愛を知らぬ怪物なれど
◆◆◆◆◆
かつて囚われ続けていた邪竜の居城に、ルキナは一年と少しの時間の後に、再び戻って来ていた。
ギムレーに再び囚われた……とも言えなくも無いが。
だが、再びルキナの前に現れたギムレーのその手を、掴みこそはしなかったが拒まなかったのもルキナ自身である。
……ルキナにとって。この城はかつて囚われていたその時と何一つとして変わらぬ物ではあるけれど、この世で唯一我が子が息を殺す様にして隠れて生きる必要のない場所でもあった。
ルキナにとってはただその事実だけが大切な事であり、心無いケダモノの如き人間達に娘が害される恐れが無いのであれば、それはまさに安息の地とも言える場所である。
……例え、今も尚消える事のない憎悪を向け続けている怨敵の領域であるのだとしても。
その庇護下でしか我が子が生きられないのであれば。
邪竜の翼の下に戻り、そこで生きていく事に否は無かった。
邪竜に隷属する事を誓い身も心も魂までもを縛られている人々にとって、マークは彼等の神の御子であり、ルキナはその神妻と言う扱いになる訳で、この居城に居る限り、マークに危害が加えられる可能性は僅か程も無い。
万が一にもマークに害意を懐いた瞬間、その者はその瞬間に絶命し、屍兵として永遠の隷属を強いられる事になる。
……一年以上の放浪の末に得た結論が、再び此処に戻って来ると言うのは、何とも皮肉なもので無意味なものだけれど。
少なくとも。ルキナが外の世界に……『人間』達の世界に何一つとして『希望』を抱かなくなり、期待すらしなくなった事は、一つ大きな変化なのだろう。それの善し悪しは別にして。
『世界』を救う『使命』よりも、ルキナはマークの母親である事を既に選んでいる。
万が一にも、かつての仲間達がこの城にまでやって来て、そしてルキナを邪竜の手から救おうとするのだとしても。
彼等にとっての救わねばならぬ対象はルキナだけであって。
そこにマークが入る事は無いのだろう。
寧ろギムレー共々『討伐』の対象になっているかもしれない。
そうであるならば……恐らく、その時には。
ルキナは、ギムレーの側に立ち、躊躇う事無くファルシオンをかつての仲間達に向けるだろう。
悔悟に胸を千々に切り裂かれながらでも、その心が絶望と苦しみに泣き叫ぶのだとしても。
マークを守る事こそが、我が子の存在だけが。
何もかもを奪い去られたルキナにたった一つ残された、暖かな絶望なのだから。
例えそれが誰であっても、ルキナからマークを奪おうとするのであれば、ルキナは剣を向ける。
有り得ない事ではあるが……もし父が目の前に現れたとしても、ルキナはマークを守る事を選ぶであろう。
……マークは。まだこの城での生活に慣れぬ様であった。
だが、それも無理も無い話であろう。
この城の中で生まれたとは言え、この城を脱け出し逃亡した時点ではまだ乳離れが済んだ直後だったマークが、かつて自分が城に居た間の事を覚えている筈も無い。
マークにとって此処は、見知らぬ場所でしかないのだろう。
それでも僅かながら記憶の片隅に残るモノはあるのか、何処となく懐かしさの様なモノは感じている様であるのだが……。
何にせよ、これまで姿を隠し域を潜める様にしながらの旅から旅への根無し草の生活だったのが、これまでの生活からは考えられない様な立派な城を「今日からここがお前の住む場所だ」と言われた様なものなのだ。
今までの生活とは全く違うそれに、戸惑いが先に立つのも仕方が無いし、更に言えば母親以外の存在が自分と同じ生活空間に居ると言うのも落ち着かないのだろう。
だからなのか。
ここでは誰に脅かされると言う事も無いのだけれども。
マークは外の世界を放浪していた時以上に、四六時中と言っても良い程にルキナの傍に居た。
城の使用人として使われている人々にも怯えているが。
マークが何よりも距離を置いているのは、彼女にとって実の父親に当たる筈の邪竜に対してであった。
母親と恐ろしい『人間達』しか存在しなかったマークの世界に、突然現れた自身の同族であり父親であると言うギムレーは、まさに未知の存在であり、警戒するべき対象なのだろう。
……それには、マークにそれとは悟られぬ様に隠してはいるとは言え、それでもルキナがギムレーに対し向けてしまう憎悪や殺意と言った負の感情を、それの感情の中身を詳しくは理解出来なくても、マークが無意識の内にでも敏感に感じ取ってしまっているからなのだろうか。
