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愛を知らぬ怪物なれど

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 一年以上の放浪の果てに、再びこの手の中に戻って来た妻と娘の存在は、ギムレーにとって多くの戸惑いを齎していた。

 自分の血を引く……『邪竜』の娘たるマークと、そして今や邪竜の眷属となったルキナと。
 かつてはギムレーの下からマークを連れて逃げ出したルキナであったが、再びその身を捕らえたその時には、彼女はギムレーの手を自ら掴みこそしなかったものの、かつての様に必死に抵抗すると言う事も無く受け入れて再びこの城に戻った。

 ……それは、ルキナがマークと共に生きられる場所が此処にしかないからと言う理由が大きいのだろう。
 何故なら、ルキナはギムレーを恐れると同時に憎悪している。
 邪竜であるギムレーには、そう言った人の悪性など例え隠していたとしても手に取る様に分かるのだから。
 だがそれは当然の事であろうし、憎悪されたからと言ってルキナにギムレーが害せる筈も無く、ギムレーにとってその憎悪は寧ろ心地い程に『愛』の媚薬の様なモノであった。

 ギムレーには、『人間』達の言う『愛』と言うモノは理解出来ないが、何かに強く執着する感情は分かる。
 独占欲の様なその執着心の向かう先、誰にも奪わせたくない『特別』な何か。それがギムレーにとってのルキナ達であった。
 それを『愛』と呼ぶのかは、ギムレーは知らない。

 知らないし、理解し得ないもの、そしてギムレー自身には必要のないモノ。それが『愛』だ。

 しかし、『人間』の番は往々にして相手に『愛』を求め、そして相手にそれを与えるのだとも「知っている」。
 その認識が、理解が、何処から生まれたものなのか、「誰」が持っていたモノなのかはギムレーにも分からないが。
 とにかく、そう言うものであるらしいと言う事は知っている。
 だからこそ、ギムレーは自らの妻として選んだ彼女に、『人間』達の流儀に則って、自分では理解出来ない『愛』なるモノを与えようと思ったのだ。
 その為にも、ギムレーは捕らえた彼女に、自由以外の全てを満たし、彼女を毎夜の如く抱いた。
 そう言う「行為」を行う事が、『人間』達にとって『愛』の証明であり『愛』その物なのだろうと、そうギムレーは解釈していたからだった。しかし、それが本当に『愛』なのかはギムレー本人にも理解出来ない事だった。

 そもそも、この世に『同族』など存在しない、己の存在ただ一つで「生命」として完結してしまっているギムレーにとって、他の種族が自らの因子を継ぐ子孫を残す為に行う行為に価値を見出す筈も無く。だからこそ、自身にとって「無価値」な繁殖の為の行為に何かと意味を見出そうとし、その為に感じる一連の情動に『愛』だのと名付けて執着するのは、ギムレーにとって未知の価値観であり、本当に理解出来ない事であったのだ。
 それは、正直今も何一つとして変わらない。
 行為を行っている最中の彼女は、まさに絶望と憎悪だけにその心を燃やしていて。それでも生理的な「ただの反応」で零れ出てしまうものを、より憎んでいるようであった。
 ルキナを絶望させる、と言う意味でならそれは間違いなく良い手段だったのかもしれないが……少なくともギムレーの行為に彼女が『愛』なるものを感じている様には見えなかった。
 まあ事実、ギムレーが『愛』を理解出来ない以上、そこに『愛』などと言うモノは無かっただろうとは自分でも思うが……。

 ギムレーとしても、ルキナが絶望しつつもまだ心だけは屈しないとばかりにその意志だけは抗おうと、無意味ながらも見ていて飽きない足掻きを続けていたのを見れた事は愉しかったが。
 そもそもの行為自体には、あまり感じるモノは無かった。
 嫌では無いが、それだけで愉しくなれたのかと言うとまあ間違いなく違うだろうとは思う。

