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それが絶望の胎動であるのだとしても

◆◆◆◆◆




 その再会を望んではいなかったとは言え、大切な仲間であるウードが息災であった事にルキナが安堵したのは確かだ。
 思わぬ場所でルキナと再会を果たしたウードは、驚きながらも話をしようと、自らに貸し出された家へとルキナを招いた。
 正直な所あまり気は進まないが、ルキナとてかつての仲間たちへの未練は今もある。
 だからうつらうつらと舟を漕いでいたマークをベッドに寝かせてから、ウードに促されて席に着いた。


「聞きたい事や話したい事も色々とあるけど、何よりも。
 ……お前が無事で良かったよ、ルキナ」

「……私も、あなたが無事で安心しました」


 ギムレーに囚われ、そして犯され孕まされ……そうした自分の状況を「無事」と表現するべきかは分からないが。
 五体満足である事は事実であったから否定はしない。
 それより、ウードが大きな傷も無い姿であった事に驚いた。
 ギムレーに囚われたあの日、ルキナが最後に見たのはギムレーに一掃されてイーリス軍が散り散りになる光景だけであった。
 あの場に居た仲間達が無事だったのかを確かめる術は、ギムレーに囚われたルキナには無く……いや、それは違うか。
 確かにギムレーに囚われている間は、仲間達の安否を知る術は無かっただろう。
 しかし、ギムレーのもとから逃れてからは……知ろうと思えば知る事だって出来た筈だった。
 例え意図的では無かろうとそうしなかったのは、世界よりもマークを選んだ負い目が有ったからなのかも知れないし、或いは無意味な未練を生みたくは無かったからなのかもしれない。
 現に、ウードが生きていた事自体は嬉しいがこうして再会してしまった事はルキナとしては決して喜ばしい事ではなかった。

 ベッドで静かに眠っているマークをチラチラと気にしながらも、ウードはルキナがギムレーに囚われて消息不明になってからの間に何が起きたのかを説明してくれる。

 ギムレーが甦ったあの日、イーリス軍の被害は甚大なモノであり死傷者も多数出たが、ルキナのかつての仲間達を含めイーリス軍の中核を担っていた者達は、クロムと……そしてルフレ以外は大怪我をしつつも何とか生きていたそうだ。
 この世界での、何れは産まれてきていたのであろう仲間達の存在が「無かった事」にならなくて良かったと、そこだけはルキナも心から安堵し、そしてその身勝手な感情を嫌悪する。

 ……しかし、将と軍師を喪った事の損害は途方もなく甚大で、命からがら敗走したイーリス軍の者達には、屍兵が跋扈し滅びへの下り坂を急速に転がり始めた世界の様相が突き付けられた。
 何とか軍を再編して各地の屍兵討伐の任に就いたのだが、日に日に被害は拡大する一方であり、イーリス国内でも滅びた村や街はもう数え切れない程だと言う。

 ……ギムレーに対抗する唯一の術であるファルシオンの、クロム亡き今その唯一の担い手たるルキナは、片やまだ剣を振る事すら覚束ぬ幼子であり、片やギムレーが復活したその日から消息不明とされていて。
 ファルシオンにナーガの力を甦らせる為の『覚醒の儀』を行う為に必要な『炎の紋章』すら無い事も相俟って、民達は一縷の希望すら無くただただ滅びる日を怯えながら待つばかりであり、ルキナ達がやって来たあの「絶望の未来」よりもより一層悲惨な状況になっているらしい。


「でも、本当に良かった……。
 こうして、ルキナが見付かったんだ。
 今まで、諦めずに探し続けていて……本当に、良かった……。
 俺達の『希望』は、まだ残されていたんだ……!」

「…………」


 ギムレーが甦ったあの日、崩れ落ちた神殿の跡地からルキナの遺体が見付からなかった事を微かな希望として、かつての仲間たちはルキナの生存を信じて探し続けていてくれたらしい。

