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それが絶望の胎動であるのだとしても

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 自分以外に命在る者無き城の玉座で、ギムレーは閉じていた目をゆるりと開いた。
 自身の妻と娘の無事を、ギムレーは遠くの景色を見る術で確認していたのだ。

 ギムレーは、ルキナがマークを連れて自分の元から逃げ出したのを、態と見逃した。
 何処に逃げようとも直ぐ様見つけ出せるのだし、そして何よりも、ルキナには『現実』と言うモノを理解し実感させてやるべきだと考えたからだ。

 邪竜の娘であるマークは勿論の事ながら、邪竜の妻となったルキナも、最早ヒトの輪の中では生きられない存在である。
 本人に自覚はまだ無いであろうが……嫌でも思い知るだろう。
 そもそも、幾度と無く邪竜と契って、邪竜の子供を身籠った存在が、どうして『ヒト』のままであると言えるのであろうか。
 確かにルキナは忌々しき聖王の血を継いではいるが、そんなものは蘇ったギムレーの力の前には無いも同然であり、事実あっさりとルキナはヒトの枠組みから外れてしまっている。
 マークに邪痕のみならず聖痕も現れた事に関してはギムレーとて流石に少々驚いたが、それは邪竜の娘たるマークに何ら害を及ぼすモノでは無い。
 そもそもの話、『ギムレー』と言う存在の始まりには神竜が深く関わっているだけに、血の相性だけで言うならば、邪竜と神竜の血は相反するモノでは無いのだ。
 ギムレーが聖王の血筋や神竜族を忌々しく感じるのは、単純に千年前に奴等にこの身を封じられたその怨みからでしかない。

 そして……ルキナとマークの脱走を見逃した処で、ギムレーにとっては何の脅威にも成り得ない。
 万が一にも神竜の覚醒の儀を行おうとした所で、今のルキナにナーガが応える事は無いからだ。
 本人の認識がどうであれ、今のルキナはギムレーの妻でありその力の影響を濃く受けた眷族であるのだから。
 いっそ、邪竜としての『覚醒の儀』を受けた方が力を得られるだろう。……尤も、ルキナがそれを望む事は無いだろうが。

 ルキナが出奔したのは大方マークの未来を想っての事なのだろうが、最早この世界に二人が共に在れる居場所など、ギムレーの元にしかないのだ。
 遅かれ早かれ、嫌でもそれを理解する事になるだろう。
『ヒト』の悪意とその醜悪さに満ち溢れたこの世界で、彼女達を守るモノは何も無く、それに直面せざるを得ないのだから。

 ……まあ、二人に危害を加えようとする虫ケラが居れば、速やかにその害虫はギムレー自身が排除するつもりであるが。

 歪んだ笑みを浮かべながらも、ギムレーは妻として選んだ女の事を想った。

 あの娘が過去を変える為に跳んだ先で、そこに居た『二周目』のルフレ……ギムレーとしては目覚めていない自身と恋に落ちた事は流石に想定外であったのだが、今となっては些末な事だ。
『一周目』のルフレと『二周目』のルフレに《ギムレーの意識》が混ざり合った状態の今のギムレーにとっては、ルキナに執着していたのが、恋仲であった『二周目』だろうと忌々しい聖王家に執着していた《ギムレーの意識》であろうと、最早別段気にする事でもないのである。
 ルキナを妻とした事実には些かの変わりもなく、今のギムレーが彼女に執着しているのは事実なのだから。

『ヒト』はギムレーに、邪悪であれと望み続けてきた。
 成る程、確かにこの身は悪であり、世界を滅ぼす存在だ。
 その望み通り、虫ケラ共を全て平等に絶望の水底へと叩き落とし擦り潰してやろう。
 だがそう在る事に何ら痛痒は覚えないとは言え、虫ケラ如きに一方的に『邪悪な竜』・『絶対的な悪』とやらの役割を押し付けられ続けるのも癪に障る。
 なれば『絶対悪』らしくなく、「妻」とやらを得てみるのも悪くはないだろう。
 そう思ったから、『二周目』が執着していた女を選び捕らえたのだが、存外それが悪くはなかった。
 絶対に邪竜になど屈するかと睨み付けてくるその目も、『二周目』の面影をギムレーに見出しては動揺するその様も、その細やかな抵抗を蹂躙する様に無理矢理抱いたその時の感覚も。
 忌々しい聖王の末を屈伏させ様としている事へ悦びや、何時かその身が既に邪竜の眷族と化している事に気付いた時の彼女の絶望など、ルキナを特別視するに足るモノは確かにあって。
 虫ケラ共が戯言の様に口にする『愛』とやらをギムレーが解する事は無く、故にそれは『愛』などでは無いのだけれども。
 少なくともルキナをギムレーの「妻」として手元に置いておく事に不快感は欠片も無かった。

