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第一話『天維を紡ぐ』

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 意識してルキナと交流を持つ様にしてから、随分と自分の中の彼女に対する見方は変わった様に思える。
 最初の方は、余り関わらない様にしている筈なのに積極的に自分に関わりに来るルフレに、ルキナは色々と戸惑い……そして何処かそれを尻込みしている様に見えたけれど。
 ルフレの方に諦めたり距離を置く気が無いと見ると、ルフレを拒む事を諦めたのか、それを受け入れる様になった。
 そして、次第にポツポツとではあっても、普段の半ば事務的なやり取りや或いは『使命』にただ殉じるかの様な会話だけでなく、彼女自身の事を話してくれる様になっていった。
 彼女が本来在るべきであった「未来」での事、そしてこの世界にやって来てからの事。
 彼女がその心に押し込め沈め……そして殺してきたモノのその片鱗も、その言葉の端にその表情の陰に、僅かにであっても現れる様になっていた。
 ……もしかしたらそれは、ルフレが彼女をより深く理解出来る様になったからこそ分かるものかもしれないけれど。
 何にせよ、言葉を交わし、共に同じ時を過ごしていけば……そしてそこに相手を気遣い想いやろうとする心が在れば、その間にあった距離と言うものは縮まっていくものだ。
 ルフレの自惚れで無いのなら、ルフレがそうである様に、ルキナもまたルフレに対して心を開いてきている様に見える。
 頑ななまでにこの世界の人々とは距離を置こうとしていたルキナが、ルフレの方から距離を詰めていったとは言え、そうして少しずつでも打ち解ける様になってくれたのは。この世界には本当の意味でルキナが頼る事の出来る者が……その『弱さ』を隠さずにいられる者が居ない事で、その心が少しずつでも疲弊してしまっていたからなのかもしれないし。
 或いは『使命』を果たす為には、クロムの傍に居るルフレの事もよく知っておくべきだと思ったからなのかもしれない。

 ルキナの思惑がどうであるのかはルフレには分からないけれども、そうして自分と共に過ごす時間が少しでもその肩に背負う『使命』の重さから僅かにでも解放される様な、小さな小さな安らぎを感じられる時間であれば、と……そう思う。

 思えば、随分とルフレはルキナに心を砕いているのだろう。
 元々、新たに加わった仲間が軍に馴染むまではあれこれと気を回す事も多く、そうでなくとも仲間たちの悩み事や相談事などには積極的に力を貸しているのだけれども。
 それを鑑みてもルキナへの「お節介」は、常のルフレのそれと比較してもやや過剰とも言えるものであった。
 尤も、それにはルキナには複雑な事情があったからと言うのも大いに関係しているのだろうけれども。
 気付けば、多くの時間をルキナと過ごしているのだ。
 空き時間だけに留まらず、軍備の点検の時やちょっとした物資調達の折などの他に、もう幾度も戦場で共に戦っている。
 ここ最近は傍にルキナが居なかった時間を数えた方が早い。
 それは、直ぐに「独り」になろうとしてしまうルキナへの「お節介」であり、何か疚しい他意などは無いのだけれども。
 しかし、「お節介」のつもりであった筈なのに、そうやって共に過ごすその時間を楽しみに感じている自分が居た。
 別に何か特別な事をする訳でもないし、物凄く会話が弾んだりする訳でも無く、冗談を言ったりして場を賑やかにする才能はお互いにそうある訳でもない。
 ただただ、同じ場所に居て、同じ時間を過ごして、そしてポツポツと言葉を交わす。
 ただそれだけなのだけれど、それがどうしてだかルフレにとっては酷く心地良い時間になっていた。