 その努力が漸く実った事に歓喜の涙を溢して鼻をすするウードに対し……ルキナは掛けるべき言葉を喪った。

 探し続けていてくれていた事は、素直に嬉しい。
「あの日」からもう五年近く経っているのに、それでも尚諦めずにこうして生存を信じていてくれた事は、例えそこに『世界を救う為』と言う目的があったにしろ、有難い事であった。
 ……『世界を救いたい』と言う想いも、己の成すべき『使命』も……ルキナは忘れてはいない。
 片時も、忘れられる筈も無かった。
 ……だけれども。

 机の下で、ルキナはきつく拳を握る。

 ルキナがギムレーを討ち、この世界を救えたとしても。
 そこにマークが生きられる場所は、無い。

 ……この『人』の世に、『ヒト』ならざる者を受け入れられる場所など無い。
 こうして滅びに瀕し、人心も荒廃しきった世界では、例え邪竜を討って滅びを回避し世界が救われたのだとしても、荒れ果てた人心が豊かさを取り戻すには気の遠くなる時間がかかる。
 かつての豊かだった筈の時代ですら、『異物』への拒絶と隔意はあらゆる場所に存在していたのだ。
 況や、今のこの世界ではどうなるのかなど分かり切っている。
 ましてやマークは、ただの『人』ならざる者ではない。
 世界を滅ぼす邪竜の血を引く娘なのだ。
 例え母親たるルキナが世界を救った英雄なのだとしても、いやそうならば尚の事、マークの存在がこの世界の人々に受け入れられる訳は無かった。
 救世の英雄の子が、世界の怨敵である邪竜の血を継ぐ存在であっては……ならないのだから。
 ルキナが世界を救えた処でマークに待つ未来は、問答無用で殺されるか、良くて一生日の当たらぬ牢獄に幽閉されるかだ。
 例えそこでは世界が救われているのだとしても、誰よりも大切な娘が犠牲になる『未来』を……許容する訳にはいかない。

 今のルキナにとって、マーク以上に大切な存在など、この世の何処にも在りはしないのだ……。
 それだけは変わらないし、だからこそ、何が起きようとも何を天秤に載せても、ルキナはマークだけを優先させる。

 だが、それでも……。
 こうやってルキナが生きていた事をこんなにも喜んでくれるウードを、裏切る事になる言葉は……返せなかった。


「なあルキナ、明日俺と一緒に王都へ帰ろうぜ! 
 みんな、ルキナが生きてると知ったら喜んでくれるからさ!」

「ウード、私は……」


 王都へは行けないのだと……そう返そうとしたその時。



「おかーさん……?」



 眠りから目覚めたマークがしょぼしょぼする目を擦りながらベッドから起き上がり、とてとてとルキナの方へと歩いてきた。


「どうかしましたか? マーク……」


 見知らぬ人が居る事に警戒してルキナの服の裾を掴むマークを、ルキナは抱き上げて膝の上に乗せる。
 そしてフード越しにその頭を撫でていると、ウードの視線がマークに向けられている事に気が付いた。


「このおじさん、だぁれ?」

「おじっ……!?」


 ウードを見上げてコテンと首を傾げつつ、マークは無邪気にルキナへとそう訊ねてくる。
 幼いマークに何の躊躇いも無く『おじさん』呼びをされてショックを受けるウードを見て少し微笑みながら、マークを安心させる様に柔らかな声でルキナは答えてやる。


「この人はウード。
 お母さんの、大切なお友達です。
『おじさん』と呼ぶのは、出来れば止めてあげて下さいね?」


 正確には従兄弟なのだけれども、マークには従兄弟と言う概念がまだ分からないだろう。
 だから、『お友達』だと説明した。
 ……『友達』と言う言葉はマークにとっては縁遠いものであるからか、『友達』の意味はあまり分からなかったのだろう。
 首を傾げたマークであったが、ルキナの態度を見てウードへの警戒を解き、初めて見た『お友達』に興味津々の様だ。


「おかーさんの、『おともだち』……!」

「おっ、おう……。
 あー、えっと、ルキナ……? 
 この子は一体……」


 キラキラとした目で自分を見上げてくるマークの視線に照れた様に戸惑い狼狽えながらも、ウードは気遣わし気にルキナに尋ねてくる。
 そんなウードに「私の、娘です」とだけルキナは答えた。