……邪竜、ギムレー。
ルキナにとっては自分から全てを奪い去ったこの世の何よりも憎い仇であると同時に。
マークにとっては間違いなく『父親』であるその存在を、どう扱えば良いのか……どう接すれば良いのか。
ルキナには、未だその答えを出せないでいる。
ルキナにとって、ギムレーが自身の愛していたモノ全てに対しての仇である事は、例え今彼の庇護下でルキナ達親子が生きているのだとしても絶対に変わらないし、この先どれ程の時間が過ぎ去ろうとも何が起きようとも、ルキナがギムレーのその所業を赦す事は未来永劫無いであろう。
この憎悪と悲嘆は、永遠に消せはしない。
ギムレーがルフレの姿で人を殺戮している事を、世界を滅ぼしていく事を、ルキナは何があっても赦さない。
愛している者の全てを奪い、全てを貶めている邪竜のその存在全てを、叶うのならば永劫の時の彼方まで魂の欠片まで消し去ってしまいたいし、邪竜がルキナ達にして来た事をそっくりそのまま同じ目に遭わせた上で辿り着く彼岸すら無い無限の虚無の中に突き落としてしまいたい。
ルキナは、人間が持つ悪性の中でも過剰な程の悪意と害意の全てを邪竜に向けているし、そんな醜さを自覚した上でも清廉潔白さを装う事など考えたくも無い程に邪竜を憎悪している。
しかし、それ程の強過ぎる憎悪や憤怒を向けている一方で。
それだけではない感情も、僅かだがギムレーに向けていた。
それは、決して愛慕の様なモノなどではなく……深い深い哀しみとそこを源とする諦念とある種の虚無感……。
そう言ったモノが綯い交ぜになったそれを、どう扱えば良いのかルキナ自身が持て余していた。
自身の憎悪や憤怒と矛盾こそしないものの、甘い砂糖菓子の中に僅かに混じった苦みの様に、確かにそこにある感情。
それは。どれ程憎かろうとも、ギムレーがマークの『父親』に他ならないからであろうか。
それとも、邪竜の娘であるマークにとっては、この世で唯一の『同朋』とも言える相手であるからだろうか。
…………例え何れ程憎くても、マークから『父親』を奪う事は、許されて良い事では無いのだろう。
マーク自身がギムレーを『父親』として認識するかどうかはともかく、少なくともギムレーの側にはマークが我が子であり自身が『父親』である認識はあるらしい。
母親であるルキナでは与えてやれぬものも、マークにとって必要なモノであるかもしれないのだ。
それを得る機会を奪う事は。マークを心から愛し想うからこそ、ルキナに出来る筈も無かった。
それに、『人間』でしかないルキナには、『竜』としてのマークの全てを理解してはやれない時が来てしまうかもしれない。
無論、何が起きても、ルキナはマークの全てを受け入れて抱き締めるだろうけれども……それと何もかもを『理解出来る』のかと言う問題は、また別の話である。
『人間』と『邪竜』の間に産まれたマークが、今後どのように成長していくのかなんてルキナには分からないし、何がマークにとって危険な事で何はそうでないのかすらも分からない。
……かつて、仲間であったシャンブレーは、彼自身がタグエルの血を引く者の最後の生き残りである事を、誇りに思うと同時に……間違いなく恐れていた。
自身が死ねばタグエルと言う存在の系譜が絶えてしまう事もその恐怖の一つではあったけれど、正真正銘最後の純粋なタグエルであった彼の母が亡くなった後は、タグエルとしての彼を導いてくれる者が居なかったと言うのもまた、傷付く事を厭い戦いから逃げる彼の臆病な性格に拍車を掛けていたのだろう。
『人間』である仲間達や周囲の者達では気付かない理解出来ない対処出来ない問題が起きた時に、タグエルとしてその対処法を教えてくれる者はもう居なかったのだから。
……それはきっと、とても恐ろしい事だと、そう思うのだ。
……だからこそ、マークにとっては、『竜』としての『同胞』はきっと必要なモノなのだ。
……例えそれが、世界を滅ぼす邪竜であるのだとしても。
ギムレーとて、マークに『竜』としての助けが必要になった時、それを無碍にする事もあるまい。
そして。ルキナがギムレーへの接し方について迷っている原因はそれだけではなかった。
時折。……そう、本当に時折ではあるのだけれども。
ギムレーの中に、確かにルフレの存在を感じるのだ。
その仕草の中に、その表情の中に、その声の中に、その言葉の中に、その気配の中に……ルキナは『ルフレ』を感じる。
ギムレーの演技……と言う訳では無いのだろう。