 子供を身籠ったと知った時は、自身の血を直接的な意味で継いだ存在を得る事など、ギムレーとしての長い生の中でも初めての事であり、流石に驚いた。
 邪竜の子供を身籠ったと知ったルキナが、絶望したり憎悪したりと忙しなく感情を揺らすのを見るのは愉しかったが、それで腹の子ごと死なれでもしたら意味がないので、監視の目を強めたりもして、何かと気を配っていた。
 そんなギムレーの努力の甲斐もあり、幾度か危うい時はあったが何とかそれを乗り切って、ルキナは娘を産み落としたのだ。

 娘の見た目が『竜』としての要素こそ持てどもどちらかと言えば人間に寄っているのは、母親が既に眷族であるとは言え元は人間なのだし、ギムレーの身体も竜として覚醒しているとは言え人間だった時の要素も多く残っているからだろう。
 その身には確かにギムレーの子である事を示す様に溢れんばかりの竜の力が眠っているし、ある程度大きくなったら竜の姿も取れる様になるだろうと、ギムレーは理解した。

 娘に『マーク』と名付けた後は、あまり干渉しない様にギムレーは二人から少し距離を置いた。
 子を産んで暫くの間は、精神的に不安定になりやすいらしい。
 娘は愛しいと思っている様だが、相変わらずギムレーには憎悪を向けているルキナを下手に刺激するのはルキナの精神には良くないだろうと思っての行動だった。
 実際にそれは奏効した様で、マークを産む前は酷く不安定だったルキナが目に見えて精神的に安定していったのだ。
 少なくとも、マークを殺そうとしたり、マークを残して自害しようとしたりはしなくなった。

 が、その内に今度はルキナがやたらとギムレーの元から逃げ出したがる様になっていた。
 一見すると監視の目が緩んでいた様に見えていたからだろう。
 実際は見えてないだけでより一層強く二人を監視していたのだけれども。

 ルキナもマークも、手離すなんて選択肢はギムレーには無い。
 自らが望み選んだ「妻」と、そしてその「妻」との間に生まれた真の邪竜の血族とも言える「娘」。
 どちらもがギムレーにとってすら『価値』のあるものである。
 それに、既に眷族であるとは言えファルシオンを扱えるルキナは虫ケラ共にとってはギムレーに抗する為の力として利用価値があるし、ギムレーの娘であるマークも虫ケラ共に何らかの利用価値を見出だされる可能性がある。
 既に後が無い程に追い詰められつつある虫ケラ共は、自らの存続の為ならば何でもするし、何でも利用しようとする。
 浅ましい虫ケラ共に二人が害される可能性がある以上、ギムレーの手元に置いておく以外の選択肢は無かった。

 だが、ここでルキナに『現実』を理解させるのもそれはそれで妙案なのではないかとも、ギムレーは考えた。
 眷族であるルキナの居場所と、ギムレーの血を継ぐ娘であるマークの居場所など、二人が何れ程離れた場所に居ようともギムレーには手に取る様に直ぐに分かる。
 浅ましく悍ましい『ヒト』共の姿を見せ付けさせ、『ヒト』と言う存在そのものに絶望させるも良し。
 そうでなくとも、二人の居場所など『ヒト』の世界には何処にも無い事など直ぐに理解出来るだろう。
 ルキナの心が折れた所で迎えに行ってやれば良いのだ。
 そして、その時は甘く耳元で『愛』を囁いてやろう。
 そうすれば今度こそ、その心もギムレーのモノになるだろう。

 だからこそ、ギムレーは一時とは言えルキナがその手元から離れるのを許したのだ。



「早く帰っておいで、ルキナ。
 君の居場所は、僕の傍だけなんだから。
 帰ってきたら、うんと君を甘やかしてあげるよ。
 あぁ……、実に楽しみだね」



『ヒト』と言う存在そのものに絶望した彼女は、どんな表情を浮かべるのだろう。
 自身が依るべきものすら喪った彼女は、最後に縋る先としてギムレーを見るのだろうか。
 それとも、何もかもに絶望してすらも最後までその矜持を捨てる事なくギムレーを拒絶しようとするのだろうか。


 ルキナが心折れるその日を心待ちにしながら、ギムレーは妖しくも心からの笑みを浮かべるのであった……。




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