遠く時の環の接する処で
◇◇◇◇◇
圧倒的に不利で絶望的な状況に、ルキナは既に慣れきっていた。
物資の補給も儘ならず援軍などやって来る筈もなく、狼の大群に成す術もなく食い殺される羊の様な、そんな誰にもどうする事も出来ない様な絶望的な戦場で、戦い続けてきたのだから。
が、しかし。不利な戦況、絶望的な状況、と言うものには慣れてはいたけれども、それはあくまでも屍兵を相手にしての話。
属するものが異なる人と人同士が血に狂う様に殺し合う戦争には慣れてはいなかった。
そもそも、ルキナが剣を手に取れる様になった頃には最早人間には『戦争』なんて起こせる様な余力が存在しなかったので、人同士の戦争に慣れる機会などある筈も無かったのであるが。
と言っても、戦場において敵である人間の命を奪う事を躊躇している訳ではない。
戦争には慣れていなくとも、ルキナの手は既に血で汚れていた。
あの『未来』でどうやっても助けられない命を少しでも早く苦痛から解放してやる為にその胸に剣を突き立ててやった事は何度もあったし、この『過去』に来てからは傭兵の様に暮らしていた事もあって戦いの中で既に幾人もの命を奪っている。
生きる為に、何時しかこの手は汚れ切っていたのだ。
今更綺麗事でその事実から目を反らすつもりも無いし、それはルキナの矜持が許さない。
しかし、剣を握る手や向ける切っ先に躊躇いは無いのだとしても、それでもやはり命を奪う苦しみは消える事など無かった。
ルキナにとって、人間は全て等しく守るべき対象であった。
あの『絶望の未来』では、生き残っていたのはその多くはイーリスの民であったとは言え、国を問わず様々な人々がイーリスの地を最後の生存圏として必死に生き延びようとしていたのだ。
それを殺さねばらなぬ苦痛は、筆舌に尽くし難いものがあった。
更には、ギムレーと言う人間ではどうする事も出来ない『絶望』その物を知っているだけに、こうして人間同士で相争いお互いを殺し合う戦争に意味など見出だせなかった事も大きいのであろう。
ギムレーが甦ってしまえばこうして戦う者達も全て等しく死んでしまうと言うのに、そしてそのギムレーの復活はそう遠くは無いと言うのに。それでも、その事実を知らぬ人々は互いの命を貪り食らおうとする事を止めはしない。それが余りにも苦しかった。
人馬の悲鳴が響き渡り血と泥が混ざった様な戦場を一迅の疾風の様に駆け抜けながら、ルキナはヴァルム兵達を斬り捨ててゆく。
まるで壁の様に押し寄せてくるヴァルムの兵に対し、イーリスとフェリアの兵はそもそも数からして圧倒的に不足している。
イーリスから遠く離れた大陸で、当然の如く地の利は相手側にあり、補給線を維持する事すら儘ならず、腹に二物も三物も抱えた南部諸国からの援助が生命線の一つ。
不利なんて言葉では片付けられないこの状況で、どうにか勝ち続けていられるのはやはりルフレの力が大きいのだろう。
イーリスの力を値踏みする様な南部諸国との交渉にも尽力し彼等から物資を引き出して軍を維持し、 ヴァルムが誇る騎馬隊などがその真価を発揮出来ない様な戦場を用意して策の力でヴァルム兵の暴威を殺ぐ。そうやって何とか勝ちを拾い続けていた。
勿論ルフレ一人で軍を支えている訳ではないのだけれど、彼無くしてとてもでは無いがこの戦争に勝利する事は出来ないだろう。
『未来』に於いてイーリス側が勝つと言う結果を知っているルキナですら、いざこうして共に戦場に身を投じていると、今よりも遥かにイーリスが置かれていた状況が過酷だったあの『未来』でもヴァルム帝国相手にイーリスが勝てた事が信じ難い程だ。
『ルフレ』の存在の大きさを、ルキナは肌で直接感じていた。
だからこそ、ルキナは『ルフレ』を許し難いのだ。
クロムを裏切り殺した事がその最たる理由ではあるが、それだけではない。もし彼が裏切る事なくクロムの『半身』で在り続けていたのなら、ギムレーが甦ろうともあんな『絶望の未来』にはならなかったのではないかと。
