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第一話『天維を紡ぐ』

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 血反吐を吐き、幾千幾百もの屍を踏み越えて、人間として培ってきた道徳観や倫理観をドブに捨てる様にして『敵』として示された者を殺していく。
 戦争とは如何な綺麗事や大義名分を掲げようと詰まる所は殺し合いでしかなく、屍山血河を築く事は避けられない。
 誰よりも多くを殺した者が「英雄」となり、そして天運に恵まれて殺し合いを生き残った者だけが勝者となれる。
 国、民族、宗教……。
 何と何が争うにせよ、互いを噛み殺し合う狂乱の宴だ。
 先のぺレジアとの戦争も、そして此度のヴァルム帝国との戦争も……そんな「地獄」をこの世に作り出す所業である。
 殺し合いを好む者など、多くは無い筈なのに。
 それでも、個人と個人ではなく、集団と集団になれば、夥しい程の血を互いに流させるまで止まらない。
 必死に耕した田畑を軍靴が踏み潰し、ただ殺し合うと言う……そこだけを見れば何の生産性も無い行為の為に、莫大な物資と資金と数多の命が浪費されていく。
 そうやって数多の犠牲によって贖われた血塗れの「平和」ですら、決して永遠に維持する事は叶わない。
 この度の戦争に関してはイーリス自体に何らかの瑕疵があった訳ではないとは言え、先のぺレジアとの戦争からたったの二年程度しか「平和」は続かなかった。
 人の本質とは、「争う」事に在るのではないかとすら思えてしまう程、人の世の歴史に「戦争」は尽きないのである。
『敵』として定めて殺し合う相手とて、『家族』を持つ自分達と何も変わらない『人間』であり。
 心を鈍麻させて殺し合っていられるならともかく、一度それを認識してしまえば、時に笑い時に泣き傷付けば血を流す自分と同じ『人間』を殺すと言う事が出来なくなる者も多い。
 訓練された兵士であろうと何であろうと、ふとした切っ掛けで戦えなくなる事はある。
 ルフレは軍師として、そんな人間を数多く見てきた。
 狂っているのが彼等の方なのか、それとも相手を『人間』と理解しながら迷わず殺せてしまうルフレの方なのか。
 それに一々答えを出す必要は無いけれども。
 そうやって兵士として戦えなくなっていった者達は皆、『人間』としては「正しい」のであろうと、ルフレは思っている。
 戦いと戦いの間の僅かな休息の時間であっても、ルフレには決して暇な時間など無い。
 敵勢力を分析し戦場となる地形を見定め、策を練り。
 そうやって、少しでも味方の損耗を減らしながら勝利を手にする道を見出し示さねばならないのだ。
 だが、ずっと策を練り続けていては思考がどん詰まりに行き当たり、無為に空回りする事もある。
 そんな時ルフレは、気分転換代わりに、野営地の中を特に宛も無く歩き回る事にしていた。
 中程度の規模の局地戦を終えたばかりであるからか、野営地を行き交う兵士達は戦闘の疲労感に包まれながらも拭いきれない「殺意」の残り香の様な戦の熱気を纏っている。
 先の戦闘によるこちらの損害は、多少の負傷者こそ出たものの死者は無く、戦果も上々であった。
 イーリスから遠く離れたヴァルムの地であり、また相手がその勇壮さで知られる騎兵隊を抱えるヴァルム帝国であるだけに、兵達の士気を維持するのには中々苦慮しているが。
 ここの所の戦闘で大きな損害は被ってない事や、反ヴァルム勢力の協力で十分量の糧食を確保出来ている事などから、兵士達の士気をそれなり以上の状態に維持出来てはいる。
 更には、軍主でありイーリスにとっての旗頭である聖王代理たるクロムが直々に兵を率いているのも大きいだろう。
 中にはルフレの策があるからだとそう称賛してくる声もあるが、ルフレの策だけでは流石にどうしようもないもので、やはりクロムの存在が一番大きい。