 しかし。ギムレーに囚われてからはずっと、行為の時以外は人形よりも生気の無い顔で何処かをぼんやり見ているか、或いは夢の中に逃げるかの様に眠るしかしてこなかったルキナが。
 行為の時だけは例え負の感情にであってもその表情や心を動かし反応してくれていた事に、ギムレーは価値を見出していた。

 絶望するのは良い、憎悪するのも良い、怒りから破滅的な願いを抱くのも構わない。
 だが、ルキナが虚無に心を喰われる事だけは承服しかねた。

 ギムレーは、ルキナを妻としたからには少なくとも、その形式的には番として大切にしようとは思ったし、況してや心を完全に消し去って人形にしたかった訳では無い。
 そして、この世の破滅と絶望を望むギムレーであるからこそ、破壊する事の容易さと……そしてその容易さに相反するかの様な、『治す』事の難しさもよく知っていた。
 一度跡形もなく壊してしまえば、もうそれは元には戻らない。
 完全に虚無の中へと消えてしまったのなら、ギムレーの力を以てしてもそれを完全に元の状態に戻す事は出来ない。
 最初から壊してしまうつもりで、弄んだ後はそのまま捨てるか壊したまま遊ぶのならそれで良いのだろうけども。
 少なくともギムレーは、ルキナにそんな事をするつもりは無かったし、もし彼女にとっては自身はギムレーの玩具でしかないように感じられたのだとしても、それは人間風に例えるならば『代替不可能なお気に入りの玩具』に対するものであり、寧ろ丁重な扱いをしていたとはギムレー自身は思っていた。

 ……ただ、ギムレーと『人間』の価値観の違いや視点の違いと言うものは、例え互いにそれを理解していても尚埋める事など出来ぬものであり、況してやルキナとギムレーの間のそれは深まるばかりのものなのだろう。
 ギムレーは、例え彼女を己の眷属にしようとも、自分がルキナのその心や価値観を真に理解出来る事などありはしないだろうと考えているし、それで構わないとも思っている。
 ルキナの場合は、ギムレーの心や価値観などそもそも最初から理解しようとすらしないだろう。
 故に、二人の間に、『愛』と解釈出来る行為があった所で、それを二人が『愛』だと感じる事は、互いに無い。

 それでも、ギムレー自らの妻にルキナを選んだのだ。
 それ故に、ギムレーは自身の価値観と行動で、自分なりにルキナの事を気遣っていた。
 その結果、例え憎しみと絶望を抱える方向性であってもルキナは心を喪わずに済んだ。そして、その行為の果てで。
 ギムレーの予想すら超えたのが、マークの存在であった。

「完全なる生命」として生まれたが故に、ギムレーは唯一個体だけで完結している筈であったのに。
 生まれてはただ死んでいく不完全な生命の様に、自らの因子を本当の意味で最初から生まれ持った「子供」が生まれるとは、ギムレー自身にも想定外の事だったのだ。
『ルフレ』の様に、自分自身と言う訳ではない。
 自分とは異なる個体であり当然ながら異なる魂を持つ……しかし紛れもなく『同族』である存在。
 それはギムレーにとっては間違いなく、未知なる者であった。
 この世に存在して幾千年経った果てで初めて得る『同族』に、ギムレーですら平静ではいられなかったのだ。

 ……それが胎に宿ったと知った直後のルキナは、それはもう酷い有様ではあったのだが。
 しかし、それを産み落とした後の彼女の変貌の仕方と言ったら、もしかして別人がすり替わったのではないかと一瞬ギムレーの脳裏にすら過る程であった。
 それまでの不安定さなど見る影もなく。
 ギムレーの前では決して見せる事の無い様な表情を、ルキナはマークにだけ向けていた。
 ……いや、……正確には。
『二周目』の記憶を探っていると、ルキナは『二周目』に対してはその様な表情をよく浮かべていた。
 恐らく、ギムレーでは何をしても見る事が出来ない様な、穏やかな顔を……安心しきった顔を……何かを慈しむ様なその微笑みを……かつてのルキナはよく浮かべていた様だ。
 ……娘であるマークに感じている感情と、『二周目』に向けていたそれは同じものではないだろうけれども……。
 しかしそこに彼女が感じていた『安らぎ』は、似ているモノなのだろう。それを考えると、僅かにではあるが心に靄が掛かったかの様に、名状し難い何かを感じる。