ルキナがその存在をより強く感じるのは、何時もギムレーがそれと意識していない時の事が殆どであったから。
……ルフレを求める余り、存在しないモノの影をルキナが其処に見てしまっている可能性は否定しきれないのだけれど。
それでも……邪竜の内に、そこに囚われた最愛の人の姿を見付けてしまうのだ。
喰われても尚、そこに彼は居るのだろうか。
滅び行く世界を、魂の牢獄の中で見詰めているのだろうか。
もしそうならば、彼の魂に安息が訪れる事は無いのだろう。
ルキナ以外は誰も、そこに囚われた彼の魂の事を知らない。
ルキナ以外の誰も、彼の救いを願わない。
それは……とても哀しい事だと、寂しい事だと、そう思う。
ルキナは邪竜に全てを奪われ踏み躙られた。
だけれども今は、マークが居てくれる。
邪竜の娘であるけれど、それ以上に愛おしい我が子が。
ルキナだけの優しく暖かな絶望が、そこに在る。
だけれども、もしルフレが邪竜の内に囚われているのならば。
ルフレには文字通り、「何一つとして」救いは無い。
……そんな事を、今も尚彼を愛し続けているルキナが許容できる筈も無かった。
それもあって、ルキナは邪竜に……より正確にはその中に居るルフレに、寄り添う事を選んでしまったのだろう。
どうせルキナはもう、命の尽き果てる場所に辿り着いたとしても、父たちの様な安息の彼岸には辿り着けまい。
良くて、行く先は地獄である。
ならば、邪竜に囚われた彼と共に何処までも地獄を堕ちていく事も、また一つの道だ。
少なくともルキナにとって、今尚最愛の人である彼を、独り地獄の釜底に置き去りにする位ならば。共にその業火に焼かれる方が自分自身にとっても『救い』になるのだ。
孤独である事以上に、恐ろしく苦しく寂しい事は無い。
何もかもを奪われて邪竜に囚われたルキナはその恐ろしさをよく知っている。
叶うのならば、ルフレをギムレーから解放してあげたいが、それはもうこの世界で叶う事では無いだろう。
だからこそ、それがルキナの欺瞞でしか無いのだとしても。
せめて、共に死が訪れるその日まで、彼の傍に居るのだ。
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かつて囚われ続けていた邪竜の居城に、ルキナは一年と少しの時間の後に、再び戻って来ていた。
ギムレーに再び囚われた……とも言えなくも無いが。
だが、再びルキナの前に現れたギムレーのその手を、掴みこそはしなかったが拒まなかったのもルキナ自身である。
……ルキナにとって。この城はかつて囚われていたその時と何一つとして変わらぬ物ではあるけれど、この世で唯一我が子が息を殺す様にして隠れて生きる必要のない場所でもあった。
ルキナにとってはただその事実だけが大切な事であり、心無いケダモノの如き人間達に娘が害される恐れが無いのであれば、それはまさに安息の地とも言える場所である。
……例え、今も尚消える事のない憎悪を向け続けている怨敵の領域であるのだとしても。
その庇護下でしか我が子が生きられないのであれば。
邪竜の翼の下に戻り、そこで生きていく事に否は無かった。
邪竜に隷属する事を誓い身も心も魂までもを縛られている人々にとって、マークは彼等の神の御子であり、ルキナはその神妻と言う扱いになる訳で、この居城に居る限り、マークに危害が加えられる可能性は僅か程も無い。
万が一にもマークに害意を懐いた瞬間、その者はその瞬間に絶命し、屍兵として永遠の隷属を強いられる事になる。
……一年以上の放浪の末に得た結論が、再び此処に戻って来ると言うのは、何とも皮肉なもので無意味なものだけれど。
少なくとも。ルキナが外の世界に……『人間』達の世界に何一つとして『希望』を抱かなくなり、期待すらしなくなった事は、一つ大きな変化なのだろう。それの善し悪しは別にして。
『世界』を救う『使命』よりも、ルキナはマークの母親である事を既に選んでいる。
万が一にも、かつての仲間達がこの城にまでやって来て、そしてルキナを邪竜の手から救おうとするのだとしても。
彼等にとっての救わねばならぬ対象はルキナだけであって。
そこにマークが入る事は無いのだろう。
寧ろギムレー共々『討伐』の対象になっているかもしれない。
そうであるならば……恐らく、その時には。
ルキナは、ギムレーの側に立ち、躊躇う事無くファルシオンをかつての仲間達に向けるだろう。
