第一話『天維を紡ぐ』
◆◆◆◆◆
「過去」には、大きくは干渉しないつもりであった。
それは勿論、干渉し過ぎた結果、予期出来ず回避出来ない新たな『絶望の未来』への分岐が現れてしまっても、ルキナでは対処し切れない……と言う事情もあったけれど。
だがそれ以上に、「過去」の……記憶の中のまだ生きていた姿より若い『両親』に、関わり過ぎてしまう事を恐れていた。
……それは、本来この世界に存在しない筈の自分が『両親』に何か悪影響を及ぼしてしまうかもしれないと言う懸念でもあると同時に……、ルキナ自身が「錯覚」してしまう事を恐れていたからだった。
『彼等』は……ルキナの両親ではない。
同じ名を持ち、同じ姿をしているのだとしても。
記憶の中のその姿より幾分か若い『彼等』は、ルキナのよく知るその人達それその者では……ないのだ。
何かの干渉が無いならば恐らくは、もうルキナの記憶の中にしか居ない彼等と同じ道を辿るのだろうとしても、だ。
……それを裏付ける様に、ルキナの干渉によるものなのか、この世界の『クロム達』と、ルキナの記憶の中の彼等とは既に大なり小なり歩んで来た道が、置かれている状況が違う。
辿って来た過去が違うのならば、それがどれ程些細な変化であるのだとしても、『彼等』が本当の意味でルキナにとっての両親と同じになる事は無い。
要は、限りなく何処までも似通った……しかし確実に両親ではない人達にしかならない。
……それは、痛い程分かっているのだけれども。
それなのに。……それなのに。
ふとした瞬間の仕草が、声音が……その抑揚が、『彼等』の何もかもが、記憶の中の両親の姿に重なってしまう。
僅かに違うとは言え両親と『彼等』は「同じ」存在なのだと言えるのだから……それは当然の事なのだけれども。
ああ……だけれども、いや……だからこそ、か。
ふとした瞬間に、まるで……両親が今ここに生きている様な……目の前にいる『彼等』が両親その人であるかの様にすら、ルキナは感じてしまうのだ。
当然それはただの錯覚で、ルキナの思い違い……或いは殺しきれない「願い」に焦がれて見た儚く虚しい幻でしかない。
だからこそ、その錯覚はルキナを苛むのだ。
『彼等』と両親を同一視する事。
それは、両親への背徳であり……『彼等』への裏切りであり、そして……。この世界の、正真正銘『彼等』の娘である『ルキナ』への不義であった。
両親は……ルキナにとっての本当の『家族』は、もう皆死んだ、この世の何処にも居ない、もう二度と巡り逢えない。
……いや、それどころか、こうして「過去」に遡った時点で、両親達の存在は消し去られ、最早ルキナの記憶の中にしか存在し得ないのかもしれない。
……そうであるならばそれは、両親達を「二度」殺す事と同義であるのだろう。
大好きで、大切で、今も尚強く焦がれている。
だからこそ、それを理解しておきながらまるでその「面影」を『彼等』に重ねるかの様なその錯覚は、ルキナにとっては『彼等』を両親の代替品として扱っているも同然の行為であり、また……他ならぬ「死者」である両親の存在を否定しているにも等しかった。
誰も、真の意味では他の誰かの「代替」にはなれない。
それが、限りなく同一に近い他人であったとしても、だ。
それを理解し、そして自覚しながらも、その「過ち」を犯すのは、ルキナにとっては余りにも罪が深い事だった。
……ルキナが『過去跳躍』と言うヒトが侵してはならぬ神の領域に手を出してまでここに来たのは、埋める事など永遠に叶わぬ傷を『代替品』で埋める為などでは断じて無い。
「世界を救う」、「未来を変える」……。それこそがルキナの成すべき事、果たさねばならぬ『使命』だ。
……例えそれが、本質的な意味ではルキナが本当に救いたかった『絶望の未来』を救う事にはならないのだとしても。
それが、本当に成すべきであった事──『「あの」絶望の未来』を救う事を成せなかった……それを諦めてしまった、失敗してしまった、……そんな敗北者の、ただの悪足掻きでしかなく、それですら自己満足にもならないのだとしても。
……そうやって足掻いた先に、「この世界」の『両親』にとっての未来に、あんな絶望以外の結末が生まれるのであれば。
……少しでも、ほんの一欠片でも、『意味』はあったのだと。