「一体誰との……? 
 もしかして、ルフレさんとの子なのか……?」


 ルフレ。
 ウードの口から出てきたその名にルキナの肩が僅かに跳ねる。

 …………ああ、そうならば。
 そうならば、何れだけ良かっただろうか。

 だが、ルフレがまだ『ルフレ』として居られたその時には、まだルキナと彼は、肌を重ねた事すら無かったのだ。
 思いを伝え合って結ばれて、時々キスを交わして。
 そんな細やかでゆっくりとした恋だった。
 何れは肌を重ねて愛し合う事もあるだろうが、それはまだ先の事だろうと、……そう思っていた。
 だが、「あの日」、全てが壊れてしまった。
 愛した男が『ヒト』としての存在の枠組みから外されてしまった瞬間を、ルキナはこの目で見てしまった。
 何も出来なかった、何もしてやれなかった。
 助けを求める様に、何かを求める様に伸ばされたその手に、ルキナの手は届かなかった。
 それは、「あの日」から絶える事なく抱き続けている後悔だ。

 あの日あの手を取る事が出来ていたならば、何かが変わっていたのかもしれない。
 今更どうする事も出来ないと理解してしても、そう想う事は止められなかった。

 愛した男を食らった邪竜に犯されて、産まれた子供。
 誰よりも憎い存在の血を引く娘。
 だけれども、誰よりも愛しく大切な……我が子だ。


「…………いいえ、違います……」


 マークを抱き抱える手が、少し震えてしまう。

 そんなルキナの様子には気が付かなかったのだろうが、明らかに狼狽した様子でウードは慌てて言った。


「あ、いや、その……ゴメンな、ルキナ。
 何て言うのかその、その子の顔立ちとかがルフレさんに似ている様な気がしたから、つい……。
 無理に聞き出そうとかって訳じゃないんだ、言いたくなければそれで良いから……」

「そう、ですか……。
 気遣い、感謝します……」


 これでもう、ウードがマークの父親についてこれ以上訊ねてくる可能性はかなり減ったであろう。
 それと同時に、マークがルフレに似ていると……あの邪竜ではなくルキナが心から愛した男に似ていると言われた事が、堪らなく嬉しかった。
 思わず、ウードへと答える声が震えてしまう。

 色々と訳ありなのだと察したのだろう。
 きっとウードは消息不明であった期間に何があったのかなど、そう言った諸々を尋ねたかったのであろうが、それらを語りたくはないと言うルキナの意思を汲んだウードがそれ以上その事について触れる事は無かった。


「どんな事情があるにしろ、こんな所に居るよりは、ルキナの為にもその子の為にも王都に来た方が良い。
 食べ物も、軍が頑張って国内の穀倉地帯を守っているから、贅沢とかは無理だけど親子が食っていくには十分な量がまだちゃんと手に入る。
 これからその子も育ち盛りだろ? 
 ちゃんと食わせてやれなきゃその子にとっても辛いだろうよ」


 そう言って、ウードはマークを安心させる様に優しく微笑みかけてくれた。
 ……ウードが完全に善意でそう言ってるのは分かっている。
 ウードの誠実さも優しさも、ルキナはよく知っている。
 こんな人心も荒廃しきった世界でも、その優しさを喪わずにいてくれた事が嬉しくて、変わらずにいてくれた事が、哀しい。

 マークの事情が無ければ、ウードに言われる迄もなくギムレーのもとから脱出するなりルキナは王都に向かっていただろう。
 だが、ダメだ。
 マークを連れて、王都なんて場所に行く訳にはいかない。
 今この世界で最も危険な場所はギムレーの領域ではなく、神竜ナーガの領域である王都なのだから。


「ウード、その気持ちは有り難いのですが……」

「おいおい、一体どうしちまったんだよルキナ……。
 何処かに頭でもぶつけて、記憶をなくしちまったのか? 
『世界を救うんだ』って、それが『使命』だからって……散々そう言ってたじゃないか」


 マークの事情を知らぬウードにとって、ルキナが王都へ戻る事を拒否するのは極め付きの想定外だったのだろう。
 狼狽えながらそう言うウードに、ルキナは首を振る。

 記憶を喪った訳でも、『使命』を忘れた訳でもない。
 それでも。
 その『使命』よりも大切なモノが、ルキナにはあるのだ。

 ルキナが王都に戻りギムレーを討つ為の旗頭となったとして、人々にマークの正体を隠し通す事は不可能だ。
 ルキナが多くの人々と密に接する時間が増えれば増えるだけ、マークの正体が露見するリスクは高まる。