 そう言えば、と。
 ルフレはここではない別の「未来」で起きた事を想い返す。
 ヴァルムとの戦争が始まるその最中にクロムが負傷し、その療養の為の時間が必要となり、それも原因の一つとなってヴァルムとの戦争が泥沼になった……と、ルキナは言った。
 確かに……もしクロムが負傷したとなれば軍全体に与える士気低下の影響は凄まじいものになるであろう。
 実際、今のこの軍の士気は、クロムが持つある種のカリスマ性に支えられている部分が大きいのだから。
 反ヴァルムとの折衝ですら、クロムが直々に赴く事でかなりイーリス側に有利に事が運べているのだから、クロムの不在の影響は並々ならぬものになるであろう。
 そう思えば、「今」の自分達はほとほと「幸運」に恵まれた。
 その経緯を想えば、「幸運」なんて言葉で片付けられないが。
 ここ最近はふとした瞬間に、ルフレは半ば無意識に、蒼い彼女を探してしまう。
 ある意味では遠い、「今」とは違う道を辿った『絶望の未来』から、この世界の「未来」を変える為にやって来た者。
 名を偽り、姿を偽り……決して歴史の表舞台に立てない事を覚悟で、余りにも重い『使命』を背負う少女。
 ……彼女がその覚悟を決めて……そして自分自身が本来在るべきであった全てを投げ捨て、救世の為の人柱になる事を選んだからこそ、こうして「今」がある。
 ルフレ達は、彼女の犠牲の上にある「今」を生きている。
 その覚悟に、その決断に、その選択に。
 どうすれば報いてやれるのか、その術をルフレは知らない。
 ……彼女が抱えた『使命』を想えば、この戦争の後に訪れると言う『絶望の未来』を……邪竜ギムレーの復活とクロムの死を阻止する事が、最大の対価になるのかもしれないが。
 しかし、そもそもその二つは「今」を生きるルフレとしても必ずや成し遂げなくてはならない事で……それを殊更に彼女が支払った犠牲への『対価』とするのは躊躇いがある。
 無論、その二つは何があろうとも成さねばならず、それ抜きで彼女に報いる事など到底出来はしないのだけれども……。

 悶々と悩みながら歩き回っていると、野営地の中心から離れた人気の無い場所に、探していたその後ろ姿を見付けた。
 その後ろ姿は、凛としている普段の姿から想像も出来ない程に儚く、目を離せば今にも消えてしまいそうにすら見える。



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 ……ルキナは、この世界に『居場所』は無いとでも言うかの様に、この世界の者達とは深くは関わろうとしない。
 ……彼女にとっては『両親』であろうクロム達にすら、ルキナは一定以上に距離を縮めない様にしようとしている風に……ルフレには見て取れた。
 無論、あまり関りを持たぬ様にしているとは言え、指示した事には従うし、他者と協力する事に何の問題も無い。
『両親』達とだって普通に言葉を交わすし、全く関りが無いと言う訳では勿論無い。
 しかし、その心に壁を作るかの様に、何かの一線を引いているのは間違いが無いだろう。
 ……彼女が抱えた様々な『事情』を想えば、そうやって距離を置こうとするのも仕方が無い事なのかもしれないが。
 だが、世界に寄る辺が無い……『居場所』が無いと言うのは、酷く心細く寂しい事ではないだろうか。
 クロム達が居て、自分の成すべき事と居場所があるルフレですら時折、喪われた『記憶』の所為なのか、「本当にここに居ても良いのか」と不安に感じる事があるのだ。
 ルキナが実際にどう感じているのかは当人でもないルフレには分からないけれど……。
 だが、今にも儚く消えてしまいそうな……その存在を「この世界」に繋ぎ止める楔が無いかの様なその後ろ姿が、その答えなのではないかと……ルフレにはそう思える。