ルキナがこうして「過去」へとやって来た『意味』は、あの『未来』を見捨ててしまった事への贖罪や代償にはならないのだとしても。
……それでも何かの『価値』はあるのかもしれない、と。
ルキナは、そう思うのだ。
だからこそ、『使命』が果たされたその先に、ルキナの『居場所』が……『帰るべき場所』は無くても。
ルキナが抱え続けているこの『望郷』とも呼べるこの『願い』が叶う事は決して無いのだとしても。
自分の何を差し出したとしても、ただ一つ残されたこの『使命』だけは果たさねば……と、そう心に刻んでいる。
……だからこそ、恐ろしいのだ。
もし、「満たされてしまったら」……と。
ルキナの両親はもう居ない、何処にも居ない。
帰りたかった「あの頃」はもう何処にも無く……そしてそこに回帰する術もまた、何処にも無い。
……だからこそ、『両親』と共に過ごす時間は耐え難い程に『幸せ』なのだ。……それを「有り得ない事」と知りながら。
叶わぬ筈の『願い』が……あの絶望だけが支配した世界での終わり無き戦いの中で縋る様に見ていた『夢』の続きが。
ほんの少し手を伸ばせばそこに在る様にすら、思えて。
更なる「過ち」を、紛れも無い「罪」を、そうと知りながら、犯してしまっても良いのではないかとすら……。
求めていたモノが……如何なる絶望を乗り越えなくてはならないのだとしても、何を「対価」にする必要があるのだとしても、どうしても欲しかったものが、「今」そこにあるのだ。
あの温かな手が、「ルキナ」と……そう自分を呼んでくれるあの優しい声が、「望み」さえすればきっと叶う程近くに……。
それを欲しいと、叶えたいと。そう思う事を諦めてしまうのは、その心を完全に殺してしまうのは、とうに覚悟を決めているルキナですら……難しい事であった。
きっと……両親と同じく優しい『彼等』は、ルキナがそう望めば……望んでしまえば、それを叶えてくれるのだろう。
ルキナをもう一人の『彼等』の娘として……『家族』として、温かく迎え入れてくれるのだろう。
きっとルキナの『居場所』に、『帰る場所』になってくれる。
だがそれは……、……やはり望んではならない事、『叶ってはならない事』であるのだ。
ルキナは「この世界」に……「この時間」に、本来は在ってはならないその身に『聖痕』を宿す者であった。
聖王家の血に連なる事を示す『聖痕』は、ルキナの依って立つべきモノであり、そしてその身へ「世界救済」の『使命』を課す枷そのものでもある。
誤魔化す事の難しい左眼に刻まれた『聖痕』は……この世界の「ルキナ」と過たず同じ場所に刻まれたそれは、この世界に何時か何らかの『禍』を齎してしまうかもしれない。
悪意ある者に利用されれば、ルキナがそれを望まずとも。イーリスに……そしてこの世界に『禍』を齎してしまう。
どうかすれば、この世界の「ルキナ」を、ルキナ自身が脅かしてしまう可能性だってあるのだろう。
それだけは、決して在ってはならない。
邪竜ギムレーの復活を阻止し、この世界をあの様な『絶望の未来』から救ったとしても、それでこの世界から全ての争いの火種が取り除かれるのかと言うと、そんな事は全く無い。
ルキナの手の及ばぬ所に、この世界の至る所に、禍と争乱の種は眠っている。
……しかし、ルキナの存在如何に関わらず、この世に争いの火種が絶えないのだとしても、ルキナ自身がその火種になってはいけないのだ。
ほんの僅かな、まるで微睡の中の平穏なのだとしても、ルキナはそれを守らなければならない、壊してはならない。
……だからこそ、ルキナは望んではいけないのだ。
しかしそう理解していても尚、ほんの一言二言交わすだけでも、同じ戦場に立つだけでも。
ルキナの心の中の「何か」が少しずつ満たされてしまう、そしてこの『望み』を叶えたいと、『両親』に縋り付きその『愛』を求めてしまいたいと、そんな思いが少しずつ強くなる。
それが『願い』の代替に過ぎないと理解しながら……。
それは、余りにも幼く、そして身勝手な「執着」であった。
だからこそ、ルキナは「それ」が恐いのだ。
何時か、何かを決定的に間違えてしまうのではないかと。
そう、自分自身の弱さを知るが故に、その疑念を晴らせないからこそ。
ルキナは、関わる事を、恐れていた。
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「過去」には、大きくは干渉しないつもりであった。