 同じ景色を見ていてもルフレとルキナでは見ている場所や物が異なっていて、それがふとした拍子に互いに通じ合い理解し合える瞬間が、どうしてだかこの胸の奥で何かを動かす。
 ルフレにとっては何て事の無い当たり前の様にそこにあるものを、酷く儚く壊れ易い尊い物を見る眼差しで見ている事に気付いた時、何故だか胸が騒めく。
 ほんの細やかな気遣いに、その「何か」を何時も張り詰めた様なその表情が僅かに和らぐのを見る度に、どうしてだか狼狽える様に思考が落ち着かなくなる。
 そして……共に過ごす中でふとした時に、ルフレには量れない「何か」によってその眼差しに陰りが見えると、どうしようもなく胸が苦しくなる。
 その理由を、説明出来る言葉を、ルフレは持っていない。
 だが、理解出来ないままに、その未知なる「何か」は日々降り積もる様に重なり増えていく。
 空だった器は、「何か」によってとうに満たされ、そして今となっては今にも溢れんばかりであった。
 クロム達に感じているものとは違う、今まで出会ってきた他の誰にも感じた事の無かったその未だ正体不明の「何か」に、思わず戸惑ってしまいそうになるけれど。
 自分にとって大切なものであるのだと言う直感はあって、ルフレはその「何か」の正体を知りたいと考え続けていた。



 戦争の真っただ中であるとは言え、人々の営みは変わらずにそこにあり、自然が織り成す季節の巡りが変わる事は無い。
 ヴァルム帝国へ向けての進軍の途中物資の補給の為に付近に逗留し立ち寄った街も、兵士たちの何処か物々しい雰囲気を遠巻きに見つつも普段と殆ど変わらない生活を営んでいた。
 ヴァルム帝国軍の支配域からはまだ遠く、イーリス軍とそれに助勢している南部諸国連合側の勢力圏内であるとは言え、その雰囲気は何処か牧歌的であるとすら言える。

 季節の巡りとしては春も半ばを過ぎた頃合いで、畑では秋頃に蒔かれたのであろう小麦のまだ未熟な穂が風に揺れて、二月程度の内に収穫の時期を迎える事を知らせていた。
 野には様々な野花が入り乱れる様に咲き乱れ、人の手が入っている花畑では同種毎に整然と見事な色取り取りの花の絨毯を成し、その上を蝶や蜂などの虫が忙しく飛び回っている。


「これは……見事に綺麗に咲いているね」


 花々の良し悪しなどはあまり詳しくは無いルフレではあるけれど、綺麗に咲いたそれらを見て和む程度には情緒がある。
 だから、物資調達の為にルキナと共に街に出て、その帰り際に通り掛かったその花畑の見事さに、思わず足を止めた。
 イーリスとヴァルムでは国も大陸も違うが、そこに咲く花の美しさと言うモノは変わらない。
 と言うよりも、花畑の中には見慣れない花もあるが、その大半はイーリスでも見掛けた事がある様な気がする。
 大陸を越えて広く栽培される種なのか、或いはイーリスで栽培されていた花の近縁の種なのだろうか。
 どの様な花により美しさを見出すのかは国や文化によって異なれど、どの様なものを「美しい」と感じるのかと言う「感性」の部分は、国が違えどもそう変わらないのだろう。


「あ、ごめんね。急に立ち止まってしまって……」



 ふと、ルキナに何も声を掛けずに立ち止まってしまった事に思い至り、慌ててルキナへと振り返ると。

 ルキナは……。
 今にも泣きそうな顔で、眼前に広がる花畑を見ていた。
 今にも泣きそうで……苦しそうなのに、その眼に浮かぶのは涙ではなく、深い後悔に似た痛みで……。
 爪が食い込みそうな程その手はきつく握り締められている。