ルキナでは手に入らなかった世界を救えるかも知れない様な力を持ちながら、世界を『絶望の未来』に突き落とした事が。
それは剰りにも罪深い事の様にルキナには思えるのだ。
しかしそれと同時に、ルフレの傍に居る事で自分が知る『彼』の姿とはまた別に見えてきたものもあった。
皆を死なせない為に何夜も徹して、まさに己が身を顧みずその命を削る様にして策を練り続ける姿も。
兵力的に厳しいイーリスを支える為に、軍師でありながらも戦士として戦場に立ち、戦況を支え時に不利な戦局を自ら覆す姿も。
それらは、ルキナが知る『彼』の姿には無かったものであった。
そうしたルフレの姿を見ていると、何故彼がクロムを裏切り殺したのかが益々分からなくなってくる。
それら全てが演技だと言ってしまえばそれまでなのだろう。
だが、演技なのだとしたら逆に不自然な程にルフレは皆の為に一生懸命であった。文字通り自らの命を捧げる様にして、仲間をクロムを守る様に戦い続けているのだ。最初からクロムを裏切り殺すつもりだけであるなら、果たしてそこまでするのだろうか?
信頼させる為の演技、と言う可能性は否定は出来ない。
しかし、信頼を勝ち取る為であるにしてはその献身は過剰と言えるだろう。だからこそ、時々。
もしかして、ルフレは本当に心の底からクロム達を守ろうとしているのではないか、と思ってしまうのだ。
ルフレが裏切り者であると言う、純然たる事実を知りながら。
それこそが、ルキナにとっては何よりも恐ろしい事であった。
『その時』に確実に殺す為、ルフレの傍を離れる訳にいかない。
だがこのままルフレの傍に居続けて彼の事を知っていった時。
この手は迷い無くその首を刎ねる事が出来るのだろうか……。
ルキナの胸の内に絶える事無く渦巻き続けていた復讐心に落とされたほんの一滴の迷いは、自分でも気付けない程静かにその波紋を広げていたのであった。
◇◇◇◇◇
圧倒的に不利で絶望的な状況に、ルキナは既に慣れきっていた。
物資の補給も儘ならず援軍などやって来る筈もなく、狼の大群に成す術もなく食い殺される羊の様な、そんな誰にもどうする事も出来ない様な絶望的な戦場で、戦い続けてきたのだから。
が、しかし。不利な戦況、絶望的な状況、と言うものには慣れてはいたけれども、それはあくまでも屍兵を相手にしての話。
属するものが異なる人と人同士が血に狂う様に殺し合う戦争には慣れてはいなかった。
そもそも、ルキナが剣を手に取れる様になった頃には最早人間には『戦争』なんて起こせる様な余力が存在しなかったので、人同士の戦争に慣れる機会などある筈も無かったのであるが。
と言っても、戦場において敵である人間の命を奪う事を躊躇している訳ではない。
戦争には慣れていなくとも、ルキナの手は既に血で汚れていた。
あの『未来』でどうやっても助けられない命を少しでも早く苦痛から解放してやる為にその胸に剣を突き立ててやった事は何度もあったし、この『過去』に来てからは傭兵の様に暮らしていた事もあって戦いの中で既に幾人もの命を奪っている。
生きる為に、何時しかこの手は汚れ切っていたのだ。
今更綺麗事でその事実から目を反らすつもりも無いし、それはルキナの矜持が許さない。
しかし、剣を握る手や向ける切っ先に躊躇いは無いのだとしても、それでもやはり命を奪う苦しみは消える事など無かった。
ルキナにとって、人間は全て等しく守るべき対象であった。
あの『絶望の未来』では、生き残っていたのはその多くはイーリスの民であったとは言え、国を問わず様々な人々がイーリスの地を最後の生存圏として必死に生き延びようとしていたのだ。
それを殺さねばらなぬ苦痛は、筆舌に尽くし難いものがあった。
更には、ギムレーと言う人間ではどうする事も出来ない『絶望』その物を知っているだけに、こうして人間同士で相争いお互いを殺し合う戦争に意味など見出だせなかった事も大きいのであろう。
