第四話『一番の宝物』
◇◇◇◇◇
男は立ち入るなとばかりに産婆達に追い出された部屋の大扉の前で、ルフレは所在なく動き回り続けていた。
ルキナが産気付いて、王家の信頼も厚く口の堅さも保証されている産婆が急ぎ呼び集められてから、既に数刻は過ぎた。
初産は長引くものであるらしいとは事前に聞かされていたが、だからと言ってそれで不安が解消されるなんて事は無い。
扉の向こうからは苦しむルキナの声が聞こえてくる。
子を産む痛みとは、男では一生経験し得ない程の……想像を絶する苦痛であると言う。
今ルキナはこの扉の向こうで必死に戦っているのだ。
そしてそれは、生まれ出ようとしている我が子も。
今直ぐ部屋の中に駆け込んで、ルキナの手を取ってその戦いを支えてやりたいのだが、産婆達には「男は役に立たないし邪魔だ」と言わんばかりの態度で追い出されるのである。
ルフレには、扉越しにルキナの戦いの無事を祈り続ける事しか出来なくて、それが酷くもどかしい。
不意に、扉の向こうが騒がしくなった。
ルキナの呼吸も、一段と荒くなっていく。
まさか二人の身に何か起きたのかと、直ぐ様追い出される事も忘れて扉を開けそうになったその時だった。
大きな泣き声が、扉の向こうから聞こえた。
命の灯火の揺らめきを、世の果てまで届けんとばかりに泣くその産声に、ルフレは思わず感極まってその場に蹲った。
それから少しして扉の向こうが騒がしくなり、重々しくルフレとルキナ達を隔てていた扉が開かれた。
一仕事終えた満足気な顔をした産婆達に促されて部屋の中に入るとそこには。
激しい戦いの余韻を残す様に少し息を荒げたルキナが、ポロポロと涙を零しながら、お包みに包まれた我が子を優しく抱き締めてあやしていた。
ルフレがよろよろと歩み寄ろうとすると、突如産婆の一人に引き留められ、綺麗な水が入った手桶を渡される。
……これで手を洗ってからにしろと言いたいらしい。
指示された通りに手を洗って漸く接近が許された。
ルフレは、恐る恐るルキナに抱かれた我が子へと近付いた。
ふぎゃふぎゃと元気よく泣いている我が子の顔は、生まれたばかりだからか、まだくしゃくしゃだ。
だが、その髪と瞳の色は、間違いなくルキナ譲りのモノで。
そして、親の欲目でないなら、その目鼻立ちはルフレに似ている様に思える。
ルフレの指先を包む程の大きさも無いだろう小さな小さな紅葉葉の様な右手には、ルキナの子である事を示すかの様に聖痕が刻まれていた。
産湯に浸かり洗われた身体は、ふにゃふにゃと柔らかい。
ルキナは微笑んで腕の中の子をルフレへと託してくる。
教えられた通りに、生まれたばかりの子供の為の抱き抱え方を実践したのだが、首が据わって無さ過ぎて不安になる。
あたふたとするルフレの姿に、ルキナは小さく笑い声を上げて、幸せそうにそれを見た。
「元気な女の子ですよ。
ほら……この目元、ルフレさんにそっくりです」
ルキナに言われて、ルフレが我が子をよく見ようと覗き込んだ瞬間。まだ目はよく見えていないだろうに元気いっぱいに動かしていたその手が、ルフレの指先に触れて。
それを、小さな手で握り締めた。
ルフレの指先すら十分に包み込めていないその手を見て。
何故か、ルフレの視界が滲んだ。
ポロポロと、涙がお包みに落ちていく。
「あ、あれ……おかしいな、何だか涙が止まらないや」
ゴシゴシと拭っても、それが止まる気配は無い。
そんなルフレに、ルキナは。
「良いんですよ、ルフレさん。好きなだけ泣いても」
そう言って、よしよしとルフレの背中を優しく擦った。
それに、益々零れ落ちる涙は止まらなくなる。
……ルフレは。
「赦された」様な気がしたのだ。
今この瞬間に、この世界から。赦されたのだ、と。
『ギムレーの器』として造られた歪な存在でも。
その命の環を繋げていっても良いのだと、お前もその環の中に確かに居る存在なのだと……。
そう、この世界そのモノから言われた様な気すらして。
自分の存在が、世界から赦されたのだと言う気がして。
それが、泣いてしまう程に、この心を震わせていた。
ルフレは、小さな娘の手を、そっと包む様に握り締める。
そして。
「……ルキナ、この子の名前なんだけれど……。
『マーク』で、どうだろうか。
……この子は。僕と、君の、『幸せ』の……その象徴だから」
「『マーク』……。ええ……とても素敵な名前です。
初めまして、今日からあなたはマークですよ」
ルフレからマークを受け取ったルキナはそうあやす様に微笑んでその身体を優しく揺らす。
すると、マークはくしゃくしゃの顔で笑った。
そんなマークの頭をルフレは優しく撫でて、誓う様にマークへと囁いた。
「マーク……。君のその手に、沢山の『祝福』と『幸せ』を。
君の未来に限り無い『希望』を。
それを君に届ける事を……僕は約束するよ。
君は、僕達の一番の宝物だ。
だからね、マーク。
僕達の娘として産まれて来てくれて、本当に有難う……」
愛しているよ、と微笑んだルフレに。
マークは小さなその手を、精一杯に伸ばすのであった。
