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第四話『一番の宝物』

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 クロム達からの励ましを貰って、少し気が晴れたその夜。
 ルフレは庭のベンチに腰掛けて、一人静かに更け行く夜空を見上げていた。

 ……人は、死ぬと「星」となって遺してきた大切な人を見守ると言う話がある。……それが事実なのかは知らない。
 何処かに死者の世界があるのかもしれないし、天国やら地獄があるのかもしれないし、或いは魂が巡り巡ってまた何かの命としてこの世に戻るのかも知れない。
 死後の世界がどんなモノなのか、そもそもそれが存在するのかどうかすら……誰にも分からないのだ。
 ルフレは一度この世界から完全に消滅し、『死』を迎えてはいるけれども。だが、あの現実とも夢とも言い難い狭間の場所を、果たして「死後の世界」と呼べるのかは分からない。
 生きている限り人は「死後の世界」を本当の意味で知る事は出来ないのだから。

 そんなルフレが夜空を見上げているのには、もしかしたらその頭上に輝く星々の何処かに居るのかもしれない『母』を想っての事であった。
 星に手を伸ばしたって、それを掴む事は出来ない。
 その無数の輝きの何処かに『母』が居るのだとしても、星を掴む事は出来ないし、その「思い出」が蘇る訳でも無い。
 ……『母』を想うと言っても、今のルフレにはそもそもの話、その人との「思い出」自体が無いのだ。
 だから、どんな人だったのか、どう言う風にルフレに接してくれていたのかも……全く知らない。
 そもそも、自分を少なくともある程度以上まで育ててくれたのが『母』であるのかどうかも知らない。
 生きているのか、死んでいるのかさえ……。

 ……もし、『母』が既に故人であるのなら。
 この夜空に浮かぶ星々の輝きの何れかから、『母』はルフレを見守ってくれているのだろうか? 
 自分は『母』から、そういう風に愛されていたのだろうか? 
 そんな事を、ぼんやりと考えていた。

 ……『母』から愛されていなかったとしても、棄てられていたり或いは物心付くかどうかの頃に死に別れていても。
 それでも、『母』が命懸けでルフレをあの闇の底の様な狂気の領域から連れ出してくれたのは、先ず間違いは無いだろう。
 あの狂気と妄執だけが支配する場所で生きていたら、ルフレは間違いなく壊れていた。
 いや、その場合は最初からそう心も認識も「造り上げられる」のだから壊れると言う表現は正しくないだろう。
 ただ少なくとも、『邪竜ギムレー』に相応しい……『人間』とは思えない人間性になっていた筈だ。
 クロム達と出逢う事も無く、ルキナと出逢う事も無い……。
 そして『ギムレーの器』である事に何の疑問を懐く事も無く、『ギムレー』へと成っていたのであろう。
 それは……少なくとも今こうして思考しているルフレにとっては、とても恐ろしい可能性であった。
 あの日目覚めるまでを自分がどうやって生きていたのか、きっともう二度と思い出せないだろうけれども。
 それでも、例え『母』がどの様な人であったのだろうとも。
 あの狂った場所からルフレを命懸けで連れ出してくれたと言う事実だけで、深い深い感謝を懐く事に迷いは無い。
『母』がそうしなければ、今のルフレは存在しない。
 クロム達と出会う事も、ルキナと出会う事も、……こうして愛する人との間に命を授かる事も、無かったのだから。
 だから、顔も分からない名前も分からない……それでも確かに『ルフレ』と言う人間の根幹に存在したその人に。
 有難うと……ただそう伝えたいのだ。

 そんな事を考えながらぼんやりと夜空を見上げていると。



「ルフレさん……? 
 こんな時間に外に出てどうかしましたか?」


 そんな事を言いながら。
 ルキナが、ひょっこりと姿を現した。
 ……もう既に寝ているものだとばかり思っていたから、突然現れてルフレは少し驚いたのだけれども。
 ……ルキナも、『母親』と何か色々と話をして来たからなのか、色々と吹っ切れた様な……それでも何かを考えている様な顔をしていた。……丁度、ルフレの様に。


「ああ、ルキナ。少し、星空を見上げていたんだ。
 ルキナも一緒に見るかい? 今夜は雲が少ないからね。
 とても綺麗な星空が広がっているよ」


 そう微笑み掛けると、ルキナもそっと笑って。
 ルフレに寄り添う様に、ベンチに座った。
 そして、ルフレの様に夜空を見上げて、感嘆の声を零す。


「本当に……素敵な星空ですね。
 夜は……あまり好きではありませんが。
 こうして星を見上げるのは、好きです。
 ……それで、どうして星空を見上げていたんですか? 
 何か、考え事ですか?」


 小さく首を傾げてそう訊ねてくるルキナのその眼差しには、どうしてだか「不安」の様なモノが揺らめいていて。
 何故? と考えたルフレの脳裏に一つの「記憶」が蘇った。

 それは、「あの日」の前夜。
 二人で寄り添って、満天の星空を見上げた「記憶」。
 ……ルフレが、ギムレーと共に『消滅』する覚悟を決めて、ルキナの『願い』をそっと手離したあの夜の事であった。