 いっそ信頼出来る誰かに明かす事が出来るのならば、まだ気持ちは楽になるのかも知れないが……。
 しかし、邪竜の血を色濃く継ぐ子供を受け入れられる様な人など、ルキナには皆目見当も付かない。
 今こうしてここでマークに笑いかけてやっているウードだって、マークに流れるもう一つの血の事を知れば嫌悪に顔を歪め、……そして殺そうとするであろう。
 もし、自分の子供でないのだとしたら、憐れには思ったとしても、恐らくルキナだって迷わず邪竜の子供を殺していた。
 神竜ナーガに縋ったとしても無駄であろう。
 彼の邪竜は、例えマークの身に邪竜のものではなく自らの力の欠片も流れているのだとしても、世界への脅威に成り得る存在を赦さないだろうから。
 いっそ、マークと共に邪竜も神竜も関係無い様な何処かの異界へと渡ってしまいたくなる。
 ……尤も、世界を渡る様な奇跡は、それこそナーガやギムレーの力を以てしないと不可能であるのだが。
 ……何にせよ、マークの身の安全を保障出来ない以上は、ルキナが王都へ戻る事は有り得ないのだ。


「その子が、何か関係しているのか? 
 ……その子にどんな事情があるのか、ルキナに何があったのか、俺からは訊かない。
 でもさ、皆……ルキナの事を待っているんだよ……。
 それでも、ダメなのか?」


 ルキナの膝上で大人しくしているマークを見ながら、ウードは何とかルキナを翻意させようと言葉を探し説得してくる。
 …………ここで力尽くで無理矢理ルキナを連れ帰ろうとはしない辺り、ウードはやはりとても優しいのだ。
 王族として判断するならば、幾らルキナ当人が拒否していようと、ルキナにギムレーを討たせるのが最善なのならば、首に縄を掛けてでも連れ戻すべきなのだから。
 それでもルキナ自身の意思を捩じ伏せようとは出来ないのは、美徳とも言える優しさでもあり非情に徹する事が出来ない甘さなのだろう。
 だからこそ、そんなウードの優しさを裏切る事になるのは、酷く心苦しい。
 ……それでも、共に苦境を幾度も乗り越えてきた仲間よりも、ルキナはマークを選んだのだ。


「ごめんなさい、ウード……。
 それでも私は行けません。
 皆が生きていて、本当に良かったとは思っています。
 でも、会えません……」


 何かの歯車が違っていれば、マークの見た目がヒトのそれそのままであったのならば、或いはギムレーの元から逃げ出して直ぐの時にウードと出逢っていたのならば。
 ルキナはウードの手を取っていたのかもしれない。
 迷わず王都へと向かっていたのかもしれない。
 そして、共にギムレーを討たんとしていたのかもしれない。
 ……でも、もう無理だ。

 この一年で、マークが決して人々に受け入れられる存在では無いと言う事を、存在する事自体が悪であるかの様に排斥される事を、嫌と言う程に知ってしまった、理解してしまった。
『人』と言う存在その物に絶望している訳ではまだない。
 だが、『ヒト』が持つ「善性」を信じる事は、もう出来ない。


「……………………そう、か……。
 …………明日の朝、ここを発つ前に、もう一度だけ訊ねる。
 出来れば、その時には……」


 これ以上何を話しても堂々巡りになると、理解したのだろう。
 取り敢えず時間を置こうと、ウードは説得を一旦諦める。
 ウードとしても混乱しているし、頭を整理したいのだろう。
 ……何れだけ時間を置こうとも、ルキナの『答え』が変わる事は無いのだが。

 山間部の村であるだけに、日の入りはとても早く、気付けばもう辺りは薄暗くなっていた。
 厚い雲に覆われた空には、星も月も無い。

 せめて今晩は何事も無い様に祈りながら、ルキナは貸し与えられた空き家へと戻ったのだった。




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