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遠く時の環の接する処で

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 ルフレが、彼を形作っていた全てが、夕暮れの空へと融ける様に消えていくのを、ルキナは……そしてその場の誰もが、言葉を失いながら見ている事しか出来なかった。

 最後にルキナを見詰めていたルフレは、ルキナを見て何か唇を動かしていた。
 音にならなかったそれは、そこに込められていた想いが何であったのか、ルキナに知る由はない。
 だけれども、あの瞬間、何もかも忘れて、消え行くルフレを繋ぎ止めようと、抱き締めて止めたくなる衝動に駆られた。
 しかし、ルキナが一歩踏み出すよりも、その指先を伸ばすよりも僅かに速く、ルフレの身体は完全に消滅してしまった。
 届かなかった手は、何も掴めなかったまま力なく下ろされて。
 苦しみと哀しみから、その場に崩れ落ちてしまいそうになる。
 ギムレーの写し身が消滅した事で崩壊を始めた竜の背の上から、ナーガの力によって安全な場所へと転移されてからも、誰も皆何も言えなかった。
 目の前でルフレが消えてしまったその事実を、そして自分達が消え行くルフレに何も出来なかった事実を、受け止め難かったからだ。


「神竜ナーガ! 応えてくれ! 
 あいつは、ルフレは……!!」


 クロムが声を張り上げて神竜ナーガを呼ぶ。
 それは、まるでクロムの悲鳴の様にすら、ルキナには聞こえた。
 自らの覚醒の儀を果たし力を与えたクロムからの呼び掛けに、神竜は正しく応えその姿を現した。
 相変わらず茫洋として読めぬ表情を浮かべた神竜は、クロムの問いに憂いを湛えた声で答える。


「あのギムレーの血を継ぐ者……未だ目覚めぬギムレーは、自らの命と引き換えにギムレーに真なる滅びを与えたのでしょう。
 今この世界にギムレーは存在していません。
 未来永劫、甦る事は無く……完全に消滅しました」

「それは……だが、どうして、何故ルフレがそれを」

「以前、ギムレーが真に滅びを迎える事があるとすれば、それは自分自身の手によるものであると、私はあなた達に伝えました。
 そして、ギムレーが自ら命を絶つ事は有り得ない事であるとも。
 ……しかし、この世界には、ギムレーと存在を同じくする者が、あのギムレーの血を継ぐ者が存在していました。
 彼の者がギムレーを討てば、それはギムレーが自らを討つ事と同じ……。
 故に、ギムレーは真に滅びを迎えたのです。
 あの者は恐らく、それに気付いていたのでしょう」


 そして、気付いていたからこそ、その命を捧げる事を選んだのだと、神竜は述べる。


「でも、自殺させると言うなら、ルフレさんも……」

「……自らの身を捧げる事は、覚悟の上であったのでしょう」


 覚悟の上の自己犠牲であったと、そう頷いた神竜の言葉に、ルキナは思わず涙を溢した。
 どうして、選ばせてしまったのかと。
 どうして、止めてやれなかったのかと。
 生きたいと、あんなにも言っていたのに。
 やっと、その本心の願いを、ルフレは見付ける事が出来たのに。
 それなのに、ルフレは自らの死を選んでしまった。


「ルフレは、もう……本当に消えてしまったのか? 
 もう、二度と帰っては来れないのか? 
 答えてくれ、ナーガ。
 あいつを取り戻す方法は、本当に無いのか?」

「……方法は、私にも分かりません。
 ……ですが、あの者はギムレーであると同時に、あなた達と出会い絆を育み共に生きた人間でもある。
 もしも、その人間としての心が、ギムレーとしての心に、そしてそれが齎す消滅の定めに打ち克つ事が出来るのならば。
 ……あの者がこの世界に留まれる可能性は、あるのでしょう。
 ですが、それは到底起こり得ない程にほんの僅かな可能性です。
 それに、もしこの世界に留まる事が出来たとしても、還ってきた時に何れ程の時間のズレが生じているかも、分かりません」