 ルフレは、少し悩んだがルキナに声を掛けた。
 別にそれは同情や哀れみなどでは無くて……寧ろそんな感情を向けるのは彼女に対する侮辱になる。
 ただ、ルキナから線を引いているのだとしても、その線の縁に立つ事ならば出来るのではないかと、そう思う。
 何故だとか、深い理由は多分無い。
 かつて自分がクロム達にして貰った事を今度は自分が彼女と返したかったのかもしれないし、はたまた同じ戦場に立つ戦友を心配しているからなのかもしれない。
 声を掛けられたルキナは振り返り……その手が僅かに震えていたのをルフレは見逃さなかった。
 そしてその瞳が、『命』を奪った事に対して恐怖を抱く兵士達と似た感情の色を僅かに浮かべていた事も。
 …………「不器用」なのだな、とルフレは率直に思った。

 よく考えるまでも無く、ルキナは『人間』を殺す事に……より正確に言えば『戦争』の殺し合いの場には慣れていない。
 彼女が「歴戦の戦士」である事には疑いが無く、彼女が駆け抜けてきた「戦場」の数はルフレ達の比ではないだろう。
 だが、『絶望の未来』と彼女が呼ぶそこでの『敵』は、邪竜ギムレーでありそしてその駒として人々を襲う屍兵であった。
 それは、意志を持つ『命』ある者同士が互いの人間性をかなぐり捨てるかの様に互いの血でその手を汚し合う、そんなこの世に在る『地獄』の一つとはまた別の『地獄』だ。
 どちらの『地獄』がマシであるのかなどその片方を知らぬルフレには判断出来ないし、その意義も薄いが。
 ルキナが『戦争』には慣れていない事は確かだ。
 そして、今のルキナには『戦争』で得た苦しみを癒す為の術も場所も無かった。
 多くの兵は、酒や賭け事などで互いに騒いでそれを発散させるし、『家族』が居るのならばそれを自身の拠り所に出来る。
 だが、彼女にはどちらもない。
『両親』であるクロム達ならば彼女の苦しみを癒せるのかもしれないが……却ってその傷を深める事になるのかもしれないし、第一ルキナ自身がそれを望みはしないであろう。
 何れ程傷付いても、苦しんでも、声を上げる事も無くルキナは独りこうしてそれを胸の底に沈めて耐えようとする。
 ……それは、『絶望の未来』では、彼女こそが人々の寄る辺であり『希望』であったからこそ……彼女自身には縋れる先と言うモノが無かったからなのかもしれないし。彼女にとっての本当の両親を喪ってからは、真に頼れる者が……彼女に救いの手を差し伸べる者が居なかったからなのかもしれない。
 こうして……彼女にとっては『本当』のそれではないにしろ『両親』がいるこの世界にやって来てすら尚、その苦しみをこうして一人抱えるしか無い程に身に沁みついているのか。
 ……何にせよその姿は余りにも「不器用」で、それでいて何故かルフレはその姿から……苦しみの色を湛えていても尚、決して褪せない意志の輝きが灯る瞳から、目が離せなかった。
 数多の絶望を、苦しみを、嘆きを、見届けて刻み付けてきたのだろうその眼は、そうやって磨かれ抜く中で眩いばかりの輝きを宿している様に、ルフレには見えた。
 皆を惹きつけ導くクロムの優しくも力強い太陽の輝きの様なそれとはまた違う……例えるならば星明りも月明かりも閉ざされた深い深い闇を照らす灯火の一条の光の様な、或いは闇夜を切り裂き永久に欠ける事の無い輝きで地上を照らす明星の光の様な……そんな『輝き』が、そこにある。

 だからこそ、と言う訳でも無いけれど。
 その『輝き』が曇らぬ様に、……そして「不器用」に苦しむその心が僅かばかりでも安息を得られる様に。
 ほんの少しばかり「お節介」を焼こうと、ルフレは決めた。

 それが、彼女の味わってきた苦しみや絶望の、そして抱えた『使命』への『対価』になるだなんて思わないけれど。
 それでもせめて、ほんの少しだけでも。

 この世界で得た『何か』が、彼女にとっての「救い」であって欲しいと……傲慢かもしれなくても、そう思うのだ。




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