もう夜明けは訪れない
◇◇◇◇◇
ルキナは夢を見る。
何度も何度も同じ夢を、グルリグルリと壊れた糸車を回す様に、繰り返し繰り返し……変えられない夢を見続ける。
目覚めた所でそこに在るのは、僅かな希望の光すらない絶望の暗闇の中だけなのだけれども。
しかし、こうして見る夢もまた、ルキナを永遠に閉じ込める牢獄の様ですらあった。
夢は、何時もあの『絶望の未来』から始まる。
滅びゆく世界、死と恐怖と絶望だけが蔓延る世界……。
そんな世界で、自分達を守り命を落としていった大人達の意志を継いで、世界を救おうと……邪竜を討ち滅ぼそうと、先なんて見えないまま……それでも淡い『希望』を信じて、ひたすらに戦って戦って戦って……そうして戦う事以外の全てを忘れそうになる程に戦い続けて。……それでも世界は救えなかった。
終ぞどうしても揃える事の叶わなかった宝玉を嵌めた『炎の紋章』を……『黒炎』だけが欠けた不完全なそれを手に、滅びを最早どうやっても回避出来ない世界に、犠牲になっていった無数の人々へと懺悔し泣き崩れた日を思い出す、夢に見る。
そして、神竜の導きの下「過去」へ渡る事を決意したのだ。
守るべき世界を救えなかった罪から、背を向ける様にして。
だがしかし。そうして一つの世界を……例えもう滅びが不可避であるのだとしてもまだ僅かには生きていた命があった世界を見捨てる様にして、見殺しにする様にしてやって来た「過去」の世界ですら、ルキナは救えなかった、失敗した。
かつての世界よりも尚深い絶望にこの世界を突き落としたのは、ある意味ではルキナ達自身であった。
その事は、今も絶える事無くルキナの心を苛み続けている。
……一つの世界を見捨てて、そうして本来は在ってはならない筈の「やり直し」に手を掛けて。そうやって辿り着いたこの「過去」で、ルキナは彼に出逢ったのだ。
かつてのあの『絶望の未来』に至った、ルキナ達が生きるべきだった世界に於いても、父の『半身』とすら呼ばれ常に父を陰に日向に支え続けていた救国の軍師。
父と共に命を落とした彼……の、その過去の姿に。
「過去」への干渉は必要最小限にしようと、そう思っていたのだけれども。止むを得ぬ事情から「父」に正体を明かし共に行動する事になった。
そして、そんなルキナを何かと気遣って力になってくれたのが、彼だったのだ。
本来は「過去」であるこの世界に存在してはならぬ『異物』であるが故に、基本的にこの世界の人々と深く関わるには障りがあるルキナには、その事情を理解してその上で何かと気遣ってくれた彼の優しさが、心に沁みる程に嬉しくて……。
そうして、少しずつ少しずつ……ルキナは彼に惹かれていき、彼もまたルキナに想いを寄せて行ってくれた。
……とても緩やかで穏やかな……そんな優しい『恋』だった。
世界の情勢は戦乱の最中であって……更には邪竜の復活も近付きつつある状況で。決して平穏では無かったのだけれど。
それでも、彼とルキナの間に流れるその時間は、とても穏やかで温かなものだった。
何か凄く特別な事をしていたと言う訳では無くて。
ただ同じ時を過ごして、そして二人で色々な事を語り合ったりしてばかりだったのだけれども。
ただそれだけなのに、その時間はとても心が満たされていて。
『絶望の未来』での終わりの見えない戦いによって心が摩耗していたルキナにとっては、何にも代えがたい温かな『光』その物の様な時間であった。
そして、互いにその胸秘めた思いを伝え合って、想い結ばれて……ゆっくりゆっくりと、その『恋』は進んでいた。
二人で手を取り合って共に出掛けたり、そうやって時間を過ごしたり……。そんな風にゆっくりとした『恋』だった。
ルキナには『使命』があったし、彼もそれの重荷になる訳にはいかないからと……。結ばれた恋人たちが、その想いを確かめ合う為の性交の類は、全く行っていなかった。
僅かに、幾度か口付けをしただけの、そんなまるで甘酸っぱい子供の恋の様な……そう言う関係性だった。