 ……まあ何にせよ。マークの存在はルキナにとっては「良い」方向に働いた様だ。
 生まれ落ちた直後のマークの姿が、かなり人間に寄っていたのもその心の安定に一役買っていたのかもしれない。
 もし、かつてのギムレーの様な姿でマークがこの世に生まれ落ちていたのだとしたら、ルキナはどう反応していたのだろう。
 マークが胎の中に居た頃の様に、マークを殺そうとしたのだろうか、或いは拒絶したのだろうか、……かつてギムレーを造り出したあの狂った醜悪な錬金術師の様に、失望と恐怖の眼差しを向けていたのだろうか……。
 今となってはそれは確かめようが無いし、そんな詰まらない仮定と推測にも意味は無い。
 ルキナはマークを愛したと言う現実だけが、全てである。

 今にも吹き消えてしまいそうな程の小さな小さな命。
 だが、確かにギムレーと同じ力と血を継ぐ『同族』。
 その「素材」を考えてみれば、ギムレーとマークにそう大きな違いは無いのだろうけれども。
 少なくとも、この世に生まれた後に辿った道は異なり。
 そして自分とは異なる心の在り方と価値観を獲得している。
 少なくともギムレーがマーク位の年頃の時には、既に創造主を殺していたし破壊と殺戮を求める衝動のままにそれを成していたのだが……マークにはその様な衝動の片鱗も無い様だ。
 外の世界で散々『人間』の悪意に晒されていても、マークは『人間』に対し恐怖心や怯えは懐いてはいても、『人間』を殺戮しようなどとは欠片も考えた事すらなかった。
 その違いは、その容姿によるものなのだろうか。
 或いは、眷属ではあるが『人間』としての要素が強かったルキナの血も濃く混ざったからなのか。
 もしかすると、生まれ落ちたその直後から、ルキナと言う『母』が居たからこそなのかもしれない。
 何にせよ、同じ血を持つ『同族』でありながらも、既に随分とギムレーとマークには違いがある様だ。
 その内には完全に『竜』の姿を取れる様になるとは思うが、そうなった時もやはり違いは生まれるのだろうか。
 そう考えると、マークへの疑問は尽きない。
 そして、そう言った事について考えを巡らせると言う事はギムレーにとっては決して不愉快なモノでは無かった。
 不思議な事に、寧ろ楽しみさえそこに見出していた。
 これが、『親』と言うモノなのだろうか? 
 ギムレーにとってはこの世で最も縁の無いモノだとすら思っていたが、存外悪くは無いモノだ。

 そう考えると、益々ルキナを妻とした自分の判断は間違ってはいなかったと思うのだ。
 二つの時間のギムレーが融け合って手に入れた強大に過ぎる力の前には、最早神竜ですら相手にならず。
 全ての滅びは予定調和と化したが故に、その先に待っているのは『退屈』に心を蝕まれた生だろうかと思ってはいたが、ルキナを妻にした事で何かと興味と愉しみは尽きない。
 そう、興味は尽きないのだけれども。

 ふと、最近のルキナの視線を思い起こし、ギムレーは僅かにその眉を顰めた。
 ルキナは近頃、ギムレーへとかつて程の強い拒絶を向けなくなった……がそれと同時にどうにも不思議な目をギムレーへと向けてくる事があるのだ。
 ギムレーを通して、別の誰かを見ているかの様な……。
 ……まあ恐らくは、『二周目』の存在をギムレーの内に見ているのだろう。そもそも同じ存在ではあるのだが。

 同じ存在である『二周目』の事を想っていると言うのは、即ちギムレーを見ている事と何も変わらないが。
 しかし、大海に堕とした一滴のインクの様に、何故だかは分からないが、ギムレーの心は僅かに曇るのであった。




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