悔悟に胸を千々に切り裂かれながらでも、その心が絶望と苦しみに泣き叫ぶのだとしても。
マークを守る事こそが、我が子の存在だけが。
何もかもを奪い去られたルキナにたった一つ残された、暖かな絶望なのだから。
例えそれが誰であっても、ルキナからマークを奪おうとするのであれば、ルキナは剣を向ける。
有り得ない事ではあるが……もし父が目の前に現れたとしても、ルキナはマークを守る事を選ぶであろう。
……マークは。まだこの城での生活に慣れぬ様であった。
だが、それも無理も無い話であろう。
この城の中で生まれたとは言え、この城を脱け出し逃亡した時点ではまだ乳離れが済んだ直後だったマークが、かつて自分が城に居た間の事を覚えている筈も無い。
マークにとって此処は、見知らぬ場所でしかないのだろう。
それでも僅かながら記憶の片隅に残るモノはあるのか、何処となく懐かしさの様なモノは感じている様であるのだが……。
何にせよ、これまで姿を隠し域を潜める様にしながらの旅から旅への根無し草の生活だったのが、これまでの生活からは考えられない様な立派な城を「今日からここがお前の住む場所だ」と言われた様なものなのだ。
今までの生活とは全く違うそれに、戸惑いが先に立つのも仕方が無いし、更に言えば母親以外の存在が自分と同じ生活空間に居ると言うのも落ち着かないのだろう。
だからなのか。
ここでは誰に脅かされると言う事も無いのだけれども。
マークは外の世界を放浪していた時以上に、四六時中と言っても良い程にルキナの傍に居た。
城の使用人として使われている人々にも怯えているが。
マークが何よりも距離を置いているのは、彼女にとって実の父親に当たる筈の邪竜に対してであった。
母親と恐ろしい『人間達』しか存在しなかったマークの世界に、突然現れた自身の同族であり父親であると言うギムレーは、まさに未知の存在であり、警戒するべき対象なのだろう。
……それには、マークにそれとは悟られぬ様に隠してはいるとは言え、それでもルキナがギムレーに対し向けてしまう憎悪や殺意と言った負の感情を、それの感情の中身を詳しくは理解出来なくても、マークが無意識の内にでも敏感に感じ取ってしまっているからなのだろうか。
……邪竜、ギムレー。
ルキナにとっては自分から全てを奪い去ったこの世の何よりも憎い仇であると同時に。
マークにとっては間違いなく『父親』であるその存在を、どう扱えば良いのか……どう接すれば良いのか。
ルキナには、未だその答えを出せないでいる。
ルキナにとって、ギムレーが自身の愛していたモノ全てに対しての仇である事は、例え今彼の庇護下でルキナ達親子が生きているのだとしても絶対に変わらないし、この先どれ程の時間が過ぎ去ろうとも何が起きようとも、ルキナがギムレーのその所業を赦す事は未来永劫無いであろう。
この憎悪と悲嘆は、永遠に消せはしない。
ギムレーがルフレの姿で人を殺戮している事を、世界を滅ぼしていく事を、ルキナは何があっても赦さない。
愛している者の全てを奪い、全てを貶めている邪竜のその存在全てを、叶うのならば永劫の時の彼方まで魂の欠片まで消し去ってしまいたいし、邪竜がルキナ達にして来た事をそっくりそのまま同じ目に遭わせた上で辿り着く彼岸すら無い無限の虚無の中に突き落としてしまいたい。
ルキナは、人間が持つ悪性の中でも過剰な程の悪意と害意の全てを邪竜に向けているし、そんな醜さを自覚した上でも清廉潔白さを装う事など考えたくも無い程に邪竜を憎悪している。
しかし、それ程の強過ぎる憎悪や憤怒を向けている一方で。
それだけではない感情も、僅かだがギムレーに向けていた。
それは、決して愛慕の様なモノなどではなく……深い深い哀しみとそこを源とする諦念とある種の虚無感……。
そう言ったモノが綯い交ぜになったそれを、どう扱えば良いのかルキナ自身が持て余していた。
自身の憎悪や憤怒と矛盾こそしないものの、甘い砂糖菓子の中に僅かに混じった苦みの様に、確かにそこにある感情。
それは。どれ程憎かろうとも、ギムレーがマークの『父親』に他ならないからであろうか。
それとも、邪竜の娘であるマークにとっては、この世で唯一の『同朋』とも言える相手であるからだろうか。
…………例え何れ程憎くても、マークから『父親』を奪う事は、許されて良い事では無いのだろう。
マーク自身がギムレーを『父親』として認識するかどうかはともかく、少なくともギムレーの側にはマークが我が子であり自身が『父親』である認識はあるらしい。