世界を救えたその先で、平和な未来が訪れたその後で、ルキナがその『使命』を果たした後で、と。そう二人で夢見ていた。
……だけれども、今になって思うのだ。
こんな形で、その想いが、細やかな夢が、その全てが、何もかも滅茶苦茶に踏み躙られて汚されてしまう位ならば。
彼に。紛う事無い、ルキナが愛した彼その人に。自分の全てを捧げたかったと、身も心も彼のモノにして欲しかったと。
……今となってはどうあっても叶わない事を、願うのだ。
そして、彼との優しく幸せだった日々の事も夢に見てしまうからこそ、ルキナにとって夢の世界は、永遠に回帰する牢獄であると同時に、唯一彼の事だけを想える場所であった。
だけれども、夢は何時も惨劇と絶望で終わる。
そこまでの彼との日々の思い出が『幸せ』その物であるからこそ……夢は、耐え難い絶望と地獄で終わってしまうのだ。
……ルキナ達は、「あの日」、運命を変えた筈だった。
彼が「父」を殺す運命は回避されて、そしてこの世界の戦乱を陰で操っていた怨敵の首魁を討ち果たして。
やっと、これで世界は救われるのだと、そうルキナ達が歓喜に沸いたその時に。あの邪竜は、姿を現した。
世界を滅ぼした後で、ルキナ達を追ってこの「過去」にやって来たと言う邪竜はその時その瞬間まで、静かにその時を……かつての自分の様に、操られた彼が「父」を殺しその絶望の中で邪竜として目覚める瞬間を、ただただ待っていた。
そして、運命が変わったその時に、漸く姿を現したのだ。
邪竜の出現を前に、誰も何も出来なかった。
彼も、ルキナも、そして「父」も。……誰も。
邪竜はルキナ達の目の前で「父」を殺し、そして突然の事に呆然となっていた彼にその邪悪なる力を向けた。
……ルキナは。愛した彼を助ける事が、出来なかった。
人ならざる者へと、邪竜へとその身体を造り変えられて、その魂ごと邪竜に喰われていくその一部始終を。
……ルキナは、見ている事しか、出来なかった……。
彼は、最後まで「父」とルキナの名前を呼んでいたのに。
ルキナに、救いを求める様にその手を伸ばしていたのに。
ルキナは、何も出来なかった。
邪竜のモノへと化していくその手を取る事も。
次第に怪物の咆哮に変わっていく愛しい人のその声に、彼の名を呼び返す事ですら。
何も……何一つとして。ルキナは、出来なかったのだ。
心から愛していたのに。そして今も、ずっと愛しているのに。
それなのに、ルキナは彼に何もしてあげられなかった。
それは、きっと永遠にルキナの心を縛り苛み続ける咎だ。
……夢の中ですら、ルキナは彼を助けられない。
彼に何もしてあげられない。
そして夢の最後。目覚めるその直前には。
お前の所為だ。と責め立てる数多の声が聞こえる。
それは全て誰かの声であり、自分自身の声だ。
ルキナが、「過去」に来なければ。
少なくとも彼があんな惨い最期を迎える事は無かっただろう。
ルキナが自分を追い掛けて来ていた邪竜の存在に気付いていれば……少なくともその可能性に思い至っていれば。
未来は、そして今は。もっと違う物になっていた筈だ。
だけれども。ルキナには何も出来なかった。
故に、自分を責め苛み続けるその声が止む事は無い。
そしてその声が、何れ程凄惨で地獄の様な現実であっても、自ら狂い心を壊して現実から逃げる事をルキナに赦さない。
彼等はお前の現実よりも悲惨な絶望の中で死んだのだと。
『絶望の未来』で戦い続けた「自分」は糾弾する。
彼はお前の所為であんな惨い最期を迎えたのだと。
彼を愛していた……愛し続けている「自分」は弾劾する。
無数の「自分」が、永遠にルキナ自身を責め苛み続ける。
それはまさに、終わらない悪夢、終わらない地獄だ。
全てが過去の出来事であるが故に何一つとして変える事の出来ない、永劫回帰の牢獄だった。
それでもルキナは夢を見る。
もう夢でしか彼に出逢えないから。
彼の事を思い描く為に、ルキナは夢を見続けるのだ。