それは勿論、干渉し過ぎた結果、予期出来ず回避出来ない新たな『絶望の未来』への分岐が現れてしまっても、ルキナでは対処し切れない……と言う事情もあったけれど。
だがそれ以上に、「過去」の……記憶の中のまだ生きていた姿より若い『両親』に、関わり過ぎてしまう事を恐れていた。
……それは、本来この世界に存在しない筈の自分が『両親』に何か悪影響を及ぼしてしまうかもしれないと言う懸念でもあると同時に……、ルキナ自身が「錯覚」してしまう事を恐れていたからだった。
『彼等』は……ルキナの両親ではない。
同じ名を持ち、同じ姿をしているのだとしても。
記憶の中のその姿より幾分か若い『彼等』は、ルキナのよく知るその人達それその者では……ないのだ。
何かの干渉が無いならば恐らくは、もうルキナの記憶の中にしか居ない彼等と同じ道を辿るのだろうとしても、だ。
……それを裏付ける様に、ルキナの干渉によるものなのか、この世界の『クロム達』と、ルキナの記憶の中の彼等とは既に大なり小なり歩んで来た道が、置かれている状況が違う。
辿って来た過去が違うのならば、それがどれ程些細な変化であるのだとしても、『彼等』が本当の意味でルキナにとっての両親と同じになる事は無い。
要は、限りなく何処までも似通った……しかし確実に両親ではない人達にしかならない。
……それは、痛い程分かっているのだけれども。
それなのに。……それなのに。
ふとした瞬間の仕草が、声音が……その抑揚が、『彼等』の何もかもが、記憶の中の両親の姿に重なってしまう。
僅かに違うとは言え両親と『彼等』は「同じ」存在なのだと言えるのだから……それは当然の事なのだけれども。
ああ……だけれども、いや……だからこそ、か。
ふとした瞬間に、まるで……両親が今ここに生きている様な……目の前にいる『彼等』が両親その人であるかの様にすら、ルキナは感じてしまうのだ。
当然それはただの錯覚で、ルキナの思い違い……或いは殺しきれない「願い」に焦がれて見た儚く虚しい幻でしかない。
だからこそ、その錯覚はルキナを苛むのだ。
『彼等』と両親を同一視する事。
それは、両親への背徳であり……『彼等』への裏切りであり、そして……。この世界の、正真正銘『彼等』の娘である『ルキナ』への不義であった。
両親は……ルキナにとっての本当の『家族』は、もう皆死んだ、この世の何処にも居ない、もう二度と巡り逢えない。
……いや、それどころか、こうして「過去」に遡った時点で、両親達の存在は消し去られ、最早ルキナの記憶の中にしか存在し得ないのかもしれない。
……そうであるならばそれは、両親達を「二度」殺す事と同義であるのだろう。
大好きで、大切で、今も尚強く焦がれている。
だからこそ、それを理解しておきながらまるでその「面影」を『彼等』に重ねるかの様なその錯覚は、ルキナにとっては『彼等』を両親の代替品として扱っているも同然の行為であり、また……他ならぬ「死者」である両親の存在を否定しているにも等しかった。
誰も、真の意味では他の誰かの「代替」にはなれない。
それが、限りなく同一に近い他人であったとしても、だ。
それを理解し、そして自覚しながらも、その「過ち」を犯すのは、ルキナにとっては余りにも罪が深い事だった。
……ルキナが『過去跳躍』と言うヒトが侵してはならぬ神の領域に手を出してまでここに来たのは、埋める事など永遠に叶わぬ傷を『代替品』で埋める為などでは断じて無い。
「世界を救う」、「未来を変える」……。それこそがルキナの成すべき事、果たさねばならぬ『使命』だ。
……例えそれが、本質的な意味ではルキナが本当に救いたかった『絶望の未来』を救う事にはならないのだとしても。
それが、本当に成すべきであった事──『「あの」絶望の未来』を救う事を成せなかった……それを諦めてしまった、失敗してしまった、……そんな敗北者の、ただの悪足掻きでしかなく、それですら自己満足にもならないのだとしても。
……そうやって足掻いた先に、「この世界」の『両親』にとっての未来に、あんな絶望以外の結末が生まれるのであれば。
……少しでも、ほんの一欠片でも、『意味』はあったのだと。