 花畑を見てどうしてその様な顔をするのか皆目見当もつかず、掛ける言葉を喪ってルフレは狼狽えるしかなかった。


「ルキナ……? あの、大丈夫かい……?」

「あ……すみません……。
 少し……『未来』の事を、思い出していたんです」


 そう言って、ルキナはその目に静かな哀しみを浮かべる。
『未来』……。
 ルキナがそう指すのは、未だ来たらざるルフレ達に待つそれではなくて、彼女が一度経験してきた……彼女にとっての『過去』であり、そしてルフレ達とはまた少し異なる『ルフレ達』に訪れた『未来』の事である。
 二度の戦乱に世界が疲弊しきったその最中に、遥か昔に討たれた筈の邪竜ギムレーが蘇り、そして『クロム達』はその命を落とし……ギムレーによって世界が絶望と怨嗟の中に滅びたその『未来』に、ルキナは生きていた。
 その『未来』でギムレーに抗う手を喪い、だからこそ。
 その根本の問題を……「邪竜ギムレーの復活」を阻止し、その事実を「無かった事」にする為に、ルキナはこうして「この世界」に神竜の力を以て時を跳躍して来たのだけれども。
 ……今のルキナが生きているのが「この世界」であるのは間違いない事ではあっても。
 彼女にとっての生きるべき世界とは今も変わらず『絶望の未来』であり、その世界を離れても尚、その心は今も「そこ」に囚われ続けているのだろう……。
 それを間違っているだのおかしいだのと糾弾する事などルフレには出来ないし、そもそも咎める事でもない。
 ルキナにとって動かし難い『事実』として、ルフレも……そしてクロム達も。
「この世界」に生きるその全てが、……理屈の上ではどうであれ、彼女にとっては『本物』ではないのだろうから。
 同じ姿でも、同じ声でも、そしてその心や魂が違いなど見付けられない程に限りなく同じであっても。
 ルフレ達は、ルキナにとっての『本物』にはなれない。
 彼女にとっての『本物』は、決して取り戻す事も巡り逢う事も叶わない……時の波に消えた『彼等』だけなのだから。

 ……でもそれは、ルフレにも同じ事が言えるのであろう。
 ルキナが『クロム』の娘である事は頭では理解していても、ルフレにとってクロムの娘と言われて一番に頭に思い浮かぶのは……今もイーリスの城で父母の帰りを待っている幼子だ。
 理解していても埋められない「隔たり」が、そこにある。
 ……それをルキナが咎める事は無いけれど……クロムやルフレ達があの幼子の事を想う度に、その心の柔らかな場所に小さな小さな傷が走っているのかもしれない。
 そうやって傷付くその心を癒す術を、ルフレは知らない。
 寧ろ、ルフレの存在が彼女を傷付けているのかもしれない。
 それでも、その心の傷を見ない振りは出来なくて。
 どうにもならない儘ならなさを抱えてしまう。
『絶望の未来』に置き去りにしてしまった心の欠片をここに攫ってきてしまえるなら、もう傷付かずに済むのだろうか。
 例え神であっても出来はしない事を、ふと考えてしまう。
 その傷の痛みがルキナにとって厭わしいものであるのかどうかも分からないままで、そんな事を考えてしまうのは酷く傲慢な事であるのかもしれないけれども……。


「あの『未来』では……」


 その場に訪れた沈黙を破るかの様に、ルキナは小さく零す。
 その胸に秘められていた想いを……『絶望の未来』で抱えたその傷痕を、垣間見せて貰えるのは初めてではないけれど。
 そうやってルキナの心の柔らかな場所に触れるのは、ルフレであっても何時だって少し緊張してしまう。
 目に見えぬ心の傷口は、もう痕になっているのかそれとも今も尚血を流し続けているのかを確かめる術はないからだ。
 そんなルフレの想いを知ってか知らずしてか、訥々とルキナは言葉を重ねていく。


「空は何時も厚い雲に覆われ……不気味な茜色と星明り一つ無い夜の暗黒しか無くて……。
 ほんの僅か地上に届いた陽射しで、痩せた土地で今にも枯れそうな作物を育てるだけで精一杯で……。
 木々の多くは立ち枯れ、そして花々は芽吹く事すら無く、枯れ落ちるか戦火に消えて……。
 こんな……こんなに咲き誇る花々なんて……もう誰の夢の中からも消えてしまっていたんです……」


 僅かに伏せたその眼に映っているのは、目の前の花畑なのか……それとも『絶望の未来』の滅び果てた大地なのか……。
 それは分からないけれど。
 ……こうして訥々と語るその言葉の静けさとは裏腹に、そこに血を吐く様な激しい感情の……その残り香を感じるのは、きっとルフレの気の所為ではないのであろう。