◇◇◇◇◇
ルキナは夢を見る。
何度も何度も同じ夢を、グルリグルリと壊れた糸車を回す様に、繰り返し繰り返し……変えられない夢を見続ける。
目覚めた所でそこに在るのは、僅かな希望の光すらない絶望の暗闇の中だけなのだけれども。
しかし、こうして見る夢もまた、ルキナを永遠に閉じ込める牢獄の様ですらあった。
夢は、何時もあの『絶望の未来』から始まる。
滅びゆく世界、死と恐怖と絶望だけが蔓延る世界……。
そんな世界で、自分達を守り命を落としていった大人達の意志を継いで、世界を救おうと……邪竜を討ち滅ぼそうと、先なんて見えないまま……それでも淡い『希望』を信じて、ひたすらに戦って戦って戦って……そうして戦う事以外の全てを忘れそうになる程に戦い続けて。……それでも世界は救えなかった。
終ぞどうしても揃える事の叶わなかった宝玉を嵌めた『炎の紋章』を……『黒炎』だけが欠けた不完全なそれを手に、滅びを最早どうやっても回避出来ない世界に、犠牲になっていった無数の人々へと懺悔し泣き崩れた日を思い出す、夢に見る。
そして、神竜の導きの下「過去」へ渡る事を決意したのだ。
守るべき世界を救えなかった罪から、背を向ける様にして。
だがしかし。そうして一つの世界を……例えもう滅びが不可避であるのだとしてもまだ僅かには生きていた命があった世界を見捨てる様にして、見殺しにする様にしてやって来た「過去」の世界ですら、ルキナは救えなかった、失敗した。
かつての世界よりも尚深い絶望にこの世界を突き落としたのは、ある意味ではルキナ達自身であった。
その事は、今も絶える事無くルキナの心を苛み続けている。
……一つの世界を見捨てて、そうして本来は在ってはならない筈の「やり直し」に手を掛けて。そうやって辿り着いたこの「過去」で、ルキナは彼に出逢ったのだ。
かつてのあの『絶望の未来』に至った、ルキナ達が生きるべきだった世界に於いても、父の『半身』とすら呼ばれ常に父を陰に日向に支え続けていた救国の軍師。
父と共に命を落とした彼……の、その過去の姿に。
「過去」への干渉は必要最小限にしようと、そう思っていたのだけれども。止むを得ぬ事情から「父」に正体を明かし共に行動する事になった。
そして、そんなルキナを何かと気遣って力になってくれたのが、彼だったのだ。
本来は「過去」であるこの世界に存在してはならぬ『異物』であるが故に、基本的にこの世界の人々と深く関わるには障りがあるルキナには、その事情を理解してその上で何かと気遣ってくれた彼の優しさが、心に沁みる程に嬉しくて……。
そうして、少しずつ少しずつ……ルキナは彼に惹かれていき、彼もまたルキナに想いを寄せて行ってくれた。
……とても緩やかで穏やかな……そんな優しい『恋』だった。
世界の情勢は戦乱の最中であって……更には邪竜の復活も近付きつつある状況で。決して平穏では無かったのだけれど。
それでも、彼とルキナの間に流れるその時間は、とても穏やかで温かなものだった。
何か凄く特別な事をしていたと言う訳では無くて。
ただ同じ時を過ごして、そして二人で色々な事を語り合ったりしてばかりだったのだけれども。
ただそれだけなのに、その時間はとても心が満たされていて。
『絶望の未来』での終わりの見えない戦いによって心が摩耗していたルキナにとっては、何にも代えがたい温かな『光』その物の様な時間であった。
そして、互いにその胸秘めた思いを伝え合って、想い結ばれて……ゆっくりゆっくりと、その『恋』は進んでいた。
二人で手を取り合って共に出掛けたり、そうやって時間を過ごしたり……。そんな風にゆっくりとした『恋』だった。
ルキナには『使命』があったし、彼もそれの重荷になる訳にはいかないからと……。結ばれた恋人たちが、その想いを確かめ合う為の性交の類は、全く行っていなかった。
僅かに、幾度か口付けをしただけの、そんなまるで甘酸っぱい子供の恋の様な……そう言う関係性だった。