ルキナがこうして「過去」へとやって来た『意味』は、あの『未来』を見捨ててしまった事への贖罪や代償にはならないのだとしても。
……それでも何かの『価値』はあるのかもしれない、と。
ルキナは、そう思うのだ。
だからこそ、『使命』が果たされたその先に、ルキナの『居場所』が……『帰るべき場所』は無くても。
ルキナが抱え続けているこの『望郷』とも呼べるこの『願い』が叶う事は決して無いのだとしても。
自分の何を差し出したとしても、ただ一つ残されたこの『使命』だけは果たさねば……と、そう心に刻んでいる。
……だからこそ、恐ろしいのだ。
もし、「満たされてしまったら」……と。
ルキナの両親はもう居ない、何処にも居ない。
帰りたかった「あの頃」はもう何処にも無く……そしてそこに回帰する術もまた、何処にも無い。
……だからこそ、『両親』と共に過ごす時間は耐え難い程に『幸せ』なのだ。……それを「有り得ない事」と知りながら。
叶わぬ筈の『願い』が……あの絶望だけが支配した世界での終わり無き戦いの中で縋る様に見ていた『夢』の続きが。
ほんの少し手を伸ばせばそこに在る様にすら、思えて。
更なる「過ち」を、紛れも無い「罪」を、そうと知りながら、犯してしまっても良いのではないかとすら……。
求めていたモノが……如何なる絶望を乗り越えなくてはならないのだとしても、何を「対価」にする必要があるのだとしても、どうしても欲しかったものが、「今」そこにあるのだ。
あの温かな手が、「ルキナ」と……そう自分を呼んでくれるあの優しい声が、「望み」さえすればきっと叶う程近くに……。
それを欲しいと、叶えたいと。そう思う事を諦めてしまうのは、その心を完全に殺してしまうのは、とうに覚悟を決めているルキナですら……難しい事であった。
きっと……両親と同じく優しい『彼等』は、ルキナがそう望めば……望んでしまえば、それを叶えてくれるのだろう。
ルキナをもう一人の『彼等』の娘として……『家族』として、温かく迎え入れてくれるのだろう。
きっとルキナの『居場所』に、『帰る場所』になってくれる。
だがそれは……、……やはり望んではならない事、『叶ってはならない事』であるのだ。
ルキナは「この世界」に……「この時間」に、本来は在ってはならないその身に『聖痕』を宿す者であった。
聖王家の血に連なる事を示す『聖痕』は、ルキナの依って立つべきモノであり、そしてその身へ「世界救済」の『使命』を課す枷そのものでもある。
誤魔化す事の難しい左眼に刻まれた『聖痕』は……この世界の「ルキナ」と過たず同じ場所に刻まれたそれは、この世界に何時か何らかの『禍』を齎してしまうかもしれない。
悪意ある者に利用されれば、ルキナがそれを望まずとも。イーリスに……そしてこの世界に『禍』を齎してしまう。
どうかすれば、この世界の「ルキナ」を、ルキナ自身が脅かしてしまう可能性だってあるのだろう。
それだけは、決して在ってはならない。
邪竜ギムレーの復活を阻止し、この世界をあの様な『絶望の未来』から救ったとしても、それでこの世界から全ての争いの火種が取り除かれるのかと言うと、そんな事は全く無い。
ルキナの手の及ばぬ所に、この世界の至る所に、禍と争乱の種は眠っている。
……しかし、ルキナの存在如何に関わらず、この世に争いの火種が絶えないのだとしても、ルキナ自身がその火種になってはいけないのだ。
ほんの僅かな、まるで微睡の中の平穏なのだとしても、ルキナはそれを守らなければならない、壊してはならない。
……だからこそ、ルキナは望んではいけないのだ。
しかしそう理解していても尚、ほんの一言二言交わすだけでも、同じ戦場に立つだけでも。
ルキナの心の中の「何か」が少しずつ満たされてしまう、そしてこの『望み』を叶えたいと、『両親』に縋り付きその『愛』を求めてしまいたいと、そんな思いが少しずつ強くなる。
それが『願い』の代替に過ぎないと理解しながら……。
それは、余りにも幼く、そして身勝手な「執着」であった。
だからこそ、ルキナは「それ」が恐いのだ。
何時か、何かを決定的に間違えてしまうのではないかと。
そう、自分自身の弱さを知るが故に、その疑念を晴らせないからこそ。
ルキナは、関わる事を、恐れていた。
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