 ルフレの生還は絶望的であると、そして再びルキナ達が生きて彼に再会出来る可能性もまた絶望的であると。神竜はそう告げる。
 だが、その言葉に打ち拉がれる様なクロムではなかった。
 寧ろ、希望を見付けた様に、その目に確かな輝きが灯る。


「想いが、絆が、あいつを繋ぎ止められるなら。
 ルフレは、絶対に生きている、絶対に帰ってくる。
 何年何十年と掛かろうとも、俺は必ずあいつを見付けてみせる」


 クロムの力強い静かな言葉に打ち拉がれていた皆が顔を上げた。
 そして、自分もと口々にルフレの生還を信じる言葉を零した。
 ルフレと紡いだ絆が、再びこの世にルフレを連れて帰る事を信じる様に。
 自分達が繋いだ絆が、例え消滅の定めであっても覆せる事を疑わない。
 帰ってこいと、待っていると、そう口にする皆の顔に、もう絶望は無かった。

 そんな人々の様子を見守っていた神竜は、ほんの僅かながら慈しむ様な微笑みを浮かべ、そして現れた時と同じく不意に虚空へと消えた。
 それを見送ったルキナは、零れ落ちていた涙を少し乱暴に拭って、そして前を見る。

 ルフレが融ける様に消えていった夕暮れの空は哀しくなる程に美しく、沈み行く太陽はルフレだけが居ない世界を言祝ぐ様に皆を美しく照らしている。
 それが、どうしようもなく寂しく哀しくて。
 でももう、涙を溢すのはもう終わりだ。

 次に泣くのは、ルフレを見付けた時だと、再び出逢えたその時だと、そう決めた。

 それが何時になるのかは分からない。
 もしかしたら、ルキナがうんと歳を取り、お婆ちゃんと呼ばれる様な頃にやっと叶うのかもしれない。
 それでも、良い。ルキナは、ルフレを信じている。
 ルフレが帰ってくる事を、それがどんなに遠い日の事になるのだとしても、その日を待ち続けようと。
 そう、決めたのだ。

 沢山伝えたい事がある。
 まだルフレに伝えられなかった言葉が、伝えたい想いが、伝えるべきものが沢山残されている。
 好きだと、愛していると。
 ルフレに、伝えたい、伝えなくてはならないのだ。

 だから、生きよう。
 何時か、この願いが、そして必然の奇跡が果たされるその日を、ルフレとルキナの時の環が再び巡り逢うその時を迎える為に。
 どんなに苦しくても、寂しくても、哀しくても。
 ルフレが守ったこの世界を、ルフレだけが……ルキナの最愛の人だけが居ない、この世界を。

 ルキナの『使命』は、この身に課せられた『希望』は、既に果たされた。
 最早ギムレーが甦る事は永劫の未来の果てでも起こり得ず、ルキナの戦いは終わり、漸くルキナは『ルキナ』と言うただ一人の人間として生きていく事を許された。
 ルキナの身を、その心を、縛るものはもう何も無い。

 だからこそ、この心に生まれたこの願いを、祈りを、最後まで抱き締めてこの世界で生きていく。
 ここが本来はルキナが生きる世界でないのだとしても、ルキナがこの世界にとって歓迎されない異物であるのだとしても。

 もう一度、ルフレに出逢う為に。
 そして、今度こそ、共に生きる為に。

 何時か必ずその願いが叶う事を信じて。
 優しくも残酷な時の流れが全てを変えてしまうのだとしても、せめてこの祈りだけは、この命が尽きるその時まで喪いたくない、絶対に手離さない。
 何度でも何度でも、その名を呼ぼう、その姿を思い描こう。
 決してあなたを『過去』には、したくないから。



「ルフレさん、私は、あなたに──」




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