さは持ち合わせていない。

 ポツリポツリとそう語るクロムの姿は、幼い頃に見上げ憧れていた絶対的な存在ではなく、悩み苦しみながらも精一杯に世界を『良く』しようと足掻き続ける……そんな一人の人間であった。
『未来』でも、こうして『父』は悩み苦しんでいたのだろうか。
 そしてその上で、聖王として国を守り人々を率いたのだろうか。
 最早遠い遠い記憶となってしまったその背中にそっと問い掛けるが、記憶の中からは答えなど返ってはこない。
 もしも、あの『未来』で父が死ぬ事もギムレーが甦る事も無ければ、何時か有り得たのかもしれない未来の先で、そこでもこうして絶対だと幼心に信じていた父も悩み迷う一人の人間である事を……その姿を、知る事が出来ていたのだろうか? 
 今となってはそれが決して叶わぬ事が、こうして遠い「あの日々」を想うルキナには何故だかとても無性に寂しく感じた。


「でも……お父様には、お母様やルフレさん達が居ます。
 お父様が間違えてしまいそうになった時は、きっとそれを止めてくれると……私は思います」

「……そう、だな。俺は、多くの仲間達に支えられてきた……。
 それは、きっとこれからも。俺は独りでは無い。
 ヴァルハルトと俺に決定的な違いがあるなら、そこなんだろう」


 ヴァルハルトは強かった。
 故に人々を強く惹き付け、民を導いてきた。
 それが血塗られた覇道であるのだとしても、そこにある強さと輝きは紛れもない本物であった。
 だが……ヴァルハルトの強さは、何処まで突き詰めても『個』でしかなかった。
 ヴァルハルトに絶対の忠誠を誓う臣下は大勢居ても、ヴァルハルトと肩を並べ共に歩み立つ者は居なかったし、ヴァルハルト自身もそれを求める事は無かった。
 本来は圧倒的な勝者側であった筈のヴァルハルトに敗因があるとすれば、恐らくはそこなのだろう。

 クロムはヴァルハルトとは違う。
 関係性としては主君と臣下であるのだとしても、仲間達はクロムにとっては肩を並べ共に戦う戦友であるし、何より互いを『半身』と認め合うルフレが居る。
 何れ程の光を放っていようとも孤独な巨星でしかなかったヴァルハルトとは違い、クロムは多くの星々を統べる巨星であり、一つ一つの輝きはヴァルハルトよりも小さくともクロムを中心として皆が集えば何よりも明るく輝き人々を導いてくれる。
 そして独りではないからこそ、共に道を行く者が過ちを犯そうとした時にはそれを止める事が出来る。
 それは、何よりも得難い繋がり……絆である。
 そして、その要に居るのは、恐らく……。


「そうだ、ルフレの見舞いにはもう行ったか?」


 突然のその言葉に、無意識にルキナの肩が跳ねる。
 ヴァルハルトとの戦いを終えてルフレが衛生兵達に運ばれて行ってからは一度もルフレの姿を見ていない。
 傷がすっかり治った事も、傷病兵用の部屋で寝ている事も、全て人伝に聞いた事だった。
 ルキナを庇った所為でルフレは負傷したのだから、お見舞に行くべきだとは思ってはいるけれど、どんな言葉を掛けるべきなのか迷い、中々足が向かなかったのだ。


「いえ、実はまだです……」

「そうか。出来れば、一度顔を見せに行ってやって欲しい。
 あいつの方が負傷していると言うのに、しきりにルキナの事を気にしていてな」

「私の事を、ですか?」

「まあ、そう言うヤツなんだ。
 一度顔を見せてやれば、あいつも安心するだろう。
 ルフレが寝てる部屋は分かるか?」


 クロムに言われ、ルキナは頷く。

 場所は既に、ルキナに気を利かせたつもりであったのだろう者達から聞いていた。
 それでも、中々踏ん切りが着かなかったのであるけれど。
 こうしてクロムに背を押された今、行かない訳にもいかない。
 ……それでも、どんな顔をして会えばいいのか迷ってしまう。
 そんなルキナに優しい眼差しを向けたクロムは、一度何かを考えるかの様に少しの間目を閉じる。


「そうか。
 …………なあ、ルキナ。
 たった一度で良い。
 どんな事があっても、ルフレを信じてやって欲しい」

「え……? それは、一体どう言う……」


 クロムの意図が掴めず、その言葉にルキナは戸惑った。
 クロムの目から見て、ルキナはルフレを信頼していない様に見えていたのだろうか。
 確かに、ルキナはルフレへの殺意をその胸に秘め続けてはきたけれど、少なくとも『その時』まではそれを隠し通せると思っていたし、現に軍の人々は誰もそれに気付いていなかったのに。
 困惑するルキナを置いて、クロムは言葉を続けた。


「ルフレは……俺や仲間達の事を何よりも大切にしている。
 だが……俺には時折、あいつは自分自身の命を度外視している様に見えるんだ。
 それはきっと、俺達でも触れる事が出来ない『何か』が、あいつの心を縛っているからなんだろう……。
 だがルキナ、お前ならもしかしたら、あいつの心を縛る『何か』を変えられるかもしれない。
 だから、頼む」

「そんな……。お父様にも出来ないのに、私がなんて……」


『半身』であるクロムに出来ない事を、どうしてルキナが出来ると言うのだろうか。
 それに、ルキナはルフレを殺そうとしている人間だ。
 そんな人間が、一体何を変えてやれると言うのか。
 だが、そんな事を言える訳がない。


「いや、ルキナだからこそ、出来るかもしれないんだ」


 何を根拠にそんな事を信じているのかはルキナには分からないけれど。
 しかし、クロムのその眼差しには「否」とは言わせない何かがあった。
 クロムがルフレの中に何を見出だしているのか、ルキナに何を託そうとしているのか。
 それは、『絶望の未来』を変える為の鍵になるのか。
 何一つとして、今のルキナには分かりようも無い事であった。




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