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それが絶望の胎動であるのだとしても

◇◇◇◇◇




 運命の『あの日』。
 確かにルキナ達は、クロムとルフレは運命を変えた筈だった。
 ルフレがファウダーに操られクロムを殺す事は無く、故にルフレが邪竜へと堕ちる事も無く。
 未来は……変わった筈だったのだ。
 だが、ルキナ達は気付いていなかった。

 ルキナ達が未来からこの時間へとやって来たのならば、あの邪竜もまた、過去へとやって来ている可能性もある事を。

 未来が確かに変わった事を確信して喜びに皆が打ち震える中、あの邪竜は現れた。
 そして抵抗すらさせぬままにクロムを殺し、クロムの死に茫然自失となったルフレにギムレーの覚醒の儀を行い、融合した。
 二つの時間のギムレーの力が合わさる事でより強大な存在として蘇ったギムレーは、その場に居た者達の多くを一掃し、そしてルキナを捕らえたのだった。

 抵抗も虚しくギムレーに囚われたルキナは、彼に幾度と無く犯される事になった。
 愛した人と同じ顔同じ声をした……だが最早彼ではないその邪竜は、何故か虜囚の身となったルキナを存外丁重に扱った。
 世界を滅ぼす傍らで、ルキナを愛玩する様に扱い、そう言う行為以外ではその身体には傷一つ付けなかったのだ。
 父を殺し愛した人を喰らった、誰よりも憎いその邪竜にルキナが心を堕とされる事は無かったが。
 その表情に、その仕草に。
 誰よりも愛した彼の姿を見付けてしまう度に、心が乱されてしまったのも確かであった。

 そうこうしている内に、ルキナは子を宿してしまった。
 邪竜の子供を身籠ってしまった事を知ったルキナは絶望したし狂いそうにもなった。
 誰よりも憎悪している存在との子供など、と日々膨らんでいく腹を見て其処に在る命を憎んだ。
 邪竜の子供など産んで堪るかと、態と流そうとした事もあったが、そうしようとした度に邪竜に阻まれた。
 ルキナが子供を身籠った事を知ったギムレーは、ルキナが腹の子を害そうとしたり、万が一にも自害したりしない様にと、より監視の目を光らせる様になっていたのだ。
 腹の中の子供を殺す事も出来ず、死ぬ事も出来ぬままに日々は過ぎて行き、そして──


 ルキナは、娘を産み落としたのだった。


 母親となったからであろうか。
 あれ程憎悪していたにも関わらず、産まれた我が子をその手で抱いたその時に、そしてまだ名前すら無いその子が産声を上げながらルキナの指先を一生懸命に握ったその時に。
 言葉では到底表現しきれない程の愛しさと、そしてその手の中にある儚い命への想いが込み上げてきた。
 誇張なしに、世界が変わったのだ。

 意外な事にギムレーは産まれた子供に自分が名前を付けた。
 そして、『マーク』と名付けた娘を、ギムレーは決して無下には扱わなかった。
 娘が産まれてからは世話役のギムレー教団の女性を数名寄越しただけで、あまりルキナ達に干渉はしなくなったが、それでも時折二人の元を訪れてはマークの様子を確認していた。
 人間など地を這う蟻程度にしか感じていないであろうギムレーの冷え冷えとした目が、ほんの僅かながらもマークを見ている時だけは柔らかくなっていた様な気がしたのは、ルキナの気の所為なのだろうか。
 何にせよ、ギムレーがマークを害する事は無かったのだけは事実である。

 乳飲み子であるマークとの二人だけの日々は、かなり大変であったがそれでも決して嫌なだけでは無かった。
 忙しくマークの世話をしている内は、一時であっても絶望を忘れていられたのだ。
 だが、そんな日々を過ごしている内にふと、ルキナはギムレーの監視の目が幾許か緩くなっている事を……今ならば隙を突いてギムレーの元から逃げ出せるかも知れないと言う事に、気付いてしまった。
 そしてそれと同時に、ルキナは焦燥感と葛藤に苛まれる様になってしまった。

 今は虜囚の身に甘んじていても、それでもルキナは『使命』を背に戦う必要がある存在だ。
 クロム亡き今、その双肩に世界の命運が懸かっていると言っても過言ではない。
 滅びへと突き進む世界を、救う術が在るのならば。
 ルキナは、それを果たさなければならない。
 その為にはここを逃げ出し、イーリスへと向かうべきだ。
 だが──

 ルキナはもう、独りの身では無い。
 その手には、何を引き換えにしてでも守りたい命がある。
 愛しい愛しい、我が子。
 その身に流れる邪竜の血以上に、愛した人との繋がりを確かに感じられる娘。
 しかし、この子は邪竜の娘でもある。
 もし、ルキナが世界を救う事が出来たとして、果たしてその世界にマークが生きられる場所は在るのだろうか……? 

 邪悪の娘と言う事実は、例えどんなに無害な存在であったとしても問答無用に殺されるに足る事実であろう……。
 ならば、世界は救ってはならないのだろうか? 

 今までの自身の全てであった『世界を救う』と言う『使命』と、我が子の命。
 世界を救えと自身を突き動かす衝動と相反する様に、我が子を世界の全てを敵に回してでも守らねばならないとする母親としての情。
 その二つがお互いにぶつかり合い、悩み続けた。
 そしてその果てにルキナを突き動かしたのは、結局の所は我が子への情であった。
 世界を選ぼうと我が子を選ぼうと何にせよ、このままギムレーの元に居続けてはマークには『邪竜』になる未来しかない。
 マークは確かに邪竜の娘ではあるが、同時にルキナの娘だ。
 未だ無垢なるこの娘は、邪竜ではなく、『人』でなくともヒトとして在れる筈だと、ルキナは信じていた。
 それはいっそ傲慢な思い違いであるのかもしれない。
 その選択は何時か、他ならぬ我が子を苦しめる事になるのかもしれない。
 ……それでも、新たなる『邪竜』となるよりは、と。
 そうルキナは思ったのだ。

 だからこそ、ルキナはマークを連れてギムレーの元から逃げ出したのだった。
 だが、ギムレーの元から逃げ出したルキナに突き付けられた現実は非情であった。
 人々は日々屍兵やギムレーに怯え、人心は荒れ果てていた。
 もしマークの正体が彼らに露見すれば、たちまち集団ヒステリーを引き起こしマークを殺そうとしてくるだろうと、瞬間的にルキナに悟らせてしまう程に、既に世界は荒廃していたのだ。
 それで一度かなり危ない目に遭った事もある。
 食料を求めて立ち寄った街で、本当に偶々マークの頭にある角を見られてしまったのだ。
 たちまち大騒ぎになり、ルキナはマーク諸共殺そうとしてくる街の人々に追い回された。
 その場は、偶々そのタイミングで大量の屍兵が街を襲ってきた為に有耶無耶にはなったのだが、その出来事はルキナに危機感を抱かせるには充分過ぎるだった。
 それ故に、ルキナにとっては世界の全てが敵であるも同然になってしまったのだ。

 イーリスにも帰れず、一所に留まる事も出来ず。
 世界が滅びへと向かっていくのをその目で確と見ながらも。


 それでもルキナは、マークの手を絶対に離すつもりなど無い。
 世界が終わるその日まで、この子を守り続けよう、と。
 荒れ果てた大地を踏みしめながら、ルキナはマークを抱いて歩いて行くのであった。




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