ギムレーが甦ってしまえばこうして戦う者達も全て等しく死んでしまうと言うのに、そしてそのギムレーの復活はそう遠くは無いと言うのに。それでも、その事実を知らぬ人々は互いの命を貪り食らおうとする事を止めはしない。それが余りにも苦しかった。
人馬の悲鳴が響き渡り血と泥が混ざった様な戦場を一迅の疾風の様に駆け抜けながら、ルキナはヴァルム兵達を斬り捨ててゆく。
まるで壁の様に押し寄せてくるヴァルムの兵に対し、イーリスとフェリアの兵はそもそも数からして圧倒的に不足している。
イーリスから遠く離れた大陸で、当然の如く地の利は相手側にあり、補給線を維持する事すら儘ならず、腹に二物も三物も抱えた南部諸国からの援助が生命線の一つ。
不利なんて言葉では片付けられないこの状況で、どうにか勝ち続けていられるのはやはりルフレの力が大きいのだろう。
イーリスの力を値踏みする様な南部諸国との交渉にも尽力し彼等から物資を引き出して軍を維持し、 ヴァルムが誇る騎馬隊などがその真価を発揮出来ない様な戦場を用意して策の力でヴァルム兵の暴威を殺ぐ。そうやって何とか勝ちを拾い続けていた。
勿論ルフレ一人で軍を支えている訳ではないのだけれど、彼無くしてとてもでは無いがこの戦争に勝利する事は出来ないだろう。
『未来』に於いてイーリス側が勝つと言う結果を知っているルキナですら、いざこうして共に戦場に身を投じていると、今よりも遥かにイーリスが置かれていた状況が過酷だったあの『未来』でもヴァルム帝国相手にイーリスが勝てた事が信じ難い程だ。
『ルフレ』の存在の大きさを、ルキナは肌で直接感じていた。
だからこそ、ルキナは『ルフレ』を許し難いのだ。
クロムを裏切り殺した事がその最たる理由ではあるが、それだけではない。もし彼が裏切る事なくクロムの『半身』で在り続けていたのなら、ギムレーが甦ろうともあんな『絶望の未来』にはならなかったのではないかと。
ルキナでは手に入らなかった世界を救えるかも知れない様な力を持ちながら、世界を『絶望の未来』に突き落とした事が。
それは剰りにも罪深い事の様にルキナには思えるのだ。
しかしそれと同時に、ルフレの傍に居る事で自分が知る『彼』の姿とはまた別に見えてきたものもあった。
皆を死なせない為に何夜も徹して、まさに己が身を顧みずその命を削る様にして策を練り続ける姿も。
兵力的に厳しいイーリスを支える為に、軍師でありながらも戦士として戦場に立ち、戦況を支え時に不利な戦局を自ら覆す姿も。
それらは、ルキナが知る『彼』の姿には無かったものであった。
そうしたルフレの姿を見ていると、何故彼がクロムを裏切り殺したのかが益々分からなくなってくる。
それら全てが演技だと言ってしまえばそれまでなのだろう。
だが、演技なのだとしたら逆に不自然な程にルフレは皆の為に一生懸命であった。文字通り自らの命を捧げる様にして、仲間をクロムを守る様に戦い続けているのだ。最初からクロムを裏切り殺すつもりだけであるなら、果たしてそこまでするのだろうか?
信頼させる為の演技、と言う可能性は否定は出来ない。
しかし、信頼を勝ち取る為であるにしてはその献身は過剰と言えるだろう。だからこそ、時々。
もしかして、ルフレは本当に心の底からクロム達を守ろうとしているのではないか、と思ってしまうのだ。
ルフレが裏切り者であると言う、純然たる事実を知りながら。
それこそが、ルキナにとっては何よりも恐ろしい事であった。
『その時』に確実に殺す為、ルフレの傍を離れる訳にいかない。
だがこのままルフレの傍に居続けて彼の事を知っていった時。
この手は迷い無くその首を刎ねる事が出来るのだろうか……。
ルキナの胸の内に絶える事無く渦巻き続けていた復讐心に落とされたほんの一滴の迷いは、自分でも気付けない程静かにその波紋を広げていたのであった。
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