 それに思い至ったルフレは、「ああ……」と。
 ルキナの眼に揺らぐ「不安」の陰に納得した。
 だからルキナを安心させる様に、その身を抱き寄せる。


「大丈夫だよ、ルキナ。
 君を置いて逝こうとかなんて、全く考えていないさ。
 ただ……もし、死んだ人の魂が「星」になる……と言う話が本当なら。僕の『母』も、この中に居るのだろうかと。
 そう、思ってね。
 顔も名前も分からない……僕には何も思い出してあげられない人ではあるのだけれど。
 それでも間違いなく僕をこの世に産んで……そして、ギムレー教団の手から連れ去ってくれた人だから。
 こうして、僕も『親』になる身だからかな……。
 それを、感謝したくなったんだ……。
 まあ、感謝しようにも、生きているのか死んでいるのかも分からないからね。
 ……だから、星空を見上げていたんだ」


 そう言うと、ルキナは安心した様にほっと息を吐いて。
 そして、優しい眼差しで夜空を見上げる。


「死んだ人の魂が星に、ですか……。
 それが本当の事かは分かりませんが……、もしそうなら、とても素敵な事ですね……。
 ……あの『絶望の未来』でも、お父様やお母様たちは、星になって私たちを見守っていてくれたのでしょうか……。
 ……あの世界の夜空は、見上げても星明り一つ届かない……そんな絶望そのものの様な、昏い夜空でしたが……。
 あの分厚い雲に閉ざされた彼方から、お父様達が見守っていてくれたなら……。私は……。
 ……この世界の夜空には、もうお父様達の輝きは無いのでしょうけれど。それでも少し、嬉しいです」


 そしてルキナは目を閉じて、ルフレにその身を預けた。
 新たな命が宿っているのであろう……今は目に見える変化は無い腹を、そっと優しく撫でて。
 少し切ない……だが『幸せ』そうな微笑みを浮かべる。


「私は……お父様やお母様にとっては、守らなければいけない子供……無力な幼子だったのでしょう。
 ……お母様は、私を守る様に命を落としてしまった。
 私には、それがとても哀しかったんです。
 生きていて欲しかった、私を庇う様に傷付かないで欲しかったと……ずっとそう思っていました。
 自分が無力だから、自分には戦う力が無いから……。
 だから、お母様は死んでしまったのだろうと、……何も出来ない幼子だったから、私はお父様の為に何も出来なかったのだろうと……そう自分の幼さと無力さを憎んでいました。
 でも、今なら何となく、お父様達の気持ちが分かるんです。
 無力な幼子だからだとか、そんなのじゃなくて。
 ただただ……『私』を守りたかっただけなのだろうと。
 ……私が、まだ産まれてもいないこの子を、何があっても守ってあげたいと願う様に……。
『親』の気持ちは、『子供』には中々伝わりませんね……。
 ……今なら、お父様とお母様に、『ごめんなさい』ではなくて、『愛してくれて、守ってくれて、有難う』と。
 そう言える気がするんです」


 もう二人はこの世界の何処にも居ないのですけど。と。
 寂し気に微笑んだ彼女に、ルフレは小さく首を横に振った。


「そんな事は無いさ。
 確かに、この世界の死者の世界に、君の『クロム達』は居ないのかもしれなくても。
 ……君の記憶には、確かに存在している筈だよ。
 ……死んだ人が本当に最後に辿り着く場所は、きっとその人を知る人々の記憶の中なんだ。
 思い出の中から、遺してきた人たちの事を見守っている。
 だから、君がそれを忘れない限り、彼等は何時も君と共に在る、君をその『思い出』の中から見守っているさ」


 そこにその魂が宿るとか、そう言う訳では無いだろうけど。
 それでも、『記憶』とはその存在の欠片であり、その人との『思い出』を持つと言う事は、その存在の欠片をその心に刻み込むと言う事でもある。
 だから、そこに実体としての『彼等』の姿は無くても。
『思い出』が描く幻は、何時だってそれを思い描く人を見守ってくれるのだ。……そうやって人は、想い偲ぶのだ。
 ルフレの言葉に、ルキナは静かに目を閉じる。


「そう……ですね。
 もう、お父様とお母様は……私の記憶の中にしか、存在しませんが……。それでも、そこに居てくれるのですね……。
 …………叶わない『願い』ではあるのですが。
 私は……お父様とお母様と、もっとお話をしたかった。
 ルフレさんに出逢った事、こうしてルフレさんとの間に命を授かった事……それを、伝えたかった。
 二人の守った命は、こうして『幸せ』になったのだと……。
 ……それは、決して叶いませんが。
 それでも、私の記憶の中に、居てくれるなら。
 ……それは、とても……」


 そこから先の言葉を、ルキナは続けなかった。
 ただ、今は遠い『思い出』の中の二人を想って。
 そして、その姿を偲ぶ様に瞑目した。

 そんなルキナの身体を、抱き締めながら。
 ルフレは、遠い『彼等』に、静かに誓うのであった。






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