「この世界には……まだ全てが残っている……。
 花も、大地に生きる小さな命たちも……人々の営みも……。
 だからこそ、守らないといけないんです……。
『今度こそ』、……あんな『未来』にしてはいけない……」


 決意を新たにするその言葉には、ルキナ本人ですら気付いているのかは分からない苦さが微かに滲んでいた。
 ……そう、「この世界」には、『チャンス』がある……。
「この世界」には、ギムレーの復活を阻止し、破滅的な未来を回避出来る『可能性』が残されている。
 ……他でもない、ルキナの『献身』によって……。
 だからこそ、そこには一抹の遣る瀬無さが残るのであろう。
 ……どうして、あの『絶望の未来』にはその『可能性』が残されていなかったのか……或いはその『可能性』を掴み取れなかったのか……、と。
『絶望の未来』と言う、その破滅が存在したからこそ……そしてそれを経験したルキナが「この世界」に跳躍してきたからこその『可能性』であるのだけれども。
 それをルキナ自身栓無い事と分かっていても、「救われなかった世界」が自身にとっての『本当』の世界であるのだから、その苦しみが晴れる事は無いのかもしれない……。
 ……一体どうすれば、彼女の苦しみを和らげてあげられるのだろう、その痛みを癒してあげられるのだろう。
 それは、「この世界」の……彼女の『献身』を前提にしてより良い未来を掴もうとしているルフレ達には成し得ず。
 もう最早戻る事も変える事も叶わない『未来』でとうに喪った者達にしか叶えられない事なのかも知れないけれども。
 ……しかしどうしてかルフレは、他ならぬ自分の手で……それを成したいと、そう思ってしまっている。
 ルフレは彼女の『本物』にはなれないと分かっているのに。
 それでも、自分を……今ここに、「この世界」の存在であるのだとしても今ルキナの目の前に居るこの自分を、誰にも代替出来ない唯一人であるのだと、彼女に思って欲しかった。
 そして、ルキナの『特別』で在りたいと、そう……。

 ふと、そこでルフレは自身の気持ちに戸惑った。
『特別』で在りたい……? 何故その様に思うのだろう。
 ルキナの心の傷の事を、そしてそれを癒す術を、と考えていた筈であって、彼女にとってルフレがどうであるかなどその事には関係無い筈であろうに。
 だが……。自分ではない『自分』が、彼女にとっての『本物』であろう『絶望の未来』で果てた『ルフレ』が……。
 もし、自身では成し得ないそれを……ルキナのその痛みを和らげているその光景を想像すると、何故か胸が騒めいた。
 胸の奥を焼き焦がす様なそれを、ルフレは初めて知る。
 もし『ルフレ』がこの場に居ても、そこにある感情がルフレが今抱えているそれと同じである筈など有り得ないだろう。
 その思考にすらも、引っ掛かりを覚えてルフレは自問する。
 同じ? 「同じ」とは何だ、一体自分はルキナに対し「何」を抱えていると言うのか、その正体は何なのか……。
 未だその名すらも知らぬ感情である得体の知れぬ「何か」は、とうにルフレの心から溢れ出していた。
 それが「何」であるのか知るべき時が来たのだと、その想いはそうルフレに囁いてくる。
 痛い程に熱く胸を焦がすその想いに突き動かされる様に、ルフレはルキナを見詰めた。
 心の傷口に触れた痛みからか『未来』の苦しみをそこに滲ませた……だがその痛みを抱えて尚前へと足掻き続ける不屈とも呼べる意志の……その眼差しの『美しさ』がそこに在る。
 そして、その『美しさ』の化身の様な眼差しが、ルフレを……他でもない目の前に居る自分を、見詰め返してきた。
 それを意識した途端激しい情動が駆け巡り心を痺れさせる。
 そして漸くルフレはその『想い』に相応しい名に辿り着く。
 あぁ……、きっとこれを、この様な『想い』を。
 人は『恋』、と。そう呼ぶのだろう。




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