母親であるルキナでは与えてやれぬものも、マークにとって必要なモノであるかもしれないのだ。
それを得る機会を奪う事は。マークを心から愛し想うからこそ、ルキナに出来る筈も無かった。
それに、『人間』でしかないルキナには、『竜』としてのマークの全てを理解してはやれない時が来てしまうかもしれない。
無論、何が起きても、ルキナはマークの全てを受け入れて抱き締めるだろうけれども……それと何もかもを『理解出来る』のかと言う問題は、また別の話である。
『人間』と『邪竜』の間に産まれたマークが、今後どのように成長していくのかなんてルキナには分からないし、何がマークにとって危険な事で何はそうでないのかすらも分からない。
……かつて、仲間であったシャンブレーは、彼自身がタグエルの血を引く者の最後の生き残りである事を、誇りに思うと同時に……間違いなく恐れていた。
自身が死ねばタグエルと言う存在の系譜が絶えてしまう事もその恐怖の一つではあったけれど、正真正銘最後の純粋なタグエルであった彼の母が亡くなった後は、タグエルとしての彼を導いてくれる者が居なかったと言うのもまた、傷付く事を厭い戦いから逃げる彼の臆病な性格に拍車を掛けていたのだろう。
『人間』である仲間達や周囲の者達では気付かない理解出来ない対処出来ない問題が起きた時に、タグエルとしてその対処法を教えてくれる者はもう居なかったのだから。
……それはきっと、とても恐ろしい事だと、そう思うのだ。
……だからこそ、マークにとっては、『竜』としての『同胞』はきっと必要なモノなのだ。
……例えそれが、世界を滅ぼす邪竜であるのだとしても。
ギムレーとて、マークに『竜』としての助けが必要になった時、それを無碍にする事もあるまい。
そして。ルキナがギムレーへの接し方について迷っている原因はそれだけではなかった。
時折。……そう、本当に時折ではあるのだけれども。
ギムレーの中に、確かにルフレの存在を感じるのだ。
その仕草の中に、その表情の中に、その声の中に、その言葉の中に、その気配の中に……ルキナは『ルフレ』を感じる。
ギムレーの演技……と言う訳では無いのだろう。
ルキナがその存在をより強く感じるのは、何時もギムレーがそれと意識していない時の事が殆どであったから。
……ルフレを求める余り、存在しないモノの影をルキナが其処に見てしまっている可能性は否定しきれないのだけれど。
それでも……邪竜の内に、そこに囚われた最愛の人の姿を見付けてしまうのだ。
喰われても尚、そこに彼は居るのだろうか。
滅び行く世界を、魂の牢獄の中で見詰めているのだろうか。
もしそうならば、彼の魂に安息が訪れる事は無いのだろう。
ルキナ以外は誰も、そこに囚われた彼の魂の事を知らない。
ルキナ以外の誰も、彼の救いを願わない。
それは……とても哀しい事だと、寂しい事だと、そう思う。
ルキナは邪竜に全てを奪われ踏み躙られた。
だけれども今は、マークが居てくれる。
邪竜の娘であるけれど、それ以上に愛おしい我が子が。
ルキナだけの優しく暖かな絶望が、そこに在る。
だけれども、もしルフレが邪竜の内に囚われているのならば。
ルフレには文字通り、「何一つとして」救いは無い。
……そんな事を、今も尚彼を愛し続けているルキナが許容できる筈も無かった。
それもあって、ルキナは邪竜に……より正確にはその中に居るルフレに、寄り添う事を選んでしまったのだろう。
どうせルキナはもう、命の尽き果てる場所に辿り着いたとしても、父たちの様な安息の彼岸には辿り着けまい。
良くて、行く先は地獄である。
ならば、邪竜に囚われた彼と共に何処までも地獄を堕ちていく事も、また一つの道だ。
少なくともルキナにとって、今尚最愛の人である彼を、独り地獄の釜底に置き去りにする位ならば。共にその業火に焼かれる方が自分自身にとっても『救い』になるのだ。
孤独である事以上に、恐ろしく苦しく寂しい事は無い。
何もかもを奪われて邪竜に囚われたルキナはその恐ろしさをよく知っている。
叶うのならば、ルフレをギムレーから解放してあげたいが、それはもうこの世界で叶う事では無いだろう。
だからこそ、それがルキナの欺瞞でしか無いのだとしても。
せめて、共に死が訪れるその日まで、彼の傍に居るのだ。
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