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男は立ち入るなとばかりに産婆達に追い出された部屋の大扉の前で、ルフレは所在なく動き回り続けていた。
ルキナが産気付いて、王家の信頼も厚く口の堅さも保証されている産婆が急ぎ呼び集められてから、既に数刻は過ぎた。
初産は長引くものであるらしいとは事前に聞かされていたが、だからと言ってそれで不安が解消されるなんて事は無い。
扉の向こうからは苦しむルキナの声が聞こえてくる。
子を産む痛みとは、男では一生経験し得ない程の……想像を絶する苦痛であると言う。
今ルキナはこの扉の向こうで必死に戦っているのだ。
そしてそれは、生まれ出ようとしている我が子も。
今直ぐ部屋の中に駆け込んで、ルキナの手を取ってその戦いを支えてやりたいのだが、産婆達には「男は役に立たないし邪魔だ」と言わんばかりの態度で追い出されるのである。
ルフレには、扉越しにルキナの戦いの無事を祈り続ける事しか出来なくて、それが酷くもどかしい。
不意に、扉の向こうが騒がしくなった。
ルキナの呼吸も、一段と荒くなっていく。
まさか二人の身に何か起きたのかと、直ぐ様追い出される事も忘れて扉を開けそうになったその時だった。
大きな泣き声が、扉の向こうから聞こえた。
命の灯火の揺らめきを、世の果てまで届けんとばかりに泣くその産声に、ルフレは思わず感極まってその場に蹲った。
それから少しして扉の向こうが騒がしくなり、重々しくルフレとルキナ達を隔てていた扉が開かれた。
一仕事終えた満足気な顔をした産婆達に促されて部屋の中に入るとそこには。
激しい戦いの余韻を残す様に少し息を荒げたルキナが、ポロポロと涙を零しながら、お包みに包まれた我が子を優しく抱き締めてあやしていた。
ルフレがよろよろと歩み寄ろうとすると、突如産婆の一人に引き留められ、綺麗な水が入った手桶を渡される。
……これで手を洗ってからにしろと言いたいらしい。
指示された通りに手を洗って漸く接近が許された。
ルフレは、恐る恐るルキナに抱かれた我が子へと近付いた。
ふぎゃふぎゃと元気よく泣いている我が子の顔は、生まれたばかりだからか、まだくしゃくしゃだ。
だが、その髪と瞳の色は、間違いなくルキナ譲りのモノで。
そして、親の欲目でないなら、その目鼻立ちはルフレに似ている様に思える。
ルフレの指先を包む程の大きさも無いだろう小さな小さな紅葉葉の様な右手には、ルキナの子である事を示すかの様に聖痕が刻まれていた。
産湯に浸かり洗われた身体は、ふにゃふにゃと柔らかい。
ルキナは微笑んで腕の中の子をルフレへと託してくる。
教えられた通りに、生まれたばかりの子供の為の抱き抱え方を実践したのだが、首が据わって無さ過ぎて不安になる。
あたふたとするルフレの姿に、ルキナは小さく笑い声を上げて、幸せそうにそれを見た。
「元気な女の子ですよ。
ほら……この目元、ルフレさんにそっくりです」
ルキナに言われて、ルフレが我が子をよく見ようと覗き込んだ瞬間。まだ目はよく見えていないだろうに元気いっぱいに動かしていたその手が、ルフレの指先に触れて。
それを、小さな手で握り締めた。
ルフレの指先すら十分に包み込めていないその手を見て。
何故か、ルフレの視界が滲んだ。
ポロポロと、涙がお包みに落ちていく。
「あ、あれ……おかしいな、何だか涙が止まらないや」
ゴシゴシと拭っても、それが止まる気配は無い。
そんなルフレに、ルキナは。
「良いんですよ、ルフレさん。好きなだけ泣いても」
そう言って、よしよしとルフレの背中を優しく擦った。
それに、益々零れ落ちる涙は止まらなくなる。
……ルフレは。
「赦された」様な気がしたのだ。
今この瞬間に、この世界から。赦されたのだ、と。
『ギムレーの器』として造られた歪な存在でも。
その命の環を繋げていっても良いのだと、お前もその環の中に確かに居る存在なのだと……。
そう、この世界そのモノから言われた様な気すらして。
自分の存在が、世界から赦されたのだと言う気がして。
それが、泣いてしまう程に、この心を震わせていた。
ルフレは、小さな娘の手を、そっと包む様に握り締める。
そして。
「……ルキナ、この子の名前なんだけれど……。
『マーク』で、どうだろうか。
……この子は。僕と、君の、『幸せ』の……その象徴だから」
「『マーク』……。ええ……とても素敵な名前です。
初めまして、今日からあなたはマークですよ」
ルフレからマークを受け取ったルキナはそうあやす様に微笑んでその身体を優しく揺らす。
すると、マークはくしゃくしゃの顔で笑った。
そんなマークの頭をルフレは優しく撫でて、誓う様にマークへと囁いた。
「マーク……。君のその手に、沢山の『祝福』と『幸せ』を。
君の未来に限り無い『希望』を。
それを君に届ける事を……僕は約束するよ。
君は、僕達の一番の宝物だ。
だからね、マーク。
僕達の娘として産まれて来てくれて、本当に有難う……」
愛しているよ、と微笑んだルフレに。
マークは小さなその手を、精一杯に伸ばすのであった。
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