世界を救えたその先で、平和な未来が訪れたその後で、ルキナがその『使命』を果たした後で、と。そう二人で夢見ていた。
……だけれども、今になって思うのだ。
こんな形で、その想いが、細やかな夢が、その全てが、何もかも滅茶苦茶に踏み躙られて汚されてしまう位ならば。
彼に。紛う事無い、ルキナが愛した彼その人に。自分の全てを捧げたかったと、身も心も彼のモノにして欲しかったと。
……今となってはどうあっても叶わない事を、願うのだ。
そして、彼との優しく幸せだった日々の事も夢に見てしまうからこそ、ルキナにとって夢の世界は、永遠に回帰する牢獄であると同時に、唯一彼の事だけを想える場所であった。
だけれども、夢は何時も惨劇と絶望で終わる。
そこまでの彼との日々の思い出が『幸せ』その物であるからこそ……夢は、耐え難い絶望と地獄で終わってしまうのだ。
……ルキナ達は、「あの日」、運命を変えた筈だった。
彼が「父」を殺す運命は回避されて、そしてこの世界の戦乱を陰で操っていた怨敵の首魁を討ち果たして。
やっと、これで世界は救われるのだと、そうルキナ達が歓喜に沸いたその時に。あの邪竜は、姿を現した。
世界を滅ぼした後で、ルキナ達を追ってこの「過去」にやって来たと言う邪竜はその時その瞬間まで、静かにその時を……かつての自分の様に、操られた彼が「父」を殺しその絶望の中で邪竜として目覚める瞬間を、ただただ待っていた。
そして、運命が変わったその時に、漸く姿を現したのだ。
邪竜の出現を前に、誰も何も出来なかった。
彼も、ルキナも、そして「父」も。……誰も。
邪竜はルキナ達の目の前で「父」を殺し、そして突然の事に呆然となっていた彼にその邪悪なる力を向けた。
……ルキナは。愛した彼を助ける事が、出来なかった。
人ならざる者へと、邪竜へとその身体を造り変えられて、その魂ごと邪竜に喰われていくその一部始終を。
……ルキナは、見ている事しか、出来なかった……。
彼は、最後まで「父」とルキナの名前を呼んでいたのに。
ルキナに、救いを求める様にその手を伸ばしていたのに。
ルキナは、何も出来なかった。
邪竜のモノへと化していくその手を取る事も。
次第に怪物の咆哮に変わっていく愛しい人のその声に、彼の名を呼び返す事ですら。
何も……何一つとして。ルキナは、出来なかったのだ。
心から愛していたのに。そして今も、ずっと愛しているのに。
それなのに、ルキナは彼に何もしてあげられなかった。
それは、きっと永遠にルキナの心を縛り苛み続ける咎だ。
……夢の中ですら、ルキナは彼を助けられない。
彼に何もしてあげられない。
そして夢の最後。目覚めるその直前には。
お前の所為だ。と責め立てる数多の声が聞こえる。
それは全て誰かの声であり、自分自身の声だ。
ルキナが、「過去」に来なければ。
少なくとも彼があんな惨い最期を迎える事は無かっただろう。
ルキナが自分を追い掛けて来ていた邪竜の存在に気付いていれば……少なくともその可能性に思い至っていれば。
未来は、そして今は。もっと違う物になっていた筈だ。
だけれども。ルキナには何も出来なかった。
故に、自分を責め苛み続けるその声が止む事は無い。
そしてその声が、何れ程凄惨で地獄の様な現実であっても、自ら狂い心を壊して現実から逃げる事をルキナに赦さない。
彼等はお前の現実よりも悲惨な絶望の中で死んだのだと。
『絶望の未来』で戦い続けた「自分」は糾弾する。
彼はお前の所為であんな惨い最期を迎えたのだと。
彼を愛していた……愛し続けている「自分」は弾劾する。
無数の「自分」が、永遠にルキナ自身を責め苛み続ける。
それはまさに、終わらない悪夢、終わらない地獄だ。
全てが過去の出来事であるが故に何一つとして変える事の出来ない、永劫回帰の牢獄だった。
それでもルキナは夢を見る。
もう夢でしか彼に出逢えないから。
彼の事を思い描く為に、ルキナは夢を見続けるのだ。
◇